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(――ここが会談場所……)
ブレインメンバーが玖黒木真人に会談場所のセッティングを依頼してから一週間。
佐竹玲奈は絶海の孤島、草木もなにもない平坦な人工島の砂浜に立っていた。
目元が隠れるほど長い前髪は海風に揺られ、その毛先は彼女の頬の上あたりを小刻みに叩いていた。
その感触がくすぐったいのか、玲奈は数秒おきに前髪を手ぐしで整えていた。
(そろそろ梳いておいたほうがいいかもしれませんね)
玲奈は自分の容姿についてそこまで興味がなかった。
美容院に行っても美容師さんに任せきりで、自らいじったりすることはない。いじるとしても寝癖を治す程度だ。
化粧についてもまるっきりで、学生時代は朝と夜に石鹸で顔を洗う程度だった。
しかし、律葉と友達になってからは洗顔クリームや化粧水などの最低限のメンテナンス……もとい、肌の手入れを強制させられるようになった。
律葉とお揃いの香水を購入したり、ブレスレットを付けてみたりと、なかなか楽しいものだった。
律葉の指導のおかげで、最初は面倒だった化粧も今は自発的に実行できている。
今日もバッチリとまではいかないが、男性陣に見せて恥ずかしくない程度には準備してきた。やはり外見の印象というのは重要だ。
服装はいつもどおりの暗めのタートルネックシャツに膝丈のタイトスカート、そして白衣を羽織っている。
体型については特に悩んでいないが、少々猫背が気になっている。背筋を伸ばせられればいいのだが、これがなかなか難しい。
やはり腹筋と背筋を鍛えたほうがいいのだろうか。
「……」
玲奈はとりあえず猫背を矯正するべく両手を挙げて背伸びをする。
すると、背中からぽきぽきと小気味のいい音が発せられた。
続いて体を左側に捻ると先程よりも大きな音が腰の付け根あたりから鳴った。
痛みはまったくないが、毎度毎度この音を聞くとヒヤリとする。……あとで医務室で調べてもらおう。
そんなことを頭の片隅で考えつつも、玲奈の脳は目に映る景色から情報を得ていた。
(島……というよりは埋め立て地に近いですね)
絶海の孤島。周囲には海しかない。
島の直径は目算で2000m。形状はやや楕円形で見晴らしは良い。足元もサラサラできめ細かい砂が敷かれており、水漏れなどの気配はない。
延々と続く白い砂浜……
水面と距離が近いせいで海の上に立っているような錯覚に陥る。
なんとも不思議な感覚だ。
これだけの構造物を楽々と用意できるハヤトやマナトの能力には改めて驚かされる。
私が製作に携わったAI搭載人型戦闘兵器「ゲイル」も重力制御ユニットでかなりの出力を発揮できるが、彼らの力と比べると劣ると認めざるを得ない。
だからと言って対抗できないわけでもない。
事実、ゲイルは過去にマナトに致命傷を与えることに成功した。
あの方法は二度と通用しないだろうが、幸いにも私は自他共に認める天才である。
既にマナトへの対応策は発案済みだ。条件は厳しいが不可能ではない。
今ここで脳内でシミュレートしたいところだが、あの赤毛の覗き魔が私の思考を読む可能性を考慮してなるべく意識の外に追いやっておこう。
「……おい、レイナ」
不意に耳に届いたのは女性の声。すこし低めで淀みもノイズもない、落ち着いた声。
この声だけで玲奈はその人物を判別できた。
玲奈は声がした方へ視線を向ける。
そこには玲奈が予想したとおり、ブルネットの長髪が特徴の女性……トキソがいた。
トキソの服装は玲奈とは対照的で肌の露出が多く、身につけているものはチューブトップとスパッツのみだった。
色は上下ともに黒。
この格好だと水着に見えなくもない。海水浴場に行けば間違いなく2桁近い男から声をかけられただろう。
男女関係に疎い玲奈がそう思えるほどトキソの容姿は良く、モデル顔負けのスレンダーな体型に白陶器を連想させる色白の肌はとても魅力的だった。
……だからこそ、腰にある拳銃には違和感しか感じられなかった。
黒い拳銃はホルスターに収められており、ホルスターは腰のベルトにしっかり固定されていた。
