015 ヒトガタの少女
015
正午過ぎ
近場の食堂で昼食を済ませたクロトはケナンの街をのんびり歩き、観光していた。
少し温暖な事もあってか、薄着の人が多い。とは言え、汗がでるほど暑いわけでもなく、快適な気温だ。
アイバールの街には道と建物しかなかったが、こちらにはそれに加えて木々や植物が至る所に生えていた。
道の中央には広葉樹が生えており、道の殆どを木陰が覆い尽くしている。
また、街には川の支流が無数に流れ、橋も多かった。川からは涼しい空気が立ち上っており、橋をわたる度に心地よい空気がクロトの体を通り抜けていった。
快適な道を歩いていると、騒ぎ声が聞こえてきた。
しかし、騒ぎと言っても悪意は感じられず、むしろ歓声に近かった。
(なんだろう……?)
昼食後すぐに防具や戦闘服を買いに行くつもりだったが、クロトは騒ぎ声が気になり、声のする方へ足先を向ける。
木陰を進み、数本の橋を渡ると少し開けた場所に出た。
そこはすり鉢状の広場になっており、段々状の階段が中心に向かって設置されていた。
一番下は落差があるのか、周囲に簡素な柵が取り付けられていた。
その柵の周りには大人の男たちが集まっており、全員が視線を下の空間に向けて声を上げていた。
歓声の正体はこれだったようだ。
一番下のサークルに何があるのだろうか。何か催し物でもやっているのだろうか。
気になったクロトは中央から離れた場所、段々に腰掛けている男に声をかける。
「あの、あれって何なんですか?」
クロトの声に反応し、男は視線をこちらに向ける。
……クロトはその顔に見覚えがあった。
「なんだ狩人の兄ちゃんじゃないか」
クロトが声を掛けたのは例の中年の商人だった。
手には酒瓶が握られている。
仕事が片付いたのか、はたまた休憩中か、どちらにせよこの催しに参加していることだけは確かだった。
中年の商人はクロトの質問に対し、小馬鹿にしたように応じる。
「ケナンの名物を知らないとは……兄ちゃん、余程の田舎者だねえ」
「……田舎者で悪かったですね」
クロトはあからさまに不機嫌な表情を浮かべる。
狩人を怒らせるとまずいと感じたのか、中年の商人は取り繕うように続ける。
「冗談だ冗談。そう怒るなよ……説明してやってもいいが、見たほうが早いと思うぞ」
「それもそうか……」
ケナンの名物……一体なんだろうか。
クロトは中央に歩み寄り、人波をくぐり抜けて柵を両手でつかむ。
下を見ると、予想だにしない光景が広がっていた。
「これは……!!」
中央にあるのは円状の竪穴。
そこでは黒い獣同士が互いに敵意を露わにし、殺し合いをしていた。
獣の足首には足枷が嵌められ、足枷は鎖と繋がれて壁に固定されていた。
一方は狼型のディード。対するは猿型のディードだった。
狼型のディードは首付近から黒い血を流していた。しかし、猿型のディードの方がダメージは深刻なようで、長い腕には無数の切り傷が、顔面は黒い血で染められ、目も片方失っている様子だった。
これに似た光景をクロトは見たことがあった。
古代ローマのコロッセオである。
あそこまで広くはないが、竪穴の面積は二頭のディードが戦うには十分すぎるほど広く、この目的のために造られたということがすぐに理解できた。
しかし、なぜ、どうしてディードがここで戦っているのか。
……前のめりになって二頭のディードが戦う様を見ていると、中年の商人が背後から声をかけてきた。
「これはディード限定の闘技場だ。珍しいだろう?」
よく見ると周囲にいる男たちは半券のような物を持っており、それぞれがディードを奮い立たせるように声を投げかけていた。
闘犬や闘牛の類の賭け事なのだろう。
狼型のディードか猿型のディード、どちらが勝つかに賭けているというわけだ。
クロトは一度柵から離れ、中年の商人と向かい合う。
「これ、危なくないです?」
「誰もが最初はそう思うんだよ。でも大丈夫、ここの運営をしているのは猟友会だからな。……ほら、見てみろ」
商人が指差した先、そこには戦闘服を身にまとった狩人の姿があった。
「四方で狩人が監視してる。何が起きても人間様に被害はないってわけだ」
それぞれ武器を構えており、その視線はしっかりとディードに向けられていた。
(何をやってるんだ……?)
