019 山狩り
019
ケナン北部の山林地帯。
木々が生い茂るこの場所は見通しが悪く、加えて太陽の光も背の高い木に遮られ、昼間だというのに陰鬱な雰囲気が漂っていた。
獣道はあるもののきちんとした道標はなく、地図なしでは確実に遭難するエリアだ。
周囲にはディードの気配が充満しており、いつ襲われても不思議ではない状況だった。
そんな暗い獣道を、クロトとリリサは山頂目指して慎重に進んでいた。
「連中、囲みにかかってるわね」
「……そうだね」
クロトは首を動かさず、視線を左右に向ける。木の影には黒い影が確認でき、それらは着々と数を増やし、もっと言うとこちらに接近してきていた。
気配は消せても殺気は嫌というほど伝わってくる。戦闘が始まるのも時間の問題だろう。
リリサもそれを悟ってか、足を止めた。
「クロ」
「なに?」
「左側、まかせたわよ」
リリサはそう告げるといきなり右に跳び、林の中に姿を消してしまった。
同時にディードの悲鳴が聞こえ、先制攻撃を行ったのだと理解した。
この悲鳴を合図にしてか、今の今まで身を潜めていたディード達が一斉に影から姿を現し、襲いかかってきた。
クロトはリリサの指示通り左側に体を向け、黒刀を抜刀する。
林の影から出てきたのは海岸で見た猪型のディード、そしてつい先日橋の上で戦闘した熊型のディードだった。
数はおよそ30、熊が5匹で残りは全て猪だった。
(やっぱり、司令塔がいるのは間違いないな……)
ヒトガタの存在を再確認しつつ、クロトは黒刀を両手で握りしめ、リリサと同じく林の中へ飛び込んだ。
正面から、しかも複数の敵とやり合うのは賢いやり方ではない。
クロトはすぐに進路を右翼の端に向ける。
距離を取りつつ各個撃破が理想的な戦法だ。
クロトは右の端、群れから遅れている猪型のディード目掛けて一直線にダッシュし、すれ違いざまに頭部を切断した。
集団はそう簡単に態勢を変えられるものではない。
クロトはそのまま集団の横っ腹からディードの群れを切り殺していく。
2匹目は心臓を狙って刃を差し込み、3匹目は眼窩から脳を貫き、4匹目は胴を一刀両断した。
時間にして2秒ほどで4匹を殺したクロトだったが、5匹目に到達する頃には群れの陣形が変わっていた。
横に広がっていた陣形は熊型ディードを先頭とした三角形の陣形に変化していた。
クロトは5匹目に攻撃を仕掛けず、一旦足を止める。
一気に仲間が4匹も殺されたら陣が崩れそうなものだが、ディードたちには全く動揺は見られなかった。
統率が取れた集団というのはかくも怖ろしいものだ。
クロトは黒刀をに付着した血を振り払い、強く握り直す。
木々が生い茂る林の中、相変わらず視界は悪い。だが、それは向こうにとっても同じことだ。
クロトはこの死角を最大限利用するつもりだった。
(行くか……)
クロトは再度走りだし、呼応するように敵ディードも動き出す。
クロト目掛けて襲いかかってきたのは3匹の熊型ディードだった。この間のディードと比べると体は大きめだ。迫力もある。
しかし、全く恐怖は感じられなかった。
やがてクロトは3匹のディードの攻撃範囲に進入する。と、その瞬間、クロトは木の影に隠れた。
熊型ディードは木に構うことなう鋭い爪で斬撃を放つ。
威力のある斬撃は木を切り倒し、その裏側にまで届いた。
しかし、裏側にクロトの影はなかった。
「……こっちだよ」
クロトは敵の頭上にいた。
木の影に隠れると同時に木を駆け上がっていたのだ。
クロトは攻撃後で硬直している熊型ディードの脳天に、真上から刃を差し込む。
落下の勢いが乗ったその突き攻撃はディードの頭蓋を容易く貫通し、一瞬で敵を絶命させた。
残り2匹
クロトは熊型ディードの頭上を渡り歩き、続けて黒い刃で2つの首を刈り取った。
