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天球のカラビナ  作者: イツロウ
06-天球のカラビナ-
70/107

069 真実の名

 069


 軌道エレベーター、アース・ポート内屋上

 コンテナユニットの発着場の前に黒衣の男、パイロの姿があった。

 この発着場は宇宙にあるステーションに向かうための入り口……エレベーターに例えるなら1F相当に位置する場所である。

 ただ、今はコンテナは地表になく、コンテナを運ぶためのレールだけしか見えなかった。

 2対の太いレールは地表から天上へと軌道エレベーターのシャフトに沿って伸びており、今は夜の月明かりを受けて鈍く黄色に輝いていた。

 発着場は大きな機材を運ぶことも想定されており、ちょっとした広場になっていた。

 中央にはヘリポートのマークが2つもプリントされ、テニスコートが4面くらい入るほど広い。

 そんな広場の中央にて、パイロは階下へと続く扉を見つめていた。

「もう来たのか……」

 パイロはクロトの気配をはっきりと感じ取っており、彼らが階段を使って屋上を目指していることもお見通しだった。

 ここまではパイロの思惑通りだった。

 だがこれからは分からない。いかにしてククロギの覚醒を阻止するか、それが重要だ。

 最も最悪なケースはククロギが暴走してこのアース・ポートが破壊されることだ。ここが破壊されると軌道エレベーターにも影響が及び、“彼ら”の安全も脅かされる。

 逆に、ククロギが何かする前に“彼ら”が地表に降りてくればこちらの目標は達成される。

 “彼ら”から許可を貰えれば、ククロギの記憶を再生することができる。……つまりは正常な状態に戻すことができる。

 ククロギは元来の力を取り戻すだろうが、暴走の危険はなくなる。むしろ全ての情報を思い出すことによってスムーズにことが進むはずだ。

 ククロギは少しではあるが記憶を取り戻しているし、この間無人島で話した感じだと自分を敵だと決めつけていないはずだ。

 向こうもこちらの戦力は十分に理解している。つまり、出会い頭に突発的に戦闘が起こるとは考えにくい。

 こちらが手を出さない限り向こうは何もしないだろうし、向こうも同じことを考えているはずだ。

 お互い動かず、膠着状態になるのは望ましい展開である。

 ククロギに情報を少しずつ話すのもいいだろう。奴は依然として記憶喪失状態にある。どんな情報でも自分につながる情報は欲しいはずだ。

 ククロギに関しては十中八九問題なく対処できる。

 ……問題はククロギの取り巻きだ。

 今のところククロギには7名が同行している。

 槍使いが2名、鎚使いが1名に、鎌使いが1名、銃所持者が1名、双剣使いが1名に何も持っていないのが1名で合計7名だ。

 注意すべきは槍使いと鎚使いだ。

 非常に危険なオーラを感じる。戦闘能力も常人のそれを遥かに上回っている。

 特に槍使いからは好戦的な匂いを感じる。

 こちらの姿を認識した瞬間問答無用で襲い掛かってくる可能性もある。

 まあ、戦闘能力が高いと言ってもこちらからしてみれば赤子に等しく、簡単に殺すこともできる。

 しかし、それは絶対にやってはならない行為だ。

 ククロギは7名の仲間に強い愛着心、絆を感じている。

 もし怪我を負わせでもしたら逆上して覚醒、暴走に繋がりかねない。

 つまり、結局のところこちらは何も出来ないし、何をしてもいけない。

 ただただ会話に徹さなければならない。

 もう少しククロギの到着が遅ければ地表に降りた“彼ら”を直接ククロギに会わせる事ができたのだが、ゲイルの報告だとあと最低でも1時間は掛かるとのことだ。

 タイミングが良いのか悪いのか……とにかく、“彼ら”が降りてくるまでの1時間、話術だけでククロギとその仲間をこの場に釘付けにしなくてはならない。

 難度の高いミッションだ。

 それでもやり遂げなければならない。失敗は許されない。

 緊張しながら立っていると、真横からトキソが話しかけてきた。

「そろそろだな」

 薄紅色の唇が動き、凛とした声が発せられる。

 色白の肌、ブルネットのロングヘアー、淡い青の瞳を持つ彼女は特に緊張していないようで、ブロック状の携帯食を片手にもぐもぐと口を動かしていた。

