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天球のカラビナ  作者: イツロウ
04-毒霧の遺跡-
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048 遅れてきた男


 048


 ジュナの姿を探すこと10分。

 彼女は屋敷の裏の畑の前で一人黄昏れていた。

 畑は水を撒いたばかりのようで、青々とした草木についた水滴が太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。

 ようやくジュナを見つけたクロトは背後からジュナに声をかける。

「ジュナ」

「……クロトか」

 ジュナはゆっくりと振り返る。

 ……表情は暗かった。

 それもそうである。命は取り留めたものの、兄のダンシオが腕を失うほどの怪我を負ってしまったのだ。作戦自体は成功したが、ジュナが素直に喜んでいるわけがなかった。

 しかもあの時、クロトはジュナを気絶させて強引に遺跡から街へ帰らせた。クロトを恨んでいても当然な状況だった。

 ジュナはクロトを一瞥すると畑に視線を戻し、告げる。

「……兄貴から話は聞いてる。カラビナに到着するまで手伝ってやるよ」

 それは若干投げやりな言い方だった。

 ジュナ自身の気持ちを確かめるべく、クロトは問いただす。

「ジュナはそれでいいのか?」

「約束は約束だ。兄貴が戦力にならないなら、オレが行くしかないだろ……」

「本当にいいんだな?」

 クロトはジュナの隣に立ち、しつこく問い詰める。

 すると、ジュナはとうとう本音を漏らした。

「……よかねーよ。兄貴の怪我も心配だし、ここの孤児院の子供のことも心配だ。本当は離れたくねーよ……」

 そう言うとジュナははあと溜息をつき、膝を抱えてその場にしゃがみ込む。

「だよね……」

 いつも生意気で元気なジュナだが、今回ばかりは堪えている様子だった。

 しゃがみ込んだ背中は小さく、まさに歳相応の少女のものであった。

 こんな状態のジュナにカラビナまでの旅が務まるのだろうか。そもそも戦力としてカウントしていいものだろうか。

 悩んでいると、何処からともなくリリサの声が飛んできた。

「――何甘ったれたこといってるの?」

 クロトは声の出処を探して振り返る。

 リリサはクロト達のすぐ真後ろ、建物の1階の窓から顔を覗かせていた。

「リリサ……」

 リリサは掃除中らしく、手にはねずみ色の雑巾が握られていた。窓の向こう側には子供たちも数名いて、全員が雑巾を手に壁やガラス戸を綺麗に拭いていた。

 リリサは窓に肘をつき、顔だけを出してジュナに告げる。

「本当はダンシオを連れて行きたかったけれど……この際ジュナ、あんたでも構わないわ。実力は申し分ないし、伸びしろもあると思う。子供たちには悪いけれど、付いて来てもらうわよ」

「リリサ……」

「黙ってなさいクロ。私はジュナと話をしてるの」

 クロトを一蹴し、リリサはジュナに語り続ける。

「私たちは、私たちの役割をきちんと果たしたわ。あなたのお兄さんも怪我を負ったけれど、私も毒を受けて1日まともに呼吸ができなかったし、そこにいるクロに至っては3日間も寝たきり状態だったわ。約束は守ってもらわないと困るわ」

