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「はあああ......」
律葉の無事を確認してから数刻後、玲奈は医務室内から中央管理エリアの小会議室に移動していた。
フロアマップには“小会議室”と記載されているが、実際は談話室に近い。
5m四方の室内の中央には木目調のローテーブル、その周囲にこげ茶色のソファーが設置されていた。
ソファーはふかふかの革張りで、座面が盛り上がるほどクッション材が詰め込まれていた。
見ただけで座り心地が良いことがわかる。
玲奈は最も入口に近い一人掛け用のソファーに浅く座り、両足を組んで前に投げ出し、正面にあるローテーブルの上に乗せていた。
形の崩れたグレーのタイトスカートからは筋肉の付いていない細い脚が伸びており、その先にある足先はくるぶし丈の黒い靴下で覆われている。
また、浅く座っているせいでタートルネックシャツは捲れ上がり、腰骨からへそ周りにかけて素肌が見えていた。
腹部は無駄な肉がなくスラッとしているが、細いというよりも薄いと形容した方が適切だった。
捲れているのは白衣についても同じで、襟部分は彼女の首の位置から頭頂部までずり上がり、長い黒髪はその襟を超えてソファの裏側へ流れ落ちていた。
だらしない格好でリラックスしている彼女だが、決して暇というわけではない。
むしろ、忙しいからこそ少しの空白時間に強引に自分の肉体に休息を与えている状態だった。
もちろん栄養補給も怠っていない。
テーブル上には空になったお菓子の包装紙が散らばり、加えて4つの紙コップがくしゃくしゃになって転がっていた。
それらは空調機器から出る風を受け、時折かすかに揺れていた。
玲奈の手には5つ目の紙コップが握られており、中には黒い液体が……コーヒーが入っていた。
玲奈はたっぷりとシロップが入ったそれを一定のペースでちびちびと飲みつつ、ぼんやり考える。
(あー、おいしい……)
コールドスリープに入る前、避難生活中はほぼ毎日が完全栄養食の不味いレーションしか口にしておらず、お菓子も飴玉くらいなものだった。
あの時の生活に比べれば今配給されている食事はとても美味しい。
このコーヒーはもちろん、お菓子も甘味料も容器もすべて、コールドスリープ解除のタイミングに合うように真人や隼が調達してくれたものだ。
目覚める時期から逆算して5万人分の生活必需品や食料を準備するのは骨が折れただろう。苦労は察して余りある。
この十分で豊富な種類の備蓄のおかげでしばらく生きていける。
施設内の老朽箇所が極端に少ないのも彼が定期的に整備してくれたからだと聞いている。
消耗品以外のほとんどの物品は数世紀にわたって運用することを前提で作られたのだが、期待通りの性能を発揮できる物は2割にも満たない。
ともかく、細かい問題は山積みだが、衣食住は確保できているので余裕をもって対処できる。
隼や真人には感謝しているが、それはそれ、これはこれである。
特に真人。
彼が強引に南極のクロイデルプラントを破壊したのは想定の範疇を超えていた。
(完全に油断していたわ……)
真人とは中学生からの付き合いで、優柔不断な男子というイメージを持っていた。
実際、律葉と交際していたにもかかわらず、高校の卒業式の日まで隼が気づかなかったほど奥手で受け身な性格だった。
そんな彼が話し合いの途中で交渉を有利に進めるためとはいえ、いきなり本丸のクロイデルプラントを破壊するなんて誰が予想できただろうか。
思い切りがいいとか、そういうレベルの話ではない。
策略を強引に潰された。
あの時は感情に任せて力を発揮し、脅しをかけてきたのかと思った。しかし、冷静になって考えると彼の一手は私の計画にとって劇的に効果的だった。
念入りに準備して行動してきたつもりが、あの槍の投擲のせいで後手に回って前に進めなくなっている。
隼の北極のクロイデルプラントへの侵入についても対処が遅れてしまった。
彼が行動を起こす前に強引に介入して管理権を奪えたのは良かったが、結果として優秀な自律型統括管理AIを失ってしまった。
これがかなりの痛手だった。
