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天球のカラビナ  作者: イツロウ
08-叡智の群体-
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106 守るべき者

106


 軌道エレベーター内、地上から最も離れた場所にある実験エリア。

 その一区画に設置されている暗室にクロトはいた。

 四方を頑丈な壁に囲まれた部屋は暗く、音も電波も完全に遮断されている。

 五感で感じられるものはない。

 そもそも人の形を保っていないスライム状の自分には目も耳も何もないし、もっと言うと脈動や呼吸の振動も発せられていなかった。

(全く、容赦ないなあ……)

 ティラミスの手でこの暗室に連れてこられてから小一時間。

 核融合炉内部に閉じ込められた時はどうなるかと思ったが、自分の思考を直接ティラミスに送れたおかげで助かった。

 ティラミスには律葉の身の安全の確保と、玲奈やゲイルとの交渉を代行してもらった。

 リモコン人形のように都合よく扱ってしまい少し申し訳なく思う。

 ティラミスは意思疎通ができただけで嬉しいと言ってくれているが、後でお礼をたっぷりしてあげよう。

 礼といえば、隼人にも感謝しておくべきだろう。

 戦闘型DEEDを殲滅していた頃は連携のために日々隼人から念話を受けていたし、状況が落ち着いてからもくだらないジョークをイメージ付きで散々押し付けられたものだ。

 当時は呆れていたが、イメージを共有する術を身につけた今は感謝の言葉しかない。

 そろそろティラミスだけでは対処できなくなってきたし、自ら動くことにしよう。 

(まずは人の形に戻らないとね)

 小さなスライム状の物体が細かく振動すると、あっという間に振幅が大きくなり、あわせて体積も急激に増加していく。

 無色無形だった物体は胴体、腕、脚、頭部と輪郭をはっきりさせていき、30秒と経たずに人の大きさまで膨らんだ。

 自分の体が再生されていく様子を観察しつつ、クロトはふと自身について考える。

 個人を核融合炉内に閉じ込めるなんてありえない。しかし、それに耐えて意識どころか体ごと丸々失った自分がほんの数時間で環境に適応し、復活できたことのほうがもっとありえない。

 骨格や筋肉や臓器などが何もない空間から編み出されていき、皮膚で覆われていく。

 いよいよ人間離れしてきた。今自覚している人格も本物かどうか怪しい。

 ……いや、偽物に違いない。ただ、記憶は間違いなく本物で、その時代に玖黒木という人間が存在していたのは事実だ。

 自分を自分たらしめる要素が記憶だというのなら、偽物でもコピーでも何も問題ない。

 今更気にすることでもない。この類いの悩みは自分がDEEDマトリクス因子に適合してから数年で卒業した。

 重要なのは自分が強大な戦力を有する存在だということだ。

 そして成すべきことは玲奈の独断による暴走を平和的解決に導くことだ。

 ティラミスを通じて彼女自身にも伝えたが、玲奈のやり方では両者共倒れになる可能性が高い。その兆候もはっきりと現れている。

 これまでは自分の甘さが原因で自分どころか周囲に多大な迷惑をかけた。

 今後は表立って動き、親しい人が穏やかな死を迎えるまで最善を尽くそう。その後も彼らの子孫が安寧な世界で人類史を刻んでいく様子を見守ろう。

 傲慢な考えだということは自覚している。しかしそれが人々の益に繋がるのなら問題ない。

 少なくとも、私怨で動いている玲奈やトキソより建設的な考えだ。みんなも理解してくれる。

 遺恨を残さない為にも、武力行使は行いたくないものだ。

 未来のことを漠然と考えていると、いつの間にか体の修復が終わっていた。痛みもなければ不快感もない。欠損部位も全くない完璧な再生である。

 五感も完璧に機能しており、素っ裸の背中にひんやりとしたタイルの感触を得ていた。

 クロトはおもむろに立ち上がり、意思確認のために願望を呟く。

「……次は服だね」

 クロトは黒い粒子でスラックスとワイシャツを形成し、着衣する。

 靴も作るべきか一瞬迷ったが、最低限の公衆マナーを守れていればいいと判断し、裸足のまま立ち上がった。

 とりあえず体裁は整った。

 クロトはしっかりとした足取りで真っ暗な室内を移動し、防音用の分厚いドアを開き、通路に出た。

 通路は最低限のガイドライトが灯っており、見張りはいない。

 そもそも科学実験用ユニットとあってか、人気は全くない。

 仮にこのユニットでトキソと戦闘になった場合……考えたくもない望まない展開ではあるが、仮に有毒ガスや危険な物質が放たれても一般人がいるユニットにまで漏れ出すことはないだろう。

