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天球のカラビナ  作者: イツロウ
08-叡智の群体-
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幕間


 幕間


 幼少期にあまりいい思い出はない。

 ただ指示された通りに生活していた。

 そこに家族愛だとか絆などの曖昧な感情はない。

 保護者と被保護者。それだけの関係だった。

 ネグレクトなどは全くなく、両親ともに集合住宅内では他住民と良好な関係を築いていたし、旅行や外食などにも行き、一般行事や誕生日などのイベントも欠かさず行っていた。

 周囲から見れば問題も何もない普通の家族だったと思う。

 良くも悪くも普通、平凡、平均。

 全く持って刺激に乏しい日々だった。

 そんな平凡で灰色の日々は中学校に進学してから大きく変化する。

「――よろしくね、玖黒木くん」

 入学式、クラスごとに講堂に整列していた時。

 背後から女子に背中をつつかれた。

 厚めの学生服越しでも、細くてしなやかな指の感触を確かめられたように思う。

 ボディタッチというにはいささか控えめではあるが、自分にとっては衝撃的な出来事だった。

 予想だにしない出来事にどう反応していいかわからず、結局何もできなかった。つまりは無視してしまった。

 すぐに2度目のあいさつが来た。

「あれ、玖黒木くんだよね? やっぱり玖黒木くんだ。ねえってば」

 背後の女生徒は入学式前に配られた名簿を確認し、何度も背中をたたく。知り合いならまだしも、初対面の人に馴れ馴れしい。

 生活指導の先生から式典中は私語厳禁と注意されたことを忘れたのか、そもそも聞いていなかったのか。

 流石に何度も一方的に衝撃を与えられると不快だ。非常識にもほどがある。

 静かにするように注意するため、横顔を見せる程度に振り向き、自らの口に人差し指を押し当てる。静かにするよう促すジェスチャーである。

 結果的に言えば、この対処は間違いだった。

 こちらの大人な対応をみて子ども扱いされたと思ったのか、はたまた無視された挙句に黙れと伝えられて不満に思ったのか、彼女の思い通りにならず我慢できずに怒ったのか。

 今だに理由は不明だが、彼女は僕の膝を蹴り、渾身の張り手で僕を前へ突き飛ばした。

 そこから僕の記憶は少し飛ぶ。

 床に側頭部をぶつけて保健室へ、その後保護者と共に救急車で病院へ向かったと聞いている。

 硬膜外出血を起こしていたらしい。目を覚ますと僕は病院の個室のベッドの上にいた。おまけに丸坊主にされていた。

 こうして僕は入学早々にして半年間学校を休むこととなった。

 暫くしてから僕を押し飛ばした同級生の女子と、介抱してくれた同級生の女子、二人が両親同伴で病室に来た。

 謝罪に来たようで、親同士で当り障りない形式的なやり取りが行われた後、加害者本人が口を開いた。

「ごめんなさい、私のせいでこんなことに……」

 ベッドの前で頭を下げている少女は華奢で、初対面の相手の背を殴るような乱暴者には見えなかった。

 不覚を取ったとはいえ、こんな女子生徒に病院送りにされたのは結構ショックだ。

「こんな子に僕は殺されかけたのか」

「殺され……って、その言い方はちょっと語弊があるというか」

「語弊も何も、しつこく声を掛けたあげく逆上して襲ってきて、無抵抗の僕に殴る蹴るの暴行を行ったのは事実だと思うけれど」

「確かにそうだけど……」

「その見た目からは想像できないほど暴力的だね」

「見た目?」

「うん、虫も潰さないような清楚な女の子が僕に暴力を振るったのが信じられないよ」

「清楚!? え、もう……」

 先ほどまでの泣き顔はどこへやら、女子生徒は顔を真っ赤にして恥ずかしげにうつむいていた。

 少々冗談が過ぎたような気がしたが、おかげで場を和ませることができた。只でさえ病室という閉塞感のある場所に重い空気は気が滅入る。

 その後いろいろと話をした。

 加害者女子生徒の名前は近衛律葉(コノエリツハ)