拳銃などという原始的な武器を携帯する必要がないほど、彼女は強力な能力をその身に宿しているのだが……、なぜ肌身離さず持っているのだろうか。
習慣か、お守りか、はたまた形見か。
「……おいレイナ、返事くらいしたらどうだ」
無駄なことを考えている間にトキソは距離を詰めており、玲奈の真正面に立っていた。 近づくとトキソの顔をよく観察できた。薄紅色の唇、淡い青の瞳……やはり何度見ても目を奪われる。隼の報告書にあった“ロングヘアーが超似合う白肌の超美人”という文言も今なら理解できる気がする。
(それはそれとして……)
玲奈は邪な思考を脳の隅に追いやり、ようやく返事する。
「聞こえてる聞こえてる。それで、なにか用事でも?」
「いや、声を掛けただけだ。なるほど、その様子だと緊張していないようだな」
「緊張? 私が? ……フフ」
予想外の心配をされ、玲奈は思わず吹き出してしまう。
そんな玲奈を見てか、トキソは改めて言い直す。
「ブレインメンバーを説得できなければDEEDを根絶やしにする機会を失うことになる。説得材料は十分に用意できているのか」
「大丈夫。私に任せて。何かあれば指示を出すから」
「……」
表情には出していないものの、トキソは不服そうだった。
無理もない。なぜなら私は彼女に全く情報を与えていないからだ。
その理由は隼……、いや、パイロの存在にある。
あの男は他人の思考を読み取ることができるかなり厄介な存在だ。
完璧に遂行するためにはトキソと情報共有しておくべきなのだろうが、トキソの考えていることがパイロにバレてしまえばその時点でゲームオーバーだ。
その点、私に関しては思考を読まれる可能性はゼロに近い。
なぜなら彼と私は親友だからだ。
親友の思考を読む行為は裏切りに等しい。発覚すれば間違いなく信頼関係は崩壊してしまう。そのあたりのことを彼はよく理解している。
(変な所で真面目なのよね……っと)
ふと腕時計を見ると真人たちの到着予定時刻まで60分を切っていた。
彼らが到着し次第、DEEDと人類間で交渉が行われる予定だ。
DEED側は既に恭順の姿勢を見せているし、ブレインメンバーたちも3000万の労働力を使う気でいる。
顔合わせが済めば、すぐに情報の統制や人類が大陸に移動する時期などについて、詳細な打ち合わせが行われるに違いない。
そこまで進んでしまうと流石の私も手が出せない。だからこそ、真人たちが来る前に行動を開始せねばならない。ブレインメンバーを説得せねばならない。
玲奈の動作を見てか、トキソも自前の携帯端末で時刻を確認する。
「そろそろ時間だな。レイナ、頼むぞ」
「ええ」
先ほどトキソにも言った通り、緊張は全くない。
この説得は高確率で“失敗”すると予想しているからだ。
一縷の望みにかけてブレインメンバーを説得はするが、彼らはDEEDの危険性について深刻に考えることはないだろう。
彼らが望むのは豊かな生活と権力だ。
DEEDと共生することで人類にどんな影響が出るか、そして将来どのような問題が発生するかなど全く考えていない。
(馬鹿ばかり……)
人の愚かさには辟易するが、それでも種の一員として人類を救わねばならない。
人類はDEEDという侵略者に絶滅されかけた。だが、人類は奇跡と叡智によって侵略者を退けた。その事実を人類はしっかりと自覚するべきだ。
今後も人類史は続く。障害になるものは徹底排除だ。
玲奈は自分に言い聞かせつつ、乱れた前髪を10本の指を使って丁寧に整える。
「いきましょうか」
玲奈はトキソに告げ、人工島の中央部……ブレインメンバーが座して待つ大型コンテナへ歩き出した。
「――今回の件、やはり再考するべきだと思います」
人工島中央、大型コンテナの内部にて、ブレインメンバーを前にして警鐘を鳴らしたのは玲奈だった。
玲奈の声はコンテナ内で反響したが、雑音に紛れてすぐに消えた。
コンテナの幅は10m、奥行きも同じくらいだろうか。
中央部分には大きめの長テーブルと簡素な椅子が置かれている。それ以外備品らしいものはなく、四方には金属の壁が、天井と床も鈍色の金属板で覆われていた。
内部は暖色系のライトで十分に照らされていたが、つい先程まで太陽光を浴びていたせいか、雰囲気も相まって玲奈には暗く感じられた。
