060 本当の仲間
060
アルナ海峡
二つの大陸を結ぶ長い橋が掛かっているこの海峡は、一時期巨大ウツボ型ディードによって通行不能状態にあった。
しかし、クロトがウツボ型ディードを撃退したことで橋は無事通行可能となった。
橋前の広場はかなりの被害を受けたが、避難していたおかげで一般市民に怪我人は一人もいない。
狩人からは死傷者が出てしまったが、モニカの作戦のおかげでその数も最小限に抑えられた。
復旧作業も既に始まっており、職人たちは瓦礫を片付ける作業を行っている。
商人たちも今までの遅れを取り戻さんとするべく馬車を走らせ橋をわたっている。
そんな中、リリサ達調査団一行は橋を渡らず、猟友会アルナ海峡北支部の事務室内にいた。
「……だから、船を貸せって言ってんだよ!!」
ジュナの苛立った声が支部の一階に響く。
その声に応じたのは男性事務員だった。
「だから、無理だと何度言えば分かってくれるんだ。……いくらあんたらが優秀な狩人でもあの海域に船で向かうのは危険過ぎる。と言うより自殺行為だ」
「それを承知のうえで言ってんだ。いいから貸せよ。仲間がその海域にいるかもしれないんだよ」
「それじゃあ生きちゃいないだろう。諦めな」
「クロトが死ぬわけねえ!!」
ジュナは支部の事務員と30分近く押し問答を行っていた。
それもこれも海に落ちたクロトを助けるためだった。
最初は船を借りるべく港で交渉していたが、「壊れると分かってて船を貸すバカがどこに居る」や「今は仕事の遅れを取り戻すので忙しい。他をあたってくれ」という風に門前払いを食らい、まったく船を借りることができなかった。
それならいっそのこと船を買おうと考えた彼らだったが、手持ちの金では船をまるごと買うことはできず、結局最終的に猟友会の支部に交渉に来たというわけである。
「ジュナ、落ち着きなさい」
興奮するジュナを諌めたのはリリサだった。
……リリサはメンバーの中でも一番冷静さを保っていた。それはクロトが絶対にここに戻ってくると確信しているからだった。
しかし、それ以外のメンバーの心は乱れていた。
クロトが海に落ちてからというもの、ティラミスは部屋に閉じこもり食事もろくに取っていない。
モニカも気を紛らわせるためか、昼間は復旧作業の手伝いをし、夜は地図や書籍とにらめっこしてカラビナの位置について調べている。
フェリクスは元々クロトに執着はないようで、時間つぶしと鍛錬を兼ねて毎日のように北の岩場でヘビ型ディードを相手に狩りを行っている。
ジュナはどうしても海に出てクロトを探したいようで、船の調達に必死になっている。
そんなこともあり、クロトを助けるべく動いているのは実質的にはジュナだけだった。
リリサはジュナの両肩を掴んで真剣に告げる。
「クロは生きてる。ここで待っていれば必ず帰ってくるはずよ」
「そんな保証……」
「保証はないわね。でも確信はあるわ」
リリサには確信があった。
クロトには特別な力が備わっている。海に落ちた程度で死ぬような男ではない。
それ以上に、カラビナへ行くという約束を反故にするような男でもない。
そんな考えから、リリサは橋を渡らずアルナ海峡の北支部に留まっているというわけだ。
「何だ、まだ船がどうのこうの言ってるのか」
リリサとジュナ、二人して支部の事務室内にいるとフェリクスが声をかけてきた。
フェリクスは狩りを終えてきたばかりのようで、服の一部が黒い返り血で汚れてた。
先ほどのジュナの話を聞いていたのか、フェリクスは呆れ口調でジュナに告げる。
「仲間の一人や二人欠けることなんざ調査団じゃよくあることだ。もうここに留まって一週間近く経つ。クロトのことは忘れて早く先に進もうぜ」
「お前は黙ってろ!!」
ジュナはフェリクスに駆け寄り、胸ぐらを掴む。そして睨み上げる。