 トキソを無力化、もとい説得した後は、ティラミスに念話で伝えたとおり、ブレインメンバーの緊急決議によってクロイデルプラントとゲイルを強制停止させる。

 さすがの玲奈もブレインメンバーの持つ権限には対抗できない。できないからこそ彼らを幽閉し眠らせているのだ。

 いったいどんな薬品で彼らを眠らせているのか。それだけでも分かれば起こすのは楽になるし危険も少ない。

 なんならトキソに起こしてもらえれば手っ取り早いが、彼女がこちらの話を聞いてくれるかどうか怪しいところだ。

 考えてみれば彼女も不憫な女性だ。

 DEEDから恋人や家族を守るために力を手に入れたのに、結果的にその力で恋人や家族を殺してしまった。

 今現在、彼女を突き動かしているのは強大な復讐心だ。復讐が果たされれば彼女が敵対する理由はなくなる。

 ブレインメンバーの件に限らず、彼女の能力はとても貴重だ。医療分野から科学技術の発展に大きく寄与するだろう。

 人類の再興は彼女に懸かっているといっても過言ではない。

 現に、彼女の生成した医薬品のおかげで数百名、千名以上の命が救われている。彼女を失うわけにはいかず、協力関係を結ばねばならない。

 ならばどうするか。

 懐柔が最適解だろう。

 彼女には人類救済という使命を負っていることを強く自覚してもらう。

 人を救うために2,000年という時を生きてきたのだ。5万人からの期待、5万人の命を預かる責任感。それをなげうってまで私怨に走る人間ではない……と思いたい。

 思案を巡らせながら通路を進み、やがてクロトは仮眠室に到着する。

 この実験ユニット内部で唯一エネルギー反応があった場所。

 つまり、トキソがいるであろう場所だ。

 疲れて休むと言っていたらしいし、ここで間違いないだろう。

 クロトはロックがかかっているスライドドアを指の力のみで難なくこじ開け、薄暗い室内へ入る。

 内装は学生時代に利用した記憶のある一般的なビジネスホテルのそれと相違なく、入り口側にバスルームがあり、奥側にシンプルなベッドが2つ並んでいた。

 ベッドサイドには両手サイズの浅いカゴがあり、その中には適当に丸められた衣類が、カゴの隣にはリボルバーの拳銃が無造作に置かれていた。

 ベッドに人の気配はない。

 消去法で彼女がバスルームにいることが判明した。

(どうしようか……)

