017 褐色の怪児
017
日が暮れると、クロト達一行は宿を出て街の南端部を訪れていた。
昼間テラスから見た通り、港から西側に移動すると広大な砂浜があり、現在3人は……いや、二人と一匹は海沿いに砂浜の上を歩いていた。
夜とあって砂浜は真っ暗だったが、波は月明かりを反射して淡く光っていた。
幻想的とまでは言えないが、ケナンの夜の砂浜は綺麗で、観光地には成り得ないが、デートスポットとしてなら売り出せそうだった。
(いや、どっちにしても危険過ぎるか……)
砂浜のすぐ向こう側は樹木の生い茂る密林地帯となっており、何かしらの気配が感じられた。……野生の獣ではない。ディードの気配だ。
確かに景色は綺麗だが、同時にここは危険な区域でもあるのだ。
昼間、人が誰もいなかったのもこれが原因なのかもしれない。
闇に潜むディードはこちらの戦闘力を本能的に悟ってか、すぐに襲ってくる様子はなく、遠くから窺っているようだった。
「いるわね」
「うん」
リリサもクロト同様、ディードの気配を感じ取っているようだった。
お互い自らの武器の柄を握りつつ、暗い砂浜を進んでいく。
ヒトガタの少女は二人の放つ雰囲気から何かしらの危険を感じとってか、クロトの服の裾を掴んでおそるおそる歩いていた。
リリサは手に持ったランプを頭上に掲げ、疑問を告げる。
「すっごく暗いけど、こんな状態で手掛かり見つけられるの? やっぱり昼間来ておいたほうが良かったんじゃない?」
ランプの照らせる範囲はかなり狭く、そして明度も低かった。
懐中電灯でもあればいいのだが、無い物ねだりをしても仕方がない。
クロトはリリサの言葉をそのまま少女に伝える。
「暗いけど、見つかりそうかい?」
「私は夜目が利きますので、この程度の暗さなら問題なく探せます。でも、見つかるかどうかは……何とも言えません」
「大丈夫、見つかるよ」
「……ありがとうございます。私、精一杯頑張ります」
少女は小さな拳をぐっと握り、気合満々の顔をクロトに向ける。
健気でいて可愛らしいその仕草を、クロトは微笑ましく思っていた。
「……何て?」
リリサに問われ、クロトは簡単に会話の内容を告げる。
「夜目が効くから大丈夫だってさ」
「ふぅん……」
リリサは少女の発言に懐疑的な様子だった。
その後警戒しつつ浜辺を歩いていると、不意に少女が声を上げた。
「あ!!」
突然の声に驚いたのもの束の間、少女はクロトから離れて前方に走りだした。
見た目によらず結構な速さで、砂浜を蹴る度に砂が巻き上がっていた。
そのまま少女は波を踏み越えながら海に入り、浅瀬を泳ぎ始めた。
「逃げるつもり!?」
リリサは後を追いかけるべく走りだそうとする。が、クロトは腕を上げてそれを制止した。
「違うよ……ほら」
クロトの言葉通り、少女はすぐに海から砂浜に上がり、すぐにこちらに戻ってきた。
服はびしょ濡れ、紺の髪からも水がしたたっている。……が、その手には小さなバッグが握られていた。
少女はバッグを頭上に掲げ、ぶんぶんと左右にふる。
「みつけましたー!!」
少女は嬉しげな声を上げ、クロトの元に帰ってくる。
そして、水に濡れたバッグを自慢気に見せつけてきた。
「これが……」
「手掛かり……?」
リリサは詳細を調べるべく、ランプをバッグに近づける。
姿形がくっきりと浮かび上がり、クロトはバッグに既視感を覚えた。
(これは……ファスナー?)
