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小説

徹夜おどりの夏

作者: 鳴神楓
掲載日:2026/08/11

お盆ですね。


 何かやらなきゃいけない。

 そんな焦りがあった。


 高2の夏休み。

 部活には入っていないしアルバイトも禁止されているので、塾の夏期講習へ行き、たまに友達と遊んで、家で宿題をしたりマンガを読んだりするだけで毎日が過ぎていく。


 このままじゃいけないような気がして、でも具体的に何をすればいいのかわからなくて、ずっと胸の奥にもやもやした熱を抱えていた。



 そんなある日の午前中、なんとなくつけっぱなしにしていたテレビで、隣の県で行われている盆踊りのドキュメンタリーが流れていた。

 盆踊りといっても、それは夏の長い期間にわたって行われる大々的なもので、特にお盆の4日間に朝まで踊り明かす「徹夜おどり」が有名らしく、僕も以前ニュースで見かけた覚えがある。


 画面には、古い街並みの道を埋め尽くすようにして踊る人たちの姿が映し出されていた。

 始まったばかりの夕方は、浴衣姿の地元の人たちだけでなく、普通の服でぎこちなく踊る観光客らしき人も大勢いたし、道の両脇には見物客もいた。


 けれど、夜が深まっていくにつれて見物客は減っていき、残った人たちの熱気だけが濃密になっていく。

 単純な動作を繰り返す素朴な振り付けの踊りを、誰もが無心で踊り続けていた。

 流れる汗も拭わず、一心不乱に手足を動かすその姿は、どこか神聖で、まるで何かに取り憑かれているかのようだった。


 やがて空の端がうっすらと白み始め、夜明けとともに祭りの終わりが訪れる。


 ふいに、右側半分が赤、左側半分が黄色という派手な浴衣を着た、二十代後半くらいの男性が画面に大写しになった。


 さっきまで険しいほど真剣な顔で踊っていたその人は、最後の曲が終わった瞬間、くしゃりと顔を崩して笑った。

 すべてを出し切った、と全身で語っているような、眩しいくらいの笑顔だった。


 その顔を見た瞬間、心臓の奥がぎゅっと掴まれたみたいになって、居ても立ってもいられなくなった。


 ――僕には、あんなふうに笑える瞬間が一度でもあっただろうか。


『本日夜から、いよいよ待ちに待った徹夜おどりが始まります』


 ナレーションのその声を聞き終えるよりも早く、僕は財布とスマホだけリュックに入れて、家を飛び出していた。


────────


 ガタゴトと揺れるローカル線の車内は、お盆休みということもあってそれなりに混み合っていた。

 衝動的に飛び乗った電車の中で、僕はスマホの画面を食い入るように見つめていた。


 祭りの公式サイトで踊りの日程やルールを調べ、動画サイトを開いて代表的な曲の振り付けを何度も再生する。

 手拍子と足の運び。

 画面の中で軽快に鳴り響く乾いた音は、下駄を打ち鳴らす音らしい。

 見よう見まねで指先を動かしてみるけれど、画面越しだとどうしても感覚が掴めない。


(本当に行くのか、僕……)


 電車の窓に映る自分の顔は、いつになく緊張して強張っていた。


──────


 山あいの駅に降り立つと、改札を抜けた瞬間にものすごい人の波に呑まれた。

 都市部からの直通バスも出ているらしく、駅前は浴衣を着た観光客や地元の人たちでごった返している。


 けれど、人の多さに圧倒されながらも、ふと肌を撫でる風が都会よりもひんやりと涼しいことに気がつく。

 古い木造建築が並ぶ路地のあちこちに澄んだ水路が張り巡らされており、勢いよく流れる水のせせらぎが、真夏の熱気を和らげてくれているようだった。


 通りを歩いていると、軒先で下駄を並べている履物屋が目に入った。

 踊りには下駄が欠かせないとネットにも書いてあった。

 店先には色とりどりの鼻緒が並び、職人らしきおじさんが客の足に合わせて鼻緒をすげ替えている。

 僕は思い切って店に入り、「初心者なんですけど……」と声をかけた。


「お兄ちゃん、徹夜おどりは初めてかい?