 彼女はチューブトップにスパッツという、スポーツジムでよく見かけるような格好をしており、黒のロングコートに黒いフードを被ったパイロとは対照的だった。

 軽装な彼女だったが、唯一腰にはごついベルトが巻かれており、その左側には拳銃が収まったホルスターがあった。

 トキソは口の中の物を飲み込むと、パイロに提案する。

「思ったんだが……交渉なんて面倒なことはしないで私の毒で行動不能にしたらいいんじゃないか?」

「ククロギには効かない。相手の神経を逆撫ですることになる」

 パイロは即答し、トキソの提案をバッサリ切り捨てた。

 これにはトキソも思うところがあったのか、不満の声をあげる。

「私を過小評価していないか? 本気を出せば『ビリオンキラー』を釘付けにすることもできると思うが……」

「“思う”じゃダメだ。1時間、あいつの動きを確実に制限できる確証がなければ認められないな」

「……」

 パイロの言葉を聞き、トキソは何も言い返せない様子だった。

 黙りこくるトキソにパイロは加えて告げる。

「ククロギは規格外だ。くれぐれも変な気は起こすなよ」

 規格外だということはトキソも十分理解しているとパイロは考えていた。

 ラグサラムでの一件で、トキソはククロギに対して高濃度の酸を放出した。が、ククロギは驚異的な再生力でその酸の攻撃を簡単に凌いだ。

 トキソもその時のことを思い出してか、パイロの指示に素直に従った。

「了解した。……姿も見せないほうがいいか?」

「いや、いてくれ。ククロギはともかく狩人連中にとっては俺達は畏怖の対象だ。二人いるだけで抑止力になる」

 ゲイルもいてくれれば威圧感バッチリだが、アレはちょっと好戦的なきらいがある。

 変なことをされても困るし、今は“彼ら”のお迎えの仕事をきっちりとこなしてもらおう。

「わかった」

 トキソは応えると同時に携帯食を食べ終え、包装紙を酸で溶かす。包装紙だったものは白い煙となって黒い空へ昇っていった。

 ククロギがこの場に来るまであと数分……

 パイロは脳内で会話をシミュレートすることにした。



 周囲を経過しつつ階段を登ること10分

 クロト達はとうとう最上階にまで到達していた。

 屋上には広い空間が広がっており、月明かりに照らされてヘリポートのHの文字がかすかに浮かび上がっていた。

 そのHの中心、そこには黒衣の男とブルネットのロングの女、トキソの姿があった。

 更に向こう側には太い支柱が立っており、それは空へとまっすぐに伸びていた。

 支柱にはレールが付いている。多分エレベーターのようなものがあるはずだ。

 それに乗ることができれば、晴れて軌道ステーションに到達することができる。

 軌道ステーションに何があるかは分からない。が、自分の記憶の手がかりになるものがあるのは間違いなかった。

(とりあえず、あの二人をどうにかしないと……)

 姿を見せても攻撃してこない。ということは、とりあえず戦闘の意思はないということだ。

 ……交渉の余地はある。

 クロト達は取り決めどおり、彼らを刺激しないようにゆっくりと動き、まとまって彼らに近づいていく。

 すると、満を持して黒衣の男が言葉を発した。

「あれだけ警告したのに……ついに到達してしまったな、ククロギ」

 話しかけられ、クロトは足を止める。

 クロトにつられて他のメンバーも動きを止める。

 クロトは「ふう」とため息をつくと背筋を伸ばして姿勢を正し、黒衣の男に応じた。

「そこをどいてくれないか。僕たちはカラビナを調べる必要があるんだ」

「調べてどうするつもりだ」

 調査団の目的はカラビナで有益な情報を手に入れ、教団に持ち帰ることだ。

 だが、クロトは本来の目的を黒衣の男に告げた。

「……自分の記憶を取り戻す」

 クロトの答えに黒衣の男はフッと笑う。

「それなら心配しなくていい。あと1時間すればお前は自分の全てを取り戻しているだろうからな」

「全てを……?」

「そうだ。だからここで1時間待て。……攻撃されない限り、俺はお前たちに危害を加えるつもりはない」

 記憶に関しては真偽の程は定かではないが、敵意がないのは明らかだった。

 彼の言うとおり1時間待つべきだろうか。

(いや、考えるだけ無駄か……)

