023 護衛の依頼者
023
「アリスタ、話があるんだけれど……」
「なんだリリサ・アッドネス、泣きつかれても借金は減らさないぞ」
クロトが安宿の一室で正体不明の男と接触していた頃
リリサは猟友会ケナン支部の支部長室にいた。
支部長室内にはリリサとアリスタの二名の姿があり、リリサは入口のドアに手を付けたまま、アリスタは椅子に腰を据えて事務作業をしていた。
リリサは入り口から部屋の中へ足を進める。
「違う。手っ取り早く稼げる仕事が無いか聞きに来たの」
「なるほど、いい心がけだな」
アリスタは席を立ち、リリサが開けたドアが閉まらぬうちに支部長室を出て事務部へ向かって移動し始める。
リリサも踵を返し、アリスタの後を追う。
「できれば禁猟区で仕事がしたいんだけれど……」
「禁猟区か、あの洞窟は長い間手付かずだからディードの巣窟と化しているだろうな」
「それはラッキーね。金貨80枚くらいならすぐに稼げそう」
「流石は“狂槍”、威勢のいいことだ」
二人は廊下を抜け、1階の事務部に到達する。
事務部は1階フロアの4分の1ほどを占めており、木製のデスクが数台並び、それぞれに事務員が座って何か作業をしていた。
アリスタはカウンター横の扉を抜けて事務スペースの中に入っていく。
リリサも入ろうとしたが、後ろ手で拒否されてしまった。
「今依頼を確認してくる。ここで待っていろ」
アリスタは事務員に軽く挨拶しながら奥へ進み、奥から2番目のデスクに座っていた老人と二言三言会話を交わす。
長話になるかと思いきや、会話はすぐに終わり、アリスタは羊皮紙片手にカウンターに戻ってきた。
アリスタはカウンター越しにリリサに告げる。
「お前、タイミングがいいな」
そして、事務員から受け取った書類をカウンターの上に広げた。
そこには“依頼申請書”の文字が大きく書かれていた。
リリサは前のめりになって内容を読もうとする。が、すぐにアリスタは申請書を取り上げ、詳しい内容を読み上げ始めた。
「つい先程、第1禁猟区での護衛任務の依頼が来たことろだ」
「護衛?」
「カミラ教団からの正式な依頼だ。学者さんを1名、禁猟区の奥まで……“坑道”の最深部まで案内して欲しいらしい」
「案内するだけなら楽そうね。その話乗ったわ。……で、報酬は?」
「報酬は……」
アリスタが金額を告げようとしたその時、横からくぐもった女の声が割って入ってきた。
「……金貨100枚です」
リリサは声がした方向に目を向ける。そこには淡い紫の髪が目立つ、暗緑のコートに身を包んだ少女が立っていた。
身長はリリサより頭半個分ほど低い。
外ハネ気味の髪は耳を隠すほどの長さで、それらは後頭部に集約されて黒のバレッタで纏められていた。
続いて顔を見る。目は三白眼で瞳の色はグレー、目元には濃い隈があり、どことなく暗い雰囲気を漂わせていた。
口元は襟高のコートのせいで隠れている。このせいで声がくぐもっていたのだろう。
視線を下に向けると下半身には無数のひだが入ったスカート……短めのプリーツスカートを履いており、更に下には黒いタイツを、靴は頑丈そうなショートブーツを履いていた。
服装から見るに狩人にも見えなくない。が、明らかに体は軽そうで、武人のそれとは程遠かった。
得体のしれない少女を視界に捉えつつ、リリサはアリスタに問う。
「……誰?」
「誰も何も、こちらが護衛対象の学者さんだ」
「学者って……どうみてもただの女の子じゃない」
リリサはアリスタの言葉が信じられなかった。
何故なら、リリサがセントレアにいた頃に見た教団の学者は全員が男で、それなりに歳のいった人だったからだ。
女性の学者、研究員もいるとは聞いていたが、まさかこんなに若い少女が学者だとは簡単には信じられなかった。
紫髪の少女はこういう扱いには慣れているのか、リリサに警告する。
「学者に見えない外見であることはよく自覚しています。……が、外見だけで安易に判断してはいけませんよ。それは様々な種類のディードを相手に戦う狩人のあなたもよく自覚していると思いますが」