地面に着地すると同時に3匹のディードは地面に倒れ、首から黒い血が流れだす。
黒い血は勢い良く吹き出し、周囲の緑を黒に染めていた。
(弱い……いや、僕が強くなっているのか)
短期間の戦闘経験にもかかわらず、クロトの戦闘能力は格段に向上していた。
そしてクロト自身もそれを強く自覚していた。
剣を振るうたび、敵を倒すたび、忘れていた事を思い出すかのように、戦闘技術が向上していく……
一体自分は何物なのだろうか。
(それを知るためにも、さっさと依頼を終わらせないとね……)
まだディードの数は20以上だが、この程度の相手なら1分もかからないだろう。
クロトは刃の切っ先をディードの群れに向け、殲滅するべく飛び込んだ。
全てのディードを殺し、獣道に戻ると既にリリサが待っていた。
「遅かったわね」
「終わってたなら手伝ってくれても良かったのに……」
クロトは不満を告げつつ、黒刀を鞘に納める。
思った以上に時間はかかったが、苦戦はしなかった。数で押されるのは面倒だが、個々が弱ければ攻略は難しくない。
リリサは大暴れしたようで、右側の林の中は血で真黒に染められ、体の一部が獣道にまで飛び散ってきていた。
リリサはその残骸を林の中に蹴り戻し、歩み始める。
「これはまだほんの小手調べ。気を抜かずに行くわよ」
「わかってる」
クロトはリリサと合流し、山登りを再開する。
相変わらず周囲はディードの気配に満ちている。しかし、先ほどの戦闘を見てか、若干距離が遠ざかった気がした。
「でもよかった」
「……?」
クロトはリリサの言葉の意味が理解できず不可解な表情を浮かべる。
リリサは振り返り、後ろ歩きしながら琥珀の瞳をケナンの街に向ける。
「敵は私達に狙いを絞っているみたい。……私達が殺られないかぎり、街にディードは向かわないでしょうね」
「どうしてそう言い切れるんだ?」
「相手にとって私達の能力は未知数。となれば、自陣に戦力を集中させたいと思うのは当然でしょ」
「そこまで考えてるのか……」
「相手はヒトガタよ。人間と同じ……いや、それ以上に知能があると考えて掛かったほうがいいわ」
リリサは後ろ歩きを止め、今度は山頂を睨み上げる。
「舐めてると足元掬われちゃうわよ」
「……」
やがて二人は獣道を抜け、開けた場所に出る。
周囲を木で囲まれた円形に近い広場。そこには2匹のディードが待ち構えていた。
リリサとクロトは足を止め、武器を構える。
一方は大きな豹型のディード。そしてもう一方は猿型のディードだった。
猿型は闘技場で見たようなチンパンジーのような体型ではなく、ゴリラのようなガッチリとしたタイプだった。
手には棍棒代わりの大きな大腿骨が握られ、片方には盾が握られていた。
武器を使うディードと戦うのは初めてだ。
クロトは構えを崩さす、リリサに話しかける。
「あの盾は……?」
「亀型ディードの甲羅ね。海も近いし、死骸から取ってきたんでしょう」
リリサはふうとため息を付き、静かに告げる。
「……クロ、この戦闘、怪我は覚悟しておいたほうがいいかもしれないわ」
「……わかった」
かなりの強敵らしい。リリサの言葉は真剣そのものだった。
話し終えると同時に2匹のディードは咆哮を上げ、それぞれ同時に襲い掛かってきた。
まず狙われたのは……リリサだった。
猿型ディードは棍棒を振り上げ、真上から思い切り振り下ろす。
リリサはその攻撃を受け止めることなく回転運動で回避し、代わりに螺旋の長槍を突き出した。
しかし、その穂先が届く前に虎型ディードが爪で斬撃を放ち長槍の軌道を逸らした。
爪と柄がぶつかり、甲高い音が周囲に響き渡る。
「甘い!!」
リリサは叫び、槍を引っ込める。
そして先ほどの衝突音が鳴り止まぬうちに2撃目を放った。
螺旋の穂先は猿型ディードではなく、虎型ディードの頭部に向けられていた。
