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天球のカラビナ  作者: イツロウ
07-覚醒者の選択-
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(ここにくると心が落ち着くわね……)

 猟友会本部で他のメンバーと別れてから15分、リリサは狩人専門の鍛冶場に来ていた。

 金属を叩く音、グラインダーで刃を研ぐ音、ディードから剥ぎ取った骨や甲殻を削る音。

 常人にはただの騒音にしか聞こえないが、リリサにとっては聞き慣れた、心安まる音だった。

 鍛冶場には様々な専門店があり、槍や斧などの武器はもちろんのこと、盾や鎧といった防具も所狭しと並べられている。

 狩人専門の鍛冶場とあって、目に入ってくる物はどれも一級品だ。

 その武具を求める狩人たちも大勢おり、武器を手にとって軽く振っている者もいれば、武器職人と真剣に会話する者、値札を神妙な面持ちで見つめる者など、鍛冶場は祭りの様相を呈していた。

 そんな混沌とした鍛冶場の中で絹のような真白の長髪をなびかせて歩く麗人……リリサは目立っており、周囲から注目を集めていた。

 リリサは男どもの視線を気にすることなく、店頭に置かれている武具を見るでもなく、目的の店に向かって鍛冶場の奥へと歩みを進めていた。

(オヤジさん、いるかしら……)

 リリサが向かっているのはいつも槍のメンテナンスを頼んでいる店だった。

 リリサの槍は海棲ディードの角をそのまま削り出したもので、いわばレアな武器だ。

 普通の職人には任せられない……というより、普通の職人ではこのレベルの武器をきちんとメンテンスすることができない。

 それに加えてリリサのような一流の狩人に合わせた微調整も必要となれば、必然的に熟練の職人に頼むしかないのだ。

 鍛冶場の奥に進むにつれ自分に向けられている視線の数も減り、同時に喧騒も遠のき、数十秒後には目当ての店が見えてきた。

 相も変わらずこじんまりとしていて閑散としているが、この光景も見慣れたものだ。

 リリサは開きっぱなしの扉を軽くノックしつつ店内に入り、作業場にいるであろう職人に声をかける。

「オヤジさーん、急で悪いけれど槍のメンテを頼んでもいいかしら」

 この前に来たときはクロトと一緒だった。あの時はクロトの黒刀も調整してもらったので時間がかかったが、今回は槍だけなのでそんなに時間はかからないだろう。

 店の壁際にある丸椅子に腰掛けて昔のことを思い出していると、ようやく奥から人が出てきた。

 リリサは背負っていた螺旋の槍を手に持ち、シャフト部分を指差す。

「グリップがちょっと緩んできたから新しいものに交換して頂戴。それから……」

 視線を武器に向けていたリリサだったが、喋っている途中で違和感を覚え視線を正面に向ける。

 ……が、リリサの挙動より先に軽快な挨拶が飛んできた。

「よう、お嬢さん」

 オヤジさんの声ではない。が、聞き覚えのある声だった。

(……ッ!!)

