077 遭難者(2)
077
「ここは……」
どうやらかなり遠くまで吹き飛ばされたらしい。
視界に映るのは白。雪で覆われた山々。
規則的に天に伸びている峰々は実に見ごたえのある景色だ。まさに絶景と呼ぶにふさわしい。
しかし、真人はその景色を楽しむ余裕が無いほど体に重大なダメージを受けていた。
落下の際に色々とあちこちぶつけたらしい。体中痛い。
痛いという感触も久々だ。
実に2,000年ぶりの痛みに耐えつつ、真人は自身の体に目を落とす。
右腕は捻れに捻れて原型をとどめていない。腹部にも大きな穴が空き、内臓が見えている。
両足もどこかに行ったのか、腿から先がない。
唯一動くのは左腕。
しかし、その左腕も手首から先はぐちゃぐちゃになっており、指と呼べるものは親指しか残されていなかった。
常人なら即死級のダメージだ。
だがDEEDマトリクス因子を持つ僕ならこの程度のダメージ、即座に回復して……
(駄目か……)
いつもなら破損した箇所は即座に復元されるのだが、今はその気配はまったくない。
それどころか体の至る場所から血が流れ出ている。
このままの調子で行けば失血死は免れない。
多分……いや、間違いなくこれはゲイルの放った特殊弾、DEED因子を停止させる物質のせいに違いない。
僕は普通の人間に戻ったのだろうか。
いや、違う。こんな状態でもまだ自分が生きているのは特殊弾の効果が不完全だったせいだ。
DEED因子は弱まっているのは確かだが、まだ自分の中で微弱ながら活動を続けている。そのおかげで僕は命を繋ぎ止められているのだ。
「はは……」
不意に乾いた笑いが口から漏れる。
まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。
まさか仲間から攻撃を受けるなんて……しかもあの攻撃、本気だった。
本気でゲイルは僕を殺そうとしていた。
まあ、それも仕方ない。
原因を持ち込んだのは自分だし、多少のリスクは覚悟していた。
だが、ゲイルと隼なら分かってくれると思っていた分、ショックは大きかった。
「……」
真人は力を抜いて背中を木の幹に預ける。
だんだん眠たくなってきた。
このまま僕は死ぬのだろうか。痛みを感じながらゆっくりと死んでいくのだろうか。
もう律葉にも会えないのだろうか。裏切り者の烙印を押されたままこの世から消えてしまうのだろうか。
(くやしいなあ……)
スヴェンとは本気で分かり合えた。だから、人の形をしたDEED達とも穏便に交渉できると思っていた。
しかしそれは実現することは永遠にない。
あと少しすればクロイデルはアクティブモードになり、3000万の命が奪われ始める。
今まで自分は何のために戦ってきたのだろうか。
2,000年前から今まで、人類を再興する目的でがむしゃらに頑張ってきた。
……途中サボることもあったが、それでも全ての行動は人類の再興に直結していた。
今回の交渉も人類のためでもあり、そして人型DEEDのためでもあった。
3000万の労働力を使えば人類は効率的に復興することができる。同時に罪のない3000万の命も救うことができる。
この案はとてもいい案だ。自分でもそう思うし、みんなも分かってくれると信じていた。
しかし、結果はこの有様だ。
もう少し上手くやれなかっただろうか。
そう思うとやりきれない気持ちになる。
「はぁ……」
眠気に加えて体が寒くなってきた。
もうじき自分は死ぬ。
最期くらい律葉の顔を見たかった。律葉の声を聞きたかった。
しかしそれは不可能な話だ。
ならばせめて彼女のことを想いながら逝くことにしよう。
真人は目を瞑り、深く息を吐く。
吐いた息は周囲の冷たい空気に混じり、白い息となる。
それ以降真人は息を吸うことも吐くこともしなくなり、呼吸停止状態に陥った。
鼓動も止まり、真人の体から完全に力が抜ける。
どこからどう見てもそれは損壊の激しい死体であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
……が、心停止してから数秒後、真人の体から黒い粒子がかすかに漏れ出し、体表面を覆い始めた。
粒子は真人の体を完全に覆い尽くすと続いて繭上に変化し、体を完全に覆い尽くす。
それはDEED因子が自らの遺伝子を存続させるための最終手段だった。
この繭はDEED因子が宿主を治療するために形成したものであり、内部ではすでに宿主……真人の体の再生が行われ始めていた。
一種の冬眠状態と言っていいだろう。
しかしその再生速度はゲイルから受けた特殊弾の影響のせいか、かなり遅く完治に至るまでは数年の月日を要しそうだった。
だが、確実に真人は五体満足状態で復活する。
……自分が生き返ることをこの時の真人はまだ知らなかった。
……3年後
雪山の獣道を二人の親子が歩いていた。
天候は吹雪。大粒の雪がこれでもかと言うほど降っており、横殴りの風に乗って親子に襲いかかっていた。
視界も悪く、昼過ぎたと言うのに5m先も見えない状況だった。
