表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天球のカラビナ  作者: イツロウ
06-天球のカラビナ-
71/107

070 覚醒の記憶


 070


 東京に巨大な隕石が落下し、内部から黒く巨大な怪物が出現してから3年。

 玖黒木(ククロギ)真人(マナト)は恋人の近衛律葉と共に地下シェルター内で避難生活を送っていた。

 地下シェルターは日本政府が核攻撃を受ける事を想定して極秘裏に建造したもので、赤石山脈……俗に言う南アルプスの北側に位置している。

 地中深くまで掘られており、広さもかなりあり、インフラも整っている。

 収容人数はおよそ5万人で、その5万人が3年間は生活できる程度の食料や日用品が貯蓄されている。

 しかし、現在シェルター内にはその半分以下の2万人程度しかおらず、閑散とはいかないまでもかなりスペースが余っている状態だった。

 ……この3年で世界は大きく変わった。

 黒く巨大な怪物……『DEED』と呼称されたそれは宇宙から飛来し、都市部を中心的に破壊行動を行った。

 その数は確認できただけでも1万を超え、世界各地に無数に散らばったDEEDは圧倒的な戦闘能力を余すところなく発揮し、世界中の主たる都市を1日と経たず破壊した。

 世界は混乱に包まれ、人々は急に現れた攻撃的な来訪者に為す術もなかった。

 その後もDEEDは世界中のあらゆる地点で破壊の限りを尽くし、日本の他にも中国、ロシア、アメリカ、北欧諸国も甚大な被害を受け、国家としての機能は呆気なく失われた。

 ちなみに東京はものの2時間でその機能を失い壊滅した。シェルター内の2万人はDEEDの攻撃から命からがら逃げてきた人々だ。

 それ以外の国民はDEEDによって殺されたか、核攻撃に巻き込まれて灰となった。

 核攻撃……

 DEEDが地球に飛来してきてから1週間後

 米国、ロシアを始めとする核保有国は、DEEDを人類にとって非友好的な地球外生命体として認定し、即座に排除するべく人類が持つ最高の破壊力を有する兵器……核ミサイルを使用することを決定した。

 決定するやいなや1万を超えるミサイルが世界中に放たれた。

 そしてそれらは地上を跋扈するDEEDに見事に命中し、周辺地域ごと圧倒的な熱量で燃やし尽くした。

 核攻撃によりDEEDは破壊された……かに思えたが、半日後には再生を始め、3日後には完治、再び破壊活動を始めた。

 結局、核ミサイルは地上を破壊しただけに終わり、世界の陸地の大部分を汚染、地形も大きく変えてしまった。

 人々は洋上に逃げざるを得ず、生き残った大部分の人々は空母や大型船の上で生活している。……が、海上にいる人々もDEEDに襲われ続けており、どんどん数を減らしている状況だ。

 核が有効ではないと知り、各国の研究機関は独自に、あるいは協力しつつ新たな兵器の開発、研究を行っている。

 地上の研究設備が使えないので難航しているらしいが……下っ端の自分が知っているのはこの程度だ。

 ちなみにこの南アルプスシェルター内でも生き残った研究者達によってDEEDに有効な兵器の開発が行われている。

 律葉もそのメンバーの一員として研究開発に従事している。

 一応機密事項なので詳しいことは教えてくれないが……実験はそれなりの成果を上げているらしい。

 自分はと言うと、自衛隊員として地下シェルター内のあらゆる雑務を行っている。

 食料の配給や物資の管理を始め、治安維持のためシェルター内を巡回したり、避難民同士のトラブルの解決を手伝ったりと、それなりに忙しい。

 いつまでこの生活が続くのか時々不安になるが、それはあまり考えないようにしている。

 何事もなければ食料は6年か7年、切り詰めれば10年は持つ。

 だが、DEEDにこの場所を見つけられたら一瞬で死だ。

 このシェルター内では外界の様子を知る術はない。DEEDが近づいて来ているかどうかすらもわからないのだ。

 辛うじて通信設備はあるが、近海の船上で生活している避難民と定期的に情報を共有する程度でDEEDや世界情勢については全くわからない。

 人類は終焉を待つばかりだ。

 シェルター内の住民も将来を悲観してか、顔に生気がない。ここ数ヶ月で自殺者も増え始め、シェルター内は沈んだ空気に包まれている。

 希望があるとするならそれは律葉が手伝ってる兵器開発だけだ。

 この研究がうまくいけば人類はDEEDを地球から追い払えるかもしれない。

 そのためにも律葉には頑張ってもらわねばならない。律葉が仕事に打ち込めるようにシェルター内の環境を少しでも安定させなければならない。

 そんな気持ちで真人は日々の生活を送っていた。



 ……転機が訪れたのはシェルター生活を初めて3年と2ヶ月が過ぎた頃だった。

 この日、真人を始めとする軍の従事者が研究棟に招集された。

 研究棟の玄関前の広場には500を超える隊員の姿があり、殆どが前向きな表情を浮かべていた。

 誰もがDEEDに対する兵器が完成したと思っていたからだ。そうでなければ事前通告もなく急に呼び出される訳がない。

 真人も彼らと同じことを考えていた。

 これから人類は新たな武器でDEEDを駆逐する。そして地球を人類の手に取り戻すのだ。

 そんな意気込みで待っていると、研究棟の玄関に幕僚長が姿を現した。

 幕僚長は白髪交じりの髪を掻き上げると帽子をかぶり直し、特に挨拶もなく喋り始める。

「……この3年で人類は10%にまで数を減らされた。今も米国や露国は核攻撃でディードを攻撃しているが、奴らはすぐに再生する。それどころか増殖して地上を覆い尽くさんとしている。このまま核攻撃を続けたとしても後2年も持たないだろう。このシェルターが発見されるのも時間の問題だ。……よって我々は最終手段に出ることにした」

