058 消息不明
058
「鎖が緩んでる……?」
モニカが異常を感じたのはウツボを巻き取り始めてから20分後の事だった。
今まで張りに張っていた鎖が急激に緩み始めたのだ。
モニカはウツボが抵抗を諦めたのかと一瞬考たが、それだけではこの緩み方は説明できなかった。
「とにかく、早く巻き取らないと……」
モニカはギア比を変えるべく装置に足を向ける。
しかし、鎖の緩みに気付いたのは彼女だけではなかった。
「モニカ!!」
名前を呼びつつ駆け寄ってきたのはクロトだった。
「クロトさん……?」
クロトは慌てた様子でモニカに事の次第を告げる。
「実はリリサがウツボを引き付けるって言ってたんだ。この鎖の緩みはもしかしてそのせいかもしれない」
「それは……ウツボが自らこちらに接近している可能性が高いということですね?」
「そうだと思う。報告が遅れてごめん」
「いえ、わかりました」
モニカは改めて装置に近付き、ギア比を最大まで上げる。
「……ギアを上げます!! 皆さんスピードを上げてください!!」
「おう!!」
「任せとけ!!」
狩人達はスピードを上げ、同時に巻き取りスピードも格段に速くなる。
しかし鎖は緩む一方で、数秒もしないうちに宙に浮いていた鎖が地面に接した。
どうやらウツボはかなりのスピードで陸側に近付いてきているみたいだ。
狩人たちは必死で棒を回し、巻取り装置はこれまでにないほどのスピードで鎖を巻き取っていく。
それでも鎖は地面から浮くことはなく、とうとう張力を失って完全に地面の上を這い始めた。
それは、ウツボの接近速度が鎖の巻取りスピードを超えたことを意味していた。
「おい、あれ……」
狩人の中の一人が橋を指差す。
その動きに誘導されるように、全員の視線が橋の向に向けられる。
……橋の向こう側、そこにはいつの間にか黒い巨大な影が出現していた。
それはこれまでアルナ海峡の通行を邪魔していた巨大な黒い悪魔……ウツボ型ディードだった。
(早すぎる……!!)
姿が見えるやいなや、クロトは装置から離れて地雷が埋められている地点に向かう。
そして、そばに置いてあった点火スイッチを手にとった。
ウツボの接近速度は下がることなく、むしろ上昇していく。
……と、ウツボの前を走る3つの人影も確認できた。
それはリリサ、ティラミス、そしてフェリクスだった。
3名は全速力で走っており、後ろを振り返る余裕などなさそうだった。
3名はやがて橋を渡り終え、広場の中央で足を止める。
叫んだのはフェリクスだった。
「来るぞ!!」
その掛け声から数秒としないうちにウツボ型ディードは橋を抜け、広場へと巨体を乗り出してきた。
至近距離から見る真っ黒な巨大ウツボはまさに怪物と呼ぶにふさわしい容貌をしていた。
歯も黒ければ腔内も真っ黒。その中で唯一銛だけが鈍い鉄の光を放っていた。
ウツボはスピードを緩め、品定めでもするかのように広場にいる狩人たちを睨みつける。
やがてウツボの頭部は地雷の爆破ラインを超え、頚部にまで到達する。
……時はきた。
(今だ!!)
クロトははやる気持ちを押さえ、確実に地雷の爆破スイッチを押した。
少し遅れて地雷内部に埋め込まれた雷管が作動し、小さな爆発を起こす。その爆発の衝撃は大量の爆薬に伝導し、瞬時に巨大な爆発を発生させた。
指向性の爆弾は膨大な熱量を衝撃とともに真上に吹き上げる。
結果、出来上がったのは巨大な火の壁であった。
轟音とともに発せられたそれは巨大ウツボの首を切断するための壁であり、巨大な火のギロチンと形容してもいいほど見事なものだった。
火のギロチンは見事にウツボの首に命中し、確実に衝撃を伝える。
その衝撃は凄まじく、あの巨体が10mは浮くほどだった。
この大掛かりな爆発に狩人連中から歓声が上がる。中には叫んでいる物もいた。
様々な歓声が上がる中、クロトだけが事の深刻さを理解していた。
(……まずい!!)
