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天球のカラビナ  作者: イツロウ
07-覚醒者の選択-
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 港町ゴイラン

 時刻は夕暮れ

 漁業や造船業が盛んな職人たちの住まう町は今、夕日色に染まっていた。

 建物の屋根、石畳の道、停泊中の船の帆、そしてあたり一面の海が茜色に染まっており、水平線には沈みかけの大きな太陽が夜の訪れを告げようとしていた。

 そんなオレンジ一色の風景の中

 クロト一行は帆船がずらりと並ぶ港の端にボートを寄せ、船から降りようとしていた。

 クロトは軽くジャンプして桟橋に飛び移り、律葉とティラミスに注意を促す。

「落ちないように気をつけてね」

「平気です」

 ティラミスはそう言うとぴょんと跳ね、空中でくるくると回転した後、華麗に桟橋に着地した。

 着地の衝撃で眼鏡がずれたが、ティラミスは焦ることなくゆっくりと眼鏡の位置を戻し、何故かドヤ顔をこちらに向けた。

 ……見事なジャンプを褒めてほしいのだろうか。

 何となくそう感じたクロトはティラミスに声をかける。

「相変わらず身軽だね、ティラミス」

「はい。体調も万全ですし、何が来ようともお二人を守ってみせます」

 ティラミスはかなり意気込んでいる様子だった。

 元気すぎる子供の相手をするのはちょっと面倒だが、変にナーバスでいられるよりは何十倍もマシだ。

 律葉もティラミスの後に続いて船から降りようとする。

 すかさずクロトは律葉に手を差し出すも、律葉は手助けを拒否した。

「大丈夫だから」

 律葉は一度深呼吸をすると膝を曲げ、両足で船底を蹴ってジャンプする。

 ティラミスのジャンプと比べると不格好だったが、船から降りるには十分すぎるだけの高さがあった。

 律葉は船から桟橋に飛び移ったものの、勢い余ってよろめく。

 クロトはその背中を黒の粒子で瞬時に支え、見事に転倒を防いだ。

「やっぱり、こうなると思ったよ」

「失礼ね……」

 恥ずかしさからか、律葉は若干頬を染めつつ、ジャンプした際に乱れた白衣の襟を正していた。

 3人が上陸したところで、改めてクロトは船に視線を向ける。

 すると先程まで3人を運んできた黒い船は瞬時にして粒子状に分解され、空間に溶け込むようにその場で霧散した。

 自分で使っていて言うのも何だが、正体不明な能力だ。

 使い方や強度や威力や射程距離は熟知しているが、この粒子がどこから現れてどこに消えていくのか、全くもって理解できない。

 まあ、今のところは自由自在に使えるのだし良しとしよう。

 船を片付けるとクロトは足先を町の中へ向ける。

「さて、まずは港から出て猟友会の支部に行ってみよう。誰かとは会えると思うよ」

「わかったわ」

「了解です」

 律葉とティラミスは異口同音に告げ、クロトを挟むように隣にぴたりとくっつき移動を開始する。

 夕暮れ時の港には人の姿はなく、もっというと動物の姿も見られなかった。

 動いているものと言えば夕日を受けて長く伸び、ゆらゆら揺れている船の影くらいなものだ。

 心地よい静寂……

 日が暮れるまでこの港で黄昏れていたい気分だが、あまりゆっくりしている時間はない。

 今は1分でも早くメンバーとコンタクトを取り、事情を話せねばならない。

 そしてモニカを通じてカミラ教団のトップにも話を通さなくてはならない。

 果たして1週間で間に合うのだろうか……

 先の事を考えつつ港の出口に向けて歩いていると、不意に前方に人影を見つけた。

 その人影は港から町へ入る門の隣に立っており、壁に背を預けて微動だにしなかった。

 不思議に思いつつもクロト達は出口に向けて進んでいく。

 すると、段々と人影のシルエットが明らかになってきた。

 形から察するに女性、髪は片方で留められていて肩でバウンドして胸元まで流れている。

 そして、夕日を受けて橙色に染まっていた。……いや、髪自体が橙色だ。

 この情報を得たクロトは、即座にその女性が大鎌使いの上級狩人……ジュナ・アルキメルだと判断できた。

「ジュナ!!」

 ジュナと分かるとクロトは彼女に声を掛け、律葉とティラミスを置いて先行する。

 あちらもすぐに気づいてくれるかと思っていたが、ジュナから反応はない。

 何故応じないのか、その理由はすぐにわかった。

 ジュナは壁に背を預けたまま眠っていたのだ。これだけ心地よい静寂の中、眠るなというのは酷な話だ。

 ジュナは長い時間待ってくれていたのか、頭を垂れてコクリコクリと船を漕いでいた。

 そんな彼女の真正面にクロトは立ち、改めて声を掛ける。

「ジュナ、ただいま」