 リリサはその声に本能的に危険を感じ、正面を確認することなくバックステップして槍の穂先を声の主に向ける。

 迎撃体制が整ったところで、リリサはようやく正面にいる人物を視認する。

 リリサの視界に飛び込んできたのは黒衣を身に纏った赤髪の男だった。

「お前は……!!」

 リリサはこの赤髪の男のことを知っていた。

 彼の名前は“パイロ”……高い戦闘能力を持つ超能力者で、長い年月をかけて地上からDEEDを駆逐したクロトの戦友だ。

 この間クロトに映像付きで説明されたが、その映像と寸分違わぬ容姿だった。

 パイロは赤い短髪を掻きつつ軽い口調でリリサに話しかける。

「そう警戒してくれるなよ。俺が敵じゃないってことはもう理解してるはずだろ?」

 警戒心を解くためか、パイロは手のひらをリリサに向けて降参のポーズをとる。

 武器がないことをアピールしているつもりらしいが、警戒するに越したことはない。

 リリサはパイロを注視しつつ言葉を返す。

「そうね。確かに敵ではないわね……」

 この言葉で安堵したのか、パイロは手を降ろしてリリサに近付いていく。

「そのとおり。だからその物騒な槍をしまって……」

「止まりなさい」

 リリサはパイロの言葉を遮り、槍を握り直す。

「敵じゃないのはわかってる。でも、馴れ馴れしくするつもりはないわ」

 戦闘能力は天と地ほどの差がある。万が一にも勝ち目はない。

 槍で胸部を貫いたとしても死ぬことはことはないだろうし、そもそも攻撃が届くのかすら怪しい。

 彼は恐ろしく強い。パイロキネシスなる技でどんな物でも一瞬で焼き殺すことができる。

 だからといって彼の言葉に素直に従うのは嫌だ。

 私にも上級狩人としてのプライドがある。ここであっさりと強者の言いなりになるようでは他の狩人やメンバーに示しがつかない。

 その覚悟と気迫が伝わったのか、パイロは素直に足を止めた。

「はぁ……ここまで警戒されるとさすがの俺も心が痛むなぁ」

 パイロはため息をつくと、お得意の超能力で黒いコートを椅子状に固定し、腰掛ける。

 リリサはパイロの能力を目の当たりにして多少驚いたが、動揺はしなかった。

 パイロはリリサを軽く指差し、言葉を続ける。

「俺はただお嬢さんと話がしたいだけなんだよ。少し前から様子を窺っていたんだが、なかなかタイミングが掴めなくてさあ……口実を考えるのも面倒だったんでここで待つことにしたってわけだ。OK?」

 飄々とした態度をとるパイロを見てリリサは苛つきを感じたが、深呼吸して心を落ち着かせた。

「……わかったわ。でも次からは事前に連絡して頂戴」

 リリサは槍の穂先を地面に向け、カウンター横に立て掛けた。

 緊張が解けた……というより、自身の安全が保証され、リリサは少し心が休まった。

 こちらが戦意を持たぬ限り殺される心配はないだろう。

 心に余裕ができたおかげか、リリサは単純な疑問をパイロにぶつけた。

「おやじさん……えーと、ここにいた鍛冶職人はどこに?」

 彼がいなければ槍のメンテをしてもらえない。休日以外はいつもこの店で何かしら作業をしているはずなのだが……。

 リリサの問いに、パイロは手のひらをポンと叩き答える。

「ああ、あのじいさんは素材調達のために猟友会の本部に出かけてる。量も量だし、しばらくは帰ってこないと思うぞ」

 喋りつつパイロは指先をカウンターに向ける。

 するとカウンターの奥に貼ってあったメモがゆらゆらと宙を移動し、最終的にリリサの目の前で動きを止めた。

 リリサはそのメモを素早くキャッチし、内容を読む。

 メモには材料のリストと数量と金額が印字されており、下の空白部分には汚い字でしばらく留守にする旨の文章が綴られていた。

(おやじさん、鍵くらい掛けて出かけなさいよ……)

 全くもってあの老鍛冶屋は武具以外のことはてんでだめだ。防犯意識のかけらもない。

 だから今もこんな赤髪の怪しい男に不法侵入されているのだ。

 おやじさんの間抜けさに辟易しつつ、リリサは話をもとに戻す。

「で、ここで待ち伏せまでして私から何を聞きたいの?」

 猟友会やカミラ協会についてだろうか……。それともクロトに関することだろうか。

 どちらにせよ慎重に言葉を選ばなければならない。場合によっては沈黙を貫く必要もある。

 しかし、リリサの考えは杞憂に終わることになる。

「いやあ、せっかくの機会だしスムーズに情報共有できる程度にはお近づきになっておく必要があると思ってな……」

 そう答えるパイロの視線はリリサの透き通るような白髪や琥珀の瞳、そしてスレンダーな体や綺麗な曲線を描く美脚に向けられていた。表情筋はすでに緩みつつあり、先程までの威圧感もなければ緊張感の欠片も感じられなかった。

(はぁ……)

 自分の容姿がそこそこ魅力的であることは自覚している。

 それこそクロトと出会うまでは狩人仲間や若い連中によく声を掛けられたものだ。

 しかし私が“狂槍”だとわかると皆尻尾を巻いて逃げていった。が、目の前にいる彼にとって“狂槍”という二つ名は全く問題にならない。

 リリサの考えを証明するかのごとく、パイロは歯の浮くようなセリフを吐く。

「俺も大勢の美人を見てきたが、お嬢さんのような冷徹でいて可憐な……獣の如き激しさとガラス細工のような繊細さを持ち合わせている美人は初めてだ。戦闘での槍捌きも舞踊のように華やかでいて正確無比。初めてみた時は思わず見惚れてしまったくらいだ」

