030 決意のない決闘
030
猟友会本部第3演習場
その真横に位置する宿泊施設にて。
夕食を終えたクロトは寝室のベッドに横になっていた。
「はー、疲れた……」
第1試験が終わり、受験者数は32名となり、訓練は厳しさを増していた。
基礎体力をつけるための訓練はもちろんのこと、武器を用いた訓練も行われ、その他にも棒にぶら下がり続ける訓練や穴を掘っては埋めるなどの精神的疲労を伴う訓練も行われていた。
訓練には慣れたが、やはり肉体的な疲労はどうしようもない。
明日には試験があるのに、このままだと疲労困憊状態で試験を受けることになりそうだ。
条件はみんな一緒なので文句は言えないが、万全な状態で試験に臨みたいというのがクロトの心情だった。
少しでも回復するべくベッドの上で横になっていると、不意に声を掛けられた。
「本当にだらしないな、お前」
馬鹿にしたような口調で話しかけてきたのは例によってジュナだった。
ジュナはクロトの隣のベッドに腰掛けると、言葉を続ける。
「これしきの訓練で筋肉痛か? 間違いなく明日の試験は落ちるな」
ジュナはクロトの参っている様子が余程嬉しいのか、ニヤニヤしていた。
クロトは首だけジュナに向けて素直な感想を述べる。
「ジュナこそ、あれだけしごかれてよく元気でいられるね……」
「当然。兄貴の稽古に比べたらあんなの朝飯前だ」
ジュナは腕を組んで自慢気にしていた。
……果たしてどんな稽古をやっていたのだろうか。
興味が湧いたクロトは彼女の兄について聞いてみることにした。
「お兄さんとはどんな稽古を?」
ジュナは余程語りたかったのか、自慢気な表情を保ったまま喋り出す。
「稽古って言うより、あれは試練に近かったな」
「……と言うと?」
「毎日毎日兄貴の狩りに同行してたのさ。最初は荷物持ちしかさせてもらえなかったが、そのうち解体を任されるようになって、次は狩りのサポート、今はパートナーとして認められるようになった」
「パートナー……」
クロトはジュナの状況を自分と重ね合わせてみる。
今のところ自分にとってパートナーと呼べる人間はリリサだろう。
そういえばリリサも最初は自分にディードの解体係をやらせ、次はケナンまでの街道で狼型のディードと半ば強引に戦闘させられた。
あの当時は戦闘はできるなら避けたかったが、あれがあったからこそ今の自分の実力があると思うと中々感慨深い。
自分の場合は戦闘技術を覚えるというより思い出している感覚に近いので何とも言えないが、戦闘経験を積めたことに関しては感謝してもいいのかもしれない。
ジュナも当時のことを思い出しているのか、若干視線を上に向けていた。
「……ざっと話したが、実際はかなり苦労したな。6歳から荷物持ちをはじめて、7歳からは解体をするようになって、8歳の時にいきなり武器を持たされた。しかも、武器を持たされたその日に、ろくな訓練も指導もなしにいきなり「狩ってみろ」だからな。自分から言い出したから文句は言えなかったものの、スパルタもいいところだぜ」
ジュナは自前の武器、ベッド脇に立てかけられた大鎌をコンコンと叩く。
「兄貴はすぐにオレが弱音を吐くと思ってたんだろうな。でも、オレは泣き言も何も言わず兄貴の背中を追った。追い続けたんだ」
ジュナの視線は黒の大鎌に向けられていた。
色々と思い出があるのだろう。ジュナの表情は今まで見たことがないほど穏やかだった。
「大変だったんだね」
クロトの言葉に「いや」と前置きし、ジュナは再び語る。
「大変だったが辛くはなかったな。……むしろ楽しかった。自分でも日に日に狩りの技術が向上していくのが分かったし、その度に兄貴に褒められるのも嬉しかった。兄貴は最高の狩人で、最高の教育者で、最高のパートナーだ」
ジュナの言葉は止まらない。
「兄貴になら背中を任せられるし、兄貴も同じことを言ってくれた。……今後も兄貴とこの仕事を続けるつもりだ。だからこうやって上級狩人の資格を取りに来たってわけだ」
(お兄さんのためか……)
昨日まで一言二言交わす程度だったのに、兄の話題になった途端饒舌に語りだした。余程兄のことを尊敬しているか、家族として愛しているのだろう。
クロトは何気なく告げる。
「お兄さんのこと、好きなんだね」
「ああ、オレは……」
饒舌に語っていたジュナだったが、ふと我に返ったのか、顰め面をした。
ジュナは言葉を途切れさせたままベッドに横になり、こちらに背を向ける。
「……話しすぎて疲れた。もう寝るから話しかけてくんな」
「そんな理不尽な……」
話し出したかと思ったらこれである。
女心というものは本当にわからない。
それ以降ジュナが言葉を発することはなかった。
クロトも疲れていたこともあり、その日はそれ以上会話することなく眠りに落ちた。
