第五章:世界が終わらなかった後で
第五章:世界が終わらなかった後で
Alles Sichtbare haftet am Unsichtbaren – das Hörbare um Unhörbaren – das Fühlbare am Unfühlbaren. Villeicht das Denkbare am Undenkbaren -. 2120
Novalis „Traktat vom Licht“
すべてのみえるものはみえないものに、ぴったりとさわっている――きこえるものはきこえないものに――かんじられるものはかんじられないものに。おそらく、かんがえられるものは、かんがえられないものに――。
ノヴァーリス「光についての小冊子」
「二人は自殺したの?」
「いや、UFOに乗っていったのさ」
「それって、遠回しに自殺したって言っているの?」
「いや、それは違う。UFOに乗っていったというのが、何かを遠回しに言った言葉だとしても、その意味は『自殺した』じゃない。別の何かだ」
「じゃあ、どういう意味?」
「言葉通り、UFOに乗っていったという意味だけど、信じられない?」
「信じられない」
「じゃあ、言葉通りの意味じゃないとするなら」
「するなら?」
「言葉通りの意味じゃないとするなら、今の僕には、その言葉が、何を言っているのか、わからない。ごめんね」
綺麗子ちゃんが、ぷうっとふくれる。
「ねぇ、私はいいかもしれないけど、実際に二人の人が失踪してるんだよ? そんなのんきでいいわけ?」
「だって、これが事実なんだから、しょうがないじゃないか」
どんなに信じてもらえないことでも、それが真実であれば、どうしようもない。
そうだろう?
「警察の人とか、残された家族の人とかは、納得してくれたの?」
「精神科医やカウンセラーに診せられたね」
それを聞くと、一瞬、綺麗子ちゃんはぎょっとした。
だが、すぐに、納得の表情を浮かべる。
「そりゃそうだよね。ふつうはそうするよ。だれだって、精神病か何かを疑う」
僕も同意見だ。
三人の人間が、夜にオカルト研究会の合宿を行った。
そのうち、二人の人間が失踪した。
残りの一人が、UFOに連れていかれたという話をしている。
これは詐術か、そうでなければ頭の病気だ。
そう考えるのが、常識的な推論ってやつだろう。
「でもさあ、警察だったら、拓斗さんが犯人で、うその話をついてけむに巻いてるって考えるんじゃない?」
「まあ、そうだろうね。最初はそのつもりだったみたいなんだけど」
僕はそこで苦笑する。
「実際のところ、僕が取り調べられている間に、二人から手紙が来て、しかも筆跡も本人だったものだから、どうしようもなくってね。つまり、僕にはアリバイができちゃったわけ」
「なるほど」
僕が警察につかまっている間に、本人から手紙が届いたのだ。
消印とかはなかったみたいだけど、その事実は僕の潔白を、少なくとも間接的には証明する。
「まあ、もちろん、共犯者がいた、という可能性は残るし、その線の捜査もあったみたいだけど、どうもうまくいかなくてね。そんで、僕は自由の身ってわけさ」
「ふうん」
綺麗子ちゃんは、それでも納得していないようだ。
それもそうだろう。
UFOが存在するということを納得しないと、この話に納得することはできない。
そして、綺麗子ちゃんは、UFOを信じていない。
綺麗子ちゃんの部屋で、いつもの「デッサン」をせずに、僕は、例の事件について、綺麗子ちゃんに説明をしていた。
それは、綺麗子ちゃんを納得させるものではなかった。
だからといって、まるっきり否定できる話でもなかったのだが。
こういう、自分にとって、本当かどうかわからないものについて、綺麗子ちゃんは、どう対処するのだろうと、興味深く思う。
「ま、納得できないけど。それ以外の説明が、私にできるわけでもないし。そういうことにしておきましょうか。別に、信じたわけじゃないけれど」
綺麗子ちゃんは、ただ、正誤を保留したまま、僕の説明を、ただ、聞いた。
たぶん、何も解釈することなく。
こういう話を、僕がしたのだという、その事実だけをのみこんで。
「エポケーっていうらしいよ」
「は?」
「エポケー。古代ギリシア語で、判断停止、だったかな。本当かどうかわからないことに対して、判断を保留すること。いい言葉じゃない?」
「かもね」
クールに綺麗子ちゃんは言った。
判断を保留すること。
それは、決して悪いことじゃないと思うのだ。
たとえば、この世界がまだ終わっていないこと。
これは、この世界を終わらせるかどうかの決定を、僕たちが保留したせいなんじゃないかな?
