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天球のカラビナ  作者: イツロウ
01-狂槍の狩人-
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005 狂槍の狩人


 005


 4日ぶりに訪れた街は相変わらず活気に満ちていた。

 クロトは医者とともに馬に乗ったまま街の中を進んでいく。

 馬に乗っているおかげで視界は高く、前来た時よりも少し遠くまで見渡せた。

 やがて噴水広場が見えてくると、クロトは目を凝らす。

 広場には4日前と変わらず鉄製の檻があり、中には若い男女の姿が見られた。

「数、減ってますね……」

 前来た時は10名近くいた気がするが、今は4名しかいない。この4日間で6人が売れたということだ。

 クロトのこの発言に、馬を操る医者はふっと笑う。

「何だお前さん、緊張しているかと思いきや呑気なもんだな。まるで他人事のようだ」

「すみません」

 クロトは咄嗟に謝る。が、医者は軽く返す。

「いや、肝が座っていると言いたかっただけだ。自己犠牲精神に加えて度胸もある。……こんなことがなければ案外お前さん、大物になっていたかもな」

「ありがとうございます……」

 クロトは素直に褒め言葉を受け止める。

 自分では単に性格が粗雑で鈍くて大雑把なだけだと思うのだが、褒められて悪い気はしない。

 やがて二人を載せた馬は広場に到着し、医者は馬から降りて手綱を握り、鉄格子の檻に向かって歩いて行く。

 クロトももたつきながらも馬から降り、医者の後ろを歩く。

 鉄格子の檻の隣には馬車が停まっており、馬車の付近には奴隷商らしき男たちがたむろしていた。

 人数は3名ほど。それぞれ簡素な椅子に腰掛け、酒を呑んだり、豆を食べたり、本を読んだりしていた。

 医者はその中でも本を呼んでいた男……一番身なりの整った、毛並みのいいコートを着込んる長身の男に近づいていく。

 そして、迷う素振りも見せず彼に声を掛けた。

「ちょいといいかい」

 長身の男は本から目を離し、医者を見る。

「なんだ、競売が始まるのは夕刻だ。悪いが、それまで待ってくれ」

 それだけ言うと長身の男……奴隷商は再び本に目を落とした。

 医者は「いや」と言葉を挟み、再度声をかける。

「今日は買いじゃなく売りに来た」

「……」

 奴隷商は本を閉じて腰を上げる。

「何人だ?」

「一人、この男を売りたいんじゃが」

 奴隷商は視線を医者からクロトに向けた。

 視線を向けられ、クロトは少し緊張してしまう。

 このまま話が進むかとおもいきや、奴隷商は後方を指差した。

「まあ立ち話もなんだ。店にはいろうか」

 奴隷商の後方、馬車の裏側には酒場があった。

「そうじゃな」

 医者はすんなり合意し、奴隷商と並んで酒場へ向かっていく。

 クロトも後を追いかけ、二人に続いてドアを抜けて酒場の中に入った。

 内部は薄暗く、当然ながらアルコールの匂いで充満していた。カウンター席には血色の良い男たちが座って酒をあおり、テーブル席にも大荷物を持った男たちが座っていた。昼間だというのに結構な客入りだ。

