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天球のカラビナ  作者: イツロウ
07-覚醒者の選択-
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078


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 ――目が醒めた

 ……いや、全てを思い出した。

 DEEDのこと、世界のこと、スヴェンのこと、そして自分のこと。

 クロトは長い間忘れていた自分の記憶を完璧に取り戻していた。

 目の前にいる黒衣の男は超能力者の(ハヤト)

 隣に立っているのは露国が生み出した毒人間、トキソ

 その後ろで巨大な日本刀を構えている巨大なロボットはゲイル

 そして、3人に身を守られているカチューシャの似合う女性は……僕の恋人の近衛律葉

 3人と1機の視線はこちらに向けられており、その視線には親しみと懐疑心、相反する感情が同在していた。

 そんな視線を受けつつ、クロトは“自分が自分である”事を証明するべく語りだす。

「今まで僕達がディードだと思って戦っていたのは人類が作り出した対DEED用兵器、クロイデル……そして人類の生き残りだと思っていた彼らはDEEDの変異体。僕が記憶を失っていたのはゲイルによる頭部への攻撃のせい……いや、DEED因子の活動を停止させる特殊弾のせいだったんだね……」

 あの特殊弾の効果は絶大だった。が、僕を死に至らしめるまではできなかったようだ。

 僕の身体能力は無敵だ。一度受けた毒に対しては抗体ができる。もし同じ特殊弾を受けても即座に対応できるだろう。

 クロトが記憶を取り戻した事を確認してか、隼は黒いフードを外して近寄ってきた。

「色々思い出したみたいだが……気分悪くないか?」

 フードを外すと目立つ赤髪を確認できた。それにお調子者特有の陽気な顔……間違いなく隼だ。

 クロトは隼の顔を観察しつつ応じる。

「大丈夫……と言いたいところだけど記憶が錯綜して混乱気味だよ。まあ、普通に会話する分には問題ないみたいだけれど」

「良かった良かった。俺の記憶をテレパスで同期させて強引にお前の記憶を呼び覚ましたわけだが……荒療治の割にうまくいったな」

「シナプスを活性化させたわけか……冗談抜きで荒療治だね。普通の人なら精神崩壊してるよ?」

「だけどお前は普通じゃない。……だろ?」

「確かにね……フフ」

 クロトは少し笑い、改めて隼の背後にいるメンバーに目を向ける。

 ゲイル、トキソは微動だにしない。だが、律葉はゆっくりとこちらに歩み寄ってきていた。

 まだコールドスリープから目覚めて間もない。思うように体が動かないのだろう。

 クロトは律葉を迎えるべく前へ動こうとする。

 すると、今の今まで動かなかったゲイルが刀を構えて警告を発した。

「近づくなククロギ。お前の容疑は晴れたわけではない」

 ゲイルからは殺気が嫌というほど放たれていた。しかし、律葉はそれを制する。

「ゲイル、戦闘行為は禁止ってさっき命令したよね?」

「……」

 流石に命令には逆らえないのか、ゲイルは律葉の一声で刀を納め、一歩退いて大人しくなった。

 安全が確認できた所で改めてクロトは律葉の元へ向かう。

 二人は広場の中央で接触し、何も言わずにお互いに抱き合った。

「ただいま、真人……」

「おかえり、律葉……」

 律葉の温もりが、鼓動が、そして優しさが服越しに伝わってくる。

 彼女は生きている。

 今、僕の目の前に無事な姿で存在している。

 たったそれだけのことでも、クロトにとっては最上に嬉しいことだった。

 二人はしばらく抱き合っていたが、唐突に律葉はクロトから距離を取る。そしてクロトの体を頭の天辺からつま先までつぶさに観察し始めた。

「……別れてから1,200年だっていうのに全く変わってないわね」

 クロトも律葉の姿を観察する。

 体は冷凍睡眠用の特殊なスーツに覆われている。が、流石に体のラインが出るのが恥ずかしいのか、膝丈の軍用コートを羽織っていた。

「律葉も変わってないよ」

 ついでに「かわいいよ」とも言いたかったが、そこまでの勇気はクロトにはなかった。

 クロトの気も知らないで律葉は会話を続ける。

「そりゃあそうよ。冷凍睡眠してたんだから。……1,000年も2,000年も私にとっては昨日の出来事よ」

「確かにそうだね……」

 応えつつ、クロトは少し先のことを考えていた。

 僕はDEEDマトリクス因子の影響で身体能力を強化され、おまけに不老になってしまった。これから先2000年でも5000年でも生きようと思えば生きることができるだろう。