考えすぎだろうか。
でも、考えてしまう。
もしかしたら、あのとき、「連れていってくれ」じゃなくて、「この世界を滅ぼしてくれ」と言っていたら。
もしかしたら、この世界は終わっていたんじゃないだろうか。
まあ、そういう考えを持ったやつのところには、未確認飛行物体は、やってこないのかもしれないけど。
「ね、しつもん」
かわいらしく、綺麗子ちゃんが言う。
「なあに?」
「体をかさねれば、イヤなこと、全部忘れられるのかな」
「急にどうしたのさ?」
僕は少々びっくりして、そう問いかける。
綺麗子ちゃんとの付き合いも慣れてきて、最近は、あまり驚くことも少なくなった。
ある一人の人間には、慣れることができるものと、慣れることができないものがある。
僕にとって、綺麗子ちゃんは、慣れることができる人だった。
それがたまらなくうれしい。
「別に。どうもしないよ。ただ、イライラっとしたときに、性欲を発散させることで、ストレス解消になるのかなって思ってさ」
「そうだなあ。理屈としては、合ってると思う」
しかし。
「でも、アルコールで嫌なことを発散するように、それは根本的な解決にはなってないんじゃないかなあ。嫌なことをだれかに相談したほうが、ずっと楽になれる気がするし、問題に立ち向かったほうが、ずっと楽なんじゃないだろうか。だって、我慢はつらいからね」
そう、我慢はつらい。
サンドバッグになるのはつらいのだ。
それよりは、立ち上がって戦ったほうが、まだましだ。
もっとも、僕は恐怖のあまり、なかなか戦えないのだが。
戦えないのなら、せめて逃げればいいのだけど、それもまた、僕はできなかった。
イオとみなみと一緒に、宇宙のかなたへ逃げることができなかったのだ。
「そっか。でも、それってつらいね」
「つらい?」
「人生がつらいときに、性欲が逃げ道にならないのはつらいよ」
「半分」
「え?」
「半分くらいは、逃げ道になるんじゃないかな。不完全な逃げ道。中途半端な逃げ道として。完全に嫌なことから逃げ出すことはできなくても、その日をなんとかごまかすことはできるんじゃない?」
「でも、それじゃあ根本的な解決にはなってない」
「そう、根本的な解決にはなってない。根本的な解決を求めるのなら、百パーセント逃げるか、百パーセント戦うかだ。だけど」
僕は、言葉を切る。
僕が、こんな偉そうな言葉を言えた義理だろうか?