「約束……」

 ジュナは呟いたまま黙りこくってしまう。

 そんなジュナを見かねてか、一人の少年が手を止めてジュナに向けて声を掛けた。

「ジュナ姉、僕達は大丈夫だから約束を守ってあげて」

 その少年に呼応するように、他の子供達もジュナを安心させるべく声を上げ始める。

「そうだよジュナ姉ちゃん。これ以上二人だけに負担をかけられないよ。教団からもらった薬のおかげで重病人もいなくなったし、僕達も働ける。……何とかやっていけるよ」

「僕らはリリサさんたちに助けられた。だから恩返ししないといけないと思う。だからジュナ姉ちゃん、僕らのことは心配せずに行ってきなよ」

「お前ら……」

 ジュナは立ち上がり、孤児院の子供たちに視線を向ける。

 ダークブラウンの瞳には涙が溜まっており、大きく心が揺さぶられているのは明らかだった。

 今まで守るべき存在だった子供たちからこんなことを言われて、感動せずにいられない。

 子供たちは発言の後もジュナをしっかりと見つめており、その姿は幼くも頼もしくあった。

 雑巾を持った少年はリリサに告げる。

「リリサさん、ジュナお姉ちゃんのこと、よろしくお願いします」

 少年の言葉を受け、リリサはジュナに改めて視線を向ける。

「……そういうことらしいけれど?」

 ジュナは手の甲で涙を拭い、不敵な笑みを浮かべる。

「お前らの気持ちは分かった。つーか、オレが心配し過ぎだったみたいだな……」

 ジュナは窓際に佇むリリサに近付き、手を差し伸べる。

「兄貴ほどの戦力はないが、必ず役に立ってやる。よろしくな」

 リリサは窓越しに手を伸ばし、ジュナと握手を交わす。

「期待してるわよ。ジュナ」

 短い握手を終えると、リリサは何事もなかったかのように掃除を再開し始める。

 そのままリリサは子供たちと共に廊下を雑巾がけしていき、姿を消してしまった。

 ジュナはリリサと握手した拳を握りしめ、その拳をじっと見つめていた。

 クロトはそんなジュナに歩み寄り、リリサを真似て握手を求める。

「ジュナ、これからもよろしくね」

「おう。必ずカラビナに到達して、兄貴に自慢してやるよ」

 ジュナはクロトが差し出した手を威勢よく叩き、続いて肩をバシバシと叩く。

「クロト、兄貴の事助けてくれてありがとな。何かあったら今度はオレがお前を助けてやるからな」

 そして軽くお礼を告げると、裏庭から離れていってしまった。

 ……これで晴れてメンバーにジュナが加わったわけだが、本当にこれでよかったのだろうか。

(何だかなあ……)

