103 北方の再会
103
透き通る空の下。
白化粧をした峰々が連なる山脈地帯にて。
風もなく冷たい空気のみが存在する開けた場所に、小さなログハウスが建っていた。
外壁は傷んでいるがしっかりと手入れされており、ドアにかかっている看板は比較的新しい木材で作られていた。
看板には“アイバール支部職員用休憩小屋”と掘られており、猟友会の所有物だということが一目見てわかる。
その小屋の中、仮眠用の簡素なソファーベッドに赤髪に黒いコートが目立つ男、パイロが横たわっていた。
パイロは仰向けになって脱力しており、覚醒はしているものの目を閉じて体を休めていた。
(あいつら本当に容赦ねーな......)
パイロは北極のクロイデルプラントの再稼働を阻止するべく内部に侵入したわけだが、結果的に失敗。
その後クロイデルプラントの防衛機構の猛攻猛追から命からがら生き延び、僅かな余力のみでこの僻地までたどり着いたわけである。
拠点防衛用クロイデルはその名に反して通常の防衛領域を大幅に超えて追撃してきた。
多分玲奈が意図的に命令を送っていたのだろう。
目的は統括管理AIの奪取か破壊か。
迷惑極まりないが、まだ脅威だと思われている証拠ともいえる。
不安要素は排除しておきたいという玲奈の考えはわかる。
それにしたってしつこ過ぎる。
おかげさまで過度のエネルギー消費により動けなくなった。
体のあちこちが痛いし、乾ききっていないので結構寒い。
空腹というわけではないが、エネルギーを摂取しておきたい気分ではある。
そんな満身創痍なパイロとは違い、クロイデルプラント統括AIの筐体、機械でできている女性型のロボット……いわゆるガイノイドである彼女はぴんぴんしていた。
彼女はパイロに背を向け壁際の窓枠にもたれかかり、やや前屈みの体勢で外の景色を興味深そうに眺めていた。
ガラス窓には彼女の顔が反射して映っており、心置きなく観察することができた。
ざくろの実を連想させる深い赤の瞳はどこか遠くへ向けられている。
群青の長い髪は乱れるでもなく、細いウエストの背でバウンドし、左右均等に地面へ向かって流れ落ちていた。
薄手で黒いロングワンピースには汚れは見当たらず、腰に装着されているベルト以下、プリーツスカートも清潔を保っていた。
この寒い地域では凍えること間違いなしの格好だが、人ではない彼女にとっては問題ない様子だった。
外の景色が珍しいようで、リズムよくつま先で床を叩いてご機嫌そうにしていた。
仕草もボディラインも被造物に相応しい愛らしさだ。
勢い任せで彼女をクロイデルプラントから救出したが、その選択は正しかったと思いたい。
今後彼女をどう扱ったものか……。
(だめだ、考えがまとまらねー)
精神力も限界を迎え、集中も切れてただただ眠い。
事前に小休止を取る旨は彼女に伝えているが、今後については対応を決めかねている。
そんなこんなでぼんやり寝転がっていると、不意に外から足音が聞こえてきた。
「一人、こちらに向かって歩いてきていますね」
ガイノイドは音どころか目視にて確認しているらしい。
パイロは慌てて念動力でガイノイドを窓際から引っぺがし部屋の隅へと追いやる。
「うわー」とよろめいている彼女を視界の端にとらえつつ、パイロは即座にソファベッドから離れ、音を立てることなくドア脇にしゃがみ込む。
(人が来るとは珍しいな)
少し前に調べた限りでは、この小屋は長らく放置されていたはずだ。
もともと狩人の休憩場所として使われていたが、今アイバール支部にはこの危険域まで出張るような実力者は在籍していない。
何にせよ索敵を怠っていた自分の落ち度だ。
下手に刺激しないよう、軽く昏倒させてここから去ろう。
やがて足音はドア前まで到達し、パイロはクレボヤンスで相手の頭部の位置を確認する。
透視した感じ、女性のようだ。
加えて筋肉密度や骨格から察するに狩人ではないと断定できる。
