034 妹は買い物上手
034
エンベルに向かうことに決めてから3日
クロト達はそれぞれ旅の準備を進めていた。
移動手段である馬車は猟友会が用意してくれるが、食料やその他生活雑貨は自前で準備せねばならない。
エンベルまでの道のりは大したことはないが、その後のことを考えるとこのセントレアで色々と買い込んでおいたほうがお得だ。
なにせ、セントレアでは何でも揃う上、価格も安い。
行く先々で買い物をすれば荷を減らせるのも事実だが、欲しいものが必ずしも手に入るとは限らない。未開の地となればお金を使えるとも限らない。
このセントレアで出来るだけ買い込んでおくのが賢い選択だ。
そんなこんなでクロトは現在、セントレア北部に位置する商業エリア、その中の肉屋の中にいた。
肉屋の店内は広く、様々な種類の肉がずらりと並べられていた。
生の肉も美味しそうだが、今回買おうと思っているのは干し肉だ。
干し肉は日持ちするし栄養価も高い。もちろん値は張るが、女性陣の健康を考えるならタンパク質は欠かせない。
干し肉は細かく切り分けられたものが袋詰にされて大量に積まれており、種類も様々、値段も結構な差があった。
できれば良質なものを大量に安値で買いたいが、あいにく自分には干し肉の目利きはできない。
……品質と値段は比例する。
ここは中くらいの値のものを出来るだけ多く買っておこう。
4人で数週間分となれば大量に買うことになる。値引き交渉も易いだろう。
そう決めたクロトは早速店主らしき男に声をかける。
「すみません、いいですか?」
「いらっしゃい。何をご所望で?」
「えーと、この干し肉を……80袋お願いします」
「80袋……それはまた大量ですな」
「ええ、長旅になるのでできるだけ買い込んでおこうと思ってるんですよ」
「それなら80とは言わず100くらい買い込んでおいてはどうです? ウチの品は味も日持ちもいい。買って損はないと思いますよ」
確かに店の人の言うとおりだ。干し肉ならそれほど場所も取らないだろうし、乾燥させているので重さもそこまでない。
それに大量に買えば買うほど値引きも望めるというものだ。
「わかりました。それじゃ100袋お願いします」
「ありがとうございます」
店主は早速大きな布袋に干し肉を入れていく。
その作業を見ながら、クロトは値引き交渉に入る。
「で、値段ですが……」
「一袋銀貨2枚が100袋……合計で金貨16枚と銀貨8枚ですね」
そのままの値段で買うわけにはいかない。
クロトは大胆な値引きを要求することにした。
「これだけ大量に買うんですし、キリよく金貨15枚くらいになりませんか」
「……」
店主の動きが一瞬止まり、耳がピクリと動く。
「お客さん、それじゃあ商売になりませんよ。キリが良いというなら金貨16枚が妥当でしょう」
「……16枚」
クロトは暫く考える。
お金は節約するに越したことはないが、これ以上の交渉は店主との軋轢を生みかねない。
浪速の商人ならばいくらでも値引き交渉に応じてくれるだろうが、ここは大阪でもなければ日本でもない。
銀貨8枚分も値引きしてくれたのだ。これで手を打つことにしよう。
そう決めた矢先、店の外から名を呼ばれた。
「クロト様?」
店先に立っていたのは紺の髪に白いワンピースの似合う少女、ティラミスだった。
「ティラミス? どうしてこんなところに……」
「お散歩です。本も読み尽くしてしまいましたし、暇で暇で……」
ティラミスは足を止め、店内に入ってくる。
一通り店内を見渡すと、ティラミスはクロトに問いかけた。
「クロト様はお買い物ですか?」
「ああ、道中の食料をまとめて買おうと思ってね」
「……なるほど、そういうことでしたらお任せください」
ティラミスは不敵な笑みを浮かべた。かと思うと、聞いたこともないような愛らしい声を店内に響かせた。
「お兄様、このお店のお肉は高すぎます。別のお店にしましょう?」
「……は? え……?」
いきなりの発言に驚くクロトだったが、ティラミスがウインクしたことで全てを理解した。
(ああ、そういうことか……)
どうやらティラミスは何かしら演技を始めたようだ。
