035 鍛冶場
035
朝、太陽が昇って暫く、街を包む空気が暖かくなってきた頃
クロトは都市のほぼ中央に位置する猟友会本部の中にいた。
「では、ここにサインをお願いします」
「はい」
クロトは現在、ずらりと並ぶカウンターの一郭で女性職員と向い合って座っていた。
二人の間には一枚の書類があり、そこには馬車の手配に関する内容が綴られていた。
クロトはその書類の下部に署名をし、ペンを置く。
女性職員は改めて書類を精査し、浅く頷いた。
「――はい、手続きはこれで完了いたしました」
「ふう……」
20分位かかっただろうか。
手続きは意外にも面倒だった。もっと簡単に出できるかとおもっていたのだが……。
まあ、それだけこの猟友会という組織がしっかりと運営されているという証拠だろう。
女性職員は複数の書類を纏めながら最終確認をする。
「確認させていただきます。馬車の手配は明日の朝、場所は中央区の宿屋ミゲルの玄関前でよろしいですね?」
「間違いないです」
エンベルへの出発は明日だ。
もう少しセントレアを観光したいところだが、のんびりしている暇もない。
女性職員は書類を捲り、続ける。
「手配と同時に古い馬車の回収も行いますので、そちらの準備もお願いします」
「はい、わかりました」
クロトが了承すると、女性職員は書類を脇に抱えて一歩下がる。
「こちらからは以上です。よい旅を……」
そして、深々と頭を下げた。
クロトも慌てて会釈を返す。
「こちらこそどうも……」
旅の準備はこれで全て完了だ。
クロトは会釈を終えるとカウンターから離れ、建物を出る。
そして、宿に帰るべく歩き出した。
……それにしても猟友会は便利な組織だ。
移動手段である馬車を用意してくれるだけで有り難いのに、古い馬車まで引き取ってくれるとは……至れり尽くせりである。
狩人の資格があれば本部でも支部でも食事は無料で食べられるし、同じく無料で宿泊することも出来る。
今はティラミスの関係で民宿に泊まっているが、猟友会という後ろ盾があるだけで安心して旅ができるのは事実だ。
この調子でバックアップを受けつつカラビナに向かおうではないか。
しかし、カラビナに向かうには戦力が足りない。
ということで、まずはエンベルに向かい、そこでダンシオ・アルキメルという狩人と接触する予定だ。
雇えるかどうかは交渉術と金次第だが……まあ、今から悩むこともないだろう。
とりあえず今日は部屋でゆっくりくつろぐことにしよう。
ティラミスとトランプでもして遊んでもいいかもしれない。
そんなことを考えていると、いきなり何者かに左腕を掴まれた。
「!!」
いきなりの接触に驚き、クロトは左を見る。
そこには白い長髪に琥珀の瞳が美しい槍使い、リリサの姿があった。
「え……リリサ?」
「……行くわよクロ」
リリサは腕を掴むと宿ではなく別方向に進み始める。
「どこに行くんだい?」
「鍛冶場よ」
そう言うとリリサはクロトの腰に手を伸ばし、黒刀を奪い取る。
そして、鞘から刀を抜いた。
道でいきなり抜刀したせいか、道行く人々はこちらを避けるように歩く。
リリサは周りの目も気にしないで黒刀を観察し、クロトに告げる。
「やっぱりね……。試験の時に無茶でもしたんでしょ? 柄がボロボロ、留め具もガタガタになってるわよ」
リリサに指摘され、クロトは改めて黒刀を見る。
確かに、柄には細かい亀裂が入っており、留め具もズレていた。
「忘れてた……」
生まれてこの方武器なんてものは持っていなかったので、メンテナンスのことをすっかり失念していた。
一応血をふき取ったりはしているが、研いだりしたことは一度もない。
しなくてもこの切れ味を保っているのだから、如何に黒刀が優れた武器であるかが分かる。
リリサは黒刀を鞘に納めるとクロトに投げ返す。
「戦闘中に壊れでもしたらシャレにならないわ。鍛冶屋で修理してもらって、ついでにスペアの武器も一振りくらい買っておきましょ」
「わかった」
リリサの言うことに間違いはない。
それに、鍛冶屋にも興味がある。もしかするとこの黒刀以上に自分にあった武器があるかもしれない。
リリサも鍛冶屋に用事があるようで、背中に螺旋の長槍を背負っていた。