 なら、踊り用の少し丈夫なやつがいいな」


 おじさんは手際よく僕の足のサイズを確認して、シンプルな紺色の鼻緒を選んでくれた。


 買ったばかりの下駄に履き替えてみる。

 カラン、と石畳に心地よい音が響いた。

 けれど、普段スニーカーしか履かない足には、木地の硬さと鼻緒の締め付けが少し窮屈に感じられる。


 Tシャツに黒の長ズボンという、ごくありふれた普段着。

 足元だけが下駄。


(……浮いてないかな、大丈夫かな)


 場違い感に恥ずかしさが込み上げてきて、思わず下を向きそうになる。


 けれど、日が暮れてメインの通りにお囃子の音が響き渡ると、そんな不安は吹き飛んだ。


 屋形と呼ばれる櫓から鳴り響く笛と太鼓、情緒ある唄声に合わせて、自然と人の輪ができていく。

 見渡せば、華やかな浴衣姿の人たちに混ざって、僕と同じようにTシャツやポロシャツに短パンといった軽装の人たちも大勢輪に入っていた。

 誰も他人の服装なんて気にしていない。


「よし……」


 深呼吸をひとつして、僕は踊りの輪の最後尾にそっと滑り込んだ。


 最初は、周りの人の手元や足元を必死に盗み見ながらの参加だった。

 前に進んで、手を打って、足を引く。

 動画で予習したはずなのに、いざ身体を動かすとテンポについていけず、手と足が同時に出てぎこちなくなってしまう。


 けれど、何十分か続けていくうちに、身体が少しずつリズムを覚えていった。

 カラン、と自分の下駄がアスファルトを叩く音が、周りの無数の足音と重なっていく。


 ――あ、今、合ってる。


 うまくステップが踏めた瞬間、胸の中に小さな高揚感が弾けた。


 周囲の熱気、夜風の冷たさ、提灯の灯り、地響きのように重なる下駄の音。

 いつの間にか、将来への焦りも、学校のことも、自分が高校生であることすら忘れて、ただ目の前のリズムに合わせて身体を動かすことだけに没頭していた。


 無心になるって、こういうことなんだろうか。


 頭の中が真っ白になって、心地よい疲労感だけが広がっていく。


──────


 そうやって、どれくらい踊り続けただろう。


 ふと我に返った時、右足の親指と人差し指の付け根に、焼け付くような鋭い痛みが走った。


「っ……つ」


 下駄を地面に打ちつけるたび、ずきりと痛む。

 店でぴったりに合わせてもらったとはいえ、下駄を履き慣れていない素足で、何時間も夢中で跳ね回っていたせいで、鼻緒が擦れて、皮が剥けてしまったらしい。


 これ以上は無理だと思い、僕はそっと踊りの輪から外れた。


 通りの脇、古い商店の軒下にある段差に腰を下ろし、下駄を脱ぐ。

 街灯の明かりに透かして足元を見ると、指の間の皮が赤く擦り切れ、血が滲んでいた。

 左足のかかとにも大きな水ぶくれができている。


(痛いな……せっかく楽しくなってきたのに)