フェリクスは流石に女性には手を出すつもりはないのか、肩をすくめて視線を逸らした。
「ジュナ」
リリサはジュナの背中を叩く。
ジュナはリリサの言わんとすることが分かったのか、フェリクスから手を放した。だが怒りは収まりきらず、近くにあった椅子を蹴り飛ばした。
椅子は勢い飛び、食堂のど真ん中にあるテーブルと激突した。
食事をしていた狩人は文句を言うべく立ち上がるも、ジュナの覇気に慄いてか、何も言わないまま椅子に座ってしまった。
リリサはフェリクスに向けて告げる。
「クロトはあの力を発揮した後必ず数日間は寝込んでいたわ。今回もそうだと考えていいと思う」
「だから何なんだ?」
リリサは人差し指を立て、宣言する。
「あと1週間ここで待つわ。その間クロが帰ってこなかったら……予定通り橋を渡ってゴイランに向かう。それでいいわね?」
「わかった。お前らの気が済むならそれでいい」
フェリクスはあっさりとリリサの案に同意した。
が、ジュナはそうではなかった。
「……イヤだ」
ジュナは首を左右に振り、大声で告げる。
「クロトはオレが絶対に見つける。それまで絶対ここから動かねーからな!!」
「ジュナ、我儘もいい加減にしなさい」
「……」
リリサはクロトの事を、その能力も含めて信用している。
信用しているからこそ今もなお冷静さを保てている。そして、必ずこのアルナの街に戻ってくると確信している。
しかし、ジュナはクロトの事を信じきれていなかった。
……海峡の激流に飲まれて自力で帰ってこられるような人間はこの世に存在しない。
その認識の差がリリサとジュナの言動にも差を生み出していた。
ジュナはリリサを一瞥すると、支部の出口に向かう。
「どこに行くつもり?」
「港に行ってみる。船を貸してくれる奴がいるかも知れねーからな」
ジュナはそう告げると小走りで支部内を移動し、乱暴にドアを開けて外へ出て行ってしまった。
「ジュナ……」
リリサはジュナを追いかけることはせず、ゆらゆらと揺れるドアをただ見つめていた。
一方その頃
アルナの街の東に位置する船着場
十数隻の船が停泊しているその港にて、
クロトは船員に御礼の言葉を告げていた。
「どうもありがとうございました」
「いやいやいいってことよ。海の上では助け合いが船乗りの鉄則だ。……にしても運が良かったな。あのままだと溺死コースだったぞ」
「いやあ、20kmくらいなら平泳ぎで行けると思ったんですけど……」
クロトは黒衣の男と別れた後、海を横断するべく遠泳にチャレンジした。
しかし、プールとは違い海で泳ぐのは結構体力が削られ、5kmも泳がないうちに溺れそうになった。
だが、そのタイミングで運良く商船が通りかかり、クロトは船員に助けられてこの港まで辿り着いたというわけである。
クロトは重ねて礼を言う。
「とにかく、食事から着替えまで色々面倒を見てもらってありがとうございました」
「じゃあな、次からは気をつけるんだぞ」
「はい、気をつけます」
船員は快活な笑顔を見せると、出港すべく船へ帰っていく。
しかし、その船員の乗船を邪魔するものが現れた。
「ちょっと待った!! その船借してくれねーか!!」
大声を上げながら駆け寄ってきたのは橙のサイドテールが似合う少女、ジュナだった。
ジュナは船員目掛けて一直線に駆ける。……が、途中でクロトの姿を見、足を止めた。
ジュナは驚愕の表情を浮かべ、クロトを指差す。
「え? ク……クロト!?」
「やあジュナ、久しぶり」
クロトは手を振ってジュナに応じる。
そう言えば調査団のメンバーとは長い間連絡が取れなかったし、心配を掛けたかもしれない。
てっきり先に橋を渡ってゴイランに向かったものかと思っていたが……僕が帰ってくるのを待っていてくれたようだ。
リリサらしからぬ選択だなあと思っていると、ジュナは止めていた脚を再び動かし始め、ゆっくりとこちらに近付いてきた。