 空気も湿っておりシャワーを使ったのは確実だが、水の音は聞こえない。

 湯船に浸かってまったりしているのか、はたまた入浴後のケアをしているのか、現状の把握が難しい状態だった。

 予定ではベッドで寝ている彼女を起こして話し合いをするつもりだったが、こうなるとどうしたらいいものか悩んでしまう。

 声をかけるべきか、ノックをするべきか。

 考えていたクロトだったが、答えが出る前にバスルームのドアが開いてしまった。

 湯気とともに出てきたのは頭からバスタオルを被り、それ以外は何も身につけていない若い女性、トキソその人だった。

 ブルネットのロングヘアーは濡れ、陶器を連想させる艶のある白い肌に張り付いていた。

 まだ拭ききれていない水滴がスレンダーな彼女の身体のラインを上から下へ滑り降り、床へと滴り落ちる。

 クロトは自分の間の悪さに辟易し、申し訳程度に視線を壁側へ逸らした。

「……!?」

 トキソはというと、突如として現れたクロトに目を見開いて驚いており、暗がりでもその淡い青の瞳がはっきりと確認できた。

 薄紅色の唇をわなわなと震わせ狼狽えるトキソだったがそれも一瞬のことで、即座に部屋の奥、ベッドの陰に潜り込み身を隠す。

 そのまま悲鳴でもあげれば可愛げがあっただろうに、彼女はベッドサイドに置かれていた銃を手に取った。

「あの状態から復活したのか……化け物だな」

 トキソはリボルバーを両手で構え、銃口をクロトの顔面に向ける。

「化け物か……確かに、その通りかもしれないね」

 このまま素っ裸の彼女と会話を続けようと考えたクロトだったが、かすかに残っていた紳士の心がそれを許してくれなかった。

 羞恥心を感じられるくらいには人間性を保てているらしい。

 いや、劣情を抱かずにモデル顔負けのプロポーションを持つ彼女を平然と観察できている時点で男としては失格なのだろうか。

 図らずも自身の性格について自己分析できたクロトはトキソに提案する。

「えーと、まずは服を着たほうがいいんじゃないかな。僕に攻撃の意思がないことは君もわかるよね? それに、ちょっとだけ気まずいかもしれない」

「いや、このままでいい。肌を見せるだけで貴様の視線を誘導できるのなら、これに勝る戦術はない」

「戦術って……はあ」

 トキソの言動にクロトは心底呆れていた。

 彼女は現在の状況を全く把握できていない。

 まだ彼女は僕と同じ土俵で、しかも敵対できると考えているらしい。

 事態を重く判断したクロトは、早々に彼女に説明を行うことにした。


 灯りの点いていない暗い仮眠室内。

 バスルームから漏れ出る電灯の光によって辛うじて視界を確保できる状況下。

 クロトと相対しているトキソは、リボルバーを構えたまま混乱していた。

(……なぜ私はまだ生きているんだ?)

