059 旧友
059
ふと気づくとクロトはコックピットの中にいた。
窮屈なシートの周囲には複雑な計器やスイッチ類、股の間には操縦桿がある。
クロトはその操縦桿を右手に握り、戦闘機を操り空を飛行していた。
(また夢か……)
今回は夢だとすぐに気がつくことができた。
頭部にはヘルメットを被っており、目の前にはバイザーが、その先にはHUDがあり、HUDには自機の高度や速度、そして傾斜具合が表示されていた。
クロトは夢の中で視線を左右に向ける。
現在は編隊飛行中らしく、自分は5機いる中の右翼の最後尾についていた。
雲が下に見える。
かなりの高高度を飛行中らしい。
訓練飛行中だろうか、先頭を行く戦闘機以外は若干バランスを崩しつつ飛行しており、少々危なっかしく見えた。
かく言う自分もそうで、必死になって操縦桿を操作していた。
「――成層圏から侵入する機影だと?」
耳元の通信機から唐突に聞こえてきたのは先頭を飛ぶ教官機に乗る教官の声だった。
続いて管制塔からのオペレーターの声が耳に届く。
「はい、上空から東京湾に向けて滑空しています」
「隕石じゃないのか?」
「いえ、隕石にしては遅すぎます。明らかに飛行しています。とにかく付近を飛行しているのはあなた方だけです。急ぎ確認をお願いします」
通信はそれで終わり、先頭を飛ぶ教官機から各機に命令がくだされる。
「……というわけだ。飛行訓練中で悪いが今から管制塔から送られてきた座標に向かう。ひよっこ共を置き去りにするわけにもいかないんでな、付いて来てもらうぞ」
教官の命令に対し、クロトを含めた4機は一斉に応じる。
「了解」
それは息のぴったりあった返答であった。
「良い返事だ。それじゃゆっくりでいいからついてこいよ」
教官機は予定航路から外れて左側にバンクし始める。
クロトも機種をそちらに向け、教官機の後に続いた。
暫く青い空を飛んでいると、小さな点が見えてきた。
点は地面に向けて落下しており、白い尾を引いていた。
教官機を含めた5機は更に近づいていく。すると、点はどんどん大きくなっていき、とうとう詳細がわかった。
教官は4名の訓練生に告げる。
「お前ら、あれ、何に見える?」
「大きな岩ですね」
「丸い岩に見えます」
「色は灰色……隕石じゃないですか?」
3人の情報をまとめ、クロトは教官に告げる。
「灰色の大きな丸い隕石です」
「ああ、俺にもそう見える」
教官は全員の意見を聞いた後、オペレーターに報告する。
「視認した。ありゃ間違いなく隕石だ。このコースだと海に落下するだろうし、問題無いだろう」
オペレーターは応じる。
「……こちらでも映像を確認しました。一応都心部に落下する危険もあります。地対空ミサイルで迎撃するのでその場から離脱してください」
「対応が早いな」
「レーダーで探知した時からミサイルの発射準備は行っていましたので」
「そうかい……お前ら、空域から離脱するぞ」
教官の命令に応じ、クロト達訓練生は機首を反転させ隕石から離れていく。
暫くするとオペレーターから再度通信が入った。
「今ミサイルを発射しました。着弾まで20秒です」
教官は訓練生たちに告げる。
「よし、今日はこの花火を見て全機基地に帰投だ。いいな」
「了解」
