085
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「まず何から話そうか……」
地下から抜け出して3分後。
クロトとリリサは支部2階にある狩人専用の宿泊部屋の中にいた。
夜とあって室内は暗い。テーブル上にはランプが置かれているが、それでも室内をくっきり見渡せるほどの光量は無かった。
内装は相変わらずシンプルで、ベッドと机と椅子があるだけだ。
クロトはベッドに腰掛けており、リリサはベッドに向かい合う形で椅子に座っていた。
クロトはリリサを見つめ、思うところを述べていく。
「リリサ、君には感謝してるんだ。もしあの時僕が付けていたブレスレットに気付いてくれなかったら、今僕たちがこうやって話していることも……」
「無駄話はいいわ。結論を言って頂戴」
「わかったよ……」
リリサはとにかく早くスヴェンについての情報がほしいらしい。
クロトは無駄話は止め、結論を告げることにした。
「君の父親、スヴェン・アッドネスは……もうこの世にいない」
それは残酷な結論だった。
リリサはクロトから目を逸らし、ため息混じりに「そう……」と告げる。
ある程度父親の死は予測していたのだろう。こちらが思っている以上に取り乱すことはなかった。
が、少なからず動揺はしているようで、リリサは天上を見上げてため息を付く。
そしてそのまま体の力を抜き、背もたれに体重を預けた。
「……予想はしてたわ。でも確信は持てていなかった。今もどこかで遺跡を求めて冒険しているんだと、ほんの僅かだけれど思っていたの」
親しい人が死んだと信じたくはない。その気持は良く理解できる。
リリサは天上を見上げたまま続ける。
「でも、死んでいたのね……父は」
「ああ、間違いなく彼は死んだ。でも、苦しむことなく逝けたとは思う。全てが一瞬だったからね……」
クロトのセリフが気になったのか、リリサは視線を正面に戻してクロトに問いかける。
「父はどうやって死んだの?」
……リリサの目は本気だった。
クロトは自分の口から彼の死因を言いたくはなかった。それはあまりにも悲惨すぎる最後であり、同時に自分にも非があったからだ。
責任逃れをするつもりはない。彼をあの場所に連れて行ったのは自分であり、彼が死んだ責任は殆ど僕にある。
だが、彼の娘を前にして、旅を続けてきた仲間として、中々言い出せないでいた。
事実を告げればきっと彼女は僕に恨みを抱くことになる。憎しみの念を僕に向けることになる。
……が、それも覚悟したことだ。
クロトは気を取り直し、質問に応じる。
「スヴェンは殺されたんだ。カラビナの守護者にね……」
「それだけじゃわからないわ。もっと詳しく教えて頂戴」
リリサは椅子をベッドに近付け、前のめりになる。
琥珀の双眸はしっかりとこちらに向けられており、底知れない迫力があった。
適当な説明では到底納得してくれないだろう。
そう判断したクロトはスヴェンについて、最初から話すことにした。
「ちょっと長くなるけど、いいかい?」
クロトは前置きをし、膝に手をおいて語りだす。
「……記憶を失う前、僕は君たちの言う“ヒトガタ”だったんだ」
「!!」
リリサは驚愕の事実を知ってか、目を丸くする。
「僕の出自についてはあとでみんなの前できちんと説明するよ」
これ以上の説明は二度手間になるだけだ。今はスヴェンについての顛末と彼と僕の関係をリリサに理解してもらえればそれでいい。
問答無用でクロトは続ける。
「僕はとある海域でスヴェンと出会った。本当なら即座に殺さなければならなかったんだけれど、当時の僕は色々とあって疲れていてね、ある条件をつけて彼を見逃すことにしたんだ」
「条件?」
「人類についてあらゆる情報を報告すること……俗に言うスパイ行為を強要したんだ」
結局、スヴェンからの情報は役に立たないものばかりだったが、いい暇つぶしにはなった。スパイ行為というのも彼を生かしておくための方便で、単純に彼と会話できる時間を楽しんでいたように思う。