 だが律葉は違う。彼女は普通の人間であり、どんなに長くても100年以内に死んでしまう。

 つまり、たったの100年しか彼女と共に時を過ごせないのだ。

 普通の人間は100年スパンで自分の人生のことなど考えたりしない。だが、不老の自分は違う。2000年生きてきた自分にとって、100年なんてあっという間だ。

 今までは彼女が静止軌道ステーション内にいるから頑張ってこられた。戦う目的も、生きる目的も持てた。

 しかし、彼女が死んだら僕はどうすればいいのだろうか。

 そう考えると恐ろしい……いや、急に寂しくなってきた。

 その感情は表情に反映され、律葉は心配そうにクロトに問いかける。

「どうしたの? 寂しかった?」

「……別にそうでもなかったさ」

「嘘でしょ」

 律葉は自信満々に告げた。どこからそんな自信が湧いてくるのか。……が、事実であるのは間違いなかった。

 見栄を張っても仕方がない。

 クロトは正直に告げることにした。

「正直に言うと寂しかった。でも、隼もゲイルもいてくれたからね。そこまで寂しくはなかったよ」

 それにこの2年は記憶喪失のおかげでそんな事を考える暇もなかった。

 イワンさんとミソラとは1年間穏やかに過ごせたし、リリサに出会ってからも道中は大変だったが絆のようなものを感じることができた。

 律葉は「そう……」と言うと急に口調を変える。

「積もる話もあるでしょうけど、まずは確認させてもらっていい?」

「確認? 別にいいけれど……」

 何の確認だろうか。

 クロトが色々と想像している間、律葉は手元の情報端末に目を落としていた。

「降りてくる途中でゲイルからの報告書を読んだわ。……これ、本当なの?」

「これ、って言うと?」

「真人、あなたが“DEEDとの共存を望んでいる”って発言したことよ」

 告げると同時に律葉は端末の画面をこちらに見せる。

 小さな長方形の画面……そこには確かに5年前のやり取りが……ゲイルが僕を攻撃するに至った理由と、その会話の内容が一文一句正確に記録されていた。

 特に否定する理由もなく、クロトは素直に頷く。

「うん……」

「この発言のせいでゲイルは真人を不穏分子を見なして攻撃……結果、記憶喪失になり2年以上DEEDと共に生活していた。……これも本当なのね?」

「本当だよ。しかもクロイデルを破壊しながらね……裏切り者と思われても仕方ないよね」

 今にして思えば隼が頑なに正体を見せなかった理由、そして事情を話さなかった理由がよく分かる。

 もしあの時、隼の顔を見たり、話を聞いて記憶を取り戻していたら、真っ先にカラビナに向かっていただろう。

 カラビナに向かうとなれば当然ゲイルの攻撃対象となり、戦闘が発生する。

 僕とゲイル程の実力者同士の戦闘ともなれば周囲への被害は計り知れない。軌道エレベーターに甚大な被害が及ぶ可能性も否めない。

 つまり、隼は僕を軌道エレベーターからなるべく遠ざけておくべく、繰り返し警告を発していたというわけだ。

 多分、アイバールの村で過ごしていた時期もずっと監視していたのだろう。

 DEEDに交じって穏やかに暮らしていた僕を見て隼は何を感じていただろうか。……というか、今までのことを全部監視されていたかと思うと何だか恥ずかしい。

 ミソラとは結構懇意にしていたし、リリサとも長い間一緒にいたし、ティラミスには過剰に懐かれていたし、ジュナからはエンベルで一緒に暮らさないかと誘われた。

 リリサ以外の3名からは抱きつかれたこともある。特にティラミスは毎日のようにべたべたひっつかれていた。

 そして僕自身も彼女たちに対してそれなりの好意を持って接していた。

 つまりは程度こそ軽いものの平たく言えば浮気である。

 この事実を律葉が知ったらどうなるだろうか……

 隼が黙っていてくれることを願うばかりである。

 律葉は間を置いてクロトに問う。

「記憶喪失になっていたならDEEDと生活していたのも納得できるわ。……問題はその前、どうしてDEEDと共存できるなんて考えたの? 人類を壊滅寸前まで追いやった仇なのよ?」

