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天球のカラビナ  作者: イツロウ
02-ヒトガタの少女-
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022 黒衣の警告者


 022


「んん……」

 夢から醒め、クロトは重い瞼を開ける。

 現在自分は安宿のベッドで仰向けに寝た状態。正面には低い天井があり、外からの光を受けて白く輝いていた。

 陽の色はまだ白い。今は昼前といったところだろう。

 クロトは周囲の状況を確認するべく、上半身を起こそうとする。

 しかし、体の節々が凝り固まっており、うまく起き上がることができなかった。

 中途半端に起き上がったクロトは再びベッドに倒れる。

 その時の音に反応したのか、室内から可愛らしい声が飛んできた。

「クロト様!!」

 ティラミスだ。

 軽い駆け足の音が聞こえたかと思うと、すぐにベッドに、そして体に衝撃が走った。

 ティラミスのタックルに近い抱擁はボロボロの体には堪えたが、それだけ心配してくれていたのかと思うとなかなか「離れてくれ」と言い出しにくかった。

 痛みに耐えつつどうしたものか考えていると、ティラミスの後方からリリサが話しかけてきた。

「調子はどう?」

「大丈夫。少し痛むけれど、医者に診てもらうほどじゃないよ」

 応えつつ、クロトは手を腹部に這わせる。

 ヒトガタのランスによって開けられたはずの穴はやはり綺麗に塞がっており、凹凸などの違和感も感じなかった。

 異常な再生能力……

 医者を呼ぶより学者か何かを呼んだほうがいいかもしれない。

 リリサはクロトの答えを「そう」と軽く聞き流し、話題を変える。

「それにしても相変わらず眠りが深いのね。あんた、5日間もぐっすり眠ってたわよ」

「5日も……」

 5日間眠ったにしては随分と夢が短かったように思える。

(夢……記憶……取り戻すためにも旅を早く再開しないと……)

 ケナンでゆっくりしている暇はない。

 クロトは再度体に力を込め、上半身だけ起き上がろうと頑張る。

「お手伝いします」

 ティラミスに支えられてようやく起き上がることができ、クロトは現在の思いをリリサに告げる。

「早くセントレアに行こう。すぐに準備を……痛ッ」

 起き上がったついでに立ち上がろうとしたが、刺すような痛みが全身を貫き、クロトは思わず顔をしかめてしまった。

「こらこら、大人しく寝てなさい」

 リリサはクロトの肩をぐっと掴むとそのままベッドに押さえ込んだ。

 そして耳元で囁く。

「直接は見てないけれど、あのヒトガタを倒せたってことはまた“暴走”したんでしょ? ……この前の時は7日眠ってた。まだ暫くは体を休めてなさい」

「でも……」

「別に焦る旅じゃない。無理して進む必要なんてないわよ。それに……」

 リリサは顔を離し、肩をすくめる。

「どうせ借金のことがあるから、すぐに出発できないわ」

 借金、というワードを耳にし、クロトは即座に反応した。

「借金って……街を救ったっていうのに!?」

「アリスタ支部長曰く、“それとこれとは別だ”だってさ」

「そんな……」

 数日前、クロト一行はティラミスの身柄を引き受ける代わりに金貨250枚の借金をケナン支部に背負わされた。

 100枚は既に返却している。残りは150枚。豹型や猿型ディードに加え、あの甲冑姿のヒトガタを狩ったことで全部返済できたと思っていたが……世の中そう甘くはないようだ。