(……と、感傷に浸ってる場合じゃないね)
クロトは説明を再開する。
「その後僕たちは定期的に会い、彼は僕に情報を提供してくれた。……何度か会うと僕は完全に警戒心を失って、彼と酒を酌み交わしながら雑談する仲にまでなったんだ」
「気を許したってわけね」
「ああ、友達になったよ。……おかげでいろいろな話を聞けた。その中にはリリサ、君の話も含まれていたよ」
「私の?」
「うん。“娘は優秀だ。必ずいい狩人になる”ってね」
「そう……」
余談だが、スヴェンはリリサの事をかなり溺愛していた。事あるごとにリリサの自慢話をし、その可愛らしさや才能を褒めちぎっていてた。
俗に言う親馬鹿である。
リリサの為に命を危険にさらしてイッカクの角までプレゼントしたほどだ。どれほど彼女のことを愛していたか、計り知れる。
憂い顔のリリサに向け、クロトはどんどん話を進めていく。
「交友は数年間続き、ある日彼がある案を提案してきたんだ。人類とDEEDが……いや、ディードと人類が共存の道を歩けないかという話をね」
「共存? そんなことが……?」
リリサは再び目を丸くしていた。驚くのも無理はない。事情を何も知らない者にとっては突拍子もない話以外の何物でもないのだ。
クロトはスヴェンが雄弁に語る姿を思い出しつつ、続ける。
「彼の案は実に理にかなっていた。僕もその案がうまくいくと信じ、彼の話を聞かせるべく、彼をカラビナに連れて行くことにしたんだ」
「つまりそれって……カラビナはディードの本拠地ってこと?」
「そういうことになるね。詳しくはまたあとできちんと説明するよ」
面倒な説明を省き、クロトは最後に向けて……スヴェンが死亡した理由について説明を続ける。
「とにかく、僕はカラビナに彼を連れていき、まずは仲間に……カラビナの守護者に紹介しようと思ったんだ。……でも、僕は守護者の警戒心の高さを見誤っていた」
いよいよクロトはスヴェンの死に様を娘のリリサに告げる。
「紹介しようとしたその瞬間、スヴェンは守護者の手によって殺されてしまったんだ」
「殺された……」
リリサの体から一気に力が抜けるのがわかった。
彼が死んだのは事故でも病気でもない。ゲイルの手によって殺されたのだ。
クロトは当時の事を思い出しつつ悔しげに告げる。
「僕は彼を助けられなかった。……彼が殺されたのは僕の責任だ。僕の軽率な行動が彼を死に追いやってしまった。あの時僕がもっと慎重に動いていれば彼は死ななかったかもしれない。スヴェンは僕が殺してしまったようなものなんだ」
クロトはリリサに頭を下げる。
「リリサ、すまない。いや、謝って済む問題じゃないね……」
クロトはゆっくりと顔を上げ、リリサの顔を窺う。
リリサはクロトと視線を合わせることなく、左、何もない空間に向けていた。
何を思っているのだろうか。クロトに知るすべはない。
そんなリリサの姿を見て、クロトは謝罪せずにはいられなかった。
「間接的にではあるけれど僕は君の父親の仇だ。気が済むまで殴るなり刺すなりするといい。……僕はそれを受け入れよう」
クロトは刺される覚悟をもって、リリサに向けて頭を垂れる。
数秒後、返ってきたのは意外な言葉だった。
「……ありがとう」
「え?」
クロトは思わず顔を上げる。
視線の先、リリサは吹っ切れた顔をしていた。
「本来ならクロ、あなたが父を発見したところで父は死ぬはずだった。でも、あなたは父を生かし、それどころか友になってくれた。……ヒトガタと友達になって、しかも共存しようだなんて考える狩人なんて父以外にいないでしょうね」
リリサは小さく笑う。
しかし、リリサは未だに悲壮の雰囲気を漂わせていた。
そんなリリサを元気づけるべく、クロトはスヴェンの偉大さについて語ることにした。
「……彼は死んだけれど、彼の案はまだ生きている」
