068 塔の根本
068
夜が明けて朝
クロト達は海上にそびえ立つカラビナを目指してひたすら進んでいた。
出発してから18時間。港からの距離は200海里といったところだ。
竜型ディードの鱗から造った小型艇の中にはクロト、リリサ、ティラミス、ジュナ、モニカ、フェリクス、ヘクスターの7名の姿があり、それぞれ自由にしていた。
船の操縦を行っているのはヘクスターで、ヘクスターはこの18時間休むことなく操舵に集中している。
そんな彼に進路を逐一伝えているのはモニカだ。
日中はカラビナがよく見えるので進路を間違うことはないが、夜になると何も見えなくなる。モニカは星の位置を頼りにヘクスターに進路を伝えているというわけである。
ジュナとフェリクスは最初の6時間は武器を構えて意気込んでいたが、海棲ディードの気配が全く無いせいか、夜は熟睡し、朝になった今も眠りから覚めそうにない。
ジュナは左舷で猫のように背を丸めて眠っており、フェリクスは右舷で座ったまま眠りこけていた。
ティラミスはと言うと、出発してからずっと船首で戦鎚を構えて周囲を警戒している。
夜目が効くのか、夜中も構えを解くことなくずっと緊張している様子だった。
2度ほど交代しようかと持ちかけたが、疲れてないので大丈夫ですと断られてしまった。
実際彼女の精神力や集中力や体力は人間のそれを大きく上回っている。あの様子だと1週間ぶっ続けで警戒態勢を維持できそうだ。
リリサは出発当初から操舵室の前に陣取り、槍を肩に預けたまま片膝を立てて座っている。
背中も操舵室の壁に預けて非常にリラックスした体勢だったが、リリサの周囲の空気はピンと張り詰めていた。いつ何がおきても対処できるよう、無駄に体力を消費しないようにしているのだろう。
実際リリサの姿勢は狩人としては正しい。気を張りすぎて疲れて眠ってしまったジュナやフェリクスは彼女を見習うべきである。
とにかく、船内は平和そのものだった。
出発するときは海棲ディードと何度も戦闘することを想定していたが、ここまで平和だと何だか逆に不安になってくる。
そんな事を考えつつ、クロトは地平線から顔を覗かせた朝日を眺めていた。
夜も開けて再びカラビナが見えるようになってきた。
夜の間にだいぶ進んだようで、昨日見たときよりもシャフト部分が太くなっているように思える。
モニカの話だと250海里を過ぎたあたりが海棲ディードの縄張りと聞いていたが……そろそろジュナとフェリクスを起こしたほうがいいかもしれない。
このまま一度も海棲ディードから攻撃を受けず到着したいものだが、それは望めそうになかった。
(結局追いつけなかったなあ……)
本来、クロト達は巨大な艦を囮にして危険な海域を乗り切るはずだった。
だが、結局カレン達の乗る艦のスピードに追いつけず、出発から1時間と経たずして姿を見失ってしまったのだ。
これはクロト達にとって大誤算だった。
この小型艇、加速は申し分ないのだが最高速度がそこまで高くないのだ。
竜型ディードの筋肉を使っているのでどんな船よりも速いと思っていたが……あちらの艦はより高度で強力な推進装置を装備していたようだ。
こればかりはどうしようもない。
今のところ海棲ディードには遭遇していないし結果オーライとも言えるのだが、これから先のことを考えると不安で不安で仕方がない。
不安を抱えたままぼんやりと朝日を眺めていると、不意にティラミスが声を上げた。
「皆さん、前方に何か見えます!!」
「!!」
ティラミスの緊張感たっぷりの声に、寝ていたジュナやフェリクスは飛び起き、ヘクスターは操舵室から顔だけ出し、モニカもリリサも、そしてクロトも前方に視線を向ける。
すると地平線の先に何かが無数に浮かんでいた。
(何だ……?)
