006 地下の職場
006
金貨300枚で買われた後、クロトが連れてこられたのはとある建物だった。
(大きい……)
建物というより城だ。
敷地の周囲は石垣ではなくコンクリートのような近代的な壁で覆われており、正面には大きな門があった。
「こっちよ。さっさと歩く」
白髪の少女は門を抜け、広い敷地内に足を踏み入れる。
まず目に飛び込んできたのはちょっとした広場だった。広場には厩舎があり、そこには数匹の馬の姿があった。他には庭園っぽいエリアもあり、豪華なイメージを受けた。
白髪の少女はその中央を抜け、敷地内奥にどんと構えている大きな建物に近づいていく。
大きさは学校の体育館くらいの広さだろうか。
3階建ての建物の壁面はのっぺりとしており、窓がいくつも並んでいた。
クロトは忙しなく視線を動かしながら建物内に入る。
建物内は夕刻とあって暗く、至る場所にランプが灯されていた。
玄関入ってすぐの階段を登りつつ、白髪の少女は唐突に告げる。
「ここは猟友会、アイバール支部。3階は狩人の部屋、2階は職員の部屋、1階は事務所と食堂、地下には鍛冶場とディードの解体、保管場所があるわ」
階段を登り切る前に一気に言われてしまった。
クロトは情報が整理できず、とりあえず最初の言葉をオウム返しする。
「猟友会……?」
「私達狩人が所属する組織のことよ。そんなことも知らないの? 一般常識よ?」
白髪の少女は2階を素通りし、3階へ向かう。
建物内にはインテリアや壁紙などなく、硬そうな材質の建材が剥き出しになっていた。
3階に到着すると少女は通路の一番奥まで歩いて行き、ドアの前で停止した。
「ここが私の部屋。さ、入って」
少女は金属製のドアを開け、クロトを中に案内する。
クロトは言われるがまま室内に入り周囲を見渡す。
広さは8畳程度だろうか。
家具はベッドと机と本棚の3種類しかなかった。
窓の数は2つ。一方は出窓で、そこには小さなぬいぐるみが置かれていた。
少女の部屋にしては殺風景だ。が、過ごしやすそうな印象を受けた。
「そこに座って」
少女はベッドを指差し、自分は机の椅子を部屋の中央に持ってきて、すとんと座る。
クロトは恐る恐るベッドに腰掛け、結果として少女と真正面から向かい合う形になってしまった。
改めて見ると、やはり美人という言葉がしっくりくる外見だった。
白く透き通った髪は乱れもなく長く腰辺りまで真っすぐ伸び、清涼感があった。
目はつり目だが、きつそうな印象はなく、むしろ麗美さを醸し出していた。
瞳の色は先程も確認した通り琥珀色だ。その琥珀の瞳は相変わらずまっすぐこちらに向けられている。心地よくはないが、何故か視線をそらせない。そんな魅力があった。
鼻筋は通っていて、唇は薄めだ。先程は気付かなかったが、唇からは八重歯が覗いていた。八重歯は人によって好みが分かれるが、彼女にとってはチャームポイントになっているように思えた。
輪郭もシャープで肌もくすみひとつない。
そんな彼女があの真黒な怪物、ディードを狩る狩人だとは到底思えなかった。
「……」
クロトが彼女を観察している間、彼女もクロトのことを観察していたようだ。
少女は沈黙を誤魔化すように咳払いし、話し始めた。
「まずは自己紹介ね。……私は『リリサ・アッドネス』、猟友会アイバール支部に所属する狩人よ」
丁寧に自己紹介され、思わずクロトも同じように返す。
「僕はクロト・ウィルソンです。読み書きができて、計算も得意で……」
「知ってる。奴隷商が言ってたから」
クロトの自己紹介の腰を折り、リリサと名乗った少女は話を先に進める。
「それより本題に入るわよ。……あんたに聞きたいことがあるの」
リリサは視線を下に落とし、単刀直入に告げた。
「……その腕輪、どこで手に入れたの?」
リリサの視線の先、クロトの左手首には黒のブレスレットがあった。
クロトはブレスレットを右手で掴み、胸の位置まで持ち上げる。するとリリサの視線もブレスレットを追うように胸元に向けられた。
「このブレスレットがどうかしたんですか?」