一体何をするつもりなのだろうか。
ティラミスの声に反応し、店主は不満気に告げる。
「おいおい妹さん、こっちは価格交渉の段階まで入ってるんだ。邪魔しないでおくれ」
ティラミスは店主の言い分を無視し、店の外を指差す。
「いま露店街を通ってきたのですが……向こうの店のほうがだいぶ安かったですよ」
「本当かい?」
「はい。何でも行商人から安く買い付けたそうで、信じられない価格で売っていました」
嘘か本当かわからないが、クロトはとりあえずティラミスの演技にあわせる。
すると、店主は声を荒げて反論してきた。
「どうせ安物だと思いますよ。品質で選ぶなら断然こっちの店のほうが……」
「少なくともこのお肉より肉質もきめ細かかったと思います。北の方から買い付けたと言っていましたし、品質は保証できると思います」
「ぐ……」
店主は先程までの穏やかな表情が嘘だったかのように必死な表情を浮かべており、何やら焦っている様子だった。
「行きましょう、お兄様」
ティラミスはクロトの袖を引っ張り、店外に出ようとする。
「すまないね。そういうことらしいから……」
クロトはティラミスに引かれて一歩後退する。
その途端、店主が叫んだ。
「待ってくれ!!」
店主はこちらに手を伸ばし、苦しげに告げる。
「……お兄さんの言う通り金貨15枚でいい。これなら文句はないだろう」
(おお……)
ティラミスの作戦が功を奏したようだ。大幅な値引きに成功である。
応じようと思ったクロトだったが、ティラミスはまだ物足りない様子だった。
ティラミスはさらにクロトを引っ張り続ける。
「お兄様、早くしないと売り切れてしまうかもしれません。急ぎましょう?」
クロトはティラミスに引っ張られ、2歩3歩と後退していく。
追いすがるように店主はさらに叫ぶ。
「わかった!! 金貨14枚と銀貨5枚だ!!……どこの露天か知らないが、これより安く売ってる場所はないぞ」
店主のこの言葉を聞き、ティラミスは微笑む。
「……そうですね。今から行っても残っている保証もありませんし、ご好意に甘えましょうか」
これでお芝居は終わりらしい。
ティラミスはクロトの袖から手を放し、その場でくるりと回転して後ろで手を組んだ。
「そうだね。……それじゃ、その値段でお願いできるかな?」
「……お買い上げどうも」
袋詰作業をしている間、店主はずっと重い溜息を付いていた。
肉屋に代金を払い、届け先を知らせてから10分後
クロトとティラミスは商店街を二人で歩いていた。
広い道の左右には小規模な店が立ち並び、客も多く、活気に満ち溢れていた。
そんな道の中央を進みながら、クロトはティラミスに話しかける。
「やるもんだなティラミス」
「似たお話を本で読みましたので」
ティラミスはクロトに褒められて嬉しいのか、耳を赤くして微笑んでいた。
「これだけ値切れるなら、他のものを買う時も連れてくるんだったよ……」
「今からでも遅くないと思いますけれど?」
「いや、あれで大きな買い物は最後だったんだ。あとは日用品とか、細かいものだけだよ」
「そうでしたか……惜しいことをしました」
「ま、カミラ教団のバックアップがあるからそこまで節約に力を入れることもないと思うけれどね……」
実際、モニカの申し出はかなり有り難いものだった。
金づるといえば聞こえは悪いが、金策を考えずに旅を続けられるというのは大きなメリットだ。
しかし、ティラミスの功績は素直に評価するべきだ。
そう判断したクロトはある提案をすることにした。
「……そうだ。さっき値切った分、ティラミスが使うと良いよ」
「え、いいんですか?」
ティラミスの黒の目がこちらに向けられる。予想外の提案だったようで、少し驚いた顔をしていた。
「ああ、何でも好きなものを買うと良いよ」
「何でも……」
ティラミスは歩きながら腕を組んで考え始める。が、すぐに結論が出たようでクロトの袖を引っ張ってある方向へ向かい始めた。
「……ちょっとお付き合いしていただいてもいいですか?」
「どこに行くんだい?」
「……書店です」