クロトはバックパックから双眼鏡を取り出し、目元にあてがう。
が、即座にリリサに奪われてしまった。
リリサは当然のごとく双眼鏡を目に当て、しばらく前方を観察する。
最初は無表情で見つめていたリリサだったが、それが何か判明したのか、途端に悔しげな表情を浮かべた。
「やられたみたいね……」
リリサはそれだけ言うと双眼鏡をクロトに投げ返す。
クロトはリリサの言葉を疑問に思いつつ、改めて双眼鏡を使って前方を観察する。
海に浮かぶそれを見て、すぐにクロトはリリサの言葉の意味を理解した。
「ひどいな……」
進行方向に浮かんでいたのは大量の狩人の死骸だった。
海棲ディードに襲われたのだろう。鋼鉄の艦は海に沈み、水より比重の軽い木製の破片なども一緒に浮かんでいた。
死骸は原型を留めているものはほとんどなく、大半が四肢欠損、頭が無かったり胴体が半分にちぎれていたり、海棲ディードの歯型がくっきりと残っている物もあった。
海の青はその区域だけが赤に染まっており、グロテスクという言葉がしっくりとくる空間となっていた。
何にせよ、生存者の気配はなかった。
「おいクロト、何があったんだ?」
「見えたんだろ? 早く教えろよ」
フェリクスとジュナはクロトに詰め寄る。
二人に遅れてモニカも言葉を発する。
「クロトさん、もしかしてあの影……海棲ディードですか? だったら早く迎撃態勢を……」
「違うんだ」
クロトは双眼鏡を目元から外し、簡単に状況を説明する。
「あれは先行していた大型艦の残骸……そしてそれに乗っていた狩人たちの死体だよ」
「!!」
クロトの発言に船内の空気が緊張に包まれる。
「まさか、嘘だろ? あれだけ大きな艦がやられるなんて……100人も腕利きの狩人が乗ってたんだぞ? それがまさかこんな所で……」
フェリクスは動揺からか、声が震えていた。
「あの大型艦がやられたとなると、こっちの小型艇なんて一瞬で沈められてしまいますね……遭遇しても逃げ切れないでしょうし、一旦ここはゴイランに戻って作戦を考え直したほうがいいんじゃないでしょうか……」
モニカも恐怖を禁じ得ないようで、ネガティブな発言を繰り返していた。
そんな中、リリサはキッパリと今後の方針を告げる。
「今はディードの気配は無いわ。先を急ぎましょう」
リリサの声からは恐怖の類の感情は感じ取れなかった。むしろこの状況を楽しんでいるようで、表情からも余裕が窺い知れた。
クロトもリリサの意見に賛成だった。
「そうだね。確かにディードの気配は感じられないし、先に進もう」
「クロト様の言うとおりです。どんどん進みましょう」
ティラミスも臆する様子も見せず、戦鎚で進行方向を指し示していた。
フェリクスはそんな3人の態度を見て反論する。
「お前らマジで言ってんのか? あの大型艦が沈められたんだぞ!? 怖くないのかよ!?」
……フェリクスの言いたいこともわからないでもない。
僕もあの大型艦が沈められるとは思っていなかった。それほど敵は手強い。
だが、この小型艇に乗っているメンバーは伊達じゃない。僕やティラミスは勿論のこと、海棲ディードを倒せるだけの戦力が揃っている。
マンフレートさんが造ってくれたこの船の強度も鋼鉄を遥かに上回る。
そしていざとなれば僕がみんなを守る。それだけの力が僕にはある。
今まで黙っていたジュナだったが、唐突に大鎌の石突で床を叩き、フェリクスにキツめに言う。
「オレたちはカラビナを目指してるんだ。フェリクス、お前もその覚悟で調査団に入ったはずだろ。……いまさら引き返すなんて女々しいこと言ってんじゃねーよ」
「……」
女子に、しかも年下の狩人に言われてフェリクスは何も言い返せない様子だった。
引き戻した所で事態が好転するとは思えない。ならば、ディードの気配が無い今進めるだけ進んだほうがいい。