「……ん」

 今度は反応があった。

 ジュナは顔を上げると目をこすり、瞼をしぱしぱさせる。

 寝起きで頭が働いていないのか、いつものキリッとした顔は緩みきっており、ダークブラウンの目も虚ろだった。

 が、ぼんやりしていたのも数秒のことだった。

「……!!」

 ジュナはすぐに僕がクロトだと認識したようで、驚きと嬉しさが混じったような表情を浮かべた。

 そして、僕の名を大声で叫んだ。

「クロト!!」

 そしてあろうことか、ジュナは叫ぶと同時に壁から離れ、勢い良く抱きついてきた。

「!!」

 この反応はクロトには予想外想定外であり、避けることも防ぐこともできなかった。

 柔らかい感触を体の前面に得たかと思うと、腰に手を回されホールドされ、遅れてシトラスの爽やかな香りが鼻腔に届いた。

 やはり何だかんだ言ってジュナは女の子なのだ、と、クロトは改めて認識する。

 大型クロイデルを鎌で豪快に切り裂く様子は見ていて恐ろしいが、今目の前にいる少女は紛れもなく可憐な女の子だ。

 クロトはジュナに抱きつかれたまま、耳元から聞こえる彼女の声を聞く。

「……良かった。無事だった……」

 その声は安堵と慈愛に満ちていた。

 このセリフだけで、この声色だけで、彼女が僕のことをどれだけ心配していたか十分に計り知れた。

 同時に、彼女が僕のことを心配してくれていたことが純粋に嬉しかった。

 普段は粗暴だが、やはり僕たちは絆で結ばれた仲間なのだと再認識させられた。

 抱きつかれて数秒ほどジュナの思いに感動していたクロトだったが、暫くすると冷静になり、今のこの状況が非常にまずいものだと気付いた。

 クロトはジュナに向け、申し訳無さげに告げる。

「ジュナ、その、ええと……恥ずかしいんだけれど……」

「……!!」

 ジュナはクロトの言葉で気を取り直したのか、両手を放すと同時にクロトを突き飛ばし、距離を取った。

 そして、気まずそうに言う。

「……遅いんだよ馬鹿。みんな心配してたんだぞ」

 そう告げるジュナの顔は赤く染まっており、視線は横に向けられていた。

 自分でもこんな大胆な事をするとは思っていなかったのだろう。羞恥と困惑と後悔が混ざったような、複雑な表情を浮かべていた。

「ごめんごめん」

「ごめんで済むかよ」

 ジュナは恥ずかしさをごまかすようにクロトの腹部を軽く殴り、加えて向う脛をつま先で蹴る。

 結構痛い。が、その痛さが気にならないくらい、クロトはジュナの好意を確認できたことを嬉しく思っていた。

「ジュナさーん」

 遅れて駆けつけたのはティラミスだった。

 呼び声に反応し、ジュナはクロトから離れてティラミスと合流する。

「ティラミスも無事だったか。本当に頑丈な奴だな」

 ジュナはティラミスと会うやいなや頭に手を置き、紺色の髪をくしゃくしゃと撫でる。

 ティラミスは目を瞑ってそれを受け入れ、笑顔で言葉を返す。

「それだけが取り柄ですから。……それよりジュナさん達も無事に帰還できていて良かったです」

「おう。帰りも全く海棲ディードが出てこなくてな。快適な船旅だったぞ」

 ということは、みんな無事にゴイランに戻ってこられたようだ。

 もしクロイデルが命令を無視して襲っていたら、武装放棄させられたメンバーでは太刀打ちできなかっただろう。

「……それで、みんなは?」

 全員の無事を自分の目で直接確かめたかったクロトはジュナに問いかける。

 ジュナはある方向を指差し、端的に答えた。

「全員支部で作業中だ」

「作業?」

 首を傾げるクロトにジュナはもう少し詳しく説明する。

「葬式の準備だよ。人手が足りなくてオレたちも手伝わされてんだ」

「葬式って誰の……あ……」

 言葉の途中でクロトは答えに気付く。

 クロトの言葉を引き継ぐようにティラミスは正解を告げる。

「……カレン会長の部隊の人達ですね」

「ああ、全員死んじまったからな。一応ここで簡略的に弔って、セントレアで正式な葬儀をやるそうだ」

 猟友会狩人の精鋭部隊、その数およそ100名。

 戦艦に乗ってカラビナを目指した彼らだったが、途中攻撃を受けて壊滅し、カレン会長だけが生き残った。

 悲惨な話だ。

 もし彼らよりも早く僕達が出港し、カラビナに到達していれば無駄な犠牲を出さずに済んだかもしれない。

 今の僕ならば簡単に彼らの命を救えたはずだ。が、全ては後の祭りだ。

 そう思うとやりきれない気持ちになる。

 少し感傷に浸っていると、ジュナが突然声を上げた。

「あ、あいつは……ッ!!」

 唐突な声に驚く間もなく、ジュナはいきなりその場から離れてダッシュする。

 何事かと思いクロトはジュナの向かう先に目を向ける。

 ……そこには律葉の姿があった。

(……まずい!!)

