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天球のカラビナ  作者: イツロウ
07-覚醒者の選択-
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088


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 エヴァーハルトとカミラ教団との会談の約束を取り付けた後

 クロトはゴイランで皆と別れ、軌道エレベーターへ向かっていた。

(取り敢えず一段落かな……)

 かなり時間も労力もかかるものかと思っていたが、思った以上に上手く事が進んでいる。

 これもひとえにエヴァーハルトの存在が大きい。教団内で強い影響力を持っている彼とすぐに出会えたのは幸運だった。

 それに加え、こちらの事情もすんなりと理解してくれた。

 ……彼の聡明さには驚かされる。

 スヴェンからあらかたの話を聞いていたであろうことを考慮しても、世界の真実を打ち明けたにも関わらず彼は全く動揺を見せなかった。

 心中では驚いていたのかもしれないが、それを表情に出さないだけでも彼には度胸があると思う。

 あの人が交渉の架け橋となってくれるのならこちら側……人類側としてもありがたいことだ。

 この問題、思っていた以上にすんなり解決しそうだ。

 ブレインメンバーも彼の真摯な態度を見れば、3000万人を鏖殺しようなどという野蛮極まりない考えを改めてくれることだろう。

 この予想を確実なものにするためにも、お偉いさん方にはしっかりと説明しておかないといけない。

 相互理解できれば……互いに互いの存在を理解し合い、認め合い、尊重し合えれば、必ず事は上手く運ぶ。

 いつまでも“DEED憎し”の考えで生きていたら大きな軋轢を生む。

 懸命に説得すればブレインメンバーも考え直してくれるだろう。

 ……が、問題は玲奈だ。

(あの時の反応には驚いたね……)

 DEEDとの共存を進言したとき、真っ先に反対意見を述べたのは玲奈だった。

 まあ、もともとはDEEDに生活基盤を築かせ、人類が目覚めたところで彼らをこの世から消し去り、インフラを人類が使う計画だった。玲奈の反論はもっともだ。

 それはそれとして、あんなに感情を爆発させた玲奈を見るのは初めてだった。

 玲奈は心の底からDEEDを憎んでいる。

 ……その気持ちも分からないではない。

 人類の多くがDEEDという侵略者に家族も友達も殺されてしまった。

 そんなDEEDを憎むのは当然だ。が、玲奈は度を越している気がする。

 すんなりとDEEDを受け入れた律葉は変人なのかもしれない。

(ま、彼らの姿を見れば考えも変わるだろうさ)

 DEEDは中身こそ違えど外見は人間そのものだ。姿形が似ている彼らを見れば、鏖殺しようという気もなくなるだろう。

 正直、玲奈の考えは分からない。だが、彼女は感情だけで動く人間ではない。理論的でとても賢い女性だ。

 3000万という労働力が人類復興にどれだけ役に立つか理解しているはずだ。

 いつかきっと玲奈も分かってくれる。今はそう思っておこう。

 そんなことを考えつつ上空を移動していると、ようやくアース・ポートが見えてきた。

 クロトは高度を徐々に落とし、ポートに接近していく。

 ……と、付近の海上に大きな水の固まりを発見した。

(なんだろ……?)

