表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

一、覚え無き物語

放課後前のホームルームは無秩序の極みだった。

友人同士でお喋りに講じる者や、黙々と携帯やゲームの操作に没頭する者。教室に存在する誰もが好き勝手自由気ままに行動し、そのざわめきが、教壇の上から精一杯ホームルームを進行しようとする教師の声を掻き消していた。


 くだらない。


後ろの席の一角で、ナンパ談義に花を咲かせるクラスメート達の声が耳に入るたびに、静名響児はそう思っていた。

高校一年にもなってホームルームさえ満足に受けられない。彼らが騒ぐ声は耳障りなノイズとなって、余計に響児の不快感を増幅させる。携帯で音楽でも聴いてたり、ゲームでもしていればこの不愉快な感覚は紛れるのかもしれないが、響児はそういった行動を取りはしなかった。

真面目だからというわけではない。ただ単にそうした行為で教師達に注意され、目をつけられるのがわずらわしいからだ。教師だけではない。誰とも関わらず、淡々と過ごしていく。それが響児の望むべき学校生活だった。

そうしている内に、終了を告げるチャイムが鳴り響いた。そして生徒達はチャイムが鳴り終わるかならないかの内に一斉に立ち上がり、壇上の教師の静止も聞かずに教室から各々散っていく。響児は不快音のオーケストラが終了した事に安堵したと同時に、席を立って他の生徒達に紛れて教室から出て行く。

「あ、ちょっと待ってよ! 静名くーん!」

校舎から出て、校門に向かう途中の中庭で、響児の耳に飛び込んで来た明るく間延びした声は、先ほどのホームルームを懸命に仕切ろうとしていた担任の女教師、三沢のものだった。

少し明るめに染めたポニーテールと陽気そうな笑顔が印象的な、まだ大学をでたばかりの国語教師で今年の春から担任を任されている彼女は響児に駆け寄ってきた。

「なんですか? オレ、もう帰りたいんですけど?」

「うん? 何か用事でもあるの?」

「いや……別に」

「だったらさ。ちょ~っと先生の話に付き合ってくれないかな?」

面倒くさそうな響児の言葉を全く気にしない三沢は、脇に挟んだ数枚の原稿用紙を響児の目の前に差し出しながら明るく言い放った。

「ねえ、文芸部入んない? 先生が顧問してるトコ」

「は?」

 唐突な三沢の言葉に響児はいぶかしげな表情を向ける。三沢はそんな彼を全く気にせず、手にした原稿用紙をめくりながら捲くし立ててくる。

「この間の授業で書いてもらった、静名君の小論文と読書感想文なんだけどさ、先生感心しちゃったのよね。読書感想文とかさ、この間の授業でやった『鏡の中の声を』が例題だったじゃない? みんなおざなりなのしか書かないけど、静名君は作中で主人公が語った心情以外にも、別の考え方を作者が伝えたかったって書いてたじゃない。面白い着眼点だよね。先生驚いちゃった。それに……」

「それが文芸部に入れってのとどう関係あるんですか?」

放っておけば何時までも喋っていそうな三沢の言葉を響児は遮った。早く下校したいという気持ちもあったし、何より響児は三沢が苦手、というより嫌いだった。

先程響児を存分に不快にさせた無秩序なホームルーム。その原因を作っているのは、他ならぬ三沢なのだ。

明るくて生徒にも親身に接して、そこそこ可愛い、童顔の新任女教師。三沢は本来ならば生徒達の人気を集める教師になれるはずだった。だが現状はホームルームでさえ満足に出来ない程生徒から軽く見られていた。というのも、彼女はことごとく抜けているのだ。

寝癖が直ってない箇所があるにも関わらず登校する。小テストの範囲は間違って生徒に伝え、その採点も幾つもミスをする。生徒達のノートを集めれば、廊下で転んで盛大にぶちまける等々……

少々ドジでも、明るく生徒に高圧的な態度でなければ、むしろ生徒から心配され人望を集める……なんて事は暢気で綺麗事だらけの空想の話だ。劣っている者が集団に居れば、疎ましがられて排斥される。

担任就任から二ヶ月ちょっと、梅雨が始まろうとしている六月頭で三沢は「三バカ」という苗字を捩った蔑称を襲名し、教師達のヒエラルキーの最下層へと陥った。だが、彼女はそんな生徒達の蔑みも気にせず、健気に頑張っている。響児を勧誘している行為もその一つだろう。