 ジュナはまだ律葉のことを敵だと認識したままだ。この後の展開は容易に予想できる。

 クロトは律葉を守るべくジュナを追いかける。

 記憶喪失だった頃の僕では間に合わなかっただろうが、全てを思い出した今は違う。

 クロトは圧倒的なスピードでジュナを追い越し、ジュナが律葉に到達する前に回り込むことに成功した。

 クロトは突撃体勢のジュナを正面から受け止め、両肩を掴んで完全に動きを封じた。

 それでもジュナは動くことを止めず、クロトの手を振り払うべくもがく。

「クソッ!! 邪魔すんなよクロト!!」

 ジュナの手には黒光りする短刀が握られており、先程までと打って変わって殺気に満ち満ちていた。

 クロトは興奮状態のジュナを鎮めるべく、ゆっくりと明瞭な声で説明する。

「大丈夫、彼女は敵じゃないよ」

「敵じゃないって……何言ってるんだクロト!? あいつ、巨人のヒトガタに命令してただろ!!」

「それは誤解だ。彼女は攻撃を止めるように命令してたんだよ。僕らを助けるためにね」

「助ける……」

 ジュナの体から力が抜ける。

 クロトはさらに説明を続ける。

「みんなが無事にカラビナから脱出できたのも彼女のおかげなんだ。“敵”だなんてとんでもない、むしろ“仲間”だよ」

 クロトは説明しつつちらりと律葉を見る。

 律葉はおっかなびっくりしていたが、怯えている様子はなかった。

 ジュナは短刀を懐に戻し、律葉を見ながらクロトに問う。

「それじゃ一体何者なんだ……?」

「彼女は……」

 人類の生き残りだ。と言ってもジュナには理解できないだろう。

 律葉の事を正確に理解するためには、この地球がDEEDという地球外生命体に蹂躙され、100億の人間が殺されたところから説明せねばならない。

 簡単に説明できる話ではないし、簡単に理解できる話ではない。

 クロトは言葉を濁し、肩をつかむ手に力を込めてジュナに告げる。

「……彼女のことやカラビナで何があったか、これから何が起こるのか。そのあたりも含めて色々とみんなに話したいことがあるんだ。とにかく今は支部に戻ろう」

「お、おう……わかった」

 ジュナはクロトの放つ勢いに飲まれてか、戸惑いつつも首を上下に振っていた。

 話がついたところで、クロトは改めて港の出口に視線を向ける。

「よし、それじゃあ支部に行こうか」

 クロトは律葉が追いつくのを待って、手を繋いで歩み出す。

 と、またしてもジュナが声を上げた。

「あ、ヘクスターとフェリクスは外で作業してるんだった……」

 どうやら男二人は別の場所にいるようだ。

 取り敢えず支部に戻ってから彼らにも声を掛けよう……と考えたクロトだったが、珍しくジュナが気を利かせてくれた。

「オレ、二人を呼んでくる。クロトは先に支部に行っててくれ」

「うん、わかった」

「じゃ、またな」

 ジュナは短く告げると踵を返し、出口に向かって走り出す。

 数秒もすると門まで到達し、あっという間に姿が見えなくなってしまった。

(……元気だなあ)

 これまではあまり思っていなかったが、改めて考えるとジュナは僕のことをかなり気にかけてくれているみたいだ。

 でなければ眠りこけるまで港で僕の帰りを待ってくれていたりしない。

 これまでは自分のことで精一杯で、彼女のことは気性の荒い大鎌使い程度にしか思っていなかったが、記憶も力も取り戻して余裕のある今だと彼女のことがより分かる気がする。

 これからも長い時間付き合うことになるだろうし、以後はもっと彼女に気を遣ってあげることにしよう。

 そんな事を考えつつジュナが去っていった方向をぼんやり眺めていると、背後から冷たい声が聞こえてきた。

「……さっきのは何かなあ、真人君?」

 クロトは恐る恐る振り返る。そこには律葉の顔があった。が、表情は極めて険しく、目が据わっていた。

「……さっきのって?」

 クロトの疑問の声に、律葉は相変わらず冷え切った声で返す。

「私の目がおかしくなければあのヤンキー美少女に思いっきりハグされたように見えたのだけれど」

(あー……)