翌朝、
第二試験の日を迎えた受験生達は第3演習場の中央で整列していた。
綺麗に整列した受験生の前にはキャップ帽の試験官が仁王立ちしていた。
「これから第二試験を始めたいと思う。……が、その前に質問させてもらう」
試験官は挨拶もほどほどに受験生たちに問いかける。
「狩人に求められるもの、それは何だと思う?」
(またこのパターンか……)
第一試験の時と同じく、誰も何も応えない。
クロトは仕方なく声を上げてみる。
「……索敵と状況判断力ですか?」
試験官はクロトを指差し、首を横に振る。
「違う。高い戦闘能力だ」
「……」
前と言っていることが違う。
そんな指摘をさせてもらえるわけもなく、試験管は語り始める。
「狩りにおいては索敵能力も重要だ。が、目標を見つけても狩る能力が、戦闘能力がなければ話にならない」
もっともな話である。
むしろ上級狩人になるためにはこの能力が一番大事な気がする。
「よって、これからお前たちには十分な戦闘能力が備わっているか試験させてもらう。……対戦形式でな」
試験官のセリフに疑問をいだいたのか、前方に並んでいた受験生が思わず質問する。
「対戦って……人同士で戦うんですか?」
「そうだ」
「でも狩人は……」
「ディードを殺すのが我々の仕事であって、人と戦うことではない。と言いたいのか?」
「……」
考えを見透かされていたようだ。受験生は何も言わずに俯いてしまった。
試験官は受験生を一通り見て他に反論が無いことを確認すると、あることを話し始めた。
「お前たち、ヒトガタのことは知っているな? ……最近ケナンの北部でヒトガタとの戦闘があったと報告があった。狩人として活動する以上、ヒトガタと遭遇、戦闘することもあるかもしれない」
ここまで言うと、先程と別の受験生が試験官に確かめるように告げた。
「つまり、相手をヒトガタと思って対戦に挑め……ということですか?」
試験官は満足気に頷く。
「どうだ? これで納得できただろう?」
若干無理やりな気もするが、一応筋は通っている。
上級狩人になれば禁猟区というエリアに入ることにもなるだろうし、そこにはヒトガタも居るかもしれない。
つまり、人間同士での戦闘訓練がそのままヒトガタ討伐の訓練にもなるということだ。
全員を無理やり納得させた後、試験官は何処からともなく木箱を取り出し、地面に置く。
「この中には数字が刻印された木札が二組ずつ入っている。対戦相手はくじ引きで決め、合計で3回行う。3回中2回以上勝利した者が合格だ。……2回連続で負けた者も、2回連続で勝った者も、3回目で手を抜くなよ」
「……なんで手を抜く必要があるんだ?」
小声で疑問を告げたのは隣に立っていたジュナだった。
クロトはジュナが恥をかかぬよう、小声で答えを教える。
「2回負けたらその時点で不合格決定で、同じく2回勝ったら合格決定だからだろう」
「あー……」
ジュナは納得したようで、手のひらを叩いて小さく頷いていた。
そんなジュナを見て、クロトは可哀想な気持ちになる。
「ジュナ、兄貴には勉強の稽古はつけてもらえなかったんだな……」
「馬鹿にすんな」
ジュナはそう言うと同時にクロトの足を踏みつける。
ブーツ越しでもその踏みつけは結構痛かった。
「いたいじゃないか……」
「……」
クロトは不平を言うも、ジュナは膨れ面で前を向いていた。
その間も試験官は説明を続ける。
「試合は同時進行、勝ち負けの判断は各々で行え。だが、やり過ぎは禁物だぞ。せいぜい武装解除くらいを目安にしておけ」
「判断は各々って……勝負がつかない場合はどうするんですか?」
受験生の当然の疑問に試験官は応える。
「試合時間は10分を上限とする。それでも勝負がつかない場合は早めに試合を終えた連中が審判になって勝敗を決めてやれ。分かったな?」
クロトは自分の中でこれまでの話をまとめる。
(つまり、10分以内に対戦相手の武器を手から落とせばいいんだな……)
全員がルールを理解した所で、試験官は木箱をつま先で軽く蹴る。
「それじゃあ、さっそく番号札を取れ」
その言葉を合図に受験生たちは木箱を前に列を作り、順番に箱から木札を取り出し始めた。
クロトも列に並び、箱の中に手を突っ込む。
出てきた木札には7の文字が書かれていた。
……ラッキーセブンだ。幸先がいい。
(……って、相手も同じ7番じゃないか……)
自分でノリツッコミをしつつ、クロトは同じ7番の木札を持つ相手を探す。
「えーと、僕の相手は……」
「おーい、7番の奴はどこだー!!」
探していると、威勢のいい声が耳に届いた。
クロトはその声がした方へ目を向ける。声を出した本人もクロトの視線に気づいてか、近づいてきた。