「金貨80枚、支払うまでケナンからは一歩も外に出られないわよ」

「あと80枚も……どうするつもりだい?」

「ディードは嫌でも湧いてくる。適当に狩って稼ぐわよ」

「でも、雑魚を狩ってもそんなに大した稼ぎにはならないんじゃ……」

 ネガティブな発言を続けるクロトに対し、ティラミスは格言を述べた。

「クロト様、急がば回れですよ」

「そうだねティラミス……って、あれ? その言葉……」

 クロトは気づいてしまった。

 彼女が日本語を喋っていないことに。

 リリサは金貨80枚の話を早々に切り上げ、その点について語り出す。

「その娘凄いわよ。3日で言葉を完璧に覚えたんだから」

「3日で!? すごいな……」

 ちなみにクロトは3ヶ月かかった。

 これでも早い方だと思っていたのだが……やはりヒトガタは戦闘能力も学習能力も人並み外れているようだ。

 褒められて嬉しいのかティラミスはベッドから離れてテーブルの上から何かを取り、クロトに見せつける。

 それは本だった。

「今は文字も勉強中です。クロト様のお役に立てるべく頑張ります」

 ここで初めてクロトはティラミスの顔を正面から見ることができた。

 その顔には意外なものが掛けられていた。

「あと、それは?」

「眼鏡です。掛けていたほうが眼の色が目立たないから、と、リリサ様からプレゼントしていただきました」

 ティラミスの顔の中央にはスクエア型の眼鏡が掛けられていた。

 確かに、眼鏡のおかげで眼の色は目立たない。むしろ知的に見えるし似合っている。

「リリサ、ありが……」

 礼を言おうとしたクロトだったが、リリサに遮られてしまった。

「あんたに礼を言われる筋合いはないわよ。同行する以上は目立たないほうがいいと思ったから、掛けさせただけよ」

「うん、そうだね……」

 何だかんだでリリサもティラミスのことを気に入ってるようだ。

 でなければあの“狂槍”のリリサが眼鏡なんてプレゼントしない。もしこれがティラミスでなければ「一生目を瞑ってろ」とでも命令していたことだろう。

 そんなこんなで話していると、リリサがサンドイッチを差し出してきた。

「はい、5日も何も食べてなかったんだしお腹へってるでしょ」

 差し出されたサンドイッチは肉厚のパン生地にハムが大量に挟まった、豪華なものだった。

 サンドイッチを受け取りつつ、クロトはリリサに問う。

「これ、リリサが?」

「違うわ。ケナンの支部から持ってきたの。つい数日前までは近場の食堂で済ませてたんだけれど……もうそんな余裕すら無くなってるのよ」

 狩人は猟友会のメンバーであればほぼ無料でサポートを受けられる。

 このサンドイッチもタダで手に入れた物なのだろう。

「切実だね……」

 クロトは呟き、サンドイッチを齧る。

 ハムは新鮮で、肉の旨味が口いっぱいに広がる。その汁を吸ったパンも非常に美味で、クロトは5口ほどでサンドイッチを平らげてしまった。

 ささやかな食事が終わり、リリサは改めて当面の問題を口に出す。

「……さて、どうやって金貨80枚を稼ごうかしら」

「やっぱりディードを狩るのが手っ取り早いかと」

 ティラミスの意見をリリサは肯定する。

「そうね。やっぱりディード狩りが一番効率がいいのよね。この間の作戦で山のディードはほとんど狩り尽くしてしまったけれど、街道沿いならまだいるかも……あ」

 リリサは話しながら何か思いついたのか、手のひらを叩いた。

「禁猟区で大型を狩るのもいいかもしれないわね」

「禁猟区……?」

 聞くからに危なっかしい場所そうだ。

 リリサは向かいのベッドに腰掛け、説明し始める。

「猟友会が独自に立ち入りを制限しているエリアのことよ。禁猟区には上級レベルの狩人しか立ち入ることができないの」

 そう言った後、リリサは自分の顔を指差す。

「……ちなみに私はその上級レベルの狩人ってわけ」

 リリサはベッドから立ち上がり、玄関へ向かう。

「とりあえず猟友会に行って、禁猟区での仕事がないか聞いてきてみるわ」

「そんな危険な場所に一人で行くつもりか!?」

「危険も何も、この間のヒトガタに比べれば何てことないわよ。いいからクロは寝てなさい。ティラミスは看病。いいわね?」

 口早にそう言うと、リリサは問答無用で部屋から出て行ってしまった。

 まあ、リリサがあれだけ言うのだし、心配することはないだろう。

 リリサを見送った後、クロトは改めてティラミスの学習能力の高さを褒める。

「しかし驚いたなあ。まさか僕が寝てる間にこの世界の言葉を覚えるなんて」

 ティラミスは嬉しげに応じる。

「自分でも驚いてます。文字もスラスラと頭に入ってきますし、意外と日本語と親和性が高いのかもしれませんね」

 ティラミスはにやけ顔を悟られぬためか、本を掲げて口周りを隠していた。

「今は何を読んでるんだい?」

 ティラミスは本をクロトに渡し、説明する。

「地理の本です。これから旅を続けるなら必要になると思いまして」

「勉強熱心だなあ……」

「クロト様のお役に立つためです」

 眼鏡も気に入っているのか、ティラミスは眼鏡をクイッと上げてドヤ顔を浮かべる。

 相変わらず可愛らしい仕草だ。それに加えて素直で献身的。あの時助けて本当に良かったと思える。

 だが、クロトもそこまで協力を強要するつもりはなかった。

「そこまで気合を入れなくていいよ。ティラミスも僕を頼ってくれていいからね」

「……はい」

 ティラミスは本をクロトから返してもらうと、テーブルの上に置く。

 テーブルの上には水差しがあったが、中は空っぽになっていた。

「あ、お水汲んできますね」

 ティラミスは水差しを両手に持ち、玄関へ向かう。

「気をつけてね」

「はい」

 笑顔で応じると、ティラミスは水差しを持って部屋から出て行ってしまった。

 ドアが閉じる音がし、急に部屋が静かになる。

「……」

 クロトはベッドに横になり、溜息を付いた。

(情けないなあ……)