 どうやら浮気だと勘違いされているみたいだ。

 まあ、普通の女性なら恋人が別の女と抱き合う姿を見て平然でいられるわけがない。

 いわゆる嫉妬というものだろうか。

 しかし、その嫉妬は愛情の裏返しでもあるわけで、クロトは危機的状況に瀕しながらも少し喜んでいた。

 ……が、このまま律葉から冷たい視線を受けるのは辛い。

 クロトは一呼吸置いて律葉に弁解する。

「確かに抱きつかれたよ。でもあれは単なる挨拶というか……そもそも不可抗力だったわけだし……ねえ?」

 クロトは庇ってくれることを期待してティラミスに意見を求める。

 ティラミスならば空気を読んで僕の話に合わせてくれるはずだ。

 ……そう思ったクロトだったが、この判断はミスだった。

 ティラミスはジュナが去った方向を遠い目で見つつ、呟く。

「ジュナさん、とても嬉しそうでしたね。涙まで浮かべて……よほどクロト様のことを心配していたんだと思います」

「ティラミス……」

 駄目だ。もう弁解の言葉が見つからない。

「……」

 律葉は相変わらずこちらに冷徹な視線を向けている。

 こういう時の律葉は本当に怖い。

 以前何度か喧嘩したことがあったが、こちらが平謝りしても口を利いてくれるまで3日、機嫌が元通りになるまで1週間、仲直りには10日以上の時間を要した。

 今回はそれどころで済みそうにない。

 ……どうしたものかと思い悩んでいたクロトだったが、律葉は意外にもあっさりと怒りを収めてくれた。

「……まあいいわ」

 律葉は一度目を閉じ深い溜め息を付く。

 再び目を開けたときにはいつも通り……とはいかないまでも、幾分穏やかな表情に戻っていた。

 律葉もティラミスと同じくジュナが去った方向を見つつ告げる。

「形はどうあれ、人とDEEDが共存できる未来が見えたから」

「そうかい……それは良かったよ」

 ――DEEDが人間にハグをする。

 それはお互いに信頼関係を構築できる可能性を十二分に体現していた。

 何より、DEEDに……ジュナに危害を加えられそうになっても、普段通りに振る舞ってくれている律葉の姿は頼もしく思えた。

「……真人」

 名を呼ばれふと気づくと、いつの間にか律葉は両腕を開いて構えていた。

「早く」

 律葉は物をねだる子供のように物欲しげにこちらを見つめる。

 どうやら律葉は自分にもハグしろと言いたいらしい。

「……わかりましたよ、お姫様」

 若干恥ずかしいが、これで律葉の嫉妬心が収まるのなら易いものだ。

 クロトは1歩2歩と律葉に歩み寄り、律葉のうなじに顔を埋めるようにして優しく抱擁した。

 律葉もこちらの背中に手を回し、ぎゅっと体を密着させる。

 体温が、鼓動が、そして体の柔らかさが伝わってくる。それは懐かしい感触であり、クロトは自分の心が温かい何かで満たされていくのを実感していた。

 やはりジュナとは違う。

 ジュナが劣っているというわけではないが、やはり最愛の人との触れ合いは格別だ。

 クロトは律葉は自分にとってとても特別な存在なのだと、今更ながら再認識していた。

 律葉は耳元で呟く。

「嫉妬深い女でごめんなさいね」

「いや、嬉しいよ」

「そう……」

 律葉は満足したのか、十数秒ほどで抱擁を止めてクロトから離れる。

 表情はさっきまでの冷たい目が嘘だったかのように柔らかくなっており、超ご機嫌な様子だった。

「さて、言葉は全くわからなかったけれど、雰囲気から察するに仲間が集ってる場所に行くんでしょ? 早く行きましょ」

 律葉は一方的に告げると出口に向かって小走りで駆けていく。足取りは軽く、その仕草からも元気が見て取れた。

 現金なものだ。

(それは僕も同じか……)