その間、ジュナはクロトの頭の天辺からつま先までジロジロと観察していた。
やがて距離が1mまで詰まると、何故かジュナは表情を一変させ、怒りの篭った言葉とともに殴りかかってきた。
「お前……この、馬鹿野郎!!」
ジュナのパンチは見事にクロトのみぞおちに入り、クロトは思わず咳き込んでしまう。
「いてて……いきなり殴るなんてひどいよ」
「ひどいのはどっちだ!! 馬鹿野郎!!」
ジュナは相当怒っているのか、今にも二発目を繰り出さんと拳を固く握っていた。
「……」
まあ、僕のせいで足止めを食らっていたわけだし、怒るのも当然だ。
ここは素直に謝ろう。
クロトはそんなことを思っていたが、それは全くの的外れだった。
「……よく生きてたな」
クロトを殴った後、ジュナは態度を一変させ、しおらしい声と共にクロトに抱きついた。
「ちょっ、ジュナ……」
予想外のジュナの行動にクロトは一瞬狼狽えてしまう。
こんな公衆の面前で抱きつかれると流石に恥ずかしい。
クロトは思わずジュナを引き剥がそうとした……が、ジュナの目に溜まっている涙を目の当たりにし、心中を察した。
(そうか……)
ジュナは早く戻って来なかった事を怒っていたのではない。
僕の事を心配してくれていたのだ。
それも涙を流すほどに。
いつもはこちらが面倒を見る側だったので気づきもしなかったが、僕は自分が思っている以上にジュナに大事に思われているみたいだ。
全く有り難いことである。
クロトはジュナの頭をぽんぽんと叩き、詫びる。
「心配かけてごめん」
「ごめんで済むか、このバカ……」
そう告げるとジュナはこれまでの不安や不満をぶちまけるようにクロトの脇腹にブローパンチを何度も打ち込む。
……心配してくれるのは嬉しいが、こう何度も拳を受けると流石に痛い。
「そろそろ放してくれると有り難いんだけれど……」
クロトは痛みに耐えかね、ジュナに告げる。
「ッ!!」
クロトの言葉でジュナは我に返ったようで、クロトを押し飛ばして3mほど距離をとった。
「……」
ジュナは自分の行動を振り返ってか、視線を斜め下に向け、顔を真赤にしていた。
だがそんな可愛らしい反応を見せていたのもほんの数秒ほどのことだった。
「……とりあえずリリサに報告しに行くぞ」
ジュナはぶっきら棒に言うとクロトに背を向け、アルナの街に向けて歩き出す。
「うん、わかった」
クロトはジュナの後を追って移動を開始する。
この時、クロトはメンバーがどの程度自分のことを心配してくれているか、考えていた。
まずリリサはそこまで心配していないだろう。リリサは僕の“力”についてよく理解しているし、現実的な判断ができる狩人だ。僕が死んでいないことは確信しているだろうし、もし再会しても「やっと帰ってきたか」なんて言葉だけで終わるに違いない。
ティラミスは僕のことをかなり慕っている。行方不明となればあらゆる手段を講じて僕を探すはずだ。無茶なことをしていなければいいのだが……。
モニカはどうだろうか。一応心配してくれているとは思うが、それは戦力としての僕を失ったことに対する心配であって、個人的な感情はないような気がする。
フェリクスは……間違いなく僕が死んだと思っているに違いない。僕が生きていると知ればさぞ驚くに違いない。
そして最後にジュナについてだが……ジュナが僕のことをこんなにも心配してくれているとは思っていなかった。
船を貸して欲しいなんて言っていたし、海に出て本格的に僕を捜索するつもりだったに違いない。
(……)
クロトはエンベルでダンシオと会話した内容を思い出す。
あの時ダンシオさんはジュナが僕の事を気にかけていると言っていた。あの時はあまり本気に捉えなかったが、先ほどの反応を見ると本気でそう思えてくる。
