105 人型戦闘兵器
105
上空15,000mの成層圏。
目下には広大な雲海が広がり、その合間からは大陸が見える。
視線を上げると宇宙と空の境界線、神秘的なグラデーションが確認できる。
そんな障害物も何もない澄んだ空域を人型戦闘兵器ゲイルは超高速で飛行していた。
全長は13mほどで、戦闘機と比べると少し小さいが、艤装や装甲は充実しており、密度や重量については倍以上あるように見える。
黒を基調とした装甲の合間からは金属のフレームが見える。これは可動域に干渉しないよう複数の装甲部品が細かく配置されているからだ。
巨大な体躯で明らかに空気抵抗が大きい外見をしている彼だったが、そんなハンデを物ともしないで音速を超えて飛行していた。
向かう先は北極海域、そこにあるクロイデルプラントだ。
外敵DEEDをこの地表から消し去るという佐竹玲奈博士の計画は概ねうまく進んでいる。
このままクロイデルプラントを再稼働し、強大な戦力を制御下に置くことができれば目的は確実に達成されるだろう。
難題であったククロギの恒久的な無力化に成功した今だからこそ、早急に計画を進めなければならない。
小さな協力者……愛らしい見た目をしているが頭が切れる少女“ティラミス”のアドバイスのおかげで博士の身の安全も確保できた。
問題は山積みだが、一つ一つ確実にタスクを潰していこう。
目的を確実に達成するべく、ゲイルは自前の兵装収納ユニットに加え、量子演算ユニットを6つほど背部装甲に搭載・連結していた。
この6基のユニットはククロギを封印するため、重力場の形成や出力のコントロール、膨大な量の演算に利用していたものだ。
ティラミスの代替案のおかげで不要となり、戦力強化のため有効活用している。
脊柱骨をそのまま背中に貼り付けたような外見をしているそれらは、元々はゲイルと同型機に搭載されていた重要なユニットだった。
DEEDとの戦闘などの外的要因でゲイル以外の機体は機能を停止したため、ユニットのみを取り出したというわけである。
1基だけでも大都市の電力維持が可能なほどに高出力で、演算能力にも優れた人類の英知の結晶。人型戦闘機の心臓ともいえるそれをゲイルは6つ搭載している。
車で例えるなら、複数のエンジンを強引に連結させて運用しているようなものだ。
この状態は非常に不安定ではあるが、出力のみを考えると得られる恩恵は大きい。
もし道中でパイロに妨害されたとしても容易に蹴散らすことが可能だろう。
クロイデルプラントへ向かって高速飛行していたゲイルだったが不意にセンサーが珍しい信号を拾った。
(救援信号……)
それもただの信号ではない。
クロイデルプラント統括AIから直接発せられる極めて重要度が高い信号だ。
この信号はプラントが危機に陥った際に発せられるもので、場合によっては出払っているクロイデルユニットを全て呼び戻して防衛に移行することもある。
この2,000年間一度も発せられなかったこともあり、到底無視できるものではなかった。
ゲイルは信号の発生源を調べる。
南西方向、距離は2800km、マップと照らし合わせるとDEEDが密集している街セントレアから発せられていた。
位置を特定したゲイルは信号に付帯されている脅威度判定のステータスに驚く。
(強い反応、クラスAのDEED……)
対象は2体、DEED因子活性レベルを測定するセンサーはその対象2体をクラスAと判定していた。
――クラスA敵性個体。
指標によればクロイデルプラントの全リソースの3〜5%を消費してようやく活動停止させられるレベルのDEEDである。
ククロギならともかく、パイロやトキソには手に負えない相手である。
それが2体いるとなれば、軌道エレベータの防衛機能など紙に等しい。
ただ、DEED因子活性レベルが高いからと言って戦闘能力が高いとは言い切れない。
量子演算ユニットを6基積んでいる自分であればギリギリ対処できるかもしれない。
本来であればクロイデルプラントを稼働させ、十全な戦力で目標を叩くのが理想であるが、偽装信号の可能性も捨てきれないし、とにかく真偽をはっきりとさせるためにも現地に向かうのは必須事項だ。
(……厄介だな)
本当か噓かに限らず、ゲイルはこの信号を確認する必要がある。足止めとしてはこれほど面倒なことはない。
早々に済ませてしまおう。
ゲイルは進行方向を北極のプラントからセントレアへ変更し、先制攻撃を仕掛けることにした。
