表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天球のカラビナ  作者: イツロウ
06-天球のカラビナ-
77/107

076 喪失の始まり


 076


 時刻は夜。

 人里離れた草原の丘の上にて。

 真人は草野ベッドの上に寝転がり、天を仰ぎ見ていた。

 こうやって空を見上げるのは毎日の日課だ。

 月の満ち欠けを観察しているだけでも楽しいし、星座を眺めて神話に思いを馳せるのもなかなかにロマンティックだ。

 まあ、そこまで星座に詳しいわけではないが、士官学校にいた時に方位磁石が壊れた時の方角の確認方法として一通りは学んだ。

 そのおかげか、蠍座や射手座は探すのに数秒かかるが、北斗七星はすぐに認識できる。

 北極星さえわかれば東西南北全て分かる。

 ちなみに今足を向けている方角が北である。

 北斗七星は柄杓の形と言われているが、サバイバル訓練を受けさせられた自分からしてみればフライパンかスキレットにしか見えない。

(もう2000年か……)

 仲間と行ったサバイバル訓練、地獄のような特訓、怒鳴られながら臨んだ飛行訓練……

 どれも2000年以上も前の出来事なのに、昨日の出来事のように思い出せる。

 歳は取っていないが、時は経った。こうやって過去のことを何度も思い返しているのも長い年月を過ごした影響かもしれない。いや、きっとそうだ。

 律葉との想い出もたくさんある。が、彼女との思い出に関してはあまり思い出さないようにしている。

 思い出せば出すほど悲しく、虚しく、そして恋しくなってしまうからだ。

 想い出に浸っている間は幸せだ。が、その後に訪れる孤独感は半端ではない。

 だが、もう少しすればその孤独に耐える必要もなくなる。

 長い眠りについている恋人について思いを馳せていると、不意に付近から男の声がした。

「よう。もう来てたのか」

 夜の闇に紛れて現れたのは銀髪に琥珀の瞳が特徴の男、狩人スヴェンだった。

 真人は「ああ」と応じ、上半身を起こす。

 同時にスヴェンは真人の隣に座り、脇に抱えていた紙袋を寄越してきた。

「ほれ、いいものを持ってきたぞ」

 真人は疑うことなく紙袋を受け取り、まずは感触を確かめる。

 それなりの重さ、形状はボトル。そして、かすかに香るアルコールの匂い。

「……ワインか」

「飲むだろ?」

「頂くよ」

 真人は返事をしつつ、紙袋からワインボトルを取り出す。ガラスは透明で、中にはほんのりと桃色がかった液体が入っていた。どうやらロゼワインらしい。

 真人は指先だけでコルクを抜き、鼻を近づける。

 ボトルの口からはやわらかい香りが感じられた。ワインには詳しくないが、それなりの品質のワインのようだ。

 スヴェンは「失礼」と言ってこちらからワインボトルを取り、別のバッグからグラスや食べ物を取り出し始める。

「チーズもあるぞ。食べるか?」

「もちろん」

 スヴェンはテーブルクロスを地面にばっと広げると、慣れた手つきでテキパキとチーズやグラス、そしてパンも並べていく。

 その仕草からは全く警戒心や恐怖心は感じられず、リラックスと言うか、油断しきっていた。

(まさかこんなにも長く付き合うことになるとは……)

 ――スヴェン・アッドネスと会ってから7年の月日が経った。

 世界情勢や文明について英語で記したレポートを貰っていたのも最初の2,3年ほどで、今は単に人目のない場所で会って下らない話をしている。

 話せば話すほどスヴェンという男は興味深い。

 彼は狩人の中でも結構実力者の部類に入るらしいが、狩りはせずにカミラ教団とつるんで遺跡や遺物の調査を行っているらしい。

 本人曰く、黒い化物を相手にするよりもこっちのほうが面白いらしい。知的好奇心が旺盛なのだろう。

 そして話し上手でもあり聞き上手でもある。

 彼が毎回仕入れてくるネタはどれも面白く、いつの間にか夢中になって聞いている。

 そして僕も過去のこと……2000年前の昔話を彼に対して延々と話している。

 会話は止むことはない。2時間3時間の会話は当たり前で、時には6時間を越えることもある。

 彼とは気が合う。

 彼もそれを自覚しているのか、僕を信頼しきっている。

 ……ふと思うことがある。

 彼を殺すことができるのだろうか、と。

 当初の目的では情報を聞き出すだけ聞き出して、飽きたら殺すつもりでいた。

 それが今ではこの有様だ。自分の甘さには辟易する。

 しかし、それも仕方のないことだと自覚していた。

 僕は孤独すぎた。

 隼やゲイルという仲間はいるが、彼らは飽くまで仲間であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 しかしこのスヴェンという男は面白い。

