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天球のカラビナ  作者: イツロウ
04-毒霧の遺跡-
45/107

044 作戦準備


 044


 あっという間に孤児院での日々は過ぎていった。

 クロトは朝はジュナと狩りに出かけ、それ以降は子供たちやダンシオとともに畑仕事を、

 リリサは屋敷の外で一人鍛錬を、

 モニカは子供たちの話し相手になったり、病に伏している子供たちの面倒を見たり、

 ティラミスは比較的高年齢の子供たちと一緒に家事全般を手伝っていた。

 ……作戦決行日の前日、昼食後。

 クロトは皿洗いをしているティラミスに話しかけていた。

「……ティラミス、僕をハンマーで思い切り殴ってくれないか」

 クロトのいきなりの願いに、ティラミスは心配そうにクロトを見つめる。

「クロト様、そんな趣味が……」

「違う違う」

 クロトは誤解を解く意味も込めてはじめから説明する。

「ティラミスは見てただろう? ケナンでヒトガタを倒した時、僕が異常な力を発揮してたところを。死に瀕すればまたあの力を発揮できないかと思ってね……」

 ティラミスは視線を上に向ける。

 数秒後、ケナンでの戦闘を思い出したティラミスはこくりと頷く。

「……そうでしたね。腹部の致命傷も一瞬にして回復していました」

 ティラミスは手に持っていた皿を置き、クロトに向き直る。

「聞きづらかったのですが……あれは一体?」

「僕にもよく分からない。火事場の馬鹿力みたいなものだと思うんだけれど、ティラミスはどう思う?」

 ティラミスは今度は視線を下に向け、顎に手を当てる。

「……失礼を承知で言わせてもらいます」

 そう前置きすると、ティラミスは思う所を述べた。

「クロト様は……人間ではないと思います」

「え?」

「一時的でしたが、スピードや力、それに再生能力は人間のそれを明らかに凌駕していました。……かと言ってヒトガタでもないと思います。血は赤色ですし」

「……」

 ティラミスの言葉を聞き、クロトは言葉を失っていた。

 灯台下暗しとはこの事を言うのだろう。

 今の今まで“火事場の馬鹿力”という便利な言葉を使って思考を放棄していたが、よくよく考えるとおかしいことだらけだ。

「だったら僕は……」

 何者なのだろうか。

 不意に生じた疑問に頭を悩ませていると、モニカが会話に混じってきた。

「面白そうな話をしていますね」

 モニカは厨房に入るやいなや木イスに腰掛け、話を続ける。

「リリサさんから大体の話は聞いています。ベックルンの主を倒した力、ケナンのヒトガタを一瞬で葬り去った力……単なる火事場の馬鹿力という言葉だけでは説明しきれないと思います」

