表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天球のカラビナ  作者: イツロウ
07-覚醒者の選択-
80/107

079

 079


 地表からエレベーターで上昇すること1時間後

 クロト、律葉、隼、そしてティラミスの4名は静止軌道ステーションに到着していた。

 が、クロト達は未だエレベーターの箱の中にいた。

 ステーションに初めて脚を踏み入れるクロトはワクワクしつつ律葉に問いかける。

「……到着したんだよね?」

「してるわよ。でも色々と手順があって……とにかく中に入れるまで時間が掛かるの」

「そうなんだ……」

 しょんぼりするクロトに律葉は告げる。

「取り敢えず一旦地上に降りちゃったから検疫室に入れられるのは間違いないわね」

「検疫?」

「何か悪い菌でも持って帰ったりでもしたら大変なことになる。クロトと隼は大丈夫でしょうけど、問題はこの娘ね……」

 告げつつ律葉は視線をティラミスに向ける。

 ティラミスはまだ律葉に警戒心を持ってか、すぐにクロトの背後に隠れた。

 ひっしと服を掴んでいるティラミスの頭を撫でつつ、クロトは律葉に言う。

「ティラミスが何か病原菌を持っているとは思えないんだけれど……」

「そうね。でも部外者な上、その格好は明らかに“人間”じゃない。下手をしたら検疫室からそのまま隔離区域に直行ってこともあり得るわね」

「……」

 クロトは改めてティラミスを見る。

 ぱっと見は褐色肌の少女だが、お尻から……尾骨からは長い尻尾が伸びている。おまけに白目の部分も黒い。

 血の色も真っ黒だし、詳しく検査されるのは間違いない。

 そして、ステーション内にいる人々がそんな彼女を簡単に内部に入れるとは思えなかった。

「そう言えば……人はどのくらい目覚めてるんだ?」

 律葉は視線を斜め上に向け、人差し指で唇あたりを弄る。

「えーと……私が目覚めた時はブロック内全員が解凍シークエンスを終えていたから……少なくとも100名は目覚めてるでしょうね。勿論、ブレインメンバーも目覚めてるはずよ」

「そうかい……」

 ブレインメンバー……

 もし彼らが僕達の入場を許可してくれなければ3000万の労働力について、提案することすらできない。

 とにかく今は中に入れることを祈ろう。

 そんな事を考えつつ、クロトは何気なく外に目を向ける。強化ガラスの窓には黒い世界が……無限に広がる宇宙が映し出されていた。

(そう言えば僕、今宇宙にいるんだよね……)

 静止軌道ステーション……

 地表から約36,000kmに位置しているこの場所は軌道エレベーターの中間地点に位置しており、居住区、観光区、実験区などの様々なユニットが密接して形をなしている。

 外観は巨大なドーナツ……いや、バウムクーヘンといったところか。

 薄い円柱状のユニットが縦に連なり、長い円柱状になっている。

 総面積は小規模都市ほどあるが、同一規格のユニットによって細かく区分けされているので広いという印象はない。

 ただ、エレベーターの発着点……中央区は特別広く作られており、通常の倍以上の広さはある。

 この静止軌道ステーションは大勢の人が生活できるように設計されているが、食料などを栽培するユニットはコストの都合上無く、自活は難しい。だが、エネルギーに関しては無数の太陽光発電衛星がドッキングしており、半永久的にエネルギーを得ることが可能だ。

 この静止軌道ステーションより上、地表から5万kmの位置には高軌道ステーションがある。

 この高軌道ステーションはいわゆる宇宙船の発着場になっており、無数の宇宙船が停泊していた。

 テラフォーミング用の宇宙船、観測衛星など、様々な船が停泊していたのだが、二千年前にDEEDの襲撃を受けた際に被害から逃れるべく全て発進してしまい、今はもぬけの殻だ。

 更に上、地表から10万kmの位置にはカウンターウェイトが設置されている。

 カウンターウェイトはその名の通り“重り”であり、静止軌道ステーションが地球の引力によって落下しないようにするために存在する。

 簡単に言うとバランスをとるための物だ。

 このカウンターウェイトのお陰で静止軌道ステーションは一定の高度を維持して地球の周囲を廻り続けることができるというわけだ。

(しかし、よくこんな物を建造できたよね……)