 会話をしているだけで退屈な気分が吹っ飛んでしまう。

 孤独だった自分が彼のことを中々手放せないのは当然のことであった。

 ……だが、いつまでもこんな関係を続けるのは駄目だ。

 いつか終わりにしなくてはならない。

(終わり、か……)

 真人は冷笑してしまう。

 いつか、いつかと先延ばしにしていては永遠に彼のことを殺せない。

 ならばいっそのこと今日、この場で殺してしまおうか。

 スヴェンは優秀で屈強な狩人だが、こちらの力の前では赤子に等しい。

 痛みを感じさせる間もなく一瞬で逝かせることができるだろう。

 それがせめてもの……これまで暇つぶしに付き合ってくれたお礼だ。

 真人は黒い粒子を手の内でナイフ上に形成する……と、不意にスヴェンが話しかけてきた。

「……ほら、用意できたぞ」

 気付くとスヴェンはワインの入った二つのグラスを手に持っており、片方をこちらに差し出していた。

 真人はそれを受け取ろうとするも、手を伸ばした所で動きを停止した。

 そしてスヴェンに問いかけた。

「……怖くはないのか?」

「いきなりどうした?」

 スヴェンはグラスを引っ込め、地面にそっと置く。

 スヴェンが話を聞く態勢になったところで、真人は思うところを述べていく。

「人間がコールドスリープを終えた時、お前たちは全員殺される運命にあるんだぞ。なのにお前はこちらを説得するでもなく、ただ無駄話を続けている。……このままでいいのか? お前は」

 真人の言葉を一通り聞くとスヴェンはワインをぐいっと飲み、軽い口調で言い返す。

「ククロギ、俺はお前の言うとおりにはならないと思うね」

「……真面目な話をしているんだ」

 スヴェンの態度に業を煮やしてか、真人は形成していたナイフでグラスを一刀両断する。

 スヴェンの手にあったグラスは綺麗に切断され、器をなくしたワインは重力に従って地面へとこぼれ落ちた。

 真人はそのままナイフをスヴェンに向け、言葉を繰り返す。

「間違いなくお前たちは一人残らず駆除される。そういう計画なんだ。お前は自分の命が惜しくないのか? もっと真面目に考えたらどうなんだ」

 ナイフを向けられても尚、スヴェンの態度は変わらない。

 真人に渡す予定だったグラスを地面から持ち上げると、再びワインを飲み始める。

「これでも真面目だ。俺達は絶対に殺されないと思ってる」

 それは嘘でも冗談でもなく、本心から言っているように思えた。

 何故ここまで確信が持てるのだろうか……

 真人はナイフを引き、ため息をつく。そして改めてスヴェンに問いかけた。

「……どうしてそう思う?」

 待っていたと言わんばかりにスヴェンは喋りだす。

「そちらの計画は、俺達人型DEEDに文明社会を築かせた後、その社会をシステムごと頂くって計画だ。だが、システムだけ手に入れた所で5万人の手にあまるのは目に見えてるし、大半の産業が人手不足のせいで無駄になってしまう」

「何が言いたいんだ?」

「社会あっての人じゃない。人があってこその社会だ」

 真人はこの言葉の意味を少し遅れて理解する。

 5万人で現在この世界にある全ての施設を効率的に運用するのは不可能だ。幾つかの箇所は……いや殆どの場所が無用の長物と化してしまう。

 全てを効率的に運用し、生産性を維持するにはどうするべきか。

 スヴェンはその答えを告げる。

「俺たちは3000万近くいる。……3000万もの人的資源をむざむざ殺すのは勿体なくないか?」

「つまりそれは……」

「そうだ。俺達を人類の再興の道具として使えばいい」

 それは突拍子もなく意外な提案だった。

 だが、理にかなっていた。

 こちらの計画では5万人から始め、世代交代を重ねながら文明を再興するはずだった。が、3000万人がこちらの指示に従えば1世代でかなりの復興が望める。

 律葉や玲奈に原始時代のような生活を送らせる心配もなくなる。便利で豊かな人生を送ることができるはずだ。

 それでも問題がないわけではない。スヴェンの提案には大きな問題がある。

 真人はその点を指摘する。

「そっちの言い分はわかった。だがスヴェン、お前の提案は自ら奴隷になると言っているようなものだぞ。お前は人間に使役されることを望んでいるのか?」

「望んじゃいないさ。しかし、3000万人が生き残るにはこの道しか無いだろう?」

「確かにそうだな。……だが3000万人全員が奴隷になることを受け入れるとは思えないぞ」

 これが最大の問題点だった。

 長い間信頼関係を築いてきたスヴェンとは違い、他の人の形をしたDEEDは事情も何も知らないしスヴェンほど友好的ではない。いきなり奴隷になれと言われて従う奴は一人もいないだろう。