「……」

 褒められて悪い気はしないが、なぜだか不快で後頭部あたりがむず痒い。

 ただでさえこういう輩と関わるのは面倒なのだ。その相手が読心術を持つ超能力者とあっては面倒を通り越して迷惑極まりない。

 さっさと済ませてしまおう。

「褒めてくれてありがとう。必要であれば私の知っている範囲で情報を提供してあげるわ。……また会う機会があればの話だけれど」

 リリサは言い放ち、腕を組む。

 下手な情報交換はこちらにとって不利になりかねない。それこそ頭のいい連中に任せたほうがいいのだ。

 彼は悪い人間ではない。だが、あまり関わり合いたくないタイプの人間だ。

 誠実なクロトとは正反対の性格のように思える。この男があのクロトとタッグを組んでいたとは思えない。

 リリサの嫌悪感が伝わってか、パイロは悲壮感漂う表情を浮かべる。

「“会う機会があれば”って……そんなに俺と会いたくないか?」

「できればね。今だって私の頭を覗いているんでしょう?」

 リリサの指摘に「心外だなあ……」とパイロはつぶやくも、間を開けずにはっきりとした口調で告げる。

「こう見えても一応は人類の守護者って肩書き背負って働いてんだ。私欲のために能力を使ったことは一度もねえし、これからもねえよ」

 これまでの軽い口調とは違い、この言葉には重みを感じられた。

 忘れかけていたが、彼はDEEDという規格外の脅威から地球を守り抜いた戦士だ。

 ……さすがに先程の私の対応は彼にとって侮辱に近かったかもしれない。

 いたたまれなくなり、リリサは目の前に座るパイロから視線をそらしてしまう。

 琥珀の瞳は自然とカウンターの奥、鍛冶場に向けられた。

 作業場には年季の入った作業台が数台あり、それぞれに分解された状態の武器が転がっていた。多分メンテナンス中のものだろう。さすが玄人たちが通う鍛冶屋とあってか、武器のほとんどの部分が黒いパーツ……ディードの骨によって構成されていた。

 パイロはリリサの視線の先が気になったのか、同じく鍛冶場に目を向ける。

 しばらくの沈黙の後、パイロは武器について話し始めた。

「しかし、クロイデルの骨造金属を武器の素材にしようと思いついた奴は天才だな。どれも上出来、立派なもんだわ。うん」

「骨造金属……?」

 リリサは説明を求めるようにパイロを見る。

 パイロも鍛冶場から視線を戻し、骨造金属について噛み砕いて説明する。

「正式名称はもっと長いんだろうが……簡単に言えばクロイデルの骨格を形成している合金のことだ。知っての通り普通の金属より硬い上に耐摩耗・耐久性も高い」

「なるほどね……でも、せっかく頑丈な骨を持っているのにディード……じゃなくてクロイデルが他の動物と同じような構造をしてるのかしら?」

「逆だ逆。クロイデルが動物の形を真似てるんだ。そっち側の3000万人に違和感を持たれないようにな」

「そういえばそうだったわね……」

 ついこの間クロトから色々と説明を受けたのにすっかり頭から抜け落ちていた。

 やはり真実を受け入れるにはもう少し時間がかかりそうだ。

 リリサが考え込んでいる間もパイロは今までためていたものを吐き出すように言葉を続ける。

「クロイデルも今でこそ簡単に狩られるほど弱っちくなっちまったが、ずっと前にDEEDを殲滅してた頃は出力も構成素材も桁違いにハイレベル、形状もまさに破壊の化身って感じだったんだぜ? ちょっとやそっとじゃ破壊できないし、加工するとなるとかなりの労力がかかる」

 パイロはここで一旦言葉を区切り、改めて武器類をまじまじと見る。

「それを手作業で、しかも複数種類の合金をうまく組み合わせて武器として成立させてる。 ……職人魂ここに極まれりってヤツだな」

 感慨深そうに言うパイロに影響されてか、リリサも自分の槍を改めて見る。

 この槍の構成素材の種類は多くないが、他の武器同様かなり手間暇がかかっているはずだ。いつもメンテしてくれているオヤジさんには感謝の言葉しかない。

 ――この槍と共に数多のクロイデルを屠ってきた。

 今こうやって5体満足で狩人を続けられるのもこの槍のおかげだ。自分の体の一部のように自由自在に操れる。手にするだけで自分の戦闘能力が何倍にも強化・拡張されるのがわかる。