直撃コース。この勢いならば容易に虎型の頭蓋を貫通することができるはずだ。
穂先は音速を超えるスピードで虎型の頭部めがけて突き進む。しかし、その進路上に黒い物体が割り込んできた。
……それは亀甲の盾だった。
槍の穂先は盾の表面に接触し、再び衝突音が発せられる。
リリサの槍ならばこの程度の甲羅など貫通できる。そう考えていたクロトだったが、亀甲の盾は思った以上に固く、貫通するどころか傷一つ付けられなかった。
リリサもこの事実に驚きを隠せなかったようで、一瞬動きが鈍る。
その隙を突き、再度虎型のディードがリリサ目掛けて爪で斬撃を放ってきた。
「リリサ!!」
クロトは咄嗟にリリサを庇い、黒刀で爪を防ぐ。
切れ味はこちらのほうが上だったようで、虎の爪は簡単に切れ、宙を舞った。
「ッ!!」
リリサは気を取り直し、虎型のディードを狙って槍を突き出す。
しかし、またしてもタイミングよく猿型ディードが盾を前面に出し、同じ光景が繰り返された。
猿型ディードが持つ亀甲の盾……
防御範囲は広く、しかもリリサの槍を防げるほど硬い。
……これをどうにかしないとこの戦闘は苦しい展開になりそうだ。
クロトとリリサは互いにそれを悟り、まずは猿型ディードから片付けることにした。
「クロ、挟み撃ち!!」
「わかった」
短い言葉のやり取りの後、リリサは亀甲の盾目掛けて槍を突き出し、クロトはジャンプして猿型ディードの背後に回りこむ。
一方向からの攻撃は防げても、前後からの攻撃を防ぐことはできないはずだ。
クロトは猿型ディードの背後に降り立つと同時に地面を蹴り、ガラ空きの背中目掛けて刃を突き出す。
完全に死角からの攻撃。回避することは不可能だ。
……だが、物事はそう上手く行かないものだ。
死角から狙おうとした瞬間、豹型ディードが割り込んできたのだ。
クロトは豹型ディードにタックルされて遠くに吹き飛ばされてしまい、結果、死角からの攻撃は失敗に終わった。
クロトは空中で姿勢制御して足から地面に着地し、再度猿型ディードの背中を狙おうとする。
しかし、豹型ディードはその死角を完全にカバーしており、攻撃できそうになかった。
(だったら……)
クロトは狙いを猿型ディードから豹型ディードに変更し、黒刀を腰に構えて走りだす。
半秒としないうちにクロトは豹型ディードの懐に飛び込み、急所の心臓を狙って斬撃を繰り出す。
狙いは完璧、速度も申し分ない。
この斬撃は自分でも褒めていいほど完璧な攻撃だった。
ところが、豹型ディードの毛皮に達しようとしたその瞬間、黒く硬いものが刃にぶつかった。
(嘘だろ……)
それは例の如く亀甲の盾だった。
見ると、猿型ディードはこちらを見ることなく盾を背後に伸ばしており、完璧に攻撃を防いでいた。クロトの刀を弾くと、猿型ディードは再びリリサの槍の連撃を防ぐべく盾を正面に持ち直していた。
器用な奴だ。
そんなことを思いつつ、盾に弾かれたクロトは姿勢を大きく崩してしまう。
その隙を突いて豹型ディードは顎を開き、クロトの右肩に狙いを定める。
盾に弾かれた衝撃のせいで回避することも防御することもできず、クロトは虎型ディードにまともに噛み付かれてしまった。
「ッ!!」
豹型ディードの鋭い牙は強靭な顎によって容易にクロトの肩を貫通し、骨にまで達する。
このままだと腕ごと持って行かれてしまう……
クロトは貫くような痛みを我慢し、刃を左手に持ち替えて豹型ディードの喉元を狙ってコンパクトに振りぬく。
しかし、敵はこの斬撃を容易に見切り、後方に跳んで回避した。
豹型ディードの黒い牙には赤い血が付着していた。自分の血だ。
こうやってまともにダメージを受けたのは初めてかも知れない。
右肩は痛いというよりも焦げるように熱く、動かそうにも動かず、完全に使い物にならなくなっていた。