 これは交渉ではなく一方的な命令だ。

 戦力は向こうが上。攻撃されていないこの状況は奇跡に近い。

 ここで1時間待つこと以外に選択肢はないのだ。

 黒衣の男と日本語で話していたせいか、会話の内容が全く理解できないメンバーたちは不可解な表情を浮かべていた。

「何ごちゃごちゃ話してんだ……?」

「全然わかりませんね、言葉」

「つーか、あいつら本当にヒトガタなのか?」

 小声で騒ぐメンバーとは違い、モニカは冷静に状況を判断していた

「何にせよ、クロトさんの言った通りですね。彼らに攻撃の意志はなさそうです」

 黒衣の男、そしてトキソ共に相変わらず動きはない。広場の中央で静かに佇んでいる。

 メンバーはそれぞれ武器を手にしていたが構えることなく、なるべく自然体でいるように努めていた。

 一瞬でも攻撃する意思を見せてしまえば何が起きるか分からない。

 クロトは視線を逸らすことなく黒衣の男の言葉をメンバーに簡単に通訳する。

「向こうは……ここで僕らが1時間ほどおとなしくしていれば攻撃しないと言っている」

「1時間……? 1時間後に何かあるの?」

 リリサの問いにクロトは首を僅かに左右に振る。

「わからない……。でも、1時間待てば僕の記憶が元通りになるらしい」

「意味分かんないわね……」

「僕も正直意味がわからない。でも、従うよりほかないよ」

 クロトの意見にカレンは同意する。

「だねー。向こうが命を奪うつもりなら私達とっくにあの世に行ってるだろうしねー」

 強者であればあるほど相手の力量を正確に測れると聞いたことがある。

 カレンは瞬時に黒衣の男とトキソを自分よりも遥かに格上だと判断したようだ。

 張り詰めた空気の中、モニカはクロトに話しかける。

「クロトさん、彼らに質問してくれませんか?」

「……何をだい?」

「“1時間後”についてです」

 確かに気になるところではある。彼らが正直に答えてくれるとは限らないが、質問してみる価値はありそうだ。

 クロトは生唾を飲み込み、間を置いて黒衣の男に問いかける。

「……1時間後、何が起きるんだい?」

「“彼ら”が降りてくる」

 黒衣の男は即答した。

 ……無人島でもこの話は聞いた。

 彼の言う“彼ら”とは、黒衣の男やトキソよりも高位の存在、言わば上官にあたる人々だ。

 しかし、“彼ら”が降りてくることと僕の記憶が元通りになることになんの関連性があるのだろうか。

 さっぱり全くわからない。わからないことばかり過ぎて質問の内容にも困るほどだ。

 黒衣の男は続けて言う。

「ククロギを含めたお前たちの処遇は全て“彼ら”が決定する。まあ、反抗の意思を示さない限りは殺されることはないだろう」

 ここでクロトは根本的な質問を投げかける。

「“彼ら”ってさっきから何回も言ってるけれど、結局のところ何者なんだい?」

「記憶が戻れば分かることだ」

「つまりそれは“彼ら”が何らかの方法で僕の記憶を取り戻してくれるってことかい?」

「そう解釈してもらって構わない。……とにかくここで1時間待つんだ。こちらからの要望はこれだけだ。もし異論があるなら……」

「……異論はないよ」

 クロトは黒衣の男の言葉を遮り、条件を提示する。

「その代わり、こちらの仲間に危害を加えないと約束してほしい。こちらも君たちを攻撃しないと約束する」

「……わかった」

 この返事を聞いてクロトはひとまず安堵する。