響児としてはそんな事より、ホームルームを静かに進行させる事に労力を使って欲しかった。

「文芸部ってね、本好きな子が集まって色んな本に色んな感想出し合うの。だから、静名君みたいな子が入れば面白くなるんじゃないかなーって、思ってね」

「別に……あれは適当に書いただけですよ。それが妙な風に先生には映ったんじゃないんじゃないですか? 大体オレ、国語の成績3ですよ」

なんとか自分を文芸部に引き入れようとする三沢の言葉を響児は、嫌々そうにあしらう。そんな彼に尚も三沢は説得を続けた。

「いやいや、そんな事ないよ。国語の成績とは関係無いよ。静名君の国語力は高いよ。きっと今まで沢山本読んでいたんだよね。あんな面白い観想が書けるんだもん」


――響くんって面白いお話の読み方するよね


三沢の言葉を聞いた瞬間、響児の脳裏に懐かしい声が再生された。懐かしく優しい声。だがそれは響児の心に安らぎを与えなかった。むしろ先程から三沢に感じていたうっとおしさに、ざわついた苛立ちを加えていった。そんな彼の胸中を知る由も無く、三沢は陽気な声を崩す事無く、言葉を続けた。

「それに小論文も凄いよ。構成力や表現力が段違いだし。文芸部の子達って本の感想は言い合うんだけど、創作にあまり熱心じゃないんだよね。だから……」

「だから何が言いた……」

苛立ちを懸命に抑えながら、響児は三沢の声を静止しようとした。だが、そんな彼をよそに三沢は陽気な声で言い放った。

「静名君、文芸部に入って小説書きなよ。君なら面白い小説が書けるよ」

三沢の声が耳に飛び込むと同時に、再び懐かしい声が響児の脳裏をよぎった。


――響くんの作るお話って、とても素敵ね


それが限界だった。自分の中に存在する苛立ちが憎悪に変わるのを確かめると、響児は最早それを隠す事無く三沢に向けた。

「小説なら昔書いていましたよ」

 腹の底から搾り出すような声でそう呟く。

「え? ホント? だったらちょうどいいじゃない!」

自分の望む展開にいたる返答が嬉しかったのか、三沢は響児の言葉の含まれている憎悪に全く気付いていない様だった。

「どんなの書いてたの? 誰かに読ませたりした?」

「小学校の頃。一人だけに読ませていました」

「で、で? 評判はどうだったの?」

「面白いって言ってくれましたよ。よく続きを催促されましたし」

三沢はそれを聞くと、手にした原稿用紙を小脇に抱え、空いた手で響児の手を握り締めた。「いいよ! すごくいい! 小説書くのって面白いんだよね。先生もさ、新人賞に応募する小説書いてるんだ。一生懸命書いてるとさ、その内登場人物達が勝手に動いて、セリフとか先生が考えないような物が飛び出してくるんだよね。ねえ今から部室行こ。そんで皆に……」

「昔書けたからって、今でも書けるとは限らないんじゃないっすか?」

「そんな事無いよ。現にこの小論文とかが……」

「先生がいい例じゃないですか」

 自分でも驚くほど冷淡な声を響児は発した。

「え? 何?」

今まで響児の悪意に気付かなかった、あるいは気付いていても平静を取り繕っていたのか、それまで陽気に響児を勧誘していた三沢の顔に明らかな戸惑いが浮かんだ。そんな彼女の様子にお構いなしに、響児は言葉の毒を放ち続ける。

「先生になる試験、教員採用試験って……難しいんですよね? 十人に一人ぐらいの合格率でしたっけ?」

「う、うん。そうだよ。そういえば大変だったな―先生就活と一緒にやってたから、もう大変で……」

「けど、その難しい試験に合格した。三沢先生って優秀だったんですね」

「ちょっと静名君。そんな事無いって。そんな事言われたら先生照れ……」

「けど今はホームルームすら満足に出来ない」

響児が発したその一言を聞いた瞬間、三沢は響児の言わんとしている事を理解したようだった。それまで絶やす事の無かった笑顔が嘘の様に消え失せ、変わりに安物の人形のような無機質さが彼女の顔を覆った。

そんな彼女を響児の毒は無慈悲に蝕んでゆく。

「昔は順調に受験や採用試験を乗り越えたエリートでも、今は、赴任三ヶ月目で生徒達からバカ呼ばわりされて舐められる落ちこぼれ教師。それと同じですよ。オレが昔面白い小説を書けたからって、今も書けるとは限らないじゃないですか? 人に見せたら笑われて馬鹿にされる。そんな先生みたいになるのがオチですよ。あ。オレを文芸部に誘うのも、せめて少ない人望をなんとかしたい、そんなとこですか?」