 情けなさと痛みのあまり、小さくため息をついてうずくまる。


「――どうかしましたか?」


 不意に、頭の上から少し低く落ち着いた声が降ってきた。

 見物客の誰かだろうかと思い、痛みに顔をしかめながら顔を上げる。


「あ……」


 思わず声が漏れた。


 目の前に立っていたのは、右半分が赤、左半分が黄色に染め分けられた、あの派手な浴衣の男性だった。

 首筋に汗を光らせ、団扇を帯に差したその顔立ちは、今朝テレビの画面越しに見たあの人そのものだった。


「足、擦れちゃいました?」


 男性は僕の足元に目を落とすと、困ったように眉を下げて屈み込んだ。


「初めての下駄で、いきなり夢中で踊っちゃったんでしょ。

 よくあるんですよ、それ」

「あ……はい。

 痛くて、動けなくなっちゃって……」


 本物を前にして緊張したのと、痛みのせいで、声が少し上擦ってしまう。


「無理して歩かない方がいい。

 すぐそこに観光協会の救護テントがあるから、手当てしてもらいましょう。

 肩、貸しますよ」


 男性は迷いなく僕の脇に手を入れて、ふわりと身体を支え上げてくれた。

 男の人独特の体温と、汗と、夏の夜の匂いが一気に近づいて、胸の奥がなぜかトクンと跳ねる。


「すみません、ありがとうございます……」

「いいえ。

 せっかくの徹夜おどりなんだから、怪我して嫌な思い出になったらもったいないですからね」


 男性の肩にすがって足を引きずりながら、数分ほど歩いたところにある救護テントへ向かった。

 テントの中には救急箱や消毒液が用意されており、ボランティアのスタッフさんが慣れた手つきで出迎えてくれた。


「あらら、派手に擦りむいちゃったね。

 痛かったでしょう。

 しみますよ、ちょっと我慢してくださいね」


 傷口に消毒液を染み込ませた脱脂綿を当てられ、思わず「痛っ」と身体を強張らせると、隣で見守っていた男性が「痛いよね、がんばって」と小さく笑って僕の背中を軽く叩いてくれた。


 その大きくて温かい手の感触に、ズキズキする足の痛みがほんの少しだけ遠のいていくような気がした。



 絆創膏とガーゼを手際よく貼ってもらい、ズキズキとした熱がようやく少し引いてきた。

 息をついていると、ガーゼのゴミを片付けながらスタッフの年配の男性が僕に尋ねてきた。


「お兄ちゃん、一人で来たの?

 帰りは電車?」

「あ……はい。電車で来ました」

「そうかぁ。

 まだ夜中の二時前だし、始発までだいぶあるなぁ。

 この足じゃ、朝まで外で座って待つのも辛いだろうし……そうだ、末永さん。

 あんたの家で少し休ませてやったらどうだい?」


 唐突な提案に、僕が目を丸くするより早く、隣にいた男性――末永さんが「そうですね」と頷いた。


「俺もそれが良さそうだと思ってたところです。

 うち、ここから歩いてすぐですし」

「えっ、いえ、そんなの悪いです!」


 僕は慌てて手を振った。


「見ず知らずの人間ですし……それに、末永さんはまだ踊る予定だったんじゃないですか?

 僕のせいで抜けさせちゃうなんて、申し訳なさすぎます」


 テレビのドキュメンタリーで見た、あの朝焼けの中の笑顔が脳裏をよぎる。

 あの熱狂の場から、僕なんかのために引き離してしまうのは耐えられない。


 けれど末永さんは、少し目尻を下げて柔らかく笑った。


「これも何かの縁だしさ。

 それに、徹夜おどりは今日だけじゃない。

 あと3日もあるんだから、気にしなくていいよ」

「でも……」

「いいからいいから。

 ほら、持ってきたスニーカー履ける?」


 背負っていたリュックからスニーカーを取り出し、傷口に触れないよう慎重に足を入れる。下駄に比べればクッションがある分、なんとか体重をかけて歩くことができた。


「……すみません、お世話になります」


 頭を下げると、末永さんは僕の買ったばかりの下駄を片手でひょいと持って、「よし、行こうか」と歩き出した。


 通りから一本外れると、祭りの喧騒が嘘のように遠のき、静まり返った路地に水路のせせらぎだけが響いていた。

 並んで歩きながら、ぽつりぽつりと自己紹介を交わした。

 僕が春樹という名で、隣県の高校二年生であること。

 そして末永さんがこの街の人間ではないことも、その時初めて知った。


「俺も元々は都会の生まれなんだよ。

 何年か前に旅行で徹夜おどりに来てさ、完全にその熱気にやられちゃって。

 気づいたら会社辞めて、ここに引っ越してきてた」

「引っ越しまで……。

 お仕事はどうしてるんですか?」

「春から秋は解体とか土木のバイトで、冬は山に籠もってスキー場のスタッフ。

 まあ、その日暮らしみたいなもんだけど、楽しいよ。

 踊るために生きてるようなもんだから」


 あっけらかんと笑う末永さんの横顔を、僕は盗み見るように見上げた。


 僕の周りの大人たちは、いい大学に入って、安定した企業に就職することばかりを口にする。

 敷かれたレールから外れることは恐怖でしかなかったのに、目の前の人は、自分の心が動いたものだけに正直に生きている。


(そんな生き方が、本当にあるんだ……)