強制リブートの為とは言え、統括管理AIをシステム外に追いやったのは本当に失策だった。
律葉の協力があれば、わざわざバックドアまで使ってオーバーライドせずともプラントを再稼働させられた。
しかし律葉は昏睡状態にあったし、もし目覚めていたとしても協力を拒否されていただろう。
(律葉……元気そうでよかった)
無人島で律葉が重傷を負った時、ショックのあまり頭が真っ白になった。
あの時の罪悪感、喪失感は忘れたくても忘れられない。もし彼女が死んでいたらと考えるだけで悪寒がする。
目的のためには手段を選ばない覚悟をしたつもりがこのありさまだ。
私は弱くて臆病で卑怯な人間だ。
本当に情けない、自分が嫌いになりそうだ。
「いけないいけない……」
自己嫌悪はこれくらいにして、これからのことを考えよう。
玲奈は甘いコーヒーを一口飲み、状況を整理する。
北のクロイデルプラントについて、攻撃命令を出せないどころかクロイデルの生産ラインまで動かせないのは深刻な問題だ。
幸いにも防衛機構は正常に稼働しているので破壊される恐れはない。
心配するべきは隼による軌道エレベーターへの襲撃かもしれない。
戦力的にはゲイルに分があるが、テレポーテーションで軌道エレベータ内に入られてしまうと打つ手がない。
(……さすがに考えすぎかな)
隼の目的が真人の救出だとすれば、強引にあの核融合炉に手出しすることはないはずだ。
真人への干渉は危険極まりない行為であり、下手をすれば軌道エレベーターが崩壊する。
(真人の封じ込めも時間の問題よね……)
当初の計算では90日は封印できるはずだったが、1日と経たずして計算がくるってきた。
桁外れの膨大なエネルギーを犠牲にして彼を核融合炉内に閉じ込めることには成功したが、抑え込むために必要なエネルギーが刻々と増大している。
事実、ビー玉以下の大きさまで圧縮された檻は、現在はゴルフボールほどの大きさまで膨張している。
あの中で生存しているのだから、もはや生命と定義していいのかわからない。出鱈目すぎる。頭が痛い。
あれが解き放たれた時、果たして中から出てくるのは真人なのだろうか。もしかして、とうの昔に真人は死んでいて、これまでクロトとして活動していたのは真人の人格や記憶を持った恐ろしい兵器なのではなかろうか。
私はとんでもない失態を、DEED以上に厄介な怪物を生み出すきっかけを作ってしまったのかもしれない。
迷っている暇はない。
これからは即決即断、スピード重視で対応していこう。
まず考えるべきは北のクロイデルプラントの復旧計画だ。
頑張れば私一人でプラントを管理できなくもないが、タスク過多になってしまうし、何より効率的ではない。
プラント管理のために新たに統合管理AIを構築するとしても、これもまた高性能な演算機能を有するハードウェアとその性能を最大限に引き出せるAIが必要となる。
現在私が使える高性能かつ高出力なハードウェアはゲイルの持つ重力制御ユニットに搭載された量子演算機であり、私の権限で自由に動かせるAIは人型自律戦闘兵器に搭載されているAIのみ。
つまりプラント復旧にはゲイルの存在が必要不可欠だということだ。
ゲイルに現地に行かせてシステムの再構築を任せる以外の選択肢はない。
長考すればもっと安全でいい案が出るかもしれないが、悠長にしてはいられない。
「よし、やりますか……っと」
玲奈はいつの間にか空になっていた紙コップを両手で潰し、他のものと同じようにテーブルの上に投げ捨てる。
疲労も取れてきたし、さっさと大量に積みあがったタスクを処理していこう。
そう意気込んだ矢先、携帯端末からコール音が発せられた。
何の用事だろうか。
玲奈はソファーから立ち上がると、乱れた服を整え、内ポケットから携帯端末を取り出す。
「はい佐竹ですが」
通話を開始すると、切羽詰まった男性の声が聞こえてきた。
「佐竹博士、医務室から例の少女が脱走しました」
「……え?」
「申し訳ありません。食事を渡そうとドアを開錠した瞬間に不意を突かれまして……」
報告の意味が理解できず、玲奈は一瞬固まってしまう。
ティラミスが脱走? 何のために? そもそもどうやって?