響児の醜悪な言葉に蝕まれた三沢の表情からは、完全に血の気が引いていた。唇は真っ青に染まり、ワナワナと振るえ、さっきまで明るく輝いていた瞳は輝きを失っていた。それでも尚教師の威厳を保つ為、それとも響児の言葉を否定したいが為か、三沢は気力を振り絞って言葉を続ける。

「そ、そんな事無いよ。ホラ、静名君いつも一人じゃない。文芸部で友達ができたらいいんじゃないかなぁって思って。やっぱ一年上だから、皆の輪に入りにくいのかもなあって思って……それに、お家から離れて一人暮らしだし、寂しいんじゃないかと思っ……」

響児との関係を修復しようとした試みた三沢の懸命の言葉は、響児の二つの忌々しいコンプレックスに火を付けた。そして、それは両者の関係を完全に破壊した。

「ほら。やっぱ点数稼ぎじゃないですか。自分の事も満足に出来ない人に余計な世話焼いて欲しくないです」

それが決定打だった。響児の言葉が終わらない内に三沢は彼に背を向けて駆け出して行く。響児は尚も躊躇なく無慈悲な言葉を彼女の背中に投げかけた。

「都合が悪くなると逃げるんですか?」

そこまで聞くと三沢は脚を止め、その場に座り込んだ。放課後の中庭には部活に向う生徒や帰宅する生徒達が幾人かいたが、肩を震わせて嗚咽を上げる三沢を嘲笑する者はいても、心配して他の教師を呼ぶものや、駆け寄って慰める生徒は誰一人として存在しなかった。

そんな彼女を見て何の感慨も沸かないのを確かめると、響児は校門に向かって歩き出した。

背後から聞こえてくる三沢の嗚咽は先程のホームルームの雑音よりうっとおしかった。


夕方の五時に差し掛かろうとする駅前のロータリーは、帰宅するサラリーマンや学生でにぎわっていた。響児はその一角にあるベンチに俯いて座り、先程三沢に投げかけた言葉を思い返して後悔していた。

三沢の真っ青な顔と、彼女に投げかけた悪意の塊の様な言葉を思い出すたびに、響児の額から汗が滴り落ちる。もっとも彼を苦しめている後悔の念は、三沢を傷つけてしまったという良心の呵責ではない。

先ほどの行動は生徒が教師に対してとる行動としては、完全に反抗的なものだ。三沢が他の教師に先程の事を泣いて訴えれば、響児は明日にでも教師達から叱責を受けるだろう。

(なんであんな事をやってしまったんだよ?)

そう自分に問いかける。薄々は気付いていた。それは三沢の放った言葉。

――君なら面白い小説が書けるよ

その言葉によって、小学生の頃小説を書いていたという事実を呼び起こされた。別に小説を書いていたという事実が不快だったわけではない。むしろ幸せな記憶だった。

しかしその幸せな思い出は、それと陸続きに起こった忌々しい事件も思い出させる。

それが原因で響児は一年留年し、さらには実家から車で数時間も離れた都内の高校に半ば追いやられる様に入学させられたのだ。

もっとも、実家から離れられた事は好都合だった。元々両親とは折り合いが悪かったし、地元も好きではなかった。

ただ、たった一人の自分の物語の『読者』と分かれるのが辛かった。

目を閉じてその『読者』がかけてくれた言葉を思い出す。


――響くんの作るお話って、とても素敵ね。  私とっても楽しみにしてるんだから


目を閉じれば眩しい笑顔が浮かび、優しく懐かしい声が聞こえてくる。その声に存分に浸るとゆっくりと目を開け、大きく深呼吸をする。

そして冷静に三沢との一件を検証する。そもそも三沢は生徒達だけでなく、教師達からも半ばバカにされているのだ。他の教師達に響児の事を伝えても、彼女自身の指導力や教師としての力量を咎められるのが関の山だ。

何も問題はない。また明日から誰とも関わらない、余計な衝突も喧騒も無い日々が続く。

そう結論を出すと、響児はベンチから立ち上がった。駅前のロータリーは相変わらず混雑しており、その雑踏を避けるように響児は自分のアパートへと家路を急いだ。

アパートへと帰る道に、響児は再開発から外れたシャッターの目立つ寂れた商店街を普段から選んでいた。雑音が少ないし、何より彼の苦手な人ごみから離れられる。

そんな人影もまばらな商店街を、二人の小学生の男女が駆け抜けていく。手には学校の図書室に置いてあるような、鮮やかな色彩の表紙の本を持っている。その光景は響児に再び懐かしい記憶を再生させた。