ティラミスはクロトを引っ張って暫く歩いて行く。すると、すぐに本屋が見えてきた。
その書店は交差点の角に建っており、店外にも本がずらりと並べられていた。
クロトはティラミスに連れられ、書店の中に入る。
中は紙とインクの匂いで充満しており、少し暗かった。
そんな中でティラミスは目を輝かせていた。
「差額は銀貨7枚……これだけあれば本が4冊は買えます」
「全部本を買うつもりかい?」
「駄目ですか?」
「いや、てっきりお菓子かアクセサリーかを買うものかと思ってたんだけれど……」
ティラミスは自分が子供に見られたことが不満だったのか、頬を膨らます。
「私はそんな俗物的なものに興味ありません。そこらへんの女の子と一緒にしないでください」
頬を膨らますその姿は愛らしいものだったが、そんなことを言うとまた不機嫌になると思い、クロトはすんでのところで言葉を引っ込めた。
そして、本に関してティラミスに話題をふる。
「セントレアに来る途中も本を呼んでいたけれど、好きなのかい?」
「はい。物語も面白いですが、少し高めの学術書も興味深いです」
「学術書……モニカに頼めば教団からいくらでも持ってきてくれそうだけれど」
「あれには遺跡から発見されたことしか書かれていません。もちろんそれも興味深いですが、それ以外の本も色々と読んでみたいんです」
「……ならいいんだ」
「では、私は本を物色してきますので」
ティラミスはそう言うとぱっとクロトの元を離れ、店の奥へ小走りで駆けて行ってしまった。
ティラミスが本を選ぶまで結構時間が掛かりそうだ。
どうせなら、と、クロトも店内を眺めて歩く。
店内には大きな本棚がたくさん並べられ、棚にはぎっしりと本が並んでいる。
日本の書店ではジャンルや出版社別に綺麗に本が並べられているが、ここはそうでもないらしい。大小様々な本が無秩序に並べられていた。
背表紙の感覚を指先で感じつつ店内を歩いていると、ふとあるものが目に留まった。
「これは……」
クロトが見つけたのは棚に並ぶ本ではなく、小物コーナーのテーブルの上に置かれていたトランプだった。
トランプを見るのも久しぶりだ。
見慣れたマークと数字が描かれたカードを眺めていると、店員らしき老人が声をかけてきた。
「……それは最近教団から買い付けた物です。これを使って様々な遊戯ができるらしいですよ。単品で銀貨1枚。解説本とセットで銀貨3枚ですが、どうです?」
「いや、こっちだけ貰うよ」
クロトはカードの束だけを取り、銀貨を店員に手渡す。
そのタイミングでティラミスが戻ってきた。
「何を買ったんですか?」
ティラミスはクロトの買い物に興味津々のようで、クロトの手元を覗き込む。
クロトは隠すでもなくティラミスにトランプを見せる。
「トランプだよ。懐かしいだろう?」
「……?」
ティラミスはマークと数字が描かれたカードを凝視したまま固まっていた。
「あれ? 知らないの?」
「すみません……日本語は分かるのですが、それ以外のことは……」
……そういえばあやとりも知らなかったし、知らなくても不思議ではない。
ティラミスの驚く顔が見られると思っていたのに、少し残念な気分だ。
クロトは気を取り直し、トランプについて簡単に説明する。
「これは52枚の絵札なんだけれど、これを使って大人数で色んな遊びができるんだ。道中これで一緒に遊ぼう」
「それはいいですね。皆さんも喜ぶと思います」
トランプの紹介が終わった所で、クロトはティラミスの手元を見る。
それを見てクロトは苦笑いしてしまう。
「で、ティラミス。それは……」
「すみません。中々選べなくて……」
ティラミスは4冊どころではない量の本を両手に抱えていた。軽く10冊は越えている。
「駄目でしょうか……」
ティラミスもわがままを自覚してか、後ろめたそうにしていた。
こういうのをおねだりというのだろう。
……心優しいクロトがティラミスのおねだりを断れるわけがなかった。
「わかった。知識は時に武力にもまさる武器になるからね」
「わ、ありがとうございます!!」
その後ティラミスは分厚い本を12冊買い、宿に帰るまでずっと嬉しげにしていた。