浮いたということは衝撃を吸収した証拠、つまり首が切断できなかった証拠だ。
爆薬の量は十分だった。設置方法も完璧だった。
ただ、こちらの計算よりもウツボの表皮が頑丈だったということだ。
……爆発で巻き上がった煙が晴れていく。
誰もが首を失ったウツボの姿を想像していた。だが、煙が晴れたその先には爆発前と変わらない、巨大で威圧的なウツボの顔があった。
「マジかよ……」
フェリクスが呟く。
ウツボは首に火傷の痕がある程度で、全くダメージを与えられていないのは明白だった。
……この時、広場は絶望感に包まれていた。
その絶望はウツボ型ディードにも伝わったのか、ウツボ型ディードは一瞬で首を伸ばし、巻取り装置に噛み付いてきた。
出来合いの装置が巨大で強靭な顎に耐えられるわけがない。
巨大ウツボはまるでクッキーを食べるかのごとく簡単に装置を噛み砕いてしまった。
このままではやられてしまう。
危機感を覚えたティラミスはその場に落ちていた鎖を手に取り、鞭を振る要領でウツボ目掛けて太い鎖を打ち付ける。
鎖は見事にウツボの側頭部に命中し、衝撃を受けたウツボは左に仰け反った。
が、またしてもダメージは全く入っていなかった。
そのティラミスの攻撃のせいか、ウツボは更に激しく周囲を攻撃し始めた。
ウツボに噛み砕けないものはない。
広場の周囲の建物はもちろんのこと、地面も石畳ごと豪快に抉り取っていく。
中には逃げ遅れた狩人も複数名おり、彼らは瓦礫と一緒にウツボに噛み砕かれてしまった。
ウツボの進撃は留まることを知らず、周囲の狩人に攻撃を加えていく。
狩人たちも負けじと対抗するも、武器が全く相手に届かず、ダメージを与えられる以前の問題だった。
この有様を見て、フェリクスは茫然自失状態にあった。
「……どうするよ、これ」
「どうしようもないでしょ」
リリサも攻撃する気も起きないようで、長槍に寄りかかってウツボが好き放題暴れるさまを見ていた。
「でも、どうにかしなきゃ駄目だろ」
ジュナは大鎌を構えていたが、圧倒的な力を前にしてか、その場でとどまっていた。
「まずは撤退しましょう。ここまで侵入されてはアルナの町も終わりです」
モニカに至っては撤退を進言していた。
この状況ならば仕方ない選択だが、ディードに町一つを潰されるのは何としてでも避けたいというのがクロトの心情だった。
そんな中、ティラミスだけが錨鎖を使ってウツボとやりあっていた。
ティラミスは長い鎖を操り、ウツボ目掛けてブンブンと振り回す。
鎖はウツボに命中しているものの、体を揺らす程度でダメージは通っていなかった。
ウツボはティラミスの攻撃を物ともせずどんどん街へと移動していく。
このままだと街が破壊されてしまう。
避難している住民の命も危ない。
……クロトは覚悟を決めることにした。
(やるしかないか)
危機的状況に陥れば自分は驚異的な力を発揮できる。
あの力なら暴走状態にある巨大ウツボを御することも出来るだろう。
クロトは自分を危険に晒すべく、自ら巨大ウツボに向かって歩き始めた。
「ちょっ、クロト?」
ジュナはクロトを引き止めるべく腕をつかもうとする。
しかし、事情を知っているリリサはジュナを止めた。
「大丈夫。クロに任せなさい」
「任せるって……」
ジュナの困惑気味の言葉を背後に聞きつつ、クロトは一歩、一歩広場の中央に近づいていく。
広場は既に原型を留めておらず、爆弾でも落とされたかのような有様だった。
石畳は大半が吹き飛び、黄土の地面が見えている。建物も半分以上が破壊され、瓦礫が周囲に散らばっている。
対抗していた狩人の姿も最早見えず、ウツボは本能の赴くまま破壊活動に勤しんでいた。
そんなウツボに向かってクロトは進んでいく。
途中、大きな石が飛んできて頭上を通過し、続いて建物の瓦礫が顔のすぐ横を掠める。
このまま近づいていけば必ず何かと衝突するだろう。
……そんなクロトの予想は早々に的中した。