クロトは肩から肘に伝う血の感触を感じつつ、リリサを見る。
リリサは未だ無傷だったが、槍の連撃は全て硬い盾に防がれ、敵にダメージを全く与えられずにいた。
リリサならば盾の隙間に槍をねじ込めるのも簡単かと思っていたが、猿型ディードの盾捌きはこちらの想像を遥かに超えている。
……これは難敵だ。
もしこの2体に加えて他のディードも襲ってきたらひとたまりもない。
ダメージを負ったことも影響してか、クロトはリリサに退くことを提案する。
「リリサ、このままじゃ埒が明かない。ここは一旦引いて……」
クロトの弱気な発言にリリサは「馬鹿クロ!!」と返し、攻撃の手を休めることなく言葉を続ける。。
「2体しかいない今がチャンスなのよ。あと数分もすれば他のルートを守っている同じタイプのディードがこちらに集結して手に負えなくなってしまうわ」
「そんな……」
「いいから攻撃し続けなさい。どうにかして倒すわよ」
確かに、盾を持ったディードが2体以上になれば完全に死角はなくなり、勝ち目は無くなってしまう。
クロトは右肩の痛みに耐えつつ、再度猿型ディードを狙って黒刀を構える。
片腕しか使えない今の状況ではダメージを負わせることは難しいが、少しでも隙は作れるはずだ。あとはリリサがその隙を突いてくれれば……勝ち目はある。
クロトはそう信じ、攻撃を仕掛けるべくダッシュする。
すると、攻撃を察知した虎型ディードが大ぶりの切り裂き攻撃を放ってきた。
クロトはその斬撃をスライディングで回避し、再度猿型ディードの背後目掛けて刃を突き出した。
猿型ディードはリリサの連撃を防ぐのに集中しており、先ほどのように背後に盾を持ってくる余裕はなさそうだった。
今度こそ背中に突き刺さる……と思ったその瞬間、虎型ディードが短く吠えた。
それは明らかに合図であり、その合図に従って猿型ディードは予想外の行動をとった。
なんと、サイドステップでクロトの斬撃を回避したのだ。
「!!」
その結果、クロトの斬撃は何もない空間を切り裂き
同じく、リリサの連撃も何もない空間を貫く……はずだったが、その空間には斬撃を放ち終えたクロトがいて、槍はクロトの腹部目掛けて突き出されていた。
「ッ!!」
瞬間、クロトとリリサの目が合う。
リリサは槍の進行方向を左に逸し、クロトは空中で体を捻って槍から体を遠ざけた。
しかし、回避を行うにはあまりにも時間が足りなかった。
螺旋の長槍はクロトの右脇腹に命中し、服、皮膚、そして肉を少しばかり削り取る。
そして、それらと一緒に鮮血が後方に飛び散った。
何とか急所は逸れたもののクロトは痛みに耐え切れず、うまく着地できず地面と激突してしまう。
クロトはそのまま3mほど転がり、木の幹に背中を打ち付けた。
「ぐっ……」
肩と脇腹と背中にダメージを受けたクロトだったが、意識は意外にもはっきりしていた。
(まさかリリサの槍の切れ味を身を持って味わうことになるなんて……)
相打ちさせられるとは思ってもいなかった。
ここまで見事にしてやられると怒りを通り越して可笑しく思えてくる。
攻撃が鋭かったお陰か、脇腹の傷は肩とは違ってそこまで痛さは感じなかった。
「クロ!!」
リリサはクロトに駆け寄ろうとする。しかし、そんな余裕を敵は与えてくれなかった。
2体のディードはこれが勝機と判断したのか、防御態勢を解いて同時に攻撃してきた。
「舐めんじゃないわよ!!」
リリサは叫び、反転して2体の攻撃に対処する。
虎型ディードの爪を穂先で弾き、そのまま槍を回転させて猿型ディードの棍棒を弾いて打点をずらす。
交互に行われる絶え間ない攻撃。
リリサはそのコンビネーション攻撃を長槍一本で見事に防ぎきっていた。
今はうまく防げているが、それも時間の問題だ。