「どういうこと?」
「本来なら2年前に人類を掃討するべくディードが凶暴化するはずだったんだ。でも彼の案のおかげでディードは現状を保っているし、それどころかディードを地上から消し去ることができるかもしれない」
「そんなことが……!!」
「間違いなく彼は最高の狩人だよ。後にも先にも彼以上の狩人は現れないだろうね」
クロトは確信を持って告げる。
そんなクロトの真剣さが伝わったのか。リリサは安堵した様子で目を閉じ、再び背もたれに体重を預けた。
「そう……父は世界を救ったのね」
「ああ、大勢の人の命を守ったんだ」
3000万の命を救えるかどうかはこれからの交渉にかかっているが、スヴェンがその礎になったのは紛うことなき事実だ。
共存が成立した暁には彼の銅像が建つかもしれない。冗談抜きでそれだけの功績を残した狩人なのだ。
リリサはリラックスした体勢のまま、クロトに告げる。
「クロ……いえ、クロト。教えてくれてありがとう。スッキリしたわ」
「僕も、きちんと君に伝えられてよかったよ」
「そうね」
そう応えつつ、リリサはおもむろに椅子から立ち上がり、クロトの隣に腰を下ろす。
ベッドが沈み、自然とクロトはリリサに引き寄せられてしまう。
リリサはクロトの手を掴み、しっかりとした口調で告げる。
「クロト、あんたには父の意志を受け継いで欲しい。父の死を意味のある物にして欲しい。私も全力で応援するわ」
クロトはその手を握り返す。
「言われるまでもないよ。僕はスヴェンの意志を受け継いで人類とDEEDの共生の道を作る。約束するよ」
ベッドの上、二人は互いに手を握りしめ、至近距離で見つめ合う。
リリサの瞳はキラキラと輝いており、それは意志の強さを現しているように思えた。
やはり彼女は豪胆な女性だ。
流石はスヴェンの娘と言わざるをえない。
しばらく見つめ合った後、ふと我に返ったのかリリサは慌ててベッドから離れる。
そして、素朴な疑問を投げかけてきた。
「……ねえ、さっき“ディードを地上から消し去る”とか何とか言ってたけれど、それって共存と真逆じゃない?」
この場合のディードと言うのは玲奈が造り出した兵器クロイデルのことだ。
説明すると長い。そう判断したクロトは説明を後回しにすることにした。
「そのあたりの説明はみんなと一緒に……」
「――きゃあッ!?」
その悲鳴は突然聞こえた。
クロトは言葉を切ってベッドから立ち上がり、声の残響に集中する。
どうやら声は階下から……地下のあの場所から発せられたようだ。そして、発した女性は律葉に間違いなかった。
……階下で何かが起きている。
不意に階下から聞こえた女性の悲鳴に、リリサも臨戦態勢になっていた。
「ねえ、今の声って……」
「地下だ、急ぐぞ!!」
クロトは一方的に告げるとダッシュで部屋を飛び出し、急いで地下に向かった。
5秒と掛からずに地下の解体場に到着すると、予想外の光景が目の前に広がっていた。
「何だ、上にいたのねー」
間延びした言葉を発したのは桃色の髪に金色の眼を持つ“純潔の狩人”カレンだった。
カレンは背後から律葉を羽交い締めにし、首筋にナイフをあてがっていた。
カレンは地下室のほぼ中央に陣取っており、他のメンバーは周囲を囲んでいるだけで何もできずに戸惑っている様子だった。
唯一ティラミスだけがカレンの直ぐ側にいたが、彼女はうつ伏せになって転がっており、苦しげに呻いていた。
背後から不意打ちを受けたのだろう。背中には槍が突き刺さっていた。
床は黒い血でべっとりと濡れており、その血溜まりの中でティラミスは何とか立ち上がろうと奮闘していた。
だが槍はほぼ根本まで地面に突き刺さっており、流石のティラミスでも脱出に時間が掛かりそうだった。
多分、ここに律葉が来たという情報を何処かで得、律葉を殺すために急襲したようだ。
ティラミスならどんな狩人相手でも負けないと思っていたが……流石は“純潔の狩人”、その強さは常軌を逸している。