 でも、だからこそはっきりと理解できる。 

「……いくら強力な武器を持っていても、あなた達みたいな化け物相手じゃ役に立たないのだけれどね」

 リリサは本心を告げた。

 クロトやパイロとの圧倒的な戦闘力の差は武器程度で補えるものではない。

 事実、今もパイロはPKで自分のコートを椅子の形状に固定して座っている。この力を使われると足も手も出ない。戦闘にすらならないだろう。

 リリサの発言に対し、パイロはワンテンポ遅れて反応する。

「おいおい、いきなり人を化け物呼ばわりすんなよ。びっくりした」

「実際化け物でしょう。仮に今私が不意打ちであなたの急所を槍で突くとして、怪我を負う自信はあるの?」

 あまりにも滑稽な質問だったが、パイロはきちんと返答した。

「怪我はするだろうが、即座に再生するからダメージにはならないな。資料を見たんならそのくらいわかるだろ。つーか……」

 パイロは短く呟き、不敵な笑みを浮かべる。

「お嬢さん、あんたも一般人と比べたら相当な化け物だって自覚してるか?」

「私が? 冗談でしょ」

 リリサは鼻で笑う。

 パイロはそんなリリサに詰め寄り、告げる。

「“狂槍”なんて二つ名、おいそれと付くもんじゃないぜ?」

 その言葉を発すると同時にパイロは姿を消した。

「……ッ!?」

 音もなく、前兆すら感じさせずに存在を消し去った。

 これまでに経験したことのない不可解な現象を目の当たりにし、リリサの思考は一瞬停止してしまう。

 だが、停止していたのも刹那の間だけであり、リリサは感覚を最大限にまで研ぎ澄まし、いつでも攻撃できるよう警戒態勢に移行した。

「……」

 視界にパイロの姿はない。だが自分の“間合い”にいることは感覚で理解できた。

 ――何秒の時が経っただろうか。

 不意に、僅かな空気の動きがリリサの白い長髪を揺らす。その振れ幅は1mmにも満たない。だが、その振動は頭皮に伝わり頭皮から電気信号となってリリサの脳に届き……。

 考えるよりも先に体が動いていた。

 リリサは体を半回転させると同時に跳び上がり、豪快な空中蹴りを放つ。

 鋭い蹴りは背後に出現していたパイロの顔面を正確に捉えており、当然のごとく命中した。

 パイロは避けることなく防ぐことなく攻撃を受ける。かなりの衝撃にも関わらずパイロは微動だにしない。ダメージが通っていないのは明らかだった。

 だが、牽制には成功した。

 リリサは蹴りの反動を利用して壁際まで移動し、そこに立て掛けていた螺旋の長槍を後ろ手に掴む。そのまま間髪入れず穂先をパイロの頸部に突き出した。

 穂先はパイロの肌に触れており、ひと押しするだけで頚椎を破壊できる状態だった。

「……殺すわよ」

 空中蹴りも瞬速と呼ぶにふさわしい攻撃だったが、槍を掴んでから突き終えるまでの動作は明らかにそれを凌駕していた。

 首に槍を突きつけられているにも関わらず、パイロは余裕で応じる。

「流石は“狂槍”だな。しかし、いきなり顔面キックは酷くねーか?」

「いきなり背後を取る貴方が悪いのよ」

「まあそうなんだが……」

 パイロは突きつけられた長槍の先端を指先で押し返す。

 穂先が動いた瞬間、リリサは抵抗するべく更に力を込める。が、一呼吸の間に長槍はパイロの首元から攻撃圏外へと押し戻された。

「とりあえず落ち着こうぜ? な?」

(ああもう鬱陶しい……)