――他の人達なんかどうでもいいじゃない。響くんは私の大事な友達だよ


人通りの無い静かな商店街では、懐かしく優しい声が例えおぼろげな記憶でも、先ほどの雑音にまみれた学校や駅前よりは鮮明に思い出せた。

(そうだ。これでいい。)

もう元には戻らない思い出。忌々しい事件に繋がる記憶でも、響児の人生の中では幸福に包まれた、暖かな時間だったのだ。忘れかけたのなら、思い出せばいい。そうすれば、この無価値で怠惰な時間に耐える事が出来る。

そう思えば、先ほどの三沢への仕打ちに対する後悔も、つまらない日常を繰り返す苦痛からも逃げられた。それはつかの間の幸福になって、響児の硬い表情を幾分か和らげ、ほんの少しの微笑みをもたらした。その瞬間、

「楽しそうだねぇ?」

ふいに背後から軽快で気さくな声が響いた。顔から微笑を消し去ると、響児は声のした方へ振り返った。

そこには一人の男が立っていた。長い黒髪と派手なピアスに、六月だというのに両腕両足を覆うタキシードで身を包んでいる。一見するとホスト風。そんな軽薄な格好の男だった。

「なんだよ? いきなり」

三沢の時と同じく、精一杯の虚勢を張って響児は男を見た。そしてある事に気づいた。

男はとても美しい顔をしているのだ。ホストなんかの安っぽい顔ではない。まるで彫刻の様に整った、それでいて凛々しい顔立ち。

どこかの美術館の作品が意思を持って動いているかの様な、そんな印象を与える程、美麗な男だった。

そんな男を見て、一瞬響児は言葉を失う。そんな彼に男は尚も人懐っこそうな口調で語りかけた。

「楽しそうだねぇと思ってさ。おたく、ニヤついてたでしょ?」

「俺が楽しそうだと、あんたになんか関係あるのかよ?」

「大有りなんだよね。それがさ」

その声が届いた瞬間、響児の首が物凄い力で圧迫された。呼吸が満足にできなくなり、目の前が真っ白になる。そんな状況で再び男の声が響いた。

「人間が楽しそうだと、イラつくんだよね。なんかさ、脳味噌を掻き毟られるっていうか、心臓を鷲摑みされるっていうか、そんな感じで……とにかく不愉快なんだよ」

(何を言ってるんだ? コイツ?)

男の言っていてる事は何一つ理解できなかった。薄れゆく意識を懸命に保って、必死で目の前の男の姿を見た瞬間、響児は凍りついた。

男の美しい顔の左半分は何かで覆われていた。幾何学模様を思わせる灰色の。そして、異様なのは顔だけではない。響児の首を万力のような力で締め上げている左腕も明らかに異質な物。

タキシードの袖は無く、顔の左半分を覆っているのと同じ醜い模様が浮かび、響児の首を締め付けるのは昆虫を思わせる指が歪な長さで揃った掌だった。

(なんだよ? コイツは?)

全く理解が出来なかった。目の前の男が何なのか、何故自分が襲われるのか、何一つ分からずただ混乱する。そんな響児に男はあくまで親しげな口調で話しかける。

「ここじゃ他の人間が来るかもしれないし……場所移そうか?」

 その言葉が耳に届いた瞬間、響児の身体はありえない速さで放り出された。地面に着地したかと思うと、雑多なガラクタに何度も身体をぶつけながら転がっていく。全身を襲う痛みに苦しむ間もなく、コンクリートの壁らしき物に勢いよく激突し、響児の身体はやっと停止する事が出来た。

身体を打ち付ける痛みに耐えながら、鼻腔に入ってくる生ゴミの臭いを嗅ぐ事によって、自分が雑居ビルの隙間に放り込まれた事実を、響児はなんとか認識した。

ここから逃げないと。

とにかく、それしか思い浮かばなかった。激痛が襲う全身に必死で力を込め立ち上がろうとした瞬間「逃がさないよ」と再び男の声がすると同時に、首を凶悪な力でつかまれて響児の身体は宙に浮いた。