 スヴェンもそれは重々承知のはずだ。しかし、スヴェンは余裕の表情を浮かべていた。

「その質問も想定済みだ。近々話そうと思ってたんだが……今話そう」

 スヴェンはワインを飲み干し、グラスを地面に置く。

 そして、琥珀の双眸を真人に向け、一言告げた。

「……神になればいい」

「神?」

 真人が疑問を抱く暇もなくスヴェンは言葉を続ける。

「現在この世界の全てを司っているのはカミラ教団だ。あの猟友会も一応はカミラ教団の傘下の組織ってことになってる。……お前さん達はカミラ教団よりも上に位置する存在になればいい。そうすればカミラ教団経由で3000万人を動かすことができる」

「カミラ教団はそれを認めるのか?」

「……トップ連中を納得させる必要はあるだろうな。だが、お前さん達が持ってる“高度な文明”を見せれば全員簡単に納得すると思うぞ」

 高度な文明というのは銃器やミサイルのことだろう。

 こちら側が圧倒的な戦力を持っていると認識させれば相手は従わざるを得ない。

「……5万人が目覚めれば文明レベルは一気に上昇する。奴隷にされてもその文明の恩恵を受けられるとなれば、カミラ教団も納得するだろう」

「納得したとして……いきなり現れた人間を“神”扱いするとは思えないが……」

「いいかククロギ。俺達には皆殺しにされるか使役されるか、2つの選択肢しかない。前者を選ぶような馬鹿はカミラ教団の幹部にはいないさ。……もし造反者がでても問題ないだろう。お前さんなら一人でも3000万人を殺すことができる」

「……そうだな」

 これはローリスク、ハイリターンな話だ。

 文明レベルも戦力も圧倒的にこちらが上だ。3000万人でも3億人でもいようがクロイデルがアクティブモードになればものの数年で事は済む。

 3000万という労働力は魅力的だ。たとえそれがDEEDであったとしても、人類の再興に役立つとなれば使わない手はない。

「どうだ。これは俺達にとってもいい話だし、そちらの5万人にとってもいい提案だと思わないか」

 良い提案だ。が、真人は根本的な問題に気づいてしまった。

「確かに良い提案だ。……問題はこちら側がその提案を受け入れるかどうかだ」

 真人はスヴェンの提案に納得した。が、ブレインメンバーがこの提案を受け入れるかどうかはわからない。

 と言うか、彼らが起きる前にクロイデルはアクティブモードになり、3000万人は駆除される。

 ブレインメンバーに提案する機会すら無いのだ。

 相談できる相手といえば……

(ゲイルと隼だけか……)

 さてどうしたものか。

 取り敢えず彼らに事情を話して、クロイデルのモード変更時期を遅らせる必要がある。

 スヴェンの提案は魅力的だ。ブレインメンバーに話を聞いてもらうことさえできれば望みはあるかもしれない。

 特に律葉と玲奈。彼女たちとは仲がいいし、こちらの話を真剣に聞いてくれるはずだ。

 とにかく今はクロイデルをパッシブ状態で維持しておく必要がある。

 しかしクロイデルに関する操作権限は全てゲイルに一任されている。つまり、ゲイルを納得させないことにはブレインメンバーに提案することもできない。

 面倒なことになりそうだ。

「とりあえず仲間には報告しておく」

「ありがとう。助かるよ……」

 スヴェンは真人の返事を聞き、安堵のため息をついていた。

 やはりスヴェンは面白い男だ。

 まさか自分達を奴隷として使ってくれと提案してくるとは思ってなかった。

 生き残るためには仕方ない選択だが、それでもこちらと戦うという選択肢を選ばなかったことは素直に褒めたい。

 彼は共存の道を望んでいる。

 いきなり地球に襲来してきた球体の化物が生み出した物とは思えない思考パターンだ。

 真人はスヴェンから視線をそらし、天を見上げる。

 頭上には無数の星。

 有機生命体が棲む星は地球以外にも無数に存在するだろう。

 地球。

 豊かな水と緑に覆われた美しい惑星。奇跡の惑星。

 宇宙を見上げつつ思いを馳せていると、今まで思いもしなかった考えが頭の中に浮かんできた。

 真人はそれを言葉にしてスヴェンに告げる。

「スヴェン、お前を見ているとこの地球という星はお前たちDEEDに任せたほうが良いかもしれないと思えてくる」

「急にどうしたんだククロギ?」

「文献を読んでいるなら知っていると思うが、我々人類は繁栄を望み続けるがあまり自分で自分の首を絞めてきた。大気汚染に水質汚染、それに核兵器も最たる例だな」

 人類は地球を汚してきた。調和の取れた生態系を自己利益のために破壊し、核という悪魔の兵器まで生み出してしまった。

 それも地球の生態系の一部だという考えもあるが、真人にはそう思えなかった。

 真人は思いの丈を告げていく。

「今のお前たちの文明レベルは地球と人間の関係で言うと理想的な状態に思える。下手に文明を発達させるよりもこのレベルで生活していったほうが人類という種は長く生きられるかもしれない」