口元を覆っている襟のせいで相変わらず声はくぐもっていた。
だが、内容自体は共感できた。
ディードも図体だけ大きくて弱い奴もいれば、小さくてもすばしっこくて苦戦する奴もいる。
……ティラミスがいい例だ。
体は華奢で外見も可愛らしいのに、ハンマーで硬い亀甲の盾をぶち抜くほどの膂力を有している。
小さな学者様が高説を述べたところで、アリスタが改めて話をまとめる。。
「リリサ、この方は間違いなくカミラ教団の学者だ。で、学者さん、こいつは“狂槍”っていう二つ名を持ってる凄腕の狩人で、護衛任務にはもってこいの人材だ。私が保証しよう」
アリスタの言葉に少女は深く頷く。
「狂槍……なるほど、支部長さんが言うのだから間違いないのでしょう。護衛の依頼はこの方に頼むことにします。時間も惜しいですし、早速出発しましょう」
少女はリリサの意見も聞かずに勝手に話を進め、意気揚々と出口に向かう。
ただの学者の護衛なら楽勝だと思っていたが、この少女は一癖も二癖もありそうだ。
禁猟区は一応は危ないとされているエリアだ。しかも坑道となると逃げ道も制限されてしまう。
リリサは逡巡した後、アリスタに小声で告げる。
「ねえアリスタ、やっぱり護衛って面倒くさそうだし、この話はなかったことに……」
「悪いがもう手続きは済ませた。……ぐだぐだ言ってないで案内してこい」
少女は既に建物の外に出ており、黙々と歩いていた。
このまま放っておくと一人でも禁猟区に足を踏み入れてしまいそうだ。
勝手に死なれても寝覚めが悪い。
「はいはい……」
リリサは仕方なく依頼を受けることを決め、少女を追うべく支部を後にした。
ケナン支部を出発して2時間
リリサと学者の少女はケナン北部の山中にある禁猟区、坑道の中を歩いていた。
この坑道は大昔に掘られたらしいのだが、それ以外のことは分かっていない。
坑道の幅は馬車が余裕を持って通れる程度、高さもそれなりにある。長さについては分からないが、入り口から入って10分経った今でも終りが見えない。
ランプを片手に進んでいるが、奥は真っ暗でなんだか不気味だ。
一体誰が何の目的でこの穴を掘ったのか……謎は深まるばかりだ。
小さな学者さんはそんな謎を解き明かすために教団から派遣されてきたのかもしれない。
そんなことを思いつつ進んでいると、不意に少女が喋り出した。
「それにしてもラッキーです。まさかあの悪名高い“狂槍”さんが護衛についてくれるなんて」
「……それはどうも」
悪名高いという言葉に引っかかりを覚えたが、いちいち突っ込むのも疲れる。
適当な返事が行けなかったのか、少女は堰を切ったように言葉を続ける。
「本当は『エンベル』の『アルキメル』さんに護衛を頼もうと思っていたんですが、なかなか交渉がまとまらなくて……死ぬ覚悟でこのケナンに来たんですが……本当に私は運がいいですね」
エンベルはセントレアから更に西にある街だ。あのあたりは結構強いディードが湧くので狩人の質も他の支部と比べて高いレベルにある。
アルキメルという名前も耳にしたことがある。
確か男だった気がするが……それ以外のことは知らない。と言うか他の狩人にはあまり興味が無い。
そんな私が名前を知っているのだから、かなり有名な狩人には間違いない。
「ちなみにリリサさんは……あ、“リリサさん”って呼び方でいいですか? “アッドネスさん”って呼んだほうが……」
「いいから黙ってなさい。連中が音に敏感なのはカミラの学者様ならよく知ってるでしょ」
「これは失礼しました。つい興奮してしまい……」
暗い性格かと思っていたが、見かけに似合わずよく喋る。本来の性格がそうなのか、単に坑道の中にいるこの状況に興奮しているのか……
まあ、ディードが出てくれば嫌でも大人しくなるだろう。
……と、考えたところでリリサは異常に気づく。
(こんなに進んだのに、まだディードに遭遇しないなんて……)
禁猟区は狩人でも立ち入りが制限される危険な場所。その場所でディードと遭遇しないのは異常だ。
