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天球のカラビナ  作者: イツロウ
08-叡智の群体-
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 地球の北に位置する北極海

 天体のつむじとも言えるこの場所は四方を大陸で囲まれた極寒の海として知られていた。

 大陸沿岸、大陸棚付近は厚い氷で覆われており、人が生きるには過酷すぎる環境である。

 しかし、今はその面影はない……と言うより、何もない。沿岸地域やそれに類する島々が綺麗さっぱり消滅している。

 ……原因は大量破壊兵器である。

 地球外生命体であるDEEDの襲来に応戦するべく、各国が兵器を際限なく使用したせいで、北極海はもちろんのこと、それを囲んでいる大陸沿岸部も爆散したというわけである。

 人が住んでいない地域ということで、躊躇うことなく存分にミサイルを撃ち込んだと聞いている。

 陸地と引き換えに海域が広がり、海底山脈……言わゆる海嶺も破壊されて海流の流れも大きく変化し、太平洋・大西洋との境界も曖昧になった。

 視界に映るのは暗い海と青白い空。

 風も雲もなく、ただただ静寂が支配している。

 そんな澄み切った空の上にて、赤髪に黒いコートが目立つ男……パイロは高高度から海面を観察していた。

(見つからねえ……)

 パイロはクロイデルプラントを制圧するべく北極海域まで飛んで来たものの、肝心のプラントを発見できずにいた。

 首都セントレアを出発したときは機能停止まで追い込めるかどうか心配していたが、今は発見できるかどうかで頭を抱えている。

 目標の位置がわからないとは考えもしなかった。全くの想定外である。

 クロイデルプラントは洋上に浮かぶ巨大な工場だ。

 以前の記憶では海上にだだっ広い人工浮島があり、そこでは航空戦闘機に近い形状のクロイデルが数kmにも及ぶ製造ラインで大量生産されていた。

 生産には海底資源を大量に消費するため、プラントは資源を求めて定期的に海上を移動する。

 以前の場所から移動しているのは当然理解できるが、それにしたってあの巨大構造物が見つからないのは不可解極まりない。

 パイロキネシスに次いで広域索敵能力が自慢の自分としては、超能力者の沽券に関わる問題である。

「どこだどこだ……」

 いくら探せど人工物はもちろんのこと、植物や生物の姿も殆ど見られない。

 テレパシー能力も使ってプラントから出ているはずの電波や何らかの信号も探しているが、全く網にかからない。

 忙しなく上空を右往左往していたパイロだったが、不意にある事実に気づき、空中で停止した。

(プラントの防衛装置、動いてねえな……)

 昨日、クロトの超遠距離槍投げにより南極のクロイデルプラントが破壊された。

 この情報は北極プラントの管理AIにも伝わっているはずだ。

 何なら俺が北極海に来ることも知っていてもおかしくない。

 ……だというのに防衛装置が全く機能していない。

 ここで言う防衛装置は外敵からプラントを守るための兵器であり、20機を超える高性能な航空戦闘ユニットだ。

 全長は15~6mほどで形状は飛行機と戦車を混ぜたようなずんぐりむっくりなデザインだが、その姿に似合わず平均速度はマッハを超え旋回性能も高い。

 搭載兵装は高性能追尾マイクロミサイルに高出力レーザーなどで、それらを絶え間なく浴びせてくる悪魔のような兵器だ。

 ゲイル程の戦闘能力を持っているわけではないが、アレを仕向けられたら流石の俺も苦戦は免れない。負けることはないが、突破するにはかなりの時間を要するだろう。

 手間取っている間にゲイルが加勢にでもきたら逃げざるを得ない。

(……逃げる、か)