 口約束ではあるが、これでこちらの安全は確保できた。それに、1時間後には自分の記憶が戻る。

 記憶が戻れば今抱えている謎の大部分が解明されることだろう。無論、リリサの父親についても何らかの情報を思い出せるはずだ。

 そんなことを考えていると黒衣の男が不意にこちらを指差した。

 何かの攻撃の予備動作かと思い、クロトを始めとするメンバーたちは無意識のうちに構えを取る。

 しかし、黒衣の男から発せられたのは要求の言葉だけだった。

「……悪いが、一応武器は捨てさせてもらうぞ。いいな?」

 言葉を聞き、クロトは構えを解く。そして腰に提げた刀に目を落とした。

 こちらから攻撃しないと約束したのは事実だ。約束は果たされてこそ意味がある。

 クロトは二つ返事で黒衣の男の要求を呑んだ。

「ああ、構わないよ」

「じゃ、遠慮なく」

 黒衣の男は指先をクイッと海に向ける。

 すると、クロトを含めたメンバー全員の武器が宙に浮き、そのまま海へ飛んでいってしまった。

 俗に言う念動力とでもいうのだろうか。

 竜型ディードの骨や爪や歯から造った強力な武器はあっという間に海に投げ捨てられてしまった。

 いきなりの出来事に殆どのメンバーは呆気にとられていたが、ヘクスターだけがその場に崩れ落ち、悔しげに地面を叩いていた。

「ああ……俺の最高傑作が……」

 可哀想だが仕方ない。こちらに敵意がないことを理解してもらうには武装解除が最も手っ取り早いし、向こうもそれを望んだのだからどうしようもない。

 武器を取り上げると、黒衣の男は「ふう」とため息を付き姿勢を崩す。

 そのため息をきっかけにして、今まで張り詰めていた場の空気が少し和らいだ気がした。

 向こうも向こうで緊張していたのかもしれない。 

 一応は僕も覚醒すればかなりの戦闘能力を発揮することができる。彼らはそれを恐れていたのかもしれない。

 今ここで覚醒して彼らを倒すこともできるかもしれないが、それはリスクが高すぎる。

 こうやって何事もなく、平和に交渉できることに越したことはないのだ。

「質問してもよろしいですか」

 急に声を上げたのはティラミスだった。

「どうぞ。……というかお前、日本語喋れるんだな。ククロギに教えてもらったのか?」

「いえ、私も記憶喪失だったんですが、唯一喋れたのが日本語でした」

「……興味深いな」

 危険はないと判断したのか、ティラミスは武器も無いのに彼らに近づいていく。

 5mほどまで彼らに近づくとティラミスは足を止め、彼らに問いかけた。

「私は一体何者なんでしょうか?」

「……は?」

 黒衣の男はティラミスの質問に疑問たっぷりの声で応じる。フードのせいで表情は分からないが、もし顔があれば眉をひそめているのは間違いなかった。

 だが、ティラミスの表情は至極真面目だった。

 今までクロトは自分の記憶のことしか考えていなかったが、ティラミスもまたクロトと同じく記憶喪失者なのだ。

 自らの記憶を取り戻すため、少しでも情報を集めるため、事情に通じていそうな彼らに質問をするのは当然の欲求のように思えた。

 ティラミスは問答無用で事情を話し始める。

「私、気付いたら浜辺に打ちあげられていたんです。それまでの記憶も何もなくて……血の色も黒だし身体能力も高いしヒトガタだとは思うんですけれど、あなた達を見ているとそうじゃ無いかもしれないって気がしてきて……」