「リリサも槍の修理を?」
「ん、修理というかメンテナンスしてもらうだけよ。セントレアに来たら必ず鍛冶屋に寄ることにしてるの」
リリサは長槍に軽く手を触れる。
「武器は狩人にとって命の次に大事なものよ。少しでも武器に異常があれば、すぐにでも鍛冶屋を頼るのよ。分かった?」
「わかったよ」
そう返事した後、クロトはもう一人の仲間の武器のことを思い出す。
「あ、ティラミスのハンマーはメンテナンスしなくてもいいのかい?」
「あれは壊すための道具よ。そう簡単に壊れやしない。……それにあれと同じ武器は世界中どこの支部にでも置いてあるからスペアの心配もないわ」
「なるほど……」
まあ、確かに、あのハンマーはメンテナンスが必要なほど繊細な武器であるとは言い難い。
「ほら、さっさと行くわよ」
リリサは早く鍛冶場に行きたいのか、歩く速度を上げる。
クロトも速度を上げ、リリサの後を追いかけた。
歩くこと5分。
鍛冶場は猟友会本部からほど近い場所にあった。
鍛冶場には大勢の職人が、そして武器店や防具店が軒を連ねていた。
普通の商店街とは違って店の配置はバラバラ、外観も気にしていないようで、武器や防具が乱雑に陳列されている。値札もなければ客を呼び込む声も聞こえない。
こんなので商売になるのだろうか。
そんな疑問を抱いていると、リリサが急に説明し始めた。
「ここは猟友会から認められた熟練の鍛冶職人のみが店を構えられる鍛冶市場よ。世界中から良質な武具を求めて狩人たちが集まる場所でもあるわね」
「へー……」
どうやらここは特別な場所のようだ。客も狩人以外にいないだろう。
暫く歩きながら市場を観察していると、不意に開けた場所に出た。
広さはテニスコート一面分位だろうか。
開けた場所では狩人らしき人々が並べられた丸太を斬ったり、突き刺したりしていた。
「あれは?」
クロトの問いかけにリリサは足を止め、説明する。
「あそこは……元々は運ばれてきた丸太を薪にするための場所だったんだけれど、いつの間にか試し切りの場所になってしまったのよ。ま、狩人も武器を試せて職人も薪を得られる、どっちにとっても損じゃない場所ってところかしら」
「なるほど……」
それにしても、驚くべきはあの太い丸太を易易と両断してしまう狩人たち、そしてそれを実現させる武器の切れ味である。
流石は熟練の鍛冶職人が集まる場所とあって武器の品質は高いようだ。
その後も市場を歩いていると、あることに気がついた。
「やっぱりディードの骨から造った武器が多いね」
金属製の武器もそれなりに置いてあったが、やはり黒い武器が目立つ。
リリサは「そうね」と前置きして思う所を述べる。
「ディードの骨は加工が難しい分、切れ味は申し分ないから刃の部分によく使われるわ。……例えばその斧」
リリサは店の軒先に置いてある斧を指差して続ける。
「刃の部分だけ骨で造って重しの部分を金属で造ってる。武器に適した骨もそんなに出回ってるわけじゃないから、こういう混成製品が殆どね」
そう言いつつリリサはクロトの黒刀を指差す。
「つまり、私の長槍やクロの黒刀みたくほぼ加工していないものは珍しいってわけ」
「僕の刀、そんなにレアな武器だったのか……」
ちなみに、リリサの長槍は海棲ディードの角の一部だと聞いている。柄や石突は後から取り付けられたものだが、螺旋状の矛先だけは全く手が加えられていない。つまり、手を加えていない分構造が単純で、すなわち頑丈だということだ。
「……で、このレベルの武器となると生半可な職人じゃろくにメンテもできないわ」
「それじゃ、なるべく腕の良い職人にメンテナンスを頼まないとね」
「そういうこと」
リリサは言い終えると足を止めた。
場所は市場の奥、目の前にはこじんまりとした店が建っていた。
リリサはその店の中に入り、声を上げる。
「オヤジさん、リリサよ。いつも通りメンテお願い」
声を発して数秒後、しばらくすると店内から老人が現れた。
老人は作業の途中だったのか、頭には手ぬぐいが巻かれ、手には分厚い作業用グローブが、腰には黒い油に汚れた前掛けが巻かれていた。
