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天球のカラビナ  作者: イツロウ
01-狂槍の狩人-
3/106

002 異形な生物


 002


 朝、太陽が東の空に顔を覗かせてまもなく

 クロトはミソラと共に家の玄関先にいた。

「それじゃ、行ってきます」

「いってきまーす」

 家の中に向かって声をかける。すると、中からイワンの眠たげな返事が返ってきた。

「おう、気をつけてなー」

 イワンの返答を聞くと、クロトとミソラは街に向かって歩き出す。

 ……今日は待ちに待った買い出しの日だ。

 これから徒歩で街へ向かい、そこで当面の生活必需品とちょっとした嗜好品や娯楽品を買うことになっている。

 メインの目的は買い出しだが、クロトにとっては情報収集が第一の目標だった。

 クロトはお手製の大きなリュックと両肩にショルダーバッグを掛け、ミソラはお金の入ったポシェットとクロトより一回り小さいリュックを背負っていた。

 今は空なのでしぼんでいるが、帰る頃には膨れ上がっていることだろう。

「今のうちに言っておくけど、『アイバール』は本当に賑やかだからね。特に今の時期は私達と同じような買い出し客が大勢いるから、気をつけてね」

「わかった」

 迷子にならないように気をつけておこう。

 並んで歩きつつ、クロトはミソラの服に目を向ける。相変わらずワンピースの上から防寒具を着て、足には厚手のブーツを履いている。全く代わり映えしない格好だったが、髪留めは普段と違って花の模様があしらわれた可愛い物をつけていた。

 やはり、何だかんだ言って女の子だ。身だしなみには気をつけているらしい。

 因みにクロトは上はイワンのお下がりの大きめの毛皮のコートを、下は厚手の生地のズボンを履いていた。コートもズボンも黒、髪も瞳も、そして左手のブレスレットも黒なので肌以外は真っ黒だった。

 朝日を受けてきらきらと光る金髪を何気なく眺めていると、視線に気づいたミソラはクロトと視線を合わせて首を傾けた。

「……何?」

 またしてもミソラに見惚れていたようだ。

 クロトは誤魔化すべく、咄嗟に応じる。

「いや、ミソラは……」

 語尾を伸ばしつつ話題を考え、クロトはなんとかして次の言葉につなげる。

「……ミソラは街にはどのくらい行ったことがあるんだ?」

「6回くらいかな。もちろんお父さんと一緒にだけれど」

 当時のことを思い出しているのか、ミソラは視線を斜め上に向けていた。

「街には大通りがあるんだけれど、その通りに沢山お店が並んでて……他にも出店があったり、かなり賑やかだよ」

「へえ……」

 彼女の“賑やか”がどの程度の基準なのか分からないが、人は多く集まっていそうだ。

 村内の道を歩いていると、老婆に声を掛けられた。

「おやおや、ミソラちゃん買い出しかい?」

 老婆は玄関前に置かれた椅子に座り、ひなたぼっこをしているようだった。

 ミソラは足を止めて老婆に応じる。

「うん。いまからクロトと街まで行くの」

「そうかい……気をつけて行っておいで」

「うん」

 ミソラは笑顔で老婆に手を振り、道に戻ってくる。

「知り合い?」

「うん、昔は家のことを手伝ってもらってたりしたんだ」

「……」

 ミソラには母がいない。

 病気で死んだのか、事故で死んだのか……未だに詳しいことは教えてくれない。だが、昔家事をやってくれていたということは、ミソラがかなり小さい頃に母親は亡くなったのだろう。

 こういうことは根掘り葉掘り聞くのはよくない。

 クロトは黙ったまま歩き続ける。

 他にも村の人々に挨拶しつつ、二人はすぐに村の出口に到達した。

 ミソラはリュックを背負い直し、短く溜息をつく。

「お昼前には着くと思うから、着いたらまずはお店で美味しいものでも食べよ?」

「そりゃいいね。楽しみだ」

 どんな料理があるのか楽しみだ。ここ最近芋やトウモロコシしか食べていないので、本当に楽しみである。

(というか、今からお昼まで歩きっぱなしか……)

 今からだと片道4時間くらいだろうか。距離にすると16から18kmだろう。

 体力がある方だと自負しているので行きは問題無いだろうが、色々と買い込んだ帰り道は荷物も重いし大変そうだ。

 まあ、先のことはあまり考えないようにしよう。

 クロトは気楽に考え、ミソラとともに街へ向けて街道を歩き出した。



 小休止を挟みながら歩くこと4時間

 クロトはアイバールの街の入口に立っていた。

(意外と大きいな……)

