041 過去を知る男
041
狭いベッドで一夜を過ごし、朝
クロトは孤児院から出て、朝日を浴びていた。
まだ日は昇りきっていないというのに結構暑い。
クロトは散歩がてら孤児院の周りを歩いてみる。
すると、裏手に珍しい物を発見した。
「畑だ……」
孤児院の裏庭にはサッカーコートの半分くらいの広さの畑が広がっていた。
基本的に緑でいっぱいだったが、様々な種類の野菜を育てているようで、トマトの赤やトウモロコシの黄色なども混ざっていた。
畑の前で突っ立っていると、不意に声を掛けられた。
「なかなか立派な畑だろう?」
自慢気な声とともに横から現れたのはダンシオだった。
ダンシオは麦わら帽にツナギを着ており、手には桑を持っている。狩人らしさの欠片もなかった。
ダンシオは畑に視線を向ける。
「自給自足とまではいかないが、この畑のおかげで結構食費が浮いている。子どもたちも楽しんで育てているようだし、一石二鳥だ」
「そうなんですか……」
クロトは畑を見てアイバールの村にいた頃を思い出していた。
あの頃育てていたのはトウモロコシやじゃがいもだけだったので、この畑には少し興味がある。
「作業、手伝ってもいいですか?」
「ああ、クロトさえよければ……」
「――ダメだ」
クロトとダンシオの会話に割り込んできたのはジュナだった。
ジュナはダンシオとは違って戦闘服に身を包んでいた。
が、流石に暑いのか、ジャケットは前が開いており、下も短めのスカートしか履いていなかった。
グローブとブーツはしっかりしたものを装備しているが、それ以外は普段着とそう変わらなかった。
「何だジュナ、別にいいじゃないか」
「せっかく狩人がいるんだ。農作業なんてやらせてちゃ勿体無いだろ」
ジュナは強引にクロトの手を引っ張る。
「オレ達は狩人だ。狩りに行くぞ」
「狩りって……ラグサラムに?」
「違う違う。西の高原の方だ。あっちのディードを狩って猟友会に持って行って換金してもらう。その金でパンを買う」
「なるほど……」
何も狩場はラグサラムだけじゃない。街を出ればディードはそこら中にいるのだ。
ジュナの言うとおり、畑仕事をするよりもディードを狩ったほうが効率がいいのは間違いない。
クロトはジュナの言葉に従うことにした。
「わかった。狩りに付き合うよ」
「当たり前だ」
ジュナはきつめに言うと、ダンシオに告げる。
「兄貴、クロトと一緒に高原に行ってくるから留守番よろしくな」
「あまり無理するんじゃないぞ」
「わかってるよ」
その後二人は武器を手に取り、西の高原へ向かうこととなった。
孤児院を出てから40分
クロトとジュナの二人は西の高原……ルシャン高原を訪れていた。
高原と言っても二人がいる場所はまだ山の麓あたりで、なだらかな丘陵地帯だった。
視界は良く、黄土の硬めの地面には所々緑の草が生えていた。
話によればもうこの辺はディードの縄張りらしいが、まだそれらしい気配は感じられない。
クロトは気を紛らわせる意味も込めてジュナに話しかける。
「ジュナは、その、辛くないのかい?」
「孤児院のことか? 辛いことなんてない。みんな家族だからな」
ジュナは黒の大鎌を軽く振り回しながら会話に応じる。
「一番大変なのは兄貴だ。ほぼ毎日ラグサラムで狩りをして、みんなが生活できるだけのお金を稼いでる。ひとりひとりの面倒もみてるし、あんなんじゃいつか体を壊すに決まってる」
「だろうね……」
「だからオレは上級狩人になった。少しでも兄貴の負担を減らすようにな」
ジュナは大鎌の切っ先を前方に向け、ため息混じりに語る。
「……今も報奨金目当てにラグサラムに挑戦してるけど、本当はやめて欲しい」
ジュナの意外な本心を耳にし、クロトは思わず聞き返す。
「どうして?」
「このまま狩人業を続けても何とか孤児院はやっていけるし、もし兄貴に何かあったらそれこそ一巻の終わりだ。みんな路頭に迷っちまう……」
「……」
ジュナの考えは正しいように思えた。