「おー、お前が7番だったか」
7番の木札を見せつけつつ近寄ってきたのは、自分より一回り背は高く、ガタイもいい受験生だった。
「よろしくな」
「こちらこそよろしく……」
果たして勝てるのだろうか。
そんな心配をしつつ、クロトは演習場の中央へと向かう。
周囲では既に試合を始めている組もあり、武器同士がぶつかる音や大きな掛け声が演習場内で響いていた。
「早速始めてるな……俺達もさっさと始めようぜ」
「ですね」
7番の札を持つ彼はやる気満々のようだった。もっと言うと勝つつもりでいるようだった。
クロトは対戦相手と適当な場所で足を止め、互いに向かい合う。
ここで初めてクロトは相手の持っている武器を観察する。
相手はリリサと同じ槍使いだった。……が、リリサと違って柄は短めだった。体が大きいので余計短く見える。
槍使いの受験生は槍を軽く回しながら話しかけてくる。
「勝敗の条件はどうする?」
「試験官が言った通り、武器を手離した方の負けでいいんじゃないですか?」
「だな。単純明快でいい」
互いにルールを確認しあうと、槍使いは槍を両手で構え、穂先をこちらに向ける。
クロトもその構えに応じるように黒刀を鞘から抜き、柄を強く握った。
「それじゃ、はじめるか」
「はい」
この返事が試合開始のゴングとなった。
クロトが応じると同時に、槍使いは5m近くあった距離を一気に詰める。
そして、槍をクロトの真正面に突き出してきた。
最短距離、最速の突き。
相手にとっては渾身かつ最速の一撃だったのだろう。
……が、クロトにとっては平凡な初手にしか見えなかった。
(あれ、遅い……)
いつもリリサの槍捌きを見ていたせいか、クロトにとって槍使いの槍はとても遅く、そして粗雑に見えた。
クロトは余裕を持って穂先を黒刀で受け止め、斜め方向へ軌道を逸らす。
そして、間髪入れずに黒刀を手の内でくるりと回転させ、槍の柄目掛けて振り下ろした。
クロトの黒刀は槍の柄の中央を正確に捉えており、抵抗を感じさせることなく柄を切断した。
「な……」
まさに勝負は一瞬だった。
槍使いは勢いのままクロトの背後へ抜けていく。
そして、真っ二つにされた槍を右と左に持ち、呆然としていた。
「僕の……勝ちみたいですね」
「あ……ああ」
負けるかもしれない、と思っていた自分が馬鹿に思えるほど簡単な試合だった。
やはり狩人はディードに対して強くても、対人戦では弱いのかもしれない。
このまま時間を潰すのも勿体無かったので、クロトは別の試合を見ることにした。
「それじゃ、審判も兼ねて他の試合を見に行きますね」
「……」
沈黙を了解と受け取り、クロトはその場から離れる。
他の組はまだ試合が続いている所が多く、至近距離で刃をぶつけあっている組もあれば、距離をとって大立ち回りをしている組もあった。
(ジュナはどうなってるんだろう……)
クロトはふとジュナのことが気になり、何気なく彼女の姿を探す。
……が、暫く探しても大鎌を使う少女の姿は見つからなかった。
彼女はかなり目立つはずなのに、どうして見つけられないのだろうか……
そんな疑問を抱きつつ周囲を見渡していると、不意に背後から肩を叩かれた。
「オレを探してるのか?」
声をかけてきたのは今の今まで探していた人物、ジュナだった。
クロトは少し驚きつつも落ち着いて応じる。
「うん、いや、ちょっと勝敗が気になってね」
ジュナは大鎌を肩に担いでおり、満足気な顔をしていた。
「相手は大剣使いだったんだが余裕で勝ったぜ。……2回戦、運がよけりゃお前と戦えるかもな。その時は容赦しねーぞ、クロト」
「……お手柔らかに頼むよ」
ジュナも余裕で相手に勝ったようだ。この様子だと心配することもないだろう。
(って、なんで僕は心配してるんだ)
そもそも彼女は自分と同じ受験生だ。他人のことよりも自分のことを心配した方がいい。
クロトはそう思い直し、自分の試合に集中することにした。
2回戦の相手は鈍器使いだった。
だが、この相手も先ほどの槍使い同様、動きは遅く対処は難しくなかった。
ただ、武器の破壊に苦戦していた。
(硬いな……と言うか、よくあれを振り回せるよね……)
相手の鈍器は棍棒のような形をしていて、金属ではなくディードの骨でできているようだった。
大きい上にかなり重そうだ。
あれだけ大きい骨となると、ディード本体もかなり大きかったに違いない。
「だあぁっ!!」
「うわっ」
クロトは相手の気合の篭った一撃をバックステップで回避し、黒刀を構え直す。
武器の強度は多分互角……となれば、武器ではなく相手本体にダメージを負わせるしかない。
クロトは決心し、相手の懐に飛び込む。
「!!」
相手は接近を警戒してか、鈍器を大きく振り回した。