 街は予想していたよりも一回り大きかった。

 高い建物はないと思っていたが、2階建ては当たり前で3階から5階の建物もある。

 建築素材は石か煉瓦で、あまり鮮やかではない。が、のぼりや看板は色鮮やかで、人の数の多さも相まってか、かなり賑やかだった。

「結構すごいでしょ」

「ああ、驚いた……」

「この程度で驚いてちゃ駄目よ。中央広場につく頃には驚きすぎて気絶しちゃうよ?」

「流石にそれはないと思う」

 日本での記憶は曖昧だが、人混みには慣れているつもりだ。

 喧騒が飛び交う中、クロトとミソラは街の中へ足を踏み入れる。

 人とぶつからぬよう気をつけながら歩いていると、クロトはあることに気づいた。

(結構、入り乱れてるな……)

 イワンやミソラなど、村の人と同じような北欧系の人種が多くを占めているのかと思っていたが、街には様々な肌の色髪の色瞳の色の老若男女が入り乱れていた。

 それだけ、この街がそれぞれの村の中心機関としての役割を担っているということだ。

 クロトは視線を忙しなく動かしながら目当てのお店に向けて人の波を掻い潜っていく。

 やがて広場に出ると、視界が開けた。

 広場には屋台が軒を連ね、広場中央には粗雑だがそれなりに綺麗な噴水が鎮座していた。

 噴水周辺には自分たちと同じような買い出し客が足を休めており、手には屋台で買ったであろう軽食が握られていた。

 賑やかな広場の中、クロトはまたしても異質な物を発見してしまう。

「あれは……?」

 クロトの視線の先、広場の隅には大きな馬車があり、荷台には鉄籠が載っていた。

 そして、その中には人が数名ほど入っていた。殆どが若い男女で、全員が手錠と足かせを嵌められていた。

 表情は暗い。罪人だろうか。

 クロトの質問に遅れて、ミソラは衝撃の答えを述べる。

「ああ、あれは奴隷よ。多分もう少ししたら競売会が始まるんじゃないかしら」

「奴隷……」

 意味は知っている。彼らがどのような扱いを受けるであろうかも知っている。

 昔はよくあったことだし、現代でも国によってはない話ではない。

 だがそれよりもクロトは“奴隷”という言葉を当たり前のように口にするミソラに少し驚いていた。

「ちょっと聞いていいか?」

「なに」

「奴隷って、どのくらいの値段で取引されるんだ?」

「さあ、ピンからキリまであると思うけれど……安くて馬2頭分、高くて馬10頭分くらいかなぁ……」

「馬で言われてもなあ……」

 いまいちピンとこない。記憶を失ってから買い物をしたことがないので相場もわからない。

 ミソラは「ちょっと待って」とその場で目をつむり、指折り数えながら答える。

「金貨10枚で馬1頭にちょっと足りないくらいだから、金貨25枚もあれば安い奴隷は買えるわね」

「大雑把だなあ……因みに今の所持金は?」

「もしかしてクロト……奴隷買うつもり?」

「違う違う、僕は記憶が無いだろう? 少しでもいろんなことを知っておきたくて……」

「仕方ないなあ」

 ミソラはポシェットから布製の財布を取り出し、中身をクロトに見せる。

 そこには金貨が1枚、銀貨が7枚、そして銅貨が3枚ほど入っていた。

「3種類だけ?」

「そうだけど……?」

 それぞれの価値は分からないが、日本円の種類と比べると少なすぎる。これだと大雑把な買い物しかできないのではないだろうか。

 こうなると余計に自分が過去にタイムスリップしたのではないかと思わされる。

 ミソラは早々に財布をポシェットに仕舞い、広場を抜けるべく歩き出す。

「うちは奴隷とは無縁ね。何せ、もう既にタダ同然で働いてくれるクロトがいるもの」

「僕は奴隷ですか……」

「そうよ。一生あの家で一緒に暮らしてもらうんだから」

 そう言うミソラはどこか嬉しげだった。余程僕を拾って良かったと思っているらしい。

 そんなことを話している間にクロトたちは噴水広場を抜け、ようやく目的の店に辿り着いた。

「ついたついた。はやく必要な物買っちゃいましょ」

 店の中に入っていくミソラを目の端に捉えつつ、クロトは店全体を観察する。

 大きさは個人経営の商店程度、黄色い看板には雑貨店と書かれていた。