 奴隷商は一番奥まで二人を案内し、テーブルの横に立ち、座るように促す。

 医者とクロトは案内されるまま座ろうとしたが、クロトだけ奴隷商に腕を掴まれた。

「!!」

 奴隷商は腕だけでなく肩や胸板、太ももなども乱雑に触り、最後にクロトの顔を見ながら唸る。

「うーん、体格も普通だし顔も普通……」

 奴隷商は喋りながらテーブル席に座り、早速医者に値段を告げた。

「売れたとしてもせいぜい40がいいところだ。こっちの取り分も考えると……金貨30枚がいいところだな」

「そいつは安すぎやしないか」

 医者の意見にクロトも同意だった。

 薬の値段は金貨50枚。50枚以上で買ってもらわないと困る。

 そもそも、働き盛りの自分が30枚程度にしか見られていないことに納得いかなかった。

 何故こんなに低く見られたのか、奴隷商は訊かれる前に理由を喋り始める。

「あんた医者だろ? 先生様が直接男を売りに来るなんざ、訳ありにちがいない。この値段で妥当だと思うがね」

 ……足元を見られている。

 医者もそれを痛感してか、咄嗟に言い返す。

「確かに訳ありだが……別に病気で死にかけの男を売りつけようってわけじゃない。この男は健康だ。それは儂が保証する」

「先生様に保証されてもこっちには確かめようがない」

「それにしたって30枚は安すぎるじゃろう」

 医者は食い下がるも、奴隷商は上から目線で応じる。

「30枚で不満なら帰って貰って結構。……こっちだって商売だ。買ってから数日で死なれでもしたら堪ったもんじゃない。そんな怪しい男を買うつもりはないね」

 買う側としては正しい意見だ。

 もし自分が相手の立場なら、こんな怪しい男をリスクを犯してまで買いたくはない。

 が、それでは困るのだ。

 クロトは自分の価値を上げるべく、自己アピールを実行することにした。

「……60枚以上で売れる自信があります」

 クロトの発言に、奴隷商の男はやはり尊大な態度で応じる。

「何だ? 特技でもあるのか」

「ええ、読み書きできますし帳簿の計算もできます」

 頭がいいのは大きなメリットだ。これで価値も上がるはず。

 ……と思ったのも束の間、奴隷商は笑ってクロトのアピールを一蹴する。

「勘違いしているようだから教えてやる。……ここいらで必要とされてるのは単純に肉体労働者だ。いくら頭が良くても体が貧相じゃ客は安値しか付けねえよ」

「……」

 駄目だ。これでは薬を買えない。

 しかし、こんな絶望的な状況でも老いた医者は冷静だった。

 医者は「ふむ」と顎を撫で、とんでもないことを言い出した。

「……なら、直接商会の連中にでも売り飛ばしてやろうかの」

「!?」

 医者の突然のこの言葉に、奴隷商は、そしてクロトも驚きを隠せなかった。

 医者は指先でテーブルをトントンと叩きながら続ける。

「この時世、読み書きもできて帳簿の計算もできる人材は貴重だからの。商会なら金貨80枚……いや、場合によっては100枚でも買ってくれるだろうよ」

 なるほど、奴隷商を介さずに直接商会とやらに身売りさせるつもりらしい。

 クロトもこの方が賢明に思えた。

 医者は席を立ち、クロトの手をとって酒場の出口へ向かう。

「それじゃあ、この話はなかったことに……」

「待て、待て待て待て!!」

 出口へ向かう二人を、奴隷商は回りこんで引き止める。

 そして、指を4本立ててみせた。

「……40でどうだ」

「話にならんな」

 立場逆転だ。

 医者の毅然たる態度に参ったのか、奴隷商は重いため息を吐きもう一本指を立てた。

「わかったよ。50だ。50なら文句ないだろう」

「話がわかるじゃないか」

 老いた医者は皺だらけの笑みを浮かべていた。

 奴隷商も引きつった笑みを浮かべ、店の外へ向かう。

「……契約書と金を持ってくる。そこで待っててくれ」

 奴隷商が店を出ると医者は店の奥のテーブルに戻り、ため息を付いた。

 クロトは先程のやり取りについて思うところを述べる。

「あの、商会に行ったほうが高く売れるんじゃ……?」

「あれはでたらめじゃよ。うまく引っかかってくれてよかったわい」

 医者は先程とは違う、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。

 奴隷商相手に嘘をつくとは……肝が座っているのはこの老いた医者の方ではなかろうか。

「ありがとうございます。見かけによらず駆け引き上手なんですね」

「それほどでもない……むしろすまんと謝りたいくらいだ」

 医者の顔から笑みは消え、物憂げそうに前の空間を見つめる。

「お前さんが商会で働ければ金貨50枚程度なら半年ほどで手に入る。儂が薬代を建て替えてやれれば、奴隷商に身売りなんぞせんでも良かったんじゃ。……だが、こちとらしがない村医者。蓄えなんてものは殆ど無くてな……すまない」