老人は腰が悪いのか、よたよたと出てくるとグローブを脱いで台の上に手をつく。
そこでようやく老人はリリサの顔を見た。
「……おお狂槍か。久しぶりじゃな。どれ、みせてみい」
老人は手を伸ばし、リリサは素直に長槍を手渡す。
老人は穂先を暫く観察した後、満足気に頷いた。
「うむ。良い使い手に恵まれてお前は幸せじゃのう」
老人はリリサではなく槍に話しかけているようだった。……大丈夫だろうか。
槍全体を触診した後、老人は改めてリリサに告げる。
「流石はイッカクの角、少しも軸がブレておらん。これならグリップの交換と石突の調整だけで大丈夫じゃろう。すぐに終わるからそこで待っておれ」
そう告げると老人は槍を持って店の奥へ行こうとする。
しかし、リリサはそれを止めた。
「待ってオヤジさん、今日はこっちの刀も頼みたいんだけれど……いいかしら?」
リリサの引き止められ、老人はこちらに戻ってくる。
その間にリリサはクロトの腰から黒刀を奪い、老人に差し出す。
老人は黒刀を受け取ると、早速鞘を外した。
「キマイラの棘か……」
老人は様々な角度から黒刀を眺めた後、大きく溜息をつく。
「これは……随分と乱暴に扱っておるな。良い使い手に恵まれず可哀想な子じゃ」
老人の言葉に、クロトは反射的に謝ってしまう。
「すみません……」
「儂に謝っても仕方ないじゃろう……まったく、最近の若いもんは武器に対する愛ってもんが足りん……わかるか?」
「はぁ……」
正直分からない。
困り果てているとリリサが話題を変えてフォローしてくれた。
「それでオヤジさん、そっちの刀はどのくらい時間かかりそう?」
仕事の話になり、老人は再び黒刀を観察する。
「ふむ……幸いにも刃本体は問題ない。壊れた柄を新しい物に取り替えてやれば大丈夫じゃが……出来合いのものじゃいかんな。本体の大きさに合わせて新しく造り直さにゃならん。重量バランスを考えると柄は前のものより少し長いほうがいいと思うんじゃが……お前さん、ちょっとそれを振ってみい」
「それ……?」
老人が指差した先、店の軒先には竹箒が置いてあった。
クロトは竹箒を手に取り、確認する。
「これですか?」
「それじゃ。それを刀と思って振ってみい」
なんだか分からないが、振ればいいのだろうか。
クロトは戸惑いながらも竹箒を両手で握り、上段で構える。
そして恐る恐る真下に振りぬいた。
言われた通りにしたつもりだったが、老人は全く満足していない様子で、怒りの声を上げる。
「真面目に振らんか!!」
「すみません……」
こんなことをして何になるのか。
理不尽に思いつつもクロトは再度箒を真上に掲げる。
そして今度はディードを真っ二つにするつもりで真面目に振りぬいた。
「ッ!!」
ぶおんと音が鳴り、箒に押し出された空気は風となって店内を駆け抜ける。
今回は満足したのか、老人は小さく頷いていた。
「よし分かった。やはり柄は長めに作り直したほうがよさそうじゃな」
老人はそう呟くと黒刀と長槍を手に持ち、店の奥へ足先を向ける。
「オヤジさん、どのくらい掛かりそう?」
「昼までには終わらせる。メシの前に寄るといい」
老人は背中を向けたまま答えると、こんどこそ店の奥に姿を消してしまった。
クロトは箒を軒先に戻し、リリサに率直な感想を述べる
「変な人だね」
「いつものことよ。あんまり気にしないの」
リリサはそう言った後、本題を告げる。
「……さて、それじゃ昼までにスペアの武器でも見繕うとしますか」
「そうだった。そっちの目的もあったんだった」
スペアの武器。
今までは黒刀一本だけで何とかしてきたが、これからはそうも言っていられない。
正直刀は大型ディードと戦うにはリーチが足りない。それは上級狩人試験で嫌というほど思い知らされた。
槍や鈍器を買い、その扱いにも慣れておいたほうがいいかもしれない。
「市場はそんなに広くないけれど、武器の数は多いからね。探すのには困らないと思うわよ」
リリサは店を出ると早速隣の店の武器を物色し始める。
クロトも自分に合う武器を探すべく、リリサの後を追うことにした。
鍛冶場を散策し始めてから数分後
クロトとリリサは静かに武器を物色していた。