そう思ったのだ。
「だけど?」
でも、綺麗子ちゃんが続きを待っている。
「うん、僕が偉そうなことを言えた義理じゃないんだけどね。常に根本的な解決策を取れるわけじゃないから、半分くらいの解決しかできないこともあるかもしれない。そういうときに、性欲は味方になってくれるかも」
「そうかな」
「たぶんね。もちろん、逃げることも戦うこともうまくできていない、僕がえらそうに言えた義理はないんだけどさ」
「中途半端、だね」
「そうだよ、かっこわるいだろ?」
「うん」
綺麗子ちゃんは、容赦ない。
「でも、なんだかほっとする」
「なんで?」
「大人でも、完璧じゃないって思えるから」
僕は大人じゃないよ。
それとも、大人に見えるのかな、小学生にとっては。
「すごく大きく見えるよ、大人に見える」
「そんなことないさ」
「そうなのかな」
「そうだよ。僕はただの高校生で――、ただ、椅子に座っているだけだ」
ふっと、突然に、僕は椅子のメタファーを思いつく。
あるいは、思い出す。
「椅子?」
椅子。
人生には、たくさんの、しかし限りある数の椅子が存在する、と仮定してほしい。
僕は、それに座ることができる。
しかし、僕がその椅子に座ることで、他のだれかは座ることができない。
逆に、僕がその椅子に座らないことで、他のだれかが、その椅子に座ることができる。
その椅子には、たぶん名前がついていて、「なんとか高校」だったり、「なんとか株式会社」だったり、「だれかさんの恋人」だったり、「だれかさんの敵」だったりする。
僕は、これが、競争社会や、資本主義社会に固有の現象だと思っていた。
ご存じのように、共産主義では、すべての人に仕事がある。
前近代社会では、仕事が分業化されていないので、決められた数の職業を奪い合う競争はおこりえない。
一方、資本主義社会では、受験競争や入社試験などによって、決められた数の椅子を取り合う椅子取りゲームが発生する。
僕は、この椅子取りゲームを破壊したいと思ってきたし、今でも思っている。
だって、そんなやり方じゃ、みんなで幸せになることはできないのだし、全員の幸福をはばむシステムは、もちろん邪悪だからである。
この椅子を、学生や会社人といった役職のメタファーとして解釈するなら、おそらく、僕の言っていることは正しい。
手に入れることができる仕事や社会的地位としての役職とは、資本主義社会に、というより、近代社会に特徴的なものだからだ。
分業化が進み、社会階層間の移動ができるようになった社会だからこそであり、椅子取りゲームは、このような社会だからこそ起こる。
社会階層が固定しておれば、椅子取りゲームは起こらない。
もちろん、社会階層というものがない、平等な社会であれば、なおさらだ。
しかし、もし仮に、この椅子が、可能性のメタファーであったなら、どうだろう。
その場合、椅子は、普遍的な存在として、存在してくるのではないだろうか。
たとえば、僕が聖人になりたかったとしよう。
そのとき、おそらく、夫としての僕は失われる。聖人は家族を作らないからだ。
仕事人間としての僕も。なぜならば、聖人は労働を破壊するから。
おじいちゃんとしての僕もいないかもしれない。なぜなら、場合によっては、聖人は早くに死んでしまうから。
何かを選ぶことは何かを選ばないことだ、という言葉を、僕はたくさん聞いたことがあって、もう聞きたくないのだが、それは事実なのだろう。
僕が高校生になったときに、僕がこの高校の学生という椅子に座ったときに、他のだれかが椅子に座ることはできなくなった。
そして、この世界が終わるまで、この椅子にその人たちが座ることはできない。
僕がこの椅子に座ったときに、僕は、その人たちと、ある種のつながりでむすびついたはずだ。
この椅子に座ることができなかったものと、この椅子に座ることができたものの間には、つながりが存在する。
可能性としては、僕がこの椅子に座っていない可能性だってあったのだ。
そういう意味で、僕は、顔も見たことのないだれかさんとつながっている。
でも、それは、本当によくあることじゃないか?
というよりも、普遍的なことじゃないんだろうか?
僕は、生まれる場所が違えば、あなただったかもしれない。
ある人たちの子として生まれる。
それは、ある一つの椅子に座ったということだ。
それとは別の人たちの子として生まれる。
それは、別の椅子に座ったということだ。
しかし、僕がその別の椅子に座っていたかもしれない。
そして、その別の椅子に座った人が、僕の椅子に座っていたのかも。
僕が選ばなかった可能性、選べなかった可能性を選んだ人が、この世界には、たくさんいる。
僕は、マグリブの海岸には住んでいない。
僕は、スカートをはいたことがない。
僕は、狩りをしたことがない。
僕は、スラムで生きるか死ぬかの生活はしていない。
僕は、虐待されたことがない。
僕は、恋人がいない。
しかし、僕は、別の椅子に座っていたかもしれない。
つまり、僕は、マグリブの海岸に住んでいたかもしれない。
つまり、僕は、スカートをはいていたかもしれない。
つまり、僕は、狩りをして暮らしていたかもしれない。
つまり、僕は、スラムで生きるか死ぬかの政亜k津をしていたかもしれない。
つまり、僕は、虐待されていたかもしえない。
つまり、僕は、恋人がいたかもしれない。
生まれた場所や時間が違えば、そうなっていたかもしれない。
違う椅子に座っていたかもしれない。
そうでしょう?