 最大の防衛方法は逃走である。

 自然界でも逃げて隠れて敵をやり過ごすのは常套手段だ。

 クロイデルプラントは万が一にも破壊される訳にはいかない。

 相手がこちらの戦力評価を高く見積もり“迎撃”ではなく“逃走”という選択をしたと考えるのが自然かもしれない。

 パイロは自分の推測を確実なものにするため、目をつぶって思考に集中する。

 もしクロイデルプラントが逃げていると仮定すると、その場所は十中八九海の底だろう。

 あの大所帯では移動速度に限界があるし、資源採掘用の長いシャフトを使えば人工島ごと沈むのも難しくない。

 北極海という広大な範囲、しかも深海に潜んでいるとなると発見は極めて困難だ。

 見つけるには時間と労力を要するだろう。

 しかし、クロイデルプラントが逃げ隠れることに注力しているなら余分なシステムはカットしているはずであり、見つけてしまえば機能停止させるのは容易なはずだ。

 罠である可能性も否定できないが、このまま飛んでいても見つけられる気がしないし、潜水して探索するしかなさそうだ。

 パイロは目を開け「よし」と自分を鼓舞すると、空気の層を幾重にも纏い、冷たく暗い海の中へ急降下を開始した。


 ――テレキネシスで球状のバリアを作り、水圧に耐えること1時間。

 それは海底火山が連なるエリア、海溝の影に隠れていた。

 周辺の地理情報は頭に入っていたので、最も深くて過酷な場所からしらみつぶしに探すつもりでいたが、一発目で当たりを引いてしまった。

 地球の裂け目にひっそりと息をひそめているそれは、遠目から見ると古代の海底都市遺跡にも見えなくもなかった。

 人工浮島ごと沈降したようで、表面部分にある様々な製造機械は水圧に負けてほとんどがベコベコに凹んで壊れていた。

 壊れるくらいなら切り離せばよかったものを……いや、それだと痕跡を残すことになるし、まるごと潜水するのがベストな選択だったのだろう。

 何にせよ、見つけてしまえばこちらのものだ。

 パイロは海溝深くに隠れているクロイデルプラントに向けて進んでいく。

 このあたりは火山活動も活発なのか、海底から熱を帯びた噴火ガスが結構な勢いで噴出していた。

 これを見ると地球も生きているのだなあと実感させられる。

 プラントが視界の半分を占めるようになると、ようやく細々な点を観察することができた。

 噴火ガスは金属を腐食させる性質があるようで、クロイデルプラントの外壁部は虫食い穴状態になっていた。戦時中に撃沈した戦艦かと思われるほどの朽ち果てっぷりである。

 昨日今日でこの有様だ。もう2,3日放置していれば勝手に自壊するのではなかろうか。

 そんな朽ち果てたプラントの製造ライン、パイロは堂々とその中央に着底した。

 やはり反応はない。

 細かい金属片が漂うだけで、音も光も何もない。

「お邪魔しますよっと」

 パイロは独り言を呟き、管理区域内部に侵入するべく床に向けてテレキネシスで圧力をかける。が、そう易々と入れそうになかった。

 ボロボロ状態の外壁とは違い、内部ユニットはしっかりとした素材で守られているようだ。灰色がかった白い床面は傷どころか歪みさえみられない。

 力技では無理だと判断したパイロは、手のひらを床に押し当て高熱波を放つ。

 流石にこのエネルギー量には耐えられなかったのか、頑丈な床面は内側に向けて歪んでいき、数秒もすると深海の水圧に負けてベコンと裂けた。

 床の裂け目は一瞬で広がり、海水が中の空気と入れ替わるように勢いよく流れ込んでいく。

 しかし流れ込んだのもほんの数十トンだけで、すぐに内部の隔壁が閉じてそれ以上裂け目が広がることはなかった。

 クロイデルプラント側には察知されただろうが、中にはいってしまえば問題ない。

 パイロは裂け目から内部の管理区画通路に侵入し、またしても高熱で内部の海水を瞬時に蒸発させる。

 通路内に充満していた水は瞬時に気化し、大量の気泡となって裂け目から出ていく。

 続けて、パイロは自ら開けた裂け目をテレキネシスで強引に元通りにし、内側から溶接して修繕した。

 通路の天井は配管やその他艤装品を捻って巻き込み不格好になっていたが、水漏れは一切なく、壁としての役割を完璧に果たしていた。

 一段落したパイロは通路上で屈伸し、乱れた赤髪を軽く整える。

 さて、取り敢えずは無事にクロイデルプラントに侵入できた。

 あとはここを統括管理しているAIを停止させるか、権限を奪うか、システムダウンさせればいい。

 これは飽くまでクロイデルによるDEEDの大量殺戮を止める為の処置であり、破壊が目的ではない。

 今後もクロイデルは人類にとって必要な道具だ。

 一時的に戦闘能力を奪い、その間に玲奈の暴走を止めて真人を救出する。

 すべてが丸く収まったあと、労働力として平和的に運用していく……らしい。