位置の特定ができている以上、まずは兎にも角にも攻撃だ。幸いなことにこちらの銃火器は超長距離砲撃が可能である。
ゲイルは火器管制システムを立ち上げ、ロングレンジライフルをウェポンハンガーにリクエストする。
バックパックからロングレンジライフルが排出され、ゲイルは銃の中央部から横に伸びているグリップ部分を握り安全装置を解除、エネルギー充填を開始する。
折りたたまれていた銃身もゆっくり展開されていき、ゲイルの全長の2倍3倍と伸びていく。
そして、最終的に40m程の砲身がゲイルの前方に出現した。
それは戦艦に搭載されている物ほど重厚さはなかったが、外見の精巧さや薬室部に接続されている複数のケーブル類から、強大な威力を有する武装であると簡単に予想ができた。
ゲイルは目標に向けて移動しつつ、じっくりとエネルギー充填を行う。
実際、この兵装は一昔前の戦争であれば大量破壊兵器に匹敵するほど危険なシロモノである。似た兵器としては衛星軌道から大質量の金属柱を落とすものがあるが、この兵装はあんなオモチャとは比べ物にならないほどの破壊力がある。
……5分も経つと対象との距離も十分に縮まり、チャージ完了を知らせるメッセージがライフル側から届いた。
多少時間はかかったが、十分過ぎて困ることはない。
最初から最大火力でカタをつける。
付近を丸ごと消し飛ばせば脅威度判定クラスAの個体でも無事ではいられないはずだ。
ゲイルは対象との距離が1,700kmを切ったところで空中で制止し、弾道計算を即時に終わらせ砲撃を行った。
発射音はなく、わずかな反動すらもない。極めて静かな射撃だった。
辛うじて確認できるのは銃口からわずかに漏れ出る熱せられた空気の揺らぎくらいなものだった。
炸薬を使わず重力操作によって推進力を得た弾は超高速で飛翔し、緩やかな弧を描いて1,700kmの距離をあっという間に走破する。
発射から約68秒後、放たれた弾は寸分の狂いもなくセントレアに着弾した。
ゲイルの望遠カメラでも着弾時の閃光を確認できるほどの威力だった。
しかし、DEED因子活性反応が消えることはなく、セントレアの建造物にも目立った被害は見られなかった。
(防がれたか......)
対象を破壊するには十分すぎるエネルギー量だったはずだが、何らかの方法で防がれた。
信じがたいことだが、事実は事実として受け入れなければならない。
もう一度近い距離から撃ちたいが、敵は5分以上かかるエネルギーの充填を待ってくれるほどお人よしではないだろう。
悠長に構えていられない。
ならば対処法は自明の理である。
(目視確認だな)
ゲイルはロングレンジライフルを格納しつつ、セントレアに向けて加速した。
数分の飛行でセントレアに到着すると、町の様子がよく分かった。
砲撃自体は防がれたものの、衝撃波でほとんどの建物の外壁に亀裂や欠損が見受けられ、石畳の地面に大小さまざまな破片が飛び散っていた。
街中に人影はない。
ただ、郊外の草原には2匹の人型DEEDの姿がはっきりと確認できた。
(あれがクラスAのDEEDか)
片方は黒い大槍を背に構えた、白く長い髪が特徴の女。
もう片方は黒い大鎌を地面に突き立てている橙色の髪の女。
この2匹のどちらかが、あるいは両者が砲撃を防いだことになるが、外見を観察しても防いだ方法について皆目見当がつかなかった。
わからないことが多い中、唯一わかったのは2匹とも記憶喪失中のククロギと行動を共にしていた個体だということだけだった。
報告では取るに足らない個体だったが、力を隠していたのか、あるいは力を出す術を会得したのか。
彼女らが持っている武器は持ち手から刃先に至るまで真っ黒であり、よくよく見ると極小粒子の集合体で構成されていた。
ククロギが使っているそれと同じであれば警戒レベルを大幅に上げなければならない。
だが、観察するうちに橙の髪の女が持っている大鎌の側面に大きく欠けている部分を見つけ、そこには砲弾の一部がこびりついていた。
簡単に防いだというわけではなさそうだ。
それにしても、100m程の距離まで近づいているのに2匹が動く気配はない。
表情や呼吸や心拍数をモニタリングしたところ私を恐れている様子はない。
飛翔能力や遠距離攻撃手段は保有していないが、持ち前の武器で近接戦に持ち込めば勝てると考えているのだろう。
生憎だが、近接戦闘は私の領分だ。
重力場を用いた近接戦闘でこそ量子演算ユニットはその真価を発揮する。