 洋上にふわりと浮いているそれはかなり大きく、球体を維持したままアース・ポートへとゆっくりと移動していた。

 気になったクロトは軌道を変更し、その巨大な水球に接近していく。

 すると、その現象を起こしている張本人を発見した。

 水球と共にゆっくりと浮遊移動している人間……黒ずくめのコートに赤い短髪が目立っている男……間違いなく隼だった。

 クロトは接近して声を掛けようとしたが、先に向こうからテレパシーで挨拶されてしまった。

「よう真人、随分早かったじゃねーか」

 脳内に直接語りかけた後、隼はこちらに向けて軽く手を振る。

 クロトも手を振りつつ接近し、言葉が届く距離までくるとようやく挨拶を返した。

「ただいま隼。待っててくれたのかい?」

「ちげーよ。たまたまだ……っつーか早かったな。もう話付いたのか? それとも……」

「話は付いたよ。というか大成功だよ。ゴイランに丁度カミラ教団のお偉いさんがいてね、彼を通じて話し合いの場がセッティングできそうだ」

「つくづくお前は運がいいな」

「自分でもそう思うよ」

 軽い挨拶と報告を終えたところで、クロトは先程から気になっていた巨大な水球について言及することにした。

「で、隼は今は何を? 漁業中?」

 隼は軌道エレベーター周辺の哨戒と同時に食糧の調達も行っている。

 この間も蒲鉾を食べさせられたし、多分海水ごと魚を捕まえたのだろう。

 ……と思っていたクロトだったが、隼は首を横に振った。

「いいや、よく見てみろ」

「?」

 クロトは目を凝らして水球の中を見る。そこには魚とは思えない色とりどりの物体が所狭しとうごめいていた。

 クロトはその物体の名を思わず口にする。

「果物……」

「その通り」

 隼は短く応えると、PKを使って水球の中からフルーツを一つ、スイカを取り出し手の上に載せた。

「味気のないものばかりだと気が滅入るだろ? 魚のノルマも達成したし、甘いものでも連中に食わせてやろうと思ってな」

「いいね。新鮮なフルーツは美味しいし、それにビタミンもたっぷりだし」

「ああ、早く連中に食わせてやりたいよ」

 隼は微笑み、スイカを水球の中へと投げ戻した。

 スイカ以外にもバナナやパイナップルなど様々な種類のフルーツがある。

 2000年間冷凍睡眠されていた彼らにはご馳走に違いない。

 数はかなりあるみたいだし、僕もご相伴に預かりたいものだ。

 そんなフルーツ群を見ていると、不意に人の声が耳に届いた。

「……?」

 その声は複数であり、こちらに何か呼びかけているようだった。

 クロトは視線を前方のアース・ポートに向ける。

 アース・ポートの広場、そこには薄緑の検査着を来た人々……群衆と呼ぶに相応しいほど大量の人の姿を確認できた。

 おそらく解凍処置を終えて下まで降りてきたのだろう。

 しかし、彼らはまだ本調子ではないはずだ。数週間は上で安静にしておいたほうがいいのではなかろうか。

 そんなクロトの考えを知ってか知らずか、隼は彼らについて語りだした。

「あそこにいるのは目覚めてから一通りの検査が終わった連中だ。本来なら軌道ステーション内でおとなしくさせておいたほうが良いんだろうが、下手に閉じ込めるとストレスで体調を崩しかねないからな。希望者はこうやって地上に降ろしてやってるわけだ」