武器の種類は様々で、どんな巨漢が使うのか分からない大きな大剣があったり、どうやってダメージを与えられるのか不明な細い針まで、色んな物が陳列されていた。
しかし、中々いい武器は見つからず、二人は順々に店を見て回っていた。
「クロ、せめて武器の種類くらい決めたらどう?」
「うーん……」
正直、急にスペアの武器を決めろと言われても困る。
だが敢えて選ぶとするなら一番現実的なのは“槍”だろう。
槍ならばリリサから指導を受けられるし、何より槍は初心者向けだ。道中リリサに稽古をつけてもらえればそれなりに使えるようにはなるはずだ。
そんなことを考えつつ、クロトとリリサは次の店に移る。
すると、店内から声を掛けられた。
「あれ……? もしかしてアッドネスさんじゃありませんか」
若い男の声
リリサに声を掛けたのは店内で武器の陳列を行っていた男だった。
男は棚から離れ、リリサに近寄る。
「お姉さん、狂槍のアッドネスで間違いないですよね?」
「そうだけれど……なによ?」
リリサが本物だとわかるやいなや、男は嬉しげに告げる。
「うわあ本物だ。お会いできて光栄です。……どうです? 俺の打った武器を試してみませんか?」
「“俺が打った”って……あんた鍛冶職人?」
「はい、猟友会から認定を受けた鍛冶職人です。見ての通りの若造ですが、腕には自信があるんですよ」
(この人、職人だったのか……)
よく見ると先ほどの老人と同じく分厚いグローブを嵌め、前掛けも履いている。腕も独特な筋肉の付き方をしており、職人であることは間違いないようだった。
若い職人は棚に並べられた武器を触りながら自慢気に告げる。
「自分で言うのも何ですが、ここ最近俺の武器は売れに売れてるんですよ。アッドネスさんもきっと気にいると思いますよ」
なかなか積極的な職人だ。
これまでの店の職人は声をかけてくることはなかったので、新鮮である。
若い職人の声は店の外にまで届いたらしく、近くにいた狩人たちの視線がリリサに向けられる。
「狂槍……ホントだ。セントレアにいたのか」
「何だ何だ?」
「狂槍がここの武器で試し切りするらしいぜ」
「おお、そりゃ是非とも見たいな」
狩人たちの期待の視線がリリサに向けられる。
若い職人はこれをチャンスだと判断したのか、ある武器を手に取り、大声で告げる。
「こちらの長槍はどうです? 柄には麒麟型ディードの大腿骨を、穂先には海棲ディードの歯を使ってます。しなりも切れ味も抜群、自慢の一品ですよ」
「……」
リリサは黙って若い職人の言葉を聞いていた。
その後も試すとも試さないとも言わず、だんまりを決め込む。
目立つのが嫌なのだろう。
しかし、既に店の前には狂槍の名を聞きつけた狩人達が集まっており、もはや逃げられる状況ではなかった。
このままだと埒が明かない。
クロトはこの状況から脱するためにもリリサにアドバイスすることにした。
「リリサ、せっかくだし試してみたら?」
「……そうね」
リリサは意を決したのか、若い職人から長槍を受け取る。
「試し切りさせてもらうわよ」
「どうぞどうぞ」
職人から許可を得、リリサは槍を持ったまま試し切りが出来る広場に向かう。
狩人たちもリリサの動向が気になるのか、リリサの後に付いて行く。
……リリサは猟友会の中では有名人だ。
その有名人が気に入ったとなれば、武器に価値が付き、引いてはそれを造った職人の評価に繋がる。
あの若い職人はそれを狙っているのだろう。
だが、武器の質が悪ければ逆に評価は下がってしまう。
……それほど商品に自信があるのだろうか。
やがてリリサは試し切りの広場に到着し、丸太の前に立つ。
長さはおよそ2mくらいだろうか。丸太は縦に置かれており、かなりの存在感があった。
全員に見守られる中、リリサは槍を構える。
「じゃ、いくわよ」
……それから先は一瞬だった。
リリサは回転しながら横に3度ほど薙ぎ、最後に真上から地面目掛けて槍を振り下ろした。
丸太はどこにも傷はなく、そのままの姿でリリサの前に立っていた。
が、石突で地面をコンと叩くとゆっくりと左右に割れ、8つのブロックに別れて地面に落ちた。
「おー」
「やっぱすげーな……」
「今の見えたか?」