しかし、ジュナは首を大きく左右に振り、自分の考えを即座に否定する。
「いや……兄貴はもっと先を見据えてる。兄貴の考えに間違いはない。オレは兄貴を全力でサポートすればいいだけだ。そうだよな?」
「ダンシオさんも勝算があるから遺跡攻略に力を入れてるんだと思う。だから、全力でサポートするっていうジュナの考えは合ってると思うよ」
クロトに意見を肯定され、ジュナは満足気に頷く。
そして、ジュナはクロトの背中をばしばしと叩く。
「お前も、協力する以上は全力で戦えよ」
「もちろんそのつもりだよ」
……まだディードの影は見えない。
クロトは少し話題を変える。
「仕事を終えたとして……ダンシオさんは本当にカラビナへの旅に付いてきてくれるんだろうか……」
「兄貴は約束をやぶるような男じゃねーよ」
「でも、ダンシオさんがいなくなったら孤児院のみんなが困るんじゃ……」
ジュナはクロトの言葉に対し、自らの胸元をどんと叩く。
「ここにはオレがいる。上級狩人の資格もあるし、教団からの報奨金があれば今よりもっと良い生活を子どもたちに送らせてやれるはずだ。兄貴がいなくなってもオレが支える
。……だから、お前は変な心配しないで目の前の敵をぶった斬ることだけ考えてろ」
「わかったよ」
なかなか、どうして逞しい兄妹だ。
ジュナも何だかんだでリーダーの素質はあるし、孤児院でも上手くみんなをまとめ上げることができるだろう。
そんなことを話していると、不意にジュナが右前方を指差した。
「あ、ディードだ」
「どこ?」
クロトはジュナの指差した方向に目を向ける。が、黒い影は見当たらなかった。
「分からねーならそれでいい。この辺りのディードは雑魚ばっかだから別れて狩ろうぜ」
ジュナはクロトを無視して走りだす。
その後あっという間に丘を越え、姿が見えなくなってしまった。
「大丈夫かなあ……」
まあ、ジュナがああ言っていることだし、特に心配することもないだろう。
一人になったクロトはジュナとは別方向に向けて歩き出す。
しばらく歩くと無数の岩が転がっているエリアに差し掛かった。
岩はどれも1mくらいのサイズで、腰掛けるにはちょうどいい大きさだった。
一旦座って休憩でも取ろうか。
そんなことを考えていると、不意に視界の隅に黒い影が写り込んだ。
「!!」
クロトは慌ててその影に体の正面を向ける。
クロトの視界の先には間違いなく黒い影が……岩に腰掛けている黒い人影がいた。
(人間……いや、ヒトガタ……!?)
クロトは混乱しつつも黒刀を抜き、臨戦態勢に入る。
黒い人影まで距離にして20m
こちらが気づいたということはあちらも気づいているはず。
その考えはあたっていた。
「よう」
言葉を発したのは黒い人影だった。
ここで改めてクロトは人影の姿を観察する。人影は全身真っ黒だったが体が黒いというわけではなく、黒いロングコートに黒いズボン、そして顔を覆い隠すほど大きなフードをかぶっていた。
クロトはその姿に見覚えがあった。
「お前は……!!」
この男は以前ケナンの安宿に泊まっていた時に部屋に侵入してきた、正体不明の男だ。
あの時、クロトはこの男から「軌道エレベーターに近づくな」と警告されたのだ。
あれからずっと気になっていたが、まさか2度会うことになろうとは思ってもいなかった。
黒いコートを纏った男は足を組み、クロトに告げる。
「そう警戒するなよ。敵意がないのは分かるだろ」
「……」
続けて男は黒い手袋をつけた両手のひらを上に向け、何も持っていないことをアピールする。
それでもクロトは黒刀から手を離すことはなく、むしろ強く握り直した。
黒コートの男はやれやれと言った感じで溜息をつき、話を続ける。
「構えたままでいい。話を聞いてくれ」
「話?」
「そうだ」
黒コートの男は岩から立ち上がり、クロトに歩み寄っていく。
「事情は全て把握してる。4日後にラグサラムに……その奥の遺跡に向かうつもりらしいな」
