010 不確かな記憶
010
「――おい、お前よく教卓の真ん前で寝てられるよな」
少年の声が聞こえ、クロトは目を覚ます。
顔を上げると正面には大きな電子黒板があった。
(……あれ?)
続いてクロトは自分の状況を確認する。
服装はブレザーの学生服。学習机に座っており、机上には学習用の端末とタッチペンが転がっていた。
続いて周囲を見渡す。
横隣や背後には同じような学習机が並んでおり、同じ学生服を来た男女が30名ほど、教室内でわいわいと騒いでいた。
(……夢?)
先程まで体験していたディードなる化物が存在する世界は夢だったのだ。
……そう思いたかったが、クロトはこれが自分の過去の記憶だということを本能的に認識していた。
「まだ寝ぼけてるのか……お前、そんなんで試験は大丈夫なんだろうな?」
馴れ馴れしく話しかけて来ている少年……赤髪で少し背の低い少年はこちらの頭を軽く叩く。
「二人で一緒に一流の戦闘機乗りになるんだろ? 操縦方法はゲーセンのシミュレータでバッチリだ。後は勉強の方を頑張るだけなんだから、しっかりしてくれよ」
そうだ。
日本にいた頃の自分は戦闘機乗りを目指していたのだ。
あの頃の自分は広い空を高速で駆け抜ける戦闘機に夢中になり、パイロットになるべく日々シミュレータと勉強に励んでいた。
同じ志を目指す友達もいた。
名前は思い出せない。が、赤髪の少年は小学生の頃から一緒に夢を誓い合った仲で、小中といつも一緒につるんでいたように思う。
「……今時戦闘機乗りになりたいだなんて馬鹿じゃない? 今の主戦力は無人戦闘機、民間旅客機のパイロットを目指したほうがいいと思うわよ」
棘のある声とともにやってきたのはショートカットの髪をカチューシャで留めている少女だった。
赤髪の少年は間髪入れず言い返す。
「勝手に言ってろ。女には男のロマンは理解できねーよ」
「何よ、わざわざアドバイスしてあげているっていうのに、その言い方はないんじゃない?」
言い合いを始めた二人に、か細い声が仲裁に入る。
「……やめて、みんなこっち見てるよ……?」
仲裁に入ってきたのは髪が異常に長い根暗そうな少女だった。後ろ髪は膝裏に届くほど長く、前髪も目を覆い隠すほど長い。
そんな彼女の言葉通り、教室内にいる生徒たちの視線はこちらに向けられていた。
流石にこの視線には耐えられなかったのか、赤髪の少年とカチューシャの少女はお互いに口をつぐんだ。
黙ったまま睨み合う二人を見つつ、長髪の少女は嬉しげに言葉を続ける。
「でも、いいよね。みんな夢があって」
少女は教卓に肘をつき、クロトを含めた3人を順々に見つめる。
「男子二人組はどっちともパイロット。で、私達女子はどっちとも研究者。夢、叶うといいね」
「研究者ってひとくくりにしないでよね。私は生物工学者をめざしてるんだから。それと、夢は叶うものじゃなくて叶えるものよ。……みんなちゃんと勉強してる?」
カチューシャの少女の一言に、赤髪の少年と長髪の少女は苦笑いを浮かべていた。
その表情を見て、カチューシャの少女は溜息をつく。
「……はあ、今日も図書室で勉強会するわよ。みんな強制参加だからね」
「えー……」
「はーい」
返事は芳しくなかったが、反対意見は出なかった。
二人の返事を聞いた後、カチューシャの少女はこちらを覗き込む。
「返事は? あんたが一番成績悪いんだから……自覚してるの?」
「……」
日本での記憶。学生の頃の記憶。
正確な場所も日時も分からない。だが、自分には仲がいい友だちが3人もいたらしい。
クロトはいつまでもこの夢を見ていたかった。しかし、不意に視界がぶれ、耳も遠くなってきた。
どうやら夢から醒める時が来たようだ。
自分が戦闘機乗りを志していたことはわかった。だが、どんな経緯で化物がはびこるこの世界に来たのかまでは分からなかった。
(また、見られたらいいな……)
やがて夢は終わりを告げ、視界は真っ暗に、何も聞こえなくなる。
それから覚醒するまで、そう時間はかからなかった。
……再び目を覚ますと、クロトはベッドの上で横になっていた。
「……!!」
クロトは咄嗟に起き上がり、周囲を見る。
狭い室内。ベッドの他には簡素な机と棚があるだけで、殺風景な部屋だ。
先程まで見ていた夢の中の教室とは天と地の差だ。
だが、この部屋には見覚えがあった。
「……アッドネスさんの部屋、か」
呟き、クロトは自分が覚えている最後の記憶を手繰り寄せる。
自分はベックルンの山間部で超大型ディードを殺し、血まみれになったまま気を失った。