 エレベーターの床を踏みしめつつ、クロトはこの静止軌道ステーションを建造するに至った経緯について、授業で習った事をなんとなく思い出していた。

 静止軌道ステーションの構想はかなり昔からあった。が、実現するには莫大な金が必要であり、また国家間でのプロジェクトとなるので政治的な摩擦は避けられず、プロジェクトは難航を極めた。

 だが、人類の宇宙に対する好奇心が、そして宇宙開発に懸ける情熱があらゆる問題を解決し、長い月日を経て完成するに至ったというわけである。

 建設の際は日本の技術も大いに役立ったと聞いている。同じ日本人としては誇らしい限りだ。

 高校で聞いたことを思い出していると、エレベーター内のスピーカーから女性の声が聞こえてきた。

「随分と早起きね律葉。……で、何を連れて戻ってきたの?」

 この控えめで気だるそうな声には聞き覚えがあった。同時に懐かしい声でもあった。

(この声、玲奈の声だね……)

 実に1200年ぶりに聞く声だ。だが、クロトはこの声が玲奈であると確信していた。

 クロトの予想を証明するように、律葉は言い返す。

「見れば分かるでしょ玲奈、真人と隼よ」

 律葉はエレベーターの隅に設置されたカメラに向かって搭乗員を紹介する。

 その後、間を置いて玲奈の呆れた声が返ってきた。

「……おかしいわね。真人の後ろに小さな女の子が見えるんだけれど」

「……」

 言い訳もできないのか、律葉は無言で苦笑いを浮かべる。

 その間、ティラミスはカメラに向けて丁寧にお辞儀をしていた。

 玲奈はティラミスの顔情報を取得したのか、悩ましい声で続ける。

「その娘、ライブラリに登録されてないわね。……もしかしてDEED?」

 玲奈の問いかけに対し、律葉は謝罪と同時に弁明する。

「ごめん玲奈、思わず持って帰ってきちゃった。でもDEEDじゃないわよ」

「……言っている意味がわからないんだけれど」

 困惑の声色の玲奈に対し、律葉はわかりやすくティラミスについて述べる。

「真人と同じ存在って言えば分かるかしら。DEED因子を体内に有する“人間”よ」

「証拠は?」

「データを送るわ」

 ティラミスの遺伝情報は一度ゲイルによって簡易解析されている。

 その情報を見ればティラミスがDEEDでは無いということが分かるはずだ。

 律葉は情報端末を操作し、データを玲奈に送信する。

 その後しばらくスピーカーから声が聞こえなくなる。……が、数分後、再び玲奈の声が聞こえてきた。

「確かに律葉の言う通りみたいね。……でも、外気に触れた者は漏れなく検疫する決まりになってる。……今から扉を開けるから、ちょっと待ってて」

「わかったわ」

 律葉はそう言うと「ふう」とため息をつく。ティラミスを中に入れてもらえるかどうか、少し不安に思っていたようだ。

 ため息をつく律葉にクロトは労いの声をかける。

「取り敢えず中には入れてもらえそうだね」

 クロトに続いてティラミスは謝罪する。

「すみません。私のせいで……」

 何度も頭を下げるティラミスに対し、律葉は優しく告げる。

「謝らなくていいのよ。悪いのはあなたを強引に連れてきた私なんだから」

 なぜ律葉はティラミスをお持ち帰りしたのか。

 それは律葉にとってティラミスが興味深い研究対象だったからだ。