「いや、振る音も聞こえなかったぞ……」
狩人たちから感嘆の声が上がる。
その声を聞いて若い職人は喜んでいる様子だった。
「流石は狂槍のアッドネスさん、格が違いますね」
「褒めても何も出ないわよ」
達人級の技を難なくやってのけたリリサは槍をくるりと回し若い職人に返そうとする。
しかし若い職人は手のひらをリリサに向けて受け取りを拒否した。
「それ、お譲りいたします。……その代わり、誰が打ったのか聞かれたら必ず俺の名前を言ってくださいね」
下心見え見えの言葉に、リリサは嫌悪感を露わにする。
「私、そういうの大っ嫌いなの。受け取らないなら捨てるわよ?」
「……わかりました。試し切りして頂いただけでもこちらとしては光栄な事ですので」
若い職人は諦めたのか、あっさりとリリサから槍を受け取った。
そして、標的をリリサからクロトに向けた。
「そちらのお兄さんは? 体格、肉の付き方から察するに……長剣……しかも片手で扱える軽量の剣使いでしょ」
「まあ、そうですけど……」
「やっぱりそうでしたか。ウチは剣も色々と造ってるんですよ」
若い職人はクロトの背後に回ると強引に背を押し、自分の店へと誘導していく。
やがて店に戻ると、若い職人は刀剣類が揃っている棚の前に立ち、自分の作品を自慢するが如く紹介し始めた。
「このとおり、短剣も長剣も揃ってます。気に入った物があればいくらでも試し切りしてくれて構いませんよ」
クロトは話術巧みな若い鍛冶職人に言われるがままに棚に並んでいる剣を見て回る。
どれもディードの骨を加工して造られた物だったが、その中でも特に目を引くものがあった。
(これは……)
クロトが見つめたのは対になっている歪な形状をした双剣だった。
この形状は見覚えがある……
じっと見つめていると、若い鍛冶職人はその双剣について説明し始めた。
「さすがお兄さん、お目が高い。こいつは昆虫型ディードの鋏です。確か種類はクワガタとか……」
「!!」
ディードは動物だけかと思っていたが、彼の話からすると虫型もいるようだ。
まあ海棲ディード……魚のディードもいることを考えれば、不思議ではない話だ。
……昆虫がいるとなると他にも爬虫類や鳥類のディードもいるのだろうか。
(それはともかく……大きいな、これ)
クワガタの鋏はかなり大きかった。鋏だけでこの大きさだ。本体の大きさは人間をも超えるのではなかろうか。
考えるだけで怖くなってくる。
だが、見るからに切れ味は良さそうで、武器としてはかなりレアな部類に入る武器に間違いなさそうだった。
スペアとしては申し分なさそうだ。これなら購入してもいいかもしれない。
「これ、少し見せてもらってもいいですか?」
「どうぞどうぞ。遠慮せずに試し切りしてくださいな」
クロトは若い職人の言葉に甘え、棚からクワガタの鋏を取ろうとする……と、不意に横から手が伸びてきた。
その手はクワガタの鋏を素早く取り、少し遅れて好戦的な声が耳に届いた。
「よう、久しぶりだなぁ……“解体係”のクロトさんよぉ」
クロトは声がした方向、右を向く。
そこにはいやらしい笑みを浮かべているオールバックの男の姿があった。
……クロトはこの男に見覚えがあった。
「あ、あの時の……」
このオールバックの男、アイバールの飲食店前で喧嘩をした双剣使いの狩人だ。
あの時は一方的に難癖をつけられ、店の前で戦ったが、ミソラの介入で勝敗は有耶無耶になってしまった。
交代要員としてアイバールに来たと言っていたが……案外早く交代が済んだらしい。
そういえば名前も知らない。
彼はクワガタの鋏の双剣を手に取ると、その場で振ってみせる。
ヒュッと小気味のいい音が響いた。
「へえ、なかなかいい剣じゃねーか。お前には勿体無いんじゃないかぁ?」
「……」
オールバックの狩人は明らかに悪意を持ってクロトに絡んでいた。
……こういう手合を相手にするのは苦手だ。
関わると碌な事にならないのは明らかだし、ここは無視して店から離れよう。
そう判断し、クロトは店を出ようとする。……が、オールバックの狩人はそれを許してくれなかった。
「待てよ」
オールバックの狩人は通せんぼをし、敵意を露わにして話し続ける。