ゲイルは草原に降り立ち、面制圧に長けた散弾銃をウェポンハンガーから取り出す。
まずは正面から撃って相手の武装の強度を改めて確認しよう。もし回避されたら帯刀しているブレードを使うことになるだろうか。
段取りを考えていると、大鎌を持っている少女から話しかけられた。
「さっきのアレはテメーがやったのか?」
要領を得ない問いかけだったが、彼女は自身の大鎌の刃の側面、衝撃で窪んだであろう箇所を指さしていた。
「その通りだ。こちらも確認するが、貴様が黒い鎌で砲弾を弾いたのか?」
「そうだよあぶねーな。咄嗟に鎌投げてなかったら間違いなく死人がでてたぞ」
「手から放してもその強度を維持できるのか、なるほど」
意に介さないゲイルの答えに橙色の髪の少女、ジュナはいらだちをあらわにする。
「勝手に納得してんじゃねーよ。話聞いてんのか? むかつく野郎だな」
「それは結構。あいにく会話をするつもりはない」
ゲイルは話し終わるとすぐに散弾銃を構え、トリガーを引く。
巨大な銃口から弾頭が飛び出し、弾頭内に仕込まれたダーツのような弾が、対人用のフレシェット弾が大量に浴びせられる。
これを狭い面積の刃で防ぐのは不可能だ。
回避するのか、回避が必要ないほど肉体が硬いのか、それとも命中するか。
ゲイルは見逃さないようにアイカメラを二人に向け、追加で3回発砲する。
数千ものダーツ状の弾が、成人男性の指の太さと相違ない太い針が二人を襲う。
しかし、一つも彼女たちに命中することはなく、何もない草原に突き刺さる。
完璧に銃撃を回避した二人は臆することなく接近してきた。
「……!!」
ゲイルは緊急時回避アルゴリズムに従い、後方へバックステップを行う。
その瞬間、前方にまっすぐ構えていた散弾銃に黒い穂先が、そして黒い刃が突き刺さった。
ゲイルは散弾銃を手放し、さらに後方へ飛翔する。
リリサの黒い槍は薬室を貫いており、ジュナの大鎌は銃身を綺麗に切断していた。
クラスAとはDEED因子の濃度や多寡を基にしたカテゴライズなので必ずしも戦闘能力と直結しないと思っていたが、目前にいる2匹は明らかに高い戦闘能力を有している。
彼女らが高速で移動してくれたお陰で新たなデータが取れた。
現在二人が立っている場所の地面の歪み、重力制御ユニットによる質量分析、各種センサーで計測する限り、武器を含めた彼女の総質量は4トンを超えている。それを枝木のように指先で回しているのだからたまったものではない。
手にしている武装それ自体が特異物体なのか。
得たデータを玲奈博士へ送りフィードバックサポートを受けたいが、今それは叶わない。
破壊された散弾銃が内部部品をまき散らしながら地面に落ちていく様子を視界に収めつつ、ゲイルは左右両腰部のホルスターから2丁の自動小銃を抜く。
ロングレンジライフルに比べてコンパクトだが、それでも戦闘機の機関砲程度の大きさはある。
ゲイルはそれら2丁の銃口を2体に向け、トリガーを引いた。
音はない。
マズルフラッシュも爆発もない。無音の嵐。
高サイクルで放たれた弾は豪雨のごとくリリサとジュナに襲い掛かる。
草は地面ごと吹き飛ばされ、平地はあっという間にその様相を変え、どんどんクレーターが形成されていく。
10秒も経つと緑の絨毯は土色のすり鉢状の穴の集合体に変貌していた。
舞い上がっていた土煙が風に流され、真っ先に確認できたのはかすかに揺れる白と橙の髪。
地形に致命的な変化をもたらすほどの集中砲火の中、やはり二人は無傷でその場に立っていた。
ジュナは鎌の刃の側面で高速の弾をはじき、リリサは弾丸を長槍の先端から鍔にかけて螺旋状に滑らせ、摩擦力で強引に弾を止めていた。
勢いを失ったタングステン弾は地面にぼとりと落ち、バウンドすることなく土にめり込んでいく。
この結果はゲイルにとって想定内だった。
上空からのロングレンジライフルの砲撃にも耐えたのだ。この程度の銃撃で排除できるとは思っていないし、少しでもダメージを与えられれば問題ない。
大量の弾を使った甲斐あってか、長槍は穂先が湾曲しており、大鎌は刃が欠けてボロボロになっていた。
このまま一方的に射撃を続ければクロイデルプラントの力を借りずとも排除できるかもしれない。
そんなゲイルの予想はすぐに覆されることとなる。
ゲイルは計算外の事象を目の当たりにしていた。
(あれは、再生しているのか……)
黒い大鎌は欠損部分を埋めるように不気味に蠢き、あっという間に元通りの形となった。
