風と翼
目を閉じて、自分の背に翼が出来る所を想像する。
肩甲骨の間の辺りから、大きく長くS字を描くように鳥のように羽毛に覆われた翼が広がっていく。ゆっくりと羽ばたけば風が巻き起こり、私の髪を揺らす。
実際に翼が生えるなんて事ありえやしないって知ってても、私は目を閉じて想像する。
翼の色はどんな色がいいだろうか。隼の様な灰色、白鳥みたいな純白、メジロやケツァールのような黄緑系の羽もいいかもしれない。カワセミの様に碧く輝く羽もいいだろう。鷹の様に茶色の羽や烏の様に黒い羽もシックで素敵だ。インコやオウムの様に鮮やかで派手な色も嫌いじゃないが、あまり派手な色は私の趣味じゃない。
猛禽類の様に力強い翼がいい。しっかりと風を捉えて、優雅に空を舞う翼だ。あまりせわしなく動くのは好みじゃない。体力、ないし。大きく長い翼がいい。広げれば私の背より長い位で丁度いいだろうか。風切り羽根が私の腕より長くてもいいかもしれない。腕というか、肘より先?まぁ、細かい事はどうでもいい。大きな翼だ。
瞼の裏に描きだした光景。柔らかい黄緑色の羽毛に覆われた翼。大きく羽を広げれば、風を受けて飛んで行ける。
ふと、風を感じて私は目を開く。そこにはいつもと変わらない、つまらない風景。空を飛べたら、何かが何かが変わるだろうか。…変わるかもしれない。変わらないかもしれない。いずれにせよ、今の私に空を飛ぶ事なんて出来やしないのだ。私には翼はない。幾ら想像したって、実際に羽が生えてきたりはしない。
目の前のフェンスを掴む。私と空を隔てる壁。私を宙から遠ざける壁。よじ登ったって私にはこれを乗り越える勇気なんてない。ただ、より高い場所の方が、風を感じられる気がした。
翼を大きく広げて、風に乗るのだ。風に乗って、あの空の向こうまで飛んで行くのだ。ゆっくりと羽ばたいて、ゆっくりと風の向くままに飛ぶのだ。空を飛べれば、風をもっと感じられる。翼で、腕で、体で、風を受けるのだ。それは何だかとても魅力的な事に思われた。
見下ろせば、米粒の様になった街と人々。風が私の髪を揺らす。
このまま、此処から宙へと踏み出せば、楽になれるだろうか?
暗い考えが頭をもたげる。空を飛べない私が宙へと踏み出せば、待ち受けるのは冷たい地面だけだ。その先に安息があるのかはわからない。確かなのは、それは、世間で言われる"死"というものに足を踏み入れる行為だという事。"生きる"事にさりとて執着があるわけではない。"死"に興味がないわけではない。だが、"死"とは片道切符だ。一度選べば、もう引き返せない。
風がびゅう、と吹き抜ける。私をフェンスの内に押し戻す様に。
まだまだ生きていろ、と、まだまだ死を選ぶのは早いと、風に言われた気がした。
私はフェンスから下りて、もう一度だけ振り返る。風が私の前髪を揺らす。そしてまた、私は今日もこの場所を後にする。静かな風に見送られながら。それでもきっと私はまたこの場所に戻ってくるだろう。
宙に、一番近い、この場所に。