一瞬で状況を把握したクロトは即座に律葉の開放を求める。
「律葉を放せ、カレン」
「カレン? カレン“会長”でしょー?」
カレンはすぐに律葉を殺すつもりはないらしい。ナイフで律葉の首筋をなぞりつつニヤニヤと笑っていた。
「……すみませんクロト様」
ティラミスは悔しげに、そして申し訳なさそうにクロトに告げる。
「いいんだティラミス。そこで大人しくしていてくれ」
クロトはティラミスを責めるつもりはなかった。ここまでの事態を想定していなかった自分に非があるのだ。むしろ怪我を負わせてしまったティラミスには謝らないといけない。
クロトはティラミスの無事を遠目で確認した後、カレンに問う。
「どうしてこんなこと……」
「どうしてって、100人以上の狩人を殺したからに決まってるじゃない」
カレンはクロトを睨みつけ、室内に響き渡るほどの力で歯ぎしりする。
「彼らはディードに食われて骨すら残ってない。……ならせめて仇くらい討つのが人情ってものでしょう。あなた達もそう思わない!?」
カレンはリリサやジュナなど、狩人のメンバーに同意を求める。
が、全員無言を貫いており、事の次第を見守っているだけだった。
動けないのも、喋れないのも当然のことだ。
何故なら、彼らにはあまりにも情報が足りないからだ。
誰が正しくて誰が間違っているのか、現在の情報からでは判断できないのだ。
……だから動けない。見ていることしかできない。
しかし、クロトはこれで構わないと考えていた。
下手に誰かが動くとこの均衡が崩れてしまう。カレンが衝動に任せて律葉を殺してしまうかもしれない。
今の僕なら一瞬で黒い槍を形成し、カレンの頭蓋を貫くことができる。
だが、それをやってしまうと全てが終わってしまう。信用を失ってしまう。
最悪の事態を避けるべく、クロトはカレンの説得を試みる。
「カレン会長、戦艦を破壊したのは巨人のヒトガタだったはずだ。彼女は関係ないだろう?」
「いいえ。この女、巨人のヒトガタに命令してたわよね。つまり、この女もヒトガタで仇ってこと。何か反論あるー?」
カレンはナイフの腹で律葉の首筋をペタペタと叩く。
律葉は恐怖のあまり動けないようで、視線をまっすぐ前に向けて微動だにしなかった。
すぐにでも救い出さねばならない。
クロトははやる気持ちを押さえ、飽くまで冷静に会話を続ける。
「……あの時彼女が命令したのは攻撃を止めさせるためだ。それを忘れたのかい」
「勿論覚えてるわよー。でも、この女がディードであることには変わりないでしょー? ……だから殺すわ!!」
カレンはとうとうナイフを振り上げ、律葉の首元目掛けて振り下ろそうとする。
もうカレンを殺すしかないのだろうか。
いや、ナイフだけをピンポイントで狙って武装解除させればいい。
そう考えたクロトは瞬時に黒の粒子でクナイを形成する。
しかし、投擲の動作に入る前に地下室内に威厳に満ちた男の声が響き渡った。
「――待ちたまえ」
その声は低く、そして室内全域に得体の知れないプレッシャーを生じさせた。
声に反応し、カレンはぴたりと動きを止める。
地下室の入り口付近、そこには壮年の筋肉質の男が立っていた。
髪は短く纏められており、服装は灰色のワイシャツに赤のネクタイ、そして黒のスラックスという格好だった。靴も革靴だし、狩人とは思えない。が、戦いの心得があるのは間違いなく、勇ましい顔つきをしていた。
カレンは壮年の男に舐めきった口調で告げる。
「……誰? 今取り込み中なの、見て分からないのー?」
「よく分かっている。そしてお前は何も分かっていない」
「おっさんは黙って」
壮年の男はカレンの言葉を無視し、喋り続ける。
「今すぐその女性を開放したまえ。世界がどうなっても構わないというのかね」
「何言ってるのよ……わけわかんない」
聞いているこちらも意味がわからない。が、カレンを止めようとしているのだけは理解できた。