「いいから質問に答えて。どこで手に入れたの?」
リリサの表情は真剣そのものだ。
クロトは正直に答えることにした。
「すみません、僕は記憶喪失で……ベックルンで拾われた以前の記憶が全くないんです」
「思い出して」
「ええ……」
思い出せと言われて思い出せるくらいなら苦労していない。
クロトはしどろもどろに応じる。
「そう言われても……むしろこっちが聞きたいくらいで……」
「なによそれ……はぁ……」
リリサは目を閉じ、苛ついた様子で溜息をついた。
クロトは単純な疑問を返す。
「このブレスレット、何なんですか?」
リリサはゆっくりと目を開け、視線をブレスレットに向ける。
「私、行方知れずの父を探してるんだけれど……その腕輪、間違いなく父のものよ」
「!!」
意外な事実を聞かされ、クロトは驚いた。
金貨300枚という法外な値段で自分を買ったのも、それほど父親の情報を知りたかったからだと考えれば納得できなくもない。
「……腕、こっちによこしなさい」
「あ、はい」
リリサに命令され、クロトはブレスレットの嵌っている左腕を差し出す。
リリサはポケットから針金のようなものを取り出すと、それをブレスレットの内側に差し込み、弄りはじめた。
カチャカチャと弄ること10数秒。
唐突にカチリと音がするとブレスレットの周径が広がり、クロトの腕から見事に外れた。
(おお……)
このブレスレット、何をどう弄っても腕から外れず、ハンマーで叩いても傷一つ付かないので困っていたのだが……なるほど、こうやって外すものだったらしい。
リリサは外れたブレスレットを顔間近で見つめつつ、父親のことを話す。
「10年前のあの日、父がいなくなったあの日、父はこの腕輪をつけてた。それをあんたが付けているということは、間違いなく父の関係者か、父の情報を知ってるはず……」
そう決めつけられても困る。
クロトは苦し紛れに反論を述べる。
「そう結論付けるのは焦り過ぎじゃないですか? どこかの蚤の市で買ったものかもしれないですし」
「このブレスレットは少し特殊で、付け方も外し方も私と父以外知らないわ。つまりはそういうこと」
「なるほど……」
記憶喪失なので全く記憶にないが、自分がリリサの父親からブレスレットを譲ってもらったか、装着方法を知る何者から手に入れた可能性はある。つまり、どちらにしても自分は彼女の父親に繋がる情報源というわけだ。
「それにしてもまさか記憶喪失だなんて……ありえないわ……」
重要な情報源が記憶喪失となれば、がっくりするのも無理は無い。
それよりもクロトは気になることがあった。
「あの、ちょっといいですか」
「なに?」
「話を聞くだけなら別に僕を買わなくても、その場で聞けばよかったんじゃ……」
「……!!」
リリサは目をくわっと開き、またしても後悔の溜息を吐く。
「はぁ……馬鹿ね私。偶然父の腕輪を見つけて、正常な判断ができなくなってたみたい。金貨300枚……ああ、もったいない……」
「見かけによらずおっちょこちょいなんですね」
「……今なんて言った?」
流石に今のクロトの発言は気に障ったらしい。
リリサは椅子から離れ、ベッドに座るクロトに詰め寄る。
「父の情報を知らないあんたなんて何の価値もないわ。今すぐ殺して豚の餌にでも……」
そう言いつつリリサは壁に立てかけていた螺旋状の槍に手を伸ばす。
……殺される。
「ま、待った!!」
本能的にそう感じたクロトは叫び、続けて言い訳を展開していく。
「記憶喪失なのは間違いないです。……が、何か思い出す可能性もあります。それに、せっかく得た手がかりを捨てるなんて、もったいないと思いません? 今のところ、父親に繋がる唯一の手掛かりですよ? それに、このブレスレットが僕に付けられているということは、父親からの何らかのメッセージの可能性もあるんじゃないですか?」
死の危険に瀕したクロトの口はそれらしい言葉を次々と吐き出していく。
必死さが伝わったのか、それとも言い訳に納得してか、リリサは椅子に座り直し小さく頷く。