先ほどまであった欠損や歪みなども認められない。
あり得ない現象だが、玲奈博士によって作られた自分のセンサーや倫理思考回路が欠陥品であるわけもなく、つまりは現代科学の敗北を認めざるを得なかった。
クロイデルプラントの再起動は必須だ。
今はまだ2体しか確認できていないが、これが10体、100体と出現すればパワーバランスが逆転してしまう。
ククロギが封印されている今、対抗手段はない。
やはり浅はかだった。絶対的強者であるククロギと対立するべきではなかった。これで人類が滅びたとなれば間抜けが過ぎる。その命令に従った私も責められるべきだろう。
……いや、悲観するには早すぎる。
単に弾丸を防がれただけに過ぎない。私には刀がある。連結された7つの重力制御ユニットを駆使した、速度と質量を掛け合わせて放たれる至高の斬撃がある。
四の五の言っていられない。最大火力で葬る。
ゲイルは抜刀するべく、腰に提げたブレードホルダーをたぐり寄せ、持ち手部分に手を伸ばす。
そんな何気ない動作、コンマ1秒にも満たない間にゲイルの背後に大鎌を振りかぶったジュナが出現していた。
危険を察知したのはゲイルのAIではなく、搭載されたセンサー、空間・事象のゆらぎを検知する物だった。
ゲイルは回避プログラムに定められたとおり、異常が認められた空間から離脱するべく重力制御で上方に飛び上がる。
その回避行動とほぼ同じタイミングで黒い粒子で構成された大鎌が先ほどまでゲイルの胴体が存在していた空間を鋭く薙いだ。
ジュナは完璧な奇襲が失敗に終わったことに驚きを隠せず目をまん丸にしてゲイルを見上げていたが、すぐに我に返り、追い打ちをかけるべくゲイルに切迫した。
その時にはすでにゲイルは得物に手をかけており、斬撃を警戒したジュナは空中で急制動をかけた。
間合いを読み合って睨み合いが続くかと思われたが、ジュナは飛行しているわけではなく、間もなく自由落下し始めた。
落ちていくジュナをヘッドカメラで追いつつ、ゲイルは危機感を抱いていた。
もし重力制御ユニットが一つでも欠けていたら回避に失敗して攻撃をもらっていた。威力は不明だが、物理法則を無視した超常現象が絡むとなると厄介だ。明確な対処法が確立するまで迂闊に手を出せない。
それこそ、超能力を用いた戦闘に特化したククロギやパイロ、トキソに頼るほかない。
「下がってジュナ。私がやる」
ゲイルの考えを知ってか知らずか、今度はリリサが何もない空間から黒い粒子で作られた無数の槍を出現させる。
それらは穂先をゲイルへ向けると、一斉にゲイルめがけてミサイルのごとく襲い掛かっていった。
100を超える黒い槍が音速を超えて豪快な破裂音をまき散らしながらゲイルを襲う。
ゲイルは持ち前の重力場を利用した高速運動で大幅に距離を取りそれらを回避する。しかし、目標を逸れた槍は軌道を修正して速度を落とすことなく何度も襲い掛かってくる。
時間とともに槍の数も増えていくことを考えると、命中するのも時間の問題だろう。
重力場を用いた盾で防ぐことは可能だが、反撃の隙が無い現状では不利になる一方だ。
……情けない。
DEEDが人類文明を破壊した強大な侵略者だという当たり前の事実を忘れてしまっていた。ククロギという規格外の力に頼っていたせいで、いつでも始末できるゴミ以下の存在だと決めつけていた。
今すぐにでも現行の作戦を破棄し、ククロギを開放するべきだろうか。
四方八方から飛んでくる槍を回避していると、不意に通信が入った。
「――すみません、何か重大そうな救難信号を確認しましたけれど。これって何の信号かわかったりします?」
それは軌道エレベーター内で待機している協力者、ティラミスからだった。
軌道エレベータにも救難信号が届いていたようだ。
玲奈博士からのサポートが得られない今、少しでもいいから敵についての有益な情報が必要だ。
戦闘データが漏れてしまうのは不本意ではあるが背に腹は代えられない。
ゲイルは助言を求めるべく現在の状況を映像と合わせてティラミスに共有することにした。
「ティラミス、新手だ。戦闘能力の高い個体2体と交戦している。戦力分析のためクロイデルプラントの再起動を後回しにしている。今データを送ったが、役立つ情報はないか?」
ティラミスはゲイルの要求に的確に応えた。
「見えました。目の前にいる二人はリリサさんとジュナさんですね」
