043 信頼するということ
043
(僕が対処する、か……)
夕刻、孤児院の庭先にて
クロトは一人、自分が言った言葉を心の中で反芻していた。
あの黒衣の男、戦闘能力はかなりのものと見て間違いないだろう。ラグサラムの遺跡にいるというヒトガタもリリサ達を一瞬で死に至らしめるほど強力らしい。
クロトは今になって不安を感じていた。
もし黒衣の男の話が本当だとすれば、間違いなく全員が死んでしまう。
自分は火事場の馬鹿力で生き残れるかもしれないが、自分だけ生き残っても意味が無い。
……この旅はリリサと始めた旅だ。
例え自分一人だけの力でカラビナに到達しても、そこで記憶を取り戻したとしても、リリサの目的が果たされなければ意味が無い。
これから先、あらゆる危険が待ち構えているのだろう。
だが、今回のラグサラムの件は回避できる危険だ。むざむざ危険を冒すことはないのだ。
そう思うと、今回のラグサラム遺跡の攻略の件が無意味なように思えてきた。
果たしてこのままダンシオの言うとおりラグサラムに向かっていいものだろうか……
夕暮れを見ながら考えていると、背後からリリサの声が聞こえてきた。
「クロ、何一人で黄昏れてるのよ」
リリサはそう言ってクロトの隣に立つ。
「綺麗な夕日ね……」
クロトは隣りにいるリリサに目を向ける。
透明に近い長い白髪は夕日を受けて橙に輝いており、頭頂部から毛先にかけて綺麗なグラデーションになっていた。
長いまつげも同じく綺麗な色に染まっており、少し眩しそうにしている表情は慈愛に満ちていた。
「……」
クロトはリリサのことを美人な女性であると再認識していた。
強さと美しさを兼ね備えている女性は稀有な存在であり、貴重な存在だ。
そんな彼女を死地に赴かせるわけにはいかない。
気づくとクロトは言葉を発していた。
「リリサ、やっぱり今回のラグサラムの件からは手を引かないか?」
「今更何言ってるのよクロ」
リリサは半笑いだった。
「……今回の作戦で誰かが死んでしまうかもしれない」
しかし、この言葉で真顔になった。
顔の側面に夕日を受けつつ、クロトは続ける。
「成功すればダンシオを仲間にできるかもしれないけれど、失敗すればリリサ、君自身が死んでしまうかもしれない。……リスクが高すぎるよ」
「弱気ね。そんなに黒衣の男の言葉が気になるの?」
クロトは強く頷く。
「彼は、遺跡内部には強力なヒトガタがいると言っていた。それこそ一瞬で狩人を殺せるほど強力な……。今回はダンシオの件は諦めよう。他にも優秀な狩人は大勢いるし、スカウトも難しくないはずだよ」
クロトは必死に訴える。
その訴えが届いたのか、リリサは目を閉じて首を縦に振った。
「そうね。わかったわ」
しかし、リリサの表情は険しいままだった。
リリサはクロトを睨みつつ、門外を指差す。
「クロ、表出なさい」
「……え?」
「その腐った根性、叩きなおしてあげる」
リリサはそう言うと荷台に歩み寄り、中から螺旋の長槍と黒刀を取り出す。
そして、門から外へ出て行ってしまった。
(リリサ……?)
一体何をするつもりなのか。
不思議に思いつつもクロトは後を追う。
……門を出るとリリサは道路の上で仁王立ちしていた。
周囲には何もない。あるのは硬い砂の地面だけだ。
その地面、リリサの正面には黒刀が突き刺さっていた。
リリサは螺旋の長槍を肩に担いでおり、闘気に満ち溢れていた。
「武器を取りなさい。久々に稽古つけてあげるわ」
「稽古って……」
「いいから武器を取りなさい!!」
「……」
問答無用の命令に、クロトはしぶしぶ従う。
門を出てリリサに接近し、黒刀を地面から引き抜く。
と、同時に前方から殺気が発せられた。
「!?」
クロトは慌てて視線を前に向ける。
そこには螺旋の長槍の穂先をこちらの頭部に向け、突進してきているリリサの姿があった。
クロトは反射的に黒刀を前に構える。やがて穂先はクロトの元に到達し、クロトは黒刀の側面で槍の軌道を左に逸らした。
「やるじゃない」
リリサはニヤリと笑ったかと思うと、即座に長槍を引っ込めて再度クロトの頭部めがけて突き出す。
クロトはまたしても黒刀でそれを受け流す。長槍はクロトの頭上を抜けて穂先を天に向ける。
クロトはその隙にしゃがみ込み、腿に力を込めると一気に背後に跳んだ。
「なんのつもりだリリサ!?」
「稽古って言ったでしょ!!」
リリサは再度槍を構え、問答無用でクロトに襲いかかる。
クロトも流石に対応せざるを得なかったのか、とうとう反撃に出た。
クロトは真正面から放たれたリリサの突きを右前方に飛び込むことで回避し、そのまま黒刀でリリサに斬りかかる。
が、本気で斬りかかるわけにもいかず、クロトはギリギリで威力を殺す。
リリサはその斬撃を長い柄で受け止め、弾き飛ばした。
「本気で来なさい!!」
リリサはクロトが手を抜いていることを見抜いていた。