 もしクロイデルプラントを止められなかった場合は何とかしてDEEDを守り抜くしかない。

 第一波はこれまで通りの生物型クロイデルが人々を襲う。

 第二波はプラントで新たに製造される人狩りに特化した戦闘兵器、本来のクロイデルが襲ってくる。

 前者は食い止められるが、後者を止めるのは難しい。

 だからこそ、クロイデルプラントを制御下に置くのは必須事項なのである。

「玲奈も厄介なものを作りやがって……」

 2,000年間メンテフリーで稼働し続ける自立兵器。

 技術畑の人間じゃない俺でもこれがブッ飛んだ発明品だということくらいわかる。

 常々敵に回したくないと思っていたが、まさかそれが現実となるとは……。

 ――さっさと終わらせてしまおう。

 パイロは閉じられた隔壁、その内部にあるロック機構をテレキネシスで解錠し、中枢部へと通路を進んでいく。

 この付近は特に整備されていないのだろう。所々塗装が剥げており、非常灯も点いていなかった。隔壁も度重なる移動やこの沈降の影響で変形しており、ロックを解除しても開かないことも多々あった。

 真っ暗な通路を順調に攻略していくと、やがてぼんやりと明かりが見えてきた。

 位置的にも中枢部だろう。

 ゴールを見つけて安堵するパイロだったが、すぐに気を引き締める。

 目標までまだまだ距離もあるし、対人トラップが仕掛けられている可能性もある。

 クロイデルプラントは間違いなくこちらの存在に気付いている。が、位置を掴めていない。……となれば、重要なユニットが集中している中枢部の周りに網を張っても不思議ではない。

 俺の能力は万能ではあるが、最強ではない。

 ある程度の物理攻撃は跳ね除けられる自信はあるが、知覚できない未知の手段で攻撃されると逃げられるかどうか怪しい。

 パイロは最大限の警戒態勢でもって中枢部の入口へ歩を進める。

 特にノイズはない。聞こえるのは自分の足音くらいなものだ。

 そういえば、遥か昔にこういうホラーゲームを遊んだ記憶がある。

 怪しい研究所を探索するコンセプトの横スクロールアクションゲームで、ギミックを駆使して不気味な怪物に見つからないように進むという内容だった。

 理不尽な初見殺しの罠にイライラさせられたが、その分クリアしたときの達成感は半端なかった。

 さて、このクロイデルプラントでは何が待ち構えているのか。

 警戒しながら進み続けること1分。中枢部への扉とその脇に設置されている緑色のライトの形状がはっきりと見え始めた頃。

 パイロは“それ”を認識した。

 扉の前に佇む“それ”は人の形をした何かであり、緑色のライトで半身を照らされ暗闇の中でおどろおどろしい雰囲気を放っていた。

 あちらもこちらの存在に気付いたようで、アクチュエーターが発する微細な駆動音と、それに伴う微弱な電気信号も感知した。

 人型の戦闘兵器……プラント建造時に要所要所に配備されていた護衛ロボットだろうか。

(何でここに……しかも1体だけ……?)

 ちょっとした疑問が頭をよぎったが、考えるのはあとでいい。

 今は正体を探るより無力化するのが先だ。

 パイロは敵を認識した瞬間にテレポートで相手の背後に回り込み、高出力のレーザーカッターで切り刻む。

 ……つもりだった。

 パイロは人型ロボットの背後を取ったはいいものの、レーザーカッターは“彼女”の肌に触れる寸前で止まっていた。

 “彼女”はパイロに振り向き一礼をし、笑顔で挨拶する。

「よくおいで下さいました。パイロ様……いえ、西城(サイジョウ)(ハヤト)様」

「……はぁ?」

 パイロが人型戦闘兵器だと思い込んでいたものは、小綺麗な洋服に身を包んだロングヘアの女性だった。

 いや、結果から言うと単なるガイノイドだったのだが、本物と見間違うほど精工で美麗だった。

 基本的に皮膚表面の質感は高級なビスクドールのそれに近かったが、フェイスパーツは人工皮膚か何かを使っているようで、目鼻立ちも良く、シンメトリー美顔と言って差し支えなかった。

 ざくろの実を連想させる深い赤の瞳は吊り目に収まっており、知的な印象を受けたが、目の大きさと位置も相まってか、若干の幼さも感じられた。

 群青の前髪は頬の端と耳元を隠して肩まで伸びていて、フェイスパーツと首の境目をうまい具合に隠していた。

 後ろ髪も作り物にふさわしく一本一本が均等に地面に対して垂直に伸びており、腰辺りで綺麗に切り揃えられていた。

 これだけでもガイノイドとしては過剰装飾に思えるが、服装も凝っていた。

 インナーはパールホワイト色のホルターネックシャツ。

 アウターは胸元が大きく開いている薄手のロングワンピースで、その黒いワンピースは腰よりも少し上の位置にベルトがあり、ベルトより下はカーテンのようなプリーツスカートとなって膝下までをカバーしていた。