意見がまとまった所で、舵を握るヘクスターが質問してきた。
「じゃあ進路はこのままでいいんだな?」
「ええ、……でも、一応あの海域は迂回しましょうか」
リリサは進路を少しずらし、右前方を指差す。
しかし、クロトの意見は違っていた。
「いや、生存者がいるかもしれない。迂回はしないでこのまま進もう」
100人いれば誰か生き残っているかもしれない。双眼鏡で見た限りでは全く誰も動く気配はなかったが、もしかして生きている狩人がいるかもしれない。
その可能性がある限り、人命が救える立場にある限り、それを無視して進むことなんてできない。
あまりにもお人好しすぎる考えだが、こういう心をなくしてしまったら人間として終わりだとクロトは思っていた。
そんなクロトの思いを知るわけもなく、リリサはクロトの考えを却下する。
「クロ、あんた正気? 生きてる奴なんていないわよ」
「……ひどいなー、リリサちゃんは」
急に聞こえてきたのは間延びした女性の声だった。
予期せぬ声に、船上にいるメンバーは驚きつつ声がした方に目を向ける。
声がしたのは船尾……そこには大身槍を手にした女狩人、カレン・ソーンヒルの姿があった。
「ふう、助かったー……」
小型艇に乗り込んだカレンはびしょ濡れで、戦闘服は勿論のこと、淡い桃色の髪も水を含んで濃い色になっていた。
カレンはすぐにその場に座り込み、深い溜め息をつく。
どうやらカレンは命からがらあの大型艦から脱出したようだ。
リリサは挨拶もなくカレンに告げる。
「海棲ディード程度にやられるなんて、情けないわね」
リリサから発せられたのは無事を喜ぶ言葉ではなく、侮蔑の言葉だった。
が、カレンは特に気にしていないようでリリサの言葉を訂正する。
「いや、海棲ディードじゃないわよー」
「じゃあ何よ?」
カレンは両腕を大きく広げる。
「……巨大なヒトガタよ」
そしてジェスチャーを交えながら当時の状況を説明する。
「突然飛んできて、大きな刀で艦をあっという間に真っ二つ。多分あれはカラビナの守護者だと思う。あれは無理、勝てる気がしないわー……」
遺跡の守護者……
ラグサラムでもトキソとか言う女ヒトガタが遺跡を守っていた。
カラビナにも同じような存在がいても不思議ではない。
それに、黒衣の男からも「カラビナに近づくな」と散々言われていたし、何かしら攻撃を受けるのも当然のことだ。
カレンは無念そうに肩を落とす。
「艦が破壊された後は海棲ディードに揉みくちゃにされてあの有様よー。何とか頑張って群がるディード共を退治できたんだけど……結局生き残ったのは私一人だけねー」
……が、口調は相変わらず軽かった。
続いてカレンは大身槍を前に掲げ、いきなり宣言する。
「さて、それじゃあカラビナに向かいましょうかー」
「なんであんたが仕切ってるのよ……」
「別にいいじゃなーい。私、猟友会の会長だし。それに海棲ディードもバンバン倒しちゃうわよー」
予期せぬ乗船者だが、戦力的には有り難い。
純潔の二つ名を持つ最強の狩人……彼女がいてくれれば道中の安全度もぐっと増すというものだ。
リリサや他のメンバーもそれを分かってか、彼女と同行することに反対する意見は出てこなかった。
「はあ……とりあえずこのまま進みましょ」
「了解」
リリサの言葉にヘクスターは応じ、死骸の群れを避けるように進路を少し修正する。
まだまだ先は長い。またいつ守護者とやらが襲ってくるかわからない。
……それでもカラビナに到達できると信じて疑わないクロトだった。
――カレンと合流してから20時間後、時刻は真夜中。
クロト達はカラビナの目前まで……目測にして5km地点まで来ていた。
「とうとう到着しちゃったよ……」