 ――どんな種もいつかは滅びる運命にある。

 人間もいつかは滅びると思っていたが、人間自身がそれを加速させていたように思える。

 しかし彼らはどうだろうか。

 クロイデルの監視下にありつつも、実に自然と調和した生活を営んでいる。

 彼らのほうがこの地球という惑星にとってはいい存在なのではないだろうか。

「人類は増えすぎた。……お前たちの侵略も自然の摂理から見れば不自然なことではなかったのかもしれないな」

 人類は滅びる運命にあった。

 それを無理に存続させる必要はあるのだろうか。

 憂いに満ちた真人を見て何か悟ったのか、スヴェンははっきりと告げた。

「ククロギ、地球を俺たちに明け渡そうなんて考えるなよ」

「スヴェン……」

「俺はこの目でお前たちの築き上げた文明を見たい。そして理解したい。例え奴隷に成り下がっても、甘んじて受け入れるさ」

 スヴェンの言葉は止まらない。

「俺たちは侵略者だ。本来ならお前たちに滅ぼされていても不思議じゃないし、文句を言う筋合いもない。……しっかりしろ、人類を再興させるんだろう?」

「……」

 スヴェンの言葉は真人の心に深く突き刺さった。

 自分には人類を再興させる使命があるし、何より愛する人が……律葉が豊かな人生を送れる世界を作らなくてはならない。

 律葉の為にも人類を再興は必須だ。

 真人は邪念を振り払うかのように首を振り、視線を前に向けたままスヴェンに言う。

「……すまない。さっきの言葉は忘れてくれ」

「ああ忘れるとも。その為にも今日はとことん飲まないとな」

 スヴェンはいつもの笑顔を真人に向け、新しく取り出したグラスにワインを注ぎ始める。

 ワインを注ぎ終えるとスヴェンは「ほれ」と言ってグラスを真人に差し出す。

 真人は今回はグラスを割ることなく普通にグラスを受け取り、すぐに口元に持っていった。

 ワインは真人の味覚を刺激し、そのまま喉を通って胃に落ちる。

 甘くて美味しいワインだ。

 体質上酔えないが、それでも酒を嗜むことくらいはできる。

 真人はあっという間にワインを飲み干し、スヴェンにグラスを返す。

「おかわりか?」

「頼むよ」

 スヴェンが2杯目を注いでいる間、真人はスヴェンの提案に関して話を進める。

「もしも……もしもだ。我々人類とお前たちが交渉するような事があれば、お前が代表として交渉の場に立ってくれないか」

「え!?」

 スヴェンはグラスを落としそうになるも、地面ギリギリでキャッチし、言い返す。

「俺が代表? 冗談はよしてくれよ。……俺は着の身着のまま世界を放浪してるただの好奇心旺盛なだけの狩人だぜ? 代表なんて務まらないっての」

「務まるさ。……7年間も“ヒトガタ”と友好な関係を築いてきたんだ。お前以上の適任者はいないよ」

 スヴェンには不思議な魅力がある。

 彼ならうまく橋渡し役を果たしてくれるだろう。いや果たしてくれるに違いない。

 そう確信した真人は次の段階に進むことにした。

「……お前のことを紹介しても悪くないかもしれないな」

「紹介?」

「ああ、お前たちが言うカラビナを守ってるゲイルとパイロにな。彼らも賛同してくれればブレインメンバーにも話が通しやすくなる」

「おお、とうとう軌道エレベーターってところに連れて行ってくれるわけだな」

 スヴェンの反応は嬉しげだった。

 ゲイルと隼のことはそれとなく話している。

 片方は重量を操る機械の巨人。もう片方は物を燃やすのが得意な超能力者。

 どちらもスヴェンにとっては興味の対象だ。実物を拝めるとなると嬉しがるに違いない。

 と思っていたが、スヴェンの表情は優れなかった。

「……でも、急に会って攻撃されたりしないか? 事前に連絡を入れたほうが……」

「それこそ危険だ。アポ無しで直接軌道エレベーターに向かうのがい。軌道エレベーターの近くならゲイルも下手に戦闘行動は取らないだろうからな」

 ゲイルの一番の優先事項は軌道エレベーターを守ることだ。

 もし軌道エレベーターの上で戦闘になれば軌道エレベーターに被害が及ぶ。懐に飛び込んだほうが安全なのだ。

「ゲイルは堅物だがメリットを話せば納得してくれるだろう。くれぐれも変な動きはしないようにな」

「その辺りは心得てるさ」