「いえ、もう決めたことですから」

 彼の言うとおり、立て替えてもらうのが理想的だったのだろうが、理想は理想だ。現実はそう甘くはない。

 それに、日本が存在しない、ここが違う世界だということを知ってから生きることに希望が持てない。

 ……自分はそんなに強い人間じゃない。

 もしこんなことがなければ、アルコールに溺れながらだらしない人生を送るか、毎日日本のことを思い出して鬱々とした日々を送っていたことだろう。

 それなら、ミソラのために命を捨てたほうが余程立派だし、納得できるというものだ。

 そんなことを考えつつテーブルで待っていると、奴隷商が戻ってきた。

 奴隷商は金袋をテーブルにどんと置き、紙切れをとペンを医者に押し付ける。

「ほらよ爺さん、金貨50枚だ。さっさと契約書にサインして失せな」

「いいじゃろう」

 医者は羊皮紙の契約書に軽く目を通すと、右下の空欄にサラッとサインした。

 サインを終えると奴隷商は契約書を奪い取り、クロトの腕をつかむ。

 いよいよ別れの時が来たようだ。

「それじゃあ、ミソラのこと、お願いします」

「任せておけ。……お前さんも、くれぐれも体には気をつけるんじゃぞ」

 医者は金袋を鞄にしまうと、急ぎ足で酒場から出て行った。

 これから薬屋で薬を調達し、村に戻ってミソラを治してくれるはずだ。最後に元気なミソラの姿を見たかったが、それは望み過ぎというものだろう。

 クロトは奴隷商に連れられ、店の外に出る。

 すると、先程馬車の近くに座っていた男が二人、手錠と足枷を持って待機していた。

「よし、付けてやれ」

 奴隷商の命令に従い、男二人は手際よく手錠と足枷をクロトに装着させた。

 金属製のそれらは重い上にとても冷たく、クロトは思わず鳥肌を立たせてしまう。

「檻を開けろ」

 奴隷商の次の指示が分かっていたのか、男二人は慣れた手つきで鉄の檻を開け、両側に待機する。

 奴隷商はクロトを後ろから小突き、耳元で囁く。

「お前には早速夕刻の競売会に出てもらう。心の準備を済ませておけよ」

「……はい」

 これでいよいよ自分も奴隷だ。

 そう思うと何だか物悲しくなってきた。が、自分が決めたことだ。悔いはない。

 クロトは足枷の鎖をじゃらじゃらと言わせながら檻まで移動し、中に入る。

 入るとすぐに奥に押しやられ、すぐに檻の鍵をかける音が背後から聞こえてきた。

 クロトは振り返ることなく、広場を見る。

 檻の中から見る噴水広場は最悪だった。

 広場には既に買い付けの客が来ているようで、数名ほどの男や女が檻の中の人間を値踏みするように眺めていた。

 クロトも当然ながら見られたが、あまり魅力的な商品ではないのか、すぐに目を逸らされてしまった。

 檻の中には自分を含めて5名ほど、男女比は3:2で、注目されているのは屈強そうな肉体を持つ男と、髪は乱れているがスタイルの良い女の2名のようだった。

 一通り観察を終えて落ち着くと、檻の外から奴隷商の指示が聞こえてきた。

「おいお前ら、商会の連中に声掛けしてこい。さっきの黒髪の男……あいつは100枚以上で売れるぞ」

 どうやらお医者さんの嘘話を真に受けているようだ。

 が、本当に商会に買い取られるならその方がいい。自分は肉体労働より頭脳労働のほうが向いているし、商会で働いていればまたミソラと会えるかもしれない。

 そんな淡い期待を抱きつつ、クロトは夕刻になるまで冷たい床の上に座っていた。



 ……夕刻になると競売が始まった。

 賑やかだった広場は更に賑やかになり、買い手だけでなく野次馬まで集まって、お祭り騒ぎの様相を呈していた。

 檻の外は賑やかだったが、それは中でも同じだった。

 全員が元気そうな表情を浮かべ、先程の屈強そうな男は上半身裸で筋肉を見せつけ、スタイルのいい女は大胆に肌を露出させていた。

 ここで良い買い手に買ってもらえば待遇面で差が出てくる。奴隷も自分がより良い生活を手に入れるために必死なのだ。

 対するクロトは鉄格子を両手で掴み、ぼんやりと空を眺めていた。

 自分の役目は金貨50枚を医者に預けた時点でもう終わっている。後の運命は神のみぞ知る、と言ったところだ。

「……それでは、75枚のお方に決まりだ!! 早速手続きがあるからこちらに来てくれ」

 いつのまにやら屈強な男の買い手が決まったようだ。

 男は檻から出ていき、買い手と奴隷商の手下と共に馬車の裏手に連れて行かれた。

「……さあ、お次はこの女だ」

「この女は見ての通り若くて美人だ。今は少し汚れているが、この長い髪も綺麗にすれば余計に良い女になるだろう。おまけに歯も綺麗で健康だ。こんな良品、お目にかかる機会は滅多にありませんよ。……金貨50枚からだ。さあ、買いたいお客は値を言ってくれ!!」

