067 阻むもの
067
ゴイランの港を出発してから8時間
日は既に落ち、海上は全て闇の色に染まっている。
100人の狩人を載せた艦はカラビナに向けて順調に海の上を滑るように進んでいた。
「順調ねー」
そうつぶやいたのは猟友会の会長、淡い桃色の髪に透き通るような肌、赤みがかった金色の瞳が特徴の狩人、カレン・ソーンヒルだった。
カレンは現在戦闘服に身を包み、肩に大身槍を担ぎ、艦の船首にて前方の海を眺めていた。
空には三日月。海は月明かりを反射して鈍く黄色く光っている。
幻想的とはいい難いが、なかなかにいい景色だ。この景色を肴に酒を飲めたら最高だ。
だが海の下には真っ黒な化け物どもがひしめき蠢いている。
しかもいつ襲ってくるか分からない。そう思うと酒を飲む気分にはなれなかった。
「これで大体200海里……カラビナの予測地点はゴイランから500海里辺りだから……到着は朝になりそうね」
資料によるとまだこの海域は彼らの縄張りでないので安全だが、もう少しすると縄張りに突入する。
夜の闇に紛れて海棲ディードをやり過ごし、一気にカラビナまで近づく……。これが理想的な展開だ。
だが、相手は頭のいい怪物である。そう簡単に通過させてもらえるとは思わない。
もしこの艦が発見されれば海棲ディード達は容赦なくこの艦を襲ってくるだろう。が、こちらには精鋭が大勢いる。
どんなディードが現れても負ける気がしない。返り討ちにする自信がある。
カレンはそんな強気でもってカラビナを目指していた。
(しかしとんでもなく速い船ねー……この技術、一般に後悔したら凄いことになるんじゃないかしら……)
聞いた話に寄ると、カミラ教団が設計したこの艦には最新技術が用いらているらしい。
何でも船の後ろに大きな推進機があり、それが回転することで莫大な推力を実現させているとのことだ。
燃料はディードの血なのでお金はかなり掛かるが、それを引き換えにしてもこの速度は魅力的だ。
今回の作戦もこの技術なしにはなり得なかっただろう。カミラ教団の人間には感謝の言葉しか無い。
(ま、依頼をしてきたのもカミラの連中だし、協力するのは当たり前だけどねー……)
とにかく、本番はこれから先だ。250海里あたりをすぎると海棲ディードの縄張りに突入する。
船首で進行方向を眺めていると、男の狩人がカレンに声を掛けた。
「会長、そろそろ戦闘の準備をしたほうがいいじゃないですか」
カレンは黒い海から目をそらし、振り返る。
「そうねー……」
今のところカミラ教団の情報に間違いはないが、信用し切るのも危険だ。
いつどこから海棲ディードが襲ってくるかもわからないのだし、そろそろ全員に戦闘態勢を取らせておいたほうがいいのかもしれない。
むしろ準備させておいたほうが、彼らも安心できるだろう。
そう判断したカレンは男の狩人に告げる。
「じゃ、みんなに予定通りの配置に付くよう伝令よろしくー」
「了解しました」
男の狩人は一礼すると船内へ戻っていってしまった。
この時、初めてカレンは甲板上にいるのが自分ひとりだったということに気づいた。
「私、嫌われてるのかなー……」
自分が腫れ物扱いというか、特別扱いされているのは自覚している。
仮にも猟友会の会長なのだし丁寧に対応されるのは当然なのだが、それを踏まえてもあまり人が近寄ってこないというか、避けられている気がする。
数年前まではリリサちゃんも対戦という名目で構ってくれたが、禁猟区での一件のせいで地方に飛ばされてしまった。
親しい友人もいない。
気兼ねなく話せるのはあの老人……バスケス爺さんくらいなものだ。
(バスケス爺さん、元気かなー……)
バスケス爺さん……ニコラス・バスケス教官には今会長代理を務めてもらっている。
やることは殆どないのだが、彼になら安心して猟友会を任せられる。
むしろ会長の座は私みたいな小娘より経験豊富で人脈も豊富な彼にこそふさわしいと思うのだが……
