第6話
「――――」
ミソラは驚き過ぎて声が出なかった。
あの……、あの生物兵器はライコの父が作ったのか?
その知識・技術といい、国の技術者がよってたかって悪戦苦闘している転移陣を書き換える事が可能だという事といい。
間違いなくライコの父は稀代の天才だ。
障壁の記述があったが、この島にか?
本当だとしたら小さいとはいえ島ひとつの障壁をたった一人で構築したというのだろうか。滅茶苦茶だ!
それにその技をライコが継いでいるという。
ミソラは恐々とライコを見上げるが、ライコは見えないスピードで何台ものキーボードを操作するのに夢中だった。
「っと。終わり」
画面を閉じた軽快な指先。その笑顔はいつものライコだ。
実際目の前で操作が行われているというのに信じられない。
アンバランス。
自分が知っているライコとかけ離れた姿にミソラはなんと言っていいかわからなかった。
「お前……機械がわかるのか?」
ようやくミソラの喉から出た言葉は自分でも間の抜けた疑問形で――。
今見てたのに私は馬鹿か。ミソラの顔が赤らむ。
「ここの物なら全部わかる。使い方は父に教えてもらったから簡単だ。この島で俺にわからないことは無いよ」
気負うでもなく彼は言う。
ライコは父の面影を懐かしむように壁の機器へと手を沿わせた。
「何を、した?」
「せきゅりてぃの強化。ミソラを苦しめてたのはあの音を出す鳥だろう?あの鳥とミソラが飛んでいくのは嫌だ。あの鳥は俺の島には近づけさせない。だからキンキュージタイ用のしすてむを動かした。”楽園”は今閉じている。あの鳥はここには近づけない。ミソラもこれでどこへも行けない」
「ライコ、もうちょっと詳しく説明してくれ」
「ん?島のショオヘキを強くした。人も動物もこの島には入って来れないし出れないよ」
ライコのどこか舌足らずな説明では、ミソラはやはり良くわからなかった。
とにかく『キンキュージタイ』『ショオヘキ』というのは緊急事態、障壁のことだろう。
どこまで信頼できるかわからないが何度も上空を行き来しているらしい軍用機がいまだ島に着陸できていないのは事実だ。低い音は随分遠くに聞こえた。
+++++
「タカダ大尉!やはり島上空に障壁が展開されています」
「馬鹿な。何故こんな島にそんなものがある!」
「いかがいたしますか?」
「――本部に連絡を取れ。ミソラ・モリザト少尉が何者かに匿われている様だ、とな」
「はっ!」
+++++
ライコが笑いながらミソラを自分の膝の上に抱いて座る。
チョイチョイとノートを突いて、ミソラを見つめた。
「ミソラ、読んだ?」
「あ、ああ。これは私が読んでも良かったのか?」
「勿論だよ。父が言っていた。お前が心から愛し信じる番にだけこれは読ませろと。何て書いてあった?」
「え?」
ミソラは目を輝かせて聞いてきたライコに驚く。
「ライコ、知らないのか?」
「俺は読んでいない。父は知りたければ番に聞けばいいと言っていたしな」
「本当に?」
「読む必要がない。だからミソラが来るまで楽しみにしてた」
父の言いつけをジッと守ってきたライコ。
好奇心の強い少年が誰にも咎められない環境で約束を守ってきたというのか。
「父が俺に読まなくていいと言ったのはそれがその時必要ないものだからだ。父は俺に必要な事を何でも知っている偉大な男だった」
誇らしげなライコにミソラは軽く眩暈を感じた。
ミソラも家庭に恵まれた訳ではないが、ライコの父の子育てが一般的ではなかったことはわかる。
父を盲目的に絶対者として信じるライコの生き方がなんとなく哀しかった。
「で?」
「あ、ああ。ライコの母が事故で死んだ事やこの島にライコと2人で来た理由が書いてあった。自分が死んだ後はライコがこの島を守るとも」
生物兵器や転移陣の事は言わないほうが良い気がした。
パラシュートでさえ見たことが無かったライコだ。父の真実など知らなくてもいい。
ライコは「な~んだ」と少しばかりつまらなそうに鼻を鳴らした。
「みんな知ってる事ばかりだ。母は肉体を抜け神の元に住んでいるんだ。父が白い花のような人だと話してくれた。父も肉体を抜け鳥となって母の元へ行ってしまった」
机の上の古びた聖書をライコは手に取った。聖書の真ん中辺りに黄ばんだ押し花と古そうな鳥の羽が挟んである。
「この島へ来たのは母に一番近い場所だからだ。ここに居れば父も俺も母を身近に感じられるから。この花の名は”アイシャ”。父と名付けた。アイシャの白い花が咲く場所で父とはよく昼寝してたんだ。ミソラにも今度見せてやる」
小さいライコと父が白い花に包まれて眠っている。ライコの父は何を思っていただろう。
その光景が目に浮かび、ミソラは切なくなってそっとライコの胸に顔を埋めた。
ライコの胸のドッグタグが目の前で揺れる。
「では、これは父の形見か?」
「これか?これは俺の。小さい時父からもらった。父も持っていたが、死んだ時に言われた通り一緒に埋めたんだ」
一枚しかないドッグタグは黒ずみ読みづらいが、良く見ればライコのフルネームと出身国、そして『屍はこの島に』とメッセージが彫られている。
きっとライコの父のドッグタグにも同じ文句が彫られていた筈だ。
ミソラは目を瞑りライコの父を思う。
この地以外に還る気がない彼の人の覚悟を感じた。
それに比べて自分はなんて覚悟が足りないんだろう。
ミソラはどうしていいかわからなくなる。
あれだけ堅く決意したというのに、時間が経てば経つほど行きたくなくなる。
ずっとこのままでは居られないとミソラは知っているのに。ライコの傍に居たいと心が悲鳴を上げていた。
(無様だ。諦めきれないとは)
本当にこのままこの島に居てもいいのだろうか?軍はミソラを諦めるだろうか?