2体が攻撃に集中している今なら、うまくいけば敵の態勢を大きく崩せるかもしれない。
クロトはリリサを助けるべく立ち上がり、左手に黒刀を握り直す。
そして、弧を描きながらダッシュし、側面から猿型ディードに飛びかかった。
……リリサに集中している今なら攻撃が通る。
そのクロトの考えは甘かった。
猿型ディードは盾を持ち上げ、クロトの斬撃を容易に弾いた。
攻撃を弾かれたクロトは宙に浮き、身動きがとれない状態になってしまう。
その瞬間を狙っていたのか、猿型ディードは棍棒をこちらに向け、大きく振りかぶった。
(あ……)
空中では回避できない。こんな体では満足に防御もできない。
つまり、相手の棍棒は間違いなくこちらに命中する。命中すれば骨折どころのダメージでは済まされない。腹にあたれば内臓破裂、頭に当たれば首が飛ぶ。どちらにしても死ぬ運命に変わりはない。
死を悟ってか、これまでの出来事が走馬灯のように頭を駆け巡る。
しかし、その走馬灯は早い段階で中断された。
「……クロト様ー!!」
背後から聞こえてきたのは可愛らしい少女の声。
その声に反応してクロトは咄嗟に振り返る。……と、同時に真横を高速で何かが通過し、ばきんという破砕音が耳に届いた。
その音は空気をも振動させ、密林の葉を激しく揺らした。
クロトは視線を前に向け直し、音の発生源に目を向ける。
そこにいたのは浅黒い肌に純白のワンピースを纏った少女、ティラミスだった。
ティラミスは華奢な脚をハの字に開き、猿型ディードの盾の真正面で両手で持っている何かを振り下ろしていた。
(ハンマー……?)
ティラミスが持っていたのは柄の長い、先端に重しの付いた鎚だった。
紺色のショートカットヘアは風圧のせいか、衝撃のせいか、どちらにしても乱れに乱れており、その鎚が超高速で振り下ろされたのだと理解するのは容易だった。
鎚の先端は亀甲の盾の中心部に命中しており、亀甲はその点を起点にヒビが入り、間もなく砕け散った。
「!!」
無数の破片が四方八方に散らばり飛んで行く。
信じ難い光景にクロトもリリサも、そして敵のディードも動きを止めていた。
それらの破片が地面に落ちる前にティラミスはハンマーをそのままに体をくるりと回転させ、遠心力でハンマーを360度回転させる。
そして、今度は猿型ディードの脳天目掛けてハンマーを振り下ろした。
それは見ているこちらが気の毒に思えるほど、威力の乗った無慈悲な攻撃だった。
接触と同時に鈍い衝突音が周囲に響き、“ぐしゃっ”とも“ばきゃっ”とも聞こえるグロテスクな音が耳に届く。
猿型ディードの頭部は完全にひしゃげており、絶命しているのは見るからに明らかだった。
「ふんっ!!」
ティラミスは宙に浮いたまま黒い血にまみれたハンマーを抜くと、続いて虎型ディードに狙いを定め、ハンマーを振り下ろす。
しかし、この打撃は回避され、ハンマーは深く地面にめり込んだ。
ティラミスはハンマーにぶら下がったまま、叫ぶ。
「クロト様!!」
「……あ、ああ!!」
クロトはティラミスの言葉で我に返り、着地と同時に豹型のディードに飛びかかる。
もう盾にによる妨害はない。
クロトは接近すると同時に黒刀を豹型ディードの脇にすっと差し込んだ。
黒刀は抵抗を感じさせることなく皮、肉の合間を突き進み、心臓を貫き破壊した。
クロトは手先の感触で心臓の破壊を確信すると、素早く黒刀を抜き、鞘に納める。
豹型ディードは切り口から黒い血を吹き出しながらその場にぐったりと倒れた。
「ふぅ……」
終わった。
そう思うと、途端にじくじくとした痛みが右肩と右脇腹に走った。その痛みに耐え切れず、クロトは不覚にも地面に膝をついてしまう。
すると、ティラミスがクロトの元に駆け寄ってきた。
「大丈夫ですかクロト様!?」