多くの疑問を一旦横に置き、玲奈は冷静に指示を出す。
「わかりました。見つけ次第捕まえて医務室に戻してください。以後は気を付けて警備に当たるようにお願いします」
「いえ、それよりも捕獲する方法についてアドバイスをいただきたいのですが」
「それってどういう意味?」
疑問がそのまま口から出てしまう。
男性は通話越しに困り口調で続ける。
「あの少女がことごとく我々の隊員を無力化していて、対応に困っている次第です」
「何、スタンガンでも奪われたの? 何やってるのよ」
玲奈は敬語も忘れて呆れた声で男性を責める。
気圧された男性は「すみません」と応えつつ、状況説明を続ける。
「仮にスタンガンを奪われたとしてもこちらの装備は絶縁仕様なので問題ないのですが、というより問題はそんな些細なことではなく……」
「じゃあなんで訓練を積んだ隊員がただの女の子を止められないわけ?」
「それは私たちにも理解できないといいますか……」
歯切れの悪い言葉に苛立ちを募らせていると、通知音とともに通話相手から映像ファイルが送られてきた。
玲奈は携帯端末を耳元から離し、画面を確認する。
「これは?」
「通路の監視カメラの映像です。言葉で説明するより見ていただいた方が早いかと」
いったい何がどうなっているのか。
玲奈は送られてきたファイルのアイコンをタップし、映像を確認する。
カメラは通路天井に設置されているもので、そこには装備を着込んだ隊員3名と病衣のティラミスの姿が確認できた。
隊員はティラミスを取り囲むように扇状に展開しており、ティラミス本人は逃げるでもなく正々堂々と相対していた。
隊員はお互いに示し合わせてジリジリと距離を詰めていく。やがてその距離が2メートルを切るとティラミスが動いた。
すべては一瞬だった。
ティラミスは真正面、真ん中にいた隊員の懐に潜り込み、肘を斜め上方に突き出す。
肘は隊員のプロテクトスーツの胸部にめり込み、衝撃を受けた隊員は後方へ吹き飛ばされる。それはまるで車に撥ねられた歩行者のようであり、衝撃の強さを証明していた。
隊員は勢いよく宙を舞い、カメラの視角の外へ消えていく。
完全にフェードアウトする頃にはティラミスは次の目標に、左側の隊員に接近していた。
隊員は慌てて下がろうとするも両手で構えているテーザー銃を握られて動きを封じられ、そのまま手首ごとホールドされてティラミスの背負い投げの犠牲となった。
豪快に床に叩きつけられ、後頭部を強く打った隊員は完全に気を失っていた。
残る一人は咄嗟に腰から特殊警棒を取り出し、その両端を握って守りの構えを取る。
彼は明らかにティラミスを警戒しており、増員が来るまで牽制して時間を稼ぐ判断をしたようだった。
だがそんな賢明な判断も虚しく、隊員はティラミスの足払いを受けて転倒した。
すかさずティラミスは彼が持っていたテーザー銃をホルスターから抜き取り、そのまま首筋に当てトリガーを引く。
生身部分に高電圧を受けた隊員は激しく痙攣し、すぐに動かなくなった。
あっという間に3人を御したティラミスはテーザー銃を通路に放り投げ、何事もなかったかのように再び歩き出し、画角から消えていった。
(うわぁ......)