 学者ということもあってか、モニカの言葉には説得力があった。

 クロトは自分の正体を知るべく、モニカに問い詰める。

「モニカ、君は僕についてどう考えてる?」

 モニカは「そうですね……」と悩んだ後、いろいろな可能性を羅列していく。

「新種のヒトガタ、遺跡で眠っていた人型兵器、突然変異を起こした特殊な人間……考え出せばキリがありませんね」

「それって結局“分からない”ってことじゃ……」

「でも大事なのはそこじゃありません」

 モニカはグレーの瞳でクロトを見つめる。

「大事なのはあなたの意思です」

「僕の意思……」

「どのような体でも、どのような力を秘めていても、あなたは私達の仲間です。それ以上の説明が必要であるとは思えません」

「……」

 それはクロトが欲していた言葉だった。

 自分が何者なのかは問題じゃない。どうなりたいかが問題なのだ。

 クロトは全員を、仲間を守りたいと強く願っている。ならば、どんな力であれ、正体不明の力であれ、その目的のために使うのに何の問題もない。

 決心がついた。だからこそ……

「ティラミス、やっぱり僕を思い切り殴って欲しい。どんな力であれ自分の力はしっかり把握しておきたいんだ」

 再度ティラミスに頼み込むクロトだったが、モニカがそれを否定した。

「クロトさん、危険な力に頼るのはあまり良くないことだと思いますよ」

「どういうことだい?」

「仮に力が発動したとして、ティラミスちゃんを敵と認識しない自信がありますか?」

「!!」

「体は正直です。ティラミスちゃんに攻撃されて力が発動した場合、無意識のうちにティラミスちゃんを攻撃してしまう可能性もあるのですよ?」

「……」

 クロトは何も言い返せなかった。自分の力は自分でもよく分からない。そんなものをお試し感覚で呼び覚ますのはあまり良くない。

 モニカは続ける。

「作戦でもっとも重要視されるのは安定した戦力。強かろうと弱かろうと作戦においてはそれぞれの使いみちがあります。……クロトさん、あなたはあなたの今の力で、あなたの為すべきことを全うすればいいんです」

「……わかったよ」

 あの力に頼るのは本当に危険に瀕した時だけにしよう。

 そしていつかは力に頼らずとも自分の戦闘力だけでみんなを守れるようになろう。

 そう心に決めたクロトだった。

「クロト、いるか?」

 モニカやティラミスとの話が終わるやいなや、声をかけてきたのはダンシオだった。

 ダンシオはクロトを見つけると「いたいた」と言いつつ歩み寄ってくる。

「これからフィルターの買い出しに行く。付いてきてくれないか?」

「別にいいですけど……」

「よし、それじゃ玄関に集合ってことでよろしく」

 ダンシオはそれだけ言うとボサボサの頭を掻きながら厨房から出て行ってしまった。

 ティラミスは皿洗いを中断し、クロトに告げる。

「クロト様、私も手伝いに同行しましょうか?」

「いやいいよ。ティラミスもモニカも家事を手伝っててよ」

 自分を名指ししたからにはなにか理由があるのだろう。とクロトは柄にもなく深読みしていた。

「それじゃ行ってくるよ」

 クロトは軽く別れを告げると厨房を出、玄関に向かうことにした。



 玄関では大きなリュックサックを持ったダンシオが待ち構えていた。

「何か話してたみたいだったけど、よかったのか?」

「大丈夫です」

 クロトはダンシオからリュックを受け取り、玄関を抜けて外に出る。

 外に出ると強い日差しがクロトの体に降り注いだ。

 上からだけならまだ耐えられるが、地面からの照り返しも強い。

 ダンシオは慣れっこなのか、特に気にする様子もなく屋敷から離れていく。

 クロトも目を細めながら後を追う。

 居住区から離れていることもあってか、人気は全くなかった。

(やっぱり全然いないなあ……)

 人がいないのは寂しいが、そのおかげで子供たちは人を気にすることなく遊べるのだから有り難い。

 暫く歩くと中心地に近付いてきて、人の影もちらほら見え始めた。

 あと数分も歩くとエンベルの支部に到着するだろう。

 そんな時、不意にダンシオが言葉を発した。

「……ラグサラムの件、そんなに不安か?」

 視線は前を向いたままだ。

 クロトは少し間を置いて応える。

「安心してください。途中で逃げ出すようなことだけはしませんから」

「いや、逃げること自体は悪いことじゃない。何度も言うが今回の作戦は失敗するのは織り込み済みだからな」

 ダンシオはようやくクロトに顔を向け、笑顔を見せる。

「まあ気楽に行こう。何も気負うことはないさ」

「そう言ってもらえるとありがたいです……」

 できれば失敗せずに一度でヒトガタに勝利したいが……やはり難しいのだろうか。

 そんなことを考えていると、ダンシオは唐突にとんでもない質問を投げかけてきた。

「ところでクロト、ぶっちゃけお前、どの子が好きなんだ?」

「へ?」

「狂槍は文句なしの美人だし、モニカって学者もああ見えてスタイルがいい。ティラミスとか言うのも見た目は幼いがしっかり者だし、ジュナも普段は乱暴者だがああ見えて優しいところもある」