「なるほど」

 確かに、ストレスというのは人間にとって大敵だ。精神衛生を保つためにはこういう方法も正しいのだろう。

 その証拠に広場にいる全員が清々しい表情を浮かべており、十分にリラックスできているようだった。

 こちらに向けて手を振っている彼らを見て、クロトは感慨深いものを感じていた。

「みんな驚いてるだろうね。ちょっと眠ったつもりが2000年も経ってたんだから……」

「いや、それよりも感動の方が大きいと思うぜ?」

「感動?」

 クロトは隼の言葉に違和感を覚え、意見を述べる。

「いや、たしかに生還できたことに感動してる人が大勢いるのは分かるけれど、これからどうするか不安に思っている人もいるんじゃないかい?」

 そんなクロトの言葉を隼は鼻で笑う。

「不安なんてあるわけ無いだろ。何せ、宿敵のDEEDを壊滅させたんだからな」

「……そうだね」

 彼らにとってDEEDの存在は不安材料であり、恐怖の象徴だった。

 これからはDEEDに怯えなくて済む。それだけで嬉しいのだ。

「うん、彼らにしてみれば悪夢から覚めた気分だろうね」

「おうよ。そして、その悪夢を終わらせたのが俺達だ」

 隼は視線を広場に向け、満足気に微笑む。

「DEEDの駆除は想像を絶する苦行だったが、連中の笑顔を見てるとこの2000年間の苦労も報われるってもんだ」

 隼の横顔を見つつ、クロトはこれまでの事を振り返る。

「長かったね」

「だな」

 ……これ以上の言葉は無粋だ。

 僕と隼の間に言葉は必要ない。それこそが戦友というものだ。

 やがて二人は広場上空に到達し、ゆっくりと下降していく。

 人々は着地の邪魔にならぬようにスペースを空け、羨望の眼差しでこちらを見ていた。

「おーい、パイロさーん!!」

「パイロさんだ!!」

「ヒーローが帰ってきたぞ!!」

 思いもよらぬ声援に、クロトは面食らってしまう。

「何だい、これ……」

「ヒーロー……うん、何度耳にしてもいい言葉だ……」

 隼は満更でもないようで、愛想よく皆に手を振って応えていた。

 まるでアイドルか有名俳優のような振る舞いだ。

「ほら真人、お前も手を振ってやれよ」

「ちょっと、流石にそれは……」

 正直恥ずかしい。注目を浴びるのはあまり得意ではない。

 これなら数万体のDEEDを相手にしたほうがまだ気が楽というものだ。

 おどおどしているクロトに対し、隼は手を振りながら説明する。

「よくよく考えてみろよ。俺達はDEEDの魔の手から地球を救った英雄なんだぜ? ヒーローや救世主扱いされてもおかしくないだろ」

「それは否定しないけどさあ……」

「DEEDを退けたとはいえ、まだこんな状況だ。カリスマを演じて皆を安心させてやるのも大事なことだ。ほら、仕事と思って愛想よくしてやれ」

「……わかったよ」

 ここまで順調に事は進んでいるものの、まだまだ問題は山積みだ。

 人類と人型DEEDは今後うまく共存できるのだろうか。正直不安だ。しかし、彼らにそれを悟られてはいけない。彼らを元気づけるためなら道化を演じるのも易いことだ。

 そんなことを考えつつ、クロトはぎこちない笑顔で手を振った。

 声援は収まるところを知らず、盛り上がるばかりだ。元気で何よりである。

 やがて二人は広場に降り立つ。

 人々はすぐさま距離を詰め、二人の周囲を完全に取り囲んだ。

 先程までわいわい騒いでいたのに、今は静かに隼の言葉を待っている。

 隼はフルーツ盛りだくさんの水球を空中で固定させ、ようやく言葉を発した。

「みんな、今日は紹介したいやつがいる」

 隼はそう前置きし、クロトの肩をぐわしと掴む。

「記録映像を見たやつは知っていると思うが、こいつは俺の戦友の玖黒木真人だ。何億ものDEEDを800年かけて駆逐した人類の“救世主”だ」

「ちょっと隼、それは言い過ぎ……」

 クロトは言葉の訂正を求めるべく喋ろうとするも、群衆の声によってかき消されてしまった。

「おおお!!」

「ありがとう!!」

「あんたのお陰だ!! これからも頼むぞ!!」

「記録映像も凄かったぞ!! あれならどんな奴が相手でも怖くねーな!!」

 様々な人々が様々な言語でクロトに感謝の意を表し、わらわらと詰め寄ってくる。

 好意を向けてくれている人達を邪険にするわけにもいかず、かと言ってどうしていいか分からず、クロトは慌てふためいてしまう。

「あ、その、どうも……」

 そんな様子を見かねてか、早速隼が助け舟を出してくれた。

「ノリが悪いぞ真人。ほら、何か一発かましてやれよ」

「一発って……」

 隼の要らぬ助言のせいで全員の視線がクロトに向けられる。

 ――期待の目

 彼らは僕に期待している。僕に希望を託している。

 人は弱い。何かに縋っていないと心が不安定になる。それはストレスとなり、肉体的な不調につながる。

 せっかく2000年の時を経て生き残った彼らを不安にさせてはだめだ。

(やるしかないよね……)

