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天球のカラビナ  作者: イツロウ
07-覚醒者の選択-
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 検疫室を出てから2時間後

 クロトは洗浄室から出て待機室にいた。

 “待機室”と聞いた時はワンルームマンション程度の広さくらいかなと思っていたが、クロトの予想に反して待機室はかなり広かった。

 奥行き、幅ともに目測で20m。高さは8mはあるだろうか。

 4人を待機させるには十分すぎる広さがあった。

 ……が、快適とは言いがたかった。

 床、壁、天井は白一面に染められ、窓は一つもない。室内には椅子どころか何もなく、白だけが支配している。対比物がないせいで遠近感がおかしくなりそうだ。

 おまけに天井の四隅には監視カメラが設置されており、寛げそうにはなかった。

 そんな室内にて、クロトは隼と二人で時間を潰していた。

「真人、お前の番」

「ん? ああ……」

 二人はクロトが黒の粒子で作り出した53枚のカード……トランプでババ抜きをしていた。

 黒の粒子……

 クロトの能力の代名詞でもある。

 自由自在に形を変えられ、盾にも剣にも、そして鎧にも姿を変化させられる。

 一粒一粒は視認できないほど小さいが、集合させて密度を上げればダイヤモンド以上の硬度を実現させられる。

 記憶を取り戻した時はこの黒の粒子を再び操れるか不安だったが、それは杞憂に終わった。

 現在も53枚のカードを形成し、完璧にその形状を維持できている。

 ちなみにこちらの手札は1枚、隼の手札は2枚。最終局面である。

 ババを引く確率は2分の1だ。

 クロトは気負うことなくカードを隼の手札から一枚取り、絵柄を確認する。

 ……ババである。

「次は俺な」

 クロトがため息を付く暇もなく、隼はPKでババじゃない方のカードを取り、手札に加える。

 そして満面の笑みで告げた。

「俺の勝ちー」

 隼は同じ数字のカード2枚を床に放り投げ、勝ちを宣言した。

「はぁ……」

 クロトはババを床に投げると同時に黒の粒子の能力を解除し、53枚のカードは空気に溶け込むように霧散した。

 自らの運の悪さに落胆しつつも、クロトの視線は隼に……隼の体に向けられていた。

 洗浄室から出た後、二人は兵士から手渡された服に着替えていた。

 白いワイシャツに黒いスラックス。実にシンプルな格好である。

 クロトは普通に似合っていたが、隼はそうではなかった。

 ……というか、似合う似合わない以前の問題だった。

 隼の体は“光って”いたのだ。

 不気味な赤の光。それは心臓を中心に放射状に広がり、上は喉元まで、腕も脚も指先まで伸びていた。そしてそれは白いワイシャツ越しに脈打つように点滅していた。

 クロトの視線を感じてか、隼は思い出したように呟く。

「あ、そういや俺の体を見るの初めてだったか……」

「その光って、やっぱり……」

「おう、改造手術を受けた時の影響、というか後遺症だな。今俺の体には血液の代わりにネクタルっていう物質が巡ってるんだが、そのネクタルが光ってるんだよ。俺は目立ちたがり屋だが晒し者になるのは嫌だからな。だから黒いコートを着てたってわけだ」