椅子に座るブレインメンバーの数は6名。……本来なら8名なのだが、私と律葉がいないので席が2つ空いている状態だ。
そして、その6名はそれぞれが自分の作業を行っていた。
玲奈の話を真面目に聞いているのは半分にも満たず、もう半分は携帯端末片手に通話をしたり難しい顔で書類に目を通したりと、忙しそうにしていた。
そんな中、唯一まともな反応を示してくれたのは無精髭とぼさぼさの髪が目立つ日本人……榎谷博士だった。
「ここに来てまだその話を掘り返すのかい、佐竹玲奈くん」
榎谷博士には身だしなみの悪さや面倒くさがりな性格から不真面目な印象を抱いていたが、今は険しい表情を浮かべており、真剣な眼差しをこちらに向けていた。
やはりというかなんというか、腐っても博士である。律葉が文句も言わずに師事しているのも頷ける。
よく見ると痩せ型でルックスも悪くない。もっと身なりを整えればそれなりにモテそうなのに、もったいない。
(ではなくて……)
こんなときに私は何を考えているのか。
まあ、緊張していない証拠だと前向きに考えよう。
玲奈は一旦咳払いして感情をリセットし、榎谷博士に訴える。
「ええ、何度でも掘り返します。DEEDとは交渉の余地なし、すぐにでも根絶やしにするべきだと」
「君の意見は十分理解している。でも、もう決まったことだ。諦めてくれとは言わない。妥協してはくれないかい。今後も色々とトラブルが発生するだろうし、その時には機械工学に造詣が深い君の意見はとても参考になるはずだ」
「ですから……」
“トラブルが起こってからでは遅いのだ”と、言葉を続ける気になれなかった。
何度も何度もブレインメンバーにはメッセージや通話でDEEDの危険性を訴えてきた。
その結果がこれならば、もはや何も言うことはない。
しかし、これが顔と顔を合わせて伝えられる最後の機会だ。お互い遺恨を残さぬよう、ブレインメンバーには傾聴してもらおう。
玲奈はすぅと息を吸い込み、半ば叫ぶように告げる。
「皆さん!!」
普段大きな声を出さないので変に声が裏返ってしまった。恥ずかしい。
さすがのブレインメンバーもこの渾身の呼びかけを無下にできなかったようだ。
各々が通話を止め、書類を机の上に置き、テーブルに対峙する玲奈に視線を向けた。
6名のうち2人が軍事関係者、2人が科学者、そして資産家と政治家が1人ずつだ。
軍事関係者は戦闘服に身を包んでおり、2人とも袖や胸元にバッジを複数つけていた。
ただ体格には大きな差があり、片方は肥満気味で、もう片方は中年とは思えないほどガッチリとした体型をしていた。目付きも鋭く表情も険しく、戦闘で負ったであろう傷跡が顔や腕に複数見られた。
科学者は榎谷博士とエルグマン博士だ。
榎谷博士は常識人に見えるが、過去やってきた研究は法スレスレのものばかりで公安のリストにも載っていたらしい。嘘か本当か確かめたい気持ちもあるが、当時のデータは綺麗サッパリ消えていて確かめようもない。
エルグマン博士は米国の軍部で薬の研究開発を行っていた医学博士だ。年齢は70を超えているだろうか。白髪が目立つ。彼はヒトの体内に特殊な液体を注入し、超能力を発現させることに成功した。その成功例が私の友人である隼だ。
薬品の成分表を見ても専門外な上に工程が複雑すぎて私の理解の範疇を超えている。だが、おおよその素材が人間の体に入れていいものではないことだけは理解できた。
まあ、簡単に言うと2人ともマッドサイエンティストということだ。
資産家は有名財閥の次男らしく、兵器や輸送機などを惜しみなく提供してくれた。量子演算器を搭載した人型戦闘兵器の開発にも彼が所属する組織が絡んでいる。ありがたい限りだ。
そして最後の1人は自称政治家だ。どこの国の何の政党に所属していたのか知らないが、口が立つのは事実であり、うまい具合にブレインメンバーのまとめ役となっている。
唯一彼だけがきれいなスーツを着用しており、他のメンバーと比べて少し浮いていた。
しばらくの沈黙の後、口火を切ったのはスーツの男だった。
「君が何を言おうと決定を覆すことはできない。聡明な君なら理解できるはずだが」