バッグにはこの世界には存在しないファスナーが付いていた。
日本ではバッグなどにファスナーが付いているのは当たり前だが、この世界では違和感を覚える。
素材もナイロン製のようで、ランプの灯りを浴びてテカテカと光っていた。
「……」
まあ、軌道エレベーターがあることを考えると、こんなものがあっても不思議ではない。むしろ当然に思える。
やはり、この世界は自分がいた世界と繋がりがあるのは間違いない。そう確信を深めるクロトだった。
……まだ疑問だらけだが、今大事なのは手掛かりだ。
「ちょっと借りるよ」
「はい、どうぞ」
クロトはバッグを少女から受け取り、中を見る。
しかし、中は空っぽだった。
少女はそれを知っていたようで、申し訳なさげに頭を下げる。
「すみません。中身は流されちゃたみたいです……でも、わかったことが一つだけあります」
少女は顔を上げ、バッグ表面に書かれている文字を指差す。
「……これ、多分私の名前だと思います」
少女が指差した先、そこにはアルファベットで『TIRAMISU』と書かれていた。
「『ティラミス』……?」
記憶が正しければティラミスはお菓子の名前だ。
お菓子の名前が彼女の名前とは思えなかったが、文字は機械でプリントされた感じではなく、間違いなく手書きされている。
それに、彼女が自分の名前だと言っているのなら、むやみに反論することもないだろう。
クロトは早速彼女の名を呼ぶ。
「名前がわかってよかったね、ティラミス」
「……はい」
ヒトガタの少女、ティラミスはクロトに名を呼ばれて恥ずかしげに微笑む。
記憶喪失で自分のことが何一つ分からない中、名前を思い出せたのだから嬉しいに違いない。
同じく絶賛記憶喪失中のクロトには、ティラミスの今の気持ちが痛いほど理解できた。
「何かわかったの?」
微笑ましい空気の中に割って入ってきたのはリリサだった。
「ああ、彼女の名前『ティラミス』っていうらしいんだ」
「へえ……で、他には?」
「え?」
「え? じゃないでしょ。他に情報がないか聞いてるの」
「……」
ない。
わかったのは彼女の名前と、バッグがこの世界ではあり得ない技術を用いて作られていたということくらいだ。
クロトはとりあえずリリサにバッグを渡し、誤魔化すことにした。
「ほらリリサ、これファスナーっていうんだけれど、これを使えば簡単に開閉が……」
「そのくらい知ってるわよ」
「え?」
「こっちじゃあまり見かけないけれど、セントレアじゃ普通に使ってるわよ」
なるほど、田舎と都会では文明レベルにかなりの格差があるようだ。
「……その様子だと、その子の名前以外の情報はなかったみたいね」
リリサはランプをその場に置き、鋭い目でティラミスを睨みつける。
危険を感じたティラミスは例によってクロトの背後に隠れ、クロトはリリサを宥めるべく両手のひらをリリサに向ける。
「まぁまぁリリサ、とりあえず槍を降ろして話そう」
リリサはクロトの言葉に応じず、逆に螺旋の長槍を両手に持ち直し、切っ先をティラミスに向けた。
「私は狩人。情報が得られないならディードに対して取る行動はたった一つよ。……クロ、そこをどきなさい」
「リリサ……」
クロトはリリサの豹変ぶりに困惑していた。
昼間はティラミスを1時間掛けて綺麗にしてあげたというのに、今はそのティラミスを殺すべく槍を構えている。
……いや、ヒトガタを人間として扱っている自分の感覚のほうがおかしいのかもしれない。
だが、もし、仮にそうだとしても、ティラミスをみすみす殺させるつもりはなかった。
「……」
この状況をどう切り抜けるか、クロトは考える。
嘘の情報で一時的に気を逸らせることもできるが、飽くまでそれは一時的で根本的な解決策には成り得ない。
ティラミスがディードであるという確固たる事実が崩れない以上、リリサの槍から逃れることは不可能なのだ。
「ッ!!」
無言のまま対峙していると、急にティラミスがリリサに向けて駆け出した。
体勢は低く、速度も申し分ない。一歩踏み出す度に加速していき、攻撃の意志がはっきりと感じられた。
ティラミスの唐突のダッシュに、リリサは驚くことなくカウンター体勢をとる。
「本性を表したわね!!」
「待て、ティラミス!!」
クロトの制止の声も虚しく、ティラミスは更に速度を上げる。
そして、とうとうティラミスはリリサと接触した。
リリサは長槍の柄を後方に引き、タイミングを見計らってビリアードのキューのように前に突き出す。
しかし、ティラミスはその攻撃を紙一重で回避した。
槍はティラミスの角をかすめ、後方へ流れていく。
流石はヒトガタ、少女のなりをしていても戦闘のセンスは一級品だ。
ティラミスはリリサの攻撃をすり抜け、そのままタックルする……かと思いきや、速度を落とさずリリサの真横を通りぬけた。
「!?」
クロトとリリサはティラミスの行動が理解できなかった。が、ティラミスの進行方向にいる黒い影を見てすぐに理解することになる。
(あれは……!!)