 幕僚長は一呼吸置き、ちらりと研究棟に目を向ける。

「これまで極秘裏に行われてきた兵器開発……それを君たちに公表する」

 この言葉に玄関前に集まっていた自衛隊員から疑問の声が上がった。

「公表……兵器が完成したわけではないのですか……?」

 それはこの場にいる大部分が感じている疑問だった。

「完成の目処は立っている。だからこそ君たちを招集した」

「……?」

 隊員たちはいまいち状況が理解できないのか、殆どが疑問符を頭上に浮かべている状態だった。

 そんな彼らに具体的な説明を行ったのは女性研究員だった。

「結論から言います。……あなた方から被験体を選出したいんです」

 凛とした声でそう告げたのはショートカットの髪にカチューシャの似合う白衣の女性……律葉だった。

 幕僚長は“説明は任せた”と言わんばかりに玄関前から離れ、律葉に場所を明け渡す。

「まずはこれを見て下さい」

 律葉は玄関前に立つやいなや白い壁面をスクリーン代わりに映像を投射する。

 そこには顕微鏡で拡大したであろう画像が映し出されていた。

「これは数年前、北海道に落下した隕石から採取したDNAです」

 説明を聞きつつ真人はスクリーンに注目する。そこには確かに二重螺旋の紐状の物体が見て取れた。

「そしてこちらが……」

 画面が切り替わり、またしても同じような二重螺旋の紐が映し出される。

「現在地上で破壊活動を行っているDEEDの外皮から抽出したDNAです。……見ての通り、非常に酷似しています」

 画像の下にはよく分からない物質名と、その値が羅列されていた。

 詳しいことは全くわからないが、律葉が酷似しているというのならその通りなのだろう。

 律葉は言葉を続ける。

「これまで私達は何度か地上に調査隊を送り、ディードからサンプルを採取し、遺伝子解析を行ってきました」

「地表に出たのか!?」

 隊員から驚きの声が上がる。

 律葉はその声に対し小さく頷き、応じる。

「はい、3年で20回ほど外に出て、数百に及ぶサンプルを回収してきました」

(20回も……)

 まさかシェルターの外に出ているとは思ってもいなかった。

 多分犠牲者も多く出たことだろう。だからこそ研究は“極秘”扱いされていたのかもしれない。

 またしても映像が変わり、今度は数百近いサンプルのデータが事細かく表示される。

 律葉は数字の羅列とグラフを交互に指差しながら説明を続ける。

「サンプルを解析した結果、DEEDにはそれぞれに特性があることが判明しました。外見は全て同じウニのように見えますが、それぞれ硬い外皮を持つ個体、再生力に長けた個体、棘の伸縮速度が早い個体など……それらの因子を突き止めることも出来ました」

 もしかして、弱点となる因子でも見つけられたのだろうか。

 隊員の期待が高まる中、律葉は飽くまで冷静に説明を続ける。

「ここからが本題なのですが、よくよく調べてみると隕石から採取されたDNAはそれらの特性を全て備えていたのです。我々はこれを『DEEDマトリクス』と呼称することにしました」

 またしても映像が切り替わる。

 そこには隕石から採取されたデータが表示されており、グラフのパラメータ値は全ての項目において他のサンプルを大きく上回っていた。

「また、このDEEDマトリクス因子をラットに注入したところ、ラットのDNAは変質し、ディードの特性を獲得することに成功しました」

 今度は動画が流れる。

 動画では実験用のラットがいきなり黒色に染まり、鉄の金網をたやすく切り裂く様子が映っていた。ラットはすぐさま液体窒素で急速冷凍され、床に落下すると同時に砕けてしまった。

 DEEDの因子を取り込み、その力を使うことができた……。

 この事実は隊員たちにとって衝撃の事実であった。

 ここで真人は律葉が最初に言った“被験体”という言葉を言葉を思い出す。

 この言葉とラットの実験動画から、真人は研究チームが何を求めているのか、容易に想像できた。

 律葉は映像の投影を止めると自衛隊員たちに向き直り、真面目な声で告げた。

「……このDEEDマトリクス因子の注入実験を人間で行いたいと思っています」

 律葉の言葉はその場の空気を一瞬にして凍りつかせた。

 凍った空気の中、律葉は視線をやや下に向けたまま淡々と続ける。

「ラットの実験での成功率は0.05%……しかも完全に変異したわけではありません。人間となると成功率は限りなくゼロに近くなると思います。適合条件もわかりません。成功するかどうかもわかりません。しかし、毒をもって毒を制すという言葉もあります。もはやDEEDを倒すには同じDEEDの力を使うしかないんです。協力を……お願いします」

 律葉はとうとう頭を下げる。

 玄関脇に並んでいた他の研究員も遅れて頭を下げた。

 しばらくの沈黙の後、玄関前に小さく響いたのは隊員の不満の声だった。

「……人体実験かよ」

 それは呆れと怒りが混じったような、そんな声だった。

 その声に同調するように他の隊員も文句を言う。

「成功率はほぼゼロって……そんな無茶苦茶な話があるか!!」

「俺達に死ねって言ってるのと同じだぞ!!」

「何の研究をしてるかと思えば……DEEDになれだって? ふざけてんのか!!」

 成功率だけを考えるなら隊員たちにとっては死刑宣告と同じである。

 そんな無謀な実験に参加したいと思う人間などいるわけがなかった。

 不満の声をあげる隊員たちに対し、幕僚長は無表情で告げる。

「これは強制ではない。自衛隊員とはいえ人間だ。……話を聞いたうえで協力してくれるのなら名乗り出てくれ」

 そして帽子を脱ぎ、胸元で握りしめる。

「……ちなみに私は志願するつもりだ」

 この幕僚長の決意表明を聞き、今まで騒いでいた隊員たちは急に大人しくなった。

 先程まで文句を言っていた隊員は気まずそうに下を向き、場に再び静寂が訪れる。

 そんな中、幕僚長に次いで参加を表明したのは真人だった。

「――志願します」

 真人ははっきりとした声で告げ、前に歩み出る。

「核攻撃も大した効果が認められない。逃げ場もない。もう僕達にはこれ以外に生き残る選択肢が残されてない。……地球を護るためなら、僕は喜んで被験体になります」

 真人は宣言しつつも内心はドキドキしていた。

 同時に自分の取った行動に驚いていた。

 愛国心はある。国のために、世界のために戦う覚悟もある。

 だが、まさか、自分が、このタイミングで志願するとは思っていなかった。

 自分はそんなに自己犠牲精神の強い人間だっただろうか。ちょっとヒロイックな自分にに酔ってはいないだろうか。

 そもそも、他の隊員を差し置いてこんなに偉そうに講釈を垂れて良いのだろうか。

 果たして自分は生き残れるのだろうか。

(……どうして志願なんて……あ)