まあ、決まったものは仕方ない。
会長という肩書きもそれなりに気に入っているし、飽きるまでは会長としてしっかり働くことにしよう。
今回の遠征もその決意から志願したのだが、この様子なら私が行かずともカラビナに到達できるかもしれない。
100人の狩人は粒ぞろい、全員が手練だ。
多少緊張はしている様子だが、いざ海棲ディードとの戦闘となればその能力を余すところなく発揮してくれるはずだ。
「さて、私もそろそろ配置につこっかなー」
カレンは思考を止め、背伸びをし、船首から甲板へ降りる。
私の配置は艦の前方に位置するお立ち台。一番攻撃を受けやすいと予想されている場所だ。
見晴らしがいいのでどこから来ても即座に対応可能だ。
本来なら私のような大将は後方でどんと構えているものだが、私は狩人の中でも飛び抜けて強い。
犠牲者を出さないためにも最前線で戦う必要があるというわけだ。
カレンは艦の前方、少し高くなっている台に到着するとその上に仁王立ちする。
時をほぼ同じくして艦内から狩人たちが姿を現し、それぞれが得物を手に等間隔に甲板上に広がっていく。
甲板上にいるのは約半数の50名。
あとの50名は艦内で待機し、艦の側面に備え付けられた艦載兵器で海棲ディードに攻撃を加える役目を担っている。
他には船員もいるが、彼らには操舵と推進装置の管理を任せており、戦闘には参加させない。というか参加したくてもできないだろう。
とにかく、どこから来ても即座に対処可能だということだ。
この艦はそう簡単に沈まない。必ず海棲ディードの攻撃を掻い潜り、カラビナに到達できる。
新種の海棲ディードが現れようが、何体同時に襲ってこようがこの艦は沈まない。
そんな自信がカレンにはあった。
……しかし、その自信はすぐにへし折られることになる。
「……そこの船、即刻この海域から立ち去れ……と言っても伝わらないのだったな」
まず聞こえたのは不気味な声だった。
その声は言語であり、こちらに語りかけてきているのは確実だったが、言葉の意味はもちろんのこと発生源も分からなかった。
「なんだこの声……?」
「幻聴じゃないよな……」
「ディードの鳴き声か……?」
いきなりの声に熟練の狩人たちはざわつく。
カレンも内心で焦りつつ、発生源を探して周囲を見渡す。
周囲の海は暗く、ほとんど何も確認できない。月明かりはあるものの、それでもディードらしき影は確認できなかった。
やはり空耳だったのか……
自分の精神状態を疑い始めたその時、不意に月明かりが“消えた”
カレンはこの怪奇現象の発生要因を即座に脳内で考える。
月が消えるのはありえないし、自分の目が見えなくなったわけでもない。
つまり、考えられるのは“空中に光を遮る物体が出現した”こと以外に考えられなかった。
そう予測すると同時にカレンは視線を海から空へ、天上へ向ける。
「え……」
そこには“想定外”の物体が出現していた。
宙に浮かぶそれは人の形をしており、輪郭から鎧を身に纏っていることがわかった。
そして少し遅れてそれがとても巨大な物体だということにも気がついた。
宙に浮かび、月明かりを遮り、艦の大半に影を落とす巨人……
それはカレンも100人の狩人も初めて遭遇する未知の敵であった。
宙に浮かぶ巨人は音もなく空から降りてきて、艦の真上でピタリと止まる。
そして頭部を少し動かし、またしても声を発した。
「よくもまあこんな大きな船を造ったものだ。確かにこれなら防衛ラインも突破できそうだな」
相変わらず意味はわからない。が、この巨人が知性を持つ化物であり、こちらに敵意を持っているのは容易に理解できた。
月明かりに照らされた巨人は全身が真っ黒で、腰には巨大な刀を提げていた。
人間の形をした真っ黒な化物……ヒトガタで間違いない。
そう判断したカレンは先手を打つことにした。
「……一斉攻撃!!」
カレンは声を張り、狩人たちに命令を下す。