 顔を見ているだけでイライラする。自分の非力さを否が応でも感じてしまう。

 腹立たしいというか、怒りのやり場がないと言うか……とにかく不快なのだ。

 リリサは槍を収めると、先程のパイロの条件を呑むことにした。

「話を戻すけれど、情報提供ならいくらでもしてあげるから、聞きたいことがあればいつでも会いに来てもいいわよ。……これで満足でしょう? さっさと消えて頂戴」

 リリサはこれで終わりと言わんばかりに長槍を床に刺す。

 ここまで譲歩すれば帰ってくれるだろうと思っていたが、その考えは甘かった。

 パイロは少し早口で喋りだす。

「いや、そんなドライな関係を望んでいるわけじゃねーよ。俺はお嬢さんを口説く……じゃなくて、お嬢さんと親交を深めたいんだよ。今後のために」

「口説く……? 貴方今口説くって言ったわね?」

「……そんなこと言ったか?」

 パイロは視線を上に向け、肩をすくめた。

 これほど堂々と言い逃れされると呆れてものも言えない。

 殴ってやりたい衝動を堪えつつ、リリサは告げる。

「軽薄な男ね。とてもじゃないけれどクロトの戦友とは思えないわ」

「百歩譲って軽薄なのは認めるが、真人と……クロトと戦友なのは事実だ」

「はいはい」

 クロトが真摯だからだろうか、この赤髪の男が余計に軟派男に思えてしまう。

 しかし、彼が言う通りクロトが彼に厚い信頼を置いている事実に変わりはない。

 クロトには色々と感謝しているし恩もある。できるだけ手伝いたいが、私の立場は単なる狩人……今回の件に関しては蚊帳の外の存在だ。

 パイロという男は気にくわないが、クロトの大きな支えとなる人物だ。

 どんな形であれせっかく会えたのだし、よろしく頼んでおいたほうがいいのだろうか。

 そんなリリサの気持ちも知らず、パイロは軽い口調で話を続ける。

「しかしあれだな。俺の対比にクロトを持ち出すあたり、あいつのことマジで信頼してるんだな」

「当たり前よ」

 迷うことなくリリサは即答し、言葉を続ける。

「クロトは共に死線をくぐり抜けてきた仲間であり、私との約束を果たしてくれた友人よ。彼を信頼できないなら狩人として……いえ、人として失格よ」

 父親についての約束は悲劇に終わったが、きちんと約束を果たしてくれた。

 それに、クロトには何度助けられたか分からない。そういう意味では命を預けられる仲間であるのは確かだった。

 そんなことを考えていると、店の軒先から声が聞こえてきた。

「……おい、人様の店でなにをやっとるんだ」

 耳に届いたのは嗄れ声。小さく細いながらも芯の通った声。そして、リリサにとってはなじみの声だった。

 振り返るとそこには小柄ながらも引き締まった身体の初老の男……この店の主である鍛冶師のおやじさんの姿があった。

「“狂槍”か。……で、隣にいるのは? 見ない顔だが」

 鍛冶屋の店主はしげしげと2人を観察しつつ、店内に足を踏み入れる。右手には紙袋を持っており、店主が歩を進める度にじゃりじゃりと音を鳴らせていた。

 店主はパイロに対して全く警戒心を抱いておらず、すたすたと近づいていく。

「鍛冶場にいるってことは狩人に違いないと思うが……新人か?」

 パイロについて説明を求めるべく、店主はリリサに顔を向ける。

 リリサはどうしたものかと考えたが、説明するのも面倒だし、説明したところで話がややこしくなるだけだと判断し首を縦に振った。

 リリサからの回答を得、店主は「新人か、なるほど……」と呟き、改めてパイロの頭のてっぺんから爪先まで存分に観察する。

「狩人にしては全く覇気が感じられんな。……かと言ってド素人にも見えん……っと」

 老店主はパイロの眼前まで到達すると唐突に紙袋を突き出した。

 パイロは反射的にそれを受け取ってしまい、困惑の表情を浮かべる。

 対する老店主は真面目な顔で観察を続けており、所見を述べはじめた。

「重い荷物を受け取ってもよろめきもせんな。体幹もいいし力もそこそこある。左右で肉付きも偏っておらんしバランス感覚もいい。……お前さん、飛び道具を使うのか?」

「んー、当たらずも遠からずって感じだな」

 武器は使ってないが、遠距離から攻撃できる点においては当たっていた。

 パイロは受け取った荷物をカウンターの上に置き、店の外へ足先を向ける。

「店主さんも戻ってきたことだし、そろそろ帰るとするわ」

 流石の軟派男も店に居座るつもりはないようだ。

「それでは“リリサ先輩”、話の続きはまたの機会に」

「え? あ、そうね……」

 老店主に不審に思われぬよう、新人狩人を演じてくれたようだ。

 私と会うためにこんな所まで来て、会話中に相手の背後を取るという失礼極まりない行為をしでかしたわけだが、意外と常識人らしい。

 そもそも、私が相手だからこそふざけていたのだろう。

(“憎めない奴”って、こういう男のことを言うのでしょうね……)