「そうだね」
「つまり、僕は綺麗子ちゃんだったかもしれないし、綺麗子ちゃんは僕だったかもしれない」
小首をかしげて、綺麗子ちゃんは、ころころと笑う。
「かもね」
綺麗子ちゃんは、一分間だけ考える。
無言で。
僕は、無言で、その時間を待つ。
「ねえ、でも、それって素敵なことじゃない?」
結論めいたものが出たのか、綺麗子ちゃんは顔をあげる。
「否定的な可能性で、私たちがつながっているなんて!」
「僕も、素敵なことだと思うよ」
綺麗子ちゃんが、ふいに僕の手をにぎる。
「つながっているね」
「うん、つながっている」
椅子の話は、アルフォンソ・リンギスの、「何も共有していない者たちの共同体」に、ほんの少しだけアイデアをもらっているかもしれない。
もっとも、僕はその本を読んだことがないのだが。
そして、結局、僕の言ったことは、すでに自分自身さえ昔に考えたことがあることで、もちろん、僕以外のほかのだれかがすでに考えていたことで、だからきっと、未来のだれかさんだって考えるだろうことなのだ。
それでも、僕は、あの話ができてよかったと思っているし、僕たちみんながつながっているのだと感じている。
ところで、イオとみなみは、帰ってきた。
二人が帰ってくる。
それは、ちょっとした驚きだった。
もしかしたら、もう帰ってこないと思っていたから。
でも、二人は、ただ帰ってきたわけじゃなかった。
記憶が、部分的に欠落していたのだ。
覚えているのは、自分たちが、UFOについていったことだけ。
これで、僕の証言が、裏付けられた形になる。
もちろん、僕たち以外の人たちは、本当にUFOが来たなんて思わなかった。
要するに、一種の集団幻覚として処理されたのだ。
それも、当然といえば当然であるが、どことなく悲しい。
自分の言ったことを信じてもらえないというのは、悲しいものだ。
だけど、二人が帰ってきたことは、純粋にうれしかった。
「しかし、本当に三人ともUFOのせいだって言ってるわけでしょ? うーん、もしかして本当にUFOが来たんじゃないかって思っちゃうよ」
綺麗子ちゃんの部屋。
二人が戻って来てから、数回目の家庭教師の授業。
その授業のあとで、やっぱり僕たちはデッサンをやめて、あの話をする。
ここのところ、ずっとそうなのだ。
でも、綺麗子ちゃんと話すのは楽しい。
知的な人間と話すのは、とても楽しい。
そして、知的な人間は、あまり年齢に関係がないらしい。
年をとっていても知的ではない人間はいるし、幼くても知的な人間はいる。
「そうそう、その通りなんだよ。本当に来たんだから」
「信じられないね」
実は、僕もあれからいろいろ考え直してみたのだ。
「いや、実はね。僕も、ちょっとだけ、信じられない部分だって、あるんだ」
「どういうこと?」
綺麗子ちゃんが、まゆをよせて、不審そうに聞く。
「みんなが、集団幻覚だの、嘘だの言うせいかもしれないけど、あれは本当に、夢なんじゃないかとさえ思う」
どんな経験であれ、それが本当に起こったことだと、完全に証明しきることはできない。
世界五分前仮説という、世界が五分前にできて、記憶などもそのとき作られたのだという仮説を、反証することはできない。
理論的に、そういうことは無理なのだ。
「これはだれしもがそうだと思うけどさ。自分しか知らない経験を、確実に自分がやったんだ、っていう証拠はある? 自分に確信があるとしても、客観的な証拠って、ない場合も多いんじゃない?」
それだけじゃない。
「たとえ、他の人も経験していたとしてだよ? その記憶が、ねつ造だったらどうする? もちろん、記憶を意図的にねつ造する技術は見つかっていないと思うけれど。理論的には、ありえない話ではないよね?」