「なるほど……」

「それに、作戦行動中にこんなに光ってちゃ敵のいい的だろ?」

「確かにそうだね……」

 隼は自らの体を眺めつつ気さくに告げていたが、黒のコートで全身を覆い隠していた事を考えると、赤く脈打つ光に少なからずコンプレックスを抱いているのではないだろうか。

 だが、クロトはそれ以上この話題に触れるつもりはなかった。

 多かれ少なかれ、僕達のような“人間をやめた”人間は悩みを持っている。

 隼は自分なりに折り合いをつけているようだし、ここで同情するような言葉をかけるのは筋違いというものだ。

 トランプを終えると隼は「んー」と伸びをしてそのまま仰向けに寝転ぶ。

「それにしても律葉達遅いな。もう2時間経つぞ?」

「別の部屋にいるんじゃない?」

「いや、それはない。隔離室はここしかないってテレパスで兵士から読み取ったからな」

「本当に便利だね、隼の能力」

「お前ほど強力じゃないけどな」

 隼の情報が確かだとすると、2時間も遅れているのはおかしい。

 何かトラブルでもあったのだろうか。

 もしかして、ティラミスが暴れて大事件でも起こっているのではなかろうか。

「隼、テレパスで状況を確認してくれない?」

「できるならやってる。……どうもこの部屋、電磁妨害装置があるみたいでな。外の様子は全くわからん」

「そうかい……」

 強引にこの部屋を出て状況を確認することもできなくはないが、それはブレインメンバーの信頼を失うことになる。

 信頼を失えば3000万の労働力の件も話を聞き入れてもらえないかもしれない。

 そもそも僕は未だに不穏分子の烙印を押されたままだ。次に何かをしてしまえばこのまま宇宙空間に放り出されるかもしれない。

 ま、宇宙に出ても死なない自信はあるのだが……

「ほら、無駄なことは考えずに楽にしていようぜ。次はポーカーでもやるか?」

「……」

 なるようにしかならない。

 そうクロトが気持ちを切り替えた時、タイミングよく隔離室の扉が開いた。

「クロト様ー!!」

 バタン、と豪快な音と同時に室内に飛び入ってきたのはティラミスだった。

 ティラミスは検査着から白のショートワンピースと膝丈のレギンスに着替えていた。

 どうやら服を返してもらったようだ。

 やはり浅黒い肌と白のコントラストは実に見事だ。よく似合っている。

 ……などと思っている間もティラミスは一直線にダッシュしていき、胡座をかいて座っているクロトの脇腹に突撃した。

 クロトは勢いに負けて豪快に倒れるも、ティラミスは全く気にせずそのままひっしとしがみついて完全にホールドした。

「相変わらずすごい懐かれっぷりね」

 その様子を見て呆れ口調で告げたのは律葉だった。

 律葉も検査着から着替えており、長袖のポロシャツに黒のスラックス、その上に白衣を纏っていた。

 律葉は白衣のポケットに両手を突っ込み、落ち着いた様子で隔離室内に足を踏み入れ、言葉を続ける。

「その娘、私といる間もずっと真人のこと気にしてたわよ。どうやって手懐けたの? まさか、洗脳でもしてるんじゃないでしょうね……」

「犯罪者を見るような目で見ないでよ……」

 確かにティラミスの僕に対する忠義心は半端ない。が、僕からは何もしていない。ティラミスが勝手に僕のことを慕っているのだ。

 命の恩人であることは間違いないが、それにしても行き過ぎている気がする。

 他になにか要因でもあるのだろうか。

 ティラミスに抱きつかれつつそんなことを考えていると、隼が律葉に文句を垂れた。

「律葉、待たせ過ぎだぞ」

「女の子は色々と時間がかかるのよ」

「色々って……シャワー浴びるだけで何で2時間も掛かるんだよ」

 やはりトラブルがあったのだろうか。

 隼とクロトの疑問に答えたのは律葉ではなく、室内に入ってきた3人目の女性だった。

「実はその娘について……ティラミスについて色々と調べていたのよ」

 タブレット端末片手に現れたのは黒の長髪の女性、玲奈だった。

 先程エレベーター内で声は聞いたが、姿を見るのは久しぶりだ。

 相変わらず目元は前髪で隠れており、少々猫背気味だ。

 服装は黒いタートルネックシャツにグレーの膝丈のタイトスカートを履いており、その上から白衣を纏っていた。一目見て科学者だとわかる格好だ。

 玲奈はパンプスの靴底で床をコツコツと鳴らしながら近付いてくる。

 やがて1mほどの距離になると玲奈は足を止め、長い前髪を手櫛で弄りながら視線を隼とクロトに向けた。

「久しぶり……って表現が正しいのよね、あなた達にとっては」

 玲奈はじっくりと二人を観察しつつ、言葉を続ける。

「2000年経っても外見に変化なし、性格も全然変わってない。本当に自分が冷凍睡眠していたのか疑わしく思えてくるわ……」

 悩ましい表情を浮かべる玲奈に隼は言い返す。

「そっちこそ変わってなさそうで安心したぞ。冷凍睡眠後に何らかの障害をきたす人間もいるって聞いてたからな」

「そのあたりは大丈夫。私も律葉もバイタルチェックしたけれどどこにも異常なかったから」

「それはよかった……」

 下手をすれば障害どころか永眠する可能性もあったはずだ。クロトは二人が健康であることに安堵していた。

 冷凍睡眠装置の開発者もまさか2000年もこの装置を動かすことになるとは想定していなかったはずだ。にも関わらず二人は健康体なのだから、開発者は余程優秀な人間だったに違いない。

 玲奈はタブレット端末に目を落とし、告げる。

「ちなみに、真人も隼も異常はなかったわ……というか、普通の人間に比べたら異常なのには変わりないけれど……。まあ、とにかく1200年前のバイタルデータとほぼ数値は変わってない。真人のDEED因子もちゃんと機能しているし、隼のネクタルにも劣化は認められない。安心していいわよ」

 玲奈の報告に対し、隼は面倒くさそうに言い返す。

「そんなこと言われなくてもわかってるっつーの。自分の体は自分がよくわかってる」

「はいはい。とにかく検査結果の報告はしたわよ。詳しいデータが知りたければ後でチェックしてね」

「ありがとう玲奈」

「どういたしまして。……それよりその娘についてなんだけれど、いいかしら?」

 玲奈の視線はティラミスに向けられていた。

 どうやらティラミスについて色々と説明したいことがあるらしい。

 クロトは未だ離れる気配がないティラミスに告げる。

「ティラミス、今から君について重要な話があるらしいんだけれど……」

「私について……?」

「そう、玲奈が……そこにいる天才博士がティラミスについて興味深い発見をしたらしいんだ。しっかり話を聞きたいから取り敢えず離れてくれないかい」

 抱きつかれて寝転んだまま真面目な話を聞ける気がしない。

 ティラミスもそれを分かってくれたのか、力を弱めるとゆっくりと離れ、ちょこんと正座する。

 ティラミスから開放されたクロトは一旦上半身を起こし、そのまま立ち上がる。

 クロトが立ち上がると同時にティラミスも立ち上がり、例のごとくクロトの隣にピタリとくっついた。

 態勢が整った所で、クロトは改めて玲奈に告げる。

「……で、どうだった?」

 玲奈は再びタブレット型端末に目を落とし、説明し始める。

「まず身元を洗い出すために当時手に入れた世界中の個人情報……正確には米国の諜報機関が極秘裏に入手したデータベースと照合したのだけれど……ライブラリ内に彼女に関するデータは確認できなかったわ」

「……つまり?」

「彼女は2000年前には存在していなかったってこと。もしくは法的に存在しない人間だったか……とにかく、身元を証明するものが見つからなかったのよ」

「そうかい……」

 出身地や両親の名前が判明すれば記憶を取り戻す手掛かりになるかと思ったが……残念である。

 兵器に改造されるくらいだから個人情報を抹消されていても不思議ではないが、それでもやはりこういう事実を突きつけられると虚しいものだ。

 しかしこれが本題では無いようで、玲奈はさらっと流して言葉を続ける。

「彼女がDEEDと人間のハイブリッドって事は聞いていると思うけれど……。実は彼女、真人と同じDEEDマトリクス因子を持っていたのよ」

「!!」

 この言葉はクロトにとって衝撃的だった。

 同じような人体実験が行われていたこと知っていたが、まさか同じDEEDマトリクス因子が使われていたとは思いもしなかったからだ。

「本当かい!?」

 驚くクロトに律葉は告げる。

「最初は私も驚いたわ。でも間違いなく玲奈の言う通りよ」

 DEEDマトリクス因子は北海道に落ちた隕石から採取されたものだ。このサンプルは律葉の所属する研究グループしか持っていないはずだ。

 ……一体どういうことだろうか。

 クロトが悩んでいる間、隼はティラミスとクロトを交互に指差し疑問を告げる。

「ということは……この娘は真人と同じ能力を持ってるのか?」

「いえ、そこまでは分からないわ。……でも真人の場合と違って彼女は先天的にDEED因子を組み込まれた可能性が高いわ」

 玲奈の言葉を聞き、律葉は呟く。

「デザイナーチャイルド……」

「誕生の段階で遺伝子操作を行っていたってことか……」

 恐ろしい話だ。

 ティラミスは選択の余地もなく生体兵器としてこの世に生み出された。

(そうか、だから個人情報がどこにも存在していなかったのか……)

 この事実をティラミスが知ったらどんな反応をするだろうか。

 クロトはちらりとティラミスの表情を窺う。が、話をよく理解していないようで、きょとんとしていた。

 玲奈の話は続く。

「どこの国か機関かわからないけれど、彼女が日本語を話せていることから推察するに日本人が関与しているのは間違いないわね。あと、記憶が無いのも育成段階で研究施設がDEEDに襲撃されたからかもしれない。それとも先見性がないと判断されて計画自体が凍結されたか……」

「でも、どうして今になって彼女は現れたの? この2000年間どこにいたのかしら」

「ティラミスは浜辺に打上げられていたんだ。……もし研究施設がDEEDに襲われたのだとしたら、その拍子に海に投げ出されて底に沈んで、眠っていたのかもしれない。それが何かの拍子に浮上して浜辺に打ちあげられたのかも」

「そんな偶然あるか?」

「まあ、そのあたりは推論の域を出ないけれど、彼女が人とDEEDのハイブリッドである事実に間違いはないわ」

 玲奈はそう言うとタブレット端末から目を離し「ふう」とため息をつく。

 そして、顎に手を当て改めてティラミスを見つめる。

「あとこれは私の個人的な推論なんだけれど……同じDEEDマトリクス因子を持っているからティラミスは真人のことを慕っているんじゃないかしら」

「……なるほど」

 ティラミスにとって僕は命の恩人だ。

 親しみや畏敬の念を抱くのも当然である。が、それを考慮しても彼女の忠義心は異常だ。

 どうして僕のことを異常なまでに慕っていたのか、この玲奈の推論なら腑に落ちる。

 律葉も玲奈の意見に同意したらしく、こちらに向けて告げる。

「そうよね。広義的に考えればあなたたち、兄妹ってことになるものね」

「兄妹か……」

 僕は一人っ子なので妹がどういうものなのかわからない。しかし、ティラミスに対して家族愛的な感情を抱いているのは確かだ。

 そういう意味では“兄妹”という関係性はしっくりくるかもしれない。

 ティラミスもこの話題は理解できたのか、クロトの顔を暫くの間見上げ、声を発した。

「クロトお兄様……」

 ティラミスは笑顔で告げ、嬉しそうに尻尾を振っていた。妹というポジションに大変満足しているようだ。

 この笑顔は反則的に可愛く、それは緊張していた場の空気を一気に和らげた。

「……じゃあこの娘は将来的には律葉の妹にもなるってことだな」

 早速隼がクロトと律葉を茶化す。

 遅れて意味を理解したのか、律葉は隼に言い返す。

「何冗談言ってるのよ隼……」

「いや、真人と律葉が結婚すればこの娘は義理の妹になるだろ?」

「だから、そもそも真人とこの娘は遺伝的性質が同じだって言うだけで、法律的には妹でもなんでもないというか……」

 しどろもどろに説明する律葉を他所に、ティラミスは純粋な疑問を隼にぶつける。

「あの……義理の妹とか結婚とか……どういう意味ですか?」

 隼はティラミスの隣に膝をつき、クロトと律葉を指差す。

「こいつとあのお姉さんは恋人同士なんだ。だから、結婚したらお前はあのお姉さんの義理の妹になるってわけだ。わかるか?」

「なるほど、そういうことですか……」

 ティラミスは説明を聞くと、不意にクロトから離れて律葉の元へ歩み寄っていく。

 そして、正面まで移動すると、ごくごく自然な動作で律葉の白衣にそっと触れ、上目遣いで言葉を告げた。

「お姉様……」

「うっ……」

 唐突な愛くるしい言動に律葉は思わず声を漏らす。

 その言動には害意も悪意も微塵もなく、ただ純粋な好意だけで構成されていた。

 この攻撃(?)に耐えられるわけもなく、律葉は本能の赴くまま行動をとった。

「ああ、もう、この娘可愛すぎるでしょ……」

 律葉はそう言いつつティラミスをガバッと抱きしめる。

 体重の軽いティラミスは簡単に抱き上げられてしまい、ティラミスはいきなりの抱擁に若干戸惑っている様子だった。

 そんな微笑ましい光景を眺めつつ、クロトは安堵していた。

 ティラミスに関する情報が得られたのは大きな収穫だ。彼女は間違いなく“人間”側に属している。つまり、処分される可能性は限りなくゼロに近い。それが分かっただけでも安心だ。

 ……しかし、疑問がないわけではなかった。

 クロトはティラミスに頬ずりしている律葉に問いかける。

「でもどうしてDEEDマトリクス因子が……? あの隕石サンプルは日本の大学で研究されてたんだろう?」

 質問されて我に返ったのか、律葉はゆっくりとティラミスをその場に降ろし、「んんっ」と咳払いしてから質問に応じた。

「確かにそうだけれど、日本が主となって研究していただけで、サンプル自体は各国の然るべき研究機関に提供していたわ。多分彼女はそのサンプルから生み出されたんだと思う」

「なるほど……」

 サンプルを多方に渡していたとなると、他にもティラミスと同じような存在がどこかにいるかもしれない。

(いや、それはないか……)

 人とDEEDの遺伝情報をミックスさせるなんて発想はそうそうできるものではない。

 ティラミスは奇跡的な確率で巡り会えた存在だと考えていい。

「それにしても誕生の段階から遺伝子を操作して生体兵器を作るとは……イカれてるな」

 隼は後頭部で手を組み、思うところを述べる。

 この意見に反応したのは玲奈だった。

「倫理なんて考えてる余裕がなかったのよ。人類は滅亡の危機に瀕してたんですもの。……というか、隼や真人が受けた人体改造のほうがよほど倫理観に反していると思うわよ」

「いいや、俺達にはまだ選択の余地があった。でもその娘は否応なしに人体兵器として生み出されたんだぜ? 不憫すぎるだろ……」

 隼は普段はちゃらちゃらしているが、かなり情に厚い男だ。

 ティラミスの出生の秘密を知り、自分の境遇と重ねているのだろう。

 そんな隼に律葉は告げる。

「でも彼女、少なくとも人並みの愛情を以って接してくれていたと思うわよ」

「どうしてそう思うんだ?」

「そうでなければ言葉も覚えられなかっただろうし、こんな行儀の良い娘には育たなかったでしょ」

「……」

 隼はそれ以上何も言うことなく、ティラミスから視線をそらした。

 律葉はティラミスの頭を撫で、優しく告げる。

「ねえティラミスちゃん、提案があるんだけれど聞いてくれる?」

「何ですか……?」

「各研究機関に渡したサンプルのデータはきちんと記録されている。もっと詳しく遺伝情報を調べればそのデータと照合してはっきりとしたルーツがわかるかもしれない。少し時間はかかるかもしれないけれど……調べてあげようか?」

「……?」

 意味が理解できていないらしい。ティラミスは首を捻って怪訝な表情を浮かべていた。

 律葉は言葉を噛み砕いて改めて告げる。

「ええと……簡単に言うと詳しい検査をすればあなたの生まれた場所がわかるかもしれないってこと。それを皮切りにして記憶も戻るかもしれない。……どう? 自分のことを知りたくない?」

「いえ、いいです」

 即答だった。

 予想外の答えに戸惑いつつ、クロトはティラミスを説得する。

「無理することないよ。折角のチャンスだ。自分のことを知りたいんだろう?」

 ティラミスは目を閉じると微かに首を左右に振り、応える。

「過去は関係ありません。今の私はクロトお兄様の隣にいたいと思っています。それだけで十分です」

 普通の人間なら失われた記憶を取り戻したいと考えるはずだ。

 実際自分もそうだったし、そもそも記憶を取り戻すためにリリサとともに旅に出た。

 しかし、事情は人それぞれだ。

 ティラミス自身が過去は関係ないと言うのなら、無理強いすることはないだろう。

 クロトはこれ以上説得することを止めることを決め、頷く。

「わかったよ。……でもお兄様は止めてくれるかな」

「え、でも先程私とクロト様は兄妹だって……」

「そもそも様付けも止めてほしいんだけれどね……」

「それは駄目です。クロト様はクロト様ですから」

 ティラミスは胸元で両拳を握りしめ、根拠もなく力説する。

 ティラミスはこう見えて頑固だ。説得には時間と労力を要するだろう。

 クロトは妥協することにした。

「じゃあ“様”はいいから“お兄様”は止めてくれるね?」

「……はい、分かりました……」

 ティラミスは残念そうに答える。

 そんな様子を見て律葉はクロトに冷ややかな視線を向ける。

「別に呼び方くらい自由にさせてあげてもいいじゃない」

「良くないよ。だって、恥ずかしいじゃないか……」

 クロトのこの言葉に過敏に反応したのは隼だった。

「贅沢なこと言ってんじゃねーよ。俺は全財産払ってでも呼んでもらいたいぞ?」

「だからあんたはモテないのよ、隼……」

 相変わらず隼はブレない男だ。たまに冗談で言っているのか本気で言っているのか分からない時があるから困る。

 みんなしてわいわい騒いでいると、玲奈が場を収めるべくぱんと手を叩いた。

 音に反応し、全員の視線が玲奈に向けられる。

「その娘のことは置いておいて……」

 玲奈は注目を集めたことを確認すると、本題に入った。

「問題はあなたよ、真人」

「僕?」

「報告書読んだわよ。……人類を裏切ったそうじゃない」

 ……一気に場の空気が張り詰める。

 未だ僕は不穏分子だ。ここにくる道中もずっと銃を向けられていたし、警戒されていた。

 クロトは誤解を解くべく玲奈に告げる。

「裏切るだなんて……」

 しかし、クロトの言葉は玲奈に遮られてしまう。

「でも、DEEDの掃討作戦に反対したのは事実でしょ? 報告書にはDEEDを軌道エレベーターに連れてきて、彼らと共生する旨の発言をしたって書かれているけれど……1200年の間に何があったのよ?」

「それは、色々あって……」

 答えをはぐらかすクロトに対し、玲奈は床を強く蹴り、珍しく声を張る。

「ちゃんと今ここで聞かせて。いくら親友でもこればっかりは譲れないわ」

 普段は大人しく物静かな彼女だが、今は有無を言わせない迫力があった。

 律葉も隼も僕の話を聞きたいのか、何も言わずにこちらを見つめている。

 ……黙っていても仕方がない。

 クロトは全てを話すことにした。

「わかった。話すよ」

 クロトは一旦間を置いて頭の中を整理し、スヴェンとの出会いから語り始める。

「……数年前、英語を話せるDEEDの個体と接触したんだ。彼の名前は……」

「スヴェンでしょ。そいつを軌道エレベーターにつれてきて3000万の労働力と引き換えに共生しようって交渉した」

 またしても話を遮られ、クロトは辟易とした顔で玲奈に文句を言う。

「知ってるんじゃないか……」

「報告書を読んだって言ったでしょ。……私が知りたいのは“どうしてDEEDの話に乗ったのか”よ」

 “最初からそう言えばいいのに”とも言えず、クロトは質問に対し正直に答える。

「それは人類再興を効率良く行えると思って……」

「何を考えてるのよ!! まずは侵略者を皆殺しにするのが先でしょ!? あいつらは人類を絶滅寸前まで追いやったのよ? 交渉の余地なんて無いでしょ!!」

 玲奈は人が変わったように怒声を上げるとクロトに詰め寄り、胸ぐらを掴む。

 玲奈の豹変っぷりにその場にいた全員が驚いていた。

 全員が驚く中、律葉は玲奈を宥める。

「まあまあ玲奈、落ち着いて……」

 玲奈はクロトの胸ぐらを掴んだまま律葉にキッと視線を向ける。

「まさか律葉、あなたも真人の考えに賛成してるわけじゃないでしょうね!?」

 玲奈はクロトから手を放すと今度は律葉に詰め寄り、白衣の襟を掴んで前後に揺さぶる。

「だから落ち着けって……」

 このままだと危ないと判断したのか、隼はPKで玲奈の動きを強制的に止める。

 結果、律葉は玲奈から無事に開放された。

 だが、玲奈は未だ興奮状態にあり、荒々しく呼吸していた。

 固まったままの玲奈に隼は諭すように告げる。

「落ち着け玲奈。みっともないぞ」

「……」

 隼に注意され、玲奈の呼吸は徐々に穏やかになっていく。

 やがて呼吸音も静かになり、玲奈は小さな声で謝罪の言葉を述べた。

「……悪かったわ。冷静にならきゃね」

「わかりゃいいんだ」

 ここで隼はPKを解除し、玲奈は自由になる。

 玲奈は深く息を吸い込むと長いため息を吐き、力が抜けたのか、緊張が解けたのか、それとも自己嫌悪からか、その場に座り込んでしまった。

 長い髪が床に接触し、放射状に広がる。

 座り込んだ玲奈にクロトは恐る恐る話しかける。

「僕も無理やり自分の意見を通すつもりはないんだ。最終的な判断はブレインメンバーに委ねるつもりだよ」

「それって……」

「そう。過半数が反対すれば計画通りDEEDは駆除される」

 最終的な目標はDEEDとの共生だが、取り敢えずの目標はブレインメンバーを納得させることだ。そうでなければ話が前に進まない。

 ブレインメンバーの話が出ると、玲奈の声に力が戻った。

「……なら安心ね。ブレインメンバーがDEEDを労働力にする荒唐無稽な案に納得するわけがないもの」

「いや、納得するよ。戦力差は圧倒的。しかもこの労働力の話はあっちから持ちかけてきたんだ。すぐにでも社会を復興させたい僕達にとっては渡りに船だと思う」

「何を根拠に……大体、安全だって“確証”はあるの? 確証がなければブレインメンバーを納得させられないわよ」

「まだ確証はない。……でも僕は諦めるつもりはないよ」

 クロトは座り込んでいる玲奈の正面に移動し、向かい合うようにしゃがみ込む。

「ちなみに榎谷さんは前向きに考えてくれている。問題は“感情”だって言っていたけれど……そのあたりも何とか説得してみせる」

 力説するクロトだったが、玲奈の表情は憂いに満ちていた。

「どうしちゃったのよ真人……DEEDを一匹残らず殺してやるって……仇を取るって言ってたじゃない……」

 長い前髪の隙間から玲奈の目が見える。その目の端には涙が溜まっていた。

 玲奈はDEEDを恨んでいる。憎んでいる。そして恐怖を抱いている。

 その気持ちは僕も、隼も、そして律葉も同じだ。

 しかし、玲奈のそれは他のメンバーよりも根深いように思えた。

 人類は強大な力を手に入れた。クロイデルがあればDEEDが襲ってこようと怖くない。

 一体何が玲奈をここまで恐怖に駆り立てるのか……

「玲奈……」

 クロトは玲奈を立たせるべく手を差し伸べる。

「触らないで!!」

 しかし、玲奈がその手を取ることはなかった。

 玲奈はクロトの手から逃れるように立ち上がり、隔離室の出口へと向かう。

 ドアの前まで来ると玲奈はポケットからカードキーを取り出し、ドア横のリーダーにあてがい扉を開けた。

 そのまま出ていくかと思いきや、玲奈は最後に伝達事項を全員に告げる。

「……30分後に審問会が開かれるわ。あなたは裏切り者の烙印を押されている。……DEEDとの共存云々以前に自分が処分されないように精一杯弁明することね」

 それだけ言うと玲奈は部屋を出、ドアもすぐに閉じられてしまった。

「……」

 その後時間が来るまで、律葉も隼もティラミスも誰一人として言葉を発さなかった。

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