036 首都セントレア
036
「おー、高い……」
首都セントレア、南エリア
ここは港に面していることもあってか、ドックはもちろんのこと、工場らしき大きな建物が軒を連ねている。
港には数えきれないほどの帆船が停泊しており、荷降ろしと荷積み作業が絶え間なく行われていた。
クロトは、そんな様子を港の端にそびえ立つ灯台の上から眺めていた。
北側に目を向ければ首都セントレアが一望できる。
広大な平地が円状の城壁に囲まれ、中には無数の建物がひしめき合っている。
その中央にあるのがカミラ教団の円錐状の塔だ。
高さもかなりあり、結構目立つ。
あそこからの眺めの方がいいのだろうが、そもそも登れるかどうかすら分からない。
その隣には猟友会本部の敷地が見えた。
上級狩人試験を受けた第三演習場もはっきりと見える。
今は生徒が訓練をしているのか、小さな点がせわしなく動く様子を確認できた。
この都市には城壁はあるが、城らしき建物はない。実質的な統治者はカミラ教団であり、彼らが政治を取り仕切っている。その手法も遺跡から発掘された本を元にして行われているらしい。
詳しい話は分からないが、上手く経済活動を行え、豊かな生活ができているのなら問題無いだろう。
クロトはセントレアから目をそらし、南側に……海側に目を向ける。
海側には何もなかった。
見えるものといえば海、空、雲、水平線くらいなものである。
まだ昼間とあって、海も空も太陽の光を受けて綺麗な青色を発していた。
……綺麗な青だ。
あの青の中に海棲ディードという真黒な怪物が潜んでいるとは到底思えない。
一人灯台の上で黄昏れていると、階段を登る足音が聞こえてきた。
金属製の螺旋階段とあって、よく音が響く。
……それにしてもこんな場所に何の用だろうか。
自分は純粋に街を高いところから眺めたいという理由で登ってきたが……同じ理由だろうか。
そんなことを考えている間にも足音は大きくなっていき、とうとう展望台に到達した。
クロトは失礼と思いつつも階段に視線を向ける。
そこにはどことなく暗い雰囲気を漂わせている少女が立っていた。
口元まで覆い隠す襟高のコート。紫のショートヘアーにグレーの瞳。三白眼の周囲には濃い隈がある。
クロトはこの少女のことをよく知っていた。
「モニカ……さん?」
名を呼ぶと、モニカはビクリと体を震わせ、恐る恐るこちらに振り向く。
声を掛けた人物がクロトだと分かると、モニカは安堵したのか、深く溜息をついた。
「あなたでしたか……。驚きました」
モニカは狭い展望台の上、手すりをしっかりと握りながらクロトの元に近づいていく。
「こんな場所にいるなんて思いもしませんでした。……旅の準備は大丈夫なんです?」
「ああ、食料も積んだし、武器のメンテナンスも終わったし、馬の手配も済んだし、完璧だよ」
「出発は明日の朝、でしたよね?」
「そうだよ。……あ、リリサが今晩は出発前の晩餐をするっていってたから、モニカも忘れないで宿に来てよ?」
「はい。……ところで、どうしてこんな場所に?」
唐突な質問に、クロトは少し遅れて応じる。
「えーと……上から見る景色は綺麗だろうなと思って来てみたんだけれど……予想通り壮観だったよ」
「そうですか」
「そういうモニカさんは?」
「“モニカ”で構いませんよ」
モニカは前置きすると視線をセントレアに向け、沈んだ口調で答える。
「……これから長い旅になります。多分暫くはここに戻れません。なので、見納めておきたいと思いまして」
「なるほど……」
彼女も教団の意向で旅に同行することとなった。色々と思うところがあるのだろう。
正直、カラビナに向けての旅はかなり厳しい旅になる。銃を持っているとはいえ、いつ命を落とすかもしれないのだ。
クロトは緊張を和らげてあげるべく、話題を変えることにした。
「そういえば、こうやって二人きりで話すのは初めてだね」
「そうですね……」
モニカはそう言ったまま暫くセントレアを眺めていたが、不意に視線をクロトに戻した。
「……偶然とはいえせっかく会えたことですし、この後少しだけ付き合ってもらっても構いませんか?」
「付き合う?」
「はい。夕刻までまだ時間はあります。カミラ教団本部の私の研究室でお茶を飲みながらお話でもしませんか?」
まさかモニカから誘われるとは思ってもおらず、クロトは狼狽えつつも首を縦に振る。
「うん、別に構わないけど……」
「それじゃ、行きましょう」
モニカは手すりから手を離すと両手でクロトの腕を掴み、階段へと向かって歩き出す。