クロトは目の前に聳え立つ軌道エレベーターを見上げていた。
周囲は暗いが、ここまで近づくとはっきりと見える。
天に伸びる一筋の巨大構造物……漫画やゲームでは何度も見たことがあるが、こうやって実物を間近で見るのは初めてだ。
昼間ならばどんどん大きくなってくる軌道エレベーターをじっくりと観察することができただろうが、夜とあって視界も悪いこともあり、この距離まで近づくまで全く気づくことができなかったのだ。
それにしても大きい。
これを初めて目視したのはベックルンの山頂からだった。
思えばここに来るまで様々な苦労をしたものだ。
ベックルンの山奥ではキマイラと対決し
ケナンでは甲冑を身に纏ったヒトガタと対決し
セントレアでは上級狩人になるために様々な課題を課せられ
ラグサラムでは毒に苦しみ、トキソというヒトガタとも遭遇し
アルナ海峡では橋をわたるために巨大ウツボと対決し
ゴイランでは船の材料を得るために竜型ディードと対決した。
ディードとの対決も辛かったが、それ以外にも色々とあった。
辛かったことも多々あったが、まあ、今となってはいい思い出だ。
ようやく旅の最終目標地点、カラビナに到達できる。
カラビナに到達すれば自分の失われた記憶を取り戻すことができるかもしれない。リリサの父親の行方も知ることができるかもしれない。
もし思い出せなくても、カラビナに到達すればそれだけで偉業を成し遂げたことになる。
クロトは静かに興奮していたが、他のメンバーはカラビナを目の前にしてもまだ周囲への警戒を怠っていなかった。
「……何も襲ってこないわね」
警戒心たっぷりにつぶやいたのはリリサだった。
ヘクスターに造ってもらったランスを構え、視線を左右に何度も何度も動かしている。
海棲ディードは勿論、カレンの艦を襲った巨大なヒトガタ……守護者とやらを警戒しているのだろう。
ジュナも同じ気持ちのようで、大鎌を腰の位置で構えて船の左側を監視していた。
「と言うか、出発してから一度も海棲ディードに襲われてないよな……逆に不安になってくる……」
本来は攻撃を受けてないことを喜ぶべきなのだが、あまりの順調さに精神状態が不安定になっているようだ。
「全くだぜ。俺も新しい武器の切れ味を試したかったのに……
そう息巻いて見せたのは船の右舷側に立っているフェリクスだった。
フェリクスは言葉とは裏腹に若干腕が震えているように見えた。
虚勢を張っていなければ正常な精神状態を維持できないのだろう。
まあ、到達不可能とまで言われたカラビナを目の前にして落ち着いていられる人間はそういない。狩人でもそれは同じことだ。
「前方にディードの気配はありません。拍子抜けと言うか何というか……こんなに順調でいいんでしょうか」
船の前方で呟いたのはティラミスだった。
ティラミスは出発してからずっと船首に立って武器を構えており、食事も睡眠も休憩も取っていない。流石はヒトガタだ。敵に回すと恐ろしいが味方にするととても心強い。
「いいじゃない。無事に航海できてることに感謝しましょー」
船の後方から声を上げたカレンだった。
カレンはこの船に乗ってからずっと船尾で横になって寝ており、やる気の欠片も感じられなかった。
一応周囲を警戒するように頼んだのだが、その時は「来れば分かる」とだけ言って、決して身を起こすことはなかった。
こんな人が会長で猟友会は大丈夫なのだろうか。
まあ、艦を真っ二つにできるほど強力なヒトガタとやりあって生き残ったのは事実だし、実力は確かなのだろう。
いざとなればきちんと戦ってくれる事を信じて、そっとしておこう。
そんなこんなで船を進めていくと、海の上に薄ぼんやりとドックらしき影が見えてきた。
「あれがカラビナの入り口か……」
ドックは建造物の内部に作られており、かなりの広さと高さがあった。
