1話
一人旅の途中、山中で夜を明かすことになってしまった。
路銀が尽きたわけではない。
思った以上に山の道のりが険しく、時間を食ってしまったのだ。
次に着くはずの村まで地図を見るに、あと2,3時間かかる。
辺りは真っ暗。
進むのは危険だと判断し、一眠りすると決めた。
夜中、月の光を助けに眠れそうな場所を探した。
幸いにも丁度いい大きさの石をすぐに見つけることができた。それに寄りかかり、護身用の山刀を手に持って微睡んだ。
思っていたよりも疲労がたまっていたようで、すぐに深い眠りへ落ちることができた。
いつもは寝つきが悪いのに、よほど疲れていたということなのか、寄りかかってからの記憶はほとんどない。
体感的にはすぐのこと。意識がはっきりすると薄く目を開けた。まぶしいほどの朝日は感じない。どうやら曇りのようだ。昨日よりは歩きやすいはずだと少し安堵した。
それからふと顔を上げた。
一瞬。死んだのかと思った。それはもちろん自分が、だ。
狐に化かされているのか、夢でも見ているのかと思うほど美しい人がそこに居た。ただしそれは人間的な美しさではない。
ぞっとした。
こんな山奥に人がいることや、その人の格好があまり見ないものだったというのもある。襦袢に緋色の袴。所謂巫女装束というものを着ていた。がそれはたいした問題じゃない。
何よりも先に、眼。
彼女の目を見た途端に、言いようのない悪寒が背筋に走った。しかしすぐに目を離すことは不可能だった。
紅玉よりもなお赤く光る、透き通った赤い瞳。それが眼孔に埋まっている。
美しかった。しかし本来そこにあるべきものではない気がして奇妙な感覚を覚えた。
それらを長く見つめることはできなかった。
吸い込まれそうなほどに美しいのに、見れば見るほどなぜだか厭な気分になっていく。
それに加えて老婆のように、しかし艶のある鮮やかな白髪。それを腰の辺りまで伸ばしていたのだ。
「…鬼」
気がつけば口から零れ落ちていた。
聞いていた鬼の姿とはだいぶ違う。鬼とは人の二倍近くの身体をもち、顔面は真っ赤に染まっている、と。
そんなイメージから連想されるには遠すぎる容姿だったが無意識のうちに言葉が出てしまったのだ。
その言葉は聞こえていなかったのか少女は私の目を見つめて聞いてきた。
「あなた、どこから来たんですか?」
その言葉に私は固まってしまって何も答えられなかった。
不思議な赤い目と目があったからじゃない。
少女の顔は私が顔をあげて見たときからずっと無表情だった。
その無表情のままたった一言、見ず知らずの旅人である私に尋ねただけのはずだ。
それなのに彼女の声は震え、かすれていた。何かにすがるようなその声をこんなに美しく神秘的な少女が発した。それだけで動揺してしまったのだ。
少女も自分の発した声に驚いたらしく、思わず口を、次にのどを押さえた。
そして一度ぎこちない笑顔になり、泣き顔に変わった。
「……う、……なん、で?」
必死に顔を隠し涙を袖でぬぐう少女に慌てて声をかけた。
「ど、どうしたの?大丈夫?」
自分では落ち着いていたつもりだがやはり動揺していたようで少しどもってしまう。
「だ、いじょ、うぶ、平気、です。……う、すみま、せん」
必死に泣きじゃくりながら言う様子はまったく平気そうに見えるわけもない。
傍から見ると奇怪な風景だっただろう。
山奥の道でうろたえる旅人らしき男に泣きじゃくる美しい巫女装束の少女。
この状況を見られたのなら半日を使ってでも誤解を解ける気がしない。
幸運だったのはよほど人の通らない道を歩いていたらしく、ほかに通行人はいなかったということだ。
まあ少女が泣き止むまでの半時ほど生きた心地はしなかったが。
「落ち着いた?」
「はい、本当にすいません……」
今は寝るときに使った石に彼女を座らせて、私は立った状態で話している。最初と間逆の立ち位置だった。