「それがどうした」
黒コートの男はクロトの5m手前で止まり、告げる。
「その遺跡には近づくな」
「また“近づくな”か……」
「そうだ。あの施設……いや、遺跡にはお前たちが俗称してる“ヒトガタ”が棲んでいる。そのヒトガタはとても強力でな……お前はともかく、お前の仲間程度なら一瞬で殺せる能力を持ってる」
「……」
クロトは黒刀を納め、問いかける。
「どうしてそんな情報を僕に伝えるんだ? カラビナに向かわせたくないなら、ラグサラムの遺跡で全滅させたほうがそっちに取って都合がいいんじゃないのか?」
黒コートの男はフードの上から頭を掻く。
「あー……問題はお前なんだ」
「僕が……?」
「もし攻撃を受けた場合、お前は自衛のために“あの力”を使うことになる。それだけは避けたい」
「!!」
あの力、とはベックルンの山でキマイラを倒した時の力、ケナンでヒトガタを倒した時の力……あの火事場の馬鹿力のことだろう。
どうしてこの男があの不思議な力のことを知っているのか……答えは明白だった。
「君は……記憶を失う前の僕のことを知っているのか?」
クロトは一歩踏み出し、黒コートの男に問いかける。
「……」
しかし、黒コートの男は何も答えない。
クロトはもう二歩前に出て、必死に問い続ける。
「僕は一体何者なんだ? 教えてくれ!!」
二人の距離は既に2mを切っていた。
危険を顧みないクロトの問いかけに、黒コートの男はしぶしぶ応じる。
しかし、それはクロトが求めた答えではなかった。
「教えられない。何がきっかけで記憶が戻るかわからないからな」
「記憶が戻ると何か不都合でも?」
「ああ。記憶を取り戻したら多分……いや、絶対にお前は死ぬことになる」
「!!」
衝撃の事実にクロトは一瞬言葉を失ってしまう。
しかし、黒コートの男の言葉に対抗するようにクロトは自分の記憶について語り出す。
「……僕は日本人だということを覚えている。3人、仲がいい友達もいたことも覚えている。戦闘機乗りを目指していて、恋人がいたことも思い出した。……これからももっと思い出していくと思う。でも、それで死ぬようなことになるとは思えない」
「……まだそこまでしか思い出せてないのか。なら安心だな」
黒コートの男はクロトから離れ、近くにあった岩に腰掛ける。
「とりあえず今は平穏な日々を過ごせ。狩人なんて馬鹿なことはやめて、時が来るまでどこかの田舎で静かに暮らせ。それがお前のためだ」
「時が来るまで……?」
「時が来れば、お前が死ぬ危険はなくなる。記憶も自然と取り戻す。……それまでは大人しくしていろと言ってるんだ」
「信じられないよ」
「そうか……」
黒コートの男は額に手を当て、悩ましげに首を左右に振る。
本当にこの人に敵意はないようだ。
気づくとクロトは再び彼に問いかけていた。
「……質問してもいいかい」
黒コートの男は顔を上げ、応じる。
「どうぞ」
「君は……敵なのか?」
これまで淀みなく回答していた彼だったが、言葉に詰まる。
少しの沈黙の後、黒コートの男は投げやりに答えた。
「……さあな、自分で考えな」
そう言うと黒コートの男は前回と同じくふわりと浮かび上がり、宙を舞う。
「いいか、ラグサラムには関わるな。後悔することになる。……警告したからな」
そして、その言葉を最後に一気に天向けて飛び去っていってしまった。
彼がいなくなり、クロトは岩に腰掛ける。
(何者なんだ……)
彼は僕のことを知っている。そして敵意もない。だが、味方でもない。
まったくもって謎である。
岩に座ったまま暫く考え込んでいると、遠くからジュナの声が聞こえてきた。
「クロトー!! サボってんじゃねーよ!!」
クロトは声がした方に目を向ける。
ジュナは何かを仕留めたのか、黒に染まったズタ袋を引き摺っていた。
かなり重そうだ。運ぶのを手伝うことにしよう。
「今行く!!」
クロトはそう返事し、ジュナのもとに向かうことにした。