 クロトはティラミスの言葉を聞き、改めて彼女について考察する。

 角や尻尾がある時点で人間じゃないのは確かだが、ヒトガタかと言われると疑問が残る。

 ティラミスは人を襲わないし、肌の色も褐色ではあるが黒ではない。知的好奇心旺盛で愛嬌もある。

 特に人を襲わないというのが重要なポイントのように思える。

 それは黒衣の男やトキソにも共通する点だ。

 となると、彼らをヒトガタと呼称するのは問題があるのかもしれない。

 ヒトガタではない別の何か……

 黒衣の男はティラミスの質問に丁寧に応じる。

「こうやってまともにコミュニケーションが取れている時点でお前らの言う“ヒトガタ”じゃないことは間違いないが……」

 喋りつつ、黒衣の男はティラミスに歩み寄る。

 一歩、二歩と黒衣の男は歩を進め、5mあった距離を4m、3mと近づけていく。

 そしてついに黒衣の男は1mの距離までティラミスに接近し、視線を合わせるべく腰を下ろした。

 その間、ティラミスは緊張してか表情も体もカチンコチンに固まっていた。

 額には冷や汗が浮かんでいる。

 それもそのはずだ。

 その気になればどんな相手でも簡単に殺せるであろう能力を持った人物が、危害を加えないと約束したとは言え目の前にいるのだ。

 正気を保つのも難しいはずだ。

 黒衣の男はしばらくティラミスを見つめると、踵を返して元の位置まで戻る。

 そして一言呟いた。

「……うーん、何者なんだろうな」

 結局分からなかったようだ。

 黒衣の男は隣に立つブルネットのロングの女性、トキソに意見を求める。

「なあトキソ、彼女のこと分かるか?」

「お前のサイコメトリーでわからないなら私に分かるわけがないだろう。……DNAサンプルを提供してくれれば携帯端末で調べられると思うが……」

「あ、その手があったか」

 黒衣の男のセリフが終わるやいなや、ティラミスの紺色のショートカットから一本の毛が抜けた。

 ティラミスはいきなりの出来事にとっさに頭を押さえる。

 毛髪はふわふわと宙を移動し、やがて黒衣の男の手のひらの上に着地した。

 またしても念動力を使ったようだ。便利な力である。

「調べてみてくれ」

「了解」

 黒衣の男は紺の毛髪をトキソに手渡す。

 トキソはどこからともなく薄いメモ帳のような携帯端末を取り出し、センサーらしき場所に毛髪をあてがう。

 数十秒は掛かるかなと思っていたが、結果はすぐに出た。

 トキソは毛髪をその場に捨て、結果を告げる。

「データベースには登録されていないな。塩基配列もディードと酷似しているし、先祖返りした個体じゃないか?」

「先祖返りなら“酷似”じゃなくて“一致”していないとおかしいだろ」

「それもそうか……」

(何を言ってるんだ……?)

 言葉は理解できるが内容が理解できない。

 もっとわかりやすく説明してもらいたいが、それを要望できる立場ではない。

 ここはおとなしくスルーする以外にない。

 ……言葉自体を理解できないメンバーはもっと不満を感じている。

 それを思うとちょっとした不理解なんてあまり問題じゃない。

 黒衣の男は再び視線をティラミスに向ける。

「あいつ、日本語喋ってるんだ。もしかして生き残りじゃないか?」

「どういう意味だ?」

 トキソの問いに、待っていたと言わんばかりに黒衣の男は告げる。

「俺やお前みたいに“改造”された人間かもしれないってことだよ」

「!!」

 トキソの目が一瞬見開かれる。

 ティラミスは全く理解不能のようで、黒衣の男の言葉を反芻するように繰り返す。

「改造……?」

 そして、答えを求めるように黒衣の男を見つめる。

 黒衣の男はティラミスからの熱い視線を感じてか、トキソに相談する。

「話してもいいか?」

「別に構わないと思うぞ。彼女が我々と同じ存在なら同志ということになる。多少の情報の公開も許されるだろう。どうせ狩人には言葉は理解できないし、いい時間つぶしになる」

 都合が良いのか悪いのか、今この場で言葉が通じるのは僕とティラミスだけだ。

「じゃ、何から話すか……」

 1時間。時間はたっぷりある。

 黒衣の男は話が長くなることを悟ってか、念動力を使って何もない場所に腰掛ける。

 そして、口を開いた。

「まずはこの世界が“こうなった”理由について話そうか」

 これから彼らが話す内容はこの世界の根幹に関する重要な情報だ。

 世界がディードというエイリアンに襲われた事実は夢の中で思い出した。が、その後どうなったのか、経緯は全く知らない。

 知ってしまえば後戻りはできなくなる。

 クロトは覚悟して黒衣の男の話に耳を傾けることにした。

 黒衣の男は長い深呼吸を終えた後、語りだす。

「今からおよそ2000年前、ディードは隕石とともにこの地球にやってきた」

「2000年……」

 2000年前という遥か過去の出来事に驚くティラミスを無視して黒衣の男は続ける。

「彼らは地上を制圧し、人類を滅亡の危機にまで追いやった。核ミサイルも湯水のように使った。それこそ地形が変わるほどにな。それでもディードには全く効果がなかった。……窮地に追いやられた人類は縋るしかなかった。今まで禁忌とされてきた非人道的な兵器の開発にな」

 黒衣の男は言葉を区切り、視線を下に向ける。

「人間を改造して兵器にする研究……生体兵器を創り出す研究は各国で秘密裏に行われていた。それが危機を迎えることで堂々と行われ始めた。俺も隣のこいつもその生体兵器の一例だ」