 何だかんだ言って嫌いになれない。かと言って仲良くなろうとも思えない。

 敵でないことを再確認できただけで良しとしよう。

 リリサは店を去っていくパイロの背中に言葉をぶつける。

「あまり無茶はしないように。あとお仲間さんにもよろしく言っておいて頂戴」

 パイロは特に返答することなく背を向けたまま軽く手を振る。

 店を出てから数秒後、パイロは鍛冶場の人混みに紛れて姿を消し、それと同時に気配も感じられなくなった。

 見事な隠匿術を目の当たりにし、おやじさんは舌を巻く。

「あの赤髪の狩人、なかなかやるじゃないか……強いのか?」

 老店主に問われ、リリサは半笑いで応じる。

「聞かなくてもわかるでしょうに……。それより修理をお願いしたいのだけれど」

 リリサは長槍を手に取り、老店主に手渡す。

 老店主は受け取った長槍を握り直すと、穂先とは反対側の石突きで軽く床をコンコンと叩いた。

「うむ。全くよどみのない響きだ。こいつもいい使い手に恵まれて幸せだろうよ」

「お褒めの言葉どうも。……それじゃ店の中で待っているから、微調整が必要なときは遠慮なく呼んで頂戴」

「はいよ」

 老店主は長槍を脇に抱え、店の奥の鍛冶場へと入っていった。

 十数秒後には作業音が聞こえ始め、リリサは木製の丸椅子に腰を下ろす。すると、自然とため息が口から漏れた。

「ふぅ……」

 赤髪の軽薄男パイロ。

 厄介な野郎への対応には慣れているが、一癖も二癖もある男となると話は別だ。

 今後も彼と会う機会があるかと思うと頭が痛くなってくる。

(疲れたわ……)

 リリサは目を瞑ると思考を一旦止め、疲れた脳を休めることにした。



 ――店を出てから約10分。

 狩人専用の鍛冶場から出たパイロは、セントレアのほぼ中心部にある市場にいた。

 市場エリアには大量の露店が所狭しと軒を連ねており、大勢の人で賑わっていた。

 昔、真人たち3人とよく行っていた花火大会の人混みと比べると見劣りするが、活気に満ち満ちているのは間違いなかった。

 そんな活気あふれる市場エリアの隅、ちょうど建物の影になっている場所に置かれているベンチにパイロは座っていた。

 黒いフードに黒い手袋、黒いコートに身を包んだパイロはどこからどう見ても不審人物であったが、本人は特に気にしておらず、周りの人もあまり気に留めていない様子だった。

 パイロは近くの店で買った菓子……紙袋に入ったバタークッキーを頬張りつつ、鍛冶屋内でのリリサとのやり取りを思い返していた。

(ありゃ無理だわ……)

 できれば一緒に食事、あわよくば宿屋で一夜を共に過ごせればと思っていたが、ハードルが高すぎた。

 これまで……と言っても随分と昔の話になるが、成否はともかく、国内外で女性をナンパし続けてそれなりのスキルは持っていると自負していた。

 こちらが徹底的に道化を演じれば大抵の女性は心を開いてくれる。その後興味のありそうな話題など交えつつ楽しくコミュニケーションを取り、連絡先などを聞き出す。

 あとはメールでも通話でもちょっとした世間話でもいい。回数と時間をかけて相手と仲を深めていき、適切なタイミングでアクションを起こす。

 成功すれば交際に発展するし、失敗しても次の糧となる。

 ところが、彼女は……リリサという狩人には全く隙がなかった。

 難しいミッションになると心構えはしていたが、実際の彼女を目の当たりにした瞬間に“これは無理”と本能的に自分の脳が判断してしまった。まさに高嶺の花である。

 あれを手なづけている……ではなく、彼女から信頼を得ている真人はさすがである。

 真人には人を惹きつける“何か”がある。

 かくいう俺もアイツのことはかなり気に入っている。アイツと一緒だったからこそ2000年の孤独に耐えられたといっても過言ではない。

 アイツの何が人を惹きつけるのか。

 それはルックスでも肩書でもないし、人心掌握術のような特殊な能力でもない。

 ――いわゆる「精神力」である。

 何事にも屈することのない、異常なまでに頑強な意志。

 言葉にしてしまえば至極単純に感じるが、これを持っている人間はかなり少ない。それに加え、1000年以上不眠不休で戦闘できる化物じみた根性の持ち主となると、世界広しといえ真人以外いないだろう。