 ほんの十数秒前のことである。

 久々にシャワーを浴びて洗髪もして、ベッドで仮眠をとる予定だったのに、唐突にククロギが目の前に現れた。

 極度の脳疲労が生み出した幻かと思ったが、私の本能は的確に緊急避難を行い、今現在膝立ちでベッド越しにリボルバーを構えている。

 彼の規格外の生命力には恐怖を禁じ得ない。

 勢いに任せて啖呵を切ったはいいものの、正直死ぬ未来しか見えない。

 トキソの視線の先、クロトは銃口を向けられていることを歯牙にもかけず、背を向けてドア横の壁に備え付けられた通信端末を弄っていた。

 通信端末は片手で扱うには難しい程度にサイズがあり、タッチパネルもついている。

 トキソの位置からは画面を確認することはできなかったが、側面の通話用のマイクスピーカーのライトが点滅しており、誰かに連絡しようとしていることだけはわかった。

 その後もタッチパネルの軽快な操作音が鳴り続け、しばらくするとクロトはトキソに話しかけた。

「これから君には軌道エレベーター内の人達の声を聞いてもらおうと思う」

 クロトは端末の操作を終えると仮眠室内の灯りをつける。

 暗かった部屋が強い光に照らされ、当然トキソの身体も露わになる。

 グレー基調の地味な内装品の中にあって、瑞々しい彼女の肢体はとても目立っていた。

「あと、さっきの視線誘導の話だけれど……対象が僕だけならその考えも納得できなくはない。でも今の君のその格好は、みんなを困らせると思うんだ」

「みんな……?」

「これを見ればわかるよ。色々と」

 クロトは余計な言葉を使わず、視線をトキソから逸らしたままタブレット型端末を投げ渡す。

 ベッドに着地したそれは何かを受信しているようでコール音を出して細かく振動していた。

 ともあれ、見たほうが早いということだろう。

 トキソは左手でしっかりとリボルバーを保持したまま、右手を伸ばしてベッド上のそれを手繰り寄せる。

 裏返っていたタブレットの画面を表に向けると、そこには格子状に区切られた6つの枠。そして枠内には複数名の顔が映っていた。

 レイアウト的にオンライン会議時のそれに間違いなかった。

 枠の一つには自身のインカメラに写っているものもあり、そこには上裸姿の自分が映っていた。

「……!!」

 トキソはインカメラから逃れるべくタブレット端末を伏せようとした。

 だが、状況を把握しておく必要があるため、顔だけが映るように少し上に傾けた。

 タブレット端末の画角を調整しているトキソにクロトは説明する。

「これから各部署の代表者と話してもらう。だから、その前に着替えて欲しいんだけれど」

 戦うどころか逃げることを必死に考えていたトキソにとってこれはありがたい提案だった。

 彼が何を考えているのか不明だが、下手に逃走するよりもカメラで住民に見守られていた方が安全そうだ。

「わかった。言う通りにしよう」

「助かるよ」

 クロトは未だ視線を壁に向けたままだった。

 見られても困らない程度の体型美は維持しているが、羞恥心がないわけではない。

 不特定多数に見られていると思うとぞわぞわするのは事実だ。

 トキソは一旦リボルバーとタブレット端末をベッドの上に置き、ベッドサイドのカゴから衣類を取り出し、テキパキと着衣していく。

 上は黒いチューブトップ一枚。

 下はレギンスより短めのスパッツのみの軽装だ。

 普通の水着よりも肌の露出が多いそれらを、トキソは10秒とたたずに着衣し終えた。

 トキソは再びリボルバーを手にしようとしたが、敵意を向けるような行為はかえって危険だと考え、タブレット端末だけを手に取った。

「もういいぞ。着替え終わった」

「よし、それじゃあ始めようか」

 クロトは壁に向けていた視線をトキソに向け、部屋の中へ歩を進める。

 ベッドの手前で止まると咳払いし、自身の手にある端末に向けて丁寧な口調で語り始めた。

「みんな、先ほどメッセージで送った通り、ようやく彼女のスケジュールが空いたから、要望希望がある人は遠慮なく伝えて欲しい」

 その発言ののち参加者のミュートが解除され、各々が一斉にトキソへ訴え始めた。

「医務室の薬剤管理庫です。抗生剤をはじめストックが切れかけてます。すみませんが今日中に補充をお願いできますか? リストもこのあとすぐに送るので……」

「あの、佐竹博士に地表付近の防衛装置の件で相談があったのですが連絡が取れず、伝言をお願いしてもいいですか?」

「生活物資管理を任されている者です。配分計画の作成が滞っていまして、不満を訴える方が増えてきています。ブレインメンバーさん方の承認がすぐにでも必要なのに全く連絡が取れない状況でして……代理でトキソさんに承認をお願いしても?」

「機材保守部門です。昨日からブレインメンバーからのスケジュール通達や復旧計画の指示が降りて来ず、最後まで連絡をいただいていた佐竹博士とも連絡が取れません。指示がない場合は現場の自由裁量で進めていいと言われていますが、やはり判断に困る案件が多く……」

「こちらは警備部門だ。人型戦闘兵器から指示があり、軌道エレベーターの行政区域を外敵から守れとのことだが、規模や武装の細かい指示がなく動けない状況だ。ただでさえ少ない人員を無駄にしたくはない。もし外敵について知っていれば情報を求む」

 一斉に耳に入ってきたのは、助けを求める声だった。

 緊急性も高く、彼ら彼女らの表情や口調からもかなりの混乱が見られる。

 薬の生成はともかく、それ以外の事案は対応できる気がしない。そもそも専門外のことだらけで状況すら把握できそうにない。

 そんなトキソに構うことなく、続けてコールドスリープ装置を管理する男性担当者から緊急性の高い報告が行われる。

「また装置の故障です。解凍自体は完了しているのですが、ロック機構のエラーのせいで中にいる女性を外に出せない状況です。他のユニットと隣接しているので油圧カッターが使えず、他にいろいろと試してはいるのですが解決の糸口が全くつかめず……」

 カメラ越しに移る男性の額には汗がにじんでいる。

「先日、似たようなケースが起きた際にはあなたが一部金属部品を腐食させてロックの解除に成功したと聞いています。とにかく時間があまりないので現場まで急いできてください」

 確かに、腐食液を生成して故障に対処した記憶はある。

 時間も限られているようだし、彼の要望にすぐに応える必要がある。

 しかし、行動しようにも目前のククロギのせいでうかつに動けない。

 一連の連絡を聞いていたクロトはマイクのミュートボタンを押し、トキソにだけ聞こえるように冷たく言い放つ。

「君がブレインメンバーを、そして玲奈を隔離したせいでみんな大混乱だよ」

 クロトは淡々と続ける。

「人類を助けるためにDEEDを根絶やしにするといっていたけれど、DEEDの殲滅に注力して他の事が疎かになり管理さえままならない。本末転倒という言葉がここまでしっくり当てはまるのも珍しいね」