「アイバールでは恥をかかされたからなぁ……ここでハッキリとさせてやるよ。俺のほうが格上だってことをな」
相手はやる気満々のようだ。
だが、こんな場所でまた殴り合いの喧嘩をするのはまっぴらごめんである。
さて、どうしたものか……
クロトが困っていると、事情を汲み取ってくれたのか、若い職人が二人にあることを提案した。
「お二人共、試し切りをしてみてはいかがです?」
「試し切りだあ?」
「……いいわね、それ」
若い職人の提案に賛成の言葉を上げたのはリリサだった。
リリサの登場にオールバックの狩人は言葉の矛先をリリサに向ける。
「狂槍、テメエも来てたのか」
「あんたこそ、セントレアに戻ってたのね。案外早いお帰りだったじゃない」
「あんな寒くて飯が不味い場所にいつまでもいられるかよ。補充要員が来るまで暇で暇で仕方なかったぜ」
オールバックの狩人は視線をリリサからクロトに向け直す。
「その間、ずっとテメエのことを考えてたぜ? 次会ったら絶対に負かしてやるってなぁ……」
執念深いというか、ねちっこい男である。
オールバックの狩人は十分にクロトを睨みつけた後、リリサに問いかける。
「で? 試し切りでどう勝負をつけるつもりだ?」
「お互いその剣で丸太を切るのよ。上手く丸太を切れたほうが勝ちってことでいいんじゃない?」
「単純だな。……だが気に入った」
オールバックの狩人は持っていたクワガタの鋏をクロトに投げ渡す。
「お前が先に斬れ。圧倒的な力量差ってもんを見せてやるからよ」
「はぁ……」
正直勝敗に興味はない。ここは適当に負けて煙に巻こう。面倒事は御免である。
やる気の全くないクロトに対し、オールバックの狩人はやる気満々のようで、一人で先に試し切りの広場へと向かっていく。
クロトは溜息をつきつつ、再び広場に向かうことにした。
……広場に到着するとオールバックの狩人が既に待機しており、広場の中央に同じ大きさの丸太を2つ用意していた。
オールバックの狩人は片方を指差し、クロトに告げる。
「ほら、さっさと斬れよ」
「わかりましたよ……」
クロトはクワガタの鋏の片方だけを手に持ち、丸太の前に立つ。
丸太は先程リリサが切ったものと同程度の大きさで、かなりの厚さがあった。
(とりあえず一閃だけやってみるか……)
手を抜きすぎるとオールバックの狩人は納得しないに違いない。
かと言って連撃を加えるとオールバックの狩人に勝ってしまう可能性もある。
とりあえず真横に一閃して、それで終わりにしよう。
クロトはそう決めるとクワガタの鋏を腰だめに構える。
黒刀以外の武器を使うのは久しぶりだ。ちゃんと斬れるだろうか。
目の前の丸太はディードの外皮や骨に比べると豆腐並みに切りやすいに違いない。が、改めて何かを斬るとなると結構緊張するものだ。
「それじゃ、いきます」
色々と不安を覚えつつも、クロトはクワガタの鋏を握りしめる。
そして、一呼吸の間に真横に薙いだ。
クロトが放った一閃はクロトの予想以上に淀みなく丸太を横切り、抵抗を感じさせることなく刃を左から右へ導いた。
丸太は中腹辺りで真っ二つに分割され、上の部分は数秒掛けてゆっくりと傾き、やがて地面に落下した。
クロトはしっかり丸太を斬れたことに安堵しつつ、早速断面を観察する。
断面は非常に綺麗で、年輪がよく見えた。
流石は若い職人が自慢するだけのことはある。このクワガタの鋏は一級品だ。切れ味だけを考えると黒刀に勝るとも劣らない。
クロトのシンプルな一閃に若い職人は「おお」と言って軽く拍手する。
が、反応を示したのは彼だけで、リリサやオールバックの狩人は特に目立った反応を示さなかった。
特にオールバックの狩人は勝ち誇ったような表情を浮かべていた。
「情けねえな。よく見てろよ?」
オールバックの狩人は半ば強引にクロトの手からクワガタの鋏を奪い、右に握る。そして、地面に置いていたもう片方を左に握る。
オールバックの狩人は両手に武器を持つと丸太の前まで移動し、左手を前に、右手を後ろに伸ばして腰を深くおろして構えた。
「行くぞッ!!」
威勢よく声を上げた次の瞬間、オールバックの狩人は丸太に斬りかかった。
