007 刃物の扱い方
007
あれから10日が過ぎた。
意外にもこの解体場での生活は快適だった。
流石にはじめの日は生き物を、しかもディードという化物を切り開くとあってグロテスクさを感じたが、慣れてしまえばどうということはない。
自分の他にも係員はいるし、難しい箇所などは手練の解体師がやってくれる。
自分は簡単な作業を手伝うだけでいいのだ。
……ディードと言ってもその形状は様々だ。
大抵は動物の形状を模しているが、足の数や頭の数が違ったり、牙が鋭かったり、異様に長い尻尾が生えていたり、バラエティに富んでいる。
が、共通しているのは全身が黒い毛で覆われ、目が赤いということだ。
そして皮は厚くてとても硬い。解体は手作業で行うのだが、普通の動物と違ってかなり力がいる。弛緩している状態でこれだ。戦闘中はまさに鋼の如き硬度を保っていることだろう。
まさしく力仕事なわけだが、ハードワークというわけではない。
運ばれてくるディードの数がそれほど多くないのだ。平均にして日に5,6体、しかも殆どが大型犬から鹿サイズの物で、この10日では以前広場で見た熊の倍以上大きな物は運ばれてこなかった。
3日目までは仕事を覚えるのに必死だったが、4日目になると器具の配置や使い方も大体把握できるようになり、6日目からは作業しながら他のことを考える余裕も出てきた。
(ミソラ、治ったかなあ……)
今最も心配なのはミソラの安否だ。
あの後あの医者は薬をきちんと買えただろうか。きちんとミソラに処方してくれただろうか。そしてミソラは元気になっただろうか。
奴隷として買われたらもう会えないと思っていたが、ここで暫くうまくやっていけばちょっとした外出くらい許してくれるかもしれない。
そうすれば、あの村に戻ってミソラと会える可能性だってある。
あのリリサなら頼み込めば許してくれるに違いない。
(リリサ・アッドネス……)
彼女は周囲からは“狂槍”と呼ばれている。
奴隷競売の最中、広場の野次馬たちの反応は今でも思い出せる。
彼らはリリサを恐ろしいものでも見るような目で見ていた。狩人が一目置かれる存在だということは理解できたが、その中でもリリサは結構有名人らしい。
因みに、あれからリリサとは一度もあっていない。
そもそもこの10日間、クロトはこの解体場から一歩も外にでていなかった。
「……よ、食べてるか」
「はい、頂いてます」
シドルに声を掛けられ、クロトは軽く応じる。
……現在、クロトは解体場の隅に座り、昼食休憩をとっていた。
手にはサンドイッチが握られ、柔らかそうなパンには綺麗な歯型が付いていた。
「これ、持ってきてやったぞ」
シドルは水の入ったガラスボトルを木の台に置く。
「どうもです」
クロトはそれを受け取り、一気に半分ほど胃に流し込んだ。
シドルは壁に背を預け、視線を階段の上に向ける。
「1階の食堂で食わせてやれなくて悪いな。一応はあそこは狩人や普通の職員も食事しているんだが、奴隷と一緒の場で食べたくない輩も少なからずいるんだ。気を悪くするなよ」
「いえ、僕としてはそう言ってもらえるだけで十分です」
シドルは顔に大きな傷を持つ強面の人だが、面倒見はいい。ありがたいことだ。
シドルに少し遅れて解体場の係員も地下に降りてきた。
それぞれ休憩を満喫したようで、腕を回してストレッチしたり、大きなあくびをしている者もいた。合計で4名、全員が筋肉質の中年男だ。
係員が来たことで休憩が終わったことを悟ったのか、シドルは大きく手を叩く。
「よし、午後からも安全第一でいくぞ」
シドルの掛け声に全員が「おう」と応じ、それぞれの持場へ散っていく。
クロトも急いでサンドイッチを口の中に押し込み、水で流し込んだ。
昼の仕事が始まると、早速外から狩人の声が聞こえてきた。
「おーい、2匹頼む。両方ベックルンで狩ってきた大型だ。重いから気をつけろよ」
同時にドサリと音がし、階段とは逆側の壁、丸い穴が空いた箇所からディードの死体が出現した。
……この地下には出入り口が2つある。
一つは屋内に繋がる階段。もう一つは屋外と直接つながっているスロープだ。
このスロープからディードの死体が地下に落とされ、それらを係員が処理するという感じだ。