巨大ウツボとの距離が50mを切った時、巻き取り装置を構成していた金属歯車が飛んできて、脇腹に命中したのだ。
高速で飛翔してきた歯車は脇腹の肉を豪快に抉り、後方に抜けていく。
「……くっ」
クロトは激痛を覚え、右脇腹に目を向ける。
戦闘服は破け、表皮どころか筋肉や内臓までガッツリ持って行かれていた。
瞬時に鮮血が大量に吹き出し、それは地面を赤に染めた。
致命傷である。
そのダメージがきっかけになってか、胸の鼓動が強く、そして速くなり始める。
それは何度も経験した“覚醒”の予兆だった。
(きたか……)
クロトはなんとも言えない高揚感を感じつつ、体の内から漏れ出てくる力に身を委ねる。
瞳の色は赤に染まり、つい先程ダメージを負った脇腹が巻き戻し再生の如く修復されていく。
修復が終わるやいなや全身が黒く固い皮膚で覆われ始めた。
体の中心から始まったその変化は指先や足先にまで達し、最終的に顔をも覆って漆黒の狩人を誕生させた。
クロトの変化を目の当たりにし、リリサをはじめとするメンバー全員が言葉を失っていた。
これまでさんざん異常な力を発揮してきたが、この姿をみんなに見せるのは初めてかもしれない。
その変化に驚いてか、興味を持ってか、メンバーが駆け寄ってきた。
しかし、クロトとの距離は一定に保たれており、警戒されているのもよく分かった。
「クロト、それって……」
メンバーの中で唯一リリサだけが言葉を発し、クロトに近づく。
そして恐る恐る黒い表皮に手を触れた。
黒の表皮は硬質化している。だが、確かにリリサの手のぬくもりを感じ取ることができた。
クロトは微動だにせず、リリサに事情を告げる。
「例の“力”だよ。全身がこうなったのはラグサラムの時からだ」
「力って……何の話だよ、オイ!?」
「お前、本当にクロト……なのか?」
何も知らないフェリクスとジュナは驚きを隠し切れないようで、目をまんまるにしてクロトを見つめていた。
説明してあげたいのもやまやまだが、いつまで覚醒状態を維持できるか分からない。
さっさとウツボを駆除して、説明はその後でいいだろう。
「とにかく倒してくるよ」
クロトはそれだけ告げるとその場でジャンプし、メンバーから離れる。
そして、一度のジャンプでウツボ型ディードの正面に降り立った。
勝手放題に破壊をしていたウツボ型ディードだったが、漆黒の狩人の出現によりその動きを一瞬止める。
そして本能でクロトが危険な敵であると判断したのか、ノータイムで襲いかかってきた。
ウツボの首は高速で伸縮し、黒く鋭い牙は刹那の間にクロトまで到達する。
……真正面からの噛み砕き攻撃。
分厚い鉄板ですら真っ二つに出来るであるその攻撃を、クロトは片手で受け止めた。
瞬間、衝撃波が広場に広がり、細かい瓦礫を振動させる。
衝撃のせいでクロトの脚は地面にめり込んでいた。が、体は全く仰け反っておらず、余裕が感じられた。
「さて……」
片腕でウツボの攻撃を止めたクロトは、もう片方の手でウツボの腔内を探る。
そして、数秒としないうちに銛と繋がれた鎖を掴んだ。
「海に帰すか……」
クロトはウツボを駆除するつもりだったが、殺すつもりは毛頭なかった。
殺すとなればウツボとの激しい戦闘は避けられない。そうなればアルナの町に甚大な被害を与えてしまう。
ここは海に落とすのが一番の方法だった。
橋さえ通行できるようになれば問題ないのだ。
クロトは片腕をウツボの前歯から離すと、鎖を両手に持つ。
そして、海に向かって引っ張りはじめた。
「……あれ」
だが、質量差は如何ともし難く、引っ張ろうにもウツボはビクともしなかった。
どうしたものか、と考えたのも一瞬のことで、クロトは巻き取り装置の構造からヒントを得、すぐに解決策を思いついた。
(脚を地面に突き刺していけばいいのか……)
体を固定してしまえば体重差も関係ない。
クロトは地面に脚を突き刺すと、さっそく鎖を引っ張る。するとクロトの予想通りウツボの体を引っ張ることに成功した。