「人間痛めつけるのは久しぶりなんで、もうちょっと楽しみたいけど、さっさと用事を済ませとけ、って言われてるからさ」

相変わらずの親しげな声。苦痛に喘いでいる響児に対する罪悪感は感じられなかった。響児

は全身を覆う激痛と、首をつかまれ宙吊りにされている苦しさで、男の声を認識するのが精一

杯の状態だった。

「じゃあ行こう……」

男の言葉が途中で寸断されると同時に、響児の身体は宙吊りから開放され、コンクリートの

地面に落下した。そして再び襲う激痛に耐えながら響児の目に映っていたのは、この世の物と

は思えない醜悪な肉塊と、その向こうに立っている、陽光を思わせる金色の髪をたなびかせ、

真紅の装甲服を身に纏った、美しい少女の姿だった。


「それにしてもあなたが私達の『創造主』? 貧相な顔ね……」

そう言って少女が響児を見る目は、何処と無く冷めたものだった。だが、自分の一張羅の顔を貧相と呼ばれた憤りも、少女の視線に対するイラつきも響児の心には起きなかった。

あるのは只一つの疑問。俺が創造した物語?

少女の放った幾つもの言葉の中から、一つを選び考える。心当たりは一つしかない。


――響くんってお話が書けるんだ。凄いのね


先ほどから何度も思い出していた懐かしい声が頭に響く。そう。響児は一つの物語を書いた。

一冊のノートに書かれた、たった一人の『読者』しかいない、小さな物語。

そして眼前の少女の言葉によれば少女も醜悪な化け物も、響児の書いた物語の登場人物だという。

「えっと……君やこの化け物は俺が書いた物語の登場人物で……じゃあ何? 俺の物語の中から抜け出して来たって……わけ?」

自分の口に出してみて、改めて自分が置かれている状況の奇妙さを実感した。ありえない。あまりにも現実から飛躍しすぎている。そもそもどうやったらそんな状況が出来る? 夢か

幻か、精神に異常をきたしたか。この三つでしかこんな体験できない。

だが、全身を走る痛みと、喉を支配する息苦しさが夢や幻を否定していたし、病院の類にやっかいになった覚えも急にそうなる前兆にも心当たりは無かった。ならば今の状況は現実ということになる。

そうやって賢明に思考する響児に、じれったそうに少女が語りかける。

「ええ。そうなるわ」

響児はその目を覗き込んで見る。その美しい色は相変わらず現実離れしているが、目つきは

真摯なもので、嘘を言っている様子はなかった。その瞳を見つめ、少女の言葉を反芻し、今ま

での状況を冷静に分析し、響児は一つの答えを導き出した。

「ドッキリだろ? コレ」

そうだ。あるわけがない。こんな事はありえない。バラエティ番組か何かの手の込んだ企画だ。ドッキリだ。響児はそう結論付け、そしてそれを裏付けるべく一気に捲くし立てる。

「いや、なんつーかさ、手ぇ込んでるよな。最近のドッキリも特撮も。ほらこの手の番組って三流芸人だとか、売れないグラビアアイドルだとかが出るじゃん。けど君みたいな綺麗なアイドル使うんだから、相当金も掛かってるんだろうな。だけど普通エキストラにこんな手荒な事しない……あ。ってことはさ。治療費はもちろん、出演料だってかなりの額が出るん……」

「あなた……これが現実だって理解できてないのね」

 自分に起こっている状況を虚構だと決めつける響児の言葉を遮り、少女は呆れた様な眼差しを響児に向けた。

「特撮だのドッキリだのって言葉の意味、私には分からないけど、要するに私があなたを騙してる、そう言いたいんだ。呆れた。いくら世界が違うからといっても、ここまで痛めつけられればそれなりに理解出来そうなものなのに」

そこまで捲くし立てると、少女は軽くタメ息を付いた。そして響児に覆いかぶさるようにしていた身体をどけると、自分の背後を指差した。

「疑うならもう一度確かめてみたら? そろそろ動き出すわよ」

少女の指差した先では、件の肉塊が相変わらずピクピクと蠢いていたかに見えた。だが両断されたそれは確実に、ゆっくりとだがその動きを大きくしていた。

「ま、まだ動いて……」

響児が怯えた声を上げた瞬間、肉塊はバネ仕掛けの玩具の様に勢いよく跳ね上がった。そして、奇妙にねじれた動きで響児と少女の方へと身体を向けながら立ち上がる。その姿を見て、またしても響児は驚愕する。化け物の両断されたはずの胴体は少し歪だが、醜く爛れた傷口を残しながらも再び一つになっていた。