 強大な精神力に裏づけられた温和かつ真摯な性格の彼に好意を持たない方が難しい。

 学生のころからその片鱗は見えていたが、ここまでくると感心を通り越して尊敬してしまう。

 本人には口が裂けても言えないが、リスペクトしているのは事実だ。

 ……ちなみに俺はそんな精神力を持ち合わせていないので、脳内物質を適当に操作して正気を保ってきた。

 さらに手を加えれば恐怖も痛みも感じない“殺戮兵器”にもなれるが、真人が超強いおかげでその必要はなかった。

「――あれ、隼?」

 不意に名前を呼ばれ、隼は……パイロは顔を上げる。

 ベンチの真正面、視線の先には見慣れた女性の姿があった。

 カチューシャで纏められた短い髪に、大きめの白衣が似合う女性……律葉だった。

 パイロは座ったまま旧友の呼びかけに応じる。

「律葉か、あいかわらず洒落っ気ねーな。白衣以外に着るものないのか?」

「万年全身黒コーデのあんたには言われたくないわ……」

「そりゃそうだ」

 ド正論に反論できるわけもなく、パイロは素直に負けを認めた。

 同時に律葉から注意が逸れ、彼女の両隣に同行者がいることに遅れて気づいた。

 パイロから見て右側には褐色の肌に純白のパーカーが似合う眼鏡っ娘のティラミスが、左側には桃色の髪が印象的な美人、猟友会会長のカレンがいた。

 右側、ティラミスは律葉の腕にしがみつき、体の側面が白衣に埋まるほど密着していた。余程嬉しいのか、満ち足りた表情を浮かべている。

 左側、カレンはというと、ティラミス程ではないものの一応手を繋いでおり、露店で買ったであろうドーナツを頬張っていた。

 律葉は特に意識していないようで二人からのスキンシップを抵抗なく受け入れていた。

(いいなぁ……)

 両手に華とはこのことである。

 今すぐにでも場所を変わってほしいくらいだ。……いや、この3人の中に混じるという手もある。

 どうしたものか。

 無言で3人を観察していると、不穏な気配を察知したのか、律葉からお叱りの言葉が飛んできた。

「ちょっと、ジロジロ見ないでくれる? 女子に対して失礼でしょ」

 普通なら謝るところだが、パイロはあえて視線をそらすことなく言い返した。

「安心しろ、律葉のことは眼中にねーから」

「減らず口を……」

 律葉は複雑な心情のようで、歯切れが悪かった。

 眼中にないとは言ったが、一応は律葉も美人にカテゴライズされる容姿の持ち主だ。それなりに着飾ればそれなりに見栄え良くなるだろう。……が、それを加味したとしても両隣の二人と比べるとどうしても見劣りしてしまう。

 それに彼女は学生時代からの旧友だ。親愛の気持ちはあるが、恋愛対象として認識するのは難しいというのが本音であった。

(それはそれとして……)

 目の前にいるティラミスやカレンを始めとして、真人と関わってる女性陣のことは前々から監視していた。

 戦闘能力はもちろんのこと、性格、嗜好、外見についても入念に分析済みだ。

 基本的に全員戦闘能力は高い水準にあり、ルックスもいい。

 だが、その中でもリリサ・アッドネスは珠玉の逸品と評価せざるを得なかった。

 主観も入っているかもしれないが、白髪に琥珀色の瞳の組み合わせは実に美しく、彼女の孤高な性格と見事にマッチしている。

 “狂槍”という物騒な二つ名に似合わぬ美貌、というギャップも彼女の魅力を際立たせている要因となっているのだろう。

 事実、俺も彼女と直接コンタクトを取りたいと思えるほど興味を持ってしまった。

 ナンパは諦めたが、またじっくりと談話したいものだ。

「……ちょっと、聞いてる? 隼?」

 ふと気づくと目の前に律葉の顔があった。

 意識の有無を確かめているのか、眼前で手を振ったり顔を覗き込んだりしている。

 3人の女性を目の前にして他の女性の事を考えるのは失礼だったかもしれない。……いや、間違いなく失礼だ。

 パイロは数秒考えた後、律葉に返答する。

「すまんすまん。お嬢さん方の美しさについ見惚れてた」

「よくもまあそんな歯が浮くようなセリフを堂々と吐けるわね……」

「事実なんだし別にいいだろ。滅多に言われることもねーだろうし、素直に喜んどけよ」

「ああ言えばこう言う……はぁ……」

 律葉の呆れ顔と冷たい視線には慣れっこである。むしろ安心感すら覚える。

 この明瞭な声で何度叱られてきたことか……。

(ん、声……?)