 何故自分が志願したのか理解できない真人だったが、すぐにその理由に気づいた。

 真人はその理由を無意識のうちに述べていた。

「律葉になら全てを預けられます……」

 真人の視線は研究棟の玄関に立っている律葉に向けられていた。

 律葉のことだ。悩みに悩んでこの方法しかDEEDに打ち勝つ方法がないと判断を下したのだろう。

 成功率は限りなく低い。実験が始まれば大勢の人が死ぬ。

 そんなことは彼女が一番良く理解している。

 ……苦渋の決断だったに違いない。

 だからこそ恋人である僕が彼女を支えてあげなければならない。彼女の判断が間違っていないことをこの身をもって証明せねばならない。

 彼女は僕の人生を捧げるに値する女性だ。

 そんな彼女の決断を無碍にすることなどできなかった。

「真人……」

 律葉も真人を見つめており、目には涙が溜まっていた。

 隊員たちは何も言わなかった。が、真人が一番に志願したことで場の空気が変わったのは事実だった。

「……若造一人に日本の未来は任せられねーな」

 続いて手を挙げたのは中年の男性隊員だった。

「俺も志願します。常日頃からDEEDの野郎に一発ぶちかましたいと思っていたんです」

 若い隊員も手を挙げる。

 その後も三人四人と数が増えていき、十数分後には大多数の隊員が手を挙げていた。

 その光景を見て、幕僚長は改めて告げる。

「何度も言うようだが無理強いはしない。……実験は明後日の0600(マルロクマルマル)から開始する。覚悟のあるものだけこの場に集合するように。以上、解散」

 幕僚長が告げると隊員たちは手を下げ、研究棟から解散していく。

 そんな中、真人と律葉は至近距離で向かい合っていた。

「ごめんね真人、こんな方法しか見つからなくて……」

 涙を流す律葉に、真人は優しく告げる。

「大丈夫、僕は死なないよ。根性でどうにかしてみせるさ」

「ばか……」

 律葉は消え入るような声で告げ、真人の胸に顔を埋める。

 それから暫くの間、二人は研究棟の玄関前で抱き合っていた。



 ――1週間後

 研究棟内の隔離区域にて

 律葉はタブレット型端を片手に、実験のデータを確認していた。

 この隔離区域は急場で造ったもので、一人あたり一つのパーティションが設けられている。

 すべての部屋にカメラと各種センサーが配置され、全員の状態を把握できるようになっている。

 ……しかし、その機材類も大半が無用の長物と化していた。

「進捗はどうだ」

 律葉に話しかけたのは白衣をだらしなく着た中年の男……開発研究グループの主任だった。

 ボサボサ頭に痩せ型の彼に律葉はこれまでの概況も合わせて報告する。

「……芳しくありません。合計318名中投与後1日以内に死亡したのが173名。3日以内に死亡したのが97名。7日以内に死亡したのが33名。……1週間経過した現在、存命しているのは15名のみです」

 志願者は318名も集まってくれた。だがたったの一週間で15名にまで減ってしまったのだ。

 数を聞き、主任は呟く。

「そうか、15名か……これは望み薄だな」

 主任のネガティブな発言に律葉は食って掛かる。

「そんな言い方……!!」

「私は事実を言っているだけだよ。……被験体の数が圧倒的に少ない。いっそ軍人だけでなく、ここにいる2万人全員に参加を呼びかけたほうが良かったんじゃないかと私は思っているよ」

 確率論で言えば主任の言うことは正しいのかもしれない。だが、一般市民を実験に参加させるのは倫理に反する。

 しかし、この実験が失敗に終われば次はそういうことになるだろうと律葉は思っていた。

 この実験に関しては最善は尽くしたつもりだ。が、やはり不十分だと言わざるを得なかった。

 実験機材も質が悪いし種類も少ない。きちんとした環境で実験できれば確実までとは言わないものの、人にDEED因子を組み込むことは可能だったはずだ。

 無い物ねだりをしても仕方がない。

 ただ、予想していたとはいえ、実験はひどい状況だった。

 死亡した者の大半は血まみれ且つ人間の形状を留めておらず、死体安置所モルグは質の悪い化け物屋敷のようになっていた。

 死の間際もかなり苦しそうで、正直見ていられなかった。

 他の研究員も律葉と同じく目を背けていたが、この主任のみが死体から目を離さず、むしろ死の間際まで映像を始めとする各種データの収集に努めていた。

 死骸も率先して解剖していたし、この状況を楽しんでいるようにすら思える。

 倫理観の欠片もない研究者……マッド・サイエンティストとでも呼ぶべきか。

 DEEDが現れるまでは学会内でも疎んじられていた彼だったが、この状況で彼の理論が用いられて実験が行われているのはある意味皮肉のように思えた。

 主任は隔離エリアを一望し、律葉に問いかける。

「……いや、君の恋人は?」

「……まだ生きています」

 幸運にも真人はまだ生きていた。

 バイタルサインは正常範囲内で、開始からずっと深い眠りについている。

 ……死んでほしくない。

 DEEDの力が発現しなくても良い。ただ生きていて欲しい。

 律葉はそう願いつつも、その願いは叶わないだろうと心のどこかで思っていた。

 そもそもこの実験自体が不完全なのだ。運任せ、神頼みと言ってもいいほど無謀な実験なのだ。

 それでもDEEDからこの場所を守るためにはこちらもそれ相応の戦力を手に入れなければならない。

 何か行動を起こさなければいつかはこの場所もDEEDに発見され、根絶やしにされてしまう。

 そんな最悪の事態だけは絶対に回避せねばならない。そう律葉は考えていた。

 隔離エリアを眺めつつ、主任は真人について語りだす。

「君の恋人には感謝しているんだ。彼は真っ先に手を挙げ、被検体1号となってくれた。もし彼がいなければ被験者数はもっと少なかっただろう」

「はい……」

 私の恋人、真人は普段は寡黙だがやる時はやる男だ。

 決断力があり、行動力もあり、そしてなにより優しい。私の自慢の恋人だ。

 そんな恋人を褒められて悪い気はしなかった。

「主任!!」

 唐突に会話に割って入ってきたのは若い男の研究員だった。

 男は手元のタブレット型端末を主任に手渡し、報告する。

「被験体254番の方が亡くなられました……」

 律葉も画面を覗き込む。様々な項目で埋め尽くされている画面は真っ赤になっており、“NO SIGNAL”や“ERROR”と言う文字が所々で点滅していた。

 主任は端末を男の研究員に押し返し、ため息混じりに呟く。

「これであと14名か……」

 どんどん人が死んでいく。

 初日はあまりの死者の多さに吐き気を催した。自分たちの実験のせいで人が死んでいるという事実に強い罪悪感も覚えた。が、1週間も経つと慣れてくるものだ。

 254番の被験体も他の被験体と同じように解剖され、一通り調べられた後モルグへ捨てられるのだろう。

「……ラットでのテストでは力が発現したのが3日後。成功例は1例のみ。生存率は0.05%……」

 主任は珍しく憂い顔を浮かべつつ、考察を声に出して告げる。

「変質速度が体積と相関すると考えるなら人間の発現時期はもっと遅く、生存率はさらに低いはず。本来ならもう全員死んでいてもおかしくないが、まだ14人も残っている。……発現には何らかの特殊なファクターが関わっているのかもしれないな……」