意外と積極的だなあと思いつつ、クロトはモニカの後に付いて行くことにした。
モニカの研究室
クロトは丸椅子に座って部屋を眺めていた。
室内はそこそこ広く、整理されている。中央には広い作業台のようなものがあり、そこには例のライフル銃が鎮座していた。
今は調整中らしく、所々パーツが外されていた。
テーブル隅にはディードの血から作られるという弾丸が規則正しく並べられており、その数は200か300といった所だった。
他には本棚が数台、そして何故かルームランナーらしき器具やダンベルが部屋の隅に転がっていた。
彼女、運動とは縁遠そうな雰囲気な少女だが……以外にスポーツマンなのかもしれない。
そんなことを考えていると入口のドアが開き、トレイ片手にモニカが室内に入ってきた。
「お待たせしました。こちら、飲み物です」
モニカはクロトの前まで来ると、少しかがんでコップを手渡す。
クロトは「どうも」と受け取り、中を覗き込む。
そこには黒い液体が入っており、独特の苦い匂いが鼻腔に届いた。
懐かしい匂いに、クロトは思わずため息を漏らす。
「はあ……コーヒーか。懐かしいなあ……」
「やっぱり知っていましたね……」
モニカはトレイを作業台の上に置き、自身も作業台の縁に腰掛ける。
「知っていたって……何を?」
「コーヒーのことです。コーヒーは教団内ではよく飲まれていますが、それ以外では出回っていません。それをあなたが知っているのはどう考えても理屈に合いません」
モニカは作業台の上の銃に視線を向け、続ける。
「あの射出武器のことも“銃”という名で呼んでいましたし、そして何より、あなたは特殊な言語でティラミスちゃんと会話もできると聞いています。……あなたは一体何者なんですか?」
「……それは僕も知りたいよ」
クロトは短く応え、コーヒーを啜る。
そんな適当な態度が気に食わなかったのか、モニカは口調を強める。
「真面目に答えてください」
モニカは真剣に僕という存在について疑問を持っているようだ。
これから先一緒に旅をするのだし、ここは真面目に答えておこう。
クロトは視線をコーヒーからモニカに向ける。
「僕には日本という国で暮らした記憶がある。そこはこの世界とは似ても似つかない世界で、文明レベルも技術レベルも数段上だった。……でも詳しいことは思い出せないんだ」
日本人だということは覚えている。高校に通っていたこと、仲のよい友達が3人いたことも夢がきっかけで思い出した。が、それ以外のことは分からない。
事実、コーヒーのことも香りを嗅いで思いだしたくらいだ。
モニカはトレイから自分のコーヒーを取り、両手に持ったまま話す。
「“数段上”、ですか……あなたからは、遺跡を調査するよりも多くの有益な情報が得られる気がします」
「かもしれないね。……僕自身も自分のことを知りたいし、そういう意味では協力は惜しまないよ?」
「有り難いお言葉です……」
モニカは作業台から離れ、クロトの正面に移動する。
「……私は生涯をかけてでもこの世界の謎を解き明かしたいと考えています。そしてクロトさん、あなたは教団が知り得ない知識を知っている。ティラミスちゃんと同じく特別な存在であることは間違いありません。……その上であなたに質問します」
一呼吸置き、モニカは早速情報収集を始める。
「クロトさん、あなたはディードについてどう思われますか?」
「ディード……」
黒い魔物。自分のいた世界には存在しない化物。
クロトはこれまで倒してきた数々のディードの事を思い出しつつ、正直に述べる。
「ディードは……この世界にとってかなり厄介な存在だよね。奴らがいなければ人はもっと生活圏を広げられるし、もっと繁栄できたと思う」
「確かにそうですね。……ですが、私が着目しているのはディードの存在そのものについてです」
モニカはクロトの正面から移動し、隣の丸椅子に腰掛ける。
「ディードは明らかに我々と異なる存在。自然の摂理から逸脱した存在です。……私は、彼らは何者かによって生み出されているのだと考えています」
……大胆な発想だ。
だが、クロトはその考えが当たらずといえども遠からずだと思っていた。
「確かに、あの真黒の怪物が自然に発生したとは考えにくい。明らかに生態系を無視してるし……何者かが造ったという話もあながち間違いではないかもね」
「クロトさんもそう思いますか」
同意してくれたのが嬉しかったのか、モニカの言葉は若干興奮気味だった。