 奴隷商も口達者だ。盛り上げ方が上手いというか、この説明のおかげで女の価値がかなり上がった気がする。

 女も満更でもないようで、セクシーなポーズをとっていた。

 普通は売られるとなれば気が滅入りそうなものだが……行く宛もなく野垂れ死にするよりは奴隷として衣食住が保証されている方が良いと考えているのかもしれない。

 奴隷商の説明もあってか、買い手はどんどん値を張っていく。

「75!!」

「80だ!!」

「こっちは82……」

「あたしは97出すよ!!」

 中年女性の野太い声が響き、それ以降買い手の声が静まった。

 タイミングを見計らい、奴隷商は声を張り上げる。

「……ただいま金貨97枚!! 97枚以上はいないのか!!」

「……」

 声は上がらなかった。

 これ以上は出ないと判断したようで、奴隷商は木槌でテーブルを叩く。

「それでは、97枚の羽根帽子の奥様に決まりだ!! 奥様、こちらへどうぞ」 

 女を買ったのは少しふくよかな、高そうなコートを身にまとった中年女性だった。

 あの女をどうやって使うのか分からないが、97枚も出すからには採算が取れると判断しているのだろう。

 女が終わると、ようやくクロトの番が回ってきた。

 奴隷商は長い木の棒でクロトを指し、声を張る。

「お次はこの男だ!!」

 指名され、クロトは鉄格子から離れて手を振り、愛想笑いする。

「こいつは読み書きができる上、帳簿の計算もできる。体は貧相だが頭はいい。商会の関係者の皆さん、こいつを逃す手はありませんよ」

 大多数の買い手はあまり興味がなさそうだったが、一部の人間が……商会の関係者らしき人たちが反応を示した。

「金貨60枚からだ。……さあ、買いたいお客は値を言ってくれ」

 奴隷商の言葉に応じるように、買い手から声が上がる。

「75!!」

「90だ!!」

「こっちは100出すぞ!!」

 あっという間に金貨100枚を超え、野次馬たちがどよめき始める。

 この反応から察するに、100枚というのは中々出ない数字のようだ。

 が、100を上回る金額が一人の男から提示された。

「ええい、120!! これでどうだ!!」

「……」

 120枚が出た所で、買い手から声が上がらなくなった。

「ただいま120。120以上はいないのか!? ……こいつを売ったのは医者だ。そこいらの学徒より頭がいいのは間違いない。こいつを買わない手はないぞ!!」

 奴隷商はもっと値を吊り上げたいようで、買い手を煽る。

「……」

 しかし、120以上は声が出てこなかった。

 奴隷商は悔しげな表情を一瞬浮かべたが、慌てて平静を保つ。

「70の儲けか。……まあ、いい線いったほうだな」

 そう呟くと、奴隷商は木槌でテーブルを叩いた。

「それでは120のお方に決まり……」

「……300よ」

 奴隷商の威勢のいい言葉を遮ったのは、凛とした女性の声だった。

 ……空耳だろうか。

 誰もが幻聴か聞き間違いかと思っていると、再度凛とした、それでいてよく周囲に響き渡る綺麗な声が響いた。

「私、金貨300枚出すわ」

 はっきりとした言葉とともに前に歩み出てきたのは少女だった。

(300……!?)

