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塩鮭の戦士  作者: 藤本角
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【アリア】


 熊は気を失った。


「……あとで謝るわ」


 セリは戦闘態勢を解除した。


「チッ、頼りにならねえやつだ」ヂョーが吐き捨てた。「所詮あいつは人間さまの尻に挟まれないと役に立たねえ畜生なんだよ。おい、あの熊をここまで引きずってこい。もっぺん俺が尻に挟んでやるからよ」


 子分どもがうなずいた時だった。


 不意に歌が聞こえてきた。

 女の歌う歌だ。



   プレガ ペル キ アドランド ア テ シ プロストラ

   プレガ ペル ペカントール ペル リノセンテ……



「……なんだ? どこだ」


 ヂョーが不審げにあたりをキョロキョロと見回す。

 子分どもも同じだ。

 いや、そればかりか、校庭にいるおびただしい数の不良ども、そして動物たちまでもが周辺をキョロキョロ見回しはじめたのだ。


「……」


 セリも音の出どころを探るためあちこちに視線をやっている。

 どうやら空のほうから聞こえてくる。 

 どちからかといえば線の細い、祈るような、子守歌のような静かな響きだった。歌というよりささやきに近いかもしれない。静かなソプラノのアリアだった。



   エ ペル デボーレ オペレッソ エ ペル ポセンテ

   ミゼロ アンケッソ トゥア ピエタ ディモストラ……



 そのあまりの天上的な歌声に、思わず戦いの手を止めて誰もが耳を傾けないわけにはいかなかった。さながら自然の中の鳥の声でもあり、川のせせらぎでもあり、風の音でもあり、草のざわめきでもあり、それらをすべて飛び越えた宇宙的なものでもあった。

 さらにしつこく形容すると、崇高なものに触れたような、狂おしいまでに懐かしいような、妙に切ないような、よろこびのような哀しみのような、慈愛のような抱擁のような、無限のようなありとあらゆる意味において究極のような、手の届かないような、すぐ身近で見守られているような、特別なような普遍のような、浮遊するような昇華するような、ある意味では究極の歌声だった。



   プレガ ペル キ ソット ロルトランジォ ピエガ

   ラ フロンテ エ ソット ラ マルバージャ ソルテ……



 やがて、皆の視線は校舎の屋上の一点に集中した。


 ひとつの人影が、校庭を上から見下ろす位置に逆光を背にして浮かび上がっている。

 柵に向けられた椅子に座っているようだ。車椅子だろうか。地上からではよくわからない。歌っているのはその人物のようだった。シルエットになっているのでその姿がよく見えないが、逆光の中にひとり浮かぶのは華奢の女の子の影のようだった。可憐な天使の歌声は、シルエットとなっている女の子から発せられていた。



   ペル ノイ ペル ノイ トゥ プレガ プレガ

   センプレ エ ネローラ デラ モルテ ノストラ

   プレガ ペル ノイ ペル ノイ プレガ……



「兄貴……」


 その場に立ちつくしたまま、屋上を見つめているヂョーの顔を、モヒカンたちがうしろから覗き込んだ。

 ヂョーの頬にはいつのまにか涙がつたっていた。


「兄貴……」


「……クソ、なんで涙なんかが出てきやがるんだ」悪態をつきつつヂョーは涙を拭おうともしない。しかもその顔には幸せに満ちた微笑みまでが浮かんでいる。「親父……お袋……今まで迷惑かけてきて悪かったよ。俺は悪い息子だったもんな。でも……ようやくわかったよ、愛ってもんが……」


「兄貴……」


 しかしそんな子分たちもとっくに泣いていたのだった。


 みんな同じだった。




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