リリサの後方、いつの間にか猪型のディードが出現していた。
ティラミスのことで口論していたせいで周囲への警戒が散漫になっていたようだ。
猪型のディードは既に牙をリリサに向けており、攻撃態勢に入っていた。
ティラミスはその猪型のディードと激突し、転倒させることに成功した。
ティラミスは衝突の衝撃で砂浜をごろごろと転がり、猪型のディードは大きく進路を変え、海に向かって砂浜を滑っていった。
この時点で既にクロトは行動を開始しており、3秒としないうちに接敵、抜刀を済ませ、迷うことなく猪型のディードの脳天に黒刀を突き刺した。
猪型のディードは一瞬痙攣したが、すぐに体中の筋肉が弛緩し、絶命した。
クロトは黒刀を引き抜き、ティラミスに視線を向ける。
ティラミスは砂浜に手足をついた状態で、浜の向こうの密林地帯を指差していた。
「まだいます!!」
その言葉通り、一匹目の突進の後、堰を切ったように大量の猪型ディードが密林から現れた。
大量の砂が舞い散り、地面が振動する。
大小様々なディードが唸り声を上げながら迫ってくる様は、黒い津波と形容するのが適切であるほど迫力満点だった。
「クロ、下がってなさい!!」
リリサは叫ぶと同時に長槍を振りかぶり、黒い津波に向けて投擲する。
螺旋の長槍は高速で空間を飛翔し、5匹近いディードを貫いた。
武器を投げ捨てるなんて……と思ったのも束の間、リリサは槍に糸を仕込んでいたようで、ぐんっと糸を引っ張ると再びその手に槍が舞い戻ってきた。
「すぐに終わらせるわ」
こんな状況にあっても勝利を確信しているようで、声には余裕が感じられた。
その後リリサは軽くダッシュすると敵の中央に飛び込み、津波の中に姿を消した。
こんなに大量のディードを相手にするのは初めてだ。
リリサに加勢したいが、ティラミスをひとりきりにしておくこともできない。
「……」
クロトはティラミスを庇うべく移動し、黒刀を構え直す。
黒い津波は目の前まで迫ってきていた。
……3分もすると砂浜はディードの死体で埋め尽くされていた。
数は軽く100を超えるだろうか、白い砂浜は黒い血を吸って黒に染められ、不気味な空間を演出していた。
その死体の群れの中、リリサは槍を肩に担いで佇んでいた。
怪我もしていなければ息を乱している様子もない。また、死骸のほぼ全てが正確に急所を貫かれていた。流石は狂槍と呼ばれるだけのことはある。
対するクロトは肩で息をしていた。
倒した数はリリサに比べるとごく少数だが、ティラミスを守り切ることができた。
クロトは黒刀にべっとりと付着した黒い血をディードの毛皮で拭い、ティラミスの行動についてリリサに話しかける。
「見ただろリリサ、彼女は君を助けた」
「ええ、まさかヒトガタに助けられるとは思ってなかったわ。……不覚ね」
リリサは死体の群れから離れ、クロトと合流する。
ティラミスは最初のダメージがまだ残っているのか、へたり込んだまま左肩を押さえていた。
クロトはそんなティラミスを優しく介抱しつつ、言葉を続ける。
「彼女はヒトガタだけれど、人を襲わないし会話もできる。……少なくとも敵じゃないと思うよ、僕は」
普段は気の強いリリサだが、クロトの勢いに負けてか、譲歩案を提示した。
「わかったわよ……今回だけはクロに免じて許してあげる。セントレアのカミラ教団に引き渡すまでは仲間として扱ってあげるわよ」
リリサにとっては譲歩に譲歩を重ねた案だったのだろうが、クロトはこの案に納得できなかった。
「引き渡すって……あの話、本当だったのか?」
「そうよ」
ティラミスをカミラ教団に引き渡す……。場を逃れるための適当な嘘かと思っていたが、リリサは本気で言っていたようだ。
「そんな……教団がどんなところなのかわからないけれど、色々実験された挙句殺されてしまうのがオチだよ。そんなのは許さない」
「じゃあ、どうするつもり? まさか……」
「ああ、連れて行く」
クロトが告げた瞬間、リリサは目元を覆い、深い溜息をついた。
「やめて、唯でさえ長い旅になるのよ?」
「だから仲間は多いほうがいい。リリサも見たと思うけれど、彼女、かなりの戦闘能力を持ってるよ」
「冗談はやめて。私は認めないわよ。こんな、こんな……」
リリサはかなり悩んでいる様子だった。
命を助けられたのは事実だし、ティラミスに敵意がないのも事実。それに加えて可愛いとなれば、悩むのも仕方のない事だった。
また、リリサにとってクロトは父の手がかりとなる重要な人物だ。ここでクロトの要望を突っぱねれば、今後の関係が悪化するかもしれない。つまり、父親探しに支障が出る可能性もあるのだ。