「……」

 クロトの正論にトキソは何も言い返せない。

 ただ視線を下に向けて唇を嚙む。

 軌道エレベータ内の状況がここまで悪化するとは思ってもいなかったし、その考えにも至らなかった。

 明らかに力不足、そして無計画だったことを思い知らされる。

 このままでは人類を救うどころか、人類の滅亡を加速させるだけだ。

 自責の念に駆られるトキソに、クロトは問いかける。

「確認させてもらいたい。君はこの状況でもDEEDの殲滅を優先するつもりかい?」

 この問いに、トキソは顔を上げて強い口調で即答する。

「人命救助が最優先に決まっている!!」

 そのために人柱としてこの魔女のような力を得たのだ。

 祖国の人々を侵略者から守ると強く誓ったのだ。

 DEEDを根絶やしにするという考え自体は間違っていない。

 ククロギという存在が人類にとって危険極まりないという意見も正しいと思っている。

 しかし、今はそれを議論するべき時ではない。

 今は人命救助を、軌道エレベータ内の人々の身の安全を優先するべきなのだ。

 嘘偽りないトキソの答えにクロトは「よかった」と安堵の言葉を呟く。

「それなら、これから何をすべきかは僕が言うまでもないね」

「ああ、すぐにでもコールドスリープ装置の場所へ行く」

 トキソはタブレット端末を脇に抱えて仮眠室の出口へ向かう。

 そのまま通路へ出ようとしたトキソだったが、ドア手前でクロトの腕に遮られてしまう。

 しかしこれは妨害ではなく、クロトがトキソにより良い提案をするためにとった行動だった。

「コールドスリープ装置の件は本当に猶予がなさそうだから、機動力のある僕が対処するよ。君は薬剤倉庫へ向かってほしい」

「……」

 クロトに行く手を阻まれた状態で、トキソはどうするべきかを考える。

 コールドスリープ装置が設置されているユニットまでかなりの距離があるのは事実であり、クロトの判断がより合理的だとわかってはいる。

 しかし、クロトを完全に信用できないせいで、その提案を飲めずにいた。

 視線を通路に向けたまま返答に詰まっていると、不意にタブレット端末から少女の声が聞こえてきた。

「――では、残りの案件は私に任せてください、お兄様」

 唐突に聞こえた声に反応し、トキソはタブレット端末の画面を見る。

 そこにはつい先刻、実験エリアで別れたばかりのティラミスの姿が映っていた。

 ティラミスは片手で携帯端末を保持しているようで、分割されたウィンドウの左側には彼女自身の腕が映り込んでいた。

 クロトは画面を見ずともティラミスだとわかっていたようで、特に挨拶もなく会話を続ける。

「聞いていたんだね。ありがたい申し出だけれど、本当に任せても大丈夫かい?」

「大丈夫です。今からパイロさんと合流、そのあとに玲奈博士とブレインメンバーを開放する予定でしたから」

 このセリフを聞いてようやく彼女が内通者だったということを悟った。

 ククロギがあの状態から復活できたのはティラミスの助けがあったからだろう。

 兄を助けるためにもっともらしい理由をつけてあの核融合炉から電波暗室へ移動させたというわけだ。

「というわけでトキソさん、他の問題は心配しないで薬の補充に専念してください」

 画面の中の彼女は悪びれる様子もなくトキソに話しかける。

 裏切り行為を行ったティラミスに思うところがあるトキソだったが、彼女が一貫して人類の助けとなる行動をとっているとわかった以上、自分本位な理由で混乱を招いてしまった自分に糾弾する権利はなく、画面を見つめることしかできなかった。

「トキソさん? 聞こえていますか? あれ、ミュートじゃないですよね?」

 頭では彼らの言うとおりに行動することがベストだとわかっている。

 しかし、どうしても同意の言葉を出せずにいた。

 葛藤しているトキソに対し、クロトは「時間もないから手短に言うよ」と前置きし、明瞭な声で告げる。

「僕は頭ごなしにDEEDの殲滅を否定しているわけじゃない。今はもっと別に優先することが、軌道エレベーター内の問題を解決することが先決だと思っている」

「だから、一旦これまでの事は置いておいて、それぞれ役割を果たそう。いいね?」

「……異論はない」

 トキソは小さく頷く。

 同意の言葉を得て、クロトはようやく通せんぼしていた腕を下ろした。

「伝わってよかった。じゃあ、僕は冷凍睡眠ユニットへ向かうよ」

 クロトはミュートを解除すると同じ内容のセリフを携帯端末越しに担当者に伝え、早々に仮眠室から出ていった。

 静寂を取り戻した仮眠室に取り残されたトキソは、すぐに行動することができなかった。

 自分の行動が軌道エレベーター内の人々に大迷惑をかけたという事実に、強い罪悪感と無力感を感じずにはいられない。

 ……この2,000年間、私は一体何をしていたのか。

 ククロギやパイロのように積極的にDEEDの排除も行えず、シェルター付近に毒霧を撒いて漫然と過ごしていただけではないか。

 自分の浅慮さに苛立ちすら覚える。

 やりきれない気持ちを整理する暇もなく、タブレット端末からメッセージの受信を知らせるシステム音が連続して発せられた。

 タブレットの通知画面を見てみると、そこには大量のテキストファイルが……薬品のリストが届いていた。

 メッセージに加え、薬剤管理庫の担当者の声も聞こえてきた。

「話がまとまったようで安心いたしました。それではトキソさん、薬剤庫でお待ちしております」

 画面の向こうの担当者は軽くお辞儀をし、会議から退出した。

 今は自分の役目を全うしよう。

 気持ちの切り替えには時間がかかるが、それでもやるべき事をやらねばならない。

 トキソはリボルバーを室内に置いたまま、仮眠室をあとにした。


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