 リリサは自分が原因でできた借金を返すためにディードを狩りに、

 ティラミスは自分の介抱をするために井戸に水汲みに

 対する自分はベッドに寝転んでいるだけである。体が痛むとはいえ、女性陣ばかりに働かせるのは男として情けない。

 しかし、この身体でできることは何もない。リリサの言うとおり体力の回復に努めよう。

 そんなことを考えていると、窓側から男の声がした。

「よう」

 少し声高で軽い口調。

 まるで旧知の友に話しかけるような口調のせいでクロトの反応は一瞬遅れてしまった。

「……誰だ!?」

 遅れながらクロトはベッドから飛び起き、窓側に体を向ける。

 テラスの窓は開け放たれており、部屋とテラスの境目に男が立っていた。

 男は陽の光を背に受けて、長い影を室内に落としていた。

 ……黒いロングコートに深いフードを被った怪しい男。

 顔は全く見えず、もっと言うとロングコートのせいで体格も分からない。

 しかし、身長はこちらと同程度で、声色から男であることは間違いなかった。

 ロングコートの男は室内に足を踏み入れる。

 クロトは痛む体に鞭打って拳を固く握り、構えた。

「物取りか? なら残念。ここには金目の物はなにもないよ」

「……ははっ」

 ロングコートの男は笑う。

 一瞬白い歯が見えた気がしたが、男はすぐに革手袋の手で口元を覆った。

「もし俺が物取りだとして……ベッドで寝てるお前にわざわざ声を掛けると思うか? 物取りなら相手が寝てる間にこっそり盗みを働くと思うんだが……違うか?」

「……」

 確かにそうだ。

 だとしたら、何故この部屋に来たのだろうか。

 考えながら、クロトは男をよく観察する。

 観察してみると、男のロングコートはこの世界に似合わない、近代的なデザインをしており、特別かつ異様な雰囲気を漂わせていた。

 ただ、男の放つ雰囲気は見た目に反して陽気でもあり、敵意は感じられなかった。

 ……狩人だろうか。

 リリサの知り合いならこの風体も納得できる。

 しかし、用があるのはリリサでは無いようだった。

「一人になるチャンスを窺ってたんだが、意外と時間が掛かってしまったな」

 ロングコートの男はテーブルの椅子に腰掛け、足を組んだ。

 クロトも構えを解き、体の故障を悟られぬようにゆっくりとベッドに腰を下ろす。

「……僕に何か用かい?」

「用ってほどのことでもない。ただ、確認がしたいだけだ」

 男はクロトをジロジロと見つめる。

 ……見つめること十数秒、男は何か確信したのか、深く頷く。

「お前の反応が再探知されたって聞いた時は嘘かと思ったが……本気で生きてたのか」

「……!!」

 この言葉からクロトは多くの情報を得ることができた。

 まずこの男は記憶を失う前の自分のことを知っている。

 次に記憶を失った経緯を知っている。

 そして“再探知”という言葉に馴れ馴れしい態度……彼とは仲間に近い存在だった可能性が高い。

 多くの疑問を解消すべく、とりあえずクロトは問い返す。

「お前は、誰だ……?」

「分からないなら分からないでいい。しかし、忘れられるってのも寂しいもんだな。まあ、あれだけの高さから落とされりゃあ障害の1つや2つ出ても不思議じゃないか……」

「やはり僕のことを……」

「知っているさ。少なくとも今のお前よりは、な」

 男はそう言うと椅子から立ち上がった。

 かと思うと、姿を消した。

「!!」

 クロトは慌てて男の行方を探す。が、探すまでもなく隣から声がした。

「こっちだ」