ティラミスは立ち上がり、リリサの服の裾を引っ張る。
「私はクロト様に助けられました。いつ殺されても文句はいいません。必ずお役に立ちますから、同行させてもらえませんか……?」
ティラミスは必死に訴えるも、日本語なのでリリサにはちんぷんかんぷんだった。
リリサはティラミスの潤んだ瞳から視線をそらし、クロトに通訳を命じる。
「……なんて?」
「恩返しがしたいから、連れて行ってください。命に変えても役に立ってみせる……ってさ」
「そう……」
クロトはこの時点でリリサが“落ちた”と感じていた。
リリサはその後海に目を向け、暫くの間悩ましい表情を浮かべていた。が、黒い血が乾き切らないうちに結論を出した。
「……わかったわ」
それはクロトとティラミスが待ち望んでいた言葉だった。
二人は互いに顔を見合わせ、笑顔を浮かべる。
しかし、リリサの表情は厳しいままだった。
「でも、何かあったら全部クロが責任を取るのよ? 面倒な事になっても私は知らないし、身の回りの世話も何もかもあんたが全部みるのよ。いいわね?」
「わかった」
これでティラミスの命は保証されたも同然だ。クロトはある種の達成感を得ていた。
ティラミスはリリサから離れ、クロトに問いかける。
「あの、リリサ様はなんと?」
言葉が通じないのは意外と不便だ。後々この世界の言葉を教えていくことにしよう。
そんなことを考えつつ、クロトはリリサの言葉を意訳する。
「君の面倒は全部僕が見ろ、だってさ」
告げた途端、ティラミスはクロトの腕に飛びついてきた。
「そんな……むしろ私がクロト様のお世話をさせていただきます。助けて頂いたうえ、同行を許してくださるなんて……この御恩は一生忘れません」
「そんなに気負うことはないよ。僕も君の存在がディードを知る上で何が重要な鍵になるかもしれないと思ってる」
これまでヒトガタはディードの一種で、人類に対しての脅威だと思われてきた。
しかし、ティラミスの存在はその考えを根底から覆した。
ヒトガタはディードでもない、人でもない、何か特別な存在なのかもしれない。
自分と同じく記憶喪失だが、全てを思い出した時、そこから得られる情報はかなり有益なものになるに違いない。
あらかたの方針が決まった所で、リリサは街に向かって歩き出す。
「連れて行くのはいいとして、先にケナン支部からの依頼をこなさないとね」
「そうだった……」
ケナン支部から山狩りの命令が出ていることをすっかり忘れていた。
先に進むにはまだまだ時間がかかりそうだ。
「明日、詳しい情報を手に入れるために支部に行くわよ」
「……今日の広場でのこと、絶対糾弾されるだろうね」
あの場は金貨250枚を支払う約束をすることで何とか切り抜けたが、あのアリスタ支部長がそれだけでヒトガタの件を片付けるとは思えない。
リリサも同じことを考えていたようで、アリスタの対応について予測を述べる。
「そうね。ティラミスの引き渡しを要求されるかもしれないし、最悪の場合、ケナンの狩人がティラミスを殺しに掛かるかもしれないわね」
それはまずい。せっかく助けたのに結末がそれでは悲しすぎる。
ケナン支部の狩人からティラミスを守り切る自信はあるが、狩人同士での戦闘はなるべく避けたい。
「……どうしたら?」
「私に訊かないで。この子に関する責任は全部あんたが取るって、さっき約束したばかりでしょ」
「むう……」
冷たい言い方だが約束は約束だ。ティラミスを助けたのは自分だし、全ての責任は自分にある。
何とかしてうまく切り抜けられないか……歩きながら色々と方法を考えていると、ティラミスが服の裾を引っ張ってきた。
「あの、私のことで悩んでいらっしゃるんですよね?」
言葉がわからずとも雰囲気で悟ったらしい。ティラミスは不安げな表情を浮かべていた。
これ以上不安にさせるのは可哀想だが、本人の命にかかわることだ。
クロトは嘘偽りなく現状をティラミスに告げる。
「僕とリリサは大丈夫だけれど、ティラミス、君が他の狩人から命を狙われる危険があるんだ。何かいい言い訳がないか考えてるんだけれど……」
クロトの言葉を聞き、ティラミスは裾ではなく腕を掴んできた。
「あの、そういうことなら私にいい考えがあるんですが……聞いてもらっていいですか?」
ティラミスは余程自信があるのか、先程までの不安な表情は消え去っていた。
……何かいいヒントが得られるかもしれない。
クロトはそう考え、一応ティラミスの案を聞いてみることにした。