 述べた後、主任は目をつむって瞼の上から眼球をぐりぐりとマッサージする。

「まあ、後は神に祈るばかりだな」

 14名まで減ったとはいえ、生存率に関してはラットでの実験結果を上回っている。

 被験体の死亡ペースも確かに緩やかになってきているし、もしかしたらこれは成功するかもしれない。

 微かな希望を胸に、真人の生存を祈る律葉だった。



「――あれからもう2ヶ月になるのね……」

 実験開始から2ヶ月が経った。

 律葉は研究棟の隔離エリア、その一室内にいた。

 室内は整然としており、金属製のベッドとモニター用の機材しかない。

 ベッドの上には真人が仰向けで眠っており、体には機材から伸びている大小太細様々なケーブルが刺さったりくっついたりしていた。

 律葉は真人の寝ているベッドの上、僅かなスペースに腰掛けて真人の寝顔を見つめていた。

「どんな夢を見てるのかしらね……」

 真人の寝顔は実に穏やかだった。

 実験が開始されてからずっと真人は深い眠りに落ちたままだ。

 体に特に変化は見られず、データ上も健康そのものだ。

 今後もずっと健康でいて欲しいが、“明日死ぬかもしれない”という漠然とした不安は常に律葉を悩ませていた。

 真人の死についてはあまり考えないように努めている。が、それも限界に近づきつつあった。

 ――なぜなら、真人が最後の一人になってしまったからだった。

 実験開始後1週間で14名になり、2週間目には6名、3週間目には2名となり、1ヶ月後に真人一人となってしまった。

 その後さらに1ヶ月経ったが、真人の体に変化はなく、ベッドの上で眠り続けている。

 何故彼が最後の一人になったのか、原因は不明だ。運がいいと言ってしまえばそれで終わりだが、何かそれなりの要因があるように思えてならない。

 毎朝起きる度に真人が死んでいるのではないかと気が気でない律葉だが、こうやって真人の穏やかな寝顔を見るたびに安堵している。

 そんな日々がずっと続いている。

 律葉が安堵している反面、他の研究者たちはこの状況に困惑し、頭を抱えていた。

 一番最悪なパターンは“このまま力が発現しない”ことだ。

 これでなんの成果も挙げられなかったら300名近くが無駄死にしたことになる。

 一応死骸からデータは取れたが、特にこれと言った目立つものはなく、今後も同じ実験を行うにしても参考になるかどうかは甚だ疑問だ。

 成功したラットでは3日目で変化が見られた。

 人間でも同じか1週間以内に変化が見られると予測していたが、もう2ヶ月だ。

 もしかして手順ミスでDEEDマトリクス因子を注入できなかったのだろうか。

 いや、モニターしている限りでは因子の反応はある。単に活動していないか、極端に進行が遅いかどちらかである。

 真人の寝顔を眺めていると、ノック音が聞こえてきた。

 律葉はベッドから離れ、慌ててタブレット型端末に目を落とす。

 すると室内に主任が入ってきた。

「近衛君、恋人君の様子はどうだい」

「変わりありません。ずっと眠ったままです」

「……なにか変化は見られないのかい」

 主任は真人に近寄り、顔を覗き込む。

 頬をつついたり鼻を摘んだりしたが、それでも真人は全く反応しなかった。

 主任を今すぐ引き剥がしたい衝動に駆られつつも、律葉は報告する。

「レポートの通り、初日からバイタルも外見も全く変化していません。DEEDマトリクス因子の影響を受けているのは間違いないですが……これ以上の詳しいデータは今の機材では測定できないですね……」

 問題はやはり機材類にある。

 現状の間に合わせのセンサー類では詳細なデータが得られないのだ。

 ……もどかしい事この上ない。

 主任は真人から離れ、無精髭で埋め尽くされた顎をジョリジョリと撫でる。

 続いて懐からタブレット型端末を取り出し、データを眺めつつ考察を述べる。

「彼について特異な点を挙げるとするなら、彼はDEED因子を注入した直後にこの状態になったという点だ。他の被験者は普通に寝起きして食事も摂っていた。だが、彼だけはずっと眠ったままだ」