クロトはディードを賭け事に使っていることが理解できなかった。
狩人はディードを人里から追い払うための戦士であり、賭場の管理をする役目などないはずだ。というか、こんな所でくだらない賭け事を運営している暇があるなら山へ行って1匹でも2匹でも多くのディードを狩ったほうがいいのではなかろうか。
色々な思考が渦巻く中、商人は勝手にこの賭場について語り出す。
「もともとケナンは娯楽が少なかったからな。そこで猟友会のケナン支部が鹵獲したディード同士を戦わせようって考えたわけだ」
「そんな……化物同士を戦わせるなんて……」
常軌を逸している。安全面に配慮しているのは当然だろうが、もし何か起きたら怪我人が出るのは間違いない。いや、この感じだと確実に死人が出る。
「普通じゃあり得ない発想だろう? だからこれだけ人気があるんだよ。この賭けに参加したいがためにセントレアからくる輩もいるくらいだ」
クロトは改めて竪穴を囲んでいる客達に目を向ける。おおよそ500名、殆どが男だった。
「ほら、兄ちゃんも次の試合に賭けてみたらどうだ」
「……」
お金は十分ある。一度くらいケナンの名物とやらを経験してみるのも悪く無いかもしれない。
(いやいや……)
賭け事はやめておいたほうがいい。日本の学校ではそう教えられてきたし、一度だって賭け事に手を染めたことはない。
しかも、このお金はリリサのお金でもある。それを賭け事に使うなんてこと、できるわけがなかった。
そんなことを考えていると、不意に歓声が大きくなった。
クロトはその声に釣られるように竪穴に目を向ける。
すると、狼型のディードが猿型のディードの首元に深く噛み付いていた。
猿型のディードは必死に抵抗するも明らかに力が抜けており、動きは鈍かった。
やがてその抵抗もなくなり、猿型のディードはピクリとも動かなくなった。
すると、広場に高めの男の声が響き渡った。
「決まったあぁ!! 長きに渡る死闘に勝利したのは……狼型のディードだ!!」
男の声に応じるように歓声が沸き上がる。同時に悩ましい声も聞こえてきた。
猿型のディードに賭けていた人達の嘆きの声だろう。単純な賭け事だからこそ負けた時の悔しさもひとしお大きいのだろう。
猿型ディードの死骸は鎖によって引き摺られ、竪穴の両側にある鉄扉の奥へ姿を消す。
引き摺られた跡には黒い線が描かれ、臓物の一部も見受けられた。
グロテスクな光景だ。だが、柵の回りにいる男たちは相変わらず騒いでおり、誰もそんなことを気にしている様子はなかった。
「次の試合で今回のイベントは最後だ!! 今まで遠巻きで見ていた野郎ども、最後の試合だけでも参加してくれ!!」
進行役の男に煽られ、中年の商人は懐から財布を取り出す。
「さて、俺もそろそろ参加するか……」
そして柵に体重を預け、竪穴に視線を落とす。
クロトも賭けはしないものの、次のディードがどんなものか気になり、竪穴に注目していた。
今までの経験とアリスタ支部長の話から推測するに、この一帯に出没するディードは狼、熊、猪、豹、そして猿の5種類だ。ここなら違うタイプのディードを確認できるかもしれない。討伐する前に一応どんなものか見ておいて損はない。
「さあ、今回最後の試合、とっておきの登場だ!!」
威勢のいい声の後、開いたままの扉から新たなディードが投入された。
押し出されるようにして出てきたソレを見て、クロトは言葉を失った。
「……!!」
出てきたのは少女だった。
少女は身を縮こませ、不安げに周囲を見渡している。
唖然とする中、場を仕切る狩人が説明し始めた。
「このヒトガタは南側の海辺に打ち上げられていた。体型的に幼年期のディードに違いないだろう!!」
(ヒトガタ……)
これが噂に聞く人間の形をしたディード……ヒトガタらしい。
外見は幼く、肌は真黒というより浅黒い。紺色の髪は伸び放題で、眼球部分は黒く染められ、瞳の色は青紫に輝いていた。
体はボロ布をまとっており詳細はわからなかったが、手足は細く華奢だった。
一見すると普通の少女に見える。
