050 橋上の悪魔
050
エンベルを出発してから2週間
クロト一行は次の目的地、アルナ海峡に到達していた。
「ここがアルナ海峡……」
「大きな橋ね」
クロトが立っているのは岬の先端。
その先端からは巨大な吊橋が架かっており、その橋は向こう側の岬まで繋がっている。
橋の長さはかなり長い。5kmはあるだろうか。
幅もそれ相応に広く、馬車6台が横に並んでも余裕が有るほどの広さだった。
橋の真下には潮が渦巻く青黒い海。
大陸と大陸の間に位置するこのアルナ海峡は潮の流れが複雑で、船での行き来は困難を極める。
それに加えて海峡には海棲ディードが潜んでいる。船を使って海峡を越えるのは不可能だ。
だが、この巨大な吊橋の上ならば激流にもディードにも襲われることなく安全に大陸間を行き来することができる。
まさにこの橋は大陸と大陸とを結ぶ生命線であった。
そんな生命線について、モニカは自慢気に説明する。
「この橋はカミラ教団が造った建造物の中で2番目に大きな物です。凄いでしょう」
「1番は?」
「セントレアの城壁です」
「ああ、確かに。あれだけの面積をカバーしてるんだから当然といえば当然か……」
モニカのうんちくについてはともかく、かなり立派な橋だ。重機もないこの世界でこんな立派な橋を作り上げた職人たちに敬意を払いたいくらいだ。
だが、その橋には通行者の姿はなかった。
しかし橋の入口周辺には馬車が数十台たむろしており、何らかのトラブルが発生していると理解するのは難しくなかった。
ティラミスは馬車から顔を覗かせ、周囲を見渡す。
「通行止めみたいですね」
「だな。もしかして橋が崩れたとか?」
「かもしれないわね。……とりあえず支部に行くわよ。そこで事情が聞けるはず」
道中馬車とすれ違わなかったのも、このせいだろう。
別に通行止めの看板があるわけではないが、この状況で堂々と橋を渡れるほど度胸は座っていない。
クロト達はリリサの方針に従い、アルナ海峡北側の猟友会支部に向かうことにした。
アルナ海峡北側
橋からそう遠くない場所には小さな街がある。
この街は橋を建設するための職人が住んでいた場所で、橋が完成した今もなお街として機能している。
今でも一応職人は少数住んでいて、彼らは主に橋の保守点検業務を行っている。
他に住んでいるのは大半が陸運業者だ。
船で航行不能なのはこのアルナ海峡のみで、海峡から数kmも離れれば沿岸部を安全に船で航行できる。
彼らは船の積荷を一旦橋の手前で降ろし、橋の上だけ馬車を使って運搬し、橋の反対側の港で荷積み作業を手伝っているというわけだ。
そんなこんなで住民の数はそれなりに多い。
ということで、街には飲食店はもちろんの事、雑貨店や宿屋もある。
人が集まる場所では当然ディードに襲われる可能性も高くなるわけで、ここにも猟友会の支部があるというわけだ。
そんな支部の中、カウンターにて
リリサは支部の事務職員から橋の現状について説明を受けていた。
「――大型ディード?」
「はい。橋の中腹に大型ディードが出現したようでして……支部の戦力ではどうにもできない状況でして……本部に駆除の依頼を出してはいるのですが……」
事務職員の男はリリサの気迫に負けてか、おどおどと話していた。
リリサはそんな事とはつゆ知らず、相変わらず高圧的に問いかける。
「で、その大型ディードってのは何匹いるの?」
「……1匹です」
事務員がそう言った瞬間、リリサはカウンターをバンと叩いた。
「1匹!? たった1匹に何手間取ってんのよ……」
事務員はびくびくしながら弁解する。
「それが聞いた話では海棲ディード……巨大なウツボ型ディードが橋の中腹を陣取っているようでして……これがとても厄介なんです……」
「何が厄介よ。私達が駆除してあげる。……行くわよ」
リリサはカウンターを離れると支部から出て行く。
クロト達もその後に続く。
「駆除するって……安請け合いしちゃって大丈夫なのかい?」