しかし、クロトはスライディングでそれを回避し、相手の足元にたどり着く。
同時に黒刀で足元を薙ぎ、刃ではなく峰を相手のすねに打ち付けた。
「ッ!!」
相手は痛さのせいか動きが鈍り、大きな隙が生まれる。
クロトはその隙を利用し、今度は相手の手首を峰で叩いた。
こん、と軽く叩いたつもりだったが、結構な衝撃だったらしい。
相手は顔を顰め、同時に手を開く。武器は手から離れて宙を舞い、ずしんという重々しい音を立てて地面に落下した。
相手は手を押さえ、悔しげに呟く。
「……俺の負けだ」
「どうも」
クロトは軽く頭を下げ、視線を上げる。
対戦相手の鈍器使いは「はぁ」と溜息を付いていた。
「もしかして2回連続負けですか?」
「いいや、一回目は勝ってる。三回目が勝負だな」
鈍器使いは地面に落ちた鈍器を拾い上げ、もたれ掛かる。
「しかし、人間を相手にするのがこんなに厄介だとは思わなかったな」
「そうですか?」
「そうだろ。基本狩人はディードが相手。普通のディードは格闘術や剣術なんか使わないからな。狩人なのに対人剣術や対人格闘術を身につけてる奴らははっきり言って異常だ」
「なんかすみません……」
「待て待て、悪い意味で言ったわけじゃないぞ? それだけ鍛錬を積んでるってことは、相当苦労したんだろう? ただのディード相手に漫然と狩りをしてた俺たちより勉強熱心ってことだ。そういう点では尊敬できるな。うん」
「それはどうも……」
鈍器使いの人はなかなかいい人そうだ。
いや、ジュナが性格最悪なだけで他の狩人さん達はみんないい人ばかりだ。
先ほどの槍使いの人も負けても文句ひとつ言わなかったし、やはり人間エリートになると性格も良くなるのだろうか。
「……おい、あれ見てみろよ」
「はい?」
鈍器使いに声を掛けられ、クロトは顔を上げる。
そして、指差している方向に視線を向けた。
……そこにはジュナの姿があった。
ジュナはまだ試合の最中のようで、大鎌を振り回して戦っていた。
相手は短剣使いだった。
短剣使いはかなりジュナに接近しており、大物の武器を扱う彼女にとっては難儀な相手なようだった。
実際、ジュナからは余裕は感じられず、表情にも焦りと苛立ちが表れていた。
「あの大鎌使いの女、馬鹿だな……」
たとえ仲が悪くてもジュナは一応知り合いだ。
知り合いをバカ呼ばわりされると少し気分が悪い。
クロトは思い切って理由を聞いてみることにした。
「あの、馬鹿っていうのはどういう意味ですか?」
「あの大鎌、大型ディードが相手なら絶大な効力を発揮するだろうが、中型以下、ましてや人間と戦うには不便過ぎる」
「ですね……」
クロトが肯定すると、鈍器使いはさらに言葉を続ける。
「大鎌に固執する必要はなかったはずだ。対人戦ならそれに適したリーチの武器に変えればよかった。実際、短剣を使ってるあいつも普段は長剣を使っているが、今回は勝ちに行くため短剣に持ち替えたわけだ」
「……なるほど」
一つの武器に固執する必要はない。相手に合わせて装備や武器を変えるのは至極当然な判断だ。
……ここでクロトは素朴な疑問を鈍器使いに告げる。
「あなたも棍棒じゃなくて剣にしておけば……」
「俺はこれを使った戦い方しか知らなくてな。慣れない剣を使うより慣れた武器を使ったほうがいいと思ったんだ」
「じゃあ、彼女もあなたと同じで鎌しか使えないんじゃ?」
この仮説に鈍器使いは首を横に振る。
「いいや、鎌を使えるなら大体の棹物は使えるはずだ。ハルバードあたりを選んでおけばまだ戦いようがあったものを……」
そんなことを話していると、ついに短剣使いがジュナの喉元に刃を突きつけた。
二人共動きが止まり、不穏な空気が流れる。
「決まったな……」
その後、鈍器使いの言葉通り、ジュナは武器を手放し両手を上げる。
そして無念そうに肩を落とした。
ジュナの負けである。
「ジュナ……」
これでジュナは1勝1敗、後がなくなった。
ハルバードに武器を変えるようにアドバイスを送ったほうがいいだろうか。いや、一応は受験生同士、ライバルなのだから敵に塩を送る必要はない。でも……
そんなことを考えているとクロトの視線に気づいたのか、ジュナは大鎌の柄に足先を引っ掛け、器用に蹴り上げて手にとる。そして大鎌を肩に担ぎ、クロトの元までやってきた。
「見てたのか」
「……うん、残念だったね」
「相性が悪かっただけだ。次は余裕で勝つ」
ジュナはかなり不機嫌そうだった。
クロトはジュナを元気付けるべくなるべく陽気に振る舞う。
「ま、2勝できれば合格なわけだし、気にすること無いよ」
「言われなくてもわかってる!!」
ジュナは苛立った声で応じ、石突で地面を思い切り叩く。
「……こんな所で躓いてられるか……」