もはや響児に疑うという選択肢は無い。テレビの作り物などでは決してない、明らかにこの世界に有るべきではない存在。それが目の前の化け物だと信じるをえなかった。

「しぶといのね」

怯える響児とは対象的に、瀕死の害虫でも見るかのように淡々と喋っていた。そしてそれとは対照的に化け物は激情に駆られた言葉を発する。

「テメェ、いきなり後ろからかよ。あともう少しで『創造主』を……」

 そんな化け物の言葉を無視して、少女は何者かに向って語りかけた。

「お願い。もう一働きして頂戴」

 その瞬間、響児の眼前に頭上から何か巨大な影が振って来る。それはまたしても彼の常識の範疇に収まらない特異な存在だった。

 全身にボロボロの黒い布を纏った、3mはあろうかという巨大な人の形をした何か。いや、

人の形というのは不適切だった。

両足は無く、人型の均衡を欠いた巨大な両腕を持ち、宙にいている。人の形をしていないのだ。特異なのはそれだけではなかった。ボロボロの布から見える頭部や身体や腕にはぎっしりと歯車やワイヤーが詰まっている。それも機械のように理路整然というわけではない。ただ無造作に詰め込まれている。そう言った方が正しかった。

ガラクタで作った歪な機械人形。それが響児の前に現れた新たな脅威を現すべき言葉だった。

「ま、また増えたのか?」

「味方よ。あんな醜い『歪』なんかと一緒にしないで」

奇妙な機械人形に怯える響児に少女はそう説明した。その言葉を裏付けるべく、化け物、先ほどの少女の言葉によると『歪』というらしきそれは、機械人形に向って怒号を飛ばした。

「『巫女の人形』かよ……不意打ちするってことは、よっぽど俺が怖かったのかよ? ああ?」

怒りと挑発が混ざった『歪』の言葉に対して、機械人形は何も答えなかった。只宙に浮か

び、少女と響児を背にしている。まるで二人を守るかのように。そして、機械人形の代わりに少女が嘲笑じみた口調で『歪』に答える。

「何? 正々堂々とでも言いたいわけ? 『歪』のクセに」

少女の笑みには『歪』を恐れている様子は全く無い。むしろ『歪』に対する嘲笑すら感じられた。

「何が言いたいんだ? あぁ?」

少女の言葉に刺激されるかの様に、『歪み』の言葉は苛立ちを含ませていく。

「飲み込みが悪いわね。ちょっと後ろから切られたぐらいで、そんなに怒るのが馬鹿らしいっ

て事よ。いい機会だから教えてあげましょうか? どんな理不尽な仕打ちを受けても、あなた

には苦しんだり怒ったりする権利なんて無いの。だって……」

その瞬間、響児は見た。美しい少女が『歪』をさらに貶めるために、今まで見た事の無い

凄惨な微笑みを浮かべ、ほの赤い唇から呪いの言葉を吐くのを。

「『歪』この世で最も愚かで醜い存在なんだから」

響児は戦慄した。状況から鑑みるに、少女と機械人形が『歪み』に襲われている自分を助け

てくれた、おそらく機械人形が『歪』を切り裂いたのだろう。そうなれば少女達は響児の味方、という事にはなる。

だが先ほど自分が三沢に向けたのとは、比べ物にならない程の悪意を放つ少女を、響児は素直に味方だとは思えなかった。

そして少女の言葉に衝撃を受けたのは響児だけではなかった。その存在を侮辱された『歪』も同様だった。耳を劈くかのような絶叫を上げると、何かが破裂する様な激しい音を立てながら、響児達目掛けて跳躍する。その刹那、工具箱をひっくり返した様な激しい金属音が鳴り響いた。

怒涛のごとく押し寄せる、非現実の連続に感覚が麻痺したのか、響児は目をつぶることが出

来ず、眼前の光景が嫌でも目に入った。

自分の首を締め上げていた『歪』の左腕は、いつの間にか歪な弧で描かれた巨大な鋏状に変わり、機械人形の頭部と思われる部分の少し左に食い込んでいる。破壊はそれだけでは終わ

らなかった。食い込んだ左腕は耳障りな金属音を立てながら機械人形を縦に切断していく。そ

して機械人形の腰らしき箇所まで食い込むとその動きを止めた。

その『歪』の破壊に対して、機械人形は全く対抗できなかった。小刻みに痙攣したかと思うと、『歪』の左腕で切断された箇所、左半身がだらりと垂れていき、やがて宙に浮いたまま動きを停止した。そして残骸となった機械人形の上で『歪』が歓喜の声を上げる。