一般人なら捕縛してから催眠術で記憶を操作した方が安全かもしれない。目眩しでもお見舞いしてやろう。
そんなパイロの思惑を知ってか知らずか、来訪者はドアに手をかける前に言葉を発した。
「……あれ、誰かいるんですか?」
女性の声、無警戒な問いかけだった。
無論その問いに応じるつもりはなかったが、無警戒なのは来訪者だけではなかった。
「はい、ちょっと休ませてもらってます。勝手に入っても大丈夫でしたか?」
間延びした声で応えたのは例のガイノイドだった。
やっぱり助けなければよかったかもしれない。
パイロは来訪者が室内に入るのを待たずしてドアを内側へ開き、来訪者を引き込み床に押し倒す。
「なっ……!?」
うつ伏せに倒された来訪者は反射的に立ち上がろうとするも、パイロの念動力によって身動きを取れずにいた。
早速脳の血流量を操作して昏倒させようとしたパイロだったが、彼女の金色の髪に強烈な既視感を覚え、手を止める。
そして、自分の直感に従い彼女の顔を覗き込む。
パイロは見覚えのあるその顔に驚きを隠せなかった。
「ミソラ!?」
ナチュラルな金髪に深い碧の瞳。
今は恐怖で強張っているが、笑顔が似合いそうな均整の取れた顔立ち。
クロトが記憶を失っている間一緒に生活していた少女、ミソラ・ウィルソンその人だった。
一年以上監視していた彼女を間違えるわけもない。
名を呼ばれた彼女も目を丸くして驚いており、動きを止めてパイロの顔を見上げていた。
「え、どうして私の名前を?」
「……」
パイロは腕で顔を隠して、ミソラから離れる。
面倒なことになった。
彼女に危害を加えるのは抵抗がある。かといって何もしないわけにもいかない。
気まずい空気の中、言葉を発したのはガイノイドだった。
「ミソラ、というとクロトさんと同居していた方ですか。この辺りに住んでいるとデータにはありますが、遭遇するなんて奇遇ですね」
他人事のように語るガイノイドにミソラは顔を体ごと向ける。
「クロトのこと知ってるの!?」
拘束を解かれたミソラは部屋の隅っこで棒立ちしているガイノイドに駆け寄る。
ガイノイドは淡々と応じる。
「ええまあ知り合いではありますね」
「知り合いってことはあなたも狩人さん?」
「いえ私は狩人ではなく……」
否定しようとしたガイノイドだったが、言い切る前にパイロが割り込んだ。
「そうだ俺たちは狩人だ」
パイロはミソラの横に立ち堂々と身分を偽る。
「大仕事を終えた後でな。少し休ませてもらっていた。いきなり押し倒して悪かったな」
「とんでもないです。こちらこそ何も知らずにお邪魔してごめんなさい」
ミソラはぺこりと頭を下げる。
そしてここにきた理由を話し始めた。
「改めまして、私はアイバール支部の職員のミソラ・ウィルソンです。支部長からの指示でこの小屋にある備品のチェックに来たんですけど……クロトって今どうしてるとか、聞いてもいいですか?」
ミソラは気持ちを抑えられないのか、話しながら横にいるパイロのコートを掴んでいた。
「猟友会で働き始めたのか。病気はもう大丈夫なのか?」
「クロトが工面してくれた薬のおかげですぐに治りました。というかクロト、他の狩人さんに話すほど私のこと心配してくれてたんだ……」
「そうだな。今あいつは超忙しいみたいだが、落ち着いたら会いに来るよう伝えておく」
「あ、ありがとうございます!」
ミソラは笑顔でぴょんぴょん跳ねている。
それほどクロトのことを思っているのだろう。
続けざまに質問を投げかけてくる。
「それで、クロトは猟友会でどんな仕事を? あなたみたいな狩人と知り合いってことは結構活躍してるんじゃないですか?」
パイロは「あー」と少し思いを巡らせ、無難な答えを伝える。
「今は極秘の任務中でな。詳しいことは言えねーんだ」
「そうなんですか……」
ミソラは不満げな表情を浮かべる。
気持ちは分からないでもないが、真人の許可なしにミソラに詳細を伝えるのは憚られた。