 DEED因子を人間に注入する実験なんてそう思いつくものではない。その実例を目の当たりにして知的好奇心を抑えきれなかったのだろう。

 相変わらず律葉は研究熱心というか、欲望に素直な人間である。

 そんなやり取りをしていると再びスピーカーから玲奈の声が聞こえてきた。

「……それじゃ、今から扉を開けるけれど……外に出たら係員がいるから、彼らの指示に従って移動してね」

 その言葉を最後に、エレベーターの扉がようやく開く。

 同時に暗かった筐体内に明るい人工の光が差し込んでくる。

 クロトは急激な明暗の差に、思わず腕を挙げて目元を隠す。

 光に慣れてくるとステーション内部の様子がはっきりと見えてきた。

 しかし、クロトの目の前にあったのは予想外の光景だった。

 エレベーターの出口、そこにはビニールのトンネルがあったのだ。

 空気が漏れるのを防ぐためか、ビニールはしっかりと目張りされておりステーション内の空間と隔離されていた。

 トンネルは検疫室らしき部屋のドアまで繋がっており、その道中、外側には銃を持った軍服の兵士が並んでいた。そして、その銃口はこちらに向けられていた。

 ……僕に銃は効かない。

 黒の粒子でガードできるし、そもそも体に着弾しても弾き返せる。

 大口径となると弾けるか怪しいが、ダメージを受けても即座に再生できる。

 つまり、単なるこけおどしにすぎない。が、やはり銃を向けられると多少なりとも緊張するものだ。

 クロト達は無言でエレベーターから降り、ビニールのトンネルを進んでいく。

 先頭を律葉と隼が歩き、その後ろをクロトが、ティラミスは怯えてか、クロトの背後にピッタリと張り付いていた。

 短い道中、こちらの動きに応じて銃口も動き、その殆どが前を歩く律葉と隼ではなく、背後をあるく僕とティラミスに……特にティラミスに向けられていた。

 まあ、ここまで警戒されるのも無理もない。自分達もそうだが、特にティラミスは完全にアウトサイダーだ。妙な動きをすれば即座に鉛玉が飛んで来るだろう。

 ティラミスもそれを何となく理解してか、背中越しに震えているのがわかった。

 クロトは緊張しつつも、同時に安堵していた。これほどしっかりとした態勢が確立されているということはきっちり統制が取れている証拠だ。

 この静止軌道ステーションの防衛体制はきちんと機能している。もし不測の事態が起きても被害を最小限に抑えることができるだろう。

 やがて4人はトンネルを抜け、検疫室に入る。

 検疫室内部には壁側に3つずつ、計6つの鉄格子の檻が設置されており、内部にはプライバシーの保護のためか、カーテンが取り付けられていた。

 部屋の中央には器具などが配置されており、その器具の周囲には白い防護服に身を包んだ人間が10名待機していた。

 その10名のうち5名は軍人らしい。彼らは自動小銃を肩で構え、銃口をこちらに向けていた。

 クロト達が検疫室に入るやいなや、防護服を着た男が喋りだした。

「近衛君、まさか君がこんな行動に出るとは……恋というのは恐ろしいものだね」

「すみません主任、反省してます……」

 律葉は男に向かって謝罪する。が、男の言葉は止まらない。

「本当に反省してるのかい? 起きるやいなや身体検査も受けずに一人だけで地表に降りたりして……何のために規則があるのか、君が理解しているとは到底思えないな」