「何言ってるんですか……」

 そう返しつつ、クロトは先日の湖での1件のことを思い返していた。

 あれは事故だったが、彼女たちの裸を見てしまった。普段から可愛いとは思っていたが、本気で美しいと思ったのは初めてだった気がする。

 申し訳ないと思うと同時にラッキーと思っていたのも事実だ。

 まあ何だかんだで自分も男だ。劣情を抱くのもしかたのないことだろう。

 ダンシオはジュナについて語り続ける。

「ジュナのことは俺が一番良くわかってる。あいつが俺以外の男とあんなに仲良くしているのは珍しいからな、多分ジュナの奴、お前のこと気に入ってると思うぞ?」

「そうなんです?」

「そうだ。お前もジュナのことは嫌いじゃないんだろう?」

「まあ、初めて見た時はかわいい女の子だなとは思いましたけど……」

「やっぱりな。……どうだクロト、ジュナとくっついちまえよ」

「ええ……」

 予想外の言葉にクロトは狼狽してしまう。が、気を取り直して聞き返す。

「お兄さん的にはいいんですか? 大事な妹を僕なんかとくっつけてしまって」

「卑下するなよ。この4日間、施設での働きっぷりを見てきたが……お前は実にいい男だ。誠実を絵に描いたような男。しかも腕の良い上級狩人となれば見逃すわけにはいかないだろう」

「はあ……」

 褒められて悪い気はしないが、ここまでべた褒めされると何か裏があるのではないかと不安になってくる。

 そんなクロトの気も知らないでダンシオは話を続ける。

「そういえば逆も気になるな……」

「逆……ですか?」

「ああ、女共もああ見えてお前に結構好意を持ってると思うぞ」

「好意……」

 クロトは改めて女性陣の顔を思い浮かべる。

「ティラミスからは嫌というほど感じてますが、リリサやモニカ、それにジュナからは特には……」

「甘いなクロト」

 ダンシオはクロトの言葉をぶった斬り、指を左右に振る。

「俺が見た感じ、お前への好感度はジュナ、リリサ、モニカの順に高い」

 本気で言っているとは思えず、クロトはダンシオの言葉を適当に受け流す。

「適当に言ってませんかそれ……って、ティラミスは?」

「名前を上げておいてなんだが、あえはもう恋愛以前の問題だろ。主従関係というか、お前に心酔してる感じだ」

「よく分かります」

 ティラミスは例えるなら甲斐甲斐しい妹のような存在だ。

 絶対に恋愛関係には発展しない。 ……が、リリサやモニカ、ジュナに関しては発展しないと言い切れなかった。

「……でも、ジュナが一番っていうのは意外ですね」

 ダンシオの見立てにクロトは疑問を呈する。すると、ダンシオは丁寧に説明し始めた。

「ジュナは同年代の友達がいなかったからな。いつも年下の面倒を見てきた。そんなところに同年代の男が、しかも腕の立つ優男が出てきてみろ、免疫のないジュナなんてイチコロだぞ」

「それは言いすぎだと思いますけど」

「とにかくだ。お前さえ良ければジュナと交際してやってくれないか」

「……なんでそこまでくっつけようとするんです?」

 随分と積極的なダンシオの姿勢に違和感を覚え、クロトは問いかける。

 ダンシオは急に声のトーンを下げ、真剣に語り出す。

「これまで俺は兄としてあいつの面倒を見てきた。だが俺もあいつも親を失った身だ。どんなに愛情をかけてもそれは傷の舐め合いのような偽物の愛にすぎない。……あいつは本物の愛に飢えてる。だから、できるならお前が愛を与えてやってほしい」