 話がついた所で真人は立ち上がる。

「それじゃあ早速明日、向かうことにしよう。昼にこの場所に迎えに来る。それまでに準備をしておいてくれ」

「……わかった」

 スヴェンも立ち上がり、伸びをする。

 堅い話が続いて緊張していたのだろう。明日はもっと緊張することになるだろうが……そのあたりは持ち前の陽気さでカバーしてもらおう。

「じゃあ、また明日」

 真人はさよならを告げると脚に力を込め、地面を蹴る。

 一瞬で真人は空高く跳び上がり、夜の闇に紛れて見えなくなってしまった。

 遅れて真夜中の草原に鋭い風切音が発生したが、それも数秒で収まり、静けさが戻る。

「明日か……」

 スヴェンぽつりと呟くとワインボトルと食べ物をバッグに仕舞い、その場を後にした。



 翌日、昼過ぎ。

 真人は軌道エレベーターの発着場前広場にてゲイルと隼に声を掛けていた。

「ゲイル、隼、急に呼び出してごめんね」

「何だ、改まって」

「緊急事態でも?」

 こうやって二人を呼び出すのは初めてのことだ。

 二人も異常を感じてか、ゲイルは周囲を警戒し、隼は少し不安げな表情をしていた。

 真人は二人を交互に見つつ、話を切り出す。

「みんなが目覚めるまであと少しだろう? その後の事について提案があるんだけれど」

「おう、クロイデルのモード変更の話か? この間の話で解凍シークエンスの5年前にアクティブモードに変更するって決めたはずだが……何か問題でも?」

「実行は2週間後……何か新たな情報を手に入れたのか?」

「違う、もっと根本的な話なんだ」

 この二人は信用できる仲間だ。だからこそ単刀直入に述べたほうがいいだろう。

 真人は心を決め、思うところを述べる。

「思うに、彼らを……DEEDを殺す必要はないんじゃないか?」

 真人が発言した瞬間、隼は信じられないといった表情で真人に詰め寄る。

「何を言ってるんだ真人!? 形は人間のそれとかわらねーが、奴らは間違いなくDEEDだ。連中は全員殺す。殺さなきゃ今まで連中に殺された100億人が浮かばれないぞ」

「パイロの言うとおりだククロギ、……まさか連中に情でも移ったか?」

 情が移ったと言われればそうかもしれない。

 だが、それを抜きにしても彼らを活かしておくメリットはある。

 真人は昨日スヴェンから提案された案を二人に告げることにした。

「よく考えてみてくれ。DEEDの数はおおよそ3000万人……これはいい労働力になる。世界を再興するには彼らの労働力を使うのが効率的だと思わないか」

 彼らにとっては斬新な提案かと思ったが、二人の考えは揺るがなかった。

「おいおい真人、マジで言ってんのか? 馬鹿な考えはよせよ」

「パイロの言うとおりだ」

 ゲイルは合成音声で間を区切ることなくDEEDの危険性について説く。

「DEEDの遺伝子の残滓か、彼らの中には“狩人”と呼ばれる高い戦闘能力を持つ個体も多々見られる。連中が一斉に蜂起した場合、人類に被害が出る可能性は大だ」

 相変わらずゲイルは心配症だ。

 もし狩人たちが歯向かったとしても僕一人で……いや、隼一人で十分に対処可能なレベルだ。

 そんな真人の考えを代弁するかのように、広場に通じる階段から声が発せられた。

「――それはない。もし戦ったとしてもこっちに勝ち目はないさ」

 言葉とともに現れたのは黒い球体だった。が、すぐに球体に亀裂が入り、中から男が出てきた。

 それは銀髪に琥珀の瞳を持つ狩人……スヴェン・アッドネスだった。

 予期せぬ来訪者にゲイルも隼も身構える。

「誰だ!?」

 ゲイルは腰に提げている日本刀の柄に手を伸ばし、戦闘態勢に移行する。

 隼は彼にテレパスを使ったのか、信じられないといった表情で真人に告げた。

「まさかククロギ、お前……DEEDを連れてきたのか!?」

「……うん」

 真人は隼の質問に対し頷く。

 ここまでスヴェンを連れてくるのは意外と簡単だった。黒の粒子ですっぽりと彼を覆っただけだ。

 黒の粒子は電波を吸収する。

 ゲイルのレーダー網もくぐり抜けられるし、隼のテレパスも遮断できる。

 隼のテレパス能力は生命体から発せられる微弱な電磁波を高精度、かつ広範囲で受信する能力だ。つまり、黒の粒子で覆ってさえしまえば隠すことができるというわけだ。