「はい、おっしゃる通りです……本当にすみません」

 どうやら律葉の知り合いのようだ。クロトは防護服のバイザー越しに男の顔を確認する。

 男は無精髭を生やしており、髪もぼさぼさだった。

 この顔には見覚えがある。……確かブレインメンバーの科学者の一人だったはずだ。

 律葉も主任と呼んでいるし、間違いないだろう。

 主任はため息をつきつつ律葉への説教を続ける。

「今回は無事でよかったが、今後はこのような行動はつつしみたまえよ。……たった一人の優秀な部下を失いたくはないのでね」

 主任は律葉に近づくと、脳天に軽くチョップする。

「主任……」

 律葉は叱咤を受けたにも関わらず、主任の気遣いを感じてか表情は嬉しげだった。

 主任は再度律葉の脳天にチョップを入れ、若干きつめに告げる。

「……とにかく、部下の規則違反は上司の管理能力を問われる。今後は私の立場も考えて行動してくれると有り難いのだが?」

「はい、気をつけます……」

 2度目はそれなりに痛かったのか、律葉は頭を押さえて苦笑いしていた。

 主任は律葉とのやり取りの後、クロトに目を向ける。

「……やあ玖黒木君、久しぶり。……と言ってもコールドスリープしていた私達にとっては昨日今日の出来事なんだけれどね」

「はあ、どうも……えーと……」

 そう言えば主任さんの名前を知らない。一度聞いたことがあったかもしれないが、思い出せる気がしない。

 名札か何かないか探していると、こちらの考えを汲み取ってくれたのか、主任さんは自己紹介してくれた。

「『榎谷(エノタニ)』だ。君には感謝してもしきれないな。改めて礼を言わせてもらう」

「そんな、僕をDEEDと戦える体にしてくれたのは榎谷博士なんですし、礼を言うのは僕の方ですよ」

「そうかい。そう思ってくれているのなら有り難いよ」

 そう告げる榎谷さんの表情は憂いに満ちていた。

 恐らくだが、僕と同じく被験体にされた人たちの死を未だに引き摺っているのだろう。

 この罪悪感は一生彼を悩ませることになるに違いない。

 そう思うと同情せざるを得なかった。

 榎谷はしばらく物憂げな表情を浮かべていたが、急に興味深そうな視線でクロトを見つめ、近付いてきた。

「……榎谷さん?」

 クロトは近づいてくる榎谷に対して身構える。が、彼の目的はクロトではなく、背後にいるティラミスだった。

 榎谷はクロトを無視してティラミスに近寄り、興味深げに観察し始めた。

「……」

 榎谷は無言でティラミスを頭のてっぺんからつま先まで舐めるように観察していく。

 その間、ティラミスは視線をまっすぐ前に向けたまま固まっていた。緊張して動けないどころか声も出せないようだ。

 今すぐ榎谷をティラミスから引き離したいクロトだったが、動けずにいた。なぜなら少しでも怪しい動きをすれば鉛弾が飛んで来るかもしれないからだ。

 僕や隼、ティラミスは大丈夫だが、前に立っている律葉は多分……と言うか絶対に重傷を負う。

 可哀想だがティラミスには我慢してもらうしか無い。

 榎谷はじっくりと時間を掛けてティラミスを観察した後、一歩退いて満足気に頷いた。

「うむ、DNAデータは見せてもらったが、外見がここまで変化するとは……実に興味深いサンプルだ。DEED因子が人体にどのように作用しているのか、玖黒木君のケースと比較実験してみるのも面白いかもしれないな」