 律葉と抱き合っただけで満たされた気分になった僕も、彼女とそう大して変わらない精神構造なのだろう。

 自身の精神の単純さを再認識していると、不意に背後からシャツの裾を引っ張られた。

 振り返り下を見ると、そこにはティラミスの姿があった。

「クロト様、私も……その……」

 ティラミスは体をもじもじさせており、若干頬も染まっていた。

 彼女も律葉と同じようにハグして欲しいのだろう。

 本当に可愛い少女だ。……が、今ここでティラミスの要求を受け入れたら律葉にまた何か言われるかわかったものではない。

 クロトはティラミスの頭をポンと叩き、そのまま撫でる。

「また今度ね」

「……はい」

 ティラミスは不満そうにしていたが、それ以上駄々をこねることはなかった。

 自制心のあるいい娘だ。こんな少女に慕われている僕は幸せものである。

「さあ、僕達も急ごう」

 クロトはそう告げると改めて体を港の出口に向け、律葉の後を追いかけることにした。



 猟友会ゴイラン支部

 港からそう遠くない場所にある3階建ての建物は、普段とは違い静寂な雰囲気に包まれていた。

 いつもなら壁越しにでも狩人たちの陽気な話し声やグラスを打ち付け合う音が聞こえてくるのだが、今はしんとしている。

 やはり精鋭100人が死んだとあって、そんな雰囲気ではないのだろう。

 いわゆるお通夜ムードというものだろうか。

 日も沈み、建物の窓からはランプの明かりが漏れている。

 石畳を照らす控えめな明かりを眺めつつ、クロトは支部の入り口の前に立つ。

「律葉、何度も言うようで悪いけれど……」

「わかってる。真人の指示に従う、目立った行動はとらない。……でしょ?」

 そう答える律葉は特に緊張している様子はなかった。むしろ中で何が起きるのか、ワクワクしているようだた。

 恐怖よりも好奇心が勝っている……研究者という人種はみんなこうなのだろうか。

 本当に肝が座っている。頼もしい限りだ。

「うん。さっきみたいにいきなり襲われるかもしれないからね。くれぐれも注意してね」

「大丈夫。もしそうなっても守ってくれるんでしょ?」

「勿論だよ」

「命に代えてもお守りします」

 意気揚々と言い放ったのはティラミスだった。

 ティラミスは既に律葉の正面に陣取っており、ガードマンのごとく振る舞っていた。

 ジュナはともかく、リリサやモニカ、それにヘクスターは冷静だ。万が一にも何も事情を聞かないまま律葉を攻撃することはないだろう。

 問題はフェリクスだ。問答無用で律葉を狙う可能性もある。が、一人だけならティラミスだけで十分だろうし、いざとなれば僕の力で何とでもなる。

(……よし)

 覚悟が決まったところでクロトは支部の扉を開き、中に入った。

 すると、左側に食堂、右側に事務室を確認できた。

 食堂は閑散としていて、テーブルに狩人の影はない。事務室には普段通りスタッフがいたが、全員忙しいようで、デクスに向かって黙々と仕事をしていた。

 クロトは窓口に移動し、スタッフに声を掛ける。

「あのー、すみませーん」

 クロトの呼び出しの後、少し遅れて男性スタッフが顔を出した。

 彼も仕事に忙殺されているのか、疲れ顔で動きも緩慢だった。

「あー、はいはい」

 疲弊しきった返事をしつつ、男性スタッフはカウンターに着く。

「すみません、リリサ・アッドネスは今どこに?」

「……そちら様は?」

 男性職員は怪しい目をこちらに、そして後方にいる律葉とティラミスに向けていた。

 まあ、いきなり見知らぬ人間が狂槍のアッドネスの名を口にすれば怪しまれるのは当然だ。

 クロトは遅れて自己紹介する。

「上級狩人のクロト・ウィルソンです。カラビナの調査から戻ってきたのですが……」

「し、失礼しました」

 こちらが名乗った途端、男性職員は態度を急変させた。

 一応僕も支部の職員に名を知られているくらいには有名らしい。

 男性職員は背筋を伸ばし、改めて先程のクロトの問いに答える。

「狩人の方たちは今地下で遺品の整理をしています。アッドネスさんもそこにいるかと」

「遺品の整理?」

「ええ、本来は我々の仕事なのですが、今は此度のカラビナへの大規模遠征調査で得られた情報の整理と本部への報告書の作成で忙しいもので……」

 クロトは窓口越しに事務所内を見る。

 確かに、全員仕事に追われているようで、デスクの上には羊皮紙が山積みになっていた。

 狩人も大変だが、彼らも違う意味で大変みたいだ。

「地下だね、ありがとう」

 情報を得られたところでクロトは礼を言い、地下の入口に足先を向ける。

 ティラミスと律葉もクロトの後を追い、支部内を移動し始める。

 支部の地下は本来はディードの……いや、クロイデルの解体場だが、遺品整理のために一時的に開放されているみたいだ。

「どこに行くの?」

 背後から律葉に問われ、クロトは前を向いたまま応じる。

「地下室だよ。そこにみんな集まってるみたいだ」

「そう、ようやく会えるのね……」

 相変わらず律葉の声は興奮気味だった。もう少し緊張してほしいものだ。

 通路を歩いている間、律葉はふと不満を漏らす。

「しかし言葉がわからないのは不便ね……というか不思議ね。そこらかしこに本が残されていたんだから、英語か中国語を喋っていてもおかしくないと思わない?」

「彼らはゼロから文明をスタートさせたんだ。本があっても読めるわけがないだろう」

「言われてみればそうね……翻訳機を作るにしても時間がかかりそうね」

 隼のテレパスなら言葉や文字など関係なく直接思考を読み取るので通訳として最適な人材なのだが、あいにく彼は別の仕事で忙しい。

 今回は僕とティラミスが通訳役を買って出るしかないだろう。

 そう考えていたクロトだったが、ティラミスは異を唱える。

「そうでもありませんよ律葉様」

 ティラミスは律葉を見上げ、言葉を続ける。

「発音はともかく、文字と文法は英語にかなり似ています。私が簡単にマスターできたくらいです。律葉様なら数日足らずで日常会話レベルなら問題なくできるようになると思います」

「無理無理。私、文系科目はてんで駄目だから……」

 学生時代、律葉は理数系は得意だったが、国語や英語は大がつくほど苦手だった。

 逆に僕は文系科目や日本史世界史地理は得意だったので、よく勉強を手伝ったものだ。

(勉強か……)