あの大きさなら巨大なタンカー船でも余裕で停泊できそうだ。
「このまま進むんです?」
問いを投げかけたのは操舵しているヘクスターだった。
この言葉に触発されてか、モニカは悩ましい表情で告げる。
「やっぱりおかしいです。ここまで接近しているのに何も起きないなんて……まるで私達が来るのを待っているみたいな……」
疑心暗鬼になったモニカの思考はどんどんエスカレートしていく。
「あのドックには罠が仕掛けられているかもしれません。一度距離をとってカラビナの周囲を観察したほうが……」
「馬鹿ねモニカ」
モニカの言葉を遮ったのはリリサだった。
リリサは冷静な口調でモニカの考えを否定する。
「罠を仕掛けるくらいなら道中で攻撃するほうが相手にとっては手っ取り早いでしょ」
「でも、じゃあ、なんで相手は私たちに攻撃を仕掛けてこなかったんでしょうか……」
これが一番の謎だ。
カレンの大型艦は港から200海里地点で敵からの攻撃を受けたのに、こちらの小型艇はこの距離まで近づいても攻撃される気配はない。
その理由をリリサは適当に述べる。
「さあ? 向こうで何かトラブルでも起こってるんじゃない? ……ここは悩んでないで一気に行くわよ」
適当だが、的を射た言葉だ。
クロトもリリサの意見に同調する。
「僕もリリサの意見に賛成だ。これは好機だと思う。嫌な感じも全くしないし、今のうちにカラビナに突入してしまおう」
海の上ならいざしらず、中に入ってしまえばこちらのものだ。
こちらには優秀な狩人が7名も揃っている。どんなヒトガタが出てこようと対処可能だ。
リリサとクロトの言葉に反論するものはおらず、小型艇はその船首をドックに向け、暗く静かな海を進んでいった。
それから約10分後
クロト達はドック内に小型艇を入れ、カラビナ内部への潜入に成功していた。
ドック内は想像通り広く、天上には複数台のクレーンが、その他にもこの世界には似合わない現代風の機械類が色々と置いてあった。
クロト達は小型艇で広いドック内を奥へ進み、端まで到達するとようやく船を止めた。
船を留めるとメンバーたちは早速船から降りる。
メンバーは船を降りたその場でとどまり、周囲を観察する。
床の材質は硬く、メンバーの足音はドック内によく響いた。
フェリクスはそれが気になったのか、足で地面をこつこつと叩く。
「硬いな……これ、何で出来てるんだ……?」
フェリクスの言葉にクロトは視線を地面に向ける。
暗くてはっきりとは見えないが、特殊な材質で出来ているのは間違いなかった。
「地面気にする暇があるなら周囲を警戒しろよ」
呑気なフェリクスに対し言葉を発したのはジュナだった。
ジュナはほとんど戦闘態勢に入っており、いつ誰がどこから襲ってきてもいいように大鎌をしっかりと握り構えていた。
他のメンバーもジュナと同じく緊張状態にあり、それぞれが各々の武器を構えて周囲を見渡していた。
そんな中、カレンはのんきにしていた。
「いつまでここで留まってるつもりー? さっさと探索しにいきましょうよ」
カレンはそう述べた後、大きな欠伸をする。この場に来てもまだ心に余裕があるみたいだ。流石は会長、大物である。
カレンは大身槍を肩に担ぐと集団から離れてドック内を散策し始める。
そんなカレンに触発されてか、メンバーも少し緊張を解き、ドックから内部へ続く道を探すべく移動を開始した。
通常なら出入り口を示す場所に目印のライトなどがあるはずだが、相変わらず真っ暗でドアの位置すらわからない。
とにかく壁沿いに歩いて探すしかない。
移動し始めると緊張も解けてきたのか、メンバーはそれぞれ喋り始める。
「それにしても……せっかく到達できたのにあんまり達成感が感じられないですね」
ティラミスの言葉にリリサが応じる。