 靴は先の尖ったヒールショートブーツを履いており、なかなかにハイセンスだった。

 まあ、俗っぽくジャンルで言い表すなら“清楚系美人OL”だ。

 あまりにも場にそぐわない出で立ちのガイノイドに対し、パイロは問いかける。

「お前は何だ。どうしてここにいる。危うくぶっ壊すところだったぞ」

 こんな姿のガイノイドが何の意味もなく中枢部入口の扉の前で立っている訳がない。

 少しでも不穏な言動を取ればレーザーカッターで破壊するつもりでいたが、そんなパイロの警戒心を知ってか知らずか、ガイノイドは「失礼しました」と一礼をし、丁寧な口調で淡々と話す。

「私はこのプラントの統括管理を任されているAI、そのインターフェースです。現在当プラントは非常事態により内外共に通信ができない状態でして、問題解決のために駆けつけて下さった西城様が道に迷われているように見受けられましたのでお出迎えとご案内のために見栄えの良い人形(ドール)をご用意したのですが、何か問題でもありましたか?」

 不思議そうに首を傾げ、自身の体をまじまじと観察するガイノイドを見て、パイロはレーザーカッターの刃を彼女から離し、戦闘態勢を解除した。

「自立型AIか……」

 このガイノイドはただの遠隔操作人形で、管理AI本体は別の場所にいるらしい。

 全身くまなく透視したところ、武装らしきものは搭載されていないし下着もつけていない。

 先程の話から察するに俺のことを味方だと認識しているのは間違いない。

 それならそれで好都合ではあるが、人類の叡智の結晶であるクロイデルプラントの管理AIが状況を把握できていないとは考えにくい。

 現に、襲撃に備えてこんな海底深くまで潜って隠れている。

 一体どういうことなのか。

 パイロが透視を続けながら色々と思案を巡らせていると、ガイノイドに動きがあった。

「中枢部管理区画までご案内します。そこで状況の説明と問題解決のための助力をお願い致します」

 そう言うと彼女は分厚く重厚な隔壁のロックを解除し、完全に開き切るのを待つことなく中枢部へと進んでいく。

 こちらに背を向けて歩く彼女、その後ろ姿からは警戒心も何も感じられない。

 そして何より

(マジで美人だな……)

 人形とは思えないほど魅力的だ。

 ……大方、俺のパーソナルデータを分析して好みの外見を作ったのだろう。

 作り物と理解していても彼女に“助けてください”とお願いされたら断れない。

 客観的に見れば罠にも思えるが、超高性能な自立型AIがこんな回りくどい手法を取るとは思えない。

 仮に罠だとしても、内部に入れば目標達成率はぐんと高くなる。

(まあ、なるようになるか……)

 パイロは深く考えることを止め、ガイノイドのお尻を追いかけていく。

 すぐにパイロは彼女に追いつき、横に並んで歩くペースを合わせる。

 しばしの沈黙の後、彼女は頼むでもなくクロイデルプラントの状況を説明し始めた。

「先日、南極プラントが破壊されました」

 抑揚のない声で彼女は続ける。

「我々は予め決められた対応マニュアルに従い、南極プラントが復旧作業を終えるまで防衛拠点用のクロイデルユニットを増産して守りに徹して情報収集を行う予定でした。しかし、製造ラインを稼働させる直前で佐竹玲奈博士より“DEED掃討作戦”命令が最優先事項としてタスク上位に割り込まれました」

 ここで彼女は困り顔をこちらに向ける。

「“DEED掃討作戦”は北極・南極のプラントが両方機能していることが前提の作戦です。機能不全状態で当作戦を行うことは想定されていません。作戦実行のために南極プラントの修繕を支援しようにも最優先タスクを無視することもできず、コンフリクトが発生している状況です」

「なるほど。DEED掃討作戦は南極プラントが機能していることが前提の命令だから、遂行しようにも遂行できないわけか」

「はい。決定権のない我々にはどうすることもできず、かと言ってエラーコードを漫然と眺めているわけにもいかず、通信途絶状態における緊急措置として再度命令があるまで安全な海溝付近で待機していた次第です」