隕石を撃ち落とす様子なんて早々見れるものではない。
夢の中のクロトは期待と興奮が混じったような感情で落下していく隕石を見つめる。
……20秒後、その時は唐突に訪れた。
ミサイルと隕石が衝突し、爆発が生じたのだ。
オレンジ色の閃光が発され、続いて爆炎が四方に広がる。
これで隕石はバラバラ、全てが海に落下するだろう。
……落下するはずだった。
しかし、クロトの目に映っていたのは相も変わらずゆっくりと落下する灰色の丸い隕石だった。
教官は驚きの声を上げる。
「地対空ミサイルが効かない!?」
「言われなくてもこちらでも確認しています。すぐに第2射を……」
のんびりと通信をしていると、隕石に変化があった。
何と、急にスピードを上げて地表目掛けて飛行し始めたのだ。
明らかにそれは意思を持っており、ただの隕石ではないことは明らかだった。
隕石はあっという間に雲を突き抜け、クロト達からは視認できなくなってしまった。
異常な光景を目の当たりにし、教官は動揺を隠せない様子だった。
「……おい、管制塔、どうなってんだ?」
「聞きたいのはこっちの方です。とにかく、全力で迎撃行動を行います。そちらもすぐに基地に帰ってきてください」
「わかった」
教官はオペレーターとの通信を切り、訓練生に告げる。
「聞いてのとおりだ。何かよくわからないが異常な事態が発生しているのは確かだ。全員急いで基地に戻るぞ」
「了解!!」
5機は機首を基地にまっすぐ向け、帰投コースに入る。
隊列を崩さぬまま5機は高度を落とし、やがて雲を抜ける。
すると空の青とは一変して、海の青と陸の緑が視界に入ってきた。
ここでクロトはふと東京方面に目を向ける。
灰色の隕石は相変わらず地表目掛けて落下中で、ミサイルによる連続攻撃を受けていた。
にも関わらず隕石の落下速度は衰えず、むしろ速度は上昇していた。
「何だあれは……どっかの国の兵器か?」
「兵器にしてはあまりにも無骨すぎやしませんか」
「宣戦布告もなしに首都を狙うなんてありえませんよ」
「だいたい攻撃を受けるような理由が無いです」
「現に攻撃されてんだ。……無駄口をたたいてないで操縦桿に集中しろ」
「……了解」
訓練生達は教官に諭され、口を閉じる。
しかし、クロトだけは口を閉じなかった。
「あれが東京に落ちたら……」
「たかが直径50mの岩だ。確かに被害は出るだろうが、あの速度じゃそんなに大きな被害にはならねーよ」
「……」
結局隕石はミサイルを物ともせず高度をどんどん下げていき、ついに東京湾近辺の工業地帯に落下した。
衝突の瞬間、衝撃波が周囲の空気を震わせ、続けて爆炎が舞い上がる。
距離は遠く、爆炎も小さく見える。が、この距離であの大きさだ。被害は甚大と言わざるをえない。
炎はすぐに付近の工場にも飛び火し、工場が圧壊する様子も視認できた。
教官は悔しげに呟く。
「クソ、結局止められなかったか……」
その声が聴こえると同時に視界が揺らぎ始める。
(さて、夢もそろそろ終わりか……)
ミサイルを撃ちこんでも全く減速しなかったあの隕石……一体何だったのだろうか。
まあ、それも含めて目が覚めてから考えよう。
そんなことを思っていると、次の瞬間にはクロトはアパートの一室の前に立っていた。
(夢……時間が飛んだのか?)