 クロトは意を決すると2度ほど深呼吸をし、拳をぐっと握る。

 そしてそれを掛け声とともに勢い良く天に掲げた。

「おー!!」

 クロトの声が広場に響く。

 その反響が鳴り止まぬうちに、すぐに応えが返ってきた。

「おおー!!」

「やー!!」

「いえーい!!」

 全員がクロトの後に続いて拳を上げ、思いのまま叫ぶ。

 群衆の歓声はクロトのそれとは比べ物にならぬほど大きく、天にまで届く勢いだった。

 ……存外気持ちが良いものだ。

 救世主なんて肩書、小っ恥ずかしいが、それで皆が元気になってくれるのならそれに越したことはない。

 雄叫びの余韻に浸る暇もなく、隼は話を切り替え皆に告げる。

「みんな、悪いがそろそろ中に戻る時間だ。放射能レベルは一応基準以下だが汚染されてることに変わりはない。……中でフルーツパーラーと洒落込もうぜ」

 隼は頭上に待機させていたフルーツ群を指差し、続けて軌道エレベーターのケージを指差す。

 フルーツを食べられると分かってか、広場にいた人々は歓喜の声をあげつつ素直に隼に従った。

 エレベーターの発着場に向かう彼らの背中を眺めつつ、クロトはため息をつく。

「調子いいなあ、もう……」

「いいじゃねーか。辛気臭い顔されるよりは一万倍マシだ」

 エレベーターに向かう集団を改めて見て、クロトはその数に疑問を覚える。

「ざっと200人位か……残りの人の解凍作業は順調なのかい?」

「ああ、もう1万人は起きて飲み食いしてる。障害が残ったり心拍が戻らないやつもいたが……」

「え!? そんな!! ……むぐ」

「待てよ、最後まで聞けよ」

 隼はPKでクロトの口を無理やり閉じさせ、話を続ける。

「俺のPKで血栓を取り除いたりテレパスで意識障害を回復させたりして全員無事だ」

「なんだ、無事なら先にそう言ってよ」

「お前が話の腰を折ったんだろうが……」

 安堵のため息をつくクロトに呆れ顔を向けつつ、隼はさらに続ける。

「……ま、医療に関しては俺よりもトキソが役に立ったがな」

「トキソが?」

 トキソはあらゆる劇物、毒という毒を無尽蔵に放出することができる生体兵器だ。

 そんな彼女がどうやって役に立ったのだろうか。もしかして、毒で安楽死の手伝いをしていたり……

(いやいや、それは流石にありえないよね。……でも、だったらどうやって……?)