 雑貨店に入ると、陳列棚が数列並び、様々な種類のものが所狭しと並べられていた。

 カウンターには小太りの男が立っており、ミソラを見るなり声をかけてきた。

「あれ、ミソラちゃん久しぶりじゃないか。見ない間に可愛くなって……」

「それ、毎年言われてる気がするんだけれど」

「事実なんだからいいじゃないかい」

 小太りの男は満面の笑みを浮かべ、カウンターに両手を乗せる。

「今日はイワン……お父さんとは一緒じゃないのかい?」

「お父さんは家でお留守番よ」

「なるほど、お使いご苦労様……っと、後ろにいるのは? 見慣れない顔だが……」

 小太りの男の視線がクロトに向けられる。クロトは軽く手を挙げて応じた。

 そんなクロトをミソラは強引に隣に立たせて紹介し始める。

「これはクロト。新しい家族よ」

「おお、とうとうミソラちゃんも結婚したのか」

「ば、バカ言わないで」

 ミソラは大声で否定し、何故かこちらの背中をバシバシと叩く。リュックのおかげで威力は低減されたが、それでも結構痛かった。

 ミソラは一呼吸置き、事情を説明する。

「クロトは……1年前にベックルンの山で行き倒れてて、記憶も行く宛もなかったから、家で引き取ってあげたの」

「ほー、ベックルンで……しかし、冬のベックルンを越えようとするなんて、余程急ぎの用事があったんだな」

 小太りの男に問われ、クロトは首を左右に振る。

「いえ、だからそのあたりの記憶が全く無いんです」

「おっと、そうだったな。記憶が無いなんて男、初めて見たもんでな……」

 小太りの男はこちらに興味津々だ。

 が、会話を遮るようにミソラはカウンターテーブルを叩いた。

「さ、無駄話はこれくらいにして、いつものお願い」

「塩に砂糖に……あとはお酒だったかな?」

 小太りの男は喋りながら倉庫があるであろう店の奥に消えていった。

 待っている間、クロトは改めて店内を見渡す。

 すると、カウンター横の壁に一枚の大きな絵を見つけた。それは明らかに地図であり、陸の部分は緑に、海の部分は青に、山岳地帯は茶色で立体的に描かれていた。

 それは、クロトが初めて目にする有益な情報だった。

(世界地図……じゃないよな……)

 形はクロトの知る形状とは全く異なっていた。地図内に陸は2つしかなく、中央に長方形の島が、その左下に少し小さめの、逆三角形に近い形状の島が描かれていた。

 どちらの島にも綺麗な円状の湖が点在し、島からはみ出て海と一緒になっている所も多々あった。

 多分、今自分がいるのはどこか北にある島なのだろう。しかし、こんな形状の島は見たことがない……。

 しばらく地図を眺めていると、様々な袋を抱えた小太りの男が奥から出てきた。

 クロトは間髪入れず男に質問する。

「すみません、あれは……?」

 地図を指差すと、小太りの男はすぐに答えた。

「地図だよ。値段は銅貨2枚……」

 聞きたいのは値段ではない。島の位置だ。

 言葉を遮り、クロトは質問を続ける。

「地図って、どこの地図です? あれより大きい地図は売ってないんですか?」

 クロトの言葉におかしいところがあったのか、小太りの男は笑いながら応じる。

「はは……あれは世界地図だ。流石にあれより大きいのはないよ」

「……!!」

 世界地図、と聞いてクロトの思考が一瞬停止する。

 が、即座に小太りの男の言葉を否定した。

「いや、いやいや……」

 そんなのはあり得ない。自分が日本人だという記憶が確かな以上、ユーラシアもアフリカもアメリカもオーストラリアも、そして日本も世界に存在しているはずだ。そうでなければならないのだ。

 しかし、壁に掛けられた地図にはそんな大陸はない。

 もしかして、日本人だという自分のこの記憶は偽物だったのだろうか。

 自分は狂っているのだろうか……。

 ……冷や汗が出てきた。

 急に押し黙ったクロトを無視し、ミソラは地図に近づき一点を指差す。

「ほら、今いるアイバールの街がこの辺りだよ」

 指は地図の右上、山脈の東側を指していた。まさに最東端、そして最北端。寒くて当然だ。

(じゃなくて……)