 感慨深く語る榎谷に対し、隼は若干呆れ口調で告げる。

「ドクター、無駄話はそれくらいにしてさっさと検疫始めませんか?」

 一刻もこの場から出たいらしい。流石の隼も銃口を向けられているこの状況は落ち着かないようだ。

 それに気づいてか、榎谷はティラミスから離れる。

「すまないねパイロ君、私もこの暑苦しい服を一刻も早く脱ぎたいし、手早く済ませてしまおう」

 榎谷は器具が置かれている場所へ向かう。

 すると他のスタッフも動き出し、器具の準備をし始めた。

「……それじゃあ女性二人は女性スタッフが、玖黒木君とパイロ君は僕が担当することにしよう」

 榎谷が指示を出すと防護服を来た4名の女性スタッフは器具をカートに載せ、向かって左側の鉄格子の檻の前で待機する。

 が、ここでまたしても隼から文句が出た。

「えー、ドクターが検疫すんの……?」

 そう言いつつ、隼は女性スタッフの方をチラチラと見ていた。

 どうやら、と言うか間違いなく女性スタッフに相手してもらいたいようだ。

 こんな状況下でもブレない性格には呆れを通り越して感嘆すら覚える。

 榎谷も隼の意を汲み取ってか、簡単に要望に応じた。

「わかった……それじゃあ近衛君担当の内一人をパイロ君に回すことにしよう」

 榎谷の言葉を聞いてか、4名の女性スタッフの内一人が左側の鉄格子から右側へ移動する。

「いや、そんなつもりで言ったわけじゃなかったんだけど……」

 そう言うパイロの顔は若干にやついていた。

「はぁ……」

「君ってやつは……」

「……ん? 何?」

 律葉とクロトは同時にため息を付くも、隼は不思議そうな顔をするだけでなぜ二人が呆れているのか理解している様子ではなかった。

 榎谷も準備を終えたのか、右側中央の檻の前まで移動していく。

「さ、4人共中に入ってくれ」

 榎谷の指示に従い、まず動いたのは律葉だった。

 この手の検査には慣れているらしい。すぐに左手奥の檻の中へ入り、カーテンの中に入っていってしまった。

 リツハに続いて隼は右手奥の檻の中へ入る。

 クロトも二人に続いて右手中央の檻の中へ入ろうとした、が、体を右に向けた瞬間背中を引っ張られてしまった。

 クロトは振り返り、服の裾を掴む少女の名を告げる。

「ティラミス……」

 放してくれ、と言おうとしたクロトだったが、ティラミスの顔を見て言葉が引っ込んでしまった。

「クロト様ぁ……」

 ティラミスは完全にこの状況に怯えているのか、足は震え表情も不安げで、助けを求めるように潤んだ瞳でこちらを見ていた。

 いつもは呑気に揺れている尾も自身の左脚に巻き付き、小刻みに震えている。

 まあ、ティラミスが怖がるのも不思議ではない。

 彼女が覚えているのは日本語だけで、それ以外のことは全く知らない。

 本を読んで大量の知識を得たとは言え、所詮は中世レベルの知識だ。

 見知らぬ検査器具や銃器、そして白い防護服に身を包んだ人を見て不安を感じるのも無理はない。

 クロトはティラミスを安心させるべく、頭を撫でつつ告げる。

「大丈夫だよティラミス。彼らは僕の仲間なんだ」

「仲間……ですか?」

「そうそう。だから彼らの言うことに従っていれば大丈夫。危害を加えられることは絶対にないよ」

「……」

 ティラミスはこちらの服の裾を掴んだまま女性スタッフに目を向ける。

 女性スタッフもティラミスが緊張していることを分かってか、警戒心を解くべく軽く膝を曲げて手を振っていた。

「……わかりました。行ってきます」

 ティラミスは意を決したのか、裾から手を放すとゆっくりと左手中央の檻へと歩いていく。

 そして、女性スタッフ案内されるがままカーテンの中へと姿を消した。

 ……よくよく考えれば女性スタッフも中々肝が座っている。

 姿形は少女だが、あちらからしてみれば正体不明の生体兵器だ。内心ではビビっているのかもしれない。

 両者とも緊張していると考えていい。

 だが、一応は日本語で意思疎通できるわけだし、お互いすぐに慣れるだろう。

 そんなことを思いつつティラミスを見送っていると、榎谷さんが声を掛けてきた。

「さあ、君も入ってくれ」

「あ、はい」