 4人で図書室に集まって勉強会を開いていた頃が懐かしい。

 一番頭が良かったのは玲奈で、全国模試でも常にトップクラスだった。

 律葉も国語や英語以外は完璧で、科目別ランキングでは上位に名を連ねていた。

 逆に僕や隼は勉強が大の苦手で、女子二人からは毎日のようにスパルタ教育されたものだ。

 僕が士官学校に入学できたのも、ガリ勉女子二人の指導の賜物だ。

 隼も二人に教育されて学内の模擬テストでは良い点を取っていたのだが、結局受験も試験もすることなく米国のPMCにスカウトされ、その成果を発揮することができなかった。

 まあ、隼が問題なく渡米できたのも、英語の勉強をしっかりやっていたおかげで……

(英語……あ)

 英語というワードで、クロトは大事なことを思い出し、律葉に告げる。

「スヴェンは英語を話せてたんだ。一般人はともかく、カミラ教団のお偉いさんはみんな喋れると思う。だから交渉の時も英語で大丈夫だと思うよ」

「そうなの? なら安心ね」

 その教団のお偉いさんと会えるかどうか、全てはモニカにかかっているわけだが……

 とにかく今はメンバーに事情を話すことに専念することにしよう。

 言語について会話をしているとあっという間に地下室につながる階段まで到達し、3人は地下へ降りていく。

 ひんやりとした空気が前方から後方へ抜けていく。

 日はとうに暮れていく。これからもっと寒くなることだろう。

 無言で階段を降りると、3人はようやく地下室に到達した。

 地下室には解体用の器具がずらりと並べられており、天上からはフックが、壁には大きなノコギリやナタが掛けられていた。

 懐かしい光景だ。昔、アイバール支部の解体場で小型クロイデルの血抜きや皮剥をやっていた頃を思い出す。

 そう言えばシドルさん、元気にやっているだろうか。

 そんな呑気な事を考えていると、明るい声が室内に響き渡った。

「みんな、クロトとティラミスが帰ってきたぞ!!」

 それはジュナの声だった。

 クロトは地下室の入り口に立ち止まったまま、奥に視線を向ける。

 暗い部屋の奥、そこにはいつも通りの面子が揃っていた。

「遅かったじゃねーか。待ってたんだぞ」

 いの一番に駆け寄ってきたのはジュナだった。

 どうやらこちらがのんびりと支部に向かっている間にフェリクスとヘクスターを呼び戻してくれたようだ。仕事が早くて助かる。

 ジュナは嬉しげな表情をこちらに向けていたが、港での一件を思い出したのか、すぐに視線を逸らして黙り込んでしまった。

 そんな短い沈黙を破ったのは男性の声だった。

「おお、よく戻ってきましたね。流石はクロトさんです」

 次にやってきたのはヘクスターだった。

 暗い中でも彼の短い金髪は目立っており、すぐに彼だと判断することができた。

「俺は信じていましたよ。ドラゴンを素手で倒したあなたがそう簡単に死ぬわけがありませんからね」

 ヘクスターはこちらの手を握り、ブンブンと上下に振る。

 そんなヘクスターに遅れてやってきたのはモニカだった。

「クロトさん、無事で何よりです」

 モニカはヘクスターを横に押しやり、挨拶も程々に早口で告げる。

「……で、カラビナの中はどうだったのですか? できれば記憶が鮮明なうちにお話を伺いたいのですが」

 モニカの手にはペンとメモ帳が握られており、グレーの双眸はキラキラと輝き、探究心に満ち満ちていた。

 相変わらずと言うか何というか、もうちょっと再会を喜んでほしい気もする。

「よう、やっぱり生きてたか」

 モニカに続いて現れたのはオールバックがよく似合う双剣使い、フェリクスだった。

 フェリクスはクロトの真正面に立つとポケットに両手を突っ込み、明らかに不機嫌な様子で話し始める。

「カラビナでのこと、俺たちには分からねー事だらけだ。ヒトガタ相手に知らない言葉で話しだしたかと思えば、武器が勝手に手から離れるわ空から巨人は現れるわ……全然わけがわわからねー。……モニカさんが中心となってお前とティラミスのことについて色々と推論してくれたが、どれもしっくりこなかった。……きちんと説明してくれるよな?」

「ああ、そのために戻ってきたんだ」

 今こそ彼らに真実を話す。

 全部理解してくれるとは思えない。が、話す必要が、話す義務がある。

「じゃあ早速教えて……ッ!?」

 フェリクスは言葉の途中で何故か動きを止める。

 そして、驚愕の表情でクロトの後方を凝視していた。

 フェリクスの視線の先……そこには律葉がいた。

「その女、あの時の……!!」

 フェリクスは警戒心を露わにし、腰に提げていた双剣を瞬時に抜刀する。

 そして、その矛先を律葉に向けた。

(やっぱり……)