「ライコ。聞いてくれ」
ミソラは湧いてくる焦燥感に身を焦がしながら真剣な口調でライコに話した。
「私は軍に追われている。だから、今軍を追い払ったとしても何度でもこの島へ奴らは入ろうとするだろう。私はここに居ないほうがいい」
「何度でも来るがいい。俺は負けないしお前も渡さない」
その言葉に胸が熱くなるが、ミソラの不安は消えない。
「本当に何度でも来るんだぞ?私はお前まで巻き込むのが嫌だ。私が居ればお前も追われる事になる。この右腕の骨の中には発信機が付いているから私の居場所はすぐに奴らにわかってしまう。この島の外は荒れた世界なんだ。だからこの豊かな島も強いお前も奴らは滅茶苦茶にしてしまうかもしれない。障壁だってずっとこのままには出来ないだろう?それに私はお前が思うような綺麗な人間じゃな……」
次々と不安を口にするミソラを、ライコはそっと止めた。
どこか泣きそうなミソラの頬をスルリとライコは撫でる。ミソラの肩を抱く腕に力が入った。
「かまわない。俺の傍にいろ。お前以外に俺の番はいない。お前がどこかへ飛んでいくというなら俺もついて行きたい。だが俺は父からこの島を任されている。俺は”楽園”の”王”だ。だからお前がここに残って欲しい。お前が俺を置いて行こうとするなら――俺はお前の残った羽も切り落とす。それでも抗うならお前は箱に閉じ込める。俺にそんなことはさせないでくれ」
ライコには何度も求愛されてきた。
しかしミソラにはそれがライコの正式なプロポーズに聞こえた。
愛する者を奪われ憎しみに故郷を捨てた人。
純粋だがどこか歪んだ孤独を知るライコ。
大きなものに踊らされ擦り切れたミソラ。
誰が正常で何が狂っているのだろうか。
ミソラはわからなくてももう構わないような気がした。
「――番が私で本当にいいのか?」
「ミソラ、お前の言う事は難しくてわからない。番とは常に傍にいるものだ。お前に古い巣があったとしても、俺とここで新しい巣を作ればいいだろ?それを邪魔する敵がいるなら俺が巣を守るのは当然なんだが、お前の元居た所の奴らは違ったのか?番は戦いもしないのか?」
そう言って「まぁ、知らない種類ならそういうこともあるか」と考えを纏めたライコ。
何やらいろいろ間違っている気もするが、ライコの考えはシンプルだった。ミソラを守るというライコの意思。揺らぎは一つも無かった。
自信満々のその態度に、ミソラは1人で気負って考え込んでいた自分の方がおかしいような気にさせられたが――。
「お前が私を番だと言い、私を守ると言ってくれるのは心底嬉しいんだが、まだ怒ってるだろう?」
「あ?怒る?俺が?」
「ああ。隠さなくていい。最近お前の様子は変だった。私の事が嫌いになったのならそう言ってくれないか?今なら私はお前を……」
「違うよっ!」
大声を出したライコだが、その後何故かモジモジしている。
「あれは、ミソラが……」
「私が悪かったのは反省している」
「違う!そうじゃなくて……。ミソラ俺のこと好きだろ?」
「え?」
「気づいてないの?ミソラ最近イイ匂いがする」
「匂い?――って、ええ?!」
何を言われてもいいように身構えていたらライコはとんでもない事を言い出した。
ミソラがライコを好きなのは否定しないが匂いとはなんだ!顔が沸騰するように熱い。
ライコが目を細めてミソラの髪で遊び始めた。
「俺が触れると匂いが強くなる。ミソラの発情期が来たんだって思った。だけどミソラ全然気づいてなかったし、無理して怒らせたり泣かせたくなかったから……」
ライコにしては気を使ってくれていたようだ。
火照った顔を見せたくなくてミソラは下を向いて口ごもる。
困った。調子が狂う。これではどちらがしっかりしてるかわからんな、とミソラは頭の片隅で冷静に思った。
「自覚できた?なら俺もう我慢しなくていいよね?」
ライコの瞳が妖しくなり後頭部を引き寄せられて、ミソラは慌てる。
「ほら強くなった」とライコの言う通りに下腹部が疼くのを感じ、ミソラは恥ずかしさに身悶えながら抵抗した。
ライコとするのは嫌じゃない。でも今はどう考えてもその気になってる場合じゃない。
「ラ、ライコ!待て!まだ話がっ」
「でも、ミソラ。しばらくはあの鳥は来ない。父もキンキュージタイにはオクノテがあると言っていた」
「オクノテ?」
「俺は聞いてないけどね?」