 僕の出席番号が9番であることと、名字の中に九が入っていることに気づき、当の本人である僕と驚きを共有したかったようだ。

 もう一人の女子生徒は佐竹玲奈。

 倒れた僕を見るや否や救急車を呼んでくれた命の恩人である。

 彼女の出席番号は11番。つまり10番の近衛律葉の後ろにいたということだ。

 律葉がいうには玲奈は超が付くほどの天才で、僕が勢いよく頭部を強打した場面を見て即座に命にかかわると判断したらしい。

 加害者と命の恩人が友達というのは少し腑に落ちなかったが、彼女らを責めるつもりはなかった。この件は事故だと納得している。

 ……その日以降、二人は放課後になると何かと理由をつけて病室に入り浸り、休日は親同伴で見舞いにきた。

 青春と呼ぶには僕たちは幼すぎた。単に同級生と遊ぶような感覚だったように思う。

 出会いは被害者と加害者と救命者という事件性のある関係だったが、半年を経て親友または仲間と呼べる関係になった。

 復学しても劇的に環境が変わることもなく、同じようなサイクルで日々を過ごした。

 放課後は誰かの家で遊んで過ごし、休日には遠出したり、長期休暇は県外に旅行に行ったり、期末試験前には泊まり込みで勉強会を開いたりと、それが当たり前になっていた。

 姉や妹がいればこんな感じなのだろうか、と考えるほどに信頼できる関係になっていた。

 高等部に進級してもその関係に変わりはなかった。

 しかし、自分たちに変化はなくとも周囲から向けられる印象は大きく変わる。

 高校1年の男子生徒が同学年の女子生徒2人と四六時中一緒にいるとなれば、色恋沙汰に敏感な思春期の学生たちの注目の的になる。

 その女子生徒が二人揃って忖度なしで控えめに評価しても可憐で愛嬌のある秀麗な美少女となれば嫉妬されても仕方がない。

 その事件は起こるべくして起きた。

 夕刻、放課後の渡り廊下。いつもの通り3人で下校するべく正面玄関へ向かっていると、男子生徒が現れた。

 彼の名前は西城隼。後に親友そして戦友となる男だ。

 隼は初対面にも関わらず、挨拶も程々にいきなり律葉と玲奈に交際を申し出た。

 玲奈は冷たいトーンで「無理」と一蹴したが、律葉は唐突な愛の告白に動揺してか、狼狽していた。心なしか顔も赤らんでいる。

 これを好機と考えてか、隼はさらにアプローチを続ける。

 傍観に徹していた僕だったが、最終的に律葉は断り文句として「この人と付き合ってるからゴメンね」と僕の手を握ったのだ。

 勿論それは男除けのための演技であり、その場しのぎの嘘だった。

 意をくみ取った僕は信憑性を高めるべく律葉の肩を引き寄せた。

 ……そんな僕の軽率な行動が悲劇を招いた。

 予想外の接触に驚いた律葉は反射的に僕を突き飛ばし、よろめいた僕は渡り廊下の窓から地面へと落下した。

 その時隼が救助するべく僕の手を掴んでくれたのだが、踏ん張ることができずに彼も一緒に地面にたたきつけられた。

 その後は中学校の入学式の事件の時と同じ流れだった。

 玲奈が迅速に救急車を呼び、僕は人生で2度目の入院生活を送ることとなった。

 幸いなことに隼が少し踏ん張ってくれたおかげで落下速度が大幅に低下し、頭から落下したにもかかわらず骨折と軽度の脳挫傷だけで済んだ。隼は体側で受け身をとったらしく、腕の脱臼だけで済んだ。

 医師から色々と説明を受けた後で病室に入ってきたのは泣き収まらぬ律葉と、彼女の頭を撫でている玲奈だった。

 僕の体を案じてくれたのかとも考えたが、他意にせよ親友を突き落としたという行為自体に重い責任を感じているのだろう。

 今の彼女に必要なのは慰めの言葉ではなく、許しの言葉でもなく、罪に対する罰かそれに相当する責任を負わせることだ。

 もしもここで簡単に許してしまうような関係であれば、今後付き合っていくとしてもしこりが残る。それは僕にとっても避けたい未来だ。

 であれば、律葉には重い責任を負ってもらおう。少し心苦しいが、親友でいるためにも必要だ。

「もし後遺症が残ったら、一生僕を養うと約束して欲しい。いいね、律葉」

 律葉は覆いかぶさるとこちらの首元に顔をうずめてわんわんと声を上げて咽び泣いた。

「養うし、何でもする!! 生きていてくれて良かった。大好き!! 必ず幸せにしてあげるからぁ……」

 それが告白の言葉であり、交際のきっかけとなった。

 とんだヒモ男宣言である。できればもう一度告白をやり直したいが、その機会は未だに来そうにない。

 数日後に隼も見舞いに来た。

 隼は脱臼以外は全くと言っていいほど怪我がなく、念のために2泊入院して退院した。

 そんな隼とは1時間と経たずに打ち解けた。もともと波長が近かったのだろう。結局退院するまでの半年間、律葉や玲奈と共に病室に入り浸り、楽しい時間を過ごせた。

 驚異的なスピードでリハビリを終え、完全に健康体を取り戻すと、賑やかな学校生活が始まった。

 概ね誰もが想像しうる高校生活を過ごし、卒業後はそれぞれが夢を実現させるべく別々の道を進み始めた。

 別れは辛いが仕方がない、と割り切ることができなかった僕だったが、そんな不安を感じた自分が愚かに思えるほど4人の関係は特別だった。

 暇を見つけては通話したり、オフの日は会って他愛のない話をしたりと、学校という閉鎖された環境から放たれたおかげで多くの情報と貴重な経験を得て、より会話が弾むようになった。お互いに人間として尊敬できるような、成熟した関係へとシフトしていった。

 未来に思いを馳せない日はなかった。

 しかし未来は閉ざされた。

 ――侵略者の手によって。

 シェルター内で自殺も考えた。

 この先苦しい思いをするだけなら生きていても意味がない。

 だが、実行に移すことはできなかった。僕が自殺すれば律葉は必ず悲しむ。

 もう彼女の泣く顔は見たくない。させたくもない。

 少なくとも親友3名は守ると決めた。強大な力を得て、自分以外にそれができる人間がいないと確信した。

 蔑まれても構わない。

 大義名分も必要ない。

 僕は自分の行動を肯定する。我を通す。それだけの力を持っている。

 従うべきは自分の信念。

 自分に命令できるのは己の魂のみ。

 僕は僕の我儘のために、僕と律葉と玲奈と隼と笑って過ごせる未来を創るために。

 ただそれだけのために行動する。

 他は切り捨てる。

 だからもう他人には任せられない。

 この世界は自分の世界。


 ――まずは世界を手中に収める。


 その為にもまずは彼女に指示を出そう。

 ……僕を兄と慕ってくれる、小さく賢いティラミスに。


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