 ダンシオの目は本気だった。

 本気だったからこそ、クロトは誠実に、そして正直にダンシオに告げることにした。

「すみませんダンシオさん、僕はカラビナに行かなくちゃならないんです。だから、ジュナと交際するのは難しいと思います」

「そうか、そうだったな……」

 ダンシオは額に手を当て、溜息をつく。表情もどこか残念そうだ。

 しかし、そんな表情を見せていたのも数秒ほどで、すぐにいつもの顔に戻った。

「この話はこれで終わりにしよう。……だが覚えておいてくれ。ジュナはおを気に入ってる。屋敷でもそれを踏まえて接してくれるとありがたい」

「……わかりました」

「すまないな」

 クロトとダンシオは話し終えると互いに前を向く。

 それからエンベルの支部に到着するまで、そう時間はかからなかった。



「――ただいま」

 行商人からフィルターを買い込み、クロトとダンシオは屋敷に戻ってきていた。

 時刻は夕刻前、夕食の準備をしている頃だ。

 今日は肉料理だろうか。玄関からでも分かるほど肉の香りが漂っていた。

 クロトとダンシオはフィルターで一杯になったバッグやリュックを玄関脇に置く。

 すると、屋敷の奥からジュナが駆け寄ってきた。

「兄貴、フィルターは無事に買えたのか?」

「ああ、バッチリだ」

「どれどれ……」

 ジュナはバッグの手前で膝をつき、ガバッと開いて中を見、実際にフィルターを手にとって観察し始める。

 数秒も観察すると満足したのか、ジュナは手に持っていたフィルターをバッグの中に丁寧に戻した。

「これだけあれば安心だな……」

 ジュナは立ち上がり、改めてクロトに体を向けた。

「ありがとなクロト、本当はオレが兄貴に付いて行く予定だったんだが……急に体長を崩した奴がいてな……離れられなかったんだ」

 ジュナは感謝と謝罪が混じったような、微妙な表情をクロトに向けていた。

「別にいいよ。そんな大変なことでもなかったし。……それよりその子は大丈夫なのかい?」

「大丈夫だ。ついさっき熱も引いて今はぐっすり眠ってる」

 ジュナの顔から不安らしきものは感じられなかった。本当に大丈夫らしい。

 だが、クロトは少し気になり、質問してしまう。

「その子って、例の毒にやられて寝込んでる子のこと……だよね?」

「ああ。ローナって娘なんだが……普段は安定してるんだけど、こうやって不定期に高熱が出るんだよ」

「そうなんだ……」

 クロトの相槌の後、補足するようにダンシオは病人について説明し始める。

「病気にかかってる子供は全員2階の東側に集めてる。どの子も症状が違っていて、面倒を見るのはけっこう大変だ。だがそのあたりは年長組が協力して介抱してくれている。おかげで俺とジュナは狩りに専念できる」

「任せてるって……それで大丈夫なのかい?」

「薬を定期的に投与しているおかげで8割は微熱程度で済んでる。余程のことがない限り大丈夫だ。……が、それでも残り2割はつきっきりで面倒を見なきゃならないレベルだ。もし薬のストックが切れたら大変なことになるだろう。……だからこそ俺は必死こいてラグサラムで狩りをして薬を買ってるってわけだ」