「問題ないでしょ。海棲ディードがなによ。陸に上がってしまえばこっちのもんじゃない」
リリサのこの強気な意見に女性陣は同意の声を上げる。
「そうですねリリサ様。このメンバーなら楽勝だと思います」
「確かに、ラグサラムの巨大昆虫も楽々撃退しましたし、あれを考えればただのウツボなんて余裕で駆除できますよ」
「だな。本部の応援が来る前に余裕で片付けてやろうぜ」
女性陣は支部前の広場に止めていた荷馬車からそれぞれ武器を取り、橋の入口にむけて歩き始める。
(大丈夫かなあ……)
不安を覚えつつも、クロトも彼女たちの後に続いた。
支部を出発してから1時間後
クロト達は支部の玄関に帰ってきていた。
「……やばかった」
「危うく死ぬところでしたよ」
「逃げられたのが奇跡ね」
「こんなに全速力で走ったのは初めてです……」
「陸の上に上がればどうとでもなると思っていたけれど……海棲ディード、厄介だね」
結果から言うと、橋上のウツボ型ディードを倒すのは不可能だった。
……というか大きすぎた。
精々大きくても高さ5mか6mくらいかと思っていたが、その倍はあった。
頭だけであの大きさだ。全長は100mを下らないだろう。
まさに圧倒的だった。
家くらいならまるごと飲み込めそうなほど大きな口。
丸太なら10本束ねても簡単に噛みきれそうな鋭い歯。
そして極めつけは強靭な筋肉によって実現される素早い動きだった。
大抵の大型ディードはその大きさゆえ動作が鈍くなりがちだが、あのドス黒いウツボは違った。
大きい上に素早く、そして性格は獰猛そのもの。
そんな怪物に太刀打ちできるわけがなかった。
クロト達は結局近づくことすらできず、そのまま逃げ帰ってきたというわけである。
リリサは支部の門、その隣の壁に背を預け、溜息をつく。
「あれは……正面からじゃ無理ね」
「しかし、橋を渡る以外にゴイランへ行くルートはありません。何とかして駆除しないと……」
モニカは顎に手を当て、目を閉じて考え事を始める。
そんなモニカと対象的に、ジュナは何も考えていなかった。
「あんなバケモン相手に作戦もクソもないぞ。……やっぱり、ここはおとなしく本部から援軍が来るのを待ってたほうがいいんじゃねーか?」
「それは駄目。一体何週間……いえ、何ヶ月掛かると思ってるの? 船の建造でさえ何週間も掛かるっていうのに、こんな場所で足止めを食ってる暇はないの」
リリサは余程悔しかったのか、表情を歪めて爪を噛む。
……男の声がしたのはそんな時だった。
「よう、困ってるようだな狂槍」
クロトを含めた5名は急に聞こえてきた声の方向へ視線を向ける。
その先にはオールバックの髪型が特徴の狩人……例の粘着質な双剣使いの狩人が立っていた。
この狩人には少なからず因縁がある。
アイバールでは大衆食堂の店前で喧嘩をふっかけられたし、セントレアの鍛冶市でも半ば強引に丸太斬りで勝負させられた。
あまりいい印象はない。
そんなクロトの心情も知らないで、オールバックの狩人は話を続ける。
「事情はバスケスのジジイから聞いた。俺もカラビナ調査隊に入れろ」
「……」
「聞いてんのか?」
「聞こえてるわよ。『フェリクス』」
リリサは壁から背を離し、オールバックの狩人……フェリクスと呼ばれた男の目の前に立つ。
フェリクスは正面に立ったリリサに対し、握手を求めるべく手を差し伸べる。
「これからよろしくな」
しかし、リリサはその手を叩いた。
「勘違いしてない? 私たちは強い狩人をスカウトしてるの。基準に満たない狩人を雇うつもりはないわ」
「それなら安心しろ。俺は一流の双剣使いだ。とても強い。雇わない手はないぞ?」
「強いんですか?」
ティラミスの問いかけにフェリクスは自慢気に応じる。
「ああ、狂槍とは同期で、上級狩人の試験に合格したのも同じタイミングだ。知名度は狂槍に劣るが、実力は負けてねーぜ?」
「……本当か? 全然強そうにみえねーんだけど」