今回はまだ終わりではないらしい。
時刻は夕刻、クロトはパイロットスーツを着ており、基地からここまで急いできたということがすぐに解った。
アパートの下には乗り捨てたスクーター。
道路には大勢の人が集まっており、都心から逃げるように走っていた。
クロトは視線を上げ、都心部に目を向ける。
高層ビル群が立ち並んでいるはずの都心部。
しかし、今そこにビルの姿はなく、代わりに巨大な黒い化物が鎮座していた。
「!?」
あまりにも現実離れした光景にクロトは驚きを隠せなかった。
黒い化物はウニと形容するのが最も適しており、東京タワーを超える高さのウニは鋭い棘を何千本と伸ばし、周囲の建物を滅茶苦茶に破壊していた。
都心部は火の海と化しており、まさに地獄絵図だった。
ウニの周囲には戦闘機が飛んでおり、時たまミサイルを発射するも、全て棘に撃ち落とされ、逆に棘に機体を貫かれて撃墜されていた。
驚きの光景に狼狽えつつ、クロトはアパートのドアと向き合う。
アパートの表札には『近衛』とだけ書かれていた。
クロトはパイロットスーツを上半身だけはだけると腰の位置で結び、胸ポケットから合鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。
ドアが開き、部屋にはいる。と同時にクロトは愛する女性の名を叫んだ。
「『律葉』!!」
近衛律葉……それがクロトの恋人の名だった。
カチューシャを頭につけた彼女、律葉は部屋の奥、寝室でうずくまっており体をガタガタと震わせていた。
夢の中のクロトはそんな彼女に駆け寄る。
「大丈夫だったか律葉!!」
「あ……」
律葉はクロトの顔を見ると、そのままクロトに抱きついた。
体は冷えきっている。そして相変わらず震えは止まらなかった。
「……ごめん」
律葉は何故か謝り、言葉を続ける。
「私が……私達がアレ呼び寄せてしまったかもしれない」
クロトは律葉を抱いたまま理由を聞く。
「どういうことだい?」
律葉はクロトから離れて距離を取り、カーペットの上に散らばっていた書類をクロトに手渡す。
書類には何やら難しい計算式やグラフが記述されており、クロトには到底理解不能だった。
それを知ってか知らずか、律葉は説明し始める。
「3年前に北海道の湿原に落ちたあの隕石、実は特定の電波を発してたの。半年前からその電波を人工的に増幅させて解析していたんだけれど……多分それが太陽系外にいた仲間を呼び寄せたんだと思う」
「太陽系外? それじゃあれは……」
「侵略者よ」
「!!」
律葉が言葉を発すると同時にクロトの視界が一気に真っ暗になった。
音も何も聞こえない。ただ、意識だけははっきりとしていた。
(今度こそ終わりか……)
夢はここまでのようだ。
今回の夢、今までとはかなり異質だった。
あの巨大なウニのような怪物……アレはディードなのだろうか。
もしそうだとすれば今まで見た中で一番大きなディードだ。
そしてカチューシャの女性……律葉の言葉が本当だとすれば、ディードは地球外生命体であり、地球を侵略するべく到来してきた侵略者ということになる。
さらに、その原因となったのは律葉の所属する研究室だということになる。
(……)
クロトは考える。
あのような怪物が世界に同時に何体も現れたら流石の人類もひとたまりもない。
ディードは人間社会を滅亡させた。が、ギリギリのところで、何らかの形で人類はディードの侵攻を防ぎ、なんとか破滅を防いだ。
ディードはその勢いを弱めて現在のような形になり、人類も文明レベルを後退させ、現在に至る。
そう考えると辻褄が合う。
まだ謎は多いが、この世界は異世界でも何でもなく、地球であることは間違いない。
クロトはそう信じたかった。
「……」
やがてクロトは夢から醒め、目を開ける。
まず感じたのは砂の感触。
うつ伏せ状態になったクロトは浜辺に打上げられており、上半身は砂まみれ、下半身は半分海に浸かっており、びしょびしょに濡れていた。
戦闘服も所々破けており、ブーツもグローブもどこかに行ってしまった。
だが、怪我は一つもなかった。
(……流されてきたのか)
確か自分はウツボ型ディードに深海まで連れて行かれ、一応はウツボを駆除したものの、そのまま海中で気を失ってしまった。