なるほど、これを見れば連絡をくれた男性隊員の気持ちもわからないでもない。
映像を確認する限り、ティラミスは単純に殴る蹴るなどの格闘で相手を行動不能にしている。
DEED因子抑制剤で能力を奪ったとばかり思っていたが、あれは演技だったのだろうか。
兎にも角にも野放しにはできない。人力で止められないとなれば道をふさぐしかない。
玲奈は通話を繋げたまま部屋のドア付近へ移動する。
「管理区画に到達する前に隔壁を閉じてロックするから、部下の退避を急がせて」
「待ってください、撤退しようにも動けない者が把握しているだけでも7人いるのです。彼らを見捨てることはできません」
「大丈夫、催眠ガスを流し込んで対象の動きを止めるつもりだから。隊員の回収はその後でいいでしょう?進行速度から推測するに3分持たないわ。なるべく早くお願い」
有無を言わせない玲奈の命令に対し男性の隊員は少し間をおいて「了解」とだけ応答し、通話を終えた。
ティラミス......全くもって油断できない少女だ。
彼女には律葉の世話と警護を任せるつもりでいたが、今一度考え直した方がいいだろう。
別ユニットに隔離するか、抑制剤を追加投与するか、どちらにせよ確保しなければ始まらない。
玲奈は部屋に備え付けられたタッチパネル端末を操作し、セキュリティシステムに隔壁を下すコマンドを打ち込んでいく。
超スピードでプログラムを組み上げていると、またしても携帯端末が鳴った。
チラリと横目で確認すると医療チームからの緊急連絡だった。
今は作業に集中したいが、流石にこれを無視するわけにもいかない。
若干うんざりしつつも玲奈はスピーカーホンで応答する。
「もしもし?」
「佐竹玲奈博士、今、ご相談よろしいですか」
携帯端末から年老いた男のしわがれた声が室内に響く。
この声は医療チームのリーダーに間違いない。
玲奈はタッチパネルを操作しながら相手の話を聞くことにした。
「はいはい、なんでしょう?」
「居住区画にて体調不良を訴えるものが後を絶ちません。薬剤部門からも薬の補充要請が届いています。我々では対応不可能と判断したためトキソさんに協力していただきたく、連絡した次第です」
「そう……報告ありがとう。でもトキソは別件対応中で手が離せないの。薬については備蓄に回していた物を使えば足りると思うから、遠慮なく使ってください」
「わかりました。ですが、この状況はいつまで続くのでしょうか。もっと詳しい情報を下ろしてほしいのですが」
「調査中です。何か疑問があればゲイルに直接聞いてください。正確に現状を教えてくれると思いますので」
「わかりました。……では、トキソさんの手が空き次第、折り返し連絡お願いします」
「ええ、伝えておきます」
通話が終わり、室内が静かになる。
そんな静かな空間に玲奈の重いため息はよく響いた。
(ままならないわね……)
ここにきてまさか解凍処理済みの一般人にリソースを割かれるとは思ってもいなかった。
これまではトキソが薬品を提供していたし、簡単な医療備品は食料と同じくパイロが準備してくれていた。
また、情報の統制などはブレインメンバーが行い、些末な問題や小さなトラブルにも即座に対応、介入してスムーズな統治が行われていた。
それが1日機能しないだけでこの有り様だ。
人類を守るために決起したというのに、これでは本末転倒である。もし死人が出た日には目も当てられない。
せめて薬剤だけでも提供したいのだが、肝心のトキソは真人を抑え込むために常にトリチウムを生成し続けているため動けない。
詳しく説明できれば理解を得られるだろうが、ブレインメンバーを監禁している事実を知られると罷免されかねない。
どこかに都合の良い人間はいないだろうか。
人間でなくてもいい、猫の手も借りたいくらいだ。
通路の隔壁を任意のタイミングで下ろすシステムを組み上げながら唸っていると、不意に遠くから声をかけられた。
「――お困りみたいですね」
「ええそうなの……え?」
無意識に返事をした後、ワンテンポ遅れて玲奈は異常事態に気づく。
声は室内から、部屋の奥から聞こえた。が、この部屋には私しかいないのでありえない。
だがしかし、この幼いながらも丁寧な口調には聞き覚えがあった。
幻聴であることを願いつつ玲奈はそっと振り返る。
「先ほどぶりですね、玲奈博士」
「ティラミス……」
会議室のソファー、先ほどまで私が座っていた場所には病衣姿の華奢な少女、ティラミスが座っていた。
隔壁を降ろす前に突破されてしまったようだ。
ティラミスの表情はひどく穏やかで、敵意は感じられない。
しかし先ほどの通路での戦闘を見る限り、友好的でないことは明らかだった。
戦闘員をいとも簡単に無力化するティラミスに素手の私が敵う道理はない。
玲奈は腰に携帯している護身用のハンドガンに手を伸ばす。