しかし、側頭部には悪魔のそれを髣髴とさせる禍々しい角が付いており、黒いそれは捻れて牡羊の角のような形状をしていた。
また、股の間からは鋭い尻尾が、恐竜や大型の爬虫類が持っているような硬そうなウロコをまとった尾が生えていた。
それは彼女の身長ほどの長さがあり、びくびくと動いていた。
体中の擦過傷からは黒い血がにじみ出ている。
間違いなくこの少女はヒトガタ、ディードに間違いなかった。
「見かけは軟弱そのものだが、騙されちゃあ駄目だ。仮にもこのディードはヒトガタ。戦闘能力は未知数。……いや、通常のディードを凌駕するだろう」
狩人の説明を聞いた後でも、クロトの頭は混乱していた。
あの少女は人間に見える。だが、角が、黒い血が、彼女がディードだということを証明している。
「試合は5分後……さあ、賭けてくれ!!」
狩人の言葉を皮切りに、周囲に集まっていた男たちが銀貨や金貨を片手に係の者に押し寄せる。
そんな中、クロトだけが身動きすることなくヒトガタを見つめていた。
……ここに集まっている人達はアレを見てなんとも思わないのだろうか。
あれはディードかもしれない。が、仕草や背格好は少女そのものだ。
そんな少女が凶暴な狼型のディードに殺される様を喜々として観戦する……そんなのは人間として間違っている。
いや、あのヒトガタが勝つ可能性もある。しかし、どうみてもヒトガタは狼型のディードに対して過剰に怯えており、戦意がないのは明らかだった。
あっという間に5分が過ぎ、甲高い音この声が広場に響く。
「さあ、殺し合いの始まりだ!!」
その声を合図に短く固定されていた鎖が開放され、狼型のディードとヒトガタの少女は自由に動けるようになる。
まず動いたのは狼型のディードだった。
狼は迷う様子もなく一直線に少女に飛びかかり、鋭い爪を突き立て、凶悪な牙で噛み付こうとする。
少女は避けることもできないのか、その場でうずくまって守りの体制に入った。
当然のように鋭い爪は少女の背中に突き刺さり、牙は肩口に深くめり込む。
黒い血が吹き出て、狼の顔面に降り掛かる。しかし、元々毛が黒いため視覚的な変化はなかった。
だが、クロトの聴覚は歓声が渦巻くこの広場の中で、か弱い小さな声を捕らえていた。
「……けて」
(……!!)
それは竪穴の中から聞こえており、もっと言うとヒトガタの少女の口から発せられていた。
クロトは聴覚に集中すると同時にヒトガタの少女の口元にも注目する。
すぐに彼女の口が動き、同時に耳に言葉が届いた。
「……たすけて!!」
それは、救済を求める声だった。
この声を聞き、クロトは自分の感覚が間違っていなかったことを認識した。
……が、それ以上にクロトは耳に届いたその言葉に……言語に驚いていた。
(……日本語!?)
ヒトガタの少女は間違いなく“日本語”を喋った。
この世界特有の言語ではない。日本人が扱う言語、日本語で助けを求めたのだ。
「――待った!!」
気づくとクロトは柵を飛び越えていた。
重力に引かれてクロトは円形の竪穴の中に降り立つ。
そして腰に下げていた刀を鞘から抜き、迷うことなく狼型のディードに斬りかかった。
……高速の一閃
黒の刃は狼型ディードの首根っこを正確に捉えており、容易く頭部を体から切断した。
頭部を失ったディードは黒い鮮血を撒き散らし、少女に覆いかぶさるようにして倒れた。
クロトは刀を鞘に納めるとディードを蹴り飛ばし、ヒトガタの少女の肩を抱く。
間近で見る少女は角と黒い目を除けば人の少女と変わらなかった。
状況を飲み込めていないのか、未だ涙を流し怯えた表情を浮かべている少女に対し、クロトははっきりとした日本語で告げる。
「もう大丈夫だ。……それよりお前、日本語が喋れるのか!?」
少女はクロトの発する日本語で我に返ったのか、クロトの服の袖を掴み返す。
「あなたこそ、どうして……」
口調もはっきりしている。イントネーションも正しい。それに目に力もある。
……意思の疎通は可能のようだ。
「……とにかくここから出よう」
クロトは鎖を刀で叩き切り、ヒトガタの少女を抱えてジャンプし、竪穴から出る。