 クロトは金額の多さに驚きつつも、その少女を具に観察する。

 少女の髪は長く、そして白に染められていた。しかもはっきりとした白ではなく透明に近く、今は夕日を浴びて一部がオレンジ色に染まっていた。

 前髪の合間からは獣を連想させる鋭い切れ目が覗いており、眼窩には琥珀の瞳が埋まっていた。

 身長は自分より少し低いくらい。体型はスレンダーでグラマラスではない。だが、数秒ほど見惚れてしまうほどの美貌の持ち主だった。

 唐突な少女の出現に、奴隷商は戸惑いつつ対応する。

「さ……300って……冗談で言ってるんじゃないよな? お嬢さん?」

「私は本気よ。金貨300枚であの男を買うわ」

 少女は堂々と言い放つとクロトをビシっと指差した。

 奴隷商は少女の言うことが信用できなかったようで、口調を変えて対応する。

「これは遊びじゃない。真剣な商売だ。……金貨300枚で男を買う? 冗談はよしてくれ。……さあ、帰ってくれ」

 奴隷商は少女に近づき、追い払うように木の棒で少女の足元をこんこんと叩く。

 少女は木の棒を蹴り飛ばし、凛とした声で主張し続ける。

「私は真剣よ。早くあの黒髪の男を連れて来なさい」

「このガキ……」

 木の棒を蹴飛ばされて苛立ったのか、奴隷商は少女に詰め寄る。

 奴隷商の仲間の男二人もその後に続いて少女を囲む。

 ……このまま広場の外に追い出すつもりだろうか。

 が、野次馬の一言で事態が一変した。

「もしかしてこいつ……“狩人”じゃないか?」

「!!」

 その何気ない言葉に広場にいる全員が大きな反応を示した。

 確かに、よく見ると少女は戦闘服のようなコスチュームを身に纏っていた。上半身はローブのせいで良くわからなかったが、手は分厚いグローブを付けており、下半身は革製のショートパンツに、足にはごついロングブーツを履いていた。

 そしてなにより、彼女の手には武器が握られていた。

(あれは……槍?)

 最初見た時は長めの杖か何かかと思ったが、よく見ると柄の部分にはしっかりと布が巻きつけられ、先端は棘のように鋭く、螺旋状の溝が掘られているようだった。

 それは、刃というよりは、野獣の長い角を連想させた。

 野次馬もだんだんそれに気づいてか、別の男が決定的な言葉を口にした。

「間違いない、この女……“狂槍”のアッドネスだ」

 この言葉の後、広場は騒然となり、全員が視線を檻ではなく白髪琥珀瞳の少女に向けていた。

 奴隷商も狩人の彼女のことは知っていたのか、とたんに丁寧な口調になる。

「か、狩人の方でしたか。これは大変失礼しました。……300枚ですね? わかりました。それでは契約成立ということでサインとお金を頂きたいのですが……」

 白髪の少女……アッドネスと呼ばれた少女は周囲の注目も気にしないで話をすすめる。

「あー、ごめん。300枚って言っておいて何だけど、今は持ち合わせがないみたい。後で、小間使いにお金を届けさせるから、先にその男を引き渡して頂戴。……いいわよね?」

「あの、流石にそれは……」

 食い下がる奴隷商に、今度は少女が毅然と詰め寄る。

「私は“狩人”よ。金貨300枚程度なら問題なく払えるってことくらいこの街の人間なら誰でも知っているはず。それともなに? 今この場に300枚以上金貨を出せる買い手がいるの?」

 少女の勢いに気圧されたようで、奴隷商はしどろもどろ言葉を返す。

「あ、いえ、わかりました。すぐに足枷と手錠を外しますので、少々お待ちを……」

「待ってられない。……私が外すわ」

 白髪の少女は檻に近づくと特に構えるでもなく槍を軽く振る。

 すると鉄格子は紙切れのように簡単に切れ、円形の穴が空いた。

「え……」

 頑丈な金属がいとも容易く破壊された様を見て、クロトは言葉が出なかった。

 少女は淀みなく歩いて檻の中に侵入し、続いてクロトに向けて槍を素早く突き出す。すると手錠と足枷が一瞬で千切れ、地面に落ちた。4つの金属の輪は大きくぐにゃりと曲がっており、もはや原型を留めていなかった。

 手足が自由になると、少女はクロトに凛とした声で告げる。

「付いて来なさい」

 それだけ言うと少女は踵を返し、檻から出て広場の中央を進み始める。

「あ、はい……」

 クロトは辛うじて言葉で応じ、彼女の後を追いかける。

 集まっていた買い手や野次馬達は彼女から逃れるように道を開けていく。その道は広場の出口まで続いていた。

 両側から物珍しげな視線を浴びつつ、クロトは心のなかで呟く。

(どうなってるんだ……?)

 自分は金貨300枚で買われた。

 が、その法外な金額よりも、クロトはこの白髪の少女のことが気になっていた。

 彼女はディードを狩る『狩人』で、しかも『狂槍』という二つ名まで付けられているらしい。

(というか、僕はどうなるんだ……?)

 それから暫くの間、クロトの脳内は疑問符で埋め尽くされていた。

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