「まあ、道中何も無かったものね。そう感じるのも仕方ないわよ。……むしろこれからが本番なんだから、しっかり働いて頂戴ね、ティラミス」
「任せてください」
ティラミスは応えると同時に戦鎚を振り上げ、やる気をアピールしていた。
「ここが遺跡ですか……中はディードだらけかと思っていたのですが物音1つすらしませんね。これなら安心して探索できますね」
ヘクスターはリラックスした状態でドック内を歩いていた。
そんなヘクスターの言葉を聞き、モニカは解説し始める。
「いえ、遺跡と言っても多種多様ですからね。特にこのカラビナは例外中の例外です。何が起こるかわからないので一時たりとも油断しないようにお願いしますよ」
「わ、わかりました……」
ヘクスターはモニカの説明を聞くやいなや体をこわばらせ、周囲をキョロキョロと見渡し始める。
「この遺跡、どんなお宝が眠ってるんだろうな……」
遺跡に来た実感が湧いてきたのか、ジュナは期待感で胸を膨らませていた。
フェリクスもテンションが上ってきたのか、興奮気味に告げる。
「そのお宝が物にしろ情報にしろ、無事に戻れたら俺達間違いなく英雄だぜ? 有名人だぜ? 伝記とか書かれて後世にも名が残るんだろうなあ」
「教団からも報奨金、沢山貰えるんだろうなあ……」
「……生きて帰れたら、ね」
物欲にまみれた二人に声を掛けたのはカレンだった。
背後から声を掛けられ、ジュナとフェリクスは体をビクリとさせる。
「怖いこといわないでくださいよ……」
「そ、そう簡単には死にませんよ」
ジュナとフェリクスは今更になって自分が無事に帰れるかどうか不安になったようで、それぞれ大鎌と双剣をぎゅっと握り直す。
そんな仕草を可愛らしいと思ったのか、カレンはふふと笑い、二人にアドバイスを送る。
「死にたくなければ常に冷静でいることねー」
カレンはアドバイスを送ると、集団の先頭へ行ってしまった。
(ここがカラビナか……)
全員がカラビナについて会話をしている間、クロトは強烈な既視感を覚えていた。
今は暗いせいで機械類の場所や壁や床の色などは全くわからないはずなのに、クロトの脳内にははっきりと機械の位置情報と壁や床の色が思い浮かんでいた。
この潮と機械油の混じった独特の匂いにも覚えがある。
……この場所を僕は知っている。
間違いなく僕はこの場所を訪れたことがある。
やはりあの黒衣の男の言った通り、僕は彼らの仲間だったのかもしれない。
いや、仲間だったに違いない。
だと考えれば僕達が海上で襲われなかったことにも納得できる。
彼は僕が仲間だから攻撃してこなかったのだ。もしそうならこれ以降も攻撃を受ける心配はないかもしれない。安心してこのカラビナを探索できるかもしれない。
だが、逆に考えればこちらの位置を把握されているということになる。
あの黒衣の男もここにいるのだろう。となれば彼との接触は避けられそうにない。
彼に攻撃の意思はないが、こちらのメンバーは彼を見つけるやいなや問答無用で斬りかかるだろう。
……さて、どうしたものか。
「クロ、どうかした?」
思い悩みつつ歩いていると、リリサが声を掛けてきた。
「いや、何でもないよ……」
クロトはリリサに適当に返し、側頭部を押さえる。
頭痛がするわけではない。どうするべきか必死に考えているのだ。
もし戦闘状態になったとして……戦力差は圧倒的に向こうが上だし、勝ち目はない。もしこちらが好戦的な態度を取れば僕以外全員殺される可能性もある。
今この事実をみんなに伝えるべきだろうか。
……何故ヒトガタの情報を知っているのか怪しまれるかもしれないが、命には代えられない。
クロトは覚悟を決め、全員に指示をだすことにした。
「みんな聞いてほしい」
クロトは足を止め、振り返る。