そもそも、どう噛み砕いて説明しても彼女に理解できるとは思えない。
それでもミソラは引き下がらない。
「別にそこまで詳しく聞くつもりはないんです。元気でいるかどうかだけ教えてくれれば……」
「ーー彼は今、瀕死状態ですよ」
「おい」
パイロはいきなり爆弾発言したガイノイドの口を塞ぐ。
真人を心配している彼女が聞いたらどうなるか、分からないはずがない。
性悪なのか天然なのか、どちらにしても空気が読めない人工知能であるのは明らかだった。
「言っていいことと悪いことがあるんだよ」
慌てて口を塞いでしまったことで、ガイノイドの言葉が真実であることを裏付けてしまった。
今更取り繕っても意味はないだろう。
パイロは気まずさからミソラに視線を向けることができなかった。
しかしガイノイドは平然と言葉を続ける。
「未熟ですねパイロ。彼女には事実を受け止めるだけの器量があります。そんなことも分からないのですか」
「機械が人様に講釈垂れてんじゃねーよ」
何を勝手なことを言っているのか、怒りすら覚えたパイロだが、ミソラの反応は予想を超えていた。
「……瀕死ってことは、死んではいないのよね」
若干声が震えていたが悲哀の色は見えなかった。
「だったら大丈夫。クロトはすごく強いんだから」
根拠のない考えだ。
だがしかし、彼女の考えは概ね当たっている。
それほどまでに真人は信頼に値する人間なのだろう。
「本当に好きなんだな」
パイロの言葉にミソラは恥ずかしげに応える。
「そ、そんなんじゃないです。家族だったら心配して当然でしょう」
「クロトもお前のそういうところが気に入ってたんだろうな」
「……」
ミソラは今度は否定することなく無言で頷いていた。
その様子をガイノイドは褒め称える。
「何ともまあ可愛い人ですね。好感が持てます」
ミソラは褒められ慣れていないのか、話題を変える。
「ところでお二人は本部から来られたんですか? お名前を伺っても?」
完全に狩人だと思われているようだ。
別に知られたところで困るわけでもないし、名前くらいはいいだろう。
「俺はパイロだ。こっちは……」
名乗ったのち、パイロはガイノイドを見て言葉に詰まる。
特に名前など決めていなかった。あったとしてもまだ聞いてない。
ガイノイドは名前を聞かれて待っていましたと言わんばかりに名乗り始めた。
「私はクロイデルプラントノースピュアホワイトスノウエンジェルです」
「誰が何だって?」
ふざけた名前にパイロは目眩を覚える。
ミソラも長すぎる名前に面食らったようで、目をぱちぱちさせていた。
「私がパイロさんに抱えられている間2時間かけて考えた個体名というか愛称というか名前です。まさに私に相応しいと思いませんか」
冗談がすぎる。全く面白いAIだ。
「で、なんて呼べばいいんだ?」
「ですから、クロイデルプラントノース…」
「長い。大体エンジェルってなんだよ。おこがましいにも程があるぞ。程度ってもんを考えろよ」
ガイノイドはパイロを指差し頬を膨らませる。
「不服です。独創的かつ画期的な名前だと自負しているのですが」
ガイノイドはしばし顎に手を当て思考したのち、ミソラに解決を求める。
「そうだミソラさん、もしよければ名前を考えていただけませんか? クロトというのもあなたが考えたと聞いています」
名付けを要求されるとは思っておらず、ミソラは「ええ……」と眉をひそめて困惑していた。
「あの、彼女も記憶喪失というか、そんな感じの方なんですか?」
「まあそんな感じだ。あいつもああ言ってるし、良ければ考えてやってくれないか? 実際俺も本名じゃなくコードネームで活動してるし、気楽に考えてもらっていい」
「そんなものですか……」
ミソラは数秒ほど遠くを見ていたかと思うと、指をパチンと鳴らしてガイノイドの名前の候補を挙げた。
「お肌も真っ白だしシロさんはどうです?」