「……」

 まだクロトは病室に入ったことはない。

 手伝いを申し出たには申し出たのだが、その年長組に断られてしまったのだ。

 病人はナイーブだ。部外者が入ってくると環境が変化するし、何かイレギュラーが起きるのを恐れているのだろう。

「今回の作戦もそうだ。何度も言うようで悪いが、必ず成功させるぞ」

 ダンシオは最後にそう告げると、玄関から離れて屋敷の奥へ歩み始める。

 ジュナはダンシオを呼び止める。

「どこ行くんだよ兄貴、フィルターのチェックはしなくていいのか?」

「武器のメンテナンスだ。俺のは強力な分、消耗も早いし繊細だからな。……フィルターのチェックはお前に任せる」

「え、この数を!?」

 任されたジュナは早速不満を告げる。

 ダンシオはその言葉がわかっていたかのように即座にクロトに手伝いを命じる。

「流石に一人じゃキツいか……。悪いがクロト、ジュナを手伝ってやってくれ」

「わかった」

 クロトは小さく頷く。

 ダンシオはその姿を確認すると自室に向けて歩いて行く。が、何かを思い出したように振り返り、再びジュナに告げる。

「あ、ジュナ。ついでにマスクのほうの確認もしておいてくれ。バンドが切れたりでもしたら作戦どころじゃなくなるからな」

「へいへい、わかりましたよ」

 フィルターのチェック作業は余程面倒なのか、ジュナは不満そうな表情を浮かべていた。

 が、兄の命令は絶対らしい。

 ジュナはフィルターが詰まったバッグとリュックを持ち上げ、何処かへ移動し始める。

「半分持つよ」

「おう……」

 クロトは背後からリュックを取り上げ、肩に担ぐ。

 二人は並んで歩き、そのまま食堂に向かって移動し始めた。



 食堂に移動すること20分

 クロトとジュナは調理中の肉の香りを存分に感じつつ、フィルターのチェック作業を行っていた。

 このチェック作業というのは思っていたよりも面倒だった。

 まずフィルターをマスクに装着し、呼吸できるかどうか確かめる。

 続いてフィルターを観察し、穴が空いていないか、錆びたりしていないか、不具合はないかをチェックするのだ。

 1つあたり1分、合計で120個あるので二人で分担しても1時間は掛かる計算だ。

 20分は経過したので残るはあと40分だ。

 ジュナは慣れているようで、開始から無言でテキパキとチェックを行っており、クロトよりも効率よくチェックできていた。

 クロトは20個目が終わった所で一息つき、不意に隣のジュナを見る。

 よく見るとジュナはいつもと違って髪を下ろしていた。

 橙の髪は肩口でバウンドし、胸元辺りまで流れている。少し癖があり、リリサのようなさらさらな髪ではなかった。が、リリサとはまた違った魅力があるように思えた。

 服装も完璧に部屋着で、膝丈のラフなワンピースを身にまとっていた。靴もブーツではなくサンダルだ。

 作業を中断して眺めていると、不意にジュナと目があってしまった。

 ジュナはマスクを口元から外し、話しかけてくる。

「どうしたクロト、オレの顔になんか付いてるのか」

「いや、髪、結構長かったんだなあと思ってね……」

「そうか?」

 クロトの言葉を受け、ジュナは何気なく自分の髪に手櫛を入れる。

「狩りの時は邪魔になるから纏めてるんだが……この際切るのもアリかもな」

「それはやめた方がいいよ」

「どうしてだ……?」

「せっかく綺麗な橙の髪なんだ。切るなんて勿体無いよ」

 クロトは本心を告げたが、ジュナは素直に受け入れることができなかった。

「何言ってんだお前。綺麗って……冗談言ってんじゃねーよ。全く……」

「冗談で言ったつもりはないけど……」

「む……」

 ジュナは言葉に詰まる。心なしか頬も少し赤らんでいた。

 ジュナはこの話題は駄目だと早々に判断し、あからさまに話題を変えた。

「……そういやお前のところの狂槍、あれだけ伸ばしてて戦闘中に邪魔にならないのか?」

「さあ、本人に聞いてみないことにはわからないよ」

 クロトは肩をすくめる。

 と、何処からともなくリリサの声が聞こえてきた。

「……私がどうかした?」

 噂をすれば何とやらである。

 リリサは厨房奥から出てくるとクロトとジュナが作業しているテーブルの正面に座り、足を組む。

「リリサって聞こえたけど、何の話をしてたの?」

 リリサの視線はジュナに向けられていたが、その質問にはクロトが応じた。

「戦闘中に髪が邪魔にならないかって、ジュナが」

「ふぅん……」

 リリサは自分の白髪をさらりと撫で、特に考えることもなく答える。

「慣れればどうってことないわよ?」

「それでも短髪にするに越したことはないだろ……」

「そんなことないわよ」

 ジュナのしつこい言葉に、リリサは長髪の利点を述べ始める。

「この髪、意外と役に立ってるのよ。大きく動けば髪がブワッと広がるでしょ? 目眩ましにもなるし、視覚的にも獲物に対して体を大きく見せられる。それに、空気の流れみたいなのも髪を通じて感じられる。精度は低いけれど、ちょっとしたアンテナみたいな役割を果たしてるのは事実ね」