だが、玲奈がグリップを握って構えるよりも速くティラミスはソファーから離れて玲奈に接近し、手首を掴むとそのまま背後に回り込んで腕をひねって動きを封じた。
「痛っ!!」
耐え難い痛みに屈し、玲奈はハンドガンを床に落とす。ハンドガンはそのままティラミスに蹴られて部屋の奥の壁にぶつかった。
武器を失い玲奈は早々に戦意を喪失した。
同時に、ティラミスがどうやって力を取り戻したのか疑問に思っていた。
床に押さえつけられながら、玲奈はその疑問をティラミスにぶつける。
「DEEDマトリクス因子は非活性状態だったはず。まさかもう耐性を手に入れた?」
「いーえ、博士の薬は私のDEEDマトリクス因子を完全に無効化しています」
「なら、どうやって……」
どうやって身体能力を取り戻したのだろう。
ティラミスは玲奈の問いに隠すことなく答える。
「どうもこうも、怪力がなくても武術の心得さえあれば人間程度を制圧するのは容易です」
喋っている間もティラミスの手はテキパキと動き、玲奈の両手を背中側で縛っていく。
「あなたの造ったクロイデルと戦った時のことを思えば、このくらいはできて当然です」
ティラミスは玲奈をダクトテープでしっかりと縛り上げ、改めてソファーに座りなおす。
「それはともかく……」
床にうつ伏せになっている玲奈に対し、ティラミスは話題をがらりと変える。
「律葉様のご友人に言うのも失礼かもしれませんが、玲奈博士、あなたは甘すぎます。覚悟が足りません。平和的な解決を早々に諦めた。かと言って強硬手段に及んでも冷酷になり切れない。そんな中途半端な行動が、今の危機的状況を生み出しているのです」
いきなり何を言い出すのだろう。
戸惑う玲奈を無視し、ティラミスは冷たい声で淡々と責める。
「人々が感じている漠然とした不安。その不安は遠からず不満や怒りという感情を生み、ストレスに耐え切れなくなった人類は確実に死に至ります」
ティラミスの刺々しい言葉は止まらない。
「このままだと本当に死人が出ますよ。あなたの我儘で独りよがりな行動のせいで人類という種が絶滅するのです。多くの資材と人員と知恵でもって未曽有の危機から逃れた人類が、あなたのちょっとした自尊心のせいで全て台無しになるのです。罪深い人です。大犯罪人です。でも、あなたが責められることは今後ないでしょう。なぜなら人類それ自体が消えてなくなるのですから」
「ちょっと待って……」
玲奈はか細い声でティラミスの言葉を遮る。
彼女の言っていることは正論だ。私も十分理解している。
ティラミスに反論する気も起きず、玲奈は白旗を上げることにした。
「それで、私は何をすればいい? 真人の解放? それともクロイデルプラントの停止?」
ティラミスは視線を伏せたまま要求を告げる。
「貴女にはこの現状を、外で起きていることを、過去から今に至るまでの全ての情報を公開してもらいます。そのうえで今のあなたの行動が正しいのか、みんなに判断してもらいましょう」
「公開処刑ってわけ?」
「いいえ。少なくともこれで人々の不安は解消され、怒りの矛先は貴女に、そしてブレインメンバーに向けられます。共通の敵を作ることで人々は団結し協力します。自ら行動を起こし、この停滞した状況に変化をもたらします」
なるほど、一理ある。
しかしティラミスという娘はこんなに思慮深い少女だっただろうか。まるで別人だ。
玲奈は改めて頭を回転させ、ティラミスに言い返す。
「そんなことをしても余計混乱するだけで何の解決にもならないわ。それに、人類が統率力を取り戻したら、それこそクロイデルプラントを利用したDEEDの殲滅計画が早まると思うのだけれど。それでいいの?」
「私は飽くまでクロト様と律葉様の味方です。お二人と一緒に幸せに暮らせるのなら、DEEDが死のうが人類が死のうが興味はありません」
我儘がすぎる。だが、この言葉でティラミスの行動原理が理解できた。
ティラミスは自身の考えを証明するかのように提案する。
「貴方が本気でDEEDを殲滅して人類復興を目指すのなら喜んで協力します。しかし、それが見込めないようならクロト兄様と律葉姉様を救出し、その後軌道エレベーターを破壊します」
玲奈が聞く限り、ティラミスの言葉は嘘偽りないように思えた。
どうしたものか。
そもそも今の私に彼女の申し出を断る権利があるのだろうか。
対応に困りあぐねていると、玲奈の携帯端末から男性の合成音声が聞こえてきた。
「ティラミスと言ったか......。見た目に拠らず聡いな。プロファイリング資料が間違いではないかと思えるほど感情を排した倫理的思考だ。DEEDマトリクス因子が非活性状態であることと何か関係しているのか」
話しかけられたティラミスは床に落ちていた玲奈の携帯端末を拾い上げ、画面に表示されている発信者の名前を読み上げる。
「聞いてたんですか、ゲイルさん」
(ゲイル......!!)