だが、親子にとってそれは日常らしく、全く動揺している気配はなかった。
二人共分厚い毛皮の服に身を包んでおり、背には林で拾ったであろう薪が積まれていた。
一人は髭を蓄えた大男。50kgはあるであろう大量の薪を易々と背負っている。
もう一人はブロンドショートに蒼の瞳がよく似合う可愛い少女。彼女の背中にも薪はあったが大男とは比べ物にならないほどの少量だった。
少女は積もった雪をぎこちなく踏み歩きつつ父親の後を追う。
「お父さん、待ってよ!! ……イワンお父さん!!」
イワンと言う名の大男は振り返る。
「待つも何もゆっくり歩いているだろうが。お前がいちいち寄り道するから遅れるんだ、ミソラ」
ミソラと呼ばれた少女はイワンに言い返す。
「寄り道じゃなくて“宝探し”。このあたりはディードの骨とかたまに転がってるから、一つでも見つければ結構なお金になるでしょ?」
「それはただの噂だ。いいからしっかり跡を付いてこいミソラ。迷子になっても知らんぞ」
「えー……」
少女、ミソラは唇を尖らせ不満げな顔を浮かべるも、父親には逆らえないのか素直にイワンの跡を追い始める。
その後数分間は順調に山を下っていたが、不意にミソラは道を逸れた林の中にキラリと光るものを見つけた。
ディードの骨だろうか。
興味を押さえきれなくなったミソラは父親に告げる。
「何か光ってる!! ちょっと見てくるね!!」
一方的に告げるとミソラはその場に薪を放置し、林の中へ早足で進んでいく。
「おいミソラ……まったく、あいつは……」
イワンは止めようとするも、途中で諦めてミソラの後を追う。
ミソラは吹雪の合間にチラチラと光るものに向かって進んでいく。
もしかして光っていたのは氷柱かもしれないと思っていたが、この吹雪の中で光をしっかり反射しているのだ。ディードの骨に間違いない。
確信を持ったミソラは早くお宝を手に入れるべく歩調を速める。
……と、不意にその方角から声が聞こえてきた。
「――!! ――!!」
何を言っているのかまでは分からない。だが、男の声で叫んでいるのだけはわかった。
声色もなんだか切迫した様子で助けを求めているように感じられた。
……もしかして遭難者だろうか
ミソラは一旦歩みを止め、イワンと合流する。
足を止めたミソラを不審に思ってか、イワンはミソラに問いかける。
「どうしたんだ?」
「お父さん、今何か聞こえなかった?」
ミソラに言われ、イワンは両手を耳の位置に持っていき、耳を澄ます。
「……」
しかし、無言のまま首を横に振った。
空耳だったのだろうか。それにしては随分はっきりと聞こえた気がする。
……声のことは気になるが、今はそれよりもお宝が先だ。
ミソラは再び光の方へ向かって歩き出す。と、今度こそはっきりとした男の声が聞こえた。
「――……――!!」
間違いない。人の声だ。言葉の意味は分からないが必死さだけは伝わってきた。
イワンも今度は聞こえたのか、ミソラと目を合わせる。
「遭難者か?」
「多分そうかも。とにかく行ってみよう……」
ここまではっきりと声が聞こえたとなっては仕方がない。お宝は後回しだ。
ミソラは声がした方向へ向かって進み出す。しかし、その方向は光が反射している方角でもあった。
しばらく進んでいくと、大樹のもとに辿り着いた。
その付近はなぜか吹雪が少し弱まっており、視界も随分と良くなった。
ミソラは一旦立ち止まり、また声がしないか耳を澄ます。
……が、それよりも先に視界に動くものの姿を発見した。
「見つけた!!」
それは裸同然の黒髪の男だった。
一体何があったのか。ディードに襲われたにしては怪我はないし、このあたりで追い剥ぎをやるような人間もいない。
とにかく事情を聞くのは後だ。今は彼の命を繋ぎ止めるためにも体を温めるのが先だ。
ミソラはとコートを脱ぐと男に羽織らせ、うずくまっている男の顔を見るべく膝をつく。
顔は真っ青だ。体温も低い。意識も朦朧としているようで、目が泳いでいる。
しかし、男はこちら姿を認識した途端、安堵の表情を浮かべた。
……これなら助かりそうだ。
ミソラは黒髪の男を運ぶべくイワンを呼ぶ。
「お父さん、こっち、早く家まで運ばないと!!」
「待て待て、焦らせるな」
イワンは背負っていた薪をその場に降ろすと、ミソラへ近づいていく。
と、ここでとうとう黒髪の男は体に力が入らなくなったのか、男はミソラに向けて倒れ込んでしまった。
「きゃっ!?」
ミソラは思わず悲鳴をあげてしまう。が、地面に倒れ込む前にイワンが間に合い、ミソラの体を後ろから支えた。
「おっと危ない。……ミソラ、お前も薪を置いていけ。まずはこいつの命を助けるのが先だ」
「うん」
イワンはそう告げると男をひょいと持ち上げ、背負う。
男は尚も気を失ったままで、イワンの背中にしがみつくことすらできなかった。
「仕方ないわね……」
ミソラは男がのけぞらないように背後から支える。
それにしても一体何がどうなってこの男は全裸同然でこの場所にいたのか……。
疑問を感じつつもミソラは家に着くまで黒髪の男……真人の背中を支えていた。