ボソリと呟くとジュナはクロトから離れ、次の対戦相手を決めるべく木箱のある方へ行ってしまった。
結局アドバイスを送ることはできなかったが、あれだけ気迫があれば大丈夫だろう。
クロトもジュナに続いて木箱に向かうことにした。
木箱の後ろには試験官が立っており、受験生たちに檄を飛ばしていた。
「貴様ら、二連続の戦闘で疲れているだろうが、最後まで全力で臨めよ」
そんな厳しい言葉を受けつつ、クロトは木箱から木札を取り出す。
そこには13の文字が描かれていた。
……不吉な数字だ。
が、気負うことはない。次負けたとしても自分の合格は確定している。気楽に臨もう。
そんなことを思っていたクロトだったが、対戦相手がそれを許してくれなかった。
「13番……お前か」
聞こえてきたのはジュナの声。
クロトは恐る恐る顔を上げる。
真正面には自分と同じ13の数字が刻印された木札を持つジュナがたっていた。
「最後の最後で当たるとはな……」
「……」
クロトは衝撃のあまり言葉を返せなかった。
一方ジュナはやる気満々のようで、クロトを睨みつけ、指差し、威勢よく告げる。
「さっき言った通り手加減無しだ。覚悟しろよ」
そう告げたジュナは一人だけで演習場の中央、空いているスペースに向かって行ってしまった。
(よりによって相手がジュナとは……)
正直戦いづらい。武器の相性的にはこちらのほうが有利だろうが、ジュナは本気でこちらを殺すつもりで掛かって来そうで怖い。
そんなことを考えつつもクロトはジュナが待っているフィールドへ向かっていく。
やがて二人向かい合うと、ジュナが再び好戦的な言葉を発した。
「その自慢の刀、ボロボロに壊してやる……」
ジュナは相変わらず大鎌を構えており、刃先は彼女の呼吸に合わせてゆらゆらと揺れ動いていた。
「物騒だなあ……」
クロトは鞘から黒刀を抜き、両手で構える。
やがて周囲から戦闘音が聞こえ始めた。
その音に感化されてか、ジュナは一方的に試合開始を宣言した。
「いくぞ!!」
ジュナは気合たっぷりの叫びと共に前に踏み込み、クロトに向けて水平に斬撃を放った。
リーチは長く、切っ先はクロトの体を完全に捉えていた。
「っと!!」
クロトは遅れて腕を掲げ、黒刀で刃を受け止める。
かなりの衝撃が腕に伝わり、クロトはその場で踏ん張って耐える。
……が、止まっていることができず、2メートルほど後退しながら靴底で地面を抉ってしまった。
遠心力の乗った殺人的な一撃……コレをまともに受けたら大抵のディードはひとたまりもないだろう。
だが、クロトはディードではなく人間だ。
クロトは初撃を耐え切った後、間髪入れずにジュナに接近していく。
ジュナは接近を防ぐべく鎌を引き、再度遠心力の乗った鋭い刃でクロトを狙う。
またしても狙いは正確、速度も申し分ない。
クロトは回避は不能だと判断し、また黒刀を盾にして何とかその斬撃を防いだ。
……一撃一撃が重い。が、耐えられるレベルだ。
ジュナはクロトが斬撃を防ぐことを見越していたのか、刃を反すと続けざまに回転斬りを放ってきた。
逆方向からの斬撃。
クロトは敢えて接近し、大鎌の柄を蹴ってその斬撃を止めてみせた。
「なっ!!」
この対処法にはジュナも驚いたのか、目を丸くしていた。が、すぐに悔しげな表情を浮かべ、続いて斬撃の連撃を放ってきた。
……ジュナの鎌捌きは実に見事だった。
鎌の動きは最短最速かつ最も理想的な軌跡を描いている。
……だからこそ攻撃が読める。
初見では苦戦しただろうが、彼女の鎌捌きは何度か目にしている。それ故、パターンもタイミングも何となく把握できる。
クロトは彼女のタイミングに合わせて攻撃を受け止め、最後に放たれた回転斬りを側転で回避する。
そして、攻撃後で隙だらけの彼女に対して刺突攻撃を試行した。
「くっ!!」
ジュナはクロトの突きに素早く反応し、体勢も整わないまま脚を大きく上に振り上げた。
刃はジュナのブーツに蹴り上げられ、軌道を上に逸してジュナの頭上、何もない空間を貫いた。
だが、これで攻撃は終わらない。
クロトは刃を引き、再度彼女の手元目掛けて刃を突き出す。
しかし、その時にはジュナも体勢を立てなおしており、鎌の平べったい刃で攻撃を防いだ。
「……やるじゃねーか!!」
そう言うジュナだったが、声に余裕や自信は感じられなかった。
クロトは何も応えず、代わりに黒刀を鎌に打ち付けてジュナと距離をとった。
ここまでのやり取りで、クロトは自分の実力のほうがジュナより優っていると確信していた。
一瞬で勝負を決められないにしても、最低でも3手で相手を武装解除できる。その方法も頭の中に明確に浮かんでいた。
が、思い浮かぶと同時に重大なことに気づいた。
(……勝っていいのか?)