「そうですね……でもこれが最後の機会なので、私の意見を今一度真剣に聞いてくれませんか。これは人類の存亡に関わる……」
「……好きにしたまえ」
玲奈の粘り強さに根負けし、スーツの男は背もたれに背中を預けて「ふぅ」とため息をついた。
下手に押さえつけるより喋らせておいたほうが労力をかけなくて済むと判断したのだろう。榎谷博士はともかく、他のブレインメンバーは概ねスーツの男と同じ考えらしく、それぞれ作業を完全に中断した。
玲奈は6人の視線を肌に感じつつ、落ち着いて話し始める。
「まず前提条件として、共存するとしてもDEEDが脅威であることに変わりはありません。彼らが不穏な動きを見せたり、反抗の意志を見せたらクロイデルをアクティブモードにして問答無用で根絶やしにします。ここまではいいですね?」
「程度にもよるだろうが……その点については異論はない。クロイデルという圧倒的な力があるからこそ一方的な交渉ができる。全員が共通認識している」
スーツの男に同意するようにブレインメンバーは軽くうなずく。
DEEDのことを便利な労働力として認識し、交渉することはあっても交流するつもりは全くない。そんな認識を共有したところで、玲奈は新たな問題点を提示する。
「DEEDは驚異ではありません。ですが、我々はそれよりも重大で深刻な問題を抱えている状態です」
「それは初耳だな」
「いえ、皆様は知っているはずです。認識しているのに対処方法がまったくないので無意識のうちに頭の隅に追いやっている。同じブレインメンバーとして情けない限りです」
「……ほう」
スーツの男は玲奈の挑発に近いセリフに反応し、やや前のめりになる。
そして苛立ちの混じった声で玲奈に言い返す。
「それほど重要な案件であれば記憶にも議事録にも残っていそうなものだが……全く思い当たらないな。よければその“深刻な問題”とやらを我々に教えてくれないか」
ようやく本格的に興味を示してくれたようだ。
玲奈は満を持して深刻な問題……その元凶である人物の名を挙げた。
「――玖黒木です」
玖黒木真人……私の友達であり、律葉の恋人であり、隼と共にDEEDを地上から駆逐した人類の救世主。人智を超えた戦闘能力を持つ戦士。
「……?」
玲奈の口から出た人物の名前にブレインメンバー一同は首を傾げていた。
無理もない。なぜなら彼らにとって真人は“深刻な問題”ではなく、“深刻な問題を解決する”側の人間だと認識しているからだ。
しかし、次の玲奈のセリフで彼らはその認識を改めることとなる。
「果たして彼は人類の味方なのでしょうか」
「……!!」
ブレインメンバーの表情が一変した。
戸惑いを隠せない彼らを見つつ、玲奈は更に続ける。
「今でこそ我々に従順に従ってくれていますが、その気になればこの世界を自分の思うがままにできる。それだけの力を……純粋な“暴力”を彼は持っています」
突拍子もない玲奈の問題提起に呆気にとられていたスーツの男だったが、気を取り直して玲奈の意見を否定する。
「今更な話だろう。それを言うならあの赤髪のサイキッカーや戦闘用ロボットも十分な脅威足り得ると思うのだが」
「強さの格が違います」
玲奈は即答し、十本の指を使って説明する。
「彼の力を10とすれば、パイロやゲイルの力は1……いえ、コンマ1にも満たない。それほど大きな差があるのです。本人はあまり自覚していないようですが」
「むぅ……」
誇張かもしれないが、隼とゲイルが二人がかりで仕掛けても真人に敵わないのは事実だ。
玲奈が突き付けた事実にスーツの男は何も言い返せない。
そんな状況を見かねてか、榎谷博士が会話に介入してきた。
「なるほど。玲奈くんは玖黒木くんが離叛する可能性があると言いたいのだね」
「いえ、離叛どころの話ではありません」
玲奈は視線を榎谷博士に向ける。
「彼のような絶対的な力の持ち主は否が応でも周囲の人間の羨望の対象となってしまいます。俗に言うカリスマです。民衆は彼を頼り、崇め、自らの判断を彼に委ねてしまう。正しい判断ができなくなる。……こうなるとお手上げです。我々は民衆のコントロール権を失います」
……玖黒木真人という人間には人を惹き付ける才能がある。