 脳内に疑問渦巻くクロトに対し、隼は答えを告げる。

「毒と薬は表裏一体ともいうだろ?」

 隼は視線を軌道エレベーター上層に向け、トキソの活躍ぶりを語る。

「あいつは毒を作る能力を応用して薬を生成。結果、多くの人の命を救ったってわけだ」

「……すごいね」

「ああ、薬品類は2000年の間に劣化して殆ど役に立たなかったからな。トキソがいなけりゃ少なく見積もっても500人は死んでたな」

「500人も……」

 毒を撒き散らすしか能のない兵器かと思っていたが、随分と失礼な誤解をしていたみたいだ。

 今度あったら謝っておこう。

「さ、俺達も上に戻るぞ」

「オーケー」

 クロトと隼はその場で跳躍し、一瞬にして上空へ消える。

 上昇中、クロトはふと地表を……広場を見る。

 広場には誰もいない。だが、少しだけ熱気が残っているように思えた。



 場所は変わって静止軌道ステーション内

 中央ブロック内に位置するメディカルセンター、その薬剤庫にて

 ブルネットロングの髪に色白の肌が目立つ女性……トキソがいた。

 トキソは小さなスポイトボトルを摘んでおり、中に入っている粘度のある透明な液体を見つめていた。

 数秒ほどそれを見つめた後、トキソはおもむろにそれを前に突き出す。

 トキソの正面、そこには白衣を纏った医師らしき中年男性が立っていた。

「こんなものだろう。希釈はそちらにまかせるが、いいな?」

 医師は小型のスポイトボトルを宝石でも取り扱うような手つきで慎重に受け取り、謝礼の言葉を告げた。

「おお、ありがたい……」

 その言葉には並々ならぬ感謝の意が込められており、医師は驚きと安堵が混じったような表情を浮かべ、それはまるで神の奇跡を目の当たりにした信徒のようであった。

 そんな医師の反応に戸惑う様子も見せず、トキソは淡々と告げる。

「これで一応は注文通りの薬を合成したが……他に欲しいものはないか?」

「いえいえ十分すぎるほどです。これでまた命を救うことができます。なんとお礼を言っていいやら……」

「礼には及ばない。人類を救済するのが現時点での私の任務だからな」

 ――人工冬眠の解凍作業が始まって間もなく、トキソは薬剤師……もとい、製薬師として活躍し、多くの人の命を救ってきた。

 大半の人間の解凍作業は順調に進んでいたのだが、体質のせいか、それとも機器の不具合のせいか、仮死状態から戻らない者がでたり、脳にダメージを受けて意識障害となる患者が結構な割合で出てきたのだ。