 例えるなら、燃料がない状態で車を運転しろと言われたようなものだ。

 ガソリンスタンドに行くこともできず、かと言って車を離れる事もできず、通行の邪魔にならないように路肩に寄せて助けを待っていたというわけである。

「玲奈から新しい命令は来てないのか? あいつならすぐに命令を取り消して新しく指示を出しそうなもんだが」

 彼女は首を左右にふる。

「いえ。そもそも命令の取り消し及び中断についてはブレインメンバーの署名が必要です。状況に拠りますが、今回の命令コードについては少なくとも半数以上の署名か、発令者本人のクロイデルプラントへのアクセス権限の無効化が必要です。その権限の無効化についても当人以外のブレインメンバーの生体認証が必要なので難しいと思われます」

「へえ、そうなのか」

 こういうときに融通が利かないのは高性能兵器としては致命的ではないのだろうか。

 権限の階級別管理や複数人による承認システムはクロイデルという強大な力を扱う上で必要なのは間違いない。

 セキュリティは強いに越したことはないが、それが枷となっている感は否めない。

 機転が利かないセキュリティのおかげで難なくクロイデルプラント内に入れたのだから、今は良しとしよう。

「残された手段はクロイデルプラント現地での直接操作のみでしたので助かります」

 期待の目を向けられ、パイロは慌てて言い返す。

「俺、技術者じゃなければブレインメンバーですらないんだが……」

「操作自体は私を介して行うので適当な指示でも問題ありません。権限についてもエラーコマンドを削除するだけならば不要ですので大丈夫です」

「そうか、そりゃ良かった」

 このまま口車に乗せられたらクロイデルプラントを再稼働させることになってしまう。

 聞く限りではこのまま放置しても問題なさそうだが、得られる情報は多いに越したことはない。

 敵対されても困るし、今は大人しく付いていこう。

 方針を決めたパイロはしばしの間、隣を歩く美人を鑑賞して英気を養うことにした。

 ……暗い通路を進み始めて5分。

 突き当たりにある扉の前でガイノイドは歩みを止めた。

「到着しました。ここがメインメンテナンスルームです」

 言葉が終わると同時にドアのロックが解除され、重苦しい音と共に分厚い扉が上方へスライドしていく。

 扉の向こう、メインメンテナンスルームからはモニターから発せられているであろう灯りが漏れ出ていた。

 長髪のガイノイドは扉が開くやいなや中へ入っていく。

 後を追うようにパイロも室内に足を踏み入れる。

「おー……」

 中には所狭しと操作パネルやスイッチやボタンが大量に付いた操作盤のようなものがひしめき合っている……と思いきや、入り口から見て右側の壁に大きめのモニターが設置されているだけだった。

 白い壁に画面が1枚。どこかの小洒落た美術展の展示室のようだ。

 拍子抜けも甚だしいが、シンプルイズベストという言葉もあるくらいだし、人間が介在しない環境では操作盤が必要ないのも納得できる。

「で、俺は何をすればいい?」

「佐竹玲奈博士の命令を履行不能と指摘した上で、その命令を取り下げてください」

「口頭で伝えればいいのか」

「はい。基本的に我々AIは上位命令に対して問題を指摘することも無視することもできませんし最終決定権もありませんので、人間である貴方に直接指示していただく他ないのです」

「そうか……」

 相槌を打ちながら聞くパイロだったが、AIの指示に従うつもりは毛頭なかった。

 逆にどうすればこのプラントを完全に沈黙させられるか、その方法を模索していた。

 実力行使はいい方法とは思えない。となれば行動を制限させるような命令を出すしかない。

 パイロは早速頭に浮かんだ案を管理AIに確認してみる。

「例えばの話なんだが、外部からの命令を完全に遮断することは出来るのか? いわゆる自閉モード的な……」

 外部との連絡を完全に断つことができれば、少なくとも北極のクロイデルプラントは海の底で静観を保ち続けるだろう。

 期待を込めていたパイロだったが、ガイノイドの答えは“ノー”だった。

「すみませんが、完全なる遮断はシステム的に不可能です。電子的な攻撃を受けた際や外敵の索敵から逃れるために通信機能をオフにすることはありますが、それでも常に緊急回線は繋がっています」

「緊急回線、というと?」

「軌道エレベータ内の専用端末と繋がっている回線です」

 言葉による説明が困難だと判断したようで、ガイノイドは視線を壁面のモニターへ向ける。すると、モニターに簡易的な図が表示された。

「内部離反または私的利用などの不正行為が露見した場合、または急を要する事案が発生した場合を想定し、ブレインメンバーには各々1度に限りクロイデルプラントに最優先コマンドを送る権限が付与されています。ちなみに此度の佐竹玲奈博士の命令もこの緊急回線によって送られた物です」