 驚いている二人を前に、真人は早速スヴェンを紹介する。

「彼はスヴェンだ。実は7年前からコンタクトを取ってる。……彼の話を聞いてみてくれ。考え方が変わるかもしれない」

 スヴェンからは敵意は感じられない。それはテレパスを使える隼が一番良く理解しているはずだ。

 隼はすぐにスヴェンに戦闘の意思がないことを理解してか、緊張を解く。

 が、機械のゲイルはそうはいかなかった。

「排除する」

 ゲイルは小さく宣言した。

「ゲイル、まずは話を……」

 真人はゲイルを落ち着かせるべく声をかけようとする……が、何もかもが遅すぎた。

 ゲイルは声を発した次の瞬間には抜刀しており、重力制御を用いた超高速移動術でスヴェンの真正面に到達していた。

 そして、刀は前方下方に突き出されており、その切っ先はヴェンの胸部を貫いていた。

 まさに刹那の出来事だった。

 胸部を刺されたことに数秒遅れて気がついたのか、スヴェンは助けを求めるように真人の名を呼ぶ。

「ククロギ……」

「スヴェン!!」

 真人は慌ててスヴェンのもとに駆け寄る。が、真人が動き出そうとした時には既にゲイルはスヴェンに連続で斬撃を放っており、刹那の間に行われた無数の斬撃はスヴェンを人の形からただの肉塊へ変貌させていた。

 地面にべチャリと落ちた肉を見つつ、真人は激しく後悔していた。

(まさか……こんな……)

 ……二人のどちらかが問答無用でスヴェンに攻撃するかもしれないことは想定していた。

 だからこそスヴェンには距離を取らせた。もし攻撃されても黒い粒子の盾で防げると思っていたからだ。 

 真人の考えは甘かった……と言うよりゲイルの戦闘能力を見誤っていた。

 真人はゲイルが戦闘している場面を一度も見たことがない。スペックもそれほど高くないし、斬撃も容易に防ぐことができると考えていた。

 だが、重力制御ユニットを機構内に9つほど内包しているゲイルの戦闘能力は予想を遥かに越えていた。

 スヴェンを死なせてしまったのは自分の目測が甘かったからだ。

 自分の認識の甘さに、そしてゲイルの問答無用の攻撃に怒りを覚え、真人は叫ばずにはいられなかった。

「何故攻撃したゲイル!! 気でも狂ったか!?」

「黙れ。それはこっちのセリフだ」

 ゲイルは巨大な日本刀を鞘に納めると、真人に詰め寄る。

 10mの巨体から発せられる威圧感は凄まじいものがある、が、真人の意識はバラバラにされたスヴェンに向けられており、威圧感を感じる余裕はなかった。

 そんな真人にゲイルは告げる。

「……何故あんなモノを連れてきた。この軌道エレベーターを危険にさらすとは……気が狂っているのはお前の方だぞククロギ」

「彼に攻撃の意志はなかった。殺す必要はなかったはずだ……」

「攻撃の意志があろうとなかろうとアレはDEED。駆除するのは当然のことだ」

 それで話は終わりだと言わんばかりに、ゲイルは今後のことについて話す。

「こちらの位置情報がばれた危険がある。今すぐアース・ポートの移動を開始する。手伝ってくれ」

 そんなゲイルの指示を無視し、真人は語る。

「彼は……彼は人だった。意思の疎通もできて対話もできる。彼を交渉役にしてDEED達と友好な関係を結べる可能性もあった」

「“友好”だと……発言には気をつけろ。貴様も排除の対象になるぞ」

 ゲイルは再び日本刀の柄を握りしめ、真人に対して構える。

 真人はゲイルから発せられる殺気を物ともしないで言葉を続ける。

「ゲイル、人類を危険に晒したくない君の考えはよく理解できる。だけれど、これからのことを考えるなら彼らの存在は……」

「はいはいストップ」

 ここまで話した所で隼が会話に割って入ってきた。

 隼は真人の真正面に立ち、両肩を掴む。

「やめろククロギ、これ以上は駄目だ。さすがの俺も庇いきれない。つーか、お前の考えも理解できない。一体どうしたんだ? あのDEEDに何か吹き込まれたのか?」

「いや、僕の意志だ」

 真人は隼を脇に退け、再度ゲイルと対峙する。

「確かにDEEDは僕達人類を窮地に追いやった忌むべき存在だ。だが、彼らは違う。平穏に暮らしている。そんな彼らを皆殺しにするなんて……DEEDとやっていることが同じじゃないか!!」