ジュナは1勝1敗で後が無い。対する自分は2勝0敗で合格は確定している。
ここで負けてあげれば、ジュナは合格できる。
自分がわざと負ければ彼女は……
(って、何考えてんだ僕は……)
試合の最中に相手に情けを掛けようとしているなんて、どうかしている。
今後も受験生同士で競い合うこともあるだろうし、ライバルは減ったほうがいい。特にジュナのような優秀な狩人はここで消えてもらったほうがいい。
(でも……)
ジュナとは親しい仲ではないが、親しみを感じているのは事実だった。
彼女には明確な目標がある。ここで不合格になるのは可哀想だ。
そんなことを考えていたせいか、クロトに一瞬の隙ができた。
その隙をジュナは見逃さなかった。
「そこだっ!!」
ジュナは刃を地面ギリギリまで近づけ、リーチを活かしてクロトの足元を薙ぐ。
クロトは判断が遅れ、咄嗟に跳び上がってそれを回避してしまった。
……この回避方法は悪手だった。
空中では動きが制限される。つまり、跳んでいる間は回避ができない。
ジュナは地面を這わせていた刃を一気に持ち上げ、その場で一回転して空中にいるクロト目掛けて下方から上方へ斬り上げた。
刃は正確にクロトの黒刀を捉えており、仕方なくクロトは柄を握り直して大鎌を受け止める。
地に足をつけていれば受け止めきれた攻撃だったが、空中にいるクロトにそれを受け止めることはできなかった。
クロトは大鎌の衝撃をまともに受け、大きく吹き飛ばされる。
「うわっ……と」
クロトは初めての感触に驚きつつも、空中で姿勢を制御し落下地点を見極める。
幸い落下地点には誰もおらず、他の試合を邪魔する事態は避けられそうだった。
ジュナもそれを悟ってか、落下地点目掛けてダッシュしていた。
体勢を立て直す暇を与えず、連続で攻撃を仕掛けてくるつもりだろう。
クロトは黒刀を逆手に握り直し、ジュナに対して垂直に構える。そして、峰に右脚をあてがった。
間もなくジュナは落下予測地点に到達し、大鎌を大きく振りかぶる。
同時にクロトも地面から3メートルほどの位置に到達し、間髪入れずジュナは下方から斬撃を放った。
クロトはその斬撃を刃で受け止める。
が、今度はまともに受けず、打点をずらした。
クロトはサーファーの如く大鎌の刃の側面を滑り、大鎌を通り抜けてジュナの目の前に到達する。
クロトは刀を順手に持ち直し、腰の位置で構える。
あとは水平に薙いで首を刎ねればこちらの勝ちだ。
(……って、それは駄目だろ!!)
これは試合であって殺し合いではない。
クロトは慌てて空中で体を捻り、狙いをジュナの首から武器の持ち手に変える。
だが、この無理な動きがいけなかった。
クロトは空中でバランスを崩してしまい、結局何も攻撃できないままジュナを通り越して背後に着地する。
受け身もまともに取れず、クロトは地面を豪快に数回転した挙句うつ伏せに転けてしまった。
慌てて跳ね起き、クロトは黒刀を構え直す。しかし、その時には既にジュナは完全に攻撃態勢に入っていた。
ジュナの大鎌は綺麗な弧を描いてクロトの黒刀を真横から叩き、手から弾き飛ばした。
黒刀はくるくると宙を舞い、地面に突き刺さる。
……この瞬間、クロトの負けが確定した。
(ま、いいか……)
自分は合格できたし、ジュナも合格できた。
ここでジュナを負かしていたら後悔していたかもしれないし、結果は結果として潔く受け入れよう。
クロトは自分でそう納得したが、ジュナはそうはいかなかった。
ジュナは大鎌をその場に捨てるとクロトに早足で歩み寄り、胸ぐらを掴んだ。
「テメェ、わざと負けたな!!」
「え……?」
ジュナは憤りを隠せないようで、鬼のような形相でクロトを睨んでいた。
が、同時に自分の実力不足も自覚してか、目には涙が溜まっていた。
「舐めやがって……クソ……クソッ!!」
「待ってくれジュナ、僕はそんなことは……」
「うるせえ!!」
ジュナは手を離すといきなり腹部に拳を打ち込んできた。
クロトは思わず「うっ」と呻き、その場に崩れてしまう。
「なんだ、トラブルか?」
不穏な騒ぎに気づいてか、試験官が駆け寄ってくる。
「……」
ジュナは下を向いたまま何も応えない。
クロトは腹部に激痛を覚えつつも何とか起き上がり試験官に告げる。
「何でもないです。試合はジュナの勝ちでカウントお願いします」
「ん? ……ああ、わかった」
試験官は事情を知ってか知らずか、それ以上追求することはなく元の場所へ戻っていった。
試験官が去るとジュナもその場から立ち去ろうとする。
クロトはジュナを追いかけ、声をかける。
「ジュナ、さっきのは……」
「殺されるかと思った……」
「え?」
返ってきたのは意外な言葉だった。
ジュナは先ほどの乱暴な口調が嘘だったかのように、静かに言葉を連ねていく。
「あの時、お前、オレの首を斬るつもりだったんだろう? あのままいけば間違いなくオレは死んでた。もし試合じゃなければ勝っていたのはお前だ」
クロトはジュナの言葉を肯定する。
「そう、あれは試合で、そのことを忘れて戦闘していたのは事実だ。それは僕のミスであって……だから、わざと負けたわけじゃない」
「わかってる」
「ならどうして……」
「だからこそムカついてるんだよ……」
ジュナは急に立ち止まり、大鎌を抱えてその場にしゃがみ込む。
「ぶっちゃけ、オレはお前を殺すつもりで攻撃してた。だが、お前は飽くまでオレの手元を狙ってた。……もしこれが本当の殺し合いなら、確実にオレは負けてた」