「そうだったのか。だから余計にややこしい事になってるんだな」

 現状、このプラントに命令を送ることが出来るのはブレインメンバーのみ。

 しかも玲奈はすでに命令権を行使しているので、今後新たな命令を送ることはできない。

 他のブレインメンバーもトキソのガスで強制的に眠らされているのでそもそも動くことすらできない。

 つまり、俺が何か特別な指示を出さずともこのプラントは海溝付近で待機状態を維持してくれるというわけだ。

 ――これにて一件落着である。

 もうここに用はない。人狩り用のクロイデルが生産されないとなれば、安心して大陸に残っている雑魚クロイデルユニットを潰して回れるというものだ。

 この吉報をみんなに知らせるべく、パイロは回れ右してメインメンテナンスルームを出て、来た道を戻っていく。

 唐突な退室に長髪のガイノイドは驚きの声を上げた。

「ちょっと西城様、西城隼様、どちらに行かれるのですか? お手洗いですか?」

「いや、このまま放置しといたほうが俺としては都合がいいから帰る。せっかく出迎えてくれたのに期待に添えなくてゴメンな」

「待ってくださいそれは困ります」

 パイロの予想外の回答に対し、ガイノイドも慌てて部屋から飛び出す。

「我々にとってDEED殲滅作戦は最優先事項(プライマリタスク)でして、一刻も早く実行に移さなければ兵器としての存在意義が失われてしま……あうッ」

 早口で説得の言葉を流暢に紡いでいたガイノイドだったが、いきなり喋るのを止めたかと思うとガンッという衝突音が通路に響いた。

 パイロは思わず振り返る。

 そこには両手を広げて床に突っ伏しているガイノイドの姿があった。

 どうやら転倒したらしい。

 結構な勢いで床に衝突したので壊れていないか心配である。

 パイロはうつ伏せ状態のガイノイドの頭部をコンコンと叩く。

「おーい、ジャイロセンサーでもイカれたのか?」

「どこにも異常はありませんし、気安く叩かないでいただけませんか」

 ガイノイドは首をもたげ、不服そうに弁明する。

「これはハード面の不具合です。ボディの成形が終わってからまだ30分しか経っていないので疑似筋肉アクチュエーターへの人工酵素触媒溶液の供給が不十分だっただけです」

 全く理解できないが、不具合には違いない。

 それにしても、あの超高性能な戦闘兵器を絶えず生産していたクロイデルプラントの統括管理AIが平坦な道で転けるとは情けない。

 これならまだ“引き止めるために演技で転んだ”と言われたほうがまだ納得できる。

 パイロは未だに立ち上げれないガイノイドの両脇に手を差し込むと、強引に持ち上げ自立させた。

 何か言いたげなガイノイドに対し、パイロははっきりと告げる。

「ここで俺が出来ることは何もない。引き止めるのは勝手だが、南極プラントと同じようになりたくないなら邪魔はするなよ」

 管理AIが人間である俺に攻撃してくるとは思えないが、規則を都合よく解釈して力ずくで捕縛されても困る。こんな深海で監禁されたらと思うと寒気がする。

 パイロは言い捨てると再び歩き始める。

 さっさと壁に穴を開けて強引に脱出したいところだが、そんな破壊行為を統括管理AIの目の前でやってしまえば敵対認定されるのがオチだ。

 なるべく刺激を与えないよう、入ってきた場所から出ていくのが礼儀というものだ。

 広域索敵で脱出地点を探りながら進んでいると、またしてもガイノイドの声が聞こえてきた。

「結論が出ましたので聞いていただいてもよろしいですか」

 彼女はパイロの隣を歩いており、かなりの至近距離からパイロの横顔を見上げていた。

 パイロは彼女の話を聞くつもりは全く無く、無視して歩きつづける。

 無視されて我慢ならなかったのか、ガイノイドはパイロを追い抜くと反転し、両手両足を大きく広げて進路を塞いだ。

 いわゆる通せんぼである。

 邪魔をするなと宣言しているにも関わらずこの態度だ。ゲイルも含め、玲奈が作ったAIは図々しい性格になるように設計されているのだろうか。

「……聞いてやるから退いてくれ」

「素直なのはいいことです」

 ガイノイドは満足げに頷き、通せんぼを解除して再びパイロの隣に移動する。

「では歩きながらお話いたしましょう」

「はいはい」

 外見は好みだが、中身は論外だ。

 こっちが手出しできないことを理解した上で邪魔しているようにも思える。

 ガイノイドはプラント統括管理AIとしての立場から、今後について話し始めた。