ティラミスは海岸で拾った肩掛けバッグを身につけており、その中から包帯を取り出す。
そして、慣れた手つきでクロトの肩の傷の手当を始めた。
リリサもティラミスに遅れてクロトの元に歩み寄ってきた。
クロトの事を心配しているのかと思いきや、その視線はティラミスに向けられていた。
「あんた……部屋で大人しくしてなさいって言ったでしょ」
ティラミスはクロトの手当を続けながら謝罪する。
「すみません。でも、どうしてもクロト様のお役に立ちたくて……」
「……クロ、何て言ってるの?」
リリサに命令され、クロトは通訳する。
「どうしても僕らの役に立ちたいってさ」
ティラミスは早々に肩の手当を済ませ、リリサに顔を向ける。
表情は謝罪の念に満ちていたが、後悔や反省している様子はなかった。
ティラミスは続けてクロトの脇腹の手当に移る。その健気な姿にリリサは言葉に詰まるも、約束を破ったことを許すつもりは無いようだった。
「……大体、そのハンマーはどこから持ってきたのよ」
ティラミスの背後、柄の長い戦闘用のハンマーが地面にめり込んでいた。
先端部が円錐状になっている重しの側面には猟友会の印が刻印されていた。
「あの、リリサ様はなんと?」
今度はティラミスから通訳を依頼され、クロトはそのまま伝える。
「そのハンマー、どこから持ってきたんだい?」
「ハンマーは……猟友会の武器庫から拝借してきました」
クロトはティラミスの言葉をリリサに伝える。
「ケナン支部の武器庫から持ってきたって言ってるよ」
「どうやって……あ」
リリサは質問の途中で何故簡単に手に入れられたのか、その理由に気づく。
現在ケナン支部は街の防衛のために狩人が出払っている。言わばもぬけの殻状態だ。
そんな支部から武器を持ち出すのは簡単なことだっただろう。
(しかし、あの盾をああも簡単に……)
クロトはティラミスの手厚い手当を受けつつ、ハンマーをじっと見ていた。
何だかんだ言っても彼女はヒトガタだ。闘技場ではひ弱に見えたし、その後も普通の少女と思って接してきたが、リリサさえ破れなかったあの盾を一撃で破壊できたとなると、腕力は通常の人間の10倍以上はあるだろう。
敵にすると怖ろしいが、味方だと心強い。武器を手にした彼女はリリサと対等に渡り合えるくらい強いのではないだろうか……。
街を出る前までは宿で待機していろと命令したが、この戦力を目の当たりにして今更宿に戻れとは言えない。むしろこのまま同行して欲しいくらいだ。
手当を受けていると、不意に林の中からガサガサと音が鳴った。
「!!」
リリサとクロトは音がした方向、右に目を向ける。と、次の瞬間、木陰から熊型ディードが現れた。
熊型ディードは既にトップスピードで走行しており、木陰からこちらに到達するまで1秒と掛からなかった。
クロトは手当途中で黒刀に手が届かず、リリサも完全に油断しきっており槍を構えるのがワンテンポ遅れた。
そんな中、ティラミスだけが素早く対応をとっていた。
ティラミスは背後に手を伸ばすとハンマーの柄を握り、見向きもしないでハンマーをフルスイングする。
ハンマーの先端はディードの頭部を正確に捉えており、接触と同時に頭部を潰した。
“パキャッ”という音が周囲に響き、草木に黒い血を散らせる。
頭部を失ったディードは勢いを殺すことなく慣性のまま地面を滑り、3人の間を通り抜けて反対側の林へと姿を消した。
ティラミスは黒い血にまみれたハンマーをぐるりと回し、ドヤ顔を浮かべていた。
「お手伝いします。さあ、行きましょう」
「……わかったわよ」
今度は通訳しなくてもなんとなく意味がわかったらしい。
リリサはティラミスの戦闘能力を目の当たりにし、同行に反対することができなかった。
……クロトの手当が終わると、3人は共に山頂を目指して移動を再開した。




