004 命の価値
004
ミソラの寝室にて
イワンとクロトはベッドに横たわるミソラを見守っていた。
「はぁ……はぁ……」
洗い場で倒れてから3日が経った。
あれからミソラは一度も目を覚ます事なく、苦しげな表情を浮かべている。
ミソラの呼吸は荒く、熱が下る様子もない。家にあった熱冷まし薬は飲ませたが、全く効果は見られなかった。
結局医者を呼ぶこととなり、今は診察の真っ最中だ。
「ふむふむ……」
老いた医者はミソラの目や口内をつぶさに観察した後、聴診器らしき器具で詳細にミソラの容態を診察していく。
医者の隣には看護婦らしきふくよかな女性が立っており、器具が入っているであろう大きなバッグを抱えていた。
医者のゆっくりとした動作に苛立ったのか、しびれを切らしたイワンは文句を言う。
「どうなんだ先生、娘は治るのか?」
老いた医者は聴診器を耳から外し、ミソラから離れる。
そしてようやくイワンに応じた。
「安心しなさいな。以前こういう症状の患者を診たことがある。薬さえ飲ませれば大丈夫じゃろう」
医者の言葉を聞き、イワンは安堵の溜息と共にその場に膝をつく。
「よかった……」
同じくクロトも胸をなでおろしていた。
こんな世界だ。医者のレベルもたかが知れていると思っていたが、生物や保健体育で学んだ自分よりは医学的知識は上のようだ。
イワンはすぐに立ち上がり、医者に告げる。
「良かった。……じゃあ、早速薬を飲ませてやってくれ」
「ふむ……」
イワンの言葉に対し、医者は難しい表情を浮かべる。同じく看護婦も申し訳無さそうな表情を浮かべていた。
クロトは二人の反応を見て、あることに思い至る。
「もしかして……薬がないんですか?」
質問に医者は正直に答えた。
「そうなんじゃ……済まないが、今は持ち合わせがなくてのう……」
イワンは医者の両肩をがっしり掴み、前後に揺さぶる。
「じゃあ今すぐ調達してきてくれ。これ以上娘の苦しむ姿を見るのは耐えらない!!」
「親父さん落ち着いて……」
クロトはイワンの巨体をどうにかして医者から引き剥がす。
医者は乱れた襟を正し、視線を下に向けながら話す。
「助けてやりたいのは山々なんじゃが……その薬には問題があってのう」
「問題?」
扱いが難しい薬なのか、入手困難な薬なのか、重大な副作用があるのだろうか。
そんな難しいを考えていたクロトだったが、その問題は予想に反して単純明快だった。
「その薬、金貨50枚はないと手に入れられないんじゃ……」
「50枚!?」
法外な値段にイワンもクロトも驚きを隠せなかった。
イワンは医者に食って掛かる。
「この野郎!! 人の足元を見やがって……ふざけんな!! 50枚なんて用意できるわけがないだろ!!」
「親父さん!!」
クロトはまたしてもイワンを諌め、飽くまで冷静に医者に問いかける。
「どうしてそんなに高価なんです? 安くならないんですか?」
「……血じゃ」
医者は視線を遠くへ向ける。
「あの薬は西のラグサラム地方のディードの血を加工して作っている。アイバールの薬屋に行けば置いてあるだろうが、数は少ないじゃろう。下手をしたら50枚でも手に入れられないかもしれない……」
なるほど、ディードという生き物は思った以上にこの世界の暮らしに密接に関係しているらしい。
高い戦闘力を持つディード、その捕獲は難しい。しかも別の地方の薬となれば入手は更に困難になる。値段が高くなるのも当然だ。
だが、どうにかして薬を手に入れなければ、ミソラは死んでしまうかもしれない。
この際だ、アイバールの薬屋に盗みにでも入ろうか……
いや、盗みに入ったとして薬の種類が分からなければ意味が無い。
となると、金貨を50枚揃えるのが現実的な方法だ。
50枚……
(……あ)
クロトは一つ、ある方法を思いついてしまった。
確実に金貨を50枚以上手に入れられる方法。それは……
(奴隷市……)
クロトの頭に先日街の噴水広場で見た奴隷たちの姿が思い浮かぶ。