 問題はこの地図が冗談抜きで正しいかどうかだ。いい加減に描かれている可能性だってある。

 そのことを問い詰めようとしたその時、突然店の入口から興奮気味の男の声が聞こえてきた。

「おい、表にでろよ。『狩人』が大物を獲ってきたらしいぞ!!」

「マジか!!」

「ほんと!?」

 小太りの男とミソラは似たような反応を示し、売買そっちのけで店の外に向かう。

 クロトはミソラの腕を掴み、引き止める。

「一体どうしたんだ?」

「聞いたとおりよ。大物なんて数年に1回か2回しか拝めないんだから……ほら、クロトも一緒に見に行こ!!」

 掴んだ腕を逆に引っ張られ、クロトは通りに出る。

 通りには自分たちと同じような野次馬がいて、全員が広場に向かって移動していた。

 その波に乗ってクロトとミソラは広場へと駆け足で進んでいく。

(大物って……何だ?)

 疑問を抱くまもなくクロトは広場に到着した。

 全員の視線の先、そこには木の台があり、台には黒くて大きな物体が載せられていた。

 確かに大きい。が、それが何なのかよく分からない。

 騒々しい中、クロトはミソラに問いかける。

「あれは!?」

「ディードよ。お父さんから聞いてない?」

「あれが……ディード!?」

 クロトはミソラをその場に置き、駆け足で木の台に近づく。

 するとようやく黒い大きな物体の詳細を観察することができた。

(何だ……コレは……)

 ディードと呼ばれるモノを目の当たりにし、クロトは愕然とする。

 その外見は魔物と形容するのが適切であるほど、禍々しい外見をしていた。想像していたものとは全く違う。獣というよりクリーチャーだ。

 全身がペンキを塗られたのではないかと思うほど真っ黒で、生物にしては体のパーツのバランスがかなり異常だった。全体の大きさは熊よりも数倍大きく、足の数は6本、背中には骨が突き出ており、頭部と思われる部分には人を丸呑みできるほど大きな口があった。

 口の中には真っ黒な鋭い歯が並んでおり、口内からは異様に長い舌が垂れていた。

 異形の生命体だった。

「こら、あまり近づくな」

 間近で見ていると、狩人らしき人物に押されてしまった。

 クロトは背後に下がるも、視線はディードに釘付けになったままだった。

「危ないじゃない、クロト」

 背後から話しかけてきたのはミソラだった。

 ミソラはクロトの肩を背後から掴み、視線をディードに向けたまま説明を続ける。

「死んでてもたまに腕とか足が勝手に動くことがあって、そのせいで子供が大怪我をしたことがあるの。危ないから絶対近づいちゃ駄目だよ」

 見ればわかる。爪は鋭く、歯も大きい。肉食恐竜でもあれほどの歯は持っていなかっただろう。

 こんな生物、この世界には存在しない。が、この街の人間は当たり前のように受け入れている。

 ……ここでクロトはようやく理解した。

 聞いたこともない言葉、ありえない世界地図、そして魔物(ディード)の存在……。

 間違いない。ここは現代でもなければ過去でもない。

 日本などという国が存在しない世界。別の世界。

 ――つまりは異世界だ。

「嘘だろ……」

 クロトは信じられなかった。信じたくなかった。だが、全ての状況がこの世界が異世界であると証明している。

 受け入れがたい真実だが、真実は真実だ。

 ……ここは今まで自分がいた世界とは違うのだ。

 それならいっそ記憶も戻らないほうがいいかもしれない。

 このままあの村で、ミソラと親父さんと一緒に暮らすのも悪く無いかもしれない。

(ハハ……)

 なんて自分は楽観的な人間なのだろう。いや、楽観的な思考をしていないと狂ってしまいそうだ。

 まさに現実逃避だ。 

「クロト、どうしたの」

 いつの間にかミソラは正面に立ち、こちらの顔を覗き込んでいた。

 クロトは言葉を返す。

「どうしたって……何が?」

「顔色、凄く悪いよ」

 ショックのせいで体に支障をきたしているようだ。心なしかフラフラするし、考えもまとまらない。

 ミソラに悟られぬよう、クロトは気合を入れなおして踵を返す。

「……大丈夫。さ、早く買い物して帰ろう。ダラダラしてると日が暮れちゃうよ」

「うん……そうだね」

 二人は広場を後にし、雑貨店に戻る。

 それから小太りの店員が戻ってくるまで、少し待たなければならなかった。

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