あの複雑な海流に飲み込まれたら命はないと思っていたが、案外自分は運がいいらしい。
どこかの浜辺に辿り着いたというわけだ。
クロトはきしむ体に鞭打って立ち上がり、周囲を見渡す。
見えるのは空と海の青のみ。陸側には膝丈の草や木が生い茂っているだけで、人の気配は全くしなかった。
(とりあえず歩こう……)
陸の中心に向かって歩けば町の1つや2つくらい見つかるだろう。
そこには猟友会の支部もあるだろうし、そこで現在地を聞けばアルナ海峡に戻るのも難しくないはずだ。
クロトは気楽に考え、草木が生い茂る陸の奥へと足を踏み入れる。
周辺にディードの気配はない。
あるのは小動物や昆虫の気配だけだ。
クロトはすっかり気を抜いてのんびりと浜辺から離れていく。
……暗い林を歩くこと10分
ようやく前方から明るい光が差してきた。どうやら林もここで終わりのようだ。
クロトは町があることを願いつつ林を抜ける。
すると、目の前には……海と空が広がっていた。
「え……」
予想外の光景にクロトは狼狽えてしまう。
もしかしていま自分がいるのは……
「無人島?」
最悪の展開である。
クロトは無人島であることを否定すべく、浜にそって走り始める。
行けども行けども右手には砂浜、左手には林。
およそ20分走ってもその光景に変化はなく、クロトは認めざるを得なかった。
……ここが無人島であると。
(どうすればいいんだよ……)
通信手段もなければ現在位置すらも分からない。
クロトは途方に暮れ、その場にへたり込む。
あの激流に飲まれて命が助かったのは有り難いことだが、今の状況は最悪だ。
船が通るのを待つか、自力でイカダを造って脱出するか。
前者は運頼みだ。もしかしたら明日通るかもしれないし、半年経っても通らない可能性もある。
後者は現実的だが過酷だ。
一応太陽の位置から方角は割り出せるが、陸地までの距離がわからない。何日も航行するとなると水や食料を積まなければならないし、手作りの船で無事に海を渡れる可能性は低い。
そもそもイカダをちゃんと造れるかどうかも怪しいものだ。
「はぁ……」
クロトは長いため息を吐く。
が、いつまでもこうやって鬱っている場合ではない。
とりあえずここで数日間は生活することになるのは確定だ。
今のうちに水や食料を確保し、寝床を造り、火を起こしておこう。
こういうシチュエーションは映画や本で何度も見たことがあるし読んだこともある。
水は海水を熱して蒸留すれば得られるし、林の中には果物のなる木もあるだろう。
寝床は木の枝と葉を組み合わせれば日差しを防げる程度のテントは造れる。
火の起こし方も木の棒を回転させて摩擦熱で……
「――ほれ、火だ」
不意に男の声が聞こえた。
かと思うと正面に倒れていた朽木にオレンジの火が灯った。
ふと気づくと朽木の隣に黒いフードに黒のコートに身を纏った男……黒衣の男が立っていた。
「!!」
クロトは慌てて構える……が、肝心の黒刀は無く、両の拳を硬く握って適当な構えを取ることしかできなかった。
クロトはいつでも戦えるように臨戦態勢に入っていたが、黒衣の男からは相変わらず敵意は感じられなかった。
「……お前というやつは、毎度毎度無茶をしてくれるな」
黒衣の男はクロトが構えているのを無視し、せっせと焚き火を作っていく。
黒衣の男が軽く手を振ると林の中から大量の枝が出現し、それらは纏まり浜辺に着地する。
その枝の纏まりにオレンジの火を移動させ、あっというまに焚き火が完成した。
黒衣の男は焚き火の前にあぐらを掻いて座り、クロトに告げる。
「ほら、さっさと火の前に来て服を乾かせ」
少なくとも攻撃されることはないだろう。
クロトはそう判断し、恐る恐る焚き火に近づいていく。
すると、暖かな空気が肌に接し始めた。
……ここは素直に黒衣の男に従って服を乾かしておこう。
クロトは焚き火の前に膝を立てて座る。
すると海水に濡れたスラックスが火によって暖められ始めた。
脚に温かい感触を得つつ、クロトは黒衣の男に目を向ける。
黒衣の男に変化はない。不意打ちをするつもりもないようだ。……というか、不意打ちするつもりならわざわざこちらに声を掛けてくることはないはずだ。