ミソラの話では、奴隷は安い物でも金貨25枚、高ければその5倍の125枚で取引されるということだった。
自分は男で働き盛りだ。奴隷商の取り分を考慮しても、50枚以上の値がつく自信がある。
クロトは早速イワンにそのことを告げることにした。
「親父さん、ひとつだけ方法があります……僕を奴隷商に……」
「……やめろ」
イワンは低い声で言葉を遮る。
その言葉からはイワンの苦悩が嫌というほど読み取れた。
しかし、クロトは提案を止めない。
「迷いはありません。ミソラが助かるのなら、僕は喜んで身売りします。親父さんはその金で薬を買ってください」
「しかしだな……」
クロトは自らの胸に手を当て、イワンに迫る。
「もうこれしか方法はないと思います。僕を……奴隷商に売ってください」
「……」
ここまで言っても決心がつかないのか、イワンは困った顔を浮かべていた。
クロトは更に強くイワンに告げる。
「親父さん、ミソラを助けてやりたいんでしょう!?」
「当たり前だ!! だが、ミソラの代わりにお前を売るのは……」
「拾われた命です……」
クロトは視線を下に向け、思いのままに言葉を述べていく。
「もしあの時、あの場所に親父さんたちがいなければ、僕は死んでいました。しかもただ助けてくれただけでなく、僕を家族として迎え入れてくれました。……親父さんにもミソラにもお世話になりました。だから、恩返しさせてください。僕に、ミソラを救わせてください!!」
ここでようやくイワンは決心がついたのか、クロトの肩に手を置く。
「いいのか? 一生こき使われるか、死ぬまで働かされるか、どちらしか無いんだぞ」
「大丈夫です」
ミソラを救いたいという気持ちは本物だった。
彼女は健気でいい娘だ。それにこんな僕を好いてくれている。助けてやりたくなるのは当然のことだ。
同時に、少し自暴自棄になってもいた。
自分はどうせこの世界の住人ではない。言うなればアウトサイダーだ。
ならばいっそ奴隷としてこき使われ、死んでいくのも悪く無い結末だ。
……覚悟は決めた。
「話はついたようじゃの……」
医者はハンガーにかけていた外套を着つつ、言葉を続ける。
「お前さんくらい若い男なら良い値がつくじゃろう。が、如何せん時間がない。奴隷商との交渉にも時間が掛るじゃろうし……急いで街へ向かうとしよう」
医者は玄関へ向かいつつイワンに告げる。
「馬を調達してきてくれんか」
「わかった。ちょっと待っててくれ!!」
イワンは慌ただしく身支度しながら玄関へ向かい、ドアを豪快に開けてそのまま外に出ていった。
イワンがいなくなると、クロトは医者に声をかける。
「お医者さん、お願いしてもいいですか」
「ん? なんだ?」
クロトは包み隠さず医者に打ち明ける。
「親父さんはああ見えて優しい人です。僕を直接奴隷商に売ったとなれば、心にしこりが残るのは間違いないです。だから、街へは僕とあなただけで行きたいのですが」
自分はもうすぐこの家族とは関係のない、赤の他人となる。
彼らのことを思えば今後一切会わない方がいい。つまり、売られた先を知られたくないのだ。
医者は分かってか分からずか、顎に手を当てる。
「……よしわかった。儂がお前さんを奴隷商に引き渡す。そしてあの親父には“娘の側についていてやれ”とでも言っておいてやろう。……それでいいな?」
「お願いします」
「それでは先に街の出口で待っておれ、そこでお前さんを拾って、そのまま街へ行くことにしよう」
「はい」
合理的な判断だ。
これでもう親父さんやミソラとは会えなくなる。
「……」
クロトはベッドで苦しげな表情を浮かべているミソラを見る。
彼女に好きだと言われた時はほんとうに嬉しかった。彼女には死んでほしくない。これから先幸せな人生を歩んでいって欲しい。
「さよならだ、ミソラ」
クロトは独り言のようにつぶやくと足先を玄関に向ける。
……これでよかったのだ。
クロトは自分に言い聞かせつつ、村の出口を目指すべく家を後にした。