柵を超えて広場に降り立つと、途端に観客がパニックに陥った。
「うわっ!? ディードが外に出たぞ!!」
「逃げろォ!!」
先程まで歓声を上げていた男たちは悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように一斉に広場から逃げ出していく。
500名近くいた観客はそれぞれが四方八方に散らばり、橋を渡って広場から綺麗に消え去ってしまった。
無数の半券が宙を舞う中、すり鉢状の広場に残ったのは4名のケナンの狩人、そしてクロトとヒトガタの少女だった。
狩人は既に各々が武器を構えており、臨戦態勢に入っていた。
大鉈を持った狩人は構えたままクロトに歩み寄っていく。
「お前狩人だな? なら、自分が今何をやっているのか、理解しているよな?」
一斉に襲われるかと思ったが、まだ大丈夫そうだ。
クロトはヒトガタの少女を背にかばいつつ、問いかけに応じる。
「理解はしてる。でも、この子を放っておくことはできなかった」
「お前何を言ってる? 確かに人間に似ているが、そいつはヒトガタだ。れっきとしたディード、人類の敵だぞ。……それを助けるという意味がわかっているのか?」
「……」
自分はこの世界にとって新参者だ。ヒトガタも今日はじめて見たし、ヒトガタの恐ろしさも伝聞でしか知らない。
だからこそ、色眼鏡のない気持ちでこの状況を判断できる。
彼女は日本語を喋り、知性もある。そしてなにより、助けを求めていた。
何故日本語を喋ったのか、何故人間を攻撃しないのか、謎だらけだ。が、助けを求められた以上、たとえそれがディードであったとしても、助けないわけないはいかなかったのだ。
どうしたものか、考えていると左から殺意を感じた。
「!!」
クロトはその殺意から逃れるように、咄嗟に刀を振り上げる。
すると、刃に矢が命中し、きいんと甲高い音を発生させた。
……どうやら本能的に危険を察知し、矢を防いだようだ。
左を見ると大弓を構えた狩人がおり、彼は2射目を既につがえていた。
「竪穴から出たディードはすみやかに処分する。それがこの賭場でのルールだ。例外はない。黒髪の狩人、邪魔をするならお前も殺すことになる」
「……」
もはや戦う以外に道はないのだろうか。
クロトは黒刀を構え直し、柄を強く握りしめる。
……すると、呑気な、それでいて凛とした女性の声が広場に響いた。
「何してんのよ、クロ」
緊張した空気に割り込んできたのはリリサだった。
リリサは長槍を肩に担いでおり、左手には紙袋を携えていた。
リリサの容貌……白い長髪に琥珀の瞳、そして手にある長槍を目にし、ケナンの狩人はリリサの二つ名を呟く。
「お前は……“狂槍”か」
「そうよ。……まあ、どういう状況なのか全くわからないけれど、狩人同士が戦うなんて異常よ。お互い落ち着きなさい」
「……」
リリサの言葉を聞いて、大弓の狩人は矢を弦から外した。
他の狩人もそれぞれ構えを解く。が、未だ険悪な雰囲気は保ったままだった。
一触即発の空気の中、リリサはクロトに近寄る。
「クロ、何をやらかしたの……って、その娘は?」
リリサの視線はクロトの背中に隠れているモノに向けられていた。
クロトは嘘偽りなく真実を告げる。
「……ヒトガタだ」
「!?」
クロトが応えた瞬間、リリサは瞬時にクロトの背後に回りこみ、穂先をヒトガタの少女に向け、迷う様子もなく刺突攻撃を放った。
「待ってくれリリサ!!」
クロトはその動きに機敏に対応し、少女を庇うように穂先を黒刀で弾く。
結果、穂先の軌道は大きくずれ、少女の顔の真横の空間を貫いた。
リリサは再度攻撃を仕掛けるべく槍を引く、がクロトは長槍の柄を掴んで動きを止め、説得するべく大声で告げる。
「この子は日本語を喋ったんだ!!」
「……ニホンゴ?」
リリサは怪訝な表情でクロトの顔を見る。
同時に槍から力が抜けるのが分かり、クロトは柄から手を放した。
リリサは少女とクロトを交互に見つつ、問いかける。
「……わかるように説明しなさい」
リリサは穂先を地面に突き刺す。それは攻撃の意志がないことを示していた。