 主任は画面から視線をそらし、再び真人を観察する。

「あまりにも親和性が低いせいで無反応なのか、逆に親和性が高いせいで何事もなく順調に遺伝子情報が書き換えられているのか……できれば後者であってほしいな」

「ですね……」

 今までの被験者は強制的な遺伝情報の書き換えに体が耐えきれず、各器官に異常をきたして死んでしまった。

 長く耐えた被験者も、最終的には癌に似た症状で死んでしまった。

 今のところ真人の臓器に腫瘍らしきものはない。少なくとも急死するようなことはないだろう。そう願いたい。

 憂い顔で真人を見つめていると、不意に主任が突拍子もない事を口にした。

「……昔の童話みたく口づけでもすれば、ひょっとすれば何か変化が見られるかもしれないな……」

「口づけ……」

 つまりはキスである。

 確かに、何が要因で覚醒するのか不明な今、いろいろなことを試す価値はあるかもしれない。

 こうやって眠ったままなのも精神的なものが影響している可能性もある。

 そういう意味ではキスをしてみるのも悪くない方法かも知れない。

 真面目な顔で真剣に考察していた律葉だったが、主任は小さく笑って律葉に告げる。

「何を真面目に考えているんだ。冗談に決まっているだろう」

 冗談と知り、律葉は脱力する。

「主任も冗談言うんですね……」

 研究にしか興味のない冷徹な人かと思っていたが、意外と人間味もあるようだ。

「部下の気分を和ませるのも上司の大事な仕事だ。……さて、冗談はこのくらいにしておいて……」

 主任は研究者の顔になり、真面目に話し始める。

「この状態がずっと続くようなら強引に覚醒処置を行っても良いかもしれないが、彼は貴重な最後の被検体だ。できるならこのまま干渉せずに経過を観察したい」

「はい。私も外部から干渉するのは止めたほうが良いと思います」

「うむ。では時間の許す限り彼を見守り、目覚めの時を待つこととしよう」

「はい」

 待つしか方法がないのはもどかしいが、今はこれが最善の方法だと納得することにしよう。

 そんなことを思っていると、不意に地面が揺れた。

「……?」

 ベッドが軋み、機材から伸びるケーブルがゆらゆらと揺れる。

 ……地震だろうか。

 それにしては揺れが短かった気がする。

 不自然な揺れに不信感をつのらせていると、主任が呟いた。

「地震……ではないようだな」

 主任は状況を確認するべく部屋を出ようとする……と、ドアノブに手をかけた瞬間男性研究員が室内に飛び込んできた。

「主任!! 今すぐ避難しましょう!!」

 男性研究員は肩で息をしており、白衣も乱れていた。

「避難? 何事だ?」

「……失礼します」

 事情を聞こうとした主任だったが、研究員が応える前に迷彩服を着た自衛隊員が室内に入ってきた。

 隊員は主任を見つけるやいなや詰め寄り、衝撃の事実を報告した。

「DEEDの群れがこちらに進行していると連絡が入りました。我々の指示に従って今すぐ避難して下さい」

「……!!」

 自衛隊員の報告に主任も律葉も驚きを隠せず、一瞬言葉を失ってしまう。

 ついに恐れていた事態が起こってしまった。

 シェルターに逃げ込んでからおよそ3年半。

 このシェルターなら見つからないと思っていたが、やはりDEEDの魔の手から逃げることはできなかったようだ。

 主任はふうとため息を付き、隊員に質問する。

「……猶予はどのくらいあるんだ?」

「あと20分で到達するとのことです」

 短すぎる。と律葉は思った。何故ここまで接近してくるまで気づけなかったのだろうか。

 ……いや、相手はあのDEEDだ。

 いきなり予告もなしに出現する可能性もあったわけだし、察知できただけでも良しと考えたほうが良いかもしれない。

 隊員は早口で続ける。

「別のシェルターにたどり着ける可能性もあります。主任にはヘリでそちらに向かってもらい、引き続き研究を行ってもらいたいとのことです」

「ヘリがあったのか……」

「はい。避難民が勝手に動かしてここから脱出を試みる可能性があるとのことで、混乱を防ぐために情報封鎖していたようです。私もつい5分前に聞かされました」

 ヘリコプターなら、あるいはDEEDの攻撃から逃れ、別のシェルターまで逃げ切れるかもしれない。

 少なくとも徒歩で脱出するよりも現実的な脱出方法に思えた。

「主任、あなたはこの世界でDEEDに対抗し得る兵器を生み出せるかもしれない唯一の希望です。さあ、早く私についてきて下さい」

 隊員はドアを片手で押さえたまま、もう片方の手で主任を手招きする。

 しかし主任はこの場に及んで何か考え事をしている様子だった。

「……20分か」

 主任は視線を上に向け、目をつむる。

 そして深く深呼吸した後、隊員に告げた。

「私はこの研究棟から離れる気はない」

「え?」

「君たちは退避するといい。私はここに残る」

 主任は腕を組むと壁に背を預け、残留する意思を示した。

 この判断にその場にいる全員が驚き、そして呆れていた。

 男性研究員は主任を説得するべく主任の腕を掴んで前後に揺する。

「何を冗談を言ってるんですか!? もう20分しかないんですよ!? 死んじゃうんですよ!?」

 前後に揺らされながら主任は研究の展望について述べる。

「正直に話すと、もうDEEDマトリクス因子の予備がない。ここを出た所で研究は続けられない。つまり、私はもう続けたくても研究を続けられないのだよ」

「え……」

 男性研究員の手が止まる。

 主任の動きも止まったが、言葉は止まらない。

「外の世界はDEEDで埋め尽くされている。ここで死ぬか外で死ぬか、どちらにしても死の運命からは逃れられない」

 主任は喋りつつ壁際から離れ、ベッドに……真人の寝ているベッドに近づく。

「私は彼に懸ける。この実験をすると決まったときから私は彼らと運命をともにすると決めている」

 普段の主任からは想像もできない男らしいセリフだった。