まあ、つい先日ケナン周辺のリーダーであろうヒトガタを退治したこともあるし、ここら一帯のディードは活動を控えているのかもしれない。
異常を楽観的に捉え、リリサは呟く。
「……それにしてもちょろい仕事よね。学者様を最深部に案内するだけで金貨100枚……私達狩人が思っている以上に教団は資金潤沢みたいね」
「それだけこの坑道に価値があるということです」
「そうなの?」
リリサの疑問たっぷりの顔を見てか、学者の少女は「少しお話しましょうか」と言って咳払いをする。
「……文献によれば、この坑道は遥か昔は避難施設として使われていたようです」
「避難って……ディードから?」
少女は首を左右に振り、リリサの考えを否定する。
「発見した当初はその考えが濃密だったのですが、最近の研究ではどうやら違うことがわかってきたんです」
「ディードの他に何から身を守るっていうの?」
「それを調べるためにこうやってあなたを雇って最深部に向かっているんです」
もっともな話だ。
「さあ、行きますよ」
少女はこの坑道に危険はないと考えたのか、ランプを片手に小走りで前へ進んでいく。
「まったく……」
恐怖より好奇心が勝る……厄介な護衛対象だ。
リリサは離れすぎないように少女に注意を促そうとする。が、言葉を口にする前に男の声が坑道内に響いた。
「……お嬢さん方、そこで止まったほうがいい」
「!?」
急に聞こえた声に二人は足を止める。
そして、声の出処を探るべくランプを掲げて周囲を見渡す。
すると、前方に人影を確認できた。
「誰だ!?」
距離にして10mほど。
男はロングコートに身を包み、深いフードを被っていた。
灯りも持たずにこんな場所で何をしているのだろうか。
「……狩人か?」
リリサは二度問いかける。しかし、返答はなかった。
武器も持っていないし、戦闘服も着ていない。狩人ではなさそうだ。
……いや、いまは狩人かどうかは問題ではない。
こんな場所で男が一人でいるのは怪しすぎる。
まさか、ヒトガタだろうか。
警戒心たっぷりのリリサを他所に、少女は普通に男に問いかける。
「どうして止まらなければ? 何かあったんですか?」
怖いもの知らずとはこの事を言うのだろう。が、今回は功を奏したようだ。
男は少女の疑問に対して一言で応じた。
「危ないことが起こる。“これから”な」
男は天井を指差す。と、同時にピシッと嫌な音が耳に届いた。
リリサと少女は音がした天井に目を向ける。と、天井に亀裂が入っていた。
「!!」
亀裂はどんどん拡大していき、同時に瓦解の音も大きくなり始める。
おまけに坑道自体も大きく揺れ始めた。
……このままだと危ない。
そう判断したリリサは後退することを決めた。
「逃げるわよ!!」
リリサは少女を引っ張ると脇に抱え、踵を返して一目散に入口に向かって全速力でダッシュし始める。
そんなリリサの行動に応じるように、坑道の揺れは大きくなっていき、とうとう天井が崩れて坑道が崩壊し始めた。
一度崩れ始めたら崩壊は止まらない。
坑道はあっという間に岩と土砂に埋もれていく。
リリサは10分掛けて移動した距離を90秒足らずで駆け抜け、坑道から飛び出た。
飛び出ると同時に坑道の入り口はぐしゃりと潰れ、土埃が入り口周辺に撒き散らされた。
(死ぬところだった……)
命からがら坑道から脱出したリリサは坑道から十分に離れ、木の幹に背中を預けて息を整える。
脇に抱えられていた少女は命の危険に晒されたにもかかわらず、平気な顔をしていた。
少女は埋もれた坑道を見つめつつ、呟く。
「あの男、何者だったんでしょうね」
荒い呼吸を続けながらリリサは応じる。
「さあ、でも、あれに巻き込まれたら無事じゃいられないでしょうね……」
と言うか、死んだも同然だ。
あの男は一体何者だったのか。
迷い込んだ一般人か
はたまた幽霊か幻の類か
それともヒトガタか……
謎は残るが、もうそれを確かめる術はない。
やがて呼吸が整うと、リリサは木から離れて槍を肩に抱える。
「とりあえず支部に戻りましょ」
「……ですね」
リリサは少女とともにとりあえず街に戻ることにした。