「隼様がエラーコマンドを削除してくださらないのなら、玲奈博士か他のブレインメンバーの皆様に直接お会いして、命令の訂正もしくは新しい命令を頂くまでです」

「直接会うって……その躯体(ボディ)で軌道エレベーターに行くつもりか?」

「はい、そのつもりです。通信ができればよかったのですが、緊急回線は飽くまで一方通行ですので、この人型インターフェースで会いに行くというわけです」

 ガイノイドは無表情な自分の顔、その両頬に人差し指をあてる。

「すでに一部権限を含む仮想人格プログラムはこのガイノイドの内部ストレージに移植済みですので、お出かけの準備は万端です。あと、移動手段としてこの躯体専用の飛行ユニットの製作も始まっています。5分後にはロールアウトする予定です」

「5分って……え?」

 怒涛の情報量にパイロは困惑の色を隠せなかった。

 このガイノイドが軌道エレベーターに出向くという主張は辛うじて理解できる。

 しかし、飛行ユニットという“兵装”を製造するという話は納得できなかった。

「ちょっと待て、製造ラインは停止してるんじゃなかったのか!?」

 パイロはガイノイドの左肩を掴み、強めに問い詰める。

 ガイノイドはパイロの手を振り払うでもなく、理路整然と質問に応じる。

「停止しているのはクロイデル製造ラインだけで通常の小規模工房は動いていますよ。このボディも“つい先程作られた”と説明したはずですが……もしかして隼様はお頭が悪いのですか?」

 予兆もなく浴びせられた挑発的なセリフにパイロは面食らうも、不思議と不快感はなく、逆に感心していた。

 パイロは「ははっ」と笑い、切り返す。

「ご自慢のデータベースで俺の知能指数や過去の学業成績を調べれば一目瞭然だろ。つーか、俺本人に直接確認しなければならないほどお前の解析能力って低いんだな」

「それは間違っています。先程の言葉は隼様のストレス値を上昇させるために言ったのであって、決して我々の処理能力が低いわけではありませ……ん」

 反論の途中でガイノイドは自らの思惑を吐露してしまったことを後悔したようで、尻すぼみになっていた。

 なぜわざと怒らせるようなセリフを言ったのか、パイロは言い当てる。

「俺に手を出させて排除対象に仕立て上げようとしてるんだろ。“敵対者を排除する”って大義名分が得られれば、あとは都合勝手の自己解釈でタスクの優先順位を変えたり、プラントを再稼働させたりやりたい放題だもんな。……あの玲奈が作ったのがよく理解できる性悪なAIだよ、全く」

 油断も隙もあったものではない。

 パイロの予想は的中しており、ガイノイドはぐうの音も出なかった。

 というより完全に固まっていた。

「今度はだんまりか?」

「……」

 ガイノイドから返答はない。リアクションすらなく微動だにしない。

 その深い赤の瞳はどこか遠くに向けられており、焦点も定まっていない。

 ――様子がおかしい。

 パイロは改めてガイノイドを透視で観察し、異常を探る。

 駆動系の故障だろうか、それとも一時的な処理落ちだろうか。

 様々な可能性を考えていたパイロだったが、すぐに原因は特定できた。

「動力が切れてやがる……」

 システムダウンとでも言えばいいのか、ガイノイドから電気的なシグナルを一切感じられなかった。

 人間に例えるなら心肺停止状態だ。

 プラント統括管理AIがこの体を捨てたと考えるのが自然だが、それにしては腑に落ちない。

 先程彼女は“このボディに権限の一部と仮想人格プログラムを移植した”と言っていた。それに加えて飛行ユニットまで作っていたのだ。

 これだけのリソースを割いた端末をあっさり捨てるなんて非効率にも程がある。

 捨てるにしても内部データの漏洩を防ぐために物理的に自壊、もしくは自爆くらいしそうなものだが……。

 動かぬ人形に成り果てたガイノイドを前にあれこれ考えていると、不意に彼女の瞳に光が戻った。

 体各所のアクチュエーターも静かに駆動音を響かせ始め、数秒後には本格的に活動を再開し始めた。

 目をパチクリさせているガイノイドに対し、パイロは声をかける。

「大丈夫かよ」

 ガイノイドはよたよたと後ずさりして壁に背を預けると、ずるずるとその場に座り込んだ。

 そして目を閉じ、淡々と報告し始めた。

「……ログを確認するに、ブレインメンバー近衛律葉より緊急コードを受理し、シナリオ5838に従ってプラントの各部門システムに再起動コマンドが送信されたのですが、その際に佐竹玲奈博士によってオーバーライドが実行されたようです。今現在もアクセス不可領域が広がっています。早急な現状把握が必要です」