ヒトガタの少女も危機を脱したことを察したのか、小さくため息を付いていた。
クロトは早速説明を始める。
「日本語は……僕が唯一覚えている記憶、日本という国の人がつかう言語だよ。この子はその日本語を話せるんだ」
「へえ……って、ちょっと待って、あんた、そのディードと会話できるの?」
「ああ」
「嘘でしょ……」
リリサは驚いている様子だった。ディードは言わば怪物であり、人を含む動物とは全く別の生命体だ。
そんな生命体と話せる……。現代風に言うと宇宙人とコンタクトできるに等しい感覚なのだろう。リリサが驚くのも理解できる。
「……」
クロトは改めて少女に目を向ける。
先程は日本語で会話をしたが、まだ二言三言しか会話を交わしていない。あの時はかなり切迫した状況だったし、もしかして聞き間違いかもしれない。
クロトは想定を断定に変えるべく、改めて少女に話しかけることにした。
少女の青紫の瞳を見ながら、クロトはゆっくりと告げる。
「体、怪我をしてるけど大丈夫かい?」
少女は自身の体を見下ろし、小さな手を肩や薄い胸板、そしてお腹へと這わせる。
「はい、少し痛いですけれど大丈夫です……」
「そうか、それならよかった」
……間違いない。彼女は日本語を話せる。
その光景を目の当たりにして、リリサは目を丸くしていた。
「本当に会話してる……」
非現実的な光景を前にして狼狽えるリリサに、クロトは力説する。
「『日本』は僕にとって重要なキーワード。……この子からもっと詳しい話を聞くことができれば、もしかしたら記憶を取り戻せるかもしれない。だから……」
リリサは手のひらをクロトに向け、言葉を遮る。
「つまり、そのヒトガタをきっかけに私の父の情報を思い出すかもしれないってことね?」
「そういうことだ」
クロトは力強く頷く。
……実際、記憶やリリサの父親の情報云々は二の次で、クロトはこの少女を守ることができればいいと思っていた。
だが、リリサを納得させるには記憶の話を絡めた方が効果的だ。
「わかった。後は任せなさい」
リリサはそう告げた後、顔をケナンの狩人たちに向ける。
「このヒトガタの身柄はこの私、リリサ・アッドネスが引き受けるわ」
「……どういうことだ」
ケナンの狩人は納得していない様子だった。
リリサは彼らから発せられる不穏な空気を無視し、話を続ける。
「このヒトガタは言葉を喋るわ。そしてその言葉を解読できると私が判断したの。今からこのヒトガタはカミラ教団に提出する大切なサンプルよ。何人も傷つけることは許さないわ」
なるほど、いい考えだ。
教団に提出すると言ってしまえば、少なくともこの街で少女が危険にさらされることはなくなる。
しかし、ケナンの狩人たちにとってリリサの言い分は不服なようだった。
「何が“サンプル”だ。……ここにはここのルールがある。従わないなら……」
「なに? 私とやり合うつもり?」
リリサは地面から槍を抜き、頭上で数回転させた後、穂先をケナンの狩人に向ける。
「見たところあんた達、こっちの運営が忙しくてろくに“狩り”をしてないでしょ。そんな怠け者の狩人風情がこの狂槍に敵うと思う?」
リリサからは紛うことなき殺気が放たれていた。
それは、味方側のクロトですら鳥肌が立つほどのものだった。
それだけで痛いほど実力差を感じさせられたのか、リリサの正面に立っていた狩人は構えを解いた。
「わかった、無駄な戦闘もこちらとしても本意ではない……」
険悪な雰囲気が消え去る。……が、これで万事解決とはいかなかった。
「……だが、そこの黒髪のせいでこの賭けは無効になってしまった。損失分は払ってもらうぞ」
「わかったわ」
他の狩人たちも武器をしまう。
リリサも槍をくるりと回転させて肩に担いだ。
「それで、いくら払えばいいの?」
「少し待て」
リーダーらしき狩人は別の狩人から賭場の帳簿らしきものを受け取る。
その帳簿を暫く見つめた後、金額を言い渡した。
「金貨50……」
払えない金額ではない。
と思ったのも束の間、狩人は急に金額を変更してきた。
「……いや、250枚だ」