壮年の男は言葉を止めない。
「無知は罪ではない。が、思慮の浅い愚行は罪だ」
意味不明の言葉をさんざん浴びせられ、とうとうカレンは苛立った声を上げる。
「あーあーうるさい!! これ以上邪魔するならあんたも……」
「私をどうすると?」
――全ては一瞬だった。
ふと気づくと地下室の入口付近に壮年の男の姿はなく、瞬時に部屋の中央に出現していた。
おまけに男はカレンからナイフを奪い取っており、地面に押さえつけていた。
「……ッ!?」
カレンは何が起きたのか理解できていない様子で、呆けた顔をしていた。
が、そんな表情をしていたのも数秒のことで、すぐに苦悶の声を上げ始める。
「ッ痛!! やめ、やめなさいよ!!」
「全く、世話のかかる……」
壮年の男はカレンに関節技をキメており、完全に行動不能状態に追いやっていた。
どうやら事態は収束したみたいだ。
クロトは黒の粒子で構成していたクナイを解除し、律葉の元へ駆け寄る。
開放された律葉は地面にへたり込んでおり、両手で首を覆い隠していた。
クロトは優しく声を掛ける。
「……大丈夫かい、律葉」
声に反応し、律葉は顔を上げる。
こんな怖い思いをしたのだ。泣いていても不思議ではない。早く慰めてあげなくては。
……と思っていたクロトだったが、律葉は意外にも元気だった。
「びっくりしたわ……」
律葉は少し興奮状態にあるようで、頬が紅潮していた。
クロトは律葉をゆっくり立たせ、頭を撫でる。
「こういうことがあるから連れて来たくなかったんだよ……」
「でも助かったじゃない。結果オーライよ」
律葉はニコリと笑い、親指を立てる。
「相変わらず肝が座ってるなあ……」
僕を不安がらせないように演技している可能性もあるが、その演技ができるだけで十分肝が座っている。
やはり女は強いなあ、と思っていると切なげな声が付近から聞こえてきた。
「クロト様ぁ……」
涙目で声を発したのはティラミスだった。
ティラミスは未だ自力で脱出できておらず、しっかりと槍で床に縫い付けられていた。
「あ、ティラミス……」
助けるのをすっかり忘れていた。
クロトは慌ててティラミスの元に駆け寄り、槍の柄を黒の粒子で切断すると、ティラミスを槍から引き抜く。
ティラミスの背には大穴が空いていた。が、既に黒い血は止まっており、観察しているうちにも組織同士がくっつき合い、再生が始まっていた。
流石は僕と同じDEEDマトリクス因子を持つ少女だ。この程度の怪我など怪我のうちに入らない。
ティラミスは立ち上がるとクロトを見上げ、少し不満げに告げる。
「クロト様、完全に忘れてましたよね……」
「そんなことない。そんなことないよ?」
「……」
クロトは必死に取り繕うも、ティラミスの不満げな表情は元に戻らなかった。
律葉やティラミスに構っていると、壮年の男が改めて話しかけてきた。
「……大変失礼した。今後はこんなことが起こらぬよう、よく言って聞かせる」
丁寧に告げる男の下には相変わらずカレンの姿があり、男の尻に敷かれたままうつ伏せでジタバタしていた。
これではせっかくの美人も台無しである。
カレンは関節技をキメられて痛いのか、顔を苦痛に歪ませながらも男に向けて文句を言う。
「どきなさい!! 私を誰だと思ってるの!?」
「カレン・ソーンヒル……猟友会の会長だろう」
男は即答し、続ける。
「部下を大勢失ったその無念さは理解している。しかし、怒りの矛先を彼女に向けるのは見当違いだ」
「“見当違い”? あの女はヒトガタで、ディードで、私達の敵よ。殺して当然でしょ……っていうかあんた誰よ」
カレンは壮年の男に問いかける。
男は自己紹介がまだだったことを自覚したのか、「紹介が遅れたな」とつぶやきつつカレンにかけていた技を解くとおもむろに立ち上がり、軽く会釈する。
「私は“ドミナス・エヴァーハルト”。カミラ教団で調査隊部門の部長を務めている」
(カミラ教団……!!)