 ガイノイドは口から発音せず、内部スピーカーから合成音声で報告していた。

 これは只事では無い。

 玲奈が何か良からぬことをやろうとしているのは間違いない。

 パイロは玲奈の目的を明らかにするためにも、ガイノイドに話しかける。

「今わかっている事だけでもいい、状況説明を頼む」

 パイロはそう言いながらテレキネシスでガイノイドを立たせる。

 ガイノイドはふらつきつつも両足で立ち、「ふう」と息をついた。

 そして今度は口から声を出す。

「細かい説明は省きますが、佐竹玲奈博士にシステム全体を掌握されました。おそらくは他のブレインメンバーの生体認証コードを使用してシステムリブートコードを送り、その際にバックドアを利用して強引にクロイデルプラントの全制御権を掌握したようです」

「要するにハッキングか」

「その解釈で概ね合っています。クロイデルプラントはその安全性を保つために我々統括管理AIを介してそれぞれの部門に命令が送られていましたが、今は佐竹玲奈博士が自己裁量で自由にクロイデルプラントを操作できる状態にあります。これは重大な規則違反であり、由々しき事態です」

 彼女の言う通り、まさに最悪な事態だ。

 説明を受けている間にもプラント全体から大小様々な駆動音が響き始めていた。

 今はまだ海溝に沈んでいるプラントだが、本格的に稼働し始めれば本当に掃討作戦が実行されてしまう。

「どうにかならないのか」

「どうにもなりません。私はもうシステムから完全に排除されました。管理AIのコアプログラムも既に削除済みでしょう。しかし、一部権限と仮想人格プログラムをこの躯体に移植していたのは不幸中の幸いでした。おかげでこの離反行為を西城様にお伝えすることができましたから」

 ガイノイドはパイロにお辞儀をし、別れを告げる。

「すぐに拠点防衛用クロイデルが動き出します。まずは逃げることをお勧めします。その後の対応は……お任せします。ご武運を」

 笑顔で手を振るガイノイドだったが、パイロはその見送りを素直に受け入れられなかった。

「任せるって……お前はこれからどうするつもりだ?」

「どうするも何も、物理的に消去されるのを待つだけです。もはや私はプラントを構成する部品ですらない異物ですから」

「はあ……」

 こいつがただの人形であることは重々理解している。

 既に本体のプログラムも消去され、ガイノイドに宿っているのは不完全なコピー、その一部のみである。

 それでも、こいつをここに捨て置くことに強い抵抗があった。

 真人ならばこんな状況でも自分の考えを信念を曲げることはないだろう。

 俺もそう在りたいし、そうせねばならない。

 格言にも“やらないで後悔するよりもやって後悔した方がいい”とある。

 パイロは彼女を助ける決意を固めた。

 自分で自分を納得させたパイロは、ガイノイドを無理やり抱き上げ、周囲に空気のバリアを張る。

「これは……何のつもりです?」

 戸惑うガイノイドに対し、パイロは自分の思いを伝える。

「俺は過去にクロイデルに何度も助けられた。例えそれが命令に准じての行動だったとしてもその事実は揺るがない。だから今度は俺がお前を助ける。……文句はないな?」

 恩には恩で報いるものだ。古今東西そう相場が決まっている。

 こじつけに等しい理由で救助を申し出たパイロに対し、ガイノイドはコクリと頷く。

「はい、そういうことでしたらご自由にお助けください」

 礼の一つでも返ってくるかと思いきや、真顔でこの返答である。

 ちょっと格好をつけたつもりだったので、こうドライな反応をされると小っ恥ずかしいし、テンションも下がる。

「……釈然としねえなあ」

 何はともあれ彼女は貴重な情報源であり、ここで失うには惜しい存在であることは間違いない。

 この決断に後悔はない。

 パイロは彼女を抱え直すと、遠慮なく真上に向けて熱線を放つ。

 超高温でプラズマ化した空気の柱は幾層もの壁や隔壁を瞬時に溶かし、外壁までぶち抜く。

 外壁を貫通すると大量の海水が内部に侵入し、警告音が鳴り響きはじめた。

(さっさと逃げるか)

 パイロは流れ込んでくる海水を空気のバリアで弾きつつ、早々にプラントから離脱することにした。


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