「偽りの記憶を複数人が持っているという可能性?」
「そう、その可能性」
「まあ、確かに、ありえない話では、ないね。純粋に理論的な問題になっちゃうのかもしれないけど、理論的にはありえる話だよ」
「でしょ? そう考えていくとさ、なんかこう、もしかしてあれは夢だったのかも、そういう可能性もあるのかもな、なんて思えてくるよ」
「それ、本気で言ってるの?」
ちょっと疑わしそうに、綺麗子ちゃんは言った。
「懐疑的だなあ。まあ、二割くらいは本気だよ」
くすっ、と笑う。
「やっぱり信じてるんじゃない」
「客観的証拠よりも、主観的確信に基づいて動く男だぜ、僕は」
「非理性的ね」
「合理主義で世界が救えるものか」
「かもね」
でもさ、と、机をとんとん、と叩いて、綺麗子ちゃんは言う。
「私、なんだか、本当にUFOがいる気がしてきたよ」
僕はびっくりする。
「理性的に考えたなら、宇宙人みたいなだれかが、宇宙船みたいななにかに乗ってやってきて、人を連れ去っていく、なんてこともあるかもしれない」
確かに、論理的にその可能性は排除できない。
「理性的だね」
「合理主義で救われるものだってあるんだから」
もちろん、と、そのあとにすぐ続けるのを忘れない。
「別に、百パーセント信じたわけじゃないんだからね。わかってると思うけど」
「ああ、わかってるよ」
帰ってきたイオとみなみ。
僕たちの間に、二人がいなくなる前と後で、何か違いが起きたのか?
もしその答えを知りたい人がいるなら、その答えはいいえだ。
僕たちは、まだオカルトの練習をしている。
超常現象を引き起こそうとしているし、超能力を得ようとがんばっている。
そして、少々世界に絶望しているし、この世界を破壊したいと思っているし、この世界から逃げ出したいと思っているし、この世界を変えたいと思っている。
二人がいなくなったことで、世界に亀裂がはいった。
だから、今までよりも、世界を憎んでいないのかもしれない、僕は。
非日常は、日常的な憎悪を減少させるから。
あえて変わったところをいえば、それくらいだ。
あとは、バチェルダー式の念力の練習をしても、別に机が動かなくなったこと。
あの一回が、ちょっとしたまぐれだったのかもしれない。
今のところは、あの一回以外で、動いたのを見たことがない。
これは、もしかしたら、下降効果と呼ばれるものなのかも。
最初は発現しているように見える超能力、超常現象が、時間が経つにつれて減衰していくように思える現象だ。
でも、僕には、はっきりとはわからない。
そして、それはあまり大したことじゃない。
暗闇の中で、友だちと話すのは楽しい。
そのついでに、机がひとりでに動いてくれると、なお楽しい。
それだけのことだ。
「そろそろ、バチェルダー式の念力訓練から、他の超常現象に進んでもいいんじゃないかと思うんだが」
イオの言葉に、僕とみなみは、顔を見合わせる。
「僕は、そうしたいなら、そうすればいいって思うけど、どうだろう、もうちょっとやってみたい気もする」
「ぼくも同じ意見かな。でも、他の超常現象って、たとえば他には何がある?」
みなみは、帰ってきたあと、自分のことを「ぼく」と言うようになった。
みんなは、特に何も言わない。
ああいう事件があったあとだから、ちょっとぐらい変わったところがあるほうが自然だと考えているのかもしれない。
「そうだなあ。コックリさんとか?」
「あー、日本の超常現象か」
「個人的には、ダウジングなんてのも悪くないと、俺は思ってる」
「ぼくは、廃墟とか、幽霊屋敷を見てみたいなあ」
みなみ、意外と大胆だな。
僕はちょっと怖いぞ。