そんなクロトの考えを知ってか知らずか、ジュナは唐突に振り返り、クロトに詰め寄る。
「……抱きついたこと、誰にも言うなよ」
言えば殺す。と言わんばかりの迫力だった。
「わかってるよ」
クロトが応じるとジュナは再び前を向く。
態度は相変わらず粗暴でぶっきら棒だが、可愛らしい一面もある。
クロトはジュナのことをより一層理解できたような気がしていた。
港から歩くこと20分
クロトはアルナ海峡北支部に到着していた。
(お腹すいた……)
道中ジュナとの会話で分かったことだが、どうやら僕が海に落ちてから7日も時間が経っていたらしい。
自分の時間感覚では2日か3日くらいかと思っていたのだが、やはりあの“力”を発揮した後はかなりの休養を要するようだ。
無論その間クロトは何も食べておらず、かなりの空腹状態にあった。
助けてもらった船で一応チーズと水を頂いたが、それだけで空腹感を満たすことができるわけもなく、クロトの頭の中は食べ物のことで一杯になっていた。
「それじゃ、みんな呼んでくるからここで待ってろよ」
ジュナは食堂にクロトを押し込むとその場を離れ、2階へと向かう。
クロトは適当な席に座り、一息つく。
「ふぅ……」
時刻は昼前。
まだ昼食時ではなく、食堂はそこそこ空いていた。
みんなが集まるまでまだ時間があるだろうし、その間軽食でも取ろう。
そう考えたクロトは手を上げて給仕係に声をかける。
「……あの、すみません」
クロトの声に応じてウェイトレスが歩み寄ってくる。
しかし、ウェイトレスがクロトのテーブルまで来ることはなかった。
「……私への挨拶を後回しにして食事なんて、良い度胸してるじゃない」
ウェイトレスの進路を妨害するように現れたのは銀の長髪に琥珀の双眸を持つ長槍使い、リリサだった。
リリサの口調は実に淡々としており、特に心配している様子はなかった。
それはクロトの予想通りの反応であった。
リリサはウェイトレスに視線を送り下がらせ、クロトの正面に座る。
「ようやく戻ったわね、クロ」
「ごめん、待たせちゃったみたいだね」
「大変だったのよ? ジュナはあんたを探しに行くって聞かないし、ティラミスは部屋に篭もりきりで出てこないし……」
「え、ティラミスが?」
ティラミスについては予想外だった。
てっきり外に出て探しまわっているのかと思っていたが……ショックが大きすぎたのだろうか。というか7日間も部屋に篭もりきりで大丈夫なのだろうか。
そんな心配は遠くから聞こえてきた元気な声にかき消される。
「クロト様ー!!」
声の主の正体はティラミスだった。
ティラミスは2階へ続く階段から一直線にクロトの座るテーブルまで駆け抜け、ジャンプする。
そのままティラミスはリリサの頭上を飛び越え、真正面からクロトに抱きついた。
クロトはその勢いに耐え切れず、椅子ごと後方に転げてしまう。
転んでもティラミスは構うことなくクロトに抱き付き、顔を胸元に埋めて呻いていた。
「うう……クロト様、ご無事で何よりです……あうう……」
ティラミスは号泣しており、クロトは自分の服が涙や鼻水で濡れていく感触を胸元に感じていた。
(激しいなあ……)
予想はしていたが、ここまで熱烈な歓迎を受けるとは思っていなかった。
ティラミスに馬乗りにされたままぼんやりと天井を眺めていると、視界に紫髪に三白眼が特徴の少女、モニカが入り込んできた。
「無事で何よりです」
モニカは微笑みながらそう言うと、こちらに手を差し伸べる。
クロトはその手を取り、引き起こしてもらった。
しかし、立ち上がってもティラミスが離れることはなく、大樹にしがみつくコアラのごとくクロトに抱きついていた。
その状況を見てモニカは苦笑しつつ、改めてクロトに言葉を送る
「おかえりなさい、クロトさん」
「心配かけてごめんね、モニカ」