 言うと同時に男はクロトの後頭部を掴み、床目掛けて真下に叩きつけた。

 クロトは為す術もなく叩きつけられ、顔面を強打する。

 男の力は弱まることはなく、ぐりぐりと床に顔面を擦り付け続ける。

「やっぱ力は出せないみたいだな。……ビリオンキラーが聞いて呆れるぜ」

 何を言っているのか、意味がわからない。

 唐突な暴力に為す術もなく困っていると、今度は玄関から声がした。

「クロト様!!」 

 それはティラミスの声だった。

 ティラミスは瞬時に状況を把握したようで、玄関付近に立て掛けていたハンマーを手に取り、男に殴りかかる。

 ハンマーは室内の淀んだ空気を切り裂き、見事に男の頭部に命中する。

 しかし、男はピクリとも動かない。よく見るとハンマーの先端は接触する寸前で空中で停止しており、男に届いていなかった。

 ティラミスはハンマーを引き、第2打を撃つべく後方に振りかぶる。

 ハンマーを後方に振りかぶっているティラミスはまさに無防備状態だった。

 男はその隙を見逃さなかった。

 瞬時にティラミスに接近し、拳をティラミスの顔面に向けて放つ。

 ティラミスはダメージを覚悟してか、目を固く閉じる。

 しかし、ロングコートの男は接触寸前で拳を止め、ティラミスの目の前で指をパチンと鳴らした。

「はへ……」

 途端にティラミスから力が抜け、ハンマーが床に落ちる。そして催眠術にかかったかのように意識を失い、その場に崩れ落ちた。

「まさか人間を攻撃するとはな……」

 男は身だしなみを整え、フードを深くかぶり直す。

 そして視線をティラミスからクロトへ向け直した。

「……いいか? 今から大事なことを言うからよく聞けよ」

 クロトは地面に這いつくばったまま、男を見上げる。

「くれぐれも軌道エレベーターには近づくな。死にたくなければ全てを忘れてのんびり暮らせ。でなけりゃ、今度こそ本当に死ぬぞ」

「おい、それはどういう……」

 クロトはすぐに問い詰めようとしたが、男は言葉を遮るようにその場で軽く跳んだ。

 ふわっと浮いたかと思うと、男は物理法則を無視したかのような動きで宙を移動し、テラスから空へと舞い上がる。

「じゃあな。忠告はしたぞ」

 その言葉を最後に男は空の彼方へ消えていった。

 ……白昼夢でも見たのだろうか。

 クロトはテラスから空を見上げ、先ほどの男の言葉を思い出す。

(軌道エレベーターには近づくな……か)

 やはり、軌道エレベーターには自分にまつわる重要な何かがあるみたいだ。

 ……ますます行かないわけにはいかなくなった。

 あんな脅しで旅を中断するつもりもない。相手はこちらを牽制できたと思っているだろうが、逆に多くの情報を得ることができた。

 相手の正体は不明だが、この件はラッキーだと思っておくことにしよう。

 テラスから戻ると、タイミングよくティラミスが目を覚ました。

 しかし、目は虚ろで意識もぼんやりしているようだった。

「あれ、私は……水汲みに……」

 どうやら記憶が欠落しているようだ。あのロングコートの男、器用なことをするものだ。

 ティラミスは暫くの間ぽかんとしていたが、玄関で横倒れになっている水差しを見つけると、慌てた様子で拾い上げる。

「わわ、すみません、すぐに汲みなおしてきます」

 そして何事もなかったかのように再び井戸に向けて部屋を出て行ってしまった。

「……」

 それからティラミスが帰ってくるまで、クロトは一人考え事をしていた。


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