まず放たれたのは右と左を交差させるように放たれたエックス状の斬撃だった。
丸太には綺麗なバッテン印が刻印されており、勢い余って切り目から木屑が飛び散っていた。
しかし、斬撃はそれで終わらない。
オールバックの狩人は丸太の前で回転しながら刃を振り続ける。
「オラオラオラァ!!」
切断された丸太は八等分、一六等分、三二等分されていき、細かなブロックに裁断されていく。
やがて動きが止まると、丸太は一気に崩れ落ち、先程まで丸太があった場所にはバラバラの木の破片の山が出来上がっていた。
「はぁ……はぁ……どうだ、俺の勝ちだ」
かなり体力を使ったのか、オールバックの狩人は肩で息をしていた。
「すごい……」
クロトは素直にオールバックの男の技に感心していた。
彼もおそらくは上級狩人。実力はリリサに遠く及ばないかも知れないが、かなりの使い手であることは確実だった。
オールバックの狩人はリリサにも自慢気に告げる。
「どうだ狂槍、俺の連撃は」
「すごいわね。この勝負はあんたの勝ちでいいんじゃない?」
「ふふふ……」
オールバックの狩人は結果に大満足したのか、クロトを見下した目で見ながら笑っていた。
クロトに勝って気を良くしたのか、彼は若い職人に告げる。
「これ……俺が買ってやるよ」
「ぜひともお譲りしたかったんですが……無理そうですね」
「はぁ?」
オールバックの狩人に対し、若い職人は冷ややかに告げる。
「その手に持っている武器をよく見てください」
「一体何言って……!?」
若い職人に言われるがままオールバックの狩人は武器に目を落とす。
クワガタの鋏にはヒビが入っており、所々が欠け、使い物になりそうになかった。
変わり果てた武器の姿を見、オールバックの狩人は文句を言う。
「この程度の衝撃に耐えられないなんて、なまくらにも程があるぞ!!」
「そりゃあ、繊細な武器をあれだけ乱暴に扱えばこうなりますよ。こうなった以上は買い取って頂きます」
「う……」
若い職人の反論にぐうの音も出ないようで、オールバックの狩人はそれ以上文句を言えなかった。
数秒ほどの沈黙の後、オールバックの狩人は職人に問いかける。
「……いくらだ」
「片方金貨85枚、2つ合わせて170枚です」
「170……」
「これでも狩人価格、かなり安いですよ? 普通の市場に出たら倍以上の値がつきます」
「クソ……」
値段交渉は無理だと悟ったのか、オールバックの狩人は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「……払ってやるよ。後でここに請求書を送っとけ」
オールバックの狩人は紙切れに何かをメモし、若い職人に手渡した。
メモを受け取った職人は笑顔を浮かべる。
「わかりました。お買い上げどうもありがとうございます」
「チッ……」
オールバックの狩人は舌打ちするとボロボロになった双剣を投げ捨てる。
そして、クロトやリリサに何も言わないままどこかに行ってしまった。
「試合に負けて勝負に勝った、って感じね」
「だね。でも、あの様子だとまた会った時に絡まれそうだよ……」
「確実に絡まれるわね。ま、運命と思って諦めなさい」
「はあ……」
まあ、実害があるわけでもないし、今度会った時も適当にあしらえばいいだろう。
「……でもすごかったね、あの連撃。完璧に僕の負けだったよ」
クロトは改めてオールバックの狩人が切り刻んだ丸太の残骸を観察する。
丸太は細かく切り刻まれ、全く原型を留めていなかった。
(僕には到底無理だなあ……)
クロトは自分でもこれができるかどうか考えてみる。
……多分、本気を出していても連続で切れるのはせいぜい5回程度。細切れにするまで素早く斬撃を繰り出すのはかなり難しいだろう。
そんなことを考えていると、先ほどのクロトの発言に対し若い職人が異論を唱えた。
「いえ、私はお兄さんが負けたとは思いません」
若い職人はクロトが切った方の丸太の切り口を触りながら話し続ける。
「お兄さんの一閃、実に見事でした。切り口もすべすべ、凹凸もなく木屑も全く出ていません。これほど綺麗に切るのはかなり難しいですよ」
「そうなんですか……」
まさか褒められるとは思っていなかった。