「なんだよ! 全然たいしたことねぇじゃねえか! ハハッ、やっぱ俺に敵わないから後ろか

らってか?」

勝ち誇った口調の歪みに対して、少女は何も答えなかった。代わりに『歪』はさらに饒舌になっていく。

「なんだ? 観念したってか? そうだよなぁ。他の手下もいないみたいだしな。ハハ、ツイてるぜ。『創造主』と一緒に『巫女』まで手に入れれば、俺は……」

その瞬間、機械人形が先ほどの『歪』と同じ様に、弾かれたような動きで、左右に裂かれた身体を元に戻した。

「なっ」

『歪』が気付いた時には手遅れだった。彼は裂かれた機械人形の身体が元に戻ろうとするその動きに巻き込まれ、もはや声と言えぬ様な絶叫を響かせた。

「もう貴方をからかうのも飽きたわ」

少女の言葉と同時に機械人形にも異変が起こっていた。かすかにだが、キリキリと機械の作動音の様な物がその身体の各所から聞こえだしたのだ。そして身体の各所に無造作に詰め込まれた機械部品たちがゆっくりと動き出す。

『歪』が機械人形に切りかかる一連の動きが激しさに付いていけず、止まっていた響児の思考は、両者が動きを止めた事で息を吹き返し、再び動き出した。そしてそれが目の前の光景

の答えを出す前に、『歪』の悲痛な叫びが響いた。

「お、おいまさか? 嘘だよな? やめ……」

そこで響児はやっと理解できた。機械人形の体中に詰め込まれている、機械や金属部品が動

きだす。ということは、その中に閉じ込められている『歪』は……

これから起こる凄惨な光景を想像し、響児は思わず目をつぶる。そして耳を塞ごうとしたが、

手遅れだった。

まるで巨大なスクラップ工場の真っ只中に放り込まれたこのような錯覚を起こす、凄まじい

金属音が響く。微かに『歪』の断末魔の声らしきものが聞こえたが、それもすぐに消え、代わりに骨が砕ける無機質な音と、肉が裂かれる生々しい音が金属音と同時に響いた。

やがて、破壊のオーケストラはゆっくりとその演奏を静めていった。そして、響児は恐る恐

る目を開く。

思ったより残酷な光景ではなかった。辺りには『歪』だったと思われる肉片が散らばって

はいたが、どれも2、3センチ程度の大きさまで切り刻まれているため、それこそ肉屋で売っ

ている牛や豚の肉と判別が付かなかった。もしも肉片が臓物や脳と言った生理的嫌悪感を及ぼす箇所と判別出来る大きさだったら、響児は嘔吐していただろう。

一方、雑多な機械部品で作られた自身の身体で、『歪』を肉片へと変えた機械人形は、その代償として全身を『歪』の血で濡らしながら、先ほどの動きが嘘のように静かに浮かんでいた。

『歪』と機械人形、両者の現状を確認すると響児はこの場に居合わせている最後の一人、即ち、『歪』に『巫女』と呼ばれ、響児が書いた物語の登場人物だと言い張る金髪の少女に目を向ける。

多少の血、おそらく『歪』のものと思われるものが付着している真紅の走行服を身に纏った少女の横顔には、先ほどの『歪』に対する嘲笑は無かった。

例えるなら、空虚とでも言うべきか。響児の目にはその様に映った。

「空しいわね」

響児の推論を裏付けるかのように、少女はぼそりと呟いた。

「『歪』を、私たちが最も憎むべき存在を殺したのに、全然嬉しくない。ただ空しいだけ」

そこまで言うと、少女は響児を見据えて言い放った。

「あなたなら……分るのかしら?」

「な、そんな、分るわけ……」

とっさの少女の問いに響児は口ごもった。そんな響児を少女は小馬鹿にしたような目で見つめている。

その視線が響児の無駄に高いプライドを刺激した。精一杯の虚勢を張って反論する。

「なんだよ、その目は? 大体空しいってなんだよ? 君はさっきあの化け物……『歪』だかなんだかを倒す時に笑ってたじゃないか。そんな事しておいて空しいだって? 何都合のいい事をさ……」