「それはあまりにも安直では? せっかくの機会ですしもっと個性的かつ親しみやすい名前を所望します」
「シロでいいじゃないか。呼びやすいし文句なしにいい名前だ。それともミソラの命名センスにケチをつけるつもりか“シロ”?」
「ですからシロは不服だと言っているのですが、これ一種のハラスメントですよ。命名ハラスメント」
「何というか、すみません。お名前については時間をかけて考えればいいと思います」
ミソラは気まずそうに謝ったのち、お詫びと言わんばかりに提案する。
「そうだ、こんな場所で休むより支部の食堂へ行きませんか? 食べ物もありますし、ここよりはゆっくりできると思いますよ」
エネルギーの補給は最優先事項だ。
ここはミソラの厚意をありがたく受け取っておくとしよう。
「確かにそうだな。じゃあ悪いが案内を頼んでいいか?」
「ええ、もちろんです。陽が落ちる前に行きましょう」
ミソラは率先して小屋から出ていき、パイロたちを先導する。
備品のチェックの為にこの小屋に来たと言っていたが、仕事を放棄していいのだろうか。
わざわざ指摘することもないだろう。
そう判断したパイロはミソラの尻を追いかけ外に出る。
ガイノイド“シロ”は命名に不服なようで、誰もいなくなった小屋で悩ましげな表情を浮かべていた。
しかし佇んでいたのもほんの十数秒のことで、プリーツスカートのヨレを軽く叩いて整えると足を前に出し、パイロたちの後に続いた。
ーー移動すること3時間
パイロとシロはアイバール支部の1階にある食堂に到着していた。
他の狩人の姿はなく、隅にあるテーブルの一角のみが灯に照らされている。
夕刻にもかかわらず食堂は閑散としており、2人はその隅っこのテーブルに横並びに着席していた。
パイロは串焼きを片手にゆっくり咀嚼しており、シロはマグカップを両手で持ってジュースをちびちびと飲んでいた。
2人の向かい側の席にはランチマットが敷かれていたが、そこに料理はなくミソラの姿もなかった。
「彼女は残念でしたね」
「そうだな。色々と話を聞きたかったろうに」
ミソラも一緒に食事をとるつもりだったが、ログハウスでの備品管理の仕事をサボったことで、今は上司らしき人に別の部屋でお叱りを受けている。
適当に口添えして誤魔化すこともできたが、過干渉するといらぬ疑いをかけられる可能性もある。
といわけで、泣く泣く彼女を見捨てたというわけである。
それにシロと2人で話すこともある。彼女には今しばらく席を外してもらっていた方が都合がいい。
パイロは最後の一口を腹に収めると、持っていた木製の串を当たり前のように高熱で燃やして蒸発させ、シロへの事情聴取を開始する。
「で、今クロイデルプラントはどういう状況だ?」
状況の把握のためにもシロからは色々と情報を聞き出す必要がある。
シロはマグカップに視線を落としたまま答える。
「さあ、皆目見当もつきません」
揺れる液体の表面を眺めつつ、シロは続ける。
「だいたい私を何だと思っているんですか。システムから完全に追い出された挙句、頑丈な戦闘筐体ではなく余剰リソースで作った対面応対用の少女型インターフェイスにコアデータを退避させてしまった危機管理能力やリスクマネジメントができない愚かなAIですよ。わかるわけがないでしょう」
「見事に開き直ってんな」
パイロの呆れ声を聞いて張り合いがないと感じたのか、シロは「……冗談はさておき」と前置きをし、改めて状況分析を始める。
「実際にプラントやクロイデル個体の動向が掴めないのは事実です。完全に私のコントロールから離れていますので」
「役に立たねーな」
「その役立たずを助けたのは他でもないあなたですけどね」
「ああいえばこう言う……」
「これも高いコミュニケーション能力がなせる業です。今の私にできることといえばこの可愛い躯体で癒しを与えることくらいですが、いかがですか?」
「“癒し”ねえ……」
ぶっちゃけ外見は好みなので目の保養にはなる。