 胸の奥に、言葉にできない新鮮な衝撃が広がっていく。



 案内されたのは、路地の奥にある年季の入った木造アパートだった。

 きしむ階段を上がって部屋に入ると、六畳一間の素朴な空間が広がっていた。


「散らかってなくて良かったよ。

 明日から友達が泊まりに来る予定だったから、たまたま片付けてあったんだ」


 末永さんは手際よく押し入れから布団を一組敷き、自分用には薄いタオルケットを床に広げた。


「ほら、春樹くんはこっち使って。

 足、高くして寝た方が楽だから」

「僕が床でいいです!

 末永さんが布団使ってください」

「いいから。怪我人は大人しく寝るの」


 頭をぽんと軽く小突かれ、抗えずに布団へ潜り込む。


 部屋の明かりが消され、外からかすかに夜風が吹き込んできた。

 暗闇の中、すぐ隣に末永さんの気配と、微かな汗の匂いが漂っている。


 今日出会ったばかりの、画面の向こうにいた大人の男の人。

 すぐ手が届く距離に彼が横たわっているのだと思うと、なぜだか変に緊張してしまう。


 けれどやはり、思い立っていきなり知らない街に来てさんざん踊った疲れが出たのだろう。

 だんだんとまぶたが重くなり、いつの間にか意識は深い闇へと沈んでいった。


────────


 カーテンの隙間から差し込む朝の光で目が覚めた。

 時計を見ると、もう朝の七時を回っていた。

 末永さんはすでに起きていて、Tシャツ姿で冷たいお茶を淹れて待っていてくれた。


「よく眠れた?」

「……はい。すごく」


 身支度を整え、僕たちは朝の冷気が残る街へと出た。


 昨夜の狂乱が幻だったかのように、通りは静まり返り、打ち水がされたアスファルトが朝日に照らされて光っている。


 駅の改札前まで見送ってもらい、足を止める。


「あの、本当にお世話になりました。

 救護テントに連れて行ってくれて、その上泊めてまでもらって……」

「気にしないで。

 ……あ、そうだ」


 末永さんがポケットからスマホを取り出した。


「連絡先、交換しとこうよ。

 足の具合も気になるし」

「えっ……いいんですか」

「もちろん」


 二次元コードを読み取り、画面に『末永』の名前が追加される。

 指先が微かに震えるのを悟られないよう、僕はスマホを握りしめた。


「これに懲りずに、また踊りにおいで」


 末永さんはそう言って、あのテレビで見たのと同じ、眩しい笑顔を僕に向けた。


「次は朝まで踊ろうな」

「……はい! 絶対に来ます」


 改札を通り、ホームに入ってきた電車に乗り込む。

 窓の外を見ると、末永さんが小さく手を振ってくれていた。

 電車がゆっくりと動き出し、彼の姿が遠ざかっていく。


────────


 衝動的に家を飛び出して、下駄で足を痛めて、知らない人の家に泊まった。


 たった一日の、ささやかな冒険。


 日常に戻れば、また退屈な夏期講習や宿題が待っているし、現実の何かが劇的に変わったわけじゃない。

 けれど、スニーカーの中で微かに痛む足の傷と、スマホの画面に残る連絡先を見つめていると、僕の中の何かが確実に動き出したような気がした。


 窓の外を流れる山々の緑を眺めながら、僕は小さく息を吸い込んだ。

 来年の夏が、今から待ち遠しくてたまらなかった。


お読みいただきありがとうございました。


ツッコミどころ多数(高校生が朝帰り大丈夫か、初対面の高校生を自宅に泊めるのお互い大丈夫か、祭りの休憩所とかないのか等)ですが、全部「BLはファンタジー」ということで……(BL未満なのに?)


このネタは県内某所であった祭りの宣伝イベント的なやつで、実際にこういう柄の浴衣の男性を見かけて思いつきました。

私はその街には夏以外にしか行ったことがないんですが、お城と水路が印象的な素敵な街です。機会がありましたらぜひ。

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