「うん、そこまで考えているとなると、創造主についても何か心当たりがあるんじゃないかい?」
「はい、実は……」
「――バーリストレーム研究員」
会話が弾みだしたところで、横槍が入ってきた。
入り口から発せられたその声は男性のもので、入り口には短いくせ毛に精悍な顔つきをした壮年の男が立っていた。
「エヴァーハルト主任……」
主任と呼ばれた男は入り口から一歩も動かず言葉を浴びせ続ける。
「部外者に妄想を吹き込むのはやめたまえ」
「ただの私見です。カミラ教団では個々の思想は強制されていないはずです。私が何をどう解釈しようとも文句を言われる筋合いは……」
張り合うモニカを主任は手のひらで制する。
「わかったわかった。……が、誇大妄想に取り憑かれて発掘調査が疎かにならないように気をつけたまえよ」
「もちろんです」
「……」
エヴァーハルトはモニカとクロトを少しの間見ていたかと思うと、スッと入り口から姿を消した。
緊張が解け、モニカは重い溜息をつく。
これ以上ディードについて話しているとまた彼の邪魔が入るかもしれない。
おしゃべりはこの辺で終わりにしておこう。
そう判断したクロトは丸椅子から立ち上がる。
「……とりあえず今日はこのくらいにしておこう。晩餐の時間に間に合わなくなってしまうからね」
「でも……」
モニカはまだ語り足りないようで、不満気な目をクロトに向けていた。
クロトはモニカの肩をぽんと叩く。
「ディードについて話す機会はこれからいくらでもあるよ。さ、早く宿に帰ろう」
「……そうですね」
モニカは何とか納得したのか、クロトの言葉を了承した。
その後二人は無言でコーヒーを飲み干し、教団を後にした。
翌朝
太陽が東の地平線から顔を覗かせた頃
クロト一行は馬車に乗り、セントレアの西門を潜っていた。
路面は石畳から禄に舗装されていない街道となり、門を境に馬車は振動し始める。
その振動をきっかけにしてか、馬車内のリリサから声が上がった。
「セントレアともいよいよおさらばね」
これから先はふかふかのベッドも豪華な食事もない。
昨日の晩餐会では腹がはち切れるまで旨い料理を食べたので食欲は暫くは持ちそうだが、ベッドで眠れないのは結構辛い。
一応寝袋はいいものを買ったが、ベッドに優るとは思えない。
「はぁ……」
クロトはこの先の旅を憂いてか、溜息をつく。
その溜息に反応したのはティラミスだった。
「駄目ですよクロト様、溜息をする度に幸せは逃げていくんです」
「誰から聞いたんだい? そんな話……」
「本に書いてありました」
ティラミスはにこりと笑い、自慢気に分厚い本をクロトに見せつける。
出発して間もないというのに早速読書にふけっているようだ。
馬車の中には結構な量の本があるが、エンベルに到着する頃には全て読破していそうだ。
御者台から荷台を見ていると、モニカの姿も目に入った。
彼女はカップを両手で挟みこむように持っており、中に入っている黒い液体……コーヒーをすすっていた。
「やっぱり朝はこれに限りますね。皆さんもいかがです?」
「いらない」
「遠慮しておきます……」
リリサとティラミスに断られ、モニカはクロトにも声をかける。
「クロトさんはどうです?」
「……じゃ、一杯もらおうかな」
「はい、ちょっと待っててくださいね」
クロトの答えを聞くやいなや、モニカはすぐにカップにコーヒーを注ぎ、荷台の中を移動して御者台に座るクロトに近づいていく。
やがて御者台に身を乗り出し、モニカはクロトにカップを手渡した。
「どうぞ」
「どうも」
クロトはコーヒーを受け取りつつ、改めて荷台の中を見渡す。
……現在、クロトは御者台に座って馬を操り、幌付きの荷台では女性陣が悠々自適に過ごしている状態だ。
リリサは後頭部で手を組んで寝転がっており
ティラミスは隅でお尻をついて座り、読書にふけっており
モニカは食料品などの荷物に背を預けてティータイムを楽しんでいる。
女子に囲まれて旅行ができるなんて男にとっては嬉しいことのはずなのに、何故かクロトは素直に喜べないでいた。
「……」
クロトは手綱を片手にコーヒーを飲む。
コーヒーはぬるく、飲むのには適度な温度だった。
(ミソラ、元気でやってるだろうか……)
クロトは不意にアイバールの高原に住んでいる金髪の少女のことを思い出す。
親父さんも酒を控えてくれているだろうか。
旅が終われば、全てを思い出したら、全てが終われば、また彼らに会いに行こう。
……エンベルまで2週間
何事も無く無事に旅ができればいいな、とクロトは思っていた。