 無論、医療チームが早急に対応してなるべく被害者の数を減らそうとしたのだが、限界があった。

 なぜなら、薬品という薬品が使い物にならなくなっていたからだ。

 2000年も過ぎれば使用期限も何もあったものではない。中には使える薬品もあったが、ほんの少ししか残されていなかった。

 患者全員を助けることは不可能かと思われた。が、玲奈の「トキソならどんな種類の化学物質でも生成できますよ」という一言で状況は一変した。

 あの言葉以降、トキソは自分の能力……毒を生成する能力を応用して医師の望む薬を作り続けてきたというわけである。

「まさに女神ですな……」

 薬を受け取った医師はそう言ったかと思うと、深く頭を下げた。

 少し薄い頭頂部を眺めつつ、トキソは追い払うように言い返す。

「冗談はよしてくれ。……いいからさっさと治療してこい。また薬が必要になったら言ってくれ」

「ありがとう、本当に恩に着るよ……」

 医師はスポイトボトルをプラスチックケース内に大事にしまうと、薬剤庫から出ていった。

 これで一息つける……と思ったのも束の間、医師と入れ替わるようにして女性が薬剤庫に入ってきた。

「人気者ね、トキソ」

「図らずもな」

 手を後ろで組んで薬剤庫内に入ってきたのは玲奈だった。

 長い黒髪は目元を隠すほど長く伸びており、相変わらず根暗……というより不気味だ。

 玲奈も先程の中年医師と同様白衣を纏っていたが、中には黒いタートルネックにグレーのタイトスカートを履いており、どちらかと言うと医師ではなく研究者に見えた。

 玲奈は入口近くの壁に背を預け、会話を続行する。

「最初はクリミアの天使ナイチンゲールなんて呼ばれていたけれど、とうとう女神になっちゃったわね」

 玲奈の冗談とも思えない冗談にトキソは思わず失笑してしまう。

「毒を撒き散らす生体兵器の私が女神と呼ばれるとは……世も末だな」

 トキソの自虐的な言葉を聞き、玲奈は入り口からトキソの真正面にまで移動する。

「そんなに卑下することないじゃない。贔屓目に見てもそこら辺の女神様よりよっぽど綺麗だと思うわよ」

 玲奈はトキソの外見を褒めつつ、隼の報告書の事を思い出していた。

 隼の報告書のとおり、トキソはロングヘアーが超似合う白肌の美人だ。こんな清楚な女性が生体兵器だなんて、今でも信じられない。

 ここでふと玲奈はトキソの存在について改めて疑問を抱き、唐突に話を変える。

「……ところで前々から気になっていたのだけれど、あなたの体ってどうなってるの?」

「“どう”とはどういうことだ?」

「その特異な能力ももちろんだけれど、まったく年も取ってないみたいだし。……あ、テロメアに作用する化学物質を体内で精製しているのかしら」

 玲奈は腕を組み、まじまじとトキソを観察する。

 そんな視線を避けつつ、トキソは玲奈の疑問に応じる。

「私も詳しいことは分からない。一応露国の研究者達から説明は受けたが、“錬金術”や“魔術(ウィッチクラフト)”の類の知識や技術が複合的に使われているらしい」

「……オカルトね」

「確かにオカルトだな」

 自分でもこの能力が現代の自然科学の法則を著しく逸脱しているということは理解している。

 質量保存の法則は勿論のこと、中学生が習うような基本的な法則を完全に無視しているのだ。

 だが、トキソ自身はその事自体にあまり疑問を感じていなかった。

「パイロのようなサイキッカーが生み出されたのだから、私のようなオカルト的存在も生み出されても不思議ではないだろう」

「それもそうね」

 玲奈も色々と考えるのを放棄したのか、長い髪をくしゃくしゃと掻きむしり、大きくため息を吐いた。

 ……あのビリオンキラーやパイロに比べたら、私の能力などチンケなものだ。

 もし彼らのような“圧倒的な力”があれば家族も恋人も失うことはなかった。故郷を蹂躙されることもなかった。

 そう思うと無念でならない。

 ここでトキソはDEEDについて玲奈に話を振る。

「話は変わるが……見つかったのか? DEEDを根絶やしにする方法は」

 トキソは玲奈と約束を交わしている。3000万のDEEDを完全に根絶させるという約束を。

 玲奈は「ちょっと待って」と言うと慌てて薬剤庫のドアを閉め、ロックを掛けた。

 玲奈は声のトーンを落とし、遅れながらトキソに言葉を返す。

「今は戒厳令が敷かれてブレインメンバーを含む一部の人間以外は人型DEEDの存在を知らないわ。人の形を模した化物が地上にまだ残っていて、そいつらが社会的な生活を営んでいるなんて知られたらどうなるか私にも予想できないわ」

「だが、いずれ情報は漏れる。そうなる前にブレインメンバーを説得したほうがいいんじゃないか」

「簡単に言ってくれるわね……」

 トキソは玲奈の呆れ顔を見て、自分が愚かすぎる発言をしたことを悟る。

 そもそもブレインメンバーを説得できなかったからこんな事態になっているのだ。

 ククロギのあの提案さえなければ、今頃我々人類はDEEDを皆殺しにして新天地で新しい生活を送っていたはずだ。

 3000万の労働力は現時点で我々にとっては魅力的だ。が、リスクがないと言い切れない。リスクが1%でもコンマ1%でもある限り、不安要素は排除しておくべきだ。

 神経質に思われるかもしれない。しかし、この選択には人類の命が懸かっている。神経質になりすぎて悪いことはない。

 トキソがひとりでモヤモヤと考えていると、不意に玲奈が呟いた。

「まあ、3000万の労働力についてはすでに代案を用意しているのだけれどね……」

「代案? ……教えてくれ」

 流石は天才科学者。まだ数日と経っていないのに対抗策を講じたようだ。

 トキソから熱い視線を受けつつ、玲奈は一言告げる。

「クロイデルよ」

「クロイデル?」

 首をかしげるトキソに、玲奈は詳しく説明し始める。

「クロイデルの基本コードを少しいじって兵器ではなく労働者にするの。数は軽く1億はいけるでしょうね。……自由意志を持つDEEDと違って人間の命令には絶対服従よ。我ながらすごい発明をしたものだわ」

「そうか、なるほど……」

 実に合理的で安全な案だ。

 今の今までクロイデルを“兵器”としてしか認識していなかったトキソにとって、玲奈のこの案は青天の霹靂であった。

 これならばブレインメンバーも文句を言うまい。仮にククロギがDEEDとの交渉を上手く進めたとしても、こちらのアドバンテージには遠く及ばない。

 玲奈はトキソの肩をぽんぽんと叩き、すぐに踵を返す。

「じゃ、引き続きお仕事がんばってね、“女神様”」

 生意気を言う玲奈に対し、トキソも嫌味で返事する。

「少なくともあの役立たずの機械人形よりは仕事してやるよ」

 ゲイルの事を持ち出すと、玲奈は瞬時に振り返った。が、上手く言い返せないと悟ったのか、何も言わずに薬剤庫から去っていった。

「ふう」

 トキソはパイプ椅子に座り、今後の事を考える。

(あとはあの化物……ククロギをどうするか、だな)

 3000万のDEEDを皆殺しにする上で、ククロギは大きな障害となる。

 どうしたものか……

 暗い薬剤庫の中で独り、物思いにふけるトキソであった。


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