敵の名前を告げ、ティラミスはさらに続ける。
「私やクロト兄様と同じ黒い粒子を使っているところを見ると、DEED因子に何らかの刺激を与えて力を発現させているのだと思います。能力的には私以下と考えていいかな……。倒すだけなら距離を取って上空から狙撃し続ければ、時間はかかりますが何とかなると思います」
「本当か?」
「間違いないです。あと、あなたの飛翔速度なら追いつかれることはないので、構わずクロイデルプラントの再起動をしたほうがいいかと。クロイデルの軍団さえ完成してしまえば簡単に倒せますし」
非の打ち所がない的確なアドバイスだった。
目前のクラスAの個体についてティラミスは熟知しているようだ。
そもそも救援信号の出所を確かめるため、敵の戦力分析のためにここまで来たのだ。
敵の情報をティラミスが把握しているならこれ以上の戦闘行動に意味はない。
ゲイルは素直にティラミスの提案に従うことにした。
「そうか。了解した」
「こちらこそ情報どうも。救難信号が発せられたタイミングを鑑みるに、囮の可能性が高いです。一応、パイロの襲撃に備えておきます」
「それは君1人で大丈夫なのか」
「全く問題ありません。あちらは私が鞍替えしたことにまだ気づいていないはず。付け入る隙はいくらでもあります」
「心強い限りだ。小娘と侮ったこと、謝罪しておく」
「そういうのはいいですから。動きがあればこちらから改めて連絡を入れますね」
「了解した。私は私のなすべきことをしよう」
ゲイルはブレードの持ち手から手を離し、その場から離脱する。
向かう先は当初の目標地点である北極海のクロイデルプラントだ。
ゲイルは上空へと舞い上がり雲を抜けて高高度に到達、あっという間に捕捉不可能となった。
ゲイルを追いかけていた黒い槍はゲイルの速度に遠く及ばず、少し離れると追尾を止めて自然消滅した。
リリサとジュナがゲイルの姿を完全に見失った頃。
軌道エレベーター内の一室でティラミスは「ふぅ」とため息を吐いていた。
それは緊張から解放された際に自然と発せられたものだった。
室内は暗く、ティラミスの手にある携帯型の通信装置のディスプレイのみが光を発していた。
その携帯通信機をテーブルに置き、ティラミスは独り言を呟く。
「ご指示通りに連絡しましたけど、やっぱり頭がよさそうに振舞うのは疲れます、クロト兄様」
ティラミスは暗闇を見つめたまま続ける。
「ええそうですね。寝返ったって嘘もあっさり信じてくれました。でも、半分は本心でしたよ。それより何よりこうやって情報の齟齬なく意思疎通できるのが私にとっては一番うれしいです」
ティラミスは両頬に手を当て満足げな笑顔を浮かべる。
「でも副次的効果とはいえ、黒い粒子を操れるようになったのには驚きました。なんだか不思議な感覚です。今まで出来なかったのがおかしく思えるくらいに」
言葉の途中で頬を赤らめ、ティラミスは口元を緩ませる。
「そんな、元々の才能だなんて、褒めていただきありがとうございます」
よほど嬉しかったのか、ティラミスはぴょんぴょん跳ねて喜びを全身で表現していた。
ひとしきり飛び跳ねた後、ティラミスは乱れた病衣を、膝上まであるオーバーサイズの淡い緑のシャツの裾を整えて今後の行動について述べていく。
「後はパイロさんと合流してトキソを無力化。すぐにお兄様の治療を……え、先にブレインメンバーですか? しかもパイロさんに任せるんです?」
ティラミスは顎に手を当てて考える。
「 確かに致死毒じゃないですし、神経系に働きかければ起こせるとは思います。でもまずはトキソを排除しないことには始まらないと思います。彼女は大きな障害になると思うのですが」
自分なりの考えを呟いてから数秒後、ティラミスは目を見開いて声を上げる。
「お兄様一人で対処するつもりですか!? ……いえ、信用できるとか出来ないとか、そういう話ではなくて、本当にお一人で大丈夫なのですか。殺すことなく彼女を無力化するのはとても難しいことのように思えるのですが」
語気を強めていたティラミスだったが、しばらくすると自戒するように首を左右に振り、目を閉じて深呼吸した。
落ち着きを取り戻したティラミスは卓上の携帯端末を病衣のポケットに仕舞った。
「わかりました。もう時間もありませんし、私はパイロさんのお迎えの準備をします。くれぐれも無理をなさらないでくださいね、お兄様」
虚空へ呟くとティラミスは真っ暗な部屋から明るい通路に出ていった。