 黒衣の男に紹介され、トキソは小さく頷いてみせた。

 黒衣の男は下に向けていた視線をティラミスに向ける。

「お前もその時に生み出された生体兵器かもしれない。何らかの事故で海に水没し、2000年の時を経て偶然浜辺に打ちあげられた。……可能性としてはかなり低いが、説得力はあると思うぞ」

「私が……生体兵器……」

 ティラミスは自分の手のひらを見つめ、開いたり閉じたりいていた。

 クロトは黒衣の男の話を聞き、かなり動揺していた。

 特に驚いたのは2000年という月日だ。

 黒衣の男とトキソは当時の生き残りだ。そして僕は彼らの仲間だった。つまり、僕は記憶を失うまで彼らとともに2000年という月日を過ごしていたということになる。

 ……到底信じられない。

 質の悪い嘘か狂言ではなかろうか。

 話を受け入れられないクロトだったが、黒衣の男はクロトについても語りだした。

「ちなみに玖黒木(ククロギ)……いや、クロトって言ったほうが良いか……」

 黒衣の男は言い直し、視線をティラミスからクロトに向ける。

 そして、決定的な一言を告げた。

「……お前も俺達と同様、人類が生み出した生体兵器の中の一つだ」

 黒衣の男はそう告げると、何かを思い出すかのように視線を斜め上に向ける。

「当時はディードに対抗するべくかなりの人間が改造されたが、その中でもククロギ、お前は特別な存在だったよ。……なにせ一人で10億ものディードを殺したんだからな」

「10億……!?」

 先程の2000でも驚いたのに今度は10億である。

 クロトが驚いている間も黒衣の男は懐かしげに語る。

「お前の力は圧倒的だったよ。まさに救世主とでも呼ぶべきか……。破滅の道しかないと思っていた人類に希望を与えたんだからな」

「でも、まさか僕が10億も……そんな、どうやって……」

 クロトは頭を抱えつつ、ようやく疑問を口にする。が、黒衣の男は疑問を遮るように一言告げた。

「1000年だ」

 黒衣の男は人差し指をピッと立て、矢継ぎ早に告げる。

「お前は不眠不休で休む間もなく世界中を飛び回り、怒涛の勢いで湧いて出るディードを殺して回った。そして1000年掛けて全てのディードを地上から駆逐した。撃墜数は確認されてるだけで10億、未確認も含めるともっと多いだろうが……かくしてお前は『ビリオンキラー』と呼ばれるようになったわけだ」