弾き飛ばされたクロトは体勢を崩し、地面に転がってしまう。しかし即座に跳ね起きて黒刀の切っ先をリリサに向けた。
「さっきの攻撃……稽古の域を超えてると思うんだけれど!?」
「安心しなさい、死にはしないわ!!」
リリサは攻撃の手を緩めない。
クロトに対して連続で突きを放ち、どんどん追い詰めていく。
クロトは黒刀で穂先を捌いたり回避したりと大変な状態にあった。とてもじゃないが反撃できるような隙はなかった。
怒涛の槍の連撃……
この一突き一突きが鉄板をも貫く威力を持っているのだから怖ろしい。
クロトは回避と防御を組み合わせつつこの連撃を凌ぎ、どうにかしてこの状況から脱せないか必死で考える。
しかし、余計なことを考えていたのがいけなった。
ついにリリサの長槍がクロトの頬を掠め、赤い血が勢い良く後方に散った。
血は結構な量で、黄土の地面にくっきりと赤が残るほどだった。
「ッ!!」
ダメージを受け、無意識のうちにクロトは反撃に転じていた。
クロトは守りの態勢から攻めの態勢に移行し、槍の連撃に合わせるように黒刀を振るう。
先程まで大人しめだった剣戟の音が大きくなり、二人の動作も派手に、そして激しくなっていく。
クロトは槍の連撃を全て斬撃で相殺しており、お互いに一秒間に5撃以上のやり取りを行っていた。
そのスピードは更に上昇していき、残像が生じ始める。
……が、決着の時は唐突に訪れた。
「リリサッ!!」
クロトは槍を渾身の力で外側に弾き、刃を柄に沿うように滑らせてリリサの手元を狙い、黒刀を振りぬいた。
しかし、黒刀を振りぬいた先にリリサの手は存在しなかった。
「甘いわね」
リリサはとっさの判断で槍から手を放していたのだ。
黒刀は何もない空間を切り裂き、勢い余って地面に突き刺さる。
リリサは宙に浮いていた槍を再び手に取ると、柄の部分でクロトの首根っこを押さえこみ、地面に押し倒した。
クロトは地面にうつ伏せに押し付けられ、行動不能になってしまった。
……勝負は決した。
「ふう……」
クロトは即座に目を閉じて溜息を付き、昂ぶっていた闘志を抑える。
クロトの体から力が抜け、不穏な空気も綺麗に消え去った。
しかし、リリサはクロトの上にのしかかったまま、離れようとしなかった。
リリサはクロトの耳元で告げる。
「クロト、私を信じなさい」
その声からは全くと言っていいほど闘志は感じられなかった。むしろ優しさで満ちていた。
リリサはそのままゆっくりとクロトに告げる。
「私は絶対に死なないし、モニカもティラミスも、そしてあんたも絶対死なせない。ダンシオも言ってたけど、危なくなったらちゃんと撤退するつもりよ。命を捨てるような戦いをするつもりは毛頭ないわ」
リリサは押さえつけるのを止め、クロトの頭に手をのせる。
「あんたが心配してくれてるのはよくわかってる。みんなもその気持ちに気づいているし、感謝してると思ってる」
リリサはポンポンと頭をたたき、立ち上がってクロトから離れる。
「弱気になることは悪いことじゃない。でもせめて仲間は信用してあげなさい」
「……」
拘束から解放されたクロトは立ち上がる。
リリサは槍を肩に担ぎ、まっすぐクロトを見ていた。
「私は一切手を抜かなかった。それでもクロ、あんたはここまで耐えぬいた。あんたの狩人としての素質は本物よ。成長スピードも恐ろしほど早い。半年後にはあんたが勝ってるかもしれない」
リリサは拳を前に突き出し、クロトの胸元を小突く。
「自信を持ちなさい、クロ。あんたはこんな所で死ぬような狩人じゃないわ」
そして満面の笑顔をクロトに見せた。
「もちろん、私もね」
「ああ、そうだね……」
クロトはリリサの不器用な気遣いに感謝していた。
リリサはクロトの返事に満足し、槍を担いだまま屋敷の方へ戻っていった。
クロトはその背中を眺めつつ、考える。
……この稽古のおかげで少しだけ不安が紛れたような気がする。
しかし、根本的な問題は全く解決していなかった。
それはリリサがヒトガタの恐ろしさをまるでわかってないということだった。
ヒトガタはリリサが思っている以上に凶悪な存在だ。ケナンの時は自分が火事場の馬鹿力で対処したから勝てたが、もし自分がいなければ間違いなくリリサは殺されていた。
ラグサラムの遺跡にはヒトガタがいる。
ダンシオとリリサだけでは到底対処できないし、逃げる隙も与えてくれないに違いない。
ならばどうするか。
(僕がやるしかない……よね)
……決心はついた。
僕は逃げない。ラグサラムの作戦にも参加する。
そしてその上でみんなを守る。誰も死なせはしない。
あの火事場の馬鹿力さえあれば、どんな敵だって怖くない。
その為にはあの力をいつでも引き出せるよう、訓練をしておいたほうがいいかもしれない。
(……僕が守ってみせる)
そんな思いを胸に、拳を強く握りしめるクロトだった。