 律葉の問いも当然である。

 クロトはスヴェンの言葉を借り、説明する。

「報告書にも書いてあると思うけれど……DEEDの総数は3000万体。彼らを労働力にすれば人類再興を効率的に行えると思ってね。実は内部にも協力者がいたんだ。……ゲイルに殺されちゃったけれどね」

 ゲイルがあの時のことを全て記録していれば報告書にも書かれているはずである。

「3000万の労働力……?」

 概要しか読んでいなかったのか、律葉は報告書を読み直し始める。

 すぐにその時の会話のやり取りの詳細を把握したようで、律葉は自分なりの考えを述べる。

「効率性を考えるならこの案は確かに良いかもしれないわね……。でも、報告書での隼の言葉通り、3000万体のDEEDを管理するのは大変だし、反乱でも起こされたら対処にも困るわ。……やっぱりDEEDは完全に殲滅するべきよ」

 律葉はこの案に賛成してくれなかった。

 クロトはこれは仕方ないと考えていた。なぜなら全ての情報を伝えきれていないからだ。

 カミラ教団を介せば3000万を自由に操作できる。カミラ教団のお偉いさん方を説得できれば、それだけで問題は解決するのだ。

 クロトはそのことを伝えようとするも、律葉の発言によって阻まれてしまう。

 律葉は再びクロトに近寄り、両手でクロトの右手をギュッと握る。

「お願い真人、考え直して。……今ならこの報告書、私の権限でなかったことにできるわ。だから……」

「……それは不可能です」

 会話に割って入ってきたのはゲイルだった。

「その記録は公的な記録です。削除するにはブレインメンバー全員の合意が必要ですし、もし改竄しようものなら近衛律葉博士、あなたも不穏分子として排除の対象となります」

 とことんゲイルは規律と任務に忠実なロボットである。それは良いことだし、だからこそ何の疑いもなく信頼できる貴重な存在だ。

 だが、融通がきかないのが難点である。

「ククロギ、貴様が現在も排除対象であることを忘れるなよ。今は上位命令によって戦闘行動を禁止されているが、もし解除されたら真っ先に貴様を今度こそ確実に排除する」

 物騒な話である。

(さて、どうしたものか……)

 兎にも角にも、まずはブレインメンバーに事情を話す必要がある。

 まずはメリットを話すべきだろう。

 人類を窮地に追いやったエイリアンとは言え、3000万体の労働力を消してしまうのは勿体無いということ。

 そして、カミラ教団を介せば3000万体を効率的に運用できるということ。

 デメリットは反乱されたり攻撃される可能性があるということだが……

 もし反抗されても現状の戦力差は圧倒的であり、こちらの5万人には絶対に被害が及ばない。

 この点を伝えればブレインメンバーも納得してくれるはずだ。

 しかし、もしもブレインメンバーが納得してくれない場合はどうしようか。

(どうしようもないよね……)

 納得してくれない場合は当初の計画通り、3000万体の人の形をしたDEEDを殲滅することになる。

 当然その中にはリリサを始めとする6名のメンバー、そしてアイバールの村で僕の帰りを待っている親父さんやミソラ、それに今まで関わってきた人々全員が含まれることになる。