そういえば初手はこちらの側部を狙っていた。
もしこちらがガードできなければ重傷……どころか死んでいたかもしれない。
そう思うと怖ろしい少女だ。
殺人未遂を告白したジュナは話を続ける。
「オレは……かなり強いつもりでいた。兄貴から稽古を受けて、大鎌の扱いもマスターして、受験生相手なら絶対に負けないと思ってた。なのにこの有様だ……。情けなさすぎるだろ……」
ジュナはしゃがんだまま顔だけをクロトに向ける。
「お前は誰にその技を習ったんだ? まさか自力でそこまで強くなったのか?」
習ったわけでもなければ自力で特訓したわけでもない。
クロトは正直に告げることにした。
「正直に言うけど……僕は記憶喪失なんだ」
「記憶喪失?」
「ああ。……もしかしたら凄腕の狩人だったかもしれないし、そうでなくても剣の達人だったかもしれない。今回狩人の資格を取りに来たのも、記憶を取り戻す手掛かりを得るために必要になるからなんだ」
「そうか……」
ジュナは納得したのか、大鎌を杖代わりに立ち上がる。
そして、神妙な面持ちでクロトに頭を下げた。
「……さっきは殴って悪かったな」
と、謝ったかとおもいきや、ジュナはすかさずクロトの胸ぐらをつかむ。
「でも次は、あんなことしたら許さないからな!!」
「……わかった」
「わかったならいいんだ」
ジュナはそう言うとクロトから手を放し、試験官がいる場所へ向かって歩き始めた。
クロトも第二試験の結果を聞くべく、彼女の後を追うことにした。
――セントレアには他の地方の街と違い、様々な店がある。
生活に必要不可欠な食材店や衣料店はもちろんのこと、
仕事に必要な道具を扱う鍛冶店や金物店
娯楽や嗜好目的の品を扱う書店や宝飾店
更にはサービスを目的とした理髪店や宿屋や飲食店など
他にもカミラ教団が直轄で運営している銀行や病院、学校も合わせるとかなりの種類に及ぶ。
まさに多種多様だ。
そんな店がごった返している中央区にて
モニカとティラミスはアンティーク調のテーブルセットに腰掛け、ティータイムを楽しんでいた。
場所は中央区の隅にひっそりと佇む喫茶店。
狭い店内にはガラス細工や小動物をモチーフにした小物が所々に配置され、ただでさえ狭い店内をさらに狭くしていた。
そのせいか客の姿はなく、モニカとティラミスの貸切状態だった。
モニカは相変わらず口元まで覆うほど襟高のコートを着込んでおり、短めの紫の髪はバレッタで後頭部に纏められ、隈だらけのグレーの三白眼は窓の外に向けられていた。
ティラミスはこの喫茶店の小物の一部かと思うほど可愛らしく、浅黒い肌に真っ白のワンピースのコントラストは美しく、紺のショートヘアーに青紫の瞳、目元に掛けられた眼鏡は彼女を知的に見せていたが、同時に彼女を飾り立てる装飾品としても機能していた。
テーブルの上には綺麗な磁器のティーセットが2つあり、カップには透明に近い黄金色の紅茶が、お皿の上には生クリームたっぷりのケーキが載せられていた。
運ばれてきたばかりのケーキに視線を落としつつ、ティラミスはモニカに告げる。
「もう一度確認しますけど、本当に外に出て大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ」
モニカは外の景色を見るのを止め、ティーカップに手を伸ばす。
「ティラミスちゃんも色々と実験されて飽きてきたでしょう? たまには息抜きも必要ですよ。それにここはセントレアの中でも穴場中の穴場の喫茶店です。人の目を気にしないでゆっくりとできますよ」
モニカは逆の手で襟元のファスナーを胸元まで下ろし、ティーカップを口元に持って行き、中身を飲むべく手前に傾けた。
慣れた様子で紅茶を啜るモニカを見ることなく、ティラミスはテーブル上からフォークを取る。
「実験……と言うにはあまりにもお粗末だった気もしますが」
ティラミスは応じつつもフォークを握り直し、ケーキに突き刺す。
「まあ、他のみんなには内緒でやっていますからね。できることも限られてくるし、しっかりとした実験はできないのが現状です」
モニカは再度紅茶を啜る。
ほぼ同じタイミングでティラミスはケーキを上品に切り分け、一口大の欠片を口の中に入れる。
予想外の美味しさだったのか、ティラミスは思わず顔を綻ばせた。
が、その顔をモニカに観察されていた事に気づき、ティラミスは赤面しつつ咀嚼する。
ケーキを飲み込むと、ティラミスは先程よりも真面目な口調でモニカに質問した。
「今のところやったのは持久力テストと筋力テスト、それに血液を調べたくらいですよね。……何か分かりましたか?」
「ええ、かなりのことが分かりましたよ」
「……教えてもらっても?」
「もちろん」
モニカはティーカップを置き、テーブルに肘をついてティラミスを指差す。
「ティラミスちゃん、あなたは……」
モニカの表情は真面目だった。完全に学者モードだ。
しかし、そんな真面目な雰囲気をまとった彼女から発せられたのは気の抜けるような言葉だった。
「……とってもかわいい」
「真面目に話してください」
ティラミスはモニカの指と交差するようにフォークをモニカの顔に向ける。
それでもモニカは動じなかった。
「怒り顔もかわいいですね……じゃなくて、これは一見関係なさそうに見えて重要な事なんです」
「……」