しかし、アイバールの支部に戻ってきている。ということは……
(アッドネスさんが連れて帰ってきてくれたのか……)
よく見ると、毛皮の防寒着から麻の寝間着に着替えさせられていた。
……あれから随分と時間が経ったらしい。
一つしかない窓からは月明かりが差し込み、床に淡く四角い模様を映し出していた。
夜、しかも月明かりの差し込み具合から察するに真夜中だ。
「……」
自分が安全だと確認すると、クロトは胸を撫で下ろす。そして、再びベッドの上で仰向けになった。
(生きてるってことは……あれは夢じゃなかったんだよな……)
自分は人を超越した力を発揮し、超大型ディードを討伐した。いや、討伐なんてものではない。あれは一方的な暴力だった。
一部記憶が不鮮明だが、あれは自分がやったのだと、クロトははっきりと自覚していた。
クロトは片腕を持ち上げ、手のひらを見る。
黒い血は綺麗に洗い流され、肌色の手のひらが目前に見えた。
クロトは手を握ったり開いたりしてみる。
……間違いなく人の手だ。
虎型のディードを殺した時は自分も化物になってしまったのではないかと思ったが、間違いなく自分は人間だ。
自分の手を眺めていると、静かにドアが開き同時にランプが室内を仄かに照らし出した。
クロトは視線をドアに向ける。
そこには軽装のリリサの姿があった。
透明に近い白髪はランプのオレンジに染められ、琥珀の瞳は暗い中でもくっきり輝いていた。
自分と同じく上下とも麻の寝間着を着用している。だが、男物なのか、肩口が大きく開いており、綺麗な鎖骨が見え隠れしていた。
リリサはクロトが起きていることに気づいたのか、早足でベッドに近づき、断りもなく腰掛けた。
「どう? 何か思い出した?」
第一声はこれだった。
あの戦闘で自分はとんでもない力を発揮した。それが記憶を取り戻したことと関係があると予測しているようだった。
クロトは仰向けのまま、正直に告げる。
「……いいえ。でも、ちょっと昔の夢を見ました」
「夢?」
「はい、僕が学生だった頃の夢です」
「学生……ってどこの?」
「日本の……えーと……」
日本の学校であることは間違いない。が、あの夢では学校の名前は思い出せなかった。
「あ、やっぱり夢の話はいいわ」
リリサはクロトの言葉を遮り、得意気な顔で人差し指を立てる。
「確実にわかったことが一つだけあるわ」
そして、もう片方の手をベッドについて顔を近づけ、満を持して告げた
「……あんたが凄腕の狩人だったってことよ」
予想外の事を告げられ、クロトは狼狽えつつも応じる。
「そう……だったんでしょうか」
「決まってるじゃない。でなけりゃあんな超大型ディードを倒せないわよ。……これで、父と知り合いだったかもしれないって話に信憑性が増したわね」
リリサは喜んでいる様子だった。が、クロトはまだまだ記憶が戻らないことに加え、あることに心を痛めており、素直に喜べなかった。
「……結局、何人死んだんですか?」
クロトの暗い口調に、リリサは顔を離し、一旦間を置いて真面目に答えた。
「死者は8名、最初の解体場での犠牲者と合わせると合計12名ね」
「12人……多いですね」
「でも安心なさい。ちゃんと手厚く葬ってあげたし、家族にもそれなりの弔慰金を渡したわ。12人共安心してあの世に旅立てたはずよ」
「葬儀……もう終わったんですか?」
「2日前に、ね」
ここでクロトは違和感を覚え、リリサに質問する。
「僕、何日間寝てたんですか?」
「7日間よ。それはもう死んだように眠ってたわ。その間ずっと部屋を貸してあげていたんだから、感謝しなさいよね」
「すみません……」
半日程度かと思っていたが、まるまる1週間も眠っていたようだ。それだけあの時の戦闘でエネルギーを消費したということだろう。
お腹もそれなりに空いている。が、明日は流動食でも食べて胃を驚かせないように努めよう。
リリサは視線を窓の外に向け、クロトに問いかける。
「それで、これからあんたどうするつもり?」
漠然とした問いに、クロトは即答した。
「僕は山の峰で見たあの星……カラビナを目指そうと思ってます」
「カラビナを……?」
リリサは視線を再びクロトに向ける。
「待ちなさい。カラビナにどうやって行くつもり? まさか、空を飛べるとでも言うんじゃないわよね」
リリサはあのカラビナと呼ばれている星が軌道エレベーターの中継地点だということを知らない。
クロトは噛み砕いて説明する。