「いえいえ、むしろ私はティラミスちゃんのほうが心配でしたよ」
「部屋に篭っていたらしいけれど、そんなに大変だったのかい?」
モニカは視線をティラミスに向ける。
「ええ、飲まず食わずで完全に塞ぎ込んでいましたからね……」
「そうだったのか……」
ティラミスは相も変わらずこちらに抱きついたままだ。その力は緩むことなく、数分どころでは放してくれそうになかった。
「やっぱりそうなったか」
ティラミスの抱擁を甘んじて受け入れているとジュナが2階から食堂に戻ってきた。
ジュナはティラミスに抱きつかれているクロトを冷ややかな目で見つつ、席につく。
「今まで何を言っても部屋から出てこなかったのに、クロトが戻ってきたって言った瞬間これだからな。ほんと、こいつのクロトへの執着心は異常だな」
誂うジュナに対し、ティラミスは一瞬だけクロトから顔を話して言葉を訂正する。
「執着じゃありません。忠誠心と言ってください」
そう言うと再びティラミスはクロトの胸元に顔を埋め、存在を確かめるように深呼吸していた。
「執着心で言えばジュナだって負けてないんじゃない?」
リリサは頬杖をつき、隣りに座るジュナにいたずらっぽい笑みを向ける。
「なにせ、ジュナはクロトを探すために寝る間も惜しんで港で船を……」
「あーあー!! その話は別に言わなくていいだろ!!」
ジュナは顔を真赤にしてリリサの言葉を遮る。
リリサもそこまで弄る気は無いのか、すぐに発言を止める。が、ニヤニヤとした表情は続いていた。
クロトはこの二人の様子を見て、大体の見当がついた。
(ジュナも色々頑張ってくれてたのか……)
港で再会した時も船員に向かって「船を貸して欲しい」なんて言っていたし、この一週間なんとか海に出るべく画策していたに違いない。
自分を探すために必死になって港を走り回るジュナの姿を想像し、クロトはなんとも言えない気持ちになった。
みんな大なり小なり僕の事を心配してくれていた。それが分かっただけで嬉しいものだ。
だが、メンバーの中で唯一クロトのことを心配していない男がいた。
「マジで帰ってきたのかクロト……」
それはフェリクスだった。
フェリクスはクロトの軌跡の帰還に対して特に何を言うでもなく、クロトに黒刀を差し出す。
「あ、どうも……」
戦闘のドサクサで無くしてしまったかと思っていたが、ちゃんと拾っておいてくれたようだ。
黒刀をクロトに渡すと、フェリクスは腰に提げた双剣を手でぽんぽんと叩く。
「さて、早速だが表に出てもらおうか」
「ん?」
どうして外に出なければならないのか。
今は一秒でも早く何か食べ物を胃に入れたい。
座ったまま動かずにいると、フェリクスは表に出る理由を説明し始めた。
「なに不思議そうな顔してんだよ。俺とお前で勝負して、俺が勝ったら仲間にしてもらう約束だろうが」
「そうだったっけ……」
そんな約束もあった気がする。が、巨大ウツボ駆除作戦で彼の実力は証明されたわけだし、もう仲間にしても良いのではなかろうか。
そんなクロトの気持ちを代弁するようにリリサが告げる。
「あー……フェリクス、その条件は忘れていいわよ」
「な……」
フェリクスはリリサに詰め寄る。
「お前、俺だどれだけクロトと戦うために特訓してきたと……」
「はいはい、あんたの実力なら十分戦力になるわ。調査団に正式に加えてあげる。……良いわよね? モニカ」
リリサはモニカに決定を委ねる。
モニカはただコクリと頷き、晴れてフェリクスは調査団のメンバーとなった。
フェリクスはメンバーに迎え入れられて嬉しいのか、クロトと戦えなくて悔しいのか、明らかに不完全燃焼な様子だった。
だが、ここでリリサの提案を拒絶するほど無鉄砲ではなかったようで、甘んじてメンバー入りを受け入れた。
「オーケー、これで俺もメンバーの一員だな。……つーか、戦わせるつもりがないなら最初からそう言えよ」