幽霊が怖いのもあるし、廃墟は、建築として安全な建物なのかどうか、疑問があるのだ。
もし何かあって崩れてきたらどうしようと思う。
「ま、イオが本気でやりたいんだったら、やってもいいけどね」
そう言いながら、僕は、軽く机を揺らす。
インチキの始まりだ。
最初はインチキで机を揺らしても、何度もやっているうちに、インチキなしでも机が動き、次第に本物にすり替わっていく、というのが、バチェルダー式のキモだ。
「うん、ぼくも廃墟に行ってみたいけど、お金もかかるし、最初はそういう手軽なのでいいかもね。コックリさん意外にも、ウィジャボードなんてのもあるらしいし」
ぐらぐらと机が揺れている。
ウィジャボードとは、西洋のコックリさんで、フランス語で「はい」を意味する「ウィ」と、ドイツ語で「はい」を意味する「ヤー」を組み合わせたものだ。
ヤーのスペルが、Jaであることから、ジャと発音されているが、ドイツ語での発音は、ヤーが正しい。
「俺としては、やっぱり、日本式でコックリさんをやってみたいねえ。なんか、浪漫があるじゃないか」
机が揺れている。
僕には、みんなの手元がよく見えなくて、触れているのかどうなのか、全然わからない。
だけど、少なくとも、僕は触れていない。
「僕は、でも、ちょっとUFOが気になるかな」
二人が黙ってしまったので、ちょっとだけ、暗闇にむかって、一人で語りかけているような気分になる。
「UFO、もう一度召喚してみたい気がする。だってさ。いったい、二人が何を見てきたのか、僕は知りたいんだ」
いろいろと警察や病院に行ったらしいし、それがようやくひと段落ついたあとで、もうこういう話はうんざりなのかもしれないけれど。
お土産話、なんてものがあるのなら、僕は聞いてみたいと思ったのだ。
この二人は、僕とは違ってかっこいい。
中途半端な僕とは違って、実際に船に乗り込んだのだ。
そのとき、ふんわりと、机が浮いた。
そういえば、バチェルダーの実験でも、机が浮いた報告はなされていたな、と思い出した。
机は高く高くあがっていって、三人の手から完全に離れていた。
「いいぜ。話を聞きたいんなら、俺たちが説明してやるよ」
「ぼくも、今、思い出した。聞きたいのなら、よろこんで話すよ」
僕は、少々、ぽかんとする。
二人は、何を言っているんだ?
何の話をしているんだ?
「おいおい、聞きたかったんだろ?」
「ぼくたちの話をさ。あのあと、二人だけで、空にあがっていったあとの話だよ」
「合宿の」
「みんなで召喚した」
ああ、そうか。
二人の記憶が戻ったのだ。
「やっと合点がいったみたいだな」
「なんでだろ、急に思い出したよ」
二人が、にっこり笑う。
「ああ、ああ、よろしく頼む。ぜひ聞きたい」
僕は答える。
でも、そのあとで、一人の女の子のことが、頭に浮かぶ。
「あのさ、実は、もう一人、話を聞かせたい女の子がいるんだけど――」
結局、その話は、イオとみなみから、僕と綺麗子ちゃんへ、伝えられることとなった。
その話が何だったのか、それはこの僕の物語には、関係のないことだ。
関係がある事実がもしあるとすれば、二人が行って、帰ってきたことと、僕が行けなかったこと。
そう、僕が、三人の中で僕だけが、うまくいけなかったことだ。
「どう思う?」
みなみの部屋で、僕は綺麗子ちゃんに問いかける。
いや、綺麗子ちゃんに向かって話をしてはいるが、イオとみなみにも、間接的に質問している。
僕は、あれでよかったんだろうか。
「拓斗さん、世界を滅ぼすとか言ってたみたいだけど、そんな感じじゃ、実際には、滅ぼせなかったんじゃないの?」
「そうかもね」
それがいいことなのかどうか、僕にはいまだに判断がつかないでいるのだが。