「どんな、あ!こら、どこ触ってる!やっ、あ!待て!ライコやっ!と、とりあえず待て!」
――結局少々激しいスキンシップはキレたミソラがライコの腕に噛みついたことで終わった。
むくれるライコにミソラは半泣きで今後1週間の蜜月の代案を出し、ようやく機嫌を直してもらう。2日間というミソラに対し、目をギラギラさせたライコは1週間と言って譲らず。ミソラは押し切られたのだ。
ウキウキ上機嫌なライコに抱かれながらミソラが『体持つだろうか』とため息を吐いていたのはまた別の話。
+++++
実際、ミソラ達の知らない事ではあるが東アジア連合とヨーロッパ連合には何者かからの通信が届いていた。
曰く『”ラクエン”ニテヲダスナ。サモナケレバMOSCHハアメリカノテニワタル』と。
各国の首脳陣は1人の天才科学者を思い出し、青くなった。
彼との約定はまだ忘れていない。忘れられない。大国アメリカの手にあれは渡してはならないのだ。
「誰が”楽園”に近づいた?!馬鹿者を探して呼び戻せ!」
その命令が東アジア軍に伝わるまであと少し。
タカダ大尉に伝わるのももうすぐ。
+++++
頭上を旋回していた軍用機が突然方向を変え遠ざかっていった。
ミソラはライコと2人で崖の上に立ち国へ帰っていく機体をずっと眺めていた。
「オクノテも効いたようだ」と勝ち誇って笑うライコを見上げる。
こんな形で軍から解放されるとは思ってなかった。
また追っ手が来るという不安はあるが、今度はライコと2人で立ち向かうのだから少しは気持ちが楽だ。
自分には少し前まで何の未来もなかったのに、今はライコがいる。
大事なものを得てしまったら、今までのように無関心無感動では生きられなかった。
ライコの大きな手をギュッと握る。
「ライコ」
「ん」
ミソラは左胸に手を当てた。
「もう一つ話しておかなければならない」
「ミソラ?」
「私のここには小型爆弾が埋められている」
「爆弾?」
「爆発するんだ、ああ、大きな炎と熱風が弾けて襲ってくる感じか?爆発させるには2種類の方法――私か軍の誰かが起爆スイッチを押せばいい。もし奴らにスイッチを押されたら……私が言ったら1分以内に私の心臓を破壊してくれ。いやな事を頼むが、それで爆発は止ま――」
ミソラはまたも言い切ることが出来なかった。ライコに口を塞がれたからだ。
「ミソラ。ミソラが死ぬ時は俺も死ぬ時だ」
優しげに垂れるライコの青い瞳に、ミソラは何も言えずライコの腰に抱き付いた。
嬉しいと口に出したらライコはどう思うだろう。ミソラの胸に空いていた最後の穴がライコで埋まっていく。
(――ああ、ここにあった――)
ミソラが心のどこかで探していた一番欲しいもの。
ミソラはライコの温かさを感じながらようやく生きていく実感と安堵を得た。
「俺が爆発なんてさせないけどな」と軍用機が去った方角を睨みつけるライコのその目が死ぬほど怖くて「どうやって?」とは聞けなかったけれど。
ライコにとってミソラが唯一であるように、ミソラにとってもライコが唯一だ。
手に入れた幸せにミソラは泣いた。
ライコは黙ってミソラを抱きしめていてくれた。
寄り添う影が段々長くなっていっても、2人が離れる事はなかった。
****epilogue―数十分後―****
「――水浴び」
「え?」
しばらくの間そのまま一緒に海に沈んでいく夕日を眺めていた。
寄り添いながら甘い雰囲気を楽しんでいたミソラだったが、呻るように言われた言葉に目をパチクリさせた。
ライコは性急にミソラを抱き上げる。
水浴びは日課だが、なんでいきなり?
「ライコ?陽が完全に落ちるまでまだ見ていたい」
「明日にしろ」
顔に疑問を貼り付けたミソラにライコは悪魔のように笑った。
「我慢できるか。こんなに匂うのに。俺はここでこのままでもいいけど、ミソラは嫌だろ?」
「??っつ!ばっバカ!」
足の付け根をスルリと撫でながらライコが耳元で囁く。
『夕日はいつでも見れる、そうだろ?』
これ以上赤くなれないミソラは返事の代わりにライコの首筋を噛んだ。
次に夕日が見れるのは1週間後になるかもしれないと、不吉な予感を感じながら。
赤くなったり青くなったりするミソラの髪に口付けを落とすとライコは樹上に飛んだ。
枝に引っ掛かっていたらしい極彩色の羽が一枚ユラユラと地面に落ちていった。
――貴方のいるここがわたしの楽園――