 納得できない点は多々あるが、大体の事情は飲み込めた。が、一つだけ疑問があった。

「待ってくれ、今“全てのディードを殺した”って言ったけれど……まだ世界にはディードがわんさかいるんだけれど……」

 人間を狙う黒い化物……ディードは未だ健在で、人々の生活を脅かしている。

 黒衣の男は怪訝な表情を浮かべ、確認するようにクロトに言う。

「お前の言うディードというのは生物の形を模した黒い怪物のことか?」

「そうだけど……」

 クロトの答えに、黒衣の男はため息混じりに告げる。

「あれはディードじゃない。あれは……ん?」

 言葉の途中で黒衣の男は視線を上に向ける。と、そこにはいつの間にか巨大な黒い物体が出現していた。

 巨大な黒い物体……人の形を模した金属製のそれは宙に浮きつつ、こちらを見下しながら言葉を発する。

「何をしているパイロ。早くそいつらを排除しないか」

 上空から降りてきたのは機械の巨人、ゲイルだった。

 巨大なロボットを見て、クロトとティラミス以外のメンバーは驚きの表情を浮かべていた。

「あれはなんです? 巨人?」

「鎧を着てるけど……中に人が入ってる気配は無いわね」

「だったら何だ? まさか鎧が喋ってるっていうのか?」

「凄い鎧だ……それにあの巨大な刀……興味がありますね」

 無理もない。彼らにとってはロボットという存在はオーバーテクノロジー。初めて見て驚かないほうがおかしい。

 黒衣の男……パイロはゲイルに問いかける。

「“彼ら”は? あと1時間は掛かるはずじゃなかったのか」

 ゲイルは腕を組み、上空を見上げる。

「なるべく早く地上に降りたいと言われてな。シークエンスB-3以下を全部カットするように命令された」

「B-3以下を省略ってことは……」

「ああ、今“彼ら”はエレベーターで地表に降下中だ。もう間もなく到着するだろう」

 ゲイルはそこまで告げると腰から巨大な刀を抜刀し、その切っ先をクロトたちに向けた。

「……それまでに危険物を排除する」

「待て待て待て」

 今にも斬りかかろうとしているゲイルに対し、パイロは止めに入る。

「玖黒木は依然として記憶を失ったままだ。そもそも戦闘は絶対に避けると約束したはずだぞ?」

「玖黒木については異存ない。が、他の連中については排除させてもらう」

 ゲイルは刀を上段に構える。

 その瞬間パイロは素早く宙を移動し、ゲイルとクロト達の間に割って入った。

「……やめろ、ゲイル」

 パイロは手を大きく開き、掌をゲイルに向ける。

「パイロ、貴様……」

 ゲイルは邪魔に入ったパイロに体を向け直し、構えを上段から中段に変える。

 緊迫した空気の中、パイロは再度ゲイルを説得する。

「こいつらは玖黒木の仲間だ。仲間に危害が加われば玖黒木が何をするかわからない」

「だとしても、危険因子を放置しておくわけには……」

 ゲイルとパイロ、2体が問答する様子をクロト達は固唾を呑んで見守っていた。

 もしゲイルが襲いかかってきたら武器もない丸腰のクロト達は一瞬で殺されてしまう。

 パイロは先程の“危害を加えない”という約束通りクロトたちを守る姿勢を取っているが、ゲイルの戦闘能力がパイロよりも上だと不味いことになる。

 いざとなれば逃げることも考えておいたほうが良いだろうか。

 空を見上げつつ冷や汗を流していると、不意に女性の声が天から降り注いできた。

「武器を収めなさい、ゲイル」

 音量は周囲の海にまで響くほど大きく、拡声器越しの声だとすぐにわかった。

 口調ははっきりとした命令口調であり、力のある声だった。

「……」

 ゲイルはその声に無言で従い、刀を鞘に納めた。そしてすーっと地面に降りると膝を立てて座り、動かなくなってしまった。

 この行動から推察するに、先程の声の持ち主がパイロ達の言う“彼ら”という存在に間違いない。

 それから間もなく上空からエレベーターの筐体が降りてきた。

 筐体は箱というより形状的には列車に近かった。列車はレール沿いに真下に落下し、地表に近づくにつれその速度を落としていく。

 やがて地表に到達すると筐体は完全にその動きを止め、音もなく扉がスライドして開く。

 ……中から出てきたのは女性だった。

「人間……?」

 クロトはその女性に見覚えがあった。

 服はダイビングスーツのようなピッチリとした物を着ているが、黒のショートカットの髪、そして頭に付いているカチューシャには見覚えがった。

「律葉……」

 それは夢の中で何度も見た女性。僕の恋人だった女性だった。

 律葉は筐体から降りると続けてゲイルに告げる。

「今後一切、アースポートで戦闘を行うことを禁止します」

「……了解しました」

 ゲイルは深く頭を下げ、律葉に完全に服従していた。

 その有様を見て、メンバーたちは疑問を口にする。

「あれ、人間だよな……」

「どうして人間がカラビナから?」

「つーかあの女、あの巨人を従えてねーか……? 何者だ?」

 様々な疑問の声が飛び交う中、律葉は体をクロトに向ける。

 そしてしっかりとした足取りで歩み寄り、至近距離から話しかけた。

「久しぶりね、『真人(マナト)』」

 律葉は恥ずかしげに、しかし満面の笑みをクロトに向ける。

 知らぬ名で呼ばれ、クロトは彼女の言葉を繰り返す。

「マナト……?」

 ククロギ・マナト……それが自分の本当の名前。

 長い間探し求めていた記憶の断片。

 どうもしっくりとこないが、これが自分の本名なのだろう。

 律葉は続けてパイロにも声をかける。

「……パイロもお疲れ様。ゲイルからの報告で大体の状況は理解してるわ。早速で悪いけれど、マナトの記憶の修復をお願い」

「その言葉を待っていた」

 パイロは律葉の指示を受けるやいなや両手をクロトに向ける。

 その瞬間、クロトの体に、そして頭に何とも言えない衝撃が走った。

「あ……あぁ……」

 忘れていた記憶が脳内に怒涛の如く流れ込み始める。

 クロトは記憶を取り戻すべく目を閉じ、その流れに身を任せることにした。

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