「はぁ!?」
初めの額と全く違う、法外な値段を請求されリリサは思わず声を上げる。
「ふざけんじゃないわよ!!」
「ふざけてなどいない。配った半券の数から逆算して、あの賭けでは50枚の収益が出る予定だった」
「だったらどうして250枚になるのよ!!」
リリサの問いかけに、狩人は一点を指差す。
その先には少女が……クロトが竪穴から救い出したヒトガタの姿があった。
指を差され、ヒトガタの少女はクロトの背後に隠れる。
「ヒトガタの血や骨は通常のディードと違って高い値がつく。しかも珍しい外見となればどこぞの金持ちが道楽で飼うこともあるかもしれない。200枚は妥当な値段だと思うが?」
「待ちなさい。金持ちが娯楽目的にディードを飼うって話は聞いたことあるけれど、ヒトガタを飼うなんて聞いたことないわよ。それに、このヒトガタはサンプルとして教団に引き渡すつもりで……」
「だったら教団から金を貰うんだな。貴重なサンプルなんだろう? 金貨の200枚くらい、教団も快く支払ってくれるだろうさ」
うまく切り抜けられたと思ったが、少女をネタに逆手に取られてしまった。
ヒトガタの少女がこちらにとって重要なモノであることを悟られたようだ。
だからと言って、今更ヒトガタの少女を引き渡すこともできないし、ましてや狩人同士で戦闘することなんてあってはならない。
「く……」
リリサはクロトとヒトガタの少女を交互に見、頭を掻く。
どうやら悩んでいるようだ。……が、父親の情報を得られるとなれば断りようがない。
リリサは諦めたように体の力を抜き、ケナンの狩人の条件を呑んだ。
「……わかったわ。250枚は必ず払う。それでいいんでしょ?」
「随分と簡単に言ってくれるな。本当に250枚も払えるのか?」
ケナンの狩人に言われ、リリサはクロトに手を差し出す。
「……クロ、それ貸しなさい」
「ん? ……ああ」
クロトはすぐにリリサの意を汲み、金袋を投げ渡す。
リリサは中から数枚の金貨を取り出すと、袋のほうをケナンの狩人に投げ渡した。
「ちょうど金貨100枚、前金よ。足りない分は後で払う。これで信じてもらえる?」
ケナンの狩人は中身を数えることなく、すぐに仲間に渡す。
「確かに受け取った。……約束は守ってもらうぞ。必ずな」
その言葉を最後に、ケナンの狩人たちはすり鉢状の広場から去っていった。
クロトは黒刀を鞘に収める。と、緊張が解け、自然と体から力が抜けた。
(何とかなった……)
金貨100枚……身ぐるみ剥がされてしまったが、少女の命を救えたのだから満足だ。
あと150枚残っているが、アリスタさんの依頼をこなせば問題無いだろう。
クロトはこの困難な局面をうまく切り抜けさせてくれた立役者、リリサに礼を言う。
「助かったよりリリサ」
「……この馬鹿クロ」
リリサはため息混じりに告げると、クロトの頭を槍の石突で軽く叩く。
「痛っ……」
「ただでさえ支部長からディードの討伐を押し付けられたっていうのに、これ以上面倒事を増やさないでよ……」
リリサは悩ましい表情を浮かべながら段差に座る。
と、ちょうどヒトガタの少女と目線が同じ高さになった。
少女はリリサの視線から逃れるようにクロトの背中にピタリとくっついた。
「懐かれてるみたいね」
「そう……みたいだね」
クロトの背中をしっかりとキープしている少女を見つつ、リリサは疑問を口にする。
「で、このヒトガタ、本当に手掛かりになるの?」
「なぜ日本語を喋れるのか不明だけれど、何らかの手掛かりは手に入ると思う。この様子だと危険はないみたいだし、とりあえず支部の部屋に……」
「ディードを連れて猟友会に帰れるわけ無いでしょ」
全くもってそのとおりである。
あんなことがあった後でケナン支部に戻れるわけがない。
まだ不信感があるのか、リリサはヒトガタの少女を睨みつつケナン支部とは逆方向に足を進める。
「適当な場所で宿をとるわよ」
リリサはそう言って、宿を探すべく先導していく。
クロトも後を追う。
その間、少女は一度足りともクロトの側から離れることはなかった。