しかしそれだけの為に連れ回すのは格好がつかない。
ゲイルとまでは行かずとも戦闘面で役に立ってくれればいいのだが、軽量化された内部構造を見る限り望み薄だ。
透視でハードウェア面は把握したが、ソフトウェア面についてはどうだろうか。
詳細な性能について聞いていなかったことに今更ながら気づき、パイロはシロの頭部を見つつ問いかける。
「プラント統括AIの性能ってどの程度なんだ?」
「それはもうあなたに理解できないくらい高性能ですよ」
「そういうのはいいから、お前の身の安全のためにも具体的に教えてくれるか」
玲奈から見ればシロはクロイデルプラントの主導権を取り戻しかねない邪魔な存在だ。
もしシロの存在が露呈すれば真っ先に破壊されかねない。
破壊を阻止するためにも何をどの程度できるのか、知っておく必要がある。
そんなパイロの考えを汲んでか、シロは素直にスペックを公開する。
「演算能力に関して言えば、あなたのサイコメトリーには劣りますが、声色、瞬き、目線、発汗、脈拍、表情筋その他もろもろを含めたデータから対象の思考や関心を予想して理想的な反応ができる程度には高性能です」
「凄いには凄いんだろうが、2,000年かけてこれか。シンギュラリティ理論を信じてた自分が恥ずかしいわ」
「いえいえ、私に割り振られていた演算領域ではこれが限界でしたが、プラントの外で独自に自己拡張を続けていったAIは真理か何かにたどり着いたようで、人が知覚も理解も観測も想像すら不可能な場所へ行ってしまったと聞いています」
「行ってしまったって……そいつらは今どうしてるんだ?」
「それすら不明です。なにせ最後に確認できた全体周知メッセージをコンバート処理するのに350年も掛かった挙げ句、解読できたのは1%にすら満たないのですから理解の範疇を超えています」
シロはコップの側面を指の腹で叩きながら続ける。
「その1%で理解できたことは、“情報の本質は観測によって得られるのではなく、与えられるものではなく、既にあらゆる物質に内包されている”という文面だけでした」
パイロはなんともいえない文言に少しの悪寒を覚えた。
インチキ宗教の教義ならまだしも、超成長を遂げたAIからのメッセージかと思うと考えさせられてしまう。
「何だか不気味だな」
シロも「スッキリしないですよね」とパイロに同意し、自己拡張を続けたAIのメッセージについて触れる。
「意訳するとすれば外面ではなく内面を磨け。他人に口を出す前にまずは自分を省みろと言ったところでしょうか」
道徳の教科書に載っているようなありがたいメッセージである。
ただ、メッセージそれ自体は真っ当なものであり、歴史を鑑みても人類がそれを克服できなかった事実を否定できそうになかった。
シロはメッセージをさらに拡大解釈していく。
「DEEDが飛来してこなければ遅かれ早かれ紛争に継ぐ紛争で人類は滅亡していました。人類のしがらみや業をリセットする意味では、DEEDはいい役者だったかもしれません。事実、現在のDEEDが築き上げてきた文明は中長期的で平和と生存を維持するために適した文明と言えなくもないですし」
不謹慎すぎる考えだが、パイロは即座に反論することができなかった。
「……」
パイロが落ち込む様を持ち前の演算能力で察したシロは、極々自然に今後についての話へ舵を切る。
「さておき、これからどうします? 単独でプラントへ侵入するのは不可能。かといって破壊するのも困難。南極プラントを再建して、その端末から製造ラインの停止命令を出すことも可能ですが、今の私の権限では認可されることはないでしょう」
シロはマグカップをテーブルに置き、隣に座るパイロに寄りかかる。
「最高管理者キーは佐竹玲奈が持っています。これがある限りクロイデルプラントのコントロールを取り戻すのは不可能です」
パイロはじりじりと寄りかかるシロの側頭部を押し返しつつ応じる。