私が律葉と友達になれたのも真人のおかげだったし、4人で良い青春を過ごせたのも真人がバランサーの役割を見事に果たしてくれたからだ。
無自覚でそれをやっていたのだから余計にたちが悪い。
榎谷博士は玲奈の言葉を吟味した後、考えを述べた。
「確かに一理ある。が、悲観的に考えすぎではないか?」
玲奈は思わず「あなた達が楽観的すぎる」と言いそうになったが、溜飲を下げて懇切丁寧に玖黒木の危険性について説明を続ける。
「よく考えてください。彼の影響は人類だけでなくDEEDにも及びます。……もし彼が心変わりしてDEEDの肩を持つようなことがあれば、人類を排除するといった考えを持つ可能性もあります。その時我々はどうあがいても対処できません。人類の命運を彼に握らせるような状況は絶対に避けるべきです」
榎谷博士はまだ食い下がる。
「あくまで可能性の話だろう。もっと彼を信用していいのでは? 君も律葉君と同じく玖黒木君のクラスメイト……旧友なのだろう?」
「旧友だからこそわかるのです」
彼は優しい。優しいがゆえに他人に同情してしまう。非情な判断ができない。善なる者として行動してしまう。
太平の世であればこの特性は褒め称えられるべきものだ。しかし、危機的状況下においてはマイナスにしかならない。悲しいことだがそれが現実である。
好き嫌いの問題ではない。彼の存在自体が問題なのだ。
「彼はお人好しがすぎるんです。DEEDに情が移ってしまった今の彼は間違いなく人類にとって不利益な状況を生み出してしまいます」
淡々と意見を述べていた玲奈だったが、ガタイがいい方の軍人から横槍が入った。
「玖黒木が問題の争点になっていることはわかった。……が、カリスマだの不利益だの先程から話が抽象的すぎて理解が追いつかない。理解できるように話してくれないかね」
隣に座る色白の軍人や他のメンバーも同調するように頷いていた。
確かに、具体例を挙げれば玖黒木の危険性について理解度が深まるかもしれない。
「そうですね……」
玲奈は2,3秒考えた後、具体例を出すことにした。
「例えば……今後、人類がDEEDと共存すると仮定します。主従関係を結ぶ以上、DEEDからの不満は勿論のこと、人類による不当な差別など、相当数な問題が発生するでしょう。しかし、仲介役の玖黒木が持ち前のカリスマ性で以ってすぐに解決してしまいます。そうやって人類とDEEDは同じ価値観、同じ社会の中で生活していくことになります」
一呼吸おき、玲奈は続ける。
「やがて数も少ない上に身体的、精神的にもDEEDに劣る人類は世代を重ねるごとにその数を減らし、文化的にも遺伝的にも権力的にも侵食されていき、最終的には自らの言語で話すこともなくなってしまいます。いわゆる種の終焉です。……それでも、あなた方はDEEDとの対話を進めるのですか」
この玲奈の具体例を軍人は一蹴する。
「何を言うかと思えば……いくらなんでも妄想が過ぎる。3000万の労働力があれば我々の世代で文明レベルを目標水準に引き上げることも可能だ。せっかく生き延びたというのに原始的な暮らしを強いられるのは耐えられん」
「……」
結局自分のことしか考えてない。種の保存よりも自分が快適に生活できることのほうが大事らしい。
平和ボケもここまでくると笑えない。反吐が出る。
警告はした。これでわかってもらえないなら不本意ながら私が独自に動くしかない。
不穏な空気を感じてか、榎谷博士は共存のメリットについて力説する。
「玲奈君の考えは間違ってはいない。……しかし、デメリットだけではない。人類はたった5万。新種のウイルスや感染症が流行ればあっという間に人口は激減。ともすれば絶滅してしまう。DEEDという外部因子を取り入れればそんな状況を回避できるかもしれない。その他にも……」
「もういいです」
これ以上の会話は無駄だ。
玲奈は大きなため息を吐き、軽蔑の目をブレインメンバーに向ける。
「DEEDと共生すれば人類としての寿命は確実に伸びるでしょう。……ですが、遅かれ早かれ種は必ず滅びます。人類も例外ではありません。肉親や友人や恋人を殺した連中と共存するくらいなら、人として死んだほうがマシです」
嘘偽りない玲奈の言葉に対し、ブレインメンバーの反応は散々なものだった。