距離にして3m。
この調子で海まで進んでいけばものの数分でウツボを海に突き落とせそうだ。
しかし、その間ウツボがおとなしくしているわけがなかった。
ウツボは体を動かされたことに驚いてか、クロトの腕を噛み砕くべく思い切り顎を閉じる。
岩をも砕く強靭な歯がクロトの腕を上下から挟み込む。
しかし、クロトの皮膚の強度はウツボの顎の力を上回っており傷一つつくことはなかった。
それでもウツボにはこれしか対抗策がなく、何度も何度もクロトの腕に噛みつく。
傍目から見ればプレス機に押し潰されるくらいの勢いで噛まれていたが、クロトにとっては子猫の甘噛程度にしか感じられなかった。
その間、クロトは着実に岸壁に向かって移動しており、巨大ウツボも着々と海に近付きつつあった。
腕をガチガチと噛まれながら歩くこと2分。
クロトはとうとう岸壁の目前に到達した。
あとは鎖を思い切り引っ張り、海に投げ飛ばしてしまえば全て終わりだ。
この6日間、このウツボを駆除するためにみんなで一生懸命準備をした。しかしそれは失敗に終わり、町の一部に甚大な被害を出してしまった。狩人も何人も死んでしまっただろう。
本当ならこのウツボを殺したい。だが、今は一秒でも早くウツボをこの場から遠ざけるのが賢い判断だ。
クロトはそう信じ、ついにウツボを海目掛けて投げ飛ばした。
ウツボ型ディードは背負投げの要領で投げられ、全長100mある巨体が宙を舞う。
またしても広場に風が巻き起こり、小さな瓦礫やゴミがその風を受けて飛び散る。
ウツボ型ディードはゆっくりと時間を掛けて陸側から離れ、完全に空中に浮いた。
クロトは視線を上に向ける。
ウツボの体は遠心力のせいか伸びきっており、勢いもついていた。この様子なら200m先くらいまで投げ飛ばせるだろう。
(よし……)
あとは鎖を放せば終わりだ。
クロトはウツボ型ディードが真上を通過した辺りで力を込め、鎖を前方に投げ飛ばす。
……が、ここで予想外のことが起きた。
ウツボが最後の力を振り絞り、上半身に噛み付いてきたのだ。
「なっ……!?」
脚を地面にしっかり固定していたクロトだったが、ウツボの勢いに勝てるわけもなく、脚は地面から抜けてしまう。
そして、ディードと共に海へと飛び出した。
……感じたこともない浮遊感がクロトを襲う。
噛まれたせいで視界はゼロだ。今どんな状態かも分からない。
ただ、このまま行けば海に落下するということだけは確実だった。
その予想は現実となり、数秒後、クロトはウツボ型ディードと共に海に叩きつけれられた。
この時クロトは特に身の危険を感じておらず、むしろ呆れていた。
(……迷惑な悪あがきだなあ)
アルナ海峡は断崖絶壁で登るのは困難だ。戻るためには少し離れた場所に港まで行く必要があるだろう。が、少しと言っても数キロは離れている。あそこまで泳いでいくとなると結構大変だ。
さて、何時間掛かるだろうか。
そんなことを考えていると、ウツボ型ディードはクロトを咥え直し、海底へと猛スピードで潜航し始めた。
すぐに太陽光が届かなくなり、クロトは真っ暗な深海へと引き摺られていく。
どうやら水圧でこちらを潰すつもりのようだ。
が、それも無駄なあがきだ。
(……ここなら思い切りやっても大丈夫かな)
クロトは水圧で体がきしむのを感じつつ右手でウツボの上の歯を、左手で下の歯を掴む。
そして力を込め、手首を捻りつつ両手を一気に上下に開いた。
結果、ウツボの口は一瞬でガバッと開き、そのまま上下に引き裂かれていく。
裂け目は瞬時に尾まで到達し、巨大ウツボは瞬く間に2枚おろしにされてしまった。
真っ二つに裂かれたウツボは生命活動を停止し、ビクビクと痙攣しながら海底へと沈んでいった。
ウツボの死亡を確認したクロトは、水面に上がるべく上を向き、浮上しはじめる。
しかし、またしても予期せぬ事故が起きた。
(あれ……?)