メンバーはクロトに注目し、歩みを止める。
全員の視線がこちらに向けられていることを確認すると、クロトは例の件を告げることにした。
「もしヒトガタが出てきてもむやみに攻撃せずに様子を見てほしいんだ」
唐突なクロトの要望に、全員がきょとんとしていた。
「……どういうこと?」
全員の心の言葉を代弁するかのようにリリサがクロトに問いかける。
クロトは身振り手振りしながら詳しく説明する。
「このカラビナ内部にいるヒトガタはこれまでのヒトガタとは違うんだ。こちらが攻撃しない限り、向こうも攻撃してこない。だから、とにかく……ヒトガタを刺激しないで欲しいんだ」
「なんでそう言い切れるんだ?」
「そうですよクロト様、それは確かな情報なんですか?」
ジュナとティラミスがクロトを問い詰める。
クロトはメンバーを信じさせるために真実を告げることにした。
「記憶が……戻ってきてるんだ」
「クロ、本当!?」
「ああ。この場所にも見覚えがあるし、このカラビナにいるヒトガタのことも少しだけど知っている……みんなにも話したと思うけれど、例の黒衣の男だよ」
「!!」
黒衣の男……
彼に関する情報はみんなにはそれほど正確に伝えていない。
ラグサラムの遺跡を破壊した存在、他のヒトガタとは桁違いの力を持つ存在とだけ伝えている。
黒衣の男の名前が出て全員息を呑んだが、カレンは相変わらずの間延びした口調で問いかけてきた。
「じゃあ私が見た巨大なヒトガタはー?」
「それは黒衣の男の仲間だと思う。以前彼と接触したときに“ゲイル”“トキソ”という名前を言っていた。ラグサラムで見たヒトガタのことはトキソと呼んでいたから……多分そいつがゲイルなんじゃないかな」
クロトのこの説明に、フェリクスは狼狽えた様子で言葉を発する。
「……待てよ、だったらこのカラビナには3匹もヒトガタがいるってのか!?」
不思議な力を使う黒衣の男
大型艦を一刀両断できるパワーを持つ巨人
体から毒を発することができる長髪の女
3体とも強力だ。このうち1体にでも攻撃されたら必ずこちらに死者が出る。
クロトは間を置いてフェリクスに応じる。
「その可能性が高い。だからできるだけ戦闘状態にならないように努力して欲しいんだ」
彼らはディードではなく人類の生き残りだ。
何故彼らがカラビナを守っているのか分からないが、言葉も通じるし、交渉できるだけの知性を持っている。
無論、あちらも無闇矢鱈と殺人行為を行いたくないはずだ。
だからこそ、こちらから手を出してはいけないのだ。攻撃する理由を向こうに与えてはならないのだ。
クロトの話を聞き、真っ先に声を出したのはティラミスだった。
「わかりました。クロト様の言うとおり、ヒトガタと接敵しても攻撃しません」
続いてリリサもクロトの指示を受け入れる。
「一番事情を知っているのはクロに間違いないのだし、ここは従ってあげるわ。でも、あちらが攻撃してきたら応戦するわよ?」
「うん、できれば逃げたほうがいいと思うけれどね……」
リリサが同意したことで、他のメンバーもクロトの意見を受け入れ始める。
「わかりました。ここはクロトさんの言うことを信じることにします」
「ま、一番重要なのはカラビナを無事に探索することだからな。戦闘しないで済むならそれに越したことはねーよ」
モニカとジュナもクロトの指示に従うことに決めたようだった。
他のメンバーも異論は無いようで、それぞれクロトの目を見て小さく頷いていた。
話はついた。
あとは前に進むだけだ。
「さあ、先に進もう」
クロトは思い出した記憶を頼りにドックから建物内へと続く階段へ向かっていく。
黒衣の男は僕のことを親しい存在だと言っていた。
彼ならば僕らに危害を加えるようなことはしないはずだ。
クロトはそう信じていた。