 クロトは特に緊張することなく右手中央の檻の中へ入る。

 4名とも全員が檻の中に入ると、榎谷は兵士たちに指示を出した。

「よし……それじゃあ兵士諸君はもう外に出ていってくれても構わないよ」

「……はい?」

 いきなりの指示に対し、呆気にとられた兵士たちだったが、リーダーらしき兵士が遅れながら反論した。

「しかし榎谷博士、近衛博士やパイロさんはともかく、他の二人は危害を加える可能性が……」

「よく考えてみたまえ、DEEDを鏖殺できる程の戦闘能力を持った彼をたかが銃器で制圧できると思うかい?」

 まさに榎谷さんの言う通りである。

 榎谷さんは更に続ける。

「それに、もしも彼らが我々に危害を加えるとしたら、武器を持っている君たちが真っ先に攻撃対象になるだろうね。……それでもいいのならここにいても構わないが?」

 兵士たちは榎谷さんの言葉に慄いてか、若干腰が引けていた。

 やはり人間誰でも命は惜しい。

 せっかく生き延びるために2000年も冷凍睡眠したと言うのに、寝起き直後に殺されたのでは身も蓋もない。

「……分かりました。部屋の外で待機していますので、何かありましたらお呼び下さい」

「任務ご苦労様」

「……」

 兵士たちは榎谷さんの労いの言葉に特に反応することなく、無言で部屋から出ていってしまった。

 兵士を追い払うと榎谷は檻の中へ入り、クロトと向かい合う。

「すまなかった。……君は人類を救った救世主だ。そんな君に銃器を向けるなんて失礼極まりないと思ってね」

「いえ、僕は特に気にしてませんから」

 どうやら僕の事を気遣ってくれたようだ。見た目によらず結構仁義に厚い人なのかもしれない。

「さあ、ちゃっちゃと済ませてしまおうか」

「そうですね」

 クロトは榎谷と共にカーテン内に入る。

 カーテンの中には丸椅子が一つ置かれ、隅には脱衣用の籠が置かれていた。

 籠は上下二段あり、下の段には薄緑色の検査着を確認できた。

「とりあえず今着ている服を脱いでそっちに着替えてくれたまえ」

「……了解です」

 服は汚染されている可能性がある。多分焼却処分されて返してくれることはないだろう。

 猟友会の戦闘服、結構気に入っていたのだが……仕方がない。

 クロトは着替えるべく早速シャツを脱ぎ始める。と、榎谷にも動きがあった。

「ふう、暑苦しいことこの上ないな」

 榎谷はそう呟くと、おもむろに防護服を脱ぎ始めた。

 予想外の行動にクロトは思わず問いかける。

「それ、脱いで大丈夫なんです?」

「君の体については良く知っている。菌やウイルスや猛毒、果ては放射性物質すら無害化する君だ。ボンベの空気よりも君の吐息のほうが余程クリーンだよ」

「そうですか……」

 榎谷さんがそう言うのなら止める理由はない。

 クロトは1分ほどで着替え終え、丸椅子に座る。

 榎谷は既に防護服を脱いでおり、白衣姿で立っていた。

「それじゃ始めようか」

「お願いします」

 榎谷は慣れた様子で使い捨ての半透明の手袋を装着すると、カートの引き出しを開け、天板にアルコール綿や採血針や真空採血管など、必要なものを並べていく。

 採血は健康診断で何回もされてるし、手順も大体わかっている。

 クロトは掌を上に向けて右腕を前に出す。

 榎谷は肘関節の手前あたりを指先で触りつつ血管を探し始める。

 数秒もすると狙いの血管が見つかったのか、榎谷はゴムチューブを二の腕に巻いて固定すると、アルコール綿で血管付近を円状に拭き、着々と準備を進めていく。

 そんな作業をしつつ、榎谷はクロトに話しかける。

「……あの機械人形とパイロ君の報告書、読ませてもらったよ。随分と厄介な事になっているようじゃないか」

「ええ、まあ……」

 榎谷はアルコールが乾いたことを確認すると、採血針を血管にぶすりと刺す。

 ……本来、僕の肌は銃弾をも弾き返すほど強固だが、こうやって普通の状態に戻すこともできる。

 針が血管内に侵入したことを確認すると、榎谷はすかさず真空採血管をホルダーに接続する。すると、赤い血が勢い良く採血管内に入っていった。

 ……赤い血

 クロトはアイバールでの飲食店での一件を思い出す。

 あの時、キマイラを倒した時、僕はヒトガタなのではないかと疑われていた。