 リリサは最低でも7名メンバーを揃えると言っていた。

 現時点ではリリサと自分とティラミスとモニカとジュナで5名だ。

 残り2名……

 果たしてゴイランに到着するまでに仲間を集めることができるのだろうか。そもそもカラビナに行き着くことができるのだろうか。

 裏庭で一人悩むクロトであった。



 赤道上にそびえ立つ軌道エレベーター。

 そのエレベーターの発着点、アース・ポート上空にて。

 黒衣の男は色白長髪の女性を脇に抱えていた。

「……到着、と」

 黒衣の男は徐々に高度を落としていき、アース・ポートにふわりと着地する。

 そして脇に抱えていた長髪の女性を地面に下ろした。

「帰ったか、パイロ」

 黒衣の男に声を掛けたのは全長10mほどの機械の巨人、ゲイルだった。

 鎧武者を連想させる装甲を纏った彼に対し、パイロと呼ばれた黒衣の男は軽く応じる。

「ただいま。もう大変だったよ……」

「こちらでも確認した。どうやら地表最後のゆりかごが破壊されたようだな」

「ああ。狩人連中が侵入したせいでコールドスリープ中の人間、全員が毒にやられて死んじまった。……悪いとは思ったが、痕跡を残さないように施設ごと蒸発させてきた」

「正しい判断だ。……で、その女は?」

 ゲイルのアイカメラの先には地面にへたり込んでいる女性の姿があった。

 ブルネットの長髪に淡い青色の瞳、薄紅色の唇が特徴の彼女は生気を失ったかのように、ぐったりとした表情で地面を見つめていた。

 心神喪失状態の彼女に変わり、パイロは彼女のことを紹介する。

「彼女はコードネーム『トキソ』。露国が生み出した歩く化学兵器だ」

「なるほど、二千年に渡り毒を広域散布して施設を守り続けていたのは彼女だったのか」

「だがそれもあいつのせいで全て水の泡だ。散々警告はしたんだが……」

「無駄だったというわけだな。だから早々に排除しろと言ったんだ」

「奴に関しては俺に一任されたはずだ。口出しは無用だぞ」

「む……分かっている」

 ゲイルは合成音声で応じ、軌道エレベーターを見上げる。

「残されたのはこの軌道エレベータのみ。何としても守りぬくぞ」

 意気込むゲイルにパイロは新たな情報を告げる。

「あ、その件なんだが……どうやら奴ら、このアース・ポートに向けて調査隊を派遣したらしい。近いうちに大量の狩人がここに来ると思うぞ」

「目覚めの日が近いというのに……タイミングが悪い奴らだ。だが海を渡ってここまでは来れないだろう」

「だといいがな……」

 淡々と会話していた二人だったが、唐突にトキソが言葉を発した。

「殺してやる……」

 物騒な言葉にパイロもゲイルも彼女に視線を向ける。

 彼女は地面を強く叩き、歯を食いしばって続ける。

「クズ虫どもが……私の友人を、家族を殺しやがって……必ず報いを受けさせてやる……」

 並々ならぬ殺気を放つトキソに対し、パイロは軽い口調で宥める。

「落ち着けよトキソ。あんたの同胞が死んでしまったことについては同情する。だが、今もっとも優先すべきはこの軌道エレベータを守りぬくことだ」

 ゲイルもパイロに同調する。

「その通りだ。あと数ヶ月で上にいる“彼ら”も目覚める。奴らを駆逐するかどうかは彼らの意見を聞いてからでも遅くないだろう」

 二人の冷静な言葉を聞いて気持ちが落ち着いたのか、トキソはゆっくりと立ち上がりブルネットのロングヘアーを手櫛で整える。

「……わかった。私も私情で君たちの計画を潰すような馬鹿なことはしない。約束しよう」

「落ち着いてくれて何よりだ」

 トキソは髪を整え終えると周囲を見渡す。

 見えるのは海と空のみ。360度全てが海の青と空の青で埋め尽くされ、微妙に湾曲している水平線がよく見えた。

 暫く海を眺めた後、トキソは述べる。

「……確認してもいいか」

「ああ、何でも聞いてくれ」

「あの黒い悪魔は……『ビリオンキラー』は人類を裏切ったのか?」

 少しの沈黙の後、パイロは正直に答えた。

「答えはイエスだ」

 このパイロの回答に対し、トキソは憎しみの篭った口調で告げる。

「なら、あいつを殺しても何の問題もないということだな?」

 言った瞬間、トキソの体から毒霧が漏れだす。

 しかし、その毒霧はパイロの見えない力によって吹き飛ばされ、海の彼方へと散っていった。

「その判断も含めて彼については俺に一任されている。すまないが復讐は諦めてくれ」

 パイロの迫力に気圧されてか、トキソは体から力を抜いてその場に腰を下ろす。

「……そうか。色々と事情がありそうだな」

「察してくれると有り難い」

 トキソは膝を抱え、話題を変える。

「何にせよ軌道エレベーターを守ることには賛成だ。私も微力ながら力を貸そう」

 前向きな発言だったが、すぐにゲイルが難色を示した。

「いや、君の毒は強烈過ぎる。気持ちだけありがたく受け取っておこう」

「そうか……」

 ゲイルの言葉に続いてパイロも告げる。

「それにしても歩く化学兵器か。露国もとんでもないものを作ったもんだな」

 パイロのこの言葉にトキソ嫌味たらしく謙遜する。

「いいや、君たちには負けるよ。特に日本が生み出したあの悪魔……ビリオンキラーにはね」

「……」

 パイロはトキソの言葉を受けて改めて考える。

 記憶を失った状態で放置しておくのはまずい。だが、記憶を全て取り戻されたほうがもっと厄介なことになる。

 何にせよ、彼を軌道エレベーターに近づけないようにすることが重要だ。

 ……どうしたものか

 一人悩むパイロであった。



「もう一週間か……」

 リリサ達がエンベルを出発してから一週間が経った。

 左腕を失ったダンシオは狩人業から足を洗い、施設の子供達と平穏な日々を過ごしていた。

 施設は教団からの報奨金のおかげで毎日3食まともな食事を食べられるようになり、病気の子供の数も確実に減ってきている。あと2ヶ月もすれば全員が健康な体を取り戻せることだろう。