しばしの沈黙の後、黒衣の男は話しだす。
「まだカラビナへ向かうつもりでいるらしいな」
「ああ、お前が何を言おうとこの旅を中断するつもりはないよ」
「頑固な奴め……」
黒衣の男は何処からともなく金属製のコップを取り出す。
その後、周囲の空気が少し乱れたかと思うと、コップの底から澄んだ水が湧き出始めた。
どうやら何らかの方法で空気中の水蒸気を液体にしているようだ。
2つのコップが満杯になると、黒衣の男は片方をクロトに差し出す。
マジックの如き現象を目の前で見せられたせいか、クロトは素直にそれを受け取ってしまう。
金属製のコップはキンキンに冷えており、焚き火で火照った手のひらを程よく冷やしてくれた。
黒衣の男は顔を見せることなくコップの水を啜り、再度話し始める。
「……少し事情を話すか。そうすればお前も分かってくれるかもしれない」
「事情……」
クロトは少し前のめりになり、黒衣の男に問う。
「そもそもカラビナには何があるんだ? 僕が記憶を取り戻すと不味いことでもあるのか?」
「まあ落ち着け。まずは俺の話を聞け」
黒衣の男はクロトの質問を一蹴し、事情とやらを語り出す。
「……お前は俺達の仲間だった。だが、裏切りが発覚し、罰を受けた。記憶を失ったのもその際のダメージによるものだ。再び近付けばお前はまた攻撃を受ける。そうなると今度こそ死んでしまう。それだけは避けなければならない」
いきなり多くの事を話され、クロトは辛うじて反応する。
「待って、……僕が君らの仲間だったって?」
「そうだ。だから俺はお前を死なせたくないんだよ」
なるほど。これで彼から敵意がない理由が分かった。
だが、まさか自分が彼らの仲間だったとは思ってもいなかった。
しかし、そう考えるとあの火事場の馬鹿力も納得できる。僕は、自分が思っている以上に特殊な立場にある人間なのかもしれない。
クロトは思わず黒衣の男に問いかける。
「……教えてくれないか。僕の過去を」
裏切りの経緯を知れば記憶を思い出す手がかりになるはずだ。
そう考えたクロトだったが、黒衣の男から返ってきたのは質問だった。
「むしろ、どこまで思い出したか教えろ」
クロトは黒衣の男から信頼を得るべく、夢の中のことを包み隠さず告げる。
「僕は……名前は思い出せないけれど日本人で士官学校の候補生。ディードは宇宙から飛来した侵略者で、それを呼び寄せたのが僕の交際相手、近衛律葉という女性……」
「驚いた。もうそこまで記憶が戻っているのか」
黒衣の男の反応を窺いつつ、クロトは続ける。
「ここは異世界でも何でもない。間違いなく地球だ。そして……君はディードじゃなくて、その当時の生き残りなんだね?」
「正解だ」
黒衣の男は深く頷く。
しかし、クロトには釈然としない点がいくつかあった。
「でも、それじゃあ説明がつかない。どうして君がヒトガタを助けたり、遺跡を破壊したりしてるんだい?」
ヒトガタは人間の形をしたディードだ。それを彼が助けるのはおかしい。
もしかしてラグサラムの長髪の彼女も人間だったのだろうか。
でも、黒衣の彼も彼女にしろ、その能力は人間の常識を逸脱している。
しかし、会話ができるのは事実だし、彼らもディードではないと断言している。
(……)
まったくもって訳がわからない。
クロトはこの問題は後回しにして、別の疑問について告げる。
「それに、街にいる人達は今もディードに生活を脅かされている。どうして君たちは彼らを助けないんだい」
黒衣の彼の力をもってすればディードの駆逐など赤子の手を捻るに等しい。
この質問については黒衣の男は即答した。
「今地上に住んでる連中は俺達とは関係のない連中だ。……助ける必要はない」
「関係がないって……どうして……」
クロトは更に質問を重ねようとするも、黒衣の男はシャットアウトしてしまった。
「今はここまでしか言えない。全てを知ればお前は必ず軌道エレベータに来る。来ればゲイルやトキソがお前を殺してしまう」
結局詳しいことは分からず仕舞いだ。
ただ、ここが地球であるということを確認できたのは大きな収穫だった。
日本もちゃんと存在している。……そう思うだけで生きる希望が湧いてくる。