 予想通りの展開になってしまった。

 モニカやヘクスターも律葉の存在に気付いたようで、身構えていた。

 さて、どう説明したものか……

「死ね!! ヒトガタ野郎が!!」

 頭に血が登っているようで、こちらに考える暇も与えることなく、フェリクスは剣を振り上げる。

 仕方なくクロトは黒の粒子でフェリクスを拘束しようとした。

 ……しかし、クロトが動く前にティラミス、そしてジュナがすぐに間に割って入った。

「この人は敵じゃありません!!」

 叫びつつ、ティラミスは素手でフェリクスの双剣を握って動きを止める。

 そして、その隙にジュナがフェリクスの腹部に拳を入れた。

 その拳には相当に力が込もっていたようで、フェリクスは即座にその場に沈んだ。

 ジュナは間髪入れずフェリクスの後頭部を足で踏みつけ、告げる。

「落ち着けよ馬鹿野郎が。この女はクロトが連れてきたんだ。敵なわけ無いだろ」

「……」

 フェリクスはかなりのダメージを受けたらしい。何も言い返すことなく床に突っ伏していた。見ているこっちが気の毒になってくる。

 ジュナやティラミスに反撃される前に黒の粒子で拘束してあげられなかったのが悔やまれる。

 この有様を見て律葉は残念そうに呟いた。

「……ここまで歓迎されないとは思ってなかったわ」

「仕方ないよ。彼らにとって君は未知の存在だからね。説明するのにも時間がかかりそうだ」

 クロトの言葉を聞いてもなお、律葉は不安げに続ける。

「……仲良くなれるかしら」

「なれるさ。僕が保証するよ」

 事情さえ理解してもらえれば問題ないと思う。それ以前にここにいる皆は根はいい人たちばかりだ。律葉が真摯に交流を求めれば、優しく対応してくれるだろう。

 クロトはフェリクスを止めてくれた二人に礼を言う。

「ティラミス、ジュナ、ありがとうね」

 方法は乱暴だったが、僕が力を使っていれば皆に大きな不安を与えたかもしれない。

 その可能性を考えると二人の取った行動は結果的にはよかった。

 何より、真っ先に身を挺して律葉を守ってくれたことに心から感謝していた。

 クロトからの感謝の言葉に、ジュナとティラミスは軽く応じる。

「礼には及びません。律葉様を守るのが私の仕事ですから」

「感謝されるいわれはねーよ。何も考えてねー単純馬鹿に鉄槌を下してやったまでだ」

 ティラミスはフェリクスの双剣を地面に投げ捨て、ジュナは未だにフェリクスの頭を踏みつけていた。

「ジュナ、そのくらいにしておきなよ……」

「わかったわかった」

 ジュナはクロトの言葉に従い、フェリクスから足を退ける。

 クロトはフェリクスの傍らにしゃがむと体を起こし、肩を揺する。

「大丈夫かい、フェリクス」

 フェリクスは鼻血を袖で拭い、フラフラしながらも自立する。

「……大丈夫だ」

 明らかに大丈夫ではないが、彼も狩人だ。すぐに回復するだろう。

 クロトはフェリクスの肩から手を放すと、改めて地下室内を見渡す。

「取り敢えずメンバーは集まってるみたいだね」

 リリサにモニカにジュナにフェリクス、そしてヘクスター。説明を要するメンバーは全員この場にいる。

 唯一リリサだけが何も言葉を発していなかったが……クロトは特に気にすることなく前置きを始める。

「みんな、これからこの世界が今どんな状況に置かれているか詳しく説明したいと思う。理解できないところも多々あると思う、信じてもらえるかどうかも分からない。けれど、最後まで聞いてくれるかな」

 全員興味深そうにこちらを見ていた。特にモニカは興味津々な様子で、メモ帳を片手に構えていた。

 よし、説明を始めよう。……そう思った矢先、今まで沈黙をつらぬいていたリリサが不意に言葉を発した。

「待ってクロ。あんたの説明より私の質問が先よ」

 リリサは凛とした声で告げ、前に出る。

 暗い地下室内でもリリサの透明な長髪ははっきりと浮かび上がっており、ランプの光を受けて綺麗に輝いていた。

 リリサは琥珀の双眸でクロトを見つめ、言葉を続ける。

「確認だけど、記憶戻ったのよね」

「うん、完全に」

「じゃあ教えて」

 リリサはさらに前に出て、クロトを指差す。

「私の父親……スヴェン・アッドネスについて」

 スヴェンの名を聞かされ、クロトは今更ながら思い出す。

 彼女が僕とともに旅を始めたのは、父親の手がかりを得るためだ。

 記憶を取り戻した今、僕には彼女にスヴェンについて全て教える義務がある。

 リリサは矢継ぎ早に質問を開始する。

「父は今どこにいるの? 死んでいるの? 生きているの? そもそも面識があったの?」

 リリサは少しでも早く父親についての情報が知りたいようで、若干早口になっていた。

 焦るリリサにクロトは落ち着いた言葉で応じる。

「ああ、面識どころじゃない。彼とは腹を割って話し合える間柄だったよ」

「じゃあ、知ってるのね!?」

「よく知っているよ。スヴェン・アッドネス……彼は実に真摯で好奇心に満ちた素晴らしい狩人だったよ」

 リリサは父親の手がかりを掴めたことで嬉しげな表情を浮かべていたが、何か引っかかりを覚えたのか、すぐに訝しげに眉をひそめた。

「素晴らしい狩人……“だった”?」

(しまった……)