命令に応じ、手練の狩人たちは艦から跳び上がり、直上で待機している金属の鎧を纏った巨人……ゲイルにそれぞれの武器を向ける。
カレンも先陣を切り、ゲイル目掛けて大身槍を振りかぶる。
しかし、狩人たちは何か見えない力に押し返され、ジャンプも半ばで地面に弾き返されてしまった。
ゲイルは狩人たちの攻撃など気にも留めておらず、船上をスキャンしていた。
数秒間のスキャンの後、ゲイルは呟く。
「ククロギはいないか……まあ、何にせよここで沈んでもらう」
そう告げるとゲイルは腰に提げていた巨大な鞘から刀を抜き、上段に構える。
この構えを見て、艦上にいた狩人たちは恐怖を覚え、立ち竦む。そしてほぼ全員が予感した。
――この艦は真っ二つに両断される、と
狩人たちはどうしていいか分からず、武器を持ったまま呆然と立ち尽くす。
そんな中、カレンだけが対抗心を激しく燃やしていた。
「来るなら来なさい。純潔の二つ名が伊達じゃないってこと、証明してあげるわ」
カレンは意気込み、ゲイルの真下に素早く移動し、大身槍を背後に振りかぶる。
そのタイミングでゲイルの斬撃が放たれた。
巨大な刀は圧倒的なスピードで艦の中央部分目掛けて空間を切り裂いていく。
防ぐものが何もなければゲイルの刀は甲板を簡単に切り裂き、内部構造も綺麗に切り裂き、一振りで艦を真っ二つにしていただろう。
だが、そうはならなかった。
何故なら艦に接触する直前に、カレンが大身槍を巨大な刀にぶち当てたからである。
二つの刃が接触した瞬間、鐘が鳴り響くような音が発生し、周囲の空間を揺らし、同時に衝撃によって艦も大きく揺れる。
艦は海に3分の2ほどめり込み、大きな波を発生させる。
カレンは大身槍の刀身で巨大な刀の先端を受け止め、体は仰け反り、足は甲板にめり込んでいた。
しかし、本人に目立ったダメージはなく、衝撃に耐えたカレンは船が浮かび上がる力を利用し、巨大な刀を押し返した。
カレンに刀を押し返され、ゲイルは自然と感嘆の声を漏らす。
「この私の斬撃を跳ね返す個体がいるとは……予想外だな」
言葉は分からずとも意味はなんとなく理解できたのか、カレンも言う。
「流石、でかい図体に見合った半端ない斬撃ねー。でも、これでこそ狩り甲斐があるってものよ」
カレンは、セリフを吐き終えるやいなや甲板を強く蹴り、再度ゲイルに接近する。
真上に跳んだカレンは大身槍を下に振りかぶり、大身槍を持ち上げるように素早い斬撃を放つ。
その斬撃はゲイルの急所、頭部に見事に命中した。
しかし、命中はしたものの「がん」と音がしただけでゲイル本体には全くダメージは通っていなかった。
「そんなナマクラでは私は斬れないぞ」
ゲイルは冷静に述べると、宙に浮かんでいるカレン目掛けて素早い斬撃を放った。
カレンは何とか空中で姿勢を制御し、刀を大身槍で受け止める。
しかし、威力を殺しきれるわけもなく、カレンはゴルフクラブに打たれるゴルフボールのごとく彼方へと飛ばされてしまった。
(うわー、勝てないわ……)
綺麗な放射線を描きつつ、カレンは自分と巨人のヒトガタとの実力差を実感していた。
まさか、まさかこのタイミングであんなイレギュラーが出現するとは思っていなかった。
敵は海棲ディードだけだと思いこんでいた自分のミスだ。
あれは多分カラビナを守っている護衛のようなものだろう。今までもカラビナに接近する船を見つけてはああやって破壊していたに違いない。
カミラ教団の報告ではあのような存在は報告されていなかったが……今回、巨大な艦でカラビナに近づこうとしたため早期に排除するべくやってきたのだと思う。
カレンは空中を飛びながら月明かりに照らされた艦を見る。
巨人のヒトガタは間髪入れず刀を振り下ろし、一撃で艦を一刀両断した。
史上最高の強度を誇っていたはずの艦は中央で真っ二つに折れ、無残にも海に沈没していく。
100人いた狩人たちも当然ながら海に投げ出される。