 リリサの説明にジュナは驚くというよりも若干引いていた。

「髪にそんな使い道が……流石は狂槍だな」

「人間離れしてるな……」

 クロトも同じ感想だった。

 前半はまだ納得できるとして、後半の“毛先で空気の流れを読む”のは最早獣レベルだ。

 だが、事実としてリリサは強いわけだし、嘘を言っているとも思えなかった。

「せっかく質問に答えてあげたのに心外ね……」

 二人の反応を見て、リリサは不満を漏らす。

 しかし、そんな反応には慣れっこなのか、リリサは軽く受け流して逆に質問してきた。

「で、何してるの?」

 クロトはフィルターを手に持ち、リリサに告げる。

「フィルターのチェック作業だよ。壊れてたら大変だからね」

「確かにそうね」

 リリサはクロトが差し出したフィルターを手に取り、具に観察し始める。

 かと思うと、テーブル上に置いてあったガスマスクを手繰り寄せ、チェック作業を始めた。

「……もう夕食まで時間もないし、手伝ってあげるわよ」

 このリリサの申し出は二人にとって有り難いものだった。

 人数が増えれば時間も短縮できる。

「いいの? だったらよろしく頼むよ」

「明日はこのガスマスクがなければ何もできないからね。入念にチェックしてあげるわ」

 リリサはそう言いつつマスクとフィルターの接合部分をチェックし始める。

 その後3人は順調にチェック作業を行い、夕食前までに全て終えることができた。



 夕食後、ジュナはダンシオの部屋を訪れていた。

「兄貴、フィルターのチェックもマスクのチェックも終わったぞー」

 ジュナは卓上で作業中のダンシオの背中に話しかける。

 しかし、ダンシオは全く反応を示さなかった。

「……兄貴?」

 ジュナは心配になり顔を覗き込む。

 視界にジュナが入ったことでようやく気づいたのか、ダンシオは遅れて反応する。

「……ジュナか。部屋にはいる時はノックくらいしてくれ」

「したぞ。兄貴が集中しすぎてたんじゃないのか」

「……ちょっと休憩するか」

 ダンシオは作業を一旦中断し、椅子から立ち上がるとベッドに移動する。

 そして、仰向けになって寝転がった。

 ジュナもダンシオの真似をして隣に寝転がる。

 ダンシオは特に嫌がる様子もなく、ジュナを受け入れていた。

 ジュナは寝転がったまま何気なく呟く。

「なあ兄貴」

「なんだ」

「明日、上手くいくかな……」

 ジュナの口から出たのは不安の言葉だった。

 ジュナにしては珍しい口ぶりに、ダンシオは視線を向けて告げる。

「なんだジュナ、緊張してるのか?」

「別に、緊張なんてしてねーよ。それより答えろよ。明日の作戦、上手くいくんだろうな?」

 ジュナはグイグイとダンシオに詰め寄る。

 ダンシオはジュナを避けるように起き上がり、ベッド端に腰掛けた。

 その状態でダンシオは答える。

「遺跡内部には簡単に入れるだろうな。……が、それ以降は未知の領域だ。上手くいくかどうかは神のみぞ知るって感じだな」

「はあ……兄貴の脳天気ぶりには呆れるよ……」

「……冗談だ」

 ダンシオは真顔で告げ、その後ニヤリと笑ってみせた。

 ジュナはダンシオのその顔を見て苛立ちの表情を浮かべる。

「冗談って……そんなこと言ってる場合じゃないだろ」

 ダンシオはジュナの文句を無視し、言い直す。

「今回キーを握るのはあの教団の学者さんだ。遺跡内部の探索がスムーズに行けば遺跡の主に遭遇できる確率も増す。主を倒せるかどうかは分からないが……俺の蜘蛛の糸は拘束にも使える。狂槍と連携すれば並のヒトガタなら倒せるだろう」

「じゃあ……」

「ああ、成功する可能性はかなり高いと見てる」

「よし……」

 このダンシオの言葉には満足したのか、ジュナの表情は闘気に満ちていた。

「だからジュナ、お前も退路確保の仕事、しっかりこなせよ」

「もちろん。言われなくても全力でやってやるよ」

 ジュナは寝転んだまま拳を上に突き出す。

「我ながら頼もしい妹だ……」

 ダンシオはその拳を優しく包み込むとベッドから引き上げ、部屋の出口へ案内する。

「明日に備えて今日は早めに寝るんだぞ」

「わかってるって。……じゃあな兄貴」

 ジュナはダンシオに案内されるがまま室外へ出て行く。

「ああ、しっかり寝ろよ」

 その言葉を最後に、ジュナはダンシオの部屋から姿を消した。

 ジュナがいなくなり、ダンシオは再び机に座る。

 机上には調整中の武器、蜘蛛の糸があり、ランプの光を受けて橙に輝いていた。

「遺跡の主、か……」

 ダンシオは蜘蛛の糸の調整作業に戻る。

「腕の一本や二本、覚悟しておいたほうがいいかもしれないな……」

 作業は夜遅くまで続き、ダンシオが寝床についたのは日付が変わってからだった。

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