 ……みんないい人たちだ。

 DEEDだということは理解している。しかし、彼らを殺すことなんてできない。

 スヴェンと同じ道を辿らせたくない。

 感情が昂ぶってか、クロトは思わず振り返り、リリサ達に目を向ける。

 リリサは構えも取らないで呆然と立ち尽くしており

 ティラミスは若干身を縮こませて不安げな表情を浮かべており

 モニカは死を覚悟してか蛇に睨まれた蛙のごとく固まっており

 ジュナは本能的に恐怖を感じて動けないようで、戦意をむき出しにしつつも悔しげにしており

 フェリクスも本能的に恐怖を感じて脚が震え、おまけに及び腰になっており

 ヘクスターは渾身の力作を海に捨てられたことがよほどのショックだったようで、まだ地面に手をついてしょんぼりしており

 カレンはこの状況下でも戦意を失っておらず、ゲイルに熱い視線を送っていた。

 全員反応は様々だったが、未知の敵を目の前にして動けずにいるのは事実だった。

 呆然としていたリリサだったが、こちらと視線が合って我に返ったようで詰問してきた。

「クロト、そいつらと何を話しているの!? 私達が分かる言葉で喋って頂戴!!」

 そう言えば彼らにはこちらの言葉が分からないのだった。

 スヴェンの時は英語を話せたので問題なく意思疎通できたが、彼らは英語も日本語も分からない。

 不便だなあと思う一方で、クロトは安堵していた。

 今までの会話を聞かれなくてよかった。もし彼らが3000万人の殲滅作戦の話を聞いていたら間違いなく話がこじれていたはずだ。

 クロトはリリサの質問に応じる。

「ごめんリリサ、今大事な話をしてるんだ」

「だ・か・ら、何を話してるのか教えなさいって言ってるの!!」

 リリサはクロトの胸ぐらを掴む。

 その瞬間、ゲイルが日本刀の柄に手を伸ばす。

 ゲイルの動きを察知してか、律葉はゲイルに釘を差すように言う。

「……何度言えば分かるの? 戦闘行為は禁止よ」

「……」

 ゲイルは命令されてからも暫くの間柄を握っていたが、やはり命令には逆らえないらしく、小指から順番に力を抜いていき、ゆっくりと手を元の位置に戻した。

 言葉は分からずともこの状況は理解できたようで、リリサは驚いた様子で呟く。

「人間がヒトガタに命令してる……? 意味がわからない……あの女、一体何者なの? ねえクロ、ちゃんと説明して!!」

 叫ぶリリサにクロトは飽くまで冷静に対応する。

「今ここで彼らの事を説明するのは難しいし、説明しても理解できないと思う。僕自身も記憶を取り戻したばかりで多少混乱気味なんだ。ここは大人しく下がっていてくれないかい」

「え、記憶を取り戻せたの!?」

「それも含めてちゃんと後で説明する。だから今は言うことを聞いて欲しい。お願いだ」

 クロトはリリサに掌を向け、これ以上接近しないように警告する。

 それでもリリサはその場から動かず、不満げな表情を浮かべていた。

 クロトはリリサの琥珀の双眸を真剣に見つめ、ダメ押しをする。

「……とにかく、確実に言えることは彼らに少しでも攻撃の意思を見せたら殺されるかもしれないということ。逆に言えば大人しくしていれば彼らは絶対に攻撃してこない。……だから、今は大人しくしてくれるかい」