「たしかにその通りかもね。……あんた、奴隷にしては頭が回るじゃない」
「どうも……」
助かった。今後は余計な発言は慎むようにしよう。
リリサは足を組み、顎に手を当て「うーん」と唸る。
「そうねぇ……それじゃあ、何か思い出すまであんたには解体係としてここで働いてもらうわ」
「あの、僕は計算が得意で読み書きもできるんですが……」
「私もできるわよ。もっと言うとこの猟友会に所属する職員は全員が高水準の学問を修めてるわ。役割もきちんと決まっていて、それぞれに専門性がある。……奴隷なんて役に立たないわよ。奴隷ができる簡単な仕事といえば、ディードの解体くらいなものよ」
「そうですか……」
あのグロテスクな怪物を解体するなんて、想像するだけで吐き気がしそうだ。が、仕事がもらえただけマシだと思っておこう。
これで少なくとも衣食住には困らないはずだ。
しかし、ディードを狩るためだけの組織があるとは思ってもいなかった。
アイバール支部とか言っているあたり、この猟友会という組織は全国的な、いや、全世界的な組織なのかもしれない。
思い浮かんだ疑問に我慢できず、クロトはリリサに質問する。
「ちょっと、質問いいですか?」
「解体については係長が詳しく指導してくれるわ。食事は朝と昼の2回。寝床は地下の……」
「いや、そうじゃなくて……」
勝手に説明し始めるリリサを止め、クロトは改めて質問する。
「狩人って、他にどのくらいいるんですか? 世界中に支部が?」
「本当に記憶喪失なのね……」
リリサは呆れ顔を浮かべつつも、律儀に説明してくれた。
「狩人の数は600人程度、支部の数は本部と地区本部も含めると42箇所。だけれど、国に認められていない狩人の数も含めると軽く3000は超えるかな」
意外ときっちりとした組織のようだ。
きちんと国に認可されていれば、猟友会からのサポートを受けられるということなのだろう。
聞かれていもいないのにリリサは狩人について語り続ける。
「私達狩人は才覚ありと国から認められた者が、幼い頃から厳しい訓練を受け、さらにその中でもより優られた者として認められた者のことよ。つまり、狩人に任命された者は漏れ無く超人的な能力を持ってるってわけ。例えば、ついさっき私が広場でやったようなことも、ここの狩人なら誰でも簡単にできるわよ」
「……」
鉄格子を簡単に破壊できる人間が他にもたくさんいるらしい。恐ろしい話だ。
しかし、あのディードという化物を相手にするには、あの位強くないと務まらないということだろう。そう考えると、ディードがどれほど恐ろしい怪物なのか、測り知れるというものだ。
リリサは一呼吸置き、話題を変える。
「ところで名前、クロトっていったわよね……」
リリサは語尾を伸ばし、腕を組む。何かを考えているようだ。
それが何なのか、次の言葉ですぐに解った。
「クロト……クロでいいでしょ。髪も瞳も黒だから覚えやすいしぴったりね。これからはあんたのこと、クロって呼ぶわ。いいわね?」
「別にクロトでいいんじゃ……」
「私は主人であんたは奴隷。服従させる意味を込めて単純な名前を付けることは珍しいことじゃないわ。それとも何? 不満でもあるわけ?」
「……いえ、何でもないです」
かくして僕の呼び名は“クロ”に、そして職場は解体場に決定した。
一通りの事が決まり、リリサは改めて席を離れる。
「私の父のこと、何か少しでも思い出したらすぐに報告するのよ。いい?」
「はい……」
「じゃ、これから地下に案内してあげる」
リリサは椅子を机に戻し、部屋を出る。クロトもベッドから立ち上がり、後に続いた。
部屋を出てから3分、クロトは地下の解体場にいた。
広さは一般的な学校の教室と同じくらいだろうか。天上は少し高めで、今はランプで薄暗く照らしだされていた。
床には溝が数本走っており、それらは排水口へとつながっている。
壁や天井はこの建物と同じくのっぺりとしており、壁には物々しい解体用の刃物や道具が、天上には大きなフックが取り付けられていた。
クロトがのんびりと解体場を観察している間、リリサは責任者らしき中年の男と会話していた。