「実はあれは……カラビナは細長い塔で地面とつながっているんです。塔を登っていけばカラビナに行けますし、必ず入口があるはずです。僕はそこを目指すつもりです」
リリサは始めは半信半疑の表情を浮かべていたが、クロトの真面目な口調に、話を信じたようだっった。
「なるほどね……にわかには信じられないけれど、クロがそう言うならそうなんでしょ」
そう言った後、リリサは軽い溜息とともにベッドの上に足を載せ、足を抱きかかえて膝に頬を載せる。
左手首には黒いブレスレットが付けられていたが、手首の大きさに対して経が広いのか、肘のすぐ近くまでずれ落ちていた。
そんな黒とコントラストを成すように白い髪が肩を滑り降り、真白なうなじが顕になる。
クロトの視線にも気づかないで、リリサは決意を表明する。
「私の父の手がかりとあんたの失われた記憶……深い関係があると思う。だから、クロがあのカラビナに行きたいなら、一緒に付いて行ってあげる」
「アッドネスさんも?」
付いてきてくれるのは有り難い。
リリサは凄腕の狩人だ。道中何かが起きた時、彼女がいれば心強い。それに、自分はこの世界についてほとんど何も知らない。
ナビゲーターとしても役に立ってくれるはずだ。
リリサは他にも何か決めたようで、恥ずかしげに告げる。
「……あと、私を呼ぶ時は“アッドネス”じゃなくて“リリサ”でいいわ。言葉遣いも普通でいい、下手な丁寧語は聞いてる方も疲れるから」
「わかりま……わかった」
こちらとしては別に困らないが、リリサがそう望んでいるのなら従わない理由はない。
色々と方向性が決まっていく中、クロトは不安を述べる。
「でも、僕に付いて来てもいいんですか? アイバール支部は……」
「平気でしょ。人員も補充されると思うし……あと言葉遣い、普通でいいって言ったよね?」
「すみません、何だか慣れなくて……」
「仕方ないわねえ……私を家族だと思って話してみなさい。幼なじみでもいいわよ」
リリサは自分に対して壁を作りたくないようだ。それもそうだ、これからあのカラビナを目指すとなれば、長い時を共に過ごすことになる。コミュニケーションはスムーズに行えたほうがこの先色々と便利だ。
クロトは上半身だけ起き上がり、勇気を出して呼び捨てる。
「……リリサ」
「なに」
ただ名前を呼んだだけだと思われたくなかったクロトは、「えーと……」と逡巡した挙句今後の予定について早速話し始めた。
「カラビナに向かうには街を渡り歩いていく必要があると思う。とりあえずはここから一番近い、西にある街を目指そうと思うんだけれど」
「じゃ、まずは『ケナン』を目指すことになるわね。近いと言っても、一番近いってだけで距離はかなりあるわ。色々と準備しないとね」
リリサは勢いをつけてベッドから降り、部屋の中央でくるりと回転する。
「買い物は私が明日しておいてあげる。で、明後日に出発ね。それまであんたは適当に休んでなさい」
「いや、同行してくれる以上、僕も手伝うよ」
クロトはベッドから起き上がろうとする。しかし、1週間も横になっていたせいか、うまく立ち上がれず再びベッドに腰を下ろしてしまった。
「やっぱりね」
リリサはクロトのおでこを軽く指で突き、別の提案をする。
「それに、買い物を手伝うくらいなら知り合いに挨拶してきなさい」
「挨拶?」
「下手をすれば二度とここには戻って来られないわ。大事な人がいるなら、きちんと事情を話しておくことね」
大事な人と言われ、クロトの脳裏にミソラとイワンの顔が思い浮かんだ。
ミソラはもう元気になっただろうか。
……せっかく狩人としてリリサに認められたのだ。このアイバール支部で狩人として生きていく人生も悪く無いだろう。
が、僕は自分のことが知りたい。自分の記憶を取り戻したい。
それは何物にも代えがたい欲求であり、現時点での人生の目標なのだ。
いくら親父さんとミソラのことが好きでも、彼らと一緒に家族として暮らしたくても、僕はカラビナに向かう。
リリサの父親の件もあるし、カラビナに向かわなければならないのだ。
となれば、きちんと別れを告げる必要があるだろう。
「……わかった」
クロトはリリサの言い分を素直に聞き入れる。が、譲歩はしなかった。
「でも、明日の買い物には付き合うよ。どんなものを持っていくか、僕も把握しておきたいしね」
まだ出発まで時間はある。親父さんとミソラには買い物の後に会えばいい。
そう決めたクロトだったが、リリサの表情は暗かった。
「はぁ……街に出てどうなっても知らないわよ」
「……?」
この時のリリサの言葉の意味を、クロトは理解できていなかった。