 クロトは自分の失言に反省する。

 これではまるでスヴェンが既に死んでいると誤解させるような言い方だ。

(……いや、違うか)

 誤解ではない。彼は既に死んでいる。

 どちらにせよスヴェンの死は伝えねばならないことだ。

 有耶無耶にするつもりはない。ただ、いきなり彼が死んでいると伝えるのは(はばか)られた。

「“だった”ってどういうことよ。それってつまり……」

「……リリサ、落ち着いた場所で話そう」

 スヴェンについて語るにはこの場所はふさわしくない。それに、スヴェンについては僕とリリサの問題だ。

 いくらメンバーでもあまり聞かせたい話じゃないし、リリサも聞かれたくないはずだ。

 リリサはそんなクロトの考えを汲んでか、あっさりと提案に乗った。

「そうね。2階に行きましょうか……」

 クロトはみんなへの説明を後回しにすることにし、リリサと共に2階へ向かおうとする。

 が、モニカがそれを許してくれなかった。

「ちょっと待ってください。今は説明が先だと思います」

 モニカはクロトに訴える。

「私たちは不安で仕方がないんです。……一体全体なにがどうなってるんです? あの場所で何が起きたんです? 彼女は何者なんです? これから何が起きるんですか?」

 モニカ以外のメンバーも彼女と同意見らしく、真面目な表情をこちらに向けていた。

 モニカの言うこともよく分かる。しかし、それでも、今はリリサの件が最優先だ。

「……みんなが不安な気持はよく分かる。でも僕はリリサに彼女の父親について説明する義務があるんだ。リリサもこんな状態じゃ僕の説明をまともに聞けないと思う。だから先にリリサとの約束を果たさせて欲しい」

 それだけ告げるとクロトは改めて上階への階段へ向かう。

 すると、モニカに続いてフェリクスも文句を告げた。

「だから、今はそんな約束より状況説明のほうが先だって言ってんだよ。モニカさんの意見は正しいと思うぜ、俺は」

 もう回復したのか、フェリクスはダッシュで移動し、階段の前に立ちふさがる。

 クロトはフェリクスに重ねて告げる。

「悪いね。どうしてもこればっかりは譲れないんだ」

「……納得できねーな」

 フェリクスは壁に掛けてあった解体用の包丁を手に取り、その切っ先をクロトに向ける。

 瞬間、ティラミスがフェリクスに向かって動こうとする。が、クロトはティラミスを手で制した。

 フェリクスは包丁を持ったまま言葉を続ける。

「手練の狩人が100人以上死んでるんだ。カラビナで何が起きたのか、説明するのが先なんじゃないか」

 彼の言うことももっともだ。理解もできる。

 しかし、今はリリサとの約束を果たすのが先だ。というか、きちんとスヴェンについて話さないとリリサが納得しないし、そうなれば落ち着いて説明できる気がしない。

 クロトはフェリクスの目前まで移動し、短く言葉を発した。

「くどいよ、フェリクス」

 クロトはフェリクスの目を真正面から見つめる。

 クロトにとってはただ見つめただけだが、フェリクスはその視線から並々ならぬ威圧感を感じたのか、ゆっくりと包丁を下げ、床に落とした。

「……お前、変わったな」

「変わってないよ。元に戻っただけさ……じゃ、しばらくリリサと話をしてくるね」

 クロトはフェリクスの横を通り抜け、階段に足をかける。リリサもその後に続く。

 そのまま2階へ向かうつもりだったが、クロトはふと止まりティラミスに告げる。

「……ティラミス、何もないと思うけれど、もし何かあったら律葉の事をよろしく頼むよ」

「任せて下さい。クロト様」

 満面の笑みでクロトからの指示を受けたティラミスに対し、律葉は少々不安げな様子だった。

「真人……」

「大丈夫。すぐ戻るから」

 クロトは律葉を不安がらせぬよう、笑顔で手を振る。

 律葉も手を振り返してくれたが、表情が変わることはなかった。

「クロ、早く行くわよ」

「はいはい」

 リリサに急かされ、クロトは改めて階段を上り始める。

 スヴェンの話を聞いてリリサはどんな反応を見せるのだろうか……。

 僕の事を恨むだろうか。それとも父の死を知って嘆き悲しむだろうか。

 恨まれる覚悟はできている。が、嘆き悲しむリリサの姿は見たくない。

 どちらにせよ辛い時間になるだろう。……そう思うクロトだった。

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