「……それじゃ、この男のことよろしく頼むわね。事務には明日にでも私から報告しておくから」
「おう、任せときな」
リリサはクロトを中年の男に預けると、そそくさと上へ戻っていってしまった。
リリサがいなくなり、クロトは中年の男とふたりきりになる。
「……」
中年の男は少し痩せ型で、背はそこそこ高かった。それなりに筋肉は付いているようで、シャツの上からでも筋肉の凹凸がわかるほどだった。
髪はオールバックで後頭部で纏めており、顔には大きな切り傷があり、それは右目に達していた。俗にいう隻眼だ。
雰囲気はなんとなくヤクザっぽい。中年の男は値踏みするようにこちらをジロジロと見る。
……が、短い沈黙を破ったのはその中年の男だった。
「俺は『シドル』だ、よろしくな」
見た目に似合わず、声は少し高めで陽気な感じだった。
手を差し伸べられ、クロトは握手に応じる。
「僕はクロトです。よろしくお願いします……」
「お、礼儀がなってるじゃないか」
シドルはニカッと笑い、握手した手を上下に振る。
5回ほど上下に振った後、シドルは早速質問してきた。
「リリサが金貨300枚で買った奴隷ってのはクロト、お前のことか」
「そうですけど、よく知ってますね」
「広場で騒ぎになってたんでな。……しかし、まったく訳がわからないな」
シドルは難しい表情を浮かべ、視線を斜め上に向ける。
自分のしているブレスレットがリリサの父と同じものだった。……なんて言うと面倒くさいことになりかねない。
クロトは適当に相槌を打つ。
「ですよね。僕も訳がわからないですよ」
ついでに肩をすくめてみせた。
シドルは考えるのをやめたのか、視線を戻してこちらを軽く指差す。
「おい、えーと……」
「クロトです」
「ああそうクロト……あのリリサには気をつけろよ。あいつの近くにいる奴はみんなすぐに死んじまうんだ」
急に何を言い出すのだろう……
意図がわからなかったクロトは聞き返す。
「呪いか何かですか?」
「いいや、確固たる事実だ」
シドルは近くにあった木の台に腰掛け、リリサについて語り出す。
「アイツは勝手にディードの縄張りに突っ込んでいって仲間を危険に晒したかと思えば、親を探すとか何とか言って、禁猟区に足を踏み入れて仲間を5人も無駄死にさせたこともある」
「……」
知らない単語がいくつか出るも、クロトは黙って話を聞く。
「奴は狩人としては一級品、集中力も凄まじいが、それが仇となって視野狭窄に陥ることが多い。つまりは連携が圧倒的に苦手なんだ」
確かに、リリサは視野狭窄というか慌てん坊な一面がある。
話を聞きたいがために僕を金貨300枚で買ってしまったのがその最たる例だ。
「普通、狩人は2人から5人で狩りをするんだが、奴が一人で狩りを続けているのはそのせいだ。だが、それでも他の組より多くのディードを狩ってくるんだから……まあ、凄いの一言に尽きる」
「詳しいんですね……もしかして狩人だったんですか?」
「まあな」
「じゃあ、その目も……」
クロトの問いに、シドルは自分の右目に軽く触れる。
「お察しの通り、この目はディードに潰されちまった。他にも色々とやられている上、年食って足も腰も思うように動かなくなって、解体場を任されるようになったってわけだ。まあ、これはこれで悪くないもんだ」
シドルは自虐的に笑いつつ、解体場の出口、階段に足をかける。
「クロト、事情は知らないが、死なないように気をつけろよ……。まあ解体場じゃあ誤って指を落とすことはあっても命を落とすことなんて滅多に無いがな。ハハハ……」
「はは……は……」
笑えない冗談だ。
「とりあえず今晩はここで寝てもらう。寝袋を取ってきてやるから、ちょっと待ってな」
「どうもです」
シドルは軽く手を振り、ランプを持って上へ行ってしまった。
薄暗い解体場の中、黒い血で染められた木の台には鈍く光る肉厚の包丁がいくつも突き刺さっていた。
あれならちょっとの力でも指くらい簡単に切れるだろう。
「……」
刃物には十分気をつけよう。そう心に誓うクロトだった。