「……排除対象と見なす」

 攻撃は一瞬だった。

 ゲイルは刹那の間に抜刀し、人間には不可能な速度で日本刀を横に薙ぐ。

 目標はもちろん真人だ。

 だが、真人にその攻撃は効かなかった。と言うより届かなかった。

 真人から発せられる黒の粒子はゲイルの日本刀を完全に受け止めており、それどころか1mmたりとも動かせぬほどしっかりとその場に固定していた。

 攻撃を防いだ。

 この油断は真人にほんの少しの隙を生ませた。

 日本刀が防がれたと同時にゲイルはアームに仕込んでいた銃器の銃口を真人に向け、弾丸を射出したのだ。

 反重力で加速された弾丸は通常の数十倍の速度を有しており、真人はそれを回避することができなかった。

 秒速16kmで射出されたそれは真人の肩の一部を抉り、そのまま後方へ抜けていく。

 たしかにダメージは与えられた。が、破損した箇所は瞬時に再生され、真人は全く痛がる素振りを見せなかった。

 日本刀を宙に固定したまま、真人は告げる。

「無駄だよゲイル、君の力では僕を殺せない」

 確かにゲイルの性能は素晴らしい。もし2000年前に彼が製造されていたら最強の兵器となっていただろう。軍隊を持つ国を落とすことも簡単にできただろう。

 だが、それでも僕には届かない。

 DEEDマトリクス因子を持つ僕は現時点で地上最強であり、ゲイルを簡単に破壊するだけの能力を有している。

 ……それはゲイルも理解しているはずだ。

 だとしたら何故彼は僕に攻撃をしたのか。

 妙な違和感を覚えていると、不意にゲイルが言葉を発した。

「……殺せない? それはどうかな」

 言葉の後、真人は自身の体に異変を感じた。

 体が暑い。いや、寒い。動悸が止まらずめまいもする。

「う……」

 真人はすぐに立っていられなくなり、その場に膝をつく。

 めまいを覚えたと思ったら続いて激しい頭痛が襲いかかり、鼻から滝のように血が流れ始めた。

 この時点で真人は自分の身に何が起きているのか理解する。

 これは物理的な攻撃によるものではない。……毒物だ。毒物が体組織を破壊するべく体内で暴れまわっている。

 多分先程の弾丸の弾頭に仕込まれていたのだろう。

 この体の代謝機能ならばどんな毒でも瞬時に分解できるはずだが……一体どんな毒なのだろうか。

 朦朧とする意識の中、真人はゲイルに問いかける。

「さっきの弾丸……何の毒だ……?」

「察しが良いな」

 応じる必要も無いというのに、ゲイルは律儀に答える。

「近衛律葉博士の研究データを元に佐竹玲奈博士が作成した対DEED弾だ。弾頭にDEED因子の活動を停止させる物質が埋め込まれている」

「何でそんなものを……」

「保険だ。……ククロギ、お前は味方にすれば心強いが敵になると恐ろしい存在だ。裏切り、心中自殺、自暴自棄……可能性は低いが、お前が感情を持つ人間である以上ありえない話ではない。お前を無力化できる兵器を造るのは当然のことだろう」