だが、軌道エレベーターに易々と近付けないとなると気が滅入る。
そんなクロトの気持ちを察してか、黒衣の男は朗報を告げた。
「……記憶を全て取り戻せて、尚且つ攻撃されない方法が一つだけある」
「!!」
予期せぬ言葉にクロトは全神経を黒衣の男に向ける。
黒衣の男は指を組み、その方法をクロトに教える。
「その方法は……待つことだ」
「待つ……?」
「もうすぐ“彼ら”が目を覚ます。彼らはゲイルやトキソより高位の存在。命令を下せる存在だ。彼らなら必ずお前への攻撃を取り下げるはずだ。だから……」
「待て、彼らって一体何なんだ?」
「教えられない」
「どうして……」
「一応お前は敵だ。この会話も監視されている。そう易々と機密を話せない」
黒衣の男は指先を弄りつつ淡々と述べる。
「“彼ら”が目覚めれば自体は一変する。ともすれば今世界にいるヒトがお前たちの言うディードから襲われなくなるかもしれない。……だが、狩人たちが軌道エレベータを侵略するようなことがあればその望みも薄くなる」
「わからない。もっと具体的に教えてくれないかい」
「“彼ら”はお前の味方だ。だから目覚めの日が来るまで軌道エレベータには近づくな」
「また近づくな、か」
「今の俺にはそれしか答えようがない。悪いな」
黒衣の男は謝っていたが、クロトにとってはとても有益な情報には違いなかった。
どうして彼はここまで秘密を自分に教えてくれるのだろうか。
不思議に思ったクロトは思い切って黒衣の男に質問してみることにした。
「もしかして君は……僕と近しい存在だったのかい?」
そうでなければここまで親身になって話を聞かせてくれたりしない。
その予想は的中していたようで、黒衣の男はコクリと頷いた。
「ああ。お前とは長い時間を共に過ごしてきた。絆なんて陳腐な言葉じゃ表現できないほどお互いに理解し合える存在だった。そうでなければここまでアドバイスは送らない」
「僕と君が? 全く想像もできないよ」
「忘れているんだから仕方ない」
黒衣の男は手を伸ばし、クロトの額を軽くデコピンする。
……それは一瞬の出来事だった。
敵意がないとはいえ近付き過ぎたかもしれない。
クロトは額を手のひらで覆いに立ち上がると、焚き火から離れる。
黒衣の男は座ったまま続ける。
「とにかく現状ではお前が記憶喪失でいることが最善なんだ。時が来ればすべて教えるし、多分お前はすべてを思い出す。だから待つんだ。頼むから分かってくれ」
深いフードのせいで表情は見えない。だが、どんな気持ちで言葉を発しているのかは理解できるような気がした。
その上でクロトは言い返す。
「そっちの言い分は理解した。でも旅を中断するのは無理だ。……こちらにも事情がある。守らなくちゃならない人がいる。仲間を危険に晒すことなんてできない」
「そうか。そうだよな。お前はそういう奴だった。だからこそ俺はお前と長い間相棒でいられたんだ」
黒衣の男は立ち上がり、視線を海に向ける。
「……話しすぎたな」
既に太陽は水平線に接しており、周囲も夕日の色に染まりつつあった。
「俺はこれから軌道エレベータの守備任務にもどる。近付く連中はもれなく排除する。死なせたくないヒトがいるなら、今のうちに彼らを説得することだ」
黒衣の男は例によってふわりと浮かび上がる。
「この無人島は陸から20kmの位置にある。海棲ディードはいない。北に向かって泳いでいけば無事に帰れるだろう」
ありがたい情報だ。
……彼の力をもってすればこの無人島に僕を閉じ込めることもできるだろうに、それをやらないのは僕の意志を尊重してくれている証拠だ。
本当に黒衣の彼と僕は仲の良い関係だったようだ。
クロトは礼を言おうとする。が、それよりも先に黒衣の男は別れを告げた。
「話せてよかった。……じゃあな」
黒衣の男はそう告げると、一気に上空まで上昇し、南へ飛んでいってしまった。
「“彼ら”か……」
彼の言うとおり、待つのも手段の一つかもしれない。だが、自分が何を言ったところでリリサ達のカラビナへの旅は止まらない。
分からないことだらけだが、それもこれもカラビナに到達すれば解決するだろう。
そう信じ、クロトは遠泳の準備を始めることにした。