巨人のヒトガタは彼らを一人一人殺していくのだろう……と思っていたが、巨人のヒトガタは艦を破壊し終えるとそそくさとカラビナのある方向に向かって飛び去ってしまった。
見逃してくれたのだろうか。
……いや、そんなはずはない。
カレンの考えは的中し、やがて黒い海面に海棲ディードらしき影が現れ、それらは艦の沈没地点目掛けて四方八方から集まってきた。
……そこからは地獄絵図だった。
様々な種類の海棲ディードが海に落ちた狩人たちを食い始め、静かな海に多数の悲鳴が響き始めたのだ。
手練の狩人も水中に投げ出されてはどうしようもない。
カレンは遠く離れた海面に着水するまで、為す術もなく殺されていく狩人たちを見ていることしかできなかった。
「――攻撃したのか!?」
洋上に浮かぶアース・ポートにて、素っ頓狂な声を上げたのは黒衣の男、パイロだった。
軌道エレベーターと地球とを結ぶアース・ポートは月明かりに照らされ、海面に不気味な影を落としている。
発光体は何もない。エレベーターシャフトは黒い一筋の線となって宇宙へと伸びている。
ゲイルはそんなエレベーターシャフト付近を浮遊しつつ、パイロの言葉に当然のように応じた。
「軌道エレベーターに向かってくるものは破壊する。何の問題がある?」
ゲイルは己に課された命令どおりに動き、そしてそれを遂行した。
軌道エレベーターに近づいてくる物体を事前に察知し、瞬時に破壊したのだ。ガードマンの行動としては満点だ。が、パイロはそうは思っていなかった。
パイロはゲイルに浮かび寄り、自分の体躯の半分の大きさはある顔面を指差す。
「飽くまで遠距離からのスキャニングが目的だっただろ。破壊するかどうかは俺と相談して決める……そういう約束だったはずだ。……それにもしククロギが乗っていたらどうするつもりだったんだ? 覚醒されたらお前にも手に負えなくなるんだぞ」
長々とまくし立てたパイロだったが、ゲイルはさらりと言い返す。
「ククロギがいないことは確認した。その上で脅威だと判断したから破壊したまでだ」
「だ・か・ら、破壊の可否は相談して……はぁ……このポンコツが……」
パイロは途中からため息混じりに告げ、ゲイルに背を向ける。
「……ククロギへの対策はきちんと考えてある。もしククロギを見つけても攻撃するなよ」
「わかっている。いちいちうるさいやつだな、お前は」
ゲイルは不服なのか、腕を組んでパイロの正面に回り込む。
再び向かい合い、パイロはゲイルを再び指差す。
「いいや分かってない。お前はずっとこのアースポートを守っていたから知らないかもしれないが、ククロギの戦闘能力は異常だ。暴走されでもしたら俺とお前、二人がかりでも止められるかどうか定かじゃないんだぞ」
脅すパイロに対し、ゲイルは飽くまで論理的に返す。
「それはない。ククロギのスペックはデータベースできちんと把握している。私一人でも十分に対処できるレベルだ。実際、奴の裏切りが発覚した時も私は奴に対して大ダメージを与えることができた」
「あれは油断してたからだ」
パイロはククロギ……クロトの戦闘能力について語る。
「あいつは一度たりとも本気で戦闘したことがない。俺のサイコメトリーで調べても底が見えないほどだ。……お前が考えている10倍以上は強いと思っておいたほうがいい」
「……冗談で言っているわけではなさそうだな」
ゲイルは腕を解き、小さく頷く。
「わかった。今後は気をつけよう」
「わかったならそれでいい。……戦闘は絶対に避けろよ」
パイロは最後に釘を刺すと、視線を真上に向けて話題を変える。
「それはそうとゲイル、そろそろ“彼ら”が目覚める。早めに迎えの準備をしておいたほうがいいんじゃないのか」
「そうだな。ではククロギについては任せたぞ」
ゲイルはそう告げると上昇し始め、次の瞬間には遥か上空まで一気に移動していた。
パイロは真っ黒な海に視線を向け、ぽつりと呟く。
「問題はククロギだけか……」
そのつぶやきは夜の闇に溶け込み、誰の耳にも届くことはなかった。