ジュナは訝しげにフェリクスを見つめる。その視線が気に入らなかったのか、フェリクスは腰に提げた双剣の柄を軽く撫でて言う。
「何だテメーは。俺の強さが知りたいなら闘ってやってもいいんだぜ?」
「はあ……」
リリサは悩ましげに溜息をつくと、クロトの正面に立つ。
そして何も言わずにクロトの腰から黒刀を抜くと、クロトの手に黒刀をもたせた。
「?」
クロトは思わず黒刀を受け取り、柄を握る。
すると、リリサはとんでもない事を口走った。
「クロ、ちょっとあいつと戦ってみて」
「ええ!?」
驚きの声を上げたのはクロトだった。
いきなり武器を持たされて、しかも戦えと命令されるなんて予想外である。
フェリクスも状況があまり掴めていないようで、クロトを見て首を傾げていた。
そんなフェリクスにリリサは告げる。
「フェリクス、もしこのクロとタイマン勝負して勝てたら雇ってあげてもいいわよ」
「おいおい、舐めてんのか? 俺がこいつに勝てないとでも?」
フェリクスは実に不満そうだった。
完全にクロトを格下だと決めつけているようだった。
「冗談を言っているように見える? 雇ってほしいならさっさと準備しなさい」
「……いいぜ、やってやるよ」
フェリクスは両腰から細身の剣を抜くと、指先でくるくると回して柄を握る。
そして、通りの中央まで移動すると軽く構えてみせた。
やる気満々のフェリクスを見て、クロトは怖気づく。
「ちょっとリリサ……」
「安心なさいクロ、あいつそんなに強くないから」
「そうかなあ……」
リリサの言うことは信用できない。が、今の自分の実力を試してみたい気持ちもあった。
狩人として剣を握ってからだいぶ立つ。あれから自分はかなり成長した。かなりのスピードで刀の扱いが上手くなっているのを実感している。
それに勝負と言ってもどうせ模擬戦だ。
手合わせするのも悪く無い。
「わかったよ」
クロトはそう告げると刀を改めて両手で握り、通りの中央に立つ。
正面に立っているフェリクスは余裕たっぷりの表情を浮かべていた。
確かにあちらのほうが経験は上だが、ここまで舐められるのも少しイラッとする。
勝てないとしても、一撃くらいは入れてやろう。
そんな覚悟でクロトは刀を腰の位置に構えた。
配置が完了すると、リリサはクロトとフェリクスに告げる。
「それじゃ、各々のタイミングで初めてちょうだい」
「わかった。……すぐに終わらせてやるよ!!」
リリサの言葉の後、いきなり駆け出したのはフェリクスだった。
フェリクスは双剣を羽のように左右に広げ、クロト目掛けて高速で接近していく。
クロトは改めて柄を握りしめ、カウンターを行うべくフェリクスの攻撃を待つ。
その間、クロトはフェリクスを冷静に観察していた。
フェリクスは双剣を上段でクロスに構えており、思い切り振り下ろすべく体中に力を込めていた。
(あれ、全然怖くない……)
フェリクスは上級狩人。実力は折り紙付きだ。
だというのに全く威圧感というか、危険が感じられない。
そんな感情のまま、クロトはフェリクスの第一撃を受けることとなった。
上段からの斬撃。
クロトはそれを止めるべく刀から手を放し、両腕を斜め上方へ突き出す。
クロトの両手は瞬時にフェリクスまで達し、フェリクスの両肘をガッチリと掴んだ。
「!?」
起点を押さえられ、フェリクスは双剣を振り下ろせないまま固まってしまう。
その隙にクロトはがら空きの腹部に前蹴りを放った。
前蹴りは見事に下腹部に命中し、攻撃を受けたフェリクスは後ろへ吹き飛んだ。
フェリクスが宙を舞う間、クロトは地面に落下しかけていた黒刀を地面ギリギリでキャッチし、前に飛び込む。
そして、フェリクスにタックルをかまして仰向けに転ばせマウントを取り、刀を首筋にあてがった。
……その流れは実に見事であり、どこからどうみてもクロトの勝利だった。
この一瞬の出来事に、フェリクスはあっけにとられており、ついでに言うとクロトも少し驚いていた。
少し遅れて自分が負けたのだと理解したのか、フェリクスは悔しげに告げる。