クロトはこのワードに機敏に反応した。
カミラ教団のお偉いさんとは早いうちに交渉しようと思っていたところだ。
モニカを頼りに取り次いでもらおうと思っていたのだが、向こうからやってきてくれるとはありがたいことこの上ない。
しかも部長ともなれば肩書きも高い。トップと話し合える可能性も増すというものだ。
が、この名前に反応したのはクロトだけではなかった。
「まさかとは思ってましたが……やはりエヴァーハルト主任でしたか……」
言葉を発したのはモニカだった。
その後、モニカはエヴァーハルトに近付いていく。
エヴァーハルトもモニカに反応し、言葉を返す。
「ん? ……バーリストレーム研究員か。気づかなかったぞ」
どうやら二人は面識があるらしい。まあ、同じ教団員同士、面識があっても不思議ではない。
モニカにとってエヴァーハルトはだいぶ立場が上の人なのか、モニカは丁寧な口調で問いかける。
「騒ぎを沈めていただいてありがとうございます。見事な制圧術でした。……しかし、どうしてこんなところに……?」
「そんなことはどうでもいい。今重要なのは今我々が置かれている状況を理解することだ」
エヴァーハルトはモニカからの賞賛の言葉をさらりと受け流し、その鋭い視線をクロトに向ける。
「さて、説明してくれるね? “ククロギ・マナト”君」
「!?」
いきなり英語で、しかも本名で呼ばれ、クロトは驚きを隠せなかった。
「な……どうして僕の名前を……?」
クロトの反応を興味深そうに観察しつつ、エヴァーハルトは問いに応じる。
「スヴェン・アッドネスとは旧知の仲だった……と言えば分かるかな」
「……なるほど、僕についてスヴェンから全て聞いていたんだね」
スヴェンが僕との関係を他の誰かに話していても不思議ではない。
しかし、あのスヴェンが僕との関係を簡単に他人に話すとは思えない。もし僕という存在と関係を持っていると知られれば、スパイ行為をやってきたスヴェンも無事では済まされないからだ。
つまり、このエヴァーハルトという男はスヴェンにとって信頼に足る人物だったということになる。
このクロトの予想は大当たりであり、エヴァーハルトはスヴェンから聞いたであろう情報を……つまりはクロトが流した情報について語りだす。
「スヴェンから連絡が来なくなり交渉は失敗に終わったのかと思っていたが、彼の言っていた“掃討作戦”は実行されなかった。その後何年も真相を確かめるべくカラビナを調査していたわけだが……リリサ君が私の部屋を訪ねてきた時に、正確にはそのブレスレットを見た時に大体の状況を理解できたよ」
エヴァーハルトはリリサの腕に嵌められた黒いブレスレットを指差し、説明を続ける。
「そのブレスレットは2つしかない。片方はスヴェンが、もう片方はククロギ君が付けていた。最後にスヴェンの姿を見た時、彼はそのブレスレットを付けていた。彼は生還できなかったのだから、そのブレスレットはスヴェンの物ではない。……ククロギ君がスヴェンの形見代わりにリリサ君に渡したのかとも考えたが、もしそうだと仮定するとリリサ君が私にスヴェンの生死を問うてくるのは理屈に合わない」
「……うん?」
リリサはいまいちエヴァーハルトの説明がわからないのか、難しげな表情を浮かべていた。
そんなリリサを無視してエヴァーハルトは話し続ける。
「つまりリリサ君のブレスレットはククロギ君の物であり、何らかの形でククロギ君と接触したと理解した。……どのような経緯でそのブレスレットを手に入れたのか、それはモニカ君の報告書で明らかになった。……正直驚かされた。ククロギ君、君が記憶喪失になっていたということ、そしてスヴェンの娘であるリリサ君とカラビナを目指しているということにね」
エヴァーハルトの言葉は止まらない。