「ごめん、私あんたのこと嫌いだったから、つい」
「好き嫌いの問題じゃねーだろ……」
フェリクスはまだまだリリサに文句を言いたげだったが、これ以上何を言っても無駄だと判断したのか、後頭部を掻きながら大きなため息をついた。
メンバーが一同に介し、話もまとまったところでリリサは全員に告げる。
「さて、クロトも戻ってきたことだし、準備が出来次第ゴイランに向かうわよ」
次の目的地はアルナ海峡を渡った先にある港町、ゴイランだ。
ゴイランには造船所が多数あり、そこで船を調達する予定だ。
リリサから準備という言葉を聞き、ティラミスは抱きつくのを止め、流れるような仕草で腕を組む。
「クロト様、早速買い出しに行きましょう!!」
先程まで泣いていたのにもう元気いっぱいである。
黒の目は爛々に輝いており、エネルギーに満ち満ちているのが一目見て分かった。
ティラミスは食堂から出るべくクロトを引っ張っていく。……が、その途中で2箇所からぐぅという間抜けた音が鳴った。
その音は空腹を告げる音であり、その音の主は7日間何も口にしていないクロトと、同じく空腹のティラミスであった。
ティラミスは恥ずかしさからか足を止め、頬を染める。
そんなティラミスにクロトは提案する。
「お互いまずは何か食べよう。準備はそれからだ」
「……はい」
その後クロトは改めて給仕係を呼び、7日分の空腹を満たすべく大量の料理を注文した。
――インド洋上の赤道上にあるとある地点
ここには軌道エレベーターが天高く伸びている。
クロト達はこのエレベーターをカラビナと呼称しているが、正式名称はない。
軌道エレベーターは大きく分けて3つのパーツで構成されている。
まずはエレベーターをエレベータたらしめる太くて長いシャフト。
そしてシャフトの端に位置するカウンターウェイト
最後にシャフトを地上に固定しているアース・ポート……
宇宙と地球とを結ぶ役割を果たしているのがここ、海上に浮かぶアース・ポートである。
そのアース・ポートにて、2体の人あらざる者が話し合いをしていた。
「……ついにあの橋を突破してしまったか」
感慨深く述べたのは体長およそ10mの機械の巨人……いわゆるロボットだった。
彼の個体名はゲイル。
彼はアース・ポートの床から2mの位置で浮いており、腕を組んでいた。
体表面には戦国時代の鎧を連想させる装甲を纏っており、腰には太刀が提げられている。一目見て強者と分かる外観をしていた。
「……あんな橋、わざわざ通行禁止にしなくても壊してしまえばよかったんじゃないか?」
そんなゲイルに応じたのはブルネットのロングヘアーに淡い青の瞳、薄紅色の唇が特徴の女、トキソだった。
アース・ポートの施設の屋上は平らで何もない。
トキソはそんあ平面の上で寝転がっていた。
……トキソは露国が作り出した歩く化学兵器である。ありとあらゆる毒物を体内で生成し、放出することができる。
長年ラグサラムの遺跡で過ごしていた彼女だったが、クロト一行の侵入により施設を破壊され行き場を失い、アース・ポートでゲイルとパイロと行動を共にしているというわけである。
宙に浮かぶゲイルはトキソに言い返す。
「馬鹿を言え。建物やインフラ設備は極力残す。それが取り決めだ。だからこそあの巨大ウツボを橋の上に設置したのだ」
「突破されては意味が無いだろうに……」
「……」
トキソは上半身を起こし、片膝を抱える。
「生ぬるい妨害工作では奴らは止められないぞ。いっその事私の毒で街ごと……」
「それは駄目だ。先程も言ったが建物やインフラ設備、それにヒトや動植物への攻撃はご法度だ」
「ご法度って……そんな下らないルール誰が決めたんだ?」
トキソの問いに、ゲイルは視線を上に向ける。