 死を覚悟しての研究……彼はマッド・サイエンティストなどと呼ばれていたが芯の部分では他のどの科学者よりも科学者だったようだ。

「近衛くん、君は退避しなさい」

 主任は律葉に逃げるように促す。が、この主任のセリフを聞いて自分だけ逃げるなどという選択をすることなどできなかった。

「私もここに残ります」

 律葉も決意をもって告げる。

 そもそも真人は私の大事な大事な恋人だ。彼だけを放って逃げるなんていう選択肢はありえなかった。

「そうか……」

 主任は特に反論せず、律葉の選択を受け入れた。

 しびれを切らしたのか、隊員は腕時計を見てドアから手を放す。

「……もう時間がない。我々は脱出させてもらう」

「ああ、道中気をつけて」

「……」

 隊員と男性研究員は何も言わずに室内から出ていき、走って行ってしまった。

 足音が遠くなりやがて消えると、再び地面が揺れた。

 先程よりも揺れが大きい。シェルター入り口からも何か轟音が響いている。

 いよいよここも危険になってきたようだ。

 主任は揺れにも音にも動じることなく律葉と言葉をかわす。

「しかし君も一途な乙女だな。私は恋愛経験はないから何とも言えないが、素晴らしい覚悟だと思うよ」

「ありがとうございます」

 答えた瞬間、一際大きな、何かが破壊される音が外から聞こえてきた。

 どうやらシェルターの入り口が突破されたようだ。

 20分と聞いていたが……予想よりも早く来訪したらしい。

 その音から間を開けずして重火器の発砲音が鳴り響く。しかし銃声が鳴っていたのも十数秒のことで、銃声の代わりに無数の悲鳴が耳に届いてきた。

 DEED達は防衛ラインをいとも容易く突破し、隊員を蹂躙しながら内部へと侵入してきているようだ。

 2万人の避難民の命も危ない。このままだと数分と経たずにこのシェルターは壊滅させられるだろう。

 幸いにも研究棟はシェルターの奥に位置しているが、見逃してもらえるとは思えなかった。

「とうとう来たようだね」

「はい……」

 銃声は既に止み、聞えるのは構造物を破壊する音と、DEEDに殺されている避難民たちの悲鳴だけだ。

 果たして先ほどの隊員さんは無事にヘリポートにたどり着くことができただろうか。

 そんなことを心配していると床だけでなく、建物自体が大きく揺れ始めた。

 続いて建物の上方から破砕音が響いてきた。この研究棟は一応は頑丈な造りだが、DEEDの手にかかれば破壊するのは難しくない。

「……」

 息を潜めて室内でじっとしていると、ついにその時がやってきた。

 轟音とともに部屋の天井が崩れ、大きな穴があいたのだ。

 律葉は瓦礫を避けるべく部屋の隅に移動し、開いた穴から外を見上げる。

 剥がれた天井の真上には球状のDEEDが無数に浮遊していた。

 このシェルター内に侵入するためか、サイズは少し小さい。が、直径はゆうに10mを超えていた。

 黒い球体状の化物、DEED。

 こんなにも間近で見るのは初めてだ。本能的に体が危険を察知し、律葉は無意識のうちに息を止めてしまう。

 主任もDEEDを目視したようで、唐突に真人に向かって喋りだした。

「玖黒木君、そろそろ目をさましてくれないか。このままだと私たちは死んでしまう」

 視線は上に向けられたまま、口調は若干早口っだった。

 さすがの主任もこの状況には焦りを禁じ得ないようだ。

「真人……」

 騒音が鳴り響いても、部屋が大きく揺れても真人は起きない。いまさら話しかけた所で起きるとは思えない。

 そもそも起きた所でDEEDの群れに立ち向かえるだけの力が備わっているかどうかも不明だ。

 このまま何もできないまま殺されてしまうのだろうか。

 そんな事を考えていると、宙に浮かぶDEEDに動きがあった。

 DEEDは下方向に棘を伸ばし、その切っ先をこちらに向けたのだ。

 これから数秒後、私はあの棘に貫かれて死んでしまうのだろう。

 自分の死を悟った瞬間、律葉は無意識のうちに叫んでいた。

「マナト!!」

 声に反応してか、DEEDの棘は律葉目掛けて一直線に伸びていく。

 その勢い、速度は弾丸に匹敵するほどで、命中すれば死は確実だった。

 だが、その棘が律葉に到達することはなかった。

 ――それは一瞬の出来事だった。

 真人がベッドから跳ね起き、棘と律葉の間に割って入ったのだ。

 その速度や挙動は明らかに人間のそれを超越しており、律葉も主任もそれが真人であると認識するまで少しの時間を要した。

 が、邪魔者が出現した程度のことでDEEDが攻撃を止めるわけもなく、棘はそのまま真人に命中した。

 真人は咄嗟に右の掌を突き出し、棘を受け止める。

 棘は手を貫通したかに思われた。……が、棘は掌の上でグニャリと曲がっており、見事に防御に成功していた。

 ぐにゃっと曲がった棘に対し、真人の手は全くの無傷の上、かなりの衝撃を受けたにも関わらず微動だにしなかった。

 この現象を目の当たりにし、主任は呟く。

「成功だ……」

 本能的に危機を感じ取ったのか、はたまた律葉の緊迫した叫び声に反応したのか……どちらにしても長い眠りについていた真人はこの土壇場で覚醒した。

 しかも、DEEDの攻撃を片手で防いだ。

 実験は成功、DEED因子が真人の体に強大な力をもたらしたのは間違いなかった。

 ギリギリの所で律葉を護った真人は、DEEDの棘を握りしめ、真上を向き、大きく口を開ける。

 そして、2ヶ月ぶりに声を発した。

「――ガアアァッ!!」

 それは咆哮だった。

 咆哮は拡声器越しに発されたのではないかと思うほど大きく、周囲の空気を震わせるほどだった。

 同時に威圧感に満ちており、DEEDに対する威嚇であり、攻撃を行うという警告のようにも聞こえた。

 ひとしきり吠え終えると、真人は早速行動に出る。

 真人は右手に掴んでいたDEEDの棘を握りしめると、それを背負投げの要領で思い切り振り下ろしたのだ。