「記憶を失っていてはスヴェンの代わりに交渉することもできない。スヴェンの話をすれば記憶を呼び覚ますことも可能かもしれないと考えたが、記憶を取り戻したとしても君がこれまで通り我々の味方か、それとも敵か分からない。……だから敢えて君たちをカラビナに向かわせることにした。ククロギ君が“彼ら”に接触すれば彼らの真意を理解できると思ってな」
つまり、簡単に言うとエヴァーハルトは僕の正体を知っていたが、不確定要素が多すぎるために敢えて事実を黙っていたということだ。
もし自分が彼と同じ立場だったとしたら……僕も同じように対応していたに違いない。
何せ“僕”は狩人とは比べ物にならないほどの戦闘能力をもった化物だ。
触らぬ神に祟り無し。下手に接触して殺されでもしたら洒落にならない。静観するしか方法がなかったのだろう。
「そして私の選択は正解だった。こうしてカラビナから生還したのだからな」
エヴァーハルトはメンバー全員を見渡した後、改めてクロトに問う。
「しかも戻ってきたということはまだ交渉の余地があるということ……そう理解して構わないな?」
「その通りですよ」
話が早くて助かる。流石はあのスヴェンが信頼していた男だ。
彼ともいい関係を築けそうな気がする。
そんなことを思っていると、ふとリリサが思い出したように告げた。
「ちょっと待てよ……じゃああの時、お前は私の父が死んでいることを知っていたんだな?」
リリサはきつめの口調でエヴァーハルトに問い詰める。
エヴァーハルトは言い訳をするつもりは無いようで、素直に謝罪した。
「すまない。……しかし、真実を話すと君達一行がカラビナに向かってくれないと思ってな」
いけしゃあしゃあと酷いことを告げるエヴァーハルトに苛ついたのか、ジュナが前に出た。
「この野郎……オレ達がどれだけ苦労したと思ってんだ!?」
前に出たジュナはずかずかと歩いていき、エヴァーハルトの正面に立つ。
そして、今にも殴りだしそうな敵意を放ちつつ睨みあげる。
……が、エヴァーハルトはジュナに動じることなくジュナに言った。
「幾らでも責めてもらって構わん。だがこうするのが最善だと私は考えたし、その結果うまく事が運んだ。……これは紛うことなき事実だ」
エヴァーハルトのこの言葉を聞きつつ、クロトは“もっといい方法は無かったのだろうか”と考えていた。
しかし、全くと言っていいほど思い浮かばなかった。
先程も述べた通り不確定要素が多すぎるのだ。流れに身を任せるしかない。
僕がさっさと記憶を取り戻していればよかったのだが……今更そんな絵空事を言っても仕方がない。
数秒後、ジュナに続いてフェリクスも文句を言い始めた。
「お前、エヴァーハルトとか言ったか? ……とんだ狸野郎だな。お前のせいで何人の狩人の命が犠牲になったと思ってんだ、あ?」
「それについても謝罪する。望むなら責任もとろう。が、今大事なのは彼らの動向を知ることだ」
エヴァーハルトのこのセリフに、カレンが核心を突く質問を投げかけた。
「さっきから彼ら彼らって……ディードって一体何なのよ?」
カレンはまだ腕の関節が痛むのか、地面に座ったまま腕を擦っていた。
モニカはカレンの言葉を引き継ぐようにクロトに告げる。
「クロトさん、今度こそきちんと説明してくれますよね?」
「うん、待たせてごめんね」
随分と遠回りしたが、ようやくこの世界の本当の歴史について語る時が来たようだ。
クロトは律葉とティラミスをちらりと見る。
両名とも特に異論は無いようで、小さくコクリと頷いた。
続いてクロトは周囲を見る。
メンバー全員がディードの正体を知りたいようで、興味の眼差しをこちらに向けていた。
「じゃあ、最初から話すよ。信じられないと思うけれど、これから話すことは全て真実だからね」
クロトは咳払いをし、すべての事実を彼らに教えることにした。
「――僕の本当の名前はククロギ・マナト……人類をDEEDの魔の手から救った英雄だよ」
その言葉を皮切りに、クロトは2,000年前に起きた出来事から語り始めた。