どうやら冗談で言ってるわけでもなければ誂っているわけでもないらしい。
そう判断したティラミスはフォークを収め、モニカの話に耳を傾ける。
「あなたはヒトガタの中でもとても人間の外見と似ている、ということです」
「……似ている?」
「そうです。……今までヒトガタの目撃情報は何件か報告されています。しかし、そのどれもが人の形を保っているものの、全身に棘が生えていて禍々しい姿だったり、足や腕が異様に太くて長かったり、人間の形状とは大きくかけ離れていました。しかし、あなたは街を歩いても大丈夫なほど人間と近い外見をしています」
モニカは若干前のめりになると手を伸ばし、ティラミスの頬に触れる。
「そして肌の色。……目撃されているどのヒトガタも全身真っ黒なのですが、あなたはそこまで黒くない。浅黒い程度で、人間だと言えば言い通せるレベルです」
「つまり……?」
モニカはティラミスから手を放し、結論を述べる。
「あなたは『ヒトガタ』の中でも特異な存在……突然変異種である可能性が高いです」
「突然変異種……」
「ヒトガタはディードの中でも特殊な存在。そのヒトガタの中でさらに特殊な存在となると、サンプル数は多分世界広しといえど数体しか……いや、あなたしかいないかもしれません。そんなあなたを学会で発表すれば、私の名前は確実に歴史に残るでしょう……」
モニカは熱く語っていたが、唐突にため息をついて肩を落とす。
「……ですが、そうなるとティラミスちゃんは必ず解剖されて徹底的に調べられてしまいます。私としてはそれは避けたいことですし、クロトさんもそれを良しとしないでしょう。 ……これほどもどかしく思ったことはありません」
肩を落とすモニカを眺めつつ、ティラミスはケーキを食べ続ける。
三口目を食べ終えると、ティラミスは純粋な疑問をモニカにぶつける。
「そもそもな質問ですけれど……ディードの研究ってどの程度まで進んでるんですか?」
「結構進んでいますよ」
ティラミスの質問に対し、モニカは水を得た魚のように語り始める。
「ところでティラミスちゃん、そもそもディードとは何だと思いますか」
「人類の敵、とは聞いてますけど」
「その通り。ディードは他の動植物には目もくれず、人間だけを襲う存在なんです」
モニカは興奮気味に喋り続ける。
「彼らの食料は何か、どうやって繁殖しているのか、他の動物と何が違うのか……。これまでかなりの数のディードを解剖した結果、他の動物と同様消化器官や循環器があることは分かっています。が、生殖器がないのです」
「それって……」
「はい。繁殖できないのです」
モニカはティーカップの縁を指でなぞりつつ、神妙な面持ちで告げる。
「ここで一つの仮説が立ちます。……ディードを生み出す存在がこの世界のどこかにいるのではないか、と」
「……」
ティラミスはこの話に驚きを隠せず、ケーキにフォークを突き刺したまま手が止まっていた。
「この世界は未だに未開の地が多すぎます。どこかでディードが生み出され、人を襲うべく野に放たれている……馬鹿らしく思えますが、そう考えている学者は少なからず存在しています」
ティラミスはモニカの話が信じられなかったのか、考えを整理するようにゆっくりとした口調で反論する。
「仮にそうだとして……その、“ディードを生み出す存在”がまだ発見されてないのは不思議です。……この間呼んだ地理の本にもそれらしき場所は……」
「あれに載っているのはこの大陸だけです。予想ではその存在は大陸の外……海のどこかにいると考えられています」
「海……」
「ディードは海のどこかで生まれている……。そう考えればティラミスちゃんが浜に打ち上げられていた理由も納得できます」
「!!」
ティラミスは自分の生い立ちが分かるかもしれないと考えたのか、ある案をモニカに示す。
「そう考えているなら、船で徹底的に海を調べればいいんじゃないですか?」
「海には凶暴な海棲ディードがわんさかいます。海岸沿いに船を走らせることはできても、沖合いに出るとなるとかなりの危険があるんです」
「海棲ディード……そういえばそうでしたね……」
海に棲まうディード、海棲ディードは陸地のディードの数倍厄介な相手だ。
武装した船でも一匹の海棲ディードに破壊されてしまうほど、海は危険な領域なのだ。
「これまでの調査の結果、大まかな予測ですが、海の面積は陸地の5倍以上あると考えられています。まだ発見されていない陸地があっても不思議ではありません」
モニカは再度ティラミスに顔を近づける。
「何か思い当たることはありませんか? ティラミスちゃんの記憶は、人類を現在の窮地から解放することができるほどの価値があるものなんです」
「すみません、何も思い出せなくて……」
ティラミスは目を閉じ、小さく溜息をつく。
同じくモニカも溜息をついた。
「本当はこのままずっとティラミスちゃんのことを研究して、記憶を取り戻す手伝いもしたいのですが……そうもいかないんですよね」
「はい、あと6日でクロト様の試験も終わります。そうしたらセントレアを離れて西に向かうとリリサ様が言っていました」
「私も研究者の端くれ。自力で答えにたどり着きますよ」
モニカはその言葉を最後にティラミスから離れ、背もたれに体重を預ける。
「……さ、ここの紅茶は絶品です。冷めないうちに飲んでしまいましょう」
「はい……」
その後二人は貸切状態の喫茶店内にて、紅茶とケーキに舌鼓を打っていた。