まずは血抜きするため足を括り逆さまに吊るしあげるのだが、作業の前に誰かがつぶやいた。
「……2匹? 3匹いるぞ」
その声に解体場の係員4名が視線をスロープの出口に向ける。
そこには確かに3匹のディードが転がっていた。
3匹のうち2匹は鹿程度の大きさだった。その2匹の内の片方の腹部が大きく裂かれ、その傍らには黒い血にまみれたディードがいた。
大きさは大型犬と同じくらい。形状はシェパードをイメージすると分かりやすいだろうか。が、両眼は真っ赤に染まり、牙は口からはみ出るほど大きく鋭く、爪も肉厚で毛皮も硬そうだった。
「――ッ!!」
ディードはその大きさからは想像できぬほど野太い叫び声を上げ、係員目掛けて襲いかかる。
まさに一瞬だった。
一番近くにいた男は喉元を食いちぎられ、鎖の準備をしていた男は腹部を切り裂かれ、あっという間に室内にいる係員たちがディードによって鏖殺されていく。
赤い血は壁、天上、床に散り、係員の断末魔が発せられるごとにその量が増えていく。
「隠れてやがったか!!」
シドルは大物の処理用の長い解体刀を片手に握り、ディードと相対した。
流石は元狩人だ。ディードに対し、臆する気配はない。間合いを探り合っている。
ディードもシドルの力量を悟ってか、むやみに突撃することなくその場で止まった。
犬型のディードは黒い毛を逆立て、威嚇するように吠える。しかし、シドルはその咆哮を物ともせず、相手が飛びかかってくるのをじっと待っていた。
……厄介な相手だ。
そうディードは感じたのか、標的を瞬時に変えた。
――すなわち、こちら目掛けて飛びかかってきたのだ。
(……え?)
「クロト!!」
シドルの叫び声を耳にしつつ、クロトは高速で飛びかかってくるディードを見ていた。
クロトはこの時、自分でも驚くほどこの状況を冷静に観察していた。
人が死んでいるというのに、自分が今にも殺されかかっているのに、逃げもせず、かと言って腰を抜かすこともなく、ただただディードと向かい合っていた。
心拍数も平常通り、心情の変化も全く無い。
ただ、体が勝手に動いていた。
「ッ!!」
クロトは手元にあった皮剥用のスキナーナイフを逆手に持ち直し、飛びかかってくるディードとすれ違いざまに真っ直ぐ前にナイフを振った。
抵抗は感じられなかった。
ナイフはディードの口内に侵入したかと思うと、口を境にディードを上下に解体してしまった。
空中で解体されたディードはそのまま壁にべちゃりとぶつかり、臓物と黒い血で壁を汚す。
やがて2つに分かれたそれは地面に落ち、綺麗な断面図を晒していた。
その断面図を、クロトは無表情で眺めていた……が、すぐに自分がやったのだと自覚し、呼吸が荒くなる。
「……はぁ……はぁ……」
あのディードを、狩人でも手こずるであろうあのディードを一太刀で殺してしまった。
運が良かったのかもしれない。相手が油断していたのかもしれない。
しかし、クロトはそうだとは思えなかった。
間違いなく自分の身体は敵を殺すために最適な動きを行った。
紛れも無くこれは自分の力によるものだった。
シドルも狩人だったこともあってか、クロトの意外な実力を知り、驚いている様子だった。
「おいクロト、お前……」
「どうした!?」
ディードの咆哮を聞きつけてか、遅れて地下に狩人たちが集まってきた。
地下には4名の解体係の死体、そして解体刀を手にしたシドルとスキナーナイフを手にしたクロト、そして上下真っ二つに切断されたディードの亡骸。
クロトの服とスキナーナイフは黒い血で汚れており、誰がディードを殺したのかは一目瞭然だった。
狩人は皆が手にそれぞれの武器を手にしていたが、事態が収まったことを悟るやいなや構えを解いた。
そんな中、前に出てきたのはリリサだった。
「何があったの?」
シドルは長い解体刀を台の上に置き、両断されたディードを指さしながら説明し始める。
「このディード、別のヤツの腹の中に隠れてやがった。解体場に着くなり腹を突き破って職員を襲い始めて……咄嗟に俺が倒そうとしたんだが……結果的にクロトが一撃で倒しちまった」
「一撃で……」
地下に集まっていた狩人達はクロトがディードを倒したことに驚いている様子だったが、懐疑的ではなかった。