これで形勢逆転だ。
なぜ今まで静観していたのか疑問に感じる点は多々あったが、玲奈はここぞとばかりにゲイルに救援要請する。
「ゲイル!! 位置情報が分かっているなら早く追加の武装人員を送って......」
玲奈が言い終わる前に、要請はゲイルによって却下されてしまう。
「いえ、これ以上の状況の複雑化は推奨されません。私も玲奈博士を守る存在なれば、狭い室内での戦闘という危険な状況は回避すべきだと考えます」
「屁理屈はいいから、これは命令よ」
「私のプライマリコマンドは玲奈博士の安全確保と定義されています。いくら玲奈博士からの指示とはいえ、玲奈博士の設定したプライマリコマンドを無視することはできません。全てにおいてプライマリコマンドが優先されます」
勝手に暴走しないように命令系統を整理したつもりだったが、ゲイルというAIはルールの曲解という手段で最上位命令をも無視できるまで進化していたようだ。
ゲイルは独自の論理思考によって勝手に話を進めていく。
「博士の身の安全を守るためにはその少女の協力を得ることが最善策だと判断しました。先程までの会話から察するに彼女に殺意はありませんし、DEED殲滅計画において役立つ人員だと思われます」
「本気で言ってる?」
「よく考えてください。クロイデルプラントを本格的に再稼働させるためには近衛律葉を始めとしたブレインメンバーの協力が必要。しかし、薬剤や暴力などの行為で洗脳もしくは強要しようものならそこの少女が反発し、数時間とせずにこの軌道エレベータを破壊してDEEDに与するでしょう」
このゲイルの言葉を肯定するように、ティラミスは玲奈に視線を向けて無言でうなづく。
「その後は人類が一掃されDEEDがこの星の覇権を握ります。最悪の場合、人類がDEEDに使役される可能性もあります。しかし、そこの少女の協力を得られれば私がクロイデルプラントに直接出向いて各システムを短時間で再統合させられます」
もう協力すること前提で話が進んでいる。
しかし玲奈には反論するだけの対抗案もなければ力もなかった。
「差し当たってそこの少女に玲奈博士の警護を任せたい。私の躯体は些か大きく、もし施設内部に敵が侵入すれば手の出しようがありません。相手が人間なら彼女の方が適任というわけです。よろしいですか、玲奈博士」
「......ええ、構わないわ」
もう私に主導権はない。色々と気に食わないが従う他ない。
玲奈の了承を得たところで、ようやくティラミスは意見を口にする。
「私も異論はありません。ですが、協力するにあたって条件があります。いえ、条件というよりは提案に近いかもしれませんが」
「是非聞かせてくれ」
ティラミスは俯き、数秒ほど思案してから続ける。
「安全を確保する意味でも、玲奈博士には他ブレインメンバーと同じようにセーフルームで眠っていてもらうのはどうでしょう。これならゲイルさんも万全な状態でことに臨めると思うのですが」
......そんな勝手が許されるわけがない。
強く否定しようとした玲奈だったが、咄嗟のことで言葉が出ず、ゲイルに発言を許してしまった。
「なるほど、どこか安全な場所に一時的に避難していただこうかと考えていたが、あのセーフルームであれば問題ないな」
「しかも、ゲイルさんのマシンスペックならばいざという時にユニットごと保護できるかと。私には電子錠もなければ、あの分厚い金属を破壊できる力もありませんから余計な監視も不要になると思います」
「ふむ。玲奈博士の安全が完全確保されるのであれば軌道エレベータの防衛レベルを下げても問題ない。私自らクロイデルプラントのシステム復旧を行い、パイロの対処にも当たろう」
「はい、防衛については任せてください」