なんと、体中を纏っていた黒い皮膚が剥がれ始めたのだ。
体にも力が入らなくなり、息も苦しくなってくる。
(嘘だろ……)
どうやら敵を倒したことで覚醒状態が解除されたようだ。
ラグサラムの時は結構あの状態が続いた気がするが、今回はあまりにも短すぎる。
息苦しさは時を経るごとに増していき、意識も朦朧としてきた。
せめて水面まで到達したい。呼吸が出来るようになればなんとかなる筈だ。
だが、クロトのそんな思いも虚しく、視界はどんどん狭くなり、まともな思考もできなくなり、四肢に力も入らなくなってきた。
(もう……駄目だ……)
クロトはとうとう我慢できなくなり、肺に残っていた空気を口から漏らす。
同時に意識を失い、クロトは海流に飲まれて暗い海の中を流されていってしまった。
クロトが海中で意識を失った頃
アルナの街の広場では狩人たちが鎖を引っ張っていた。
「み……みなさん、急いで鎖を巻き上げてください!!」
指揮をとっているのはモニカだ。
残された狩人たちは30名程度。その全員が海へと投げ出されている鎖を手に取り、ゆっくりと、だが着実に引き揚げ作業を行っていた。
狩人たちの先頭にはティラミスが立っており、その怪力を存分に発揮して鎖を確実に引き揚げていた。
多くの狩人が鎖を引き揚げている中、リリサはジュナとフェリクスに質問攻めにあっていた。
「おい、どういうことだ狂槍。ちゃんと説明してもらうぞ」
「あのクロトの姿……一体あれは何なんだよ」
フェリクスは興味からか若干前のめりに、ジュナは困惑からか腕を胸元まで上げてしきりに口元を弄っていた。
リリサは二人とは対照的に落ち着いており、かろうじて形を保っているベンチに腰掛けて二人の話を聞いていた。
「二人共、まずは座って、落ち着きなさい。話はそれからよ」
「……」
リリサの冷静な口調で少し落ち着いたのか、フェリクスは近くに落ちていた木箱を椅子代わりにし、ジュナはその場で胡座をかいて座り込んだ。
二人が落ち着いたのを確認して、リリサは語り出す。
「二人が見た通り、クロトは普通の人間じゃないわ。本人曰く、身に危険が迫ると常軌を逸した力を発揮できるようになるらしいの。その力に私達は何度も救われたわ」
「人間じゃないのはわかってる。つーかあの姿、ヒトガタじゃ……」
「いえ違うわ。血が赤いのはちゃんと確認してる。ディードじゃないのは確かよ」
リリサは強い口調でフェリクスの言葉を否定し、続ける。
「でも、今回みたいに外見が変化したのは初めて見たわ。……クロも話したがらないしあまり真剣に問い詰めなかったけれど……今回ばかりはきちんと話を聞いたほうがいいかもしれないわね」
「お前……よくもまあそんな得体の知れない奴と旅なんてできたな」
「クロはクロよ。あの“力”以外は普通の狩人と変わりないわ」
「その“力”が大問題なんだよ」
フェリクスは溜息をついた後、何か納得したふうに頷く。
「まあ、あれを見ればクロトがキマイラを狩れた話にも納得できるな。ラグサラムの遺跡でもヒトガタを退治したって聞いてる。……何で今回のウツボ駆除にもあいつの力を使わせなかったんだ?」
フェリクスはリリサに問い詰める。しかし、ここでジュナが割って入ってきた。
「……ラグサラムの遺跡の時もそうだったのか?」
ジュナは立ち上がり、リリサに詰め寄る。