「“彼ら”が決めたルールだ。目覚めの日が気た時、荒野から生活基盤を作るのは面倒だからな。建物やインフラ設備があれば暮らすには困らないし、今地上にいる連中も労働力として働かせるつもりだ。それが最も合理的で繁栄に繋がると“彼ら”は判断したというわけだ」
「なるほど……」
ゲイルの説明にトキソは納得しかけた、が、それでも異論を述べる。
「確かに奴隷にすれば便利な労働力になるだろう。だが我々が思っている以上に連中は危険だ。今からでも遅くない。全員抹殺するべきだ」
トキソの体から僅かながら毒霧が漏れだす。
応じるようにゲイルは腰に提げた太刀の柄に手を添える。
「思想は自由だ。だが“彼ら”の命令は絶対だ。もし違反するような事があればトキソ、お前も粛清の対象となるぞ」
「……」
2体の間に不穏な空気が流れる。
そんな空気を一掃したのは明るい男の声だった。
「何だ何だ、物々しいな」
陽気な声とともにアース・ポートにふわふわと近付いてきたのは黒衣の男、パイロだった。
パイロはゲイルとトキソの間に自然に割って入り、屋上の床に胡座をかいて座る。
「何を話してたんだ?」
トキソは間髪入れずパイロに訴える。
「今すぐ地上をのさばってるゴミ虫どもを駆除すべきだ。危険因子は排除しておくに限る……お前もそう思うだろう?」
まくし立てるトキソに対し、パイロは落ち着くように告げる。
「そう興奮するなよ。……仮に奴ら全員が牙を向いたとしても俺一人でも対処できるレベルだ。全然脅威じゃないし、放っておいても大丈夫だ」
トキソは間を置き、クロトの事を槍玉に挙げる。
「……あの『ビリオンキラー』も脅威じゃないと言うのか?」
痛いところを突かれ、パイロは一瞬たじろぐ。
が、慌てることなくトキソに言い返す。
「たしかにあれは脅威だ。が、脅威にならないように俺があいつを常時監視している。今のところは大丈夫だし、脅威になるようなら俺が直々にあいつを殺す。……だから安心しろ」
「殺す? お前にあの化物を殺せるのか?」
「……」
パイロは答えに詰まる。
そんなパイロを助けるようにゲイルが強引に話題を変えた。
「とにかく、地上にいる奴らの扱いに関しては“彼ら”が判断する。我々は何も考えずにこの軌道エレベータを守ってればいい」
「攻撃は最大の防御とも言う。“彼ら”を守るために連中を殺すのも正しい判断じゃないのか」
トキソは持論をここぞとばかりに二人にぶつける。
このトキソのセリフを聞いて耐えかねたのか、とうとうゲイルが強気に出た。
ゲイルは刹那の間に太刀を抜刀し、その切っ先をトキソの額に向けたのだ。
斑の刃紋が美しい、巨大な刀……
刃渡り6m近いそれが身長160cm程度の人間に向けられる様は異様な光景であった。
切っ先は全くブレておらず、トキソの額から1cm程の距離で完全に静止していた。
ゲイルは告げる。
「トキソ、これ以上文句があるならここを去れ。もっとも、もし連中を毒で虐殺するようなことがあれば黙ってはいないがな」
「私を殺そうと言うのか」
トキソは指先で巨大な太刀の切っ先に触れる。
大きくても切れ味は抜群で、少し触れただけでトキソの指先から赤い血が流れ出た。
「必要であればな。……だがお前は我々の同志でもある。ここはおとなしく我々に従ってもらおうか」
「わかった。……どうせ“彼ら”は皆殺しを選択すると思うがな」
ゲイルは太刀を引くと鞘に納め、トキソの言葉を否定する。
「いいや、そうはならない。そうでなければ長い間この地を守り続けてきた甲斐がない」
ゲイルはそう告げた後、パイロにアイカメラを向ける。
「目覚めの日は近い。何としてもあいつをここに近づかせるなよ。あの男……『ククロギ』を」
「わかってるさ」
パイロは軽く返事し、抜刀の際に生じた風圧で乱れた黒衣を整える。
その後彼らは喋ることなく、お互いにシャフトに背を向け、海を眺めていた。