「僕が人類を裏切るとでも?」

「裏切る裏切らないの話ではない。兵器は常に人のコントロール下にあらねばならない。でなければ不測の事態に陥った場合に制御不能になる。……今回のようにな」

「……」

 説明している間、真人の黒い粒子はその力を失い、霧散し始めていた。

 結果、ゲイルの日本刀は束縛から放たれ、自由になる。

 ゲイルは日本刀を改めて構え直し、ひざまずいている真人の正面に立つ。

 そして、別れの言葉を告げた。

「ククロギ、お前を排除する」

 その言葉の後、先程と同じく鋭い横薙ぎの斬撃が放たれた。

 狙いは側頭部。

 重力制御で加速された刃は音速どころか第2宇宙速度を超えており、力を失った真人の頭蓋を両断するには十分な威力を有していた。

 だが、真人は完全に力を失ったわけではなかった。

「……!!」

 インパクトの瞬間、真人は最後の力を振り絞り黒い粒子を少量ながらも発生させる。それで10cm四方のタイルを作り、側頭部に配置したのだ。

 結果、巨大な刃はタイルに接触。その硬度は高く、真人の側頭部まで達しなかった。

 ギリギリで真人は切断を免れた……が、衝撃を吸収することはできなかった。

 人知を超えた速度で振り抜かれた巨大な日本刀の衝撃力は凄まじく、真人は一瞬で軌道エレベーターの広場から退場し、空の彼方へ吹き飛ばされてしまった。

 真人は1秒と経たずに空を切り裂いて雲を抜け、視認できる距離から逸脱してしまった。

 斬撃を終えたゲイルは日本刀を鞘に納め、空を見つつ呟く。

「DEED因子の活動を停止させるはずだったが……完全ではなかったか……」

 ここまで全く展開についていけなかった隼だったが、真人がゲイルに攻撃されたことでようやく事の重大さに気付き、ゲイルに言葉を投げつける。

「ゲイル、お前……自分が何をしたかわかってんのか!?」

 隼は何かあればすぐに介入できるように準備していた。

 だが、まさかゲイルが真人を攻撃するとは夢にも思っておらず、全く動けなかった。

 2000年前の自分……DEEDと直接やりあっていたあの時の自分なら咄嗟の判断で真人を守れただろうが、自分はあまりにも長い期間“戦闘行為”から離れすぎていた。

 判断力も決断力も状況把握能力も鈍り、結果として真人への攻撃を許してしまったのだ。

 ゲイルを止められなかったのは自分の責任だ……。

 自分の不甲斐なさから来る怒りをぶつけるように隼は乱暴な口調で続ける。

「仲間を攻撃するなんて何考えてるんだ!? ありえねーぞ!!」

「ククロギはもう仲間ではない。不穏分子……いや反逆者だ。私は私に組み込まれた命令通り反逆者の排除を行ったまでだ」

 ゲイルは合成音声で淡々と告げる。

「しかし私としたことがとんだミスを犯してしまった。……私はアース・ポートから離れられない。これではククロギを追撃できない……まあいい。次、近づくことがあれば全力で排除すればいいだけのことだ」

 そう言うとゲイルはふわりと浮かび、アース・ポートの移動準備を始めようとする。

 隼は慌ててゲイルを追う。

「待て……待てよ!!」

 隼はPKで自らを浮遊させてゲイルの正面に移動し、真人の扱いについて提言する。

「真人は俺が説得に行く。2000年も生きてりゃ一時の間違いくらいはある。真人を説得できたら攻撃はしないでくれ。いいな?」

「……それは命令か?」

「ああ、命令だ」

 しばらくの沈黙の後、ゲイルはようやく応じる。

「上官からの命令なら従わない訳にはいかない。ククロギに関してはパイロ、お前に一任することとしよう」

「それはどうも」

 相変わらず偉そうな口調で喋る人形だ。

 そんなことを思いつつ隼は真人が吹き飛ばされた方角に目を向ける。

「それにしても思い切りぶっ飛ばしやがって……これじゃ探すのに一苦労だぞ」

「お前のテレパスなら簡単に探せるだろう。早く見つけて説得することだ」

「意識があればの話だがな……」

 意識を失った相手とは念話できないし場所もわからない。肝心のブレスレット型ビーコンも先程の衝撃で壊れてしまったようだし、これは探すのに手間がかかりそうだ。

 隼は別件でもゲイルに話を持ちかける。

「……ともかく、イレギュラーが発生した以上、クロイデルのモード変更も延期するべきだ。もしククロギがDEED側に寝返った場合、俺達にはどうしようもないからな」

「何を言っている。私とお前とクロイデルの力があればククロギ一人など簡単に……」

「馬鹿かお前は。今まであいつの何を見てきたんだ」

 隼はふうとため息を付き、真人の戦闘能力の高さについて語る。

「あの特殊弾を撃ちこんでも奴は黒い粒子を使えていた。お前の話じゃDEEDマトリクス因子を完全に停止させると言っていたが、あの様子だと一時的に力を弱めることしかできないだろうな」

「そんなことは……」

「言い訳はいい。……今最も恐れるべきはあいつが理性を失うことだ。あいつなら一瞬で軌道エレベーターを破壊することができるんだぞ」

「……」

 今更になって自分の行動が軽率だったことを悟ったのか、ゲイルは黙りこくってしまった。

 ロボットなので表情はわからない。が、もし彼が人間なら後悔たっぷりの表情を浮かべていることだろう。

 最後に隼はゲイルに告げる。

「とにかく俺は真人を探す。お前はそれまで今まで通り軌道エレベーターを守ってろ。いいな?」

「……了解した」

 隼はゲイルに命令すると真人が飛ばされた方角へと高速で飛んでいく。

 ゲイルはその後姿を見えなくなるまで眺めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