 棘を伸ばしていたDEEDは真人の力に抗うことができず、研究棟の壁や瓦礫を巻き込みながら屋外の硬い地面に叩きつけられ、深くめり込んだ。

 強固なDEEDの外皮にはヒビが入っており、めり込んだまま動けずにいた。

 ミサイルも重火器も全く効かなかった相手に対し、真人は確実にダメージを与えている。

 この一撃は人類からDEEDへの反撃の狼煙であり、律葉はこの光景に感動すら覚えた。

 DEEDへの攻撃は不十分だったらしい。真人は続けて棘を引っ張り、今度は真上目掛けて投げ飛ばした。

 DEEDは地面からすっぽ抜けたかと思うと彼方へ飛んで行き、シェルターの天上に激突した。

 すかさず真人も跳び上がり、DEEDに肉薄する。

 そして、拳を腰の位置で溜め、DEEDに向けて真上に突き出した。

 劣化ウラン弾等や核攻撃をも防ぐDEEDの外皮は容易く砕け散り、衝撃は内部にまで届いた。

 圧倒的な衝撃はDEEDの体内を駆け巡り、その結果、DEEDは四散した。

 硬い外皮は花火のように放射状に飛び散り、遅れて黒い液体が雨のごとく降り注ぐ。

 黒い液体は研究棟を黒に染め、室内にもパラパラと降り注ぎ、ベッドや機材を黒く染めていく……。

 その雨に混じって真人もベッドの上にふわりと着地した。

 殴った拳は黒い殻で覆われていた。

「真人……」

 律葉は真人に話しかけようとした……が、会話を邪魔するかのように真上から無数の棘が降り注いできた。

 1体倒しただけで敵はまだ大勢いる。

 DEEDは真人を危険分子だと判断したのか、棘の攻撃は全て真人に集中していた。

 数十を超える棘が真人の体に突き刺さる。が、またしても棘は皮膚の表面で折れ曲がり、貫通するどころか傷一つ与えることすらできなかった。

 だが衝撃はかなりのもので、真人はベッドごと床にめり込んでしまった。

 金属製のベッドは中心で折れ、4本の脚もぐにゃりと曲がっていた。

「……」

 真人は無言で立ち上がり、宙に浮かぶDEEDを睨みあげる。

 すると拳を起点として皮膚が黒く硬化していき、鎧のごとく体全体を覆いはじめた。

 それは甲冑のような綺麗なものではなく、悪魔か化物を連想させる禍々しいものだった。

 顔全体も硬質化し、マスクを被ったようなのっぺりとした形になる。が、目の部分だけが赤く輝いていた。

「素晴らしい……」

 主任は人間から別の何かに変化した真人を目の前にして、目を輝かせていた。

 律葉は真人が目覚め、自分を守ってくれたことを嬉しく思っていた。が、この異形の姿を見て不安を感じられずにはいられなかった。

 本当に真人は真人なのだろうか。

 DEED因子に意識を乗っ取られているのではなかろうか。

 ……そんな心配は杞憂に終わることとなる。

 黒の鎧を纏った真人は脚を曲げて力を貯めると、壊れた天井から外目掛けて一気に跳び上がった。

 そして、目にも留まらぬスピードでDEEDの群体を鏖殺し始めたのだ。

 ……その力は圧倒的だった。

 敵から攻撃を受けても微動だにしない。逆に蹴り返し、一瞬でディードを破裂させる。

 敵陣をジグザグに駆け巡りながら、殴る蹴るでディードを確実に破壊していく。

 真人が攻撃を放つ度に衝撃波が周囲に響き、シェルター内の空気を何度も何度も震わせ、同時に黒い花火が咲き乱れ、各所に黒い雨を振らせていた。

 真人の攻撃は止まることなく効率的に行われ、シェルター内に侵入したDEEDを奥から出口に向けて掃討していく。

 その様子は見ていて爽快であり、芸術的ですらあった。

 真人が入口に向かうにつれて避難民の悲鳴は少なくなっていき、破壊音も静かになっていく。

 数分後には完全に音が止み、それはディードの群れを一掃したことを意味していた。

「終わった……みたいだね」

「そうですね……」

 律葉は主任と共に研究棟の室内で佇んでいた。

 命が助かって喜ぶところだが、律葉も主任もそれ以上に実験が成功したことに喜びと達成感を感じていた。

 あれだけ大量のDEEDの群れを単騎で葬り去ったのだ。その戦闘能力は明らかにDEEDを上回っている。真人がいれば地上に蔓延るDEEDを駆逐することも夢ではない。

「おっと、こんな所でぼんやりしてる場合じゃない。玖黒木君と合流しよう」

「そ、そうですね」

 一応はこの場は凌げたが、真人が現在どのような状態にあるのか気になる。

 戦闘能力は本物だが、問題はそれを自由に扱えるかどうかだ。

 自我を失っている可能性もある。もしそうなれば新たに対策を考える必要がある。

 律葉と主任は真人がいるであろうシェルターの入口に向け急ぐことにした。



 シェルター内は地獄絵図状態だった。

 大半の建造物が破壊され、道端には逃げ遅れて殺された人々の死骸が並び、赤の血とDEEDの黒い体液で彩られて不気味な空間を演出していた。

 死体の数は入口に向かうにつれ多くなり、血の匂いが、臓物の匂いが鼻を刺激する。

 視覚的にも辛いものがあり、律葉は足を進めながらも吐き気と戦っていた。

 もし真人がDEEDを食い止めていなかったら自分も死んでいた。そう思うと寒気すら感じる。

 だが、自分は生きているしシェルターも被害を受けながらも守られた。

 今は壊滅せずにすんだことを素直に喜んでおこう。

 前向きに考えつつ入口に向かっていると、複数の人の声が耳に届き始めた。

 この感じだとそれなりの数の人がこの地獄を生き延びたようだ。

 律葉は足を早め、シェルターの入り口へ急ぐ。

 数十秒もすると入口前の広場に到達し、律葉はそこで初めて生存者の姿を視認することができた。

「これだけ……?」

 真っ先に出てきたのはそんな言葉だった。

 シェルター入口前の広場には500名程度しか確認できなかったからだ。

 ほんの1時間前までこのシェルターには2万近い人間が生活していた。それがDEEDの襲撃を受けたせいでここまで数が減ってしまった。

(待って……)