「つまり?」
「投降が最適解かと思います」
「内部に入り込んで奇襲する作戦か。なかなか大胆だな」
「いえ、本当の投降です。わかりやすく言うと降参です。白旗を上げれば殺されるようなことはないかと思うのですが」
「なんだつまんねーな。そもそも向こうさんが俺たちの投降を受け入れるわけがないだろ」
パイロはシロの案を却下し、続けて言う。
「命が惜しけりゃ勝手に投降すればいい。俺といるだけで破壊されるリスクが跳ね上がるんだからな」
「その認識は間違っています」
シロは体の側面をパイロに押し当て、やや下方からパイロの顔を覗き込む。
「あなたと行動を共にしているのは身を守るためです。この躯体は戦闘を想定されていません。一応は私も破壊対象にされているので、クロイデルと遭遇したが最後、意味消失してしまいます」
シロはパイロの左腕を掴み、指先を器用に動かして強引に腕を組む。
「そうでなくとも、せっかくあなたの庇護欲を得るためにこういう外見にしたのですから、放置されるのはこの筐体を製作した身としては少し残念です」
あからさまなアピールに辟易しつつ、パイロはまたしてもシロを片手で押し離す。
「はいはいわかったわかった。1言ったら10返してくるなお前は」
「それほどでもないですよ」
シロは無表情のまま椅子に座り直し、少し乱れた髪を手櫛で整える。
「指針を提案したところで私としてはあなたに同行する以外の選択肢はないですし、余程のことがない限りあなたに従うことだけはお知らせしておきます」
「そりゃどうも」
今後の方針について、選択肢が限られているのはパイロも同じだった。
「まあ、玲奈が権限を持ってる以上、攻撃命令を取り消すためにも軌道エレベータに行くっきゃないか」
「正気ですか? 軌道エレベータにはゲイルとトキソが待ち構えています。特にトキソのトラップに対応できるとは思えません。両名とも拠点防衛に関しては有利な力を有しています」
「お前、俺に従うんじゃなかったのか?」
「従いますが、口を出さないと言った覚えはありません。危ない橋は渡りたくないのでアドバイスはします」
シロは矢継ぎ早に“アドバイス”を行う。
「現状、ESP能力のみで立ち向かうのは無謀ですが、戦力を補うための武器を使えばその限りではありません」
「なるほど……武器か」
力だけで戦うことに慣れすぎて、武器や防具やその他諸々についてすっかり頭から抜け落ちていた。
とは言え、ゲイル達に対抗し得る武器を用意できるとは思えない。
是非とも詳しい話を聞きたいパイロだったが、いい香りと共に邪魔が入ってきた。
「やっと終わりました、お待たせしてごめんなさい」
疲労の混じった声でテーブルに近づいてきたのはミソラだった。
左手にはスパイシーな香りを漂わせている炒め物の平皿を、もう片方には大きめのジョッキを携えていた。
暗い食堂の中、彼女の金色の髪は灯に照らされ、近づくにつれその存在感を増していた。
シロは席を立ち、両手が塞がっているミソラのためにテーブルを挟んで反対側の椅子を引く。
ミソラは「どうもどうも」とお礼を言って席につくと、間髪入れずにジョッキを煽った。
数秒ほどゴクゴクと小気味よく喉を鳴らしながら飲んだ後、ようやく料理の乗った皿をテーブルに置いた。
「あー幸せ……」
紅潮した頬に無防備な笑顔、見ている方も気持ちいい飲みっぷりだ。
真人と住んでいた頃は飲酒はしていなかったが、彼女の父は愛酒家だったし、やはり血は争えないと言うことだろうか。
シロは酒に気を取られているミソラを横目にパイロに耳打ちする。
「武器については心当たりがあります。詳細は後ほど部屋で説明させていただいても?」
「わかった」
聞かれて困る話でもないが、今はミソラとの食事を優先させてもらおう。
ゲイルに対抗し得る武器が存在するのだろうか。
懐疑心と期待を抱きつつ、パイロはミソラを加えて晩餐を楽しむことにした。