素直に喜んでいいのか迷っている間も若い職人は続ける。
「あのクワガタの鋏は自信作でした。……あなたに買って頂けなかったのが残念です」
しんみりと喋っていたのもそこまでで、若い職人は話題を変える。
「いいものを見せていただきましたし、他にも剣を試してみませんか? お眼鏡にかなう物があれば2割引きでお売りしますよ」
褒められて悪い気はしないし、他にも気になる剣はあった。彼の店から武器を買っても問題無いだろう。
そう思った矢先、リリサがタイムアップを告げた。
「そろそろ昼になるわね……クロ、最初の店に戻るわよ」
「あ、うん……」
いつのまにやら昼になっていたようだ。
リリサはクロトの腕を掴み、試し切りの広場から離れていく。
「お兄さん、いつでもお待ちしてますからねー」
背後に若い職人の声を聞きつつ、クロトはリリサと共に武器を預けた鍛冶屋に戻ることにした。
「……遅かったな」
武器を預けた鍛冶屋に戻ると、老人が待ち構えていた。
老人は木箱の上に座っており、近くの壁には螺旋の長槍と日本刀が立てかけられていた。
老人は立ち上がると2つの武器を手に取り、槍をリリサに、黒刀をクロトに投げ渡す。
リリサは片手でキャッチし、すぐに布で穂先を覆う。
クロトは危なっかしく日本刀をキャッチし、胸の中に抱きしめた。
(これ……ちょっと変わってる?)
黒刀は柄の部分が少しだけ長くなっており、握り手には幾重にも紐が巻かれ、鍔まで付いていた。
「抜いてみい」
「……」
クロトは老人に言われるがまま黒刀を鞘から抜く。
黒い刃は相変わらず鈍い光を放っており、全く変わりはない様子だった。しかし、僅かな違いをクロトは感じ取っていた。
「軽くなってる……?」
以前よりも、武器の重さが若干軽くなっていた。
試しにクロトはその場で軽く黒刀を振ってみる。
軽くなったお陰で力を込めずとも楽に振りきれるようになっており、手に吸い付くように扱いやすくなっていた。
しかし、刃の長さは以前と同じで削った様子もない。
クロトはすぐに別の結論に思い至った。
「いや、重心バランスが改善されたのか……」
どうやら柄の長さを調整することで、黒刀の操作性が向上したようだ。
流石はリリサがメンテナンスを依頼している店だ。この老人の技術は間違いなく高いレベルにある。
老人はクロトの独り言を聞いていたのか、愚痴をこぼすように告げる。
「ようやく気づきおったか……全く、お前さん程度の使い手にこの黒刀は勿体無いわい」
老人はそう言うとこちらに背を向け店の奥へ戻っていく。
が、去り際、一言だけクロトに告げた。
「……武器に見合う狩人になれるよう、精進せい」
「はい」
クロトが返事をすると老人は軽く手を上げ、そのまま姿を消してしまった。
リリサはその様子を見てニヤニヤしていた。
「気に入られたみたいね。良かったじゃない」
「気に入られたの? あれで?」
「あんたが思っている以上に、あんたの技量は高い水準にあるのよ」
「そうかなあ……」
「そうなの。……ホント、記憶を失う前は何者だったんでしょうね……」
「僕も知りたいよ……」
記憶を取り戻せば全て分かることだ。その為にはカラビナへ到達せねばならない。必ずあそこには何らかの手がかりがあるはずだ。
……二人は鍛冶場から出て、普通の通りに戻る。
昼は過ぎており、太陽はほぼ真上から太陽光を振らせていた。
「とりあえず武器のメンテナンスは完了ね。で、旅の方の準備は順調なの?」
「順調だよ。馬の手続きもばっちり済ませたし」
「そう。全部任せちゃって悪いわね」
「いいよ。僕はリリサの“奴隷”なんだし」
冗談めかしたクロトの言葉に、リリサは小さく吹き出す。
「ふふっ……上級狩人の奴隷って世界中探してもあんたしかいないでしょうね」
「だろうね」
リリサは笑い終えると進路を変え、クロトから遠ざかる。
「じゃあ、私は個人的な買い物があるから商業区へ行くわね。基本自由行動だけれど、今晩は出発前の晩餐会を開く予定だから、夕方までには宿に戻りなさいよ」
「わかったよ」
まだ夕刻まで時間がある。
リリサと別れたクロトは少し都市内を散策してみることにした。