 リリサ達は一流の狩人ではあるが、ゲイルや隼やトキソの前では無力に等しい。

 もしここでリリサ達が暴れでもしたら……隼は攻撃しないだろうが、ゲイルやトキソは間違いなく躊躇なくリリサ達を攻撃する。

 そんな最悪な事態だけは避けたい。

「……」

 リリサはようやくクロトの本気度を理解したようで、無言で後ずさる。

 話が終わると、律葉が提案してきた。

「まずは彼らに退いてもらいましょ。このままだと安心して話せないし、そもそも彼らがいる限り警戒態勢を解くこともできないわ」

「いいのかい? このまま逃しても」

「私、隼の報告書にも目を通してるの。……大事なお友達なんでしょ?」

「……」

 願ってもない提案だ。てっきり拘束されるかと思っていたが、このまま見逃してくれるのならそれに越したことはない。

 律葉はリリサ達をこの場から退けるべく、早速話を進める。

「あっち側の責任者は誰? さっきの女の人?」

 律葉はリリサを指差す。が、クロトは首を左右に振る。

「……いや、あの桃色の髪の人だよ」

 クロトが指差したのは猟友会の会長カレン・ソーンヒルだった。

 カレンは曲がりなりにも猟友会を束ねる長だ。感情に流されることなく的確な判断を下してくれるだろう。

 律葉はカレンを見、クロトに言伝を頼む。

「そう。じゃあ彼女にこう伝えて。……“身の安全は保証するから、この場から去りなさい”って」

「わかった」

「あと、クロイデルの警戒モードも一時的に解除するから、無事に帰れることも伝えておいてね」

「うん」

 至れり尽くせりである。

 ……何事も穏便に済ますに越したことはない。律葉の温情に感謝である。

 クロトはカレンの元に向かい、律葉の言葉をそのまま伝える。

「カレンさん、今すぐゴイランまで戻って欲しい」

「ここまで来て引けっていうのー?」

「海棲ディードにも君たちを襲わないように命令してある。安全に帰れるよ」

「ディードに命令? 一体あれは何者なの? 人間? それともヒトガタ?」

「それも含めて詳しく説明するから。早くみんなを連れて帰って欲しい。ここで死にたくないだろう?」

 カレンは律葉を興味深く見つめていたが、何をしても無駄だと悟ったのか、肩をすくめて頷いた。

「戦力差は圧倒的……わかった。全く状況は理解できないけれど、ゴイランに戻ればいいのね」

「分かってくれて助かるよ」

 カレンはすぐさま踵を返し、メンバー全員に告げる。

「みんな撤収よー。来た道戻って船に乗って帰るわよー」

 カレンの一声に反応し、緊張していたメンバーは各々カレンの後に続いていく。

 真っ先に動いたのはフェリクスだった。余程この状況が怖かったのだろう。いの一番に階段目掛けて走っていく。

 続いて動いたのはモニカとジュナだった。

 二人共状況を把握できず不満げな顔をしていたが、この場に留まると危険だということは十分に理解していたようでカレンに続いて階段を降りていく。

「ほらヘクスター、帰るわよ」

「はい……」

 ジュナに名を呼ばれ、ヘクスターは立ち上がり、とぼとぼと広場から去っていく。

 順調に広場から姿を消していくメンバーだったが、カレンの指示を無視して留まるのものが二人いた。

 それはリリサとティラミスだった。

 動く気配のない二人にクロトは優しく警告する。

「二人共どうしたんだい。早く帰らないと危ないよ」

 このクロトの言葉に真っ先に反応したのはリリサだった。

「クロは帰らないの?」

「え?」

「帰って全部説明するって約束したでしょ。約束は守ってもらうわよ」

「ちゃんと説明するよ。でも今は……」

「言い訳無用よ。一緒に帰って思い出したこと全部説明して頂戴」

 相変わらず頑固な狩人だ。

 さて、どうやって彼女を帰したものか。悩んでいると律葉が声を掛けてきた。

「彼女、何て言ってるの?」

「僕と一緒に帰りたいらしいんだ」

 そう言うと、途端に律葉の表情が冷たくなる。

「……もしかして真人、私が眠ってる間にあの美人さんと……」

「違う違う!! ……隼の報告書を見たなら知ってると思うけれど、彼女たちは記憶喪失中、僕を助けてくれた仲間だ。それ以上でも以下でもないよ」

「ふーん……」

 弁明しても律葉の表情は冷たいままだった。

 まあ、美人レベルで言えばリリサの方が上なので律葉がこういう態度を取る理由も分かるが、そういうふうに律葉に勘違いされるのは何だか不条理に思えた。

「とにかく事態を正確に把握できるまでは無理よ。帰るように言ってあげて」

「……わかった」

 クロトは律葉に言われた通り、リリサに再度通告する。

「リリサ、悪いけれど僕はここに残るよ。色々とやらなきゃならないことがあるんだ」

 リリサはクロトをじっと見ていたが、ようやく納得してくれたのか、視線を外して階段に体を向けてくれた。

 振り返りざま、銀の長い髪がふわりと揺れる。

「……絶対に帰ってきなさいよ」

 背を向けたまま呟くと、リリサは歩き出し、階下へと姿を消した。

 これで一段落付いた。