「『歪』を殺す時に笑うのは……そんなにいけないこと?」

響児とは対象的に少女の冷めた言葉が張りぼての反論を遮る。そしてゆっくりと言葉を紡いでいく。

「それにとっての喜びは人間の苦痛」

ゾクリとするような少女の冷徹な声が響く。

「それにとっての音楽は人間の悲鳴」

少女がなおも続ける言葉に、響児は言いようの無い感覚を覚える。そして少女の言葉は続く。

「それにとっての馳走は人間の死肉」

ああ、そうか。

少女の言葉が放たれるたびに、自分の中の言いようの無い感覚が少しずつ払拭されていくのを響児は感じていた。

「それにとっての希望は人間の絶望、それは『歪』。人の安寧を脅かすもの」

その言葉でをの覆っていた感覚の正体が分った。少女が紡ぐ呪いの言葉に響児は既視感を覚えていたのだ。なぜなら、

「それ……俺が書いた事だ……」

ぽつりと呟いた響児は完全に思い出していた。自分が書いた物語で、ただひたすらに人間を苦しめる邪悪で醜悪な存在、『歪』を物語の中で創造した事を。

「そう。『歪』はあなたが創造した」

そう言うと少女はビルの壁にもたれかかっている響児に近づくと、さらに年に相応しくない美しさと険しい表情の顔を響児に近づける。

「私達の世界では『歪』によって、数え切れないぐらいの人達が玩具のように命を扱われて死んでいった。そんな『歪』を殺す時に、苦しむのを見て笑ったってバチは当たらない……それにね。そんな地獄の様な世界の『創造主』は……あなたなのよ」

少女は一気に捲くし立てると響児から離れ、再び立ち上がり彼を見下ろした。

少女の迫力に気圧されて混乱した思考の中で、響児は賢明に物語の記憶を探る。認めたくなかった。自分が少女の言う様な地獄の様な世界の物語を創造した事を。

そうしてそれを否定する為、一つの言葉にたどり着いた。物語の唯一の読者の言葉に。


――響くんのお話大好きよ。だってこんなに優しい物語だもの。


「違う! あいつは、俺の物語を読んでくれたあの娘は、優しい物語だって言ってくれ……」

「けど私が物心付いた時から世界は地獄だった!」

響児の賢明の反論も少女の怒号に掻き消された。

「いい加減認めたらどう? あなたは私達の世界を創造した。あなたにとってはただ自分が書いた物語だったとしても、私達にとっては生きるべき世界なのよ。例えそこが地獄でもね」

最早少女の言葉は憎悪に近かった。その激しい感情を直視するのが辛くて、響児は少女以外の物に目を向ける。

何一つ原型を留めていない、『歪』の肉塊。そして『歪』を無慈悲に肉塊にし、目とおぼしき虚ろな空洞で響児を見つめる機械人形。どれも響児をこの狂った現実から開放してくれなかった。

そして再び少女に目を向ける。

「だけど、私達の世界を救う方法が一つだけある。そう、あなたが書いた物語……」

「止めろ! もう沢山だ!」

思わず響児は叫んだ。

「もうこれ以上……」

アイツとの思い出を汚さないでくれ。

その願いも空しく、少女の言葉は響児の思い出にとどめをさした。


「『創造のルアンレーネ』をあなたが修正する事によってね」


それが限界だった。

『創造のルアンレーネ』。それは物語の題名であり、響児が『読者』と過ごした幸せな時間を象徴するべき言葉でもあった。

だがその物語に生きる人々、眼前の少女にとっては、自分の創造した『歪』によって人々が無残に殺される地獄の様な世界。

それを認識した瞬間、読者と一緒に物語を通して過ごした暖かで大切な思い出が汚される様な感覚を響児は感じた。

「違う。俺とアイツの物語は地獄なんかじゃ……」

賢明に読者との暖かな思い出を、読者がかけてくれた言葉を思い出そうとする。

だが、いくら考えても何も思い出せなかった。変わりに再生されるのは、醜悪な『歪み』と機械人形の凄惨な戦い。そして、少女が自分に向ける憎悪の眼差し。

それらはまるで底なし沼の様に響児の意識を飲み込んでいく。それでも響児は賢明に記憶を探す。『創造のルアンレーネ』が地獄の世界で無いと言うことを証明する記憶を。

だが、いくらもがいてもそんな記憶は見つからなかった。

そうしている内に、立て続けに起こった非現実の連続で疲弊しきった響児の精神は、徐々に混濁していき、満足に思考できなくなっていった。

(俺の、俺とアイツの物語は……)

それを最後に、響児の意識は完全に途絶えたのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