中途半端な野郎だなあって思う。
「俺が思うに、人はそれぞれ、物事に対処するやり方が違うし、それでいいんじゃないの」
「ぼくは、自分で選んだってことが大事なんだと思ってるけど、実際に、自分で選んだじゃないか。だから、十分じゃない?」
イオとみなみも、はげましてくれる。
二人は乗って行けたからそんなことが言えるんだよ、という卑屈な心も、ちょっとだけ顔を出す。
いかんいかん。
変な感情に惑わされるな。
「僕は、中途半端で、思うようにいろいろなことができないんじゃないかと思う。そのうえ、中途半端に極端で、世界のどこにも属していないような気がするよ」
でも。
「でも、三人に会えたのは、やっぱりうれしい」
たとえ完全につながっているわけじゃなくとも。
中途半端につながっているのだとしても。
僕はそれに、完璧に満足しているわけじゃなくて、部分的に満足しているのだ。
つまり、中途半端に満足している。
そして、それでいいのだ。
「ねえ、綺麗子ちゃん」
「なあに?」
僕たちは、非常に珍しいことだが、二人で歩いていた。
みなみの家から帰るのに、綺麗子ちゃんを送っているのだから、もしかしたら、こういう機会が、これから増えるのかもしれない。
それはともかく。
僕は、前々から聞きたかったことを聞こうと思っていた。
「綺麗子ちゃんってさ、曇り空が好きなんだよね?」
「うん? そうだよ。よく覚えてたね」
僕はなぜかしら、少し、気恥ずかしさを覚えた。
「僕も、同じだから」
「え?」
きょとん、とした顔をする。
「僕も、曇り空が、好きだから」
「おお」
ちょっとした感動を声ににじませて、綺麗子ちゃんは言う。
「ね、なんで好きなの?」
そっちの方から、まさか聞いてくれるとは。
「うん。なんかね、しんどいときに、優しく寄り添ってくれる感じがするから。しんどいときに、しんどいままで、優しく包み込んでくれる気がするからかな」
「そっかぁ」
わかったような、わからないような顔をしている。
「綺麗子ちゃんは?」
「え?」
「綺麗子ちゃんは、なんで曇り空が好きなの?」
ちょっとだけ、静かな時間。
「きれいだから。美しいから」
「え?」
こんどは、僕がえ?と言う番だった。
「きれいだから、曇り空。私は、曇り空を美しいと思う」
僕は曇り空を思い浮かべる。
どこだ?
「今まで、曇り空について、きれいだとかきれいじゃないとか、あまり考えたことがなかったけれど、どこがきれいなの?」
僕は、自分の心にちょっとだけ似ていると思う、あの空が好きだった。
でも、きれい?
美しい?
その発想は、なかったな。
「なんだか、いろいろな雲がぐるぐるしているでしょう? 面白い形じゃない? 全部灰色に見えるかもしれないけれど、色も微妙に違うの。白とも黒ともわけられない色が、世界を覆っていて、たまに雨が降ったり、裂け目から青空が覗いたりするの。それに、もこもこしている感じがするし、ふわふわしている感じもある。そうかと思えば、ずっしりした感じもあるし、何かが起こりそうな気さえする」
僕は、ちょっと圧倒されて、綺麗子ちゃんの話を聞いていた。
でも、本当の事をいえば、ちょっと感動していたんだ。
「でもね、今言ったことはすべて本当のことだけど、これが、曇り空を好きなすべての理由じゃないよ。言葉にできない理由だってあるの。言葉にできない感覚や、きっと考えられないような表現もあるんだ。だから、これがすべての理由だなんて思わないでね」
言葉や数字じゃ、すべては表現できないもんな。
そして、綺麗子ちゃんは、僕のほうを向いて、にっこり笑ってこう言った。
「でも、わかっていることがひとつだけ」
「私は曇り空が好き!」