 ……と思ったのも束の間、付近から少女の声が発せられた。

「クロト様、あの、私は……」

 しどろもどろ言葉を繋いでいたのはティラミスだった。

 どうやら僕と離れたくないらしい。いつの間にか隣に立っており、服の裾をしっかりと握っていた。

「困るよティラミス……」

 ティラミスの僕に対する信頼と言うか懐きっぷりは異常だ。

 嬉しいことには嬉しいのだが、度を過ぎている。

 どう言えばカレンと一緒にゴイランに帰ってくれるのか、考えていると律葉がティラミスの顔を覗き込んだ。

 覗き込まれ、ティラミスはクロトの体に隠れながらも会釈し、律葉に挨拶する。

「は、初めまして。ティラミスです……」

 なんとも礼儀正しい少女だ。

 こんな状況下でもしっかりと挨拶できる。……肝が座っているのか、それとも視野が狭いのか。

 どちらにしてもこの可愛い挨拶は律葉のハートをがっしりと掴んだようだった。

 律葉は素早く回り込み、ティラミスの正面に移動すると膝に手をついて目線を合わせる。

 眼鏡のレンズの奥にあるのはアメジストを連想させる綺麗な青紫の瞳。

 顔立ちは幼いながらもどこか知的さを感じさせられる。

 髪の色は紺色。髪型はショート。髪質も良く、均一に光を反射している。

 そんな少女に不安げな表情で上目遣いで見つめられ、律葉は思わず言葉を漏らす。

「かわいい……」

 クロトはその言葉を聞き逃さなかった。

「ん? 今なんて……」

「かわ……皮の色、綺麗な褐色ね……」

「それを言うなら肌だろ」

「……そうとも言うわね」

 律葉は歯切れ悪く応じつつ、ティラミスの腕を自然に取り、撫でる。

 さわり心地も良いのか、律葉は満足気にしていた。

 逆にティラミスは初対面の、しかもゲイルや隼やトキソを引き連れた不詳の女性にべたべた触られ、少し恐怖を感じている様子だった。

「止めてあげなよ。というか普通に触ってるけれど大丈夫なのかい?」

「何が大丈夫って?」

「いや、いきなり攻撃されるかもしれないだろう?」

「こんなに礼儀正しい娘が不意打ちなんて卑怯な事するわけ無いでしょ」

「毎度思うけれど、その自信はどこから来るんだろうね……」

 不毛な会話の後、遅れて律葉は重大な事実に気づく。

「あれ、その子日本語が喋ってなかった?」

 律葉の疑問に応じたのはティラミス本人だった。

「あ、はい。なぜだか喋れるんです。日本語」

「へー……真人が教えたわけじゃなくて?」

「うん。彼女、海岸に打ち上げられてたんだけれど、僕と出会ったときには既に日本語を完璧にマスターしてたよ」

 これについては僕も理由はよく分かっていない。

 ティラミスについては謎が多い。この機会に律葉に調べてもらうのも良いかもしれない。

 そうすればティラミス自身の過去がわかる可能性があるし、彼女自身も記憶を取り戻せるかもしれない。

 律葉がじっとティラミスを眺めていると、隼が会話に割り込んできた。

「実はついさっき髪を頂いてDNAを調べたんだが……その娘、人体改造を受けた可能性があるんだよ」

 律葉はこの興味深い話に食いついた。

 律葉はティラミスから離れ、隼の元へ向かう。

「データ、見せてもらえる?」

「おう」

 隼はロングコートのポケットから端末を取り出し、律葉に手渡す。

 律葉はしばらく画面とにらめっこした後「んー」と唸って端末を隼に押し返した。

「……詳しいことは専門の機材を使わないと分からないかな。でも人間の遺伝情報を持ってるのは確かね。彼女、DEEDじゃないわよ」

「……では、彼女は一体何者ですか」

 ゲイルはまだティラミスを信用できないのか、律葉に問いかける。

「そう答えを急く必要はないでしょ。彼女が望むなら詳しく調べてあげてもいいけど」

「え、いいんですか?」

 ティラミスは自分のことが分かるかもしれないと思ってか、目をキラキラ輝かせる。

 しかし、ゲイルは賛同しなかった。

「それはよくない……よくないですよ近衛律葉博士」

 ゲイルは金属の指でティラミスを指差し、言葉を続ける。

「彼女を調べるということは施設内部の研究棟に入れるということ……それは許可できません」

機械(ロボット)の意見は求めてないわ。許可するかどうかは私が決めるの」

 律葉はゲイルの意見を一蹴し、手をぱんと叩く。

「はい。現時刻を持って厳戒態勢は解除。私は真人と隼とこの娘……ティラミスと一緒に上に上がるわ。ゲイル、引き続き哨戒任務よろしく」

 一方的に告げると、律葉はエレベーターのケージ内へ入っていく。

 クロトはゲイルとトキソから嫌な視線を受けつつも広場を通り抜け、ケージ内に入る。

 隼、ティラミスも乗るとケージは自動的に扉を閉じ、ゆっくりと上昇し始める。

 ……みんなは無事にゴイランに戻れただろうか。

 遠ざかっていく景色を目下に眺めつつ、メンバーたちの安否を気遣うクロトであった。

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