「クソ……テメエ実力を隠してやがったな?」
「いや、別に隠してるつもりはなかったんだけど……」
クロトは苦笑いしつつフェリクスから離れ、黒刀を鞘に納めた。
……体が自然に動いた。
武術も剣術も特に習っていない。となると、体が動きを覚えていたとしか考えられない。
どうやら記憶を失う前の自分は相当な強者だったようだ。でなければあんな機転の聞いた技を咄嗟に出せるわけがない。
フェリクスの言葉に対し、リリサは遅れながら答える。
「別に隠してなんかないわよ。成長してると言ってほしいわね」
リリサは立ち上がったフェリクスの前に立ち、端的に述べた。
「とにかく、約束は約束よ。クロに負けたんだからあんたは……」
「ちょっと待ってください」
リリサの言葉を遮って前に出たのはモニカだった。
「これから先優秀な狩人をスカウトできるとも限りません。上級狩人なのは間違いないのですから、仲間に加えてもいいのでは? リリサさんとも知り合いみたいですし」
「クロに勝てば仲間にしてあげるって条件を飲んだのはそいつ自身よ。大体、クロにも勝てないような狩人は仲間にしたって意味が無いでしょ」
「それは語弊がありますよ、リリサ様」
モニカに続きティラミスも異論を唱える。
「クロト様はリリサ様が思っている以上に強いお方です。大体、リリサ様はクロト様に勝てるんですか?」
「なっ……!?」
ティラミスの言葉にリリサは激高する。
「何ふざけたこと言ってるのよ。この私がクロ如きに負けるわけがないでしょ」
怒っているにもかかわらず、ティラミスは強気で続ける。
「それはどうでしょうか。実際このメンバーの中で一番強いのはクロト様だと思います」
ティラミスの大げさな物言いに、クロトは慌ててティラミスの口をふさぐ。
「ちょっとティラミス、それは言い過ぎだよ……」
ティラミスはクロトの手を両手で外し、首を横に振る。
「誇張でもなんでもありません。クロト様がいなければ私たちは生きていなかったと思います」
「ティラミス……」
ほめてくれるのは嬉しいが、ティラミスが言葉を重ねるごとにリリサは険悪な空気を発していた。
そんな空気の中、緊張した口調でモニカに話しかけたのはフェリクスだった。
「あ、あの、お名前は?」
いつの間にかフェリクスは双剣を仕舞っており、モニカの正面に立っていた。
名を問われ、モニカは丁寧に自己紹介を返す。
「申し遅れました。私、モニカ・バーリストレームです。教団の調査員としてリリサさんに同行させてもらっています」
「モニカさん……」
フェリクスはモニカの名前を噛みしめるように呟き、持論を展開する。
「調査隊ってことは、実質的な行動決定権はカミラ教団のモニカさんにあるんですよね? あなたさえ良ければ狂槍の意見なんて無視して僕を雇ってくれませんか」
フェリクスの誘惑じみたセリフを耳にし、リリサはモニカに釘を刺す。
「駄目よモニカ。そいつ腕はそこそこだけど性格は最悪。足手まといになるのはわかりきってるわ」
「“そこそこ”……ということは一応実力は認めているのですね」
「何度も言うようで悪いけれど、約束は約束よ。クロに勝てなかった以上、雇うことはできないわ」
フェリクスはリリサの言葉を聞き、何か納得したように深く頷く。
「……わかった。要はクロトに勝てば雇ってくれるってことだな」
フェリクスは更にモニカに近付き、両手をがしりと掴む。
唐突なボディータッチにモニカは驚くも、フェリクスは気にせず言葉を続ける。
「待っていてくださいモニカさん、必ずこのクロトに勝ってみせます!!」
最後に威勢よくそう告げると、フェリクスは背を向けて走り去ってしまった。
理解不能なこの行動にジュナは呆れた視線をフェリクスに送る。
「何だあいつ」
「さあ……」
リリサは気を取り直して手を叩く。
「それより作戦会議よ。どうやって橋を渡るか考えましょ」
その後一行は支部内に入り、食堂で作戦会議を行うことにした。