「あいつがあれだけ強いって分かってれば……最初から遺跡探索チームに入れてれば……兄貴は腕を失わずに済んだんじゃないのか!?」
「そうかもしれないわね」
「“かもしれない”……? 間違いなく腕を失わずに済んだだろ!!」
ジュナは大声を上げ、リリサの胸ぐらを掴もうとする。
しかし、それはフェリクスによって遮られた。
「落ち着けジュナ。今は俺が話してるんだ」
「……」
フェリクスに止められ、ジュナは元の位置に腰を下ろす。
フェリクスも木箱の上に座り直した。
詰め寄られてもなおリリサは冷静な口調を貫き通し、先ほどのフェリクスの疑問に応じる。
「……クロの力は不明瞭な点が多いのよ。発動する条件も今だ不明だし、力も、持続時間も不明。確実性に乏しい戦力は戦力としてカウントできない。だから今回の作戦にもクロのあの“力”は使わなかった。……ただそれだけの話よ」
リリサは言い終えるとベンチから立ち上がり、その場を去ろうとする。
しかし、フェリクスがそれを引き止めた。
「待てよ。まだあいつの正体について教えてもらってねーぞ」
リリサは足を止め、琥珀の双眸をフェリクスに向ける。
「私にはわからない。そして本人も記憶喪失だから分からない。そうとしか答えられないわ」
「舐めてんのか!!」
フェリクスは叫ぶと同時に木箱を蹴る。
辛うじて形をとどめていた木箱はバラバラになってしまった。
フェリクスは他のメンバーについても言及する。
「……だいたいあのティラミスとかいう眼鏡っ娘もおかしいだろ。あいつは何なんだ? ただの怪力娘じゃ説明つかねーぞ」
「あの娘はヒトガタよ」
「ヒトガタぁ!?」
衝撃の告白にフェリクスもジュナも唖然とする。
二人共怒りや驚きがごちゃ混ぜになってか、微妙な表情を浮かべていた。
リリサはティラミスについてさらに説明する。
「でも普通に意思疎通できるしクロトに懐いてる。人間も攻撃しないし問題無いわ」
「問題ないわけねーだろ。……駄目だ。もう頭がこんがらがってきた……」
度重なる衝撃の事実に脳の処理が追いつかなくなったのか、フェリクスは側頭部を押さえて頭を左右に振る。
ジュナも同じようで、狼狽えている様子だった。
フェリクスは暫く頭を振った後、最後に自分の頭を二度ほど叩き、リリサに告げる。
「……とにかく、話は直接クロト本人から聞く。いいな?」
「いいわよ」
そうリリサが返事をした瞬間、岸壁の方からモニカの声が上がった。
「あともう少しです、頑張ってください!!」
どうやら鎖の先端が海から出てきたようだ。
リリサ達は話を一旦中断し、岸壁へと向かう。
その途中、とうとう鎖の先端が陸に上げられ、狩人たちは勢い余って尻もちをついた。
「クロト様は!?」
ティラミスはいち早く起き上がり、鎖の先端に駆け寄る。
しかし、銛の先には何も刺さっておらず、無論クロトの姿もそこにはなかった。
「クロト様……」
ティラミスは銛の手前で膝をつき、そのままへたり込む。
他の狩人たちも鎖から手を放し、鎖の先端から視線を逸らして気まずそうな表情を浮かべる。
ウツボの撃退は成功した。橋も無傷で取り戻すことができた。
しかし、アルナの街の広場はぐちゃぐちゃにされ、建物も破壊され、死傷者も出してしまった。
こんな状況で素直に喜べるわけもなく、広場は暗い雰囲気に包まれていた。