黒い血でまみれたナイフを握っている。
その状況を見れば誰がディードを殺したかは一目瞭然なのだ。
奴隷として働いているクロトが鮮やかにディードを殺した件について、シドルはある可能性を示唆する。
「こいつ、記憶喪失とか何とか言ってたが……案外記憶を失う前までは狩人をやっていたのかもしれないぞ……」
この予想はクロトにとっては想定外だった。
自分は日本人だし、この世界で化物と戦った経験など一度もない。
だが、シドルの言うとおり、狩人か何か戦闘経験がなければあのような素早い動きはできない。
狩人でないにしろ、記憶を失う前の自分は武術か何かを修めていたのかもしれない。
頭では覚えてないが、体が覚えているというやつだ。
そんなシドルの考えに、一人の狩人が反論を述べる。
「確か、現在行方不明者とされている狩人は8名、その中に黒髪の男は一人も……」
「猟友会に登録している狩人が全ての狩人なわけじゃない。流れの狩人でも実力者はいる。……聞けばクロトはベックルンの山で遭難していたらしいじゃないか。あそこは大型ディードの出没地だ。頭部を強く打って記憶を失った可能性もあるぞ」
シドルの予想はかなり無理なところがある。狩人たちも半信半疑の目でこちらを見ている。しかし、リリサは顎に手を当て「なるほどね」と頷いていた。
「クロが狩人なら、私の父のブレスレットを持っていても不思議じゃないわね……」
リリサはそう言って、更に提案する。
「クロ、明日一緒にベックルンに行くわよ。……ディードを狩っていれば何か思い出すかもしれないし……あ、そうだ。ついでにあんたが拾われた場所にも行ってみましょ。何か手がかりがあるかもしれないわ」
「!?」
ディードを狩る、と聞き、クロトは慌ててスキナーナイフをテーブルに置く。
「狩るって……僕がですか!?」
クロトの質問に、リリサは視線をディードの死骸に向ける。
「そのディード、大きさもそこそこで動きも素早い上に戦い方も賢い、かなりの難敵よ。そのディードをただの皮切りナイフで両断した……これは中級者の狩人でも難しいわ。それをあんたはやってのけた。……私も同行するし、ベックルンのディード程度なら問題無いでしょ」
「おおありですよ……」
先ほどのカウンター気味の攻撃は狙ってやったわけではない。言うなれば偶然だ。
記憶を失う前の自分ならいざ知らず、素人同然の自分があんな真黒の怪物を狩れるとは到底思えない。考えるだけで手足が震えてくる。
何とか断れないだろうかと思い、クロトは苦し紛れに言う。
「本当にさっきのは偶然なんです。ディードを狩るなんて……絶対無理ですよ」
「だから、私がいるから大丈夫って言ってるでしょ? そもそも、奴隷に拒否権があるとでも思ってるの?」
「……」
奴隷という言葉を出されてしまうと反論のしようがない。
不安を募らせるクロトだったが、シドルはクロトよりも暗い表情を浮かべていた。
「4人か……全員、良い奴だったんだが……」
シドルの視線は解体場の床、ディードに噛み殺された4人の職員に向けられていた。
まさか彼らも解体場で化物に殺されるとは夢にも思っていなかっただろう。
「……俺もベックルンに行くぞ」
唐突に発言したのは別の狩人だった。
リリサは即座にその理由を問う。
「どういうつもり?」
「勘違いするなよリリサ。別にお前と同行するってわけじゃない」
ガタイのいい狩人は拳を握りしめ、悔しげに続ける。
「ウチの職員を殺されて黙っていられるわけがない。……また同じことが起きる前に、ディードを根こそぎ狩ってやる」
この狩人の言葉に、その場にいた狩人たちは同調する。
「そうだな、俺達も行くぞ」
「ああ、思い知らせてやらないとな」
「弔い合戦だ!!」
場が騒がしくなってきた。ディードにしてやられたのが余程悔しいようだ。
「出発は明日……早速討伐の準備を始めるぞ」
「おう!!」
全員が気合の入った声を上げる。
その後、ガタイのいい狩人を先頭に、彼らは列をなして解体場から出て行ってしまった。
狩人たちがいなくなると解体場は静かになり、クロトは改めて床に転がっている係員達の亡骸に目を向ける。
……明日は自分もああなっているかもしれない。
そう考えるだけで背筋が寒くなるクロトだった。