 律葉は頭を左右に振り考えを改める。

 ここにいるのは逃げ遅れた人々だ。シェルターから脱出できた人間を勘定に入れればもっと生存者の数は増えるはずだ。

 ここにいる全員が生き残りの全てではないのだ。

 そう考えを改めた律葉だったが、現実は非情だった。

 シェルターの入り口の向こう、地上へと続く広い通路におびただしい数の死体が転がっていたのだ。

 通路は血の赤で真っ赤に染まり、死体は折り重なって無数の大きな山を形成していた。

 避難民の輸送のための大型車両も破壊されており、100台近くあるそれらはほとんどが横転して燃えており、黒煙を上げていた。

 ……脱出は失敗に終わった。その有様を見て律葉はそう判断するしか無かった。

 呆然と死体の山を見つめていた律葉だったが、その中に動く人影を見つけた。

 人影はおびただしい死体の山の中を歩いており、何かを探している様子だった。

 近づいていくと、その輪郭が明らかになってくる。

 その人影は男のものであり、全身黒色だった。

 律葉はその人影が真人のものであると遅れて気づき、声をかける。

「真人!!」

 律葉の声に反応し、人影は動きを止めて顔をこちらに向ける。

 赤い双眸が律葉と主任に向けられる。

 体は黒い甲冑に覆われ、手には黒い刀が握られていた。

 姿形は人間のそれから逸脱しているが、間違いなく真人だった。

 二人は入り口の門を超えて真人に接近していく。

 その間、真人は視線をこちらに向けたまま動かなかった。

 やがて二人は真人の真正面まで移動し、足を止める。

 数秒の沈黙の後、主任は恐る恐る声をかけた。

「君は……玖黒木君か?」

 主任のこの質問に、真人はすぐに応じた。

「……玖黒木(ククロギ)真人(マナト)。生年月日は11月24日……血液型はAB型、射手座で午年生まれ……そして律葉の恋人。よく覚えてますよ」

 応じると同時に黒の甲冑は粒子状になって剥がれていき、真人は元通りの人間の姿へ戻った。

 どうやら黒い粒子を用いて先程の甲冑や武器なども形成できるようだ。

 乱れた検査着を整えつつ、真人は続ける。

「実験の成功を喜びたいところだけれど……それよりも先に一人でも多くの生存者を探さないと……」

 真人は燃え盛るバスを前にして、構えもせずに拳を前に突き出す。

 拳は軽く音速を超えており、周囲の空気を巻き込んで前方に衝撃波を生じさせ、一瞬で炎を吹き飛ばしてしまった。

 真人は力技で鎮火させたバスの内部に入り、折れ曲がったフレームを素手で伸ばして広げ、奥へと進んでいく。

 そんな様子を見つつ、主任は呟く。

「身体能力の極端な向上と黒い粒子を操る能力……まだまだ研究する必要がありそうだが、君の恋人は間違いなくDEED以上の力を手に入れたようだ」

「ですね……」

 主任の言葉を聞きつつ、律葉は安堵していた。

 真人が黒い怪物と化し、DEEDを屠る様を見ていた時はまともなコミュニケーションを取れるのか、元の姿に戻れるのか、過去の記憶を保持しているのか心配だった。

 だが、人命救助している彼は真人そのものであり、人間であることに間違いなかった。

 真人はバスから出て来て律葉たちに告げる。

「とりあえず、できる範囲で構わないので生存者の救助をお願いします。……僕は引き続きシェルターの護衛にあたります。またDEEDが襲ってくる可能性もありますから……」

 真人は一方的に告げるとシェルターの出入口へと足先を向ける。

 ……すると、唐突にシェルターの出入口から声が響いてきた。

「その心配はいりません。この周辺5km圏内には防衛ラインが敷かれ、DEEDの侵入を阻止しています。つまりこの場所は安全が確保されています」

 その声は明らかに合成音であり、人間の声ではなかった。

 一体何者だろうか……

 律葉達は入り口に目を向ける。すると、そこには体長10mほどの人型ロボットの姿を確認できた。

 そのロボットは日本の鎧に似た装甲を身に纏っており、外見はどちらかというとスタイリッシュな感じだった。

 手にはライフルが……銃身の長いバトルライフルが握られており、それ以外にも背中には巨大なガトリング砲が、腰には近接戦闘用の太いブレードが提げられていた。

 これらを見て、律葉はこのロボットが対DEED兵器であるということを一瞬で理解した。

 どこの国でどんな人間が造ったのかまでは分からなかったが、味方であることは間違いなかった。

 人型ロボットはふわりとジャンプし、入り口から真人の手前5mの位置に着地した。

 真人はまだあまり状況を飲み込めて無いようで、人型ロボットを見上げて怪訝な表情を浮かべていた。

「ロボット……? 防衛ライン……?」

 真人では話にならないと判断したのか、人型ロボットは主任に語りかける。

「さあ早くこちらへ、シェルターを出てすぐの場所に巨大輸送機が待機しています」

「輸送機……」

「はい。既に大勢の方々が乗り込んでいます。防衛ラインを維持できている間に早く乗り込んで下さい」

 ロボットの“大勢”という言葉に律葉は反応する。

「大勢って……何人救助できたの?」

「約3,000人の民間人を救助済みです。現在も生存者を捜索し、発見次第救助しています」

「3,000……」

 2万いた人間が3千まで減ってしまった。……いや、今は3千人も生き残ることができたと前向きに考えたほうが良い。

 そう考えないと心が折れてしまいそうだ。

 人型ロボットはシェルター近くの広場を指差し、質問する。

「内部には何名残っていますか?」

「500人程度です」

 この質問に答えたのは真人だった。

 真人は答えた後、人型ロボットに訴えかける。

「……だけれど、まだ瓦礫に埋まってる人がいるかもしれないんだ。余裕があるなら人員を回して救助を手伝ってくれないかい」

「お任せ下さい。各種センサーをフル稼働させて生存者の探索に尽力します。ですから生存者はなるべく早くシェルター外への移動をお願いします」

 セリフを言いながら人型ロボットは腰からブレードを抜き、構え、付近に転がっていた装甲車に向けて斬撃を放つ。

 すると装甲車の上辺が綺麗に切り落とされ、内部に迷彩服を来た隊員の姿を確認することができた。

 彼らはシートに固定されてぐったりしていたが、生きているようだった。

 この人型ロボットのスキャン機能があれば生き埋めになった避難民も簡単に見つけ出すことができるだろう。

 その性能に感心してか、真人はロボットに問いかける。

「君は……」

「私の個体名は『ゲイル』……英国空軍所属の自律型戦闘兵器です。我々は重力制御技術を確立することに成功し、その技術を用いた兵装でDEEDの殲滅に成功しました。まだカテゴリー3までのDEEDしか破壊できませんが、いずれはカテゴリー1のDEEDを破壊できるように研究と開発を進めています」

 長々と自己紹介しつつ、人型ロボット……ゲイルは救助活動を続ける。

 その姿を見てか、真人も再び救助活動を再開した。

「僕も救助を続ける。律葉はみんなを輸送機まで案内してあげてくれないかい」

「……」

 真人に頼まれ、律葉は一瞬返答に困る。

 本当は今すぐにでも真人と一緒に輸送機に乗ってこの場から脱出したい。だが、真人がやっていることは人間として正しいし、そんな真人の判断を尊重してあげたい。

 律葉は溜息をつくと決心し、力強く応じた。

「……わかったわ」

 律葉は広場に残った500人を誘導するべく、主任とともに広場へと戻っていく。

 その間もゲイルはどんどん人命救助を続けており、開始から数分と経たずに20名以上の避難民を救い出していた。

 一体どんなセンサーを使って探し当てているのだろうか……

 それはそれとして、真人は瓦礫を掘り返す作業を止めて、ゲイルが救い出した人たちの怪我の状態を確認する作業を行うことにした。

 当てずっぽうに探すよりもゲイルに救助を任せ、自分は救助された人のケアをしたほうが効率がいいと考えたからだった。

 黒い粒子で急場のギプスを作ったり、出血箇所を固定したりしつつ、真人はふと思いついた疑問をゲイルにぶつける。

「ところで、その輸送機はどこに向かうんだい? 今はどこも安全な場所なんて……」

「アース・ポイントへ向かう予定です」

「アース・ポイント?」

 疑問混じりの声に、ゲイルは詳しく説明を返す。

「インド洋上に建設された軌道エレベーター、その海上基地です」

「軌道エレベーターか……」

 確かに宇宙までいけばDEEDも手出しできないだろう。

 そんな事を考えつつ、真人はひたすら人命救助に勤しんでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