「おーい、誰かいねーか!!」

 庭で野菜の様子を見ていると、正門から男の声が聞こえてきた。

 ダンシオは庭いじりを止め、玄関へと向かう。

 門の前には男が……オールバックに戦闘服を着込んだ若い男が立っていた。

 見たところ狩人だ。そして、佇まいや彼が放つ雰囲気からダンシオは彼が手練の狩人だと判断した。

 一体こんな場所に何の用事だろうか。

 疑問に思いつつもダンシオは門前まで移動し、言葉を返す。

「何だい狩人のお兄さん。ウチに何か用事でも?」

 オールバックの狩人は腰に手を当て、こめかみを指先で掻きながら告げる。

「あー……狂槍がここにいるって聞いたんだが、呼んでもらえねーか」

「彼女は確かにここにいたが、今はもういないぞ」

「クソ……遅かったか……」

 オールバックの男は悔しげに頭をかきむしる。

「狂槍に何か用でもあったのか?」

「お前さんに話す義理はない。……で、奴はどこに向かったんだ?」

「……あんたに話す義理はないな」

 ダンシオは同じ言葉をそっくりそのまま言い返す。

「テメエ……」

 オールバックの男は明らかな挑発を受けてダンシオを睨みつける。

 しかし、睨んでいたのは数秒のことで、すぐに怪訝な表情を浮かべた。

「ん……? もしかしてお前、ダンシオ・アルキメルか?」

「そうだが……?」

「あんたがここにいるってことは、あいつら勧誘に失敗したってことか……こりゃあますます俺にもチャンスがあるってことだな……」

「まてまて、何の話をしてるんだ?」

 ダンシオの質問に、オールバックの狩人はまたしてもこめかみを掻く。

「あー……そうだな。順を追って説明するか」

 オールバックの狩人はダンシオの正体を知るやいなや、先程までの偉そうな態度が嘘だったかのように普通に喋り出す。

「猟友会のバスケス爺さんから狂槍がカラビナ攻略のための仲間を集めていると聞いてな。……カラビナの攻略は狩人の夢。偉業を達成したとなりゃ名も上がる。俺もメンバーに加わるべく後を追ってここに来た次第だ」

「で、どうしてここに?」

「まずはダンシオを勧誘すると爺さんから聞いたんだよ。でもどうして断ったんだ? あんたも名を上げるチャンスだったのに」

「俺はそういうのには興味はない。それに、色々あって左腕を失ってしまってな。……俺の代わりに妹を同行させた」

「なるほど……」

 オールバックの狩人の視線はダンシオの失われた左腕に向けられていた。

「ラグサラムの毒霧を消したのはあんただって噂は聞いてる。だいぶハードな狩りだったみたいだな」

「いや、実際活躍したのは狂槍のメンバーだ。俺一人じゃ遺跡にたどり着くことすら出来なかっただろうしな……」

 ダンシオはつい先日の激しい戦闘のことを思い返しつつ、オールバックの狩人にアドバイスを送る。

「……彼女たちは1週間ほど前にゴイランを目指して出発したばかりだ。急いで行けばアルナ海峡あたりで合流できるだろう」

「そうか。……情報、感謝するぜ」

 オールバックの狩人は情報を手に入れるやいなや屋敷に背を向ける。

 ダンシオはそんな彼に声をかける。

「待て。……カラビナ攻略はかなり危険を伴う仕事だ。もし会えたとしても彼女があんたを雇い入れるかどうかはわからないぞ」

「……その点は問題ない」

 オールバックの狩人は振り返り、両腰に手を伸ばす。

 腰の左右には鞘があり、彼はおもむろに剣を抜いてその場で華麗に振り回してみせた。

 剣の軌跡は達人のそれを彷彿とさせ、かなり高いレベルにあるのは明らかだった。

 数秒間剣を振り回すとオールバックの狩人は剣を鞘に戻し、満を持して告げる。

「俺の名は『フェリクス・バートン』。……狩人一の双剣使いだ。この俺をあいつが雇わないわけがない」

 大した自信である。

 フェリクスと名乗った男はそう告げると再度背を向け、屋敷から離れて行ってしまった。

(狂槍とは知り合いみたいだが……因縁じみたものを感じるな……)

 まあ、彼がどうなろうと知ったことではない。

 ダンシオは自分の妹、ジュナの安全を祈っていた。

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