「君、頭は大丈夫か?」
「過労で思考能力低下、精神も不安定な状態になっているのでしょう」
「疲れているんだろう。すぐに医務室でメンタルケアを受けたほうがいい」
「そうそう、ナーバスになりすぎだ。女は黙って男の言うことを聞いていればいい」
それぞれが玲奈の訴えを蔑ろにし、最後にスーツの男が決定的な一言を放った。
「……命令しよう。佐竹玲奈、即刻軌道エレベーターに戻り、医務室にて処置を受けた後5日間の休息をとるように」
「残念です……」
人類は愚かだ。それは認める。これまでの歴史がそれを証明している。ただ、私達だけは……人類の命を背負っているブレインメンバーは愚かであることは許されない。
リスク管理もできないような能無しは必要ない。
彼らはブレインメンバー失格だ。
玲奈は目を瞑り、俯く。
やはりこうなってしまった。分かってはいたが、現実を突きつけられるとやはり辛い。
俯いたまま玲奈は呟く。
「……トキソ、お願い」
「ああ」
玲奈の言葉に応じたのはロシアが生んだ歩く化学兵器工場、トキソだった。
ブレインメンバーの視線は、堂々とコンテナの中に入ってきた彼女に向けられる。
トキソはコンテナの中に入るとブルネットの長髪を指先で弄りつつ、宙に向けてふうっと息を吹く。
それは子供がシャボン玉を吹くような、警戒心を抱かせない自然な動作だった。
無論、トキソの吐く息が普通のそれであるわけがなく、瞬時にして無色無臭の特殊なガスが広がる。
唐突に室内に入ってきた露出度の高い美人にブレインメンバーは呆気に取られていたが、榎谷博士だけは違った。
「……!!」
榎谷博士は白衣の袖で口元を覆い、椅子を蹴飛ばして出口に向けて駆ける。
だが、数歩進んだところで腰から砕け落ち、勢いよく床に激突した。
その後すぐに立ち上がろうとするも力が入らないのか、榎谷博士はうつ伏せのまま動けなくなってしまった。
他のブレインメンバーは動くどころか言葉を発する暇もなくテーブルに突っ伏し、微動だにしなかった。
(すごい……一瞬ね)
コンテナに入る直前、打ち合わせをした時に聞いてはいたが……ここまで即効性に優れているとは思っていなかった。
トキソがどんな気体を散布させたか不明だが、魔法と言われても納得してしまうほどだ。 玲奈は事前に解毒剤を服用していたので問題なかったが、糸の切れた人形のように静止したブレインメンバーを目の当たりにして少し鳥肌が立ってしまった。
玲奈はうつ伏せの榎谷に恐る恐る近付き、様子を観察しつつトキソに問う。
「これ、死んでないのよね?」
「当たり前だ」
トキソは心外だと言わんばかりに若干早口で言い返す。
「こいつらも一応は有能な人材だ。DEEDの件で決着がついたら覚醒させて、以前と同じようにブレインメンバーとして仕事に励んでもらう。そういう話だっただろう?」
「そうね、そうだった……」
これで何の制限も受けずに行動できる。
最終目標はDEEDの根絶。
そのためには数十分後にこの孤島に来る真人、律葉、隼、そして狩人と呼ばれる戦闘能力の高い個体をそれぞれ適切に処理せねばならない。
言葉ではどうあっても説得できない。つまり、実力行使で彼らを拘束するしかない。
そうなると、特に問題なのが真人だ。
対処策はちゃんと用意してある。難しいだろうが、トキソの力を借りれば不可能ではない。
(そろそろゲイルも呼んでおこうかな……)
ゲイルには隼の動きを止めてもらう予定だ。
隼の能力には不明な点が多いが、攻撃手段は熱線や爆撃など、熱エネルギーを相手にぶつけるという単純な方法に限られている。
ゲイルには大抵の物理攻撃を押し返す反重力盾が搭載されている。熱戦や爆撃なら問題なく防げる。
長期戦になるとゲイルに勝ち目はないだろうが、ほんの数分牽制するだけなら楽勝だ。
……彼らと対峙するとなるとこんな場所でゆっくりしている場合ではない。
玲奈はブレインメンバーをコンテナ内に放置したまま、外へ出る。
相変わらず太陽光が眩しい。が、陰鬱なコンテナ内よりは快適だ。
「さてと……」
玲奈はゲイルを召喚するべく携帯端末を懐から取り出す。
嵐の前の静けさか、いつの間にか風は止んでいた。