どんどん蚊帳の外に追い出されていく玲奈だったが、セーフルームへの監禁を免れるため、やや強引に議論に交じる。
「待って待って、軌道エレベータの防衛って簡単に言ってるけれどDEEDマトリクス因子を失った状態でどうするつもり? 今のあなたは非力な少女に間違いないのよ」
「セキュリティガードを短時間で無力化して玲奈博士を拘束している私が非力な少女に見えるのですか」
「う......」
ぐうの音も出ない切り返しに玲奈は何も返せなかった。
ティラミスは自身の能力についてさらに語る。
「あとDEEDマトリクス因子についてですが、因子抑制剤で影響力が弱まったおかげで制御下に置くことに成功しました。お兄様には届かぬものの、それなりに力をコントロールできるようになったと自負しています。あと、お兄様の無力化についての代替案も思いつきました。感謝します、玲奈博士」
言い終えるとティラミスは軽く会釈し、小さな手の甲をこちらに向ける。
手の指先は5本ともが黒い物体に覆われており、形状は猛禽類のかぎ爪に酷似していた。
(嘘でしょ......)
これまでの彼女は例えるなら運転手のいない戦車だった。いくら強大な破壊力を持っていてもうまく操縦できなければ脅威になりえない。
しかし今は小銃を手にした兵士だ。
どんな状況下であれ確実に敵の弱点を狙う百戦錬磨のベテラン兵だ。
どちらが危険であるかは火を見るよりも明らかである。
「では早速動きましょう」
ティラミスは手足を拘束され床に転がっている玲奈を担ぎ上げ、携帯端末越しにゲイルに伝える。
「パイロはクロト様と同じく戦闘経験を重ねたスペシャリストです。クロイデルプラントの制圧に失敗した今、クロト様を開放するべく軌道エレベータに来るはずです」
「同感だ」
「ですから、そうなる前にクロイデルプラントを再稼働、殲滅用クロイデルを大量生産し、地上にいるDEEDを殺しつくして大義名分を奪いましょう。トキソさんについてもお兄様の拘束方法を変えれば手が空くと思いますので、防衛の手助けをお願いしようかと思います」
「よろしい。ククロギの拘束方法については玲奈博士とトキソの判断に任せるとして、私も興味があるので後ほど同席させてもらおう。では兵装のチェック作業に入る」
そのメッセージを最後にゲイルとの通信は終了し、携帯端末はスリープモードに移行した。
「真人の拘束の代替案なんて.......嘘をつくにしても限度があるでしょうに。まあ、私にはもう関係ない事だけれど」
玲奈はティラミスの堂々とした嘘を揶揄する。
それが気に食わなかったのか、ティラミスは担いでいた玲奈を乱暴にソファーに押し倒し、馬乗りになった。
「玲奈博士、あなたが平和的解決に賛同していればお兄様は苦しい思いをせずに済んだのです。軌道エレベーター内の人々が迷惑を被ることもなかったのです。責任はすべて貴女にあると自覚してください。今更傍観者面をするのはあまりにも無責任です」
「......そうね」
言われるまでもなくそんな事は理解している。
しかし、今ここでティラミスと言い合う気力はなかった。もう私にできる事はないし、やろうとも思わない。おとなしく従う他ない。
「では、クロト兄様がいる場所まで案内お願います」
「そういえば律葉は? 何か言ってた?」
ティラミスに再び抱え上げられながら、玲奈は律葉について問いかける。
「律葉様には事後説明するつもりです。ケリがつくまで病室で安静にしていただきます」
「ああ、そう」
彼女もセーフルームに隔離されるものかと思っていたが、まだ完治したわけではないので病室にいた方がいいだろう。
「では行きましょうか」
ティラミスは携帯端末を病衣の胸ポケットに仕舞うと、玲奈を抱き抱えて小会議室を出た。