 ここまで会話しておいて、パイロはようやく気づいた。

 律葉が“DEED”の言語で喋っているということに。

「おいおい、いつの間にそんなに喋れるようになったんだ?」

「ん?」

「言葉だよ言葉!」

「あー、そうだった。すっかり言い忘れてたわ」

 驚きを隠せないパイロに対し、律葉はおもむろに髪をかき上げ耳元を見せる。

 律葉の耳元、そこには小型のイヤフォンが装着されていた。

「翻訳機よ。マイクが拾った言葉をリアルタイムで翻訳して教えてくれるの。アウトプットには若干のラグがあるけれど、改良すれば日常会話レベルなら余裕でできるようになると思う」

 律葉は翻訳機をコンコンと軽く叩くと髪を下ろす。自作したのだろうか、どことなく自慢げな表情を浮かべていた。

「よくそんなもん作れたな」

「隼がこっちの言語体系をアーカイブ化してくれてたからね。私は単にそのデータを翻訳機にコンバートしただけよ」

「ほー……」

 DEEDの監視作業があまりにも暇だったので、聞いた言葉や見た文字をテキトーにまとめてストレージにぶちこんだだけなのだが……。

(よくあれから翻訳機に落とし込めたな……)

 ゲイルの量子演算器を借りれば容易いことなのだろうが、専門外の俺からしてみれば“すごい”以外の言葉が思い浮かばないほどすごい。

 AI搭載型人型戦闘躯体ゲイルの制作チームにいた玲奈も天才だし、真人も無敵に等しい力を手に入れている。

 自分のPK能力も特別な部類に入るはずなのだが、律葉、玲奈、真人の3人と比べると普通に思えてくるから不思議だ。

 別に劣等感を抱いているわけではない。

 むしろ彼らのおかげで過信したり驕ることなく自制の心を保てている。

 我ながらいいダチを持ったものだ。

 珍しく感傷に浸っていると、なんの前触れもなく頭部に衝撃を受けた。

「痛ッ!?」

 ダメージはないが、とっさに言葉が出てしまった。

 パイロは意識をこちら側に戻し、状況を確認する。……目の前にはティラミスが立っており、彼女の小さな拳がこちらの頭部を捉えていた。

 考える暇もなく律葉の言葉が飛んでくる。

「……隼、また別のこと考えてたでしょ。大丈夫?」

 これで二度目だ。

 パイロは反省しつつも文句を垂れる。

「大丈夫も何も、いきなり殴るなよ。びっくりしたわ」

「だって私が何言っても反応してくれなかったし。これはもうティラミスちゃんに任せるしかないかなと」

「それにしても程度ってもんがあるだろ。一般人だったら頭が陥没……いや、中身が飛び散ってたぞ」

「……ふふっ」

 不意に吹き出したのはカレンだった。

 カレンは「ごめんねー」と前置きし、思うところを述べる。

「少し前までは遭遇したら生きて帰れないってレベルの認識だったのに、今のやり取りを見てるとただの愉快なお兄さんだなーと思って。フフフ……」

 ツボに入ったのか、カレンは手のひらで口元を隠し笑い続けていた。

 律葉やティラミスもカレンに釣られて笑みを浮かべる。

 そんな中、パイロは自らの失態を悔いていた。

(クソ……しっかりしろよ俺)

 未だ人類と人型DEEDは敵対関係にあり、ようやく交渉に漕ぎ着けた段階である。

 しかも、こちらもあちらも一枚岩ではない。いつ戦争が始まってもおかしくない状態なのだ。

 もっと気を引き締めなければならない。ちょっとした綻びが致命的な事故に繋がる。

 ……リリサと会話するという最低限の目標は達成できたことだし、さっさと帰ることとしよう。

 そう決めたパイロは会話を切り上げることにした。

「で、こんなところで道草食ってていいのか? 何か用事でもあるんだろ?」

 パイロの問いに律葉は首を横に振る。

「ううん。真人が帰ってくるまでまだ時間がかかりそうだし、暇つぶしがてら二人と一緒に異文化交流してるだけよ。隼も暇なら一緒に行く?」

 とても魅力的な提案だ。綺麗所3名と散歩できる機会などそうそうない。

 だが、パイロは私欲を捨てて真実を伝えることにした。

「……真人なら猟友会にいるぞ」

「あれ、帰ってたの!?」

「おう。つーか俺がセントレアにいるって時点で気づけよ」

「それもそうね……はぁ……」

 律葉はこめかみをトントンと叩いてため息を吐いた。

 疲労や何やらでパフォーマンスが低下しているのは明らかだった。

 ティラミスとカレンは空気を察してか、特に何も言わずに律葉の様子を窺っていた。

「……それじゃ猟友会の本部とやらに帰るか」

 パイロはベンチから立ち上がり、歩き出す。

 律葉達も移動し始め、一行はそのまま猟友会の本部へ向かった。


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