 だが、リリサが手の甲に槍を突き立て、僕の血が赤であることを確認させてくれた。

 この赤は僕が人間である証拠だ。……が、色が赤いだけで成分が何かは不明だ。

 血が溜まっていくのを眺めつつ、榎谷は雑談を再開する。

「3000万の労働力……効率性を求めるならこの案もアリだと思うが、ブレインメンバーが納得するかどうかが問題だね」

「え、検討してもらえるんですか?」

 榎谷は真空採血管を外すと、2つめの真空採血管をホルダーにカチリとセットする。

 新たな管に血が入っていくのを確認すると、榎谷はようやくクロトの言葉に応じる。

「検討と言うか……審問会の時にこの件について説明を求められると思うよ」

「審問会……」

 一応僕は未だに不穏分子のレッテルを貼られている。審問されて当然だろう。

「私も含め、ブレインメンバーは不思議に思っている。どうして玖黒木君がDEEDと共生しようなんて提案をしたのか。その理由を知るために審問会を開くというわけだ」

 榎谷は2つめの管を外すと採血針も外し、ゴムチューブも外す。

 これで採血は終わりらしい。

 血液で満たされた2つの管を天板に置くと、榎谷は話を再開する。

「彼らもこの案の有効性については理解してくれるだろう。だが問題は“感情”だ」

「感情、ですか」

 クロトは針を刺された部分を軽く撫でる。

 既に針穴は塞がっており、一滴も血が漏れることはなかった。

 それを分かっていてか、榎谷は絆創膏の準備すらしていなかった。

 榎谷はプラスチック手袋を脱ぐと屑入れ用の袋に入れ、エタノール消毒液で手を消毒し始める。

 指の間にも丁寧に消毒液をなじませつつ、榎谷は“感情”について語る。

「我々人類を滅ぼしたDEEDと共生するということは、分かりやすく例えるならば近親者を殺した殺人鬼と同居するようなものだ。家族や友人を失った者には耐え難い苦痛だろう。……いや、この場合は屈辱という言葉のほうが適切か……」

 確かに、榎谷さんの言う通りDEEDと共生するのは“屈辱”だろう。

 たとえ人の形をしていたとしてもDEEDであるという事実は変わらない。

 榎谷さんもそう思っているのだろうか。……いや、思っていて当然だ。

 あれだけの目に遭ったのだ。DEEDを憎んでいて当然である。

 それでもクロトは榎谷の心情を確かめたいと思い、遠慮がちに問いかける。

「榎谷さんは……」

 質問しようとしたクロトだったが、榎谷はクロトが何を言わんとしているか既に理解していたようで、先回りして答える。

「幸い私は天涯孤独の身だったのでね。親兄弟親戚友人、誰も失うことはなかったよ。いや、失うという表現はおかしいか」

 自分で突っ込みをいれつつ、榎谷は続ける。

「……まあ、とにかく、私はDEEDに敵対心は持っているが、恨みという感情は持っていないよ。あれは一種の災害だと思っている。3000万の労働力に関しても、利用できるのならば最大限利用すればいいと思っている。それが人類再興のためになるのならね」

 長々と喋ると、榎谷は半分脱いでいた防護服を着用し始める。

「……さ、お喋りはこの位にしておこう」

 ファスナーを閉めて元通りの格好に戻ると、榎谷はカートを押して檻から出る。

「後はシャワーを浴びて、検体検査の結果が出るまで隔離部屋で待ってもらうだけだ」

「あ、はい」

 クロトは椅子から立ち上がり、榎谷の後に続いて検査着のまま檻から出る。

 檻から出るとクロトと同じ服を着た律葉とティラミス、そして隼の姿を確認できた。

 律葉は鉄格子に背を預けて立っており、隼は女性スタッフと楽しげに雑談しており、ティラミスは針を刺されたであろう箇所を手で押さえて、相変わらず不安げな表情を浮かべていた。

 ティラミスはクロトの検疫が終わるのを待っていたらしく、クロトが檻から出るとすぐに安堵の表情に変わり、例のごとくぴたりと隣に寄り添ってきた。

 薄い検査着のせいか、肌の感触が、そして体温が直に体に伝わる。

 ここまでくっつく必要があるかと思ったが、ティラミスにとってここは未知の領域だ。一秒たりとも僕と離れたくないのだろう。その気持ちを思うと引き剥がそうにも引き剥がせなかった。

 榎谷はカートを女性スタッフに預け、去り際にクロトに告げる。

「問題がなければすぐに審問会が開かれる。ブレインメンバーに何を伝えるべきか、その間にじっくり考えておくといい」

 榎谷はアドバイスを送るとそのまま女性スタッフと共に部屋の奥の扉から出ていってしまった。

「……」

 人の形をしたDEED……

 彼らは人間に敵意を持つどころか人間が存在するということすら認知していない。彼らが人間に危害を加える事はまずないと言っていいだろう。

 それは2年間、彼らと行動をともにした自分だからこそ分かる。

 基本的に彼らは穏やかだ。ブレインメンバーも彼らと直にコミュニケーションを取れば分かるはずだ。……が、それはこの状況下では難しいだろう。

 とにかく、審問会で彼らの無害性を訴え、クロイデルをアクティブモードにすることを延期、もしくは阻止する必要がある。

 今はまだいい案は思い浮かばないが、とにかく彼らと直接話し合いの場を設けることができれば道は開けるはずだ。

 ……そんな事を考えていると、先程自分達が入ってきた入り口から防護服に身を包んだ兵士たちが室内に入ってきた。

「今から洗浄室に案内する!!」

 計8名の兵士たちは素早い動きで侵入してくると4チームに分かれ、それぞれクロト、ティラミス、隼、そして律葉へ接近していく。

「女、男の順に移動する。……くれぐれも変な気は起こすなよ!!」

 4チームの内2チームは容易に律葉と隼を包囲できたが、残り2チームはクロトとティラミスがくっついているせいでうまく包囲できずにいた。

 兵士は銃口をクロトとティラミスの頭部に向け、命令する。

「そこの二人、今すぐ離れろ!!」

 大声、且つ高圧的な命令口調に驚いたのか、ティラミスは離れるどころか更にクロトに密着し、とうとう腰に手を回してがっしりしがみ付いてしまった。

 相反する行動を取ったティラミスに対し、兵士は口調を更に荒らげる。

「おい、離れろと言っているんだ。聞いているのか!!」

「……」

 ティラミスはギュッと目を閉じており、こちらの腰をホールドする力は増す一方だった。

 ……結構痛い。

(どうしたものか……)

 クロトは困り果てていた。

 このままでは埒が明かない。

 無理やり引き剥がすことも可能だが、そうなるとティラミスが恐怖のあまり暴走する可能性もある。

 こんな身なりだがティラミスの戦闘能力は絶大だ。

 8名の兵士など簡単になぎ倒してしまうだろうし、壁に穴など空いたらそれこそ大事だ。

 ……何とか穏やかにこの場を収める方法はないだろうか。

 包囲されたまま悩みに悩んでいると、不意に優しい声が聞こえてきた。

「ティラミスちゃん」

 声の主は律葉だった。

 律葉は兵士に包囲されつつもティラミスに近付き、ごく自然な動作で紺色の頭を撫でる。

「大丈夫よ。この人達は私達をお風呂まで案内してくれるだけだから」

「お風呂に……?」

 ティラミスは目を恐る恐る開き、視線を律葉に向ける。

 律葉は視線を合わせ、言葉を続ける。

「そう、ただのお風呂。何も怖がることはないわ」

 優しい言葉を掛けつつ、律葉はティラミスの頭を撫で続ける。

 この律葉のスキンシップは功を奏したようで、ティラミスの表情は段々と和らいでいく。

 そんな変化を見つつ、クロトはティラミスに告げる。

「ティラミス、このお姉さんと一緒にいくといい。彼女は僕の友達なんだ。どんなことがあってもティラミスを守ってくれるよ」

「……」

 ティラミスはクロトの言葉を聞き、クロトと律葉の顔を交互に見つめる。

 3往復したところで決心がついたのか、ティラミスは視線を前に向け、ゆっくりと頷いた。

「……わかりました」

 どうやら律葉を信頼できる人間だと判断してくれたみたいだ。

 ティラミスはクロトの体からゆっくりと身を剥がし、距離を取る。

 兵士たちもその動きに合わせてティラミスを包囲していき、クロト、律葉、隼、ティラミスの4名は2人ずつの兵士に包囲される形となった。

「よし、それでは移動するぞ」

 兵士はそう告げるとまず律葉とティラミスを室外へと押しやっていく。

 その後クロトと隼も洗浄